主に、旅の炭水化物

各地、食風景の点描

肉を洗う  ~バンメトート「お呼ばれ」記

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「おいしい」。

告げると、「ソレじゃなくてコレ」。ハーさんはこちらの取り皿に、プラスチック的に艶めく太い、一番大きな肉切れをドカンと載せる。この空心菜炒めを褒めちぎりたいコチラの心、分かって貰いたいが、「定番中の定番」の総菜を褒めて貰っても嬉しくないのか、聞こえてはいるだろうが通り抜けている顔だ。

 とはいえ旨いったら。空心菜自体それほど癖もなく、塩が効きニンニクも後押しして、これだけでもそれなりにイケるのだが、別添の「タレ」と食うのがまたイイ。透明なオレンジの液に赤が散りばめられ、白い小皿によく映える――昔、こんな色のおもちゃのゴムボールを持っていたような気がする。

炒める時に味を付けたんだから、まぁタレはあっても無しでもいいんじゃないの?――と思ったが、「絶対」だ。一回付けて食べたら、なきゃイヤ、となってしまう。

ベトナムの中部ダクラック省の省都・バンメトートにいる。人口三十万人。ベトナム南部の中心都市であるサイゴン・現ホーチミンシティから北東に約330キロの距離にあり、夜行バスで約10時間。

バンメトートといえば――その名を馳せるのは、「コーヒー」。

ということでできるだけそれを堪能しようと、一日のうちになにかと飲み歩く中で、市場のカフェにて出会ったのが、ハーさん。歳も近く意気投合し、一緒にご飯を食べよう、という流れとなった。しかもハーさんの家で、彼女が料理したものを、である。おぉ、「ベトナム料理教室」…。

 というわけで嬉々とお料理見学を堪能してのち、出来立て三品のオカズを並べた食卓にある。白と黒の大きなタイルを交互に組み合わせたという、なんとなく一面ピエロみたいな床は手入れよくピカピカで、ソファがあり、戸棚があって扇風機があり…のリビング中央にある低いテーブルには、「空心菜炒め」と、「豚肉炒め」「カボチャと牛肉のスープ」。と、炊飯器のジャーが低い椅子の上に。

ソファに、折り畳み椅子を組み合わせ、三人。12時を過ぎて「帰って来た」らしい男性と、ハーさんと、私だ。

 そうだ、たくさん食え、たくさん――とばかりに頷くこの男性は、……旦那さん、だろうか。ハーさんよりも焼けた肌をして、見た目はなんとなく海が似合う体育の先生だが、穏やかで優しそうな雰囲気でもある。

「お邪魔してます」という風に挨拶をしながら、横からハーさんが告げている、おそらくこちらの情報に、うん、うん、と頷くも、特に驚くとかの反応はなく、言葉少なくフーン、と笑顔だけだった。

 豚肉炒めは、ちょっと濃いめの甘辛、と想像していた。見た目はもちろん、入れていた調味料も、醤油、砂糖…そういったものだったハズだ。確かに甘く、辛く、……だが日本でも御馴染みな感じとは何か違い、もっと「込み入った」味がする。これがカラメルの効果だろうか。それとも幾つかの、謎の瓶入り調味料のせいか。

そしてそれを、そう簡単に舌の上から離さない、立体的ともいえる肉の弾力。そして瑞々しさったら…。

噛むうち噛むうち、目が垂れるか大きくなるか知らないが、手すりに寄りかかるよう、即刻に箸が求めるのは「ご飯」だ。

「旨いです…」

大口を放り込まずにはいられず、笑ってしまうのを持て余してハーさんに投げてしまった。ハーさんは困ったように受け止め、こちらとは異なる清涼な笑顔で応答してくれる。

 洗った肉。新鮮な肉――コレが肉の「実力」なのか。

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 ――肉は、洗っていた。

洗面器よりもやや小さい器の中で、ハーさんは、ちゃぷちゃぷと、揉み込みむように。ソレを見ながら遥か昔の記憶が蘇って来て、――「スマン」。

ため息のように漏らした反省のココロ。…今頃になって。

大学生の頃だ。

「新入生歓迎」のイベントにてグループを組み、メンバー内の部屋(一人暮らし)に集まってメシを作ろう、ということになった。メニューは確か、簡単でかつ誰の腹をもそこそこに満たす、カレー。

肉を炒めてから煮るのか、(野菜諸々が)煮えた中に肉を鍋に落とそうとしたのかまでは覚えてないが、とにかく「肉を調理する」というその時。スーパから買ってきたまんまの、食品トレーの上に綺麗にスライスされたのは豚肉だったと思うが、一人の女の子がそれを手にしてシンクに立った。彼女は沖縄出身、ということも覚えている。

小さく切るのだろうか?と見ていると、水道の水を躊躇もなく、その上から流し始めたのである。

驚いて、素直に「え、」と声を出した。そして素直に呟いた。

「肉を洗う人って、初めて見た」――今から振り返っても、ソレは明らかに嘲笑を含んでいた。

野菜ならわかる。砂が茎に入り込んでいたり、虫も引っ付いているかもしれない。でも、トレーにキレーに、棚田のように一枚一枚並べられている肉を、「洗う」というのは思ってもみないことだった。

「初めて見た」なんて言っても、フツー、実際に他人が調理する手元を目にする機会というのはあんまりなかろう。そもそも、大学生になって一人暮らしを始め、やっと料理する習慣に慣れ始めた、という頃だった。それまで料理に興味はモチロン、肉の為に買い物に行くこともなく、すっかり母任せの「なんもしない子供」である私だった。「まじまじと生肉を見る」とは、すき焼きとかの鍋料理で「ちょっと高いのよ」と言い聞かされて堂々、お人形のフリルスカート的に広げられた高級肉を前にする時にやっと、というぐらいであり、勿論だがそれを水で洗ってしまうなんて場面は見ていない。料理する手を実際に「見る」経験とは、ウチの台所で動く母と、そして家庭科の調理実習でワタワタした現場でしかなく、あとは料理番組の世界でしかなかった。

肉を洗う――。実際、例えばレバーならば「血抜きの為に水や牛乳に浸けて洗う」とか、鶏ガラは「臭み取りに一旦茹でて洗い、それから煮た方がよい」等と言う、肉によっちゃあ調理前に「洗う」を含めたひと手間を必要とすることは、家庭科の授業などでも教わった覚えがあったが、料理やり始めの自分に、そんな厄介な世界へのシャッターを開ける余裕もつもりもない。使う肉とはもちろん、薄切りとか細切れとか、「トレイから出してそのまま使える」ものに限る。

要はその狭い狭い経験の、狭い了見のなかで、「肉を洗った」場面を見た覚えも、「発想」も無かった。

彼女の行動は、自分の中の常識「外」にあり、しかも傲慢なことに、それが巷でも共通するようなフツウの感覚であると思った。トレーに載った「魚の切り身」しか見たことのない子供の中には、「切り身」が海を泳ぐと思い込んでいる子がいると聞いたことがあるが、その「んなまさか」と同じ類のことのように思えたのである。

ミニスカートが似合うスタイルのいい、可愛い女の子だった。声もいかにもキュルキュルと「ギャル」な感じの、当時としては「イマドキ」にすっぽりはまる子だった。だからイジワルして、というわけじゃないだけれども、…いや、あったのかもな、と今は思う。可愛いモテっ子。だからせめて「無知」ぐらいあったって――

 彼女は私の言葉に「えっ!?」と顔を赤らめ、演技抜きで(コレもイジワルな見方だが)驚いているのが分かった。

「肉って、…洗うもんじゃないの?」

その反応にかえってこっちが戸惑ったぐらいであるが、んなワケないじゃん、と思い込んでいる私としては、「これは洗わなくていいと思うよ」と横からの男子の加勢、というか助言もあり、哀れみかつ得意気な目で、あーあ、とその濡れた肉を見ていたのである。

 ――スマン。「無知」は、私だった。

 実際、母は牛肉や豚肉の薄切り・切り落とし肉など「スライスされた肉」ならば、買ったそのまんまをスグに下味を付けたり、炒めたり煮たり焼いたりしていただろうが、鶏肉の場合は必ず、その皮の内側にある脂を取り除いた後、水を流し、洗っている。なんで鶏だけ、というと「なんとなく」でいつも会話は終わる。また豚肉でも、バラ肉の塊は一回茹でて洗った方がいいけど、肩ロースの塊はそんなことしない、とか「なんで?」「なんとなく」の決まりごとがあるのだが(豚バラは「脂の塊」でもあり、茹でることでそれを少しでも落としたい)、ともあれ「肉を洗う」ことは「アリ」だと気付いたのは、もっと後のことである。とはいえやはり、スライス肉(牛・豚)は、ウチでは、というか日本で買うものならば洗ったりしないだろうし、必要ないだろうと今でも思う。もし水で流したら、水っぽいだけでなく、薄いだけに一緒に味が逃げちゃうのではないか――魚の刺身じゃあるまいし、ではあるのだが、トレーの上に、スーパーの裏でパートさんが整えている棚田的フリルはまさに刺身的であり、それをわざわざ水で流して乱す必要性が感じられない。

 だが、ここにいては確かに「必要なのだ」だと思う。

 人が、バイクが行き交い、舞い上がる砂煙の中に晒されている各種各部位の生肉。ハエが集っているのを、時にうちわなどで振り払う売り手もいるけど、多勢に無勢、ほぼ気分的・気まぐれ的な行為にも見え、どうやったって…と諦めて全くの放置状態のところもある。そんな中、お客は「この肉の、ココの部分を頂戴」などと切り売りしてもらうのだが、そのビニール越しに受け取った肉には、埃やハエのタッチした跡はもちろん、時に「あ」と店のおばさんは床に落としたかもしれず、地面の諸々も付着した可能性もあるだろう。そして一生懸命肉をさばく際の、したたり落ちる汗やお喋りの際の飛沫もちょっと遠慮したいもの――からして、いくら火を通すとはいえ、ちょっと自分ちで水をひと流しぐらいしたくなるモンではなかろうか。

 不衛生、とヤな顔を向けたいのではない。まぁ、ピカピカ床のスーパーでパック肉を買うことに慣れていれば、冷房もない中で肉を捌く現場の、諸々混じり合ったナマあたたい匂いにひるむかもしれないが、肉を食う――「生きていたもの」・その肉を捌くというとき、大地にフツーに在れば砂埃も飛んでくるし虫も呼ぶ。そういうもんだろう。

 考えてみれば、魚を捌く時というのは、その血合いとか、飛び散って身に付着した鱗を水でサッと洗い流すのは全くもって当たり前である。肉もまた、捌かれぱっなし――砂とか埃が付いたまんまではなく、やはり洗う。料理をするのはそれからだ。スーパーでパックされたフリル肉とは、その段階までやってくれている、ということである。

 ――ベトナム

 市場には日も昇らぬ早朝から、皮をはぎ取られた牛や豚の、大まかに切断された足、胴体、或いはまったく切断もされていない丸一頭が、リヤカーに載って足早に運び込まれてくる。肉売り場では、商売人がこれを更に解体・分別しながら、その最中に「ここ頂戴」と指差されたならばその部分を切り取り売ってゆく、という光景が見られる。

これを食うのだ、とばかりに大きな部位が転がる様子は圧巻であり、ブルンブルン弾けよさそうな肉の、ドカンドカンした塊を前に、沸き立つ「肉欲」――昔アニメで見た「ギャートルズ」のように、炙り焼いて食いつきたくなるのだが、人々とは意外にこじんまり買ってゆくもんで、その量とは私らがスーパーで手にするひとパック三百グラム入り、とかと同じぐらいだ。…冷静。

ともあれ、「息の根を止める」場面こそさすがにないものの、「生き物を食べる」ことの原則――人が我が物にしているのは落命した肉であることを、リアルにフレッシュに抱くことのできる現場。それがベトナムの市場だ。

 まぁベトナムの、に限らず、肉食文化の据わったこの周辺ではどこでもなんだけれど、そんなのを前にしていると、鮮度を保つために冷凍冷蔵技術・流通ルートを整備・発達させている世界での「パック詰め肉」が、妙に「モノ」に思えてくることだ。…なんて言っちゃいけない、それらもかつてはちゃんと「命」のあった肉であり、現にウマイウマイと日々食ってんだけど、人口加工肉にも似た、ベツモノのように正直感じられてくる。

 沖縄出身――。

 彼の地では、まさにアジアの市場と被るような光景が目に出来る、と本で読んだことがある。「この肉を食らうのだ」という人の意志高らかな、新鮮な肉捌きがみられるのだと。

私はまだ行ったことは無く、もしかして繁華街などにおける現在は多少違っているのかもしれない。さすがに食品衛生法なんたらで、肉は冷蔵保存にされているのだろうが、大きな塊だとか豚の頭とかが、店頭のケースにデンと広がっているらしい。

「彼女」は、その沖縄出身だと言っていた。

肉を洗う――。

「切り身」は、私だ。それが海を泳いでいるように、肉を前にしながらも「肉」として見ていない。箱に入った置時計同様、いまからただ使えばいいだけの物体であり、そこに「命の跡」などという発想もなかった。

「肉を食う」認識にしても、食の文化に対しても――まさに無知は私。クローズアップされるひがみとも相まって、あぁなんと醜い自分であることか。しかも今さらなのが余計に恥ずかしさをダメ押しする。

…ゴメン。どうか、お元気でおられますように。

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 遠慮の「壁」が、ガラガラと崩壊する――ご飯を食わずにおられようか。空心菜といいこの豚炒めといい、「ええ、こんなに?」と思ったハズの白い「盛り」が、全くもってフツウに見えてしまっている。…ヤバイ。けど、覆水盆に返らずというか、一度崩れた壁は、即座に修復不可能だ。

そこへ「おかわりは?」と、逡巡する心に悪魔のように…いや、女神が手を差し伸べる。――「うん」と導かれるままに、ご飯茶碗を引き渡す。

 ところで無心に頬張っているようでいて実は様子をうかがっていたのだが、問題は「カボチャと牛肉のスープ煮」である。

カボチャと牛肉が煉瓦のように沈み、ややカボチャ色がかった澄んだ汁が、大きな丼ひとつにドンと入っている。表面に浮く黄色い油と絡むように散っている緑色の微塵が、最後も最後に放った、ネギ&パクチーだ。

 丼にはお玉が突っ込まれているが、…どう食う?

各自にスープ皿があるわけではない。取り皿は私の為に一枚あるけれども、これは空心菜やら豚炒めの為の平たい皿であり、スープには向かないだろう。そもそもこれは「お客さん用特別皿」であり、二人はそんなの使わず、ご飯茶碗を兼取り皿にしている。「郷にいっては…、」とやりたい私としては、なるべく二人のように食べようとしており、皿は自分でオカズを取り置く為というよりは、もっぱらハーさんが「食べてコレ」と勧める肉切れを置くのに使われている。

 ベトナムではたいてい、白飯を食う時には汁物が添えられる。この時、汁物だからといって「温かいうちに」口にすることはあまり意識されないようで、オカズも一通り食って茶わんのご飯も残りわずか、そろそろ食事を終えようかという頃にようやく、その残り少ないご飯の上から「汁物」をぶっかける。つまりたいてい「ぬるく」、湯気こそ汁物としての証、なんてみなしていると少々がっかりもするが、まぁ暑い地域であるからしてそれは大した問題じゃないということか。そして、お茶漬け的にそれを啜る。啜り易いことに、汁にはそれほど具があるわけではなく、ちょろっと青菜が泳ぐ程度であることが多い。――で、「ごちそうさま」。

 対して「今」のコレ。一応「汁物」の分類ではあろうが、食事の終わり頃に手を出すにしちゃあ、その具とはまるで岩場であり、「かき込む」にはゴロゴロ立派過ぎる。(食事の)最初の段階でタッチするべきカボチャ、のようにも思うが、今からご飯を汁に浸すもんだろうか。…いや、豚肉やら空心菜やらの為には、私としては、飯は浸ってない「ホックリ」状態であってほしい。

……なんて悩んでいると、おぉ、体育おじさんの手がそっちに伸びそう――伸びた。

 お玉を取って引き上げ、具が載ったままそれを丼の内側に付けるように傾ける。あ、汁気を切る? そうしてそれをご飯の上にもってくる。そうか…単純に、具だけをさらえばいいのか。ならばご飯はほぼホクホク状態のままだ。

なーんだ私って頭固いな、…とはいえ「それでいいんだろうか」とも思う。汁に浸かっているからこその、この料理、ではないのか。豚汁を出されているのに、具だけ食って汁は要らない、というのに等しい気がする。

少々釈然としないこともないが、ともあれ答えが分かったところで、じゃあ。「誰かが先に取るまで待ってたでしょ」というのが丸分かりだが、あんまり躊躇っていつまでも手を出さないでいるのは、頑張って作ってくれたハーさんに申し訳ない。っていうのを言い訳に、興味ビンビンをやっと果たせる。

 おじさんに倣い、カボチャと肉を三つ四つ、ご飯の上に載せてみた。それでも少々汁が入ってしまったが、植木鉢をひっくり返したとたんのダンゴムシのように、ご飯の奥の奥へと潜っていってしまった。

 ――カボチャの甘さだ。素直な、柔らかい味だ。

 肉も、肉の甘さである。…ってスープの味もきっと染みているのだろうが、「ご飯イケイケ」とこぶしを上げる豚炒めと空心菜の前では、それは儚い夏の思い出。静寂なる湖のほとりにワンピース姿の美少女を見たような、束の間の安らぎ。頬を撫でる爽やかな風…――の「爽やか」さは、薬味のせいだ。特にパクチーが効いている。

 そうして諸々食べていって、茶碗のご飯が残り少なくなった頃、体育おじさんは「汁」を改めてその上に注ぎ、ちゃんと飲む。この時、汁だけといっても一つ二つ具が入り込み、いまようやく「汁も具も」一緒に、ということになるが、具が入るのは「たまたま」な感じであって、必要なのはホントは汁だけ、のような感じで食っている。

「豚汁だったら…」とやっぱりわだかまりが生じるのを押さえ、同じようにじゃあ私も。たまたま、を装ったつもりはないんですけどアラ不思議、いっぱい入った具と共に、ご飯の上に。

 …あぁこれは、進むわ。肉のダシかそれとも味付けのせいか、色は澄んでいても、煮しめた色を秘めたような、おとなくもずっと啜っていたくなる味。それをご飯とサラサラとゆくと、脳裏に風鈴が揺れ、リーンと響くのにも似た快さがある。

 風鈴が鳴る。か細くも凛とした音色の向こう、ハーさんが見える。

                              (訪問時2007年)

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国境一泊・バスの旅  ~中国からキルギスタンへ

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た、…食べたい。

「いやあ、ちょっとバスに酔っちゃって、気分が悪いし…」

と言った手前、しかしガンガンつつくわけにもいくまいが…。

「食べないようにしよう」と決めていた一番の理由は、ここでは絶対腹を壊したくないというか、「できるだけトイレには行きたくない」という、祈りにも似た切ない思いがあったからだ。 

しかし、――運ばれてきたソレを前に、止まってしまった。

 

 

到着。……で、すぐ、ウズベク人女子のショヒダと共に、トイレ…というか「トイレ的に使われている広場」へは行ってみた。

そう、ちゃんと「行けた」のである。だが、しかしその時はまだ、日の暮れてゆく最中――残照のおかげで「見えた」からして、人の残した「ブツ」も避けること可能だったのだ。

だが夜も更け、「明かり」など皆無に等しい中で、再び「ここ」を訪れる時がくるのかと思うと気が滅入った。――なんて、他の人たちにとっては、べつにどうということはないのだろう。トイレに関する不満など、一つとして耳に入ってこない。

私だって、「辺境でのトイレ」とはこんなもんだ、と動じなくなっているつもり…いや、動じないよう、マインドコントロールしているつもりだった。が、雪はさらに勢い付いているようで、「トイレ用地」はさらにベチャベチャ・何がなんだか分からない状態になってゆくのは目に見えている。

なんてったって、ここに一泊するのである。

また、行かないわけがないではないか。…そうなんだけど、「食べたり飲んだり」したら、そこに行く回数が、余計に多くなってしまうってなもんだろう。

…ヤダなぁもう…と、うんざりであるのだけれども。

 

 

湯気と一緒に「香り」が鼻をついた。

「お盆」かというような大きな平皿に、タップリと盛り付けられた煮込み料理――うわぁ…、と息をのんだ。

…シチュー?

じっくり煮こまれてホクホク、プルプルになっていると思しきジャガイモと何らかの肉が、ブラウン色のその煮汁の中にトロンと絡まっている。ところどころ、ポツポツと艶よく浮いているのは、ピーマンか。

この、四人掛けのテーブルについたのは、私と18歳のショヒダ、キルギス人のおばさん二人のみ、なのであり……これ、私ら用? 周りを見回してみても、各テーブル同じような人数で、このサイズの皿が運ばれており、特にここだけ突拍子もない量のものを注文した、というわけでもないみたいだ。こういうモンなのか。…でもねぇ…。

おばさん達、そしてショヒダは、食べ切れるのだろうか。

私、一応は「いらない」って言ったよね?その上で、注文したんだよね?――だがどう見ても、たとえ四人でだって多いんじゃないか、という量なのだが。

「まぁまぁ、チャイでも」と言うから同席したのであり、そのチャイ・つまり「お茶」も、トイレを恐れるあまりチビチビと、唇を濡らす程度にしか飲んでいない私である。私は、要らない、食べないからね――という決心などしかし、やはり揺らいできてしまうのだ。

平皿で表面積が大きいから、湯気がいっそう立って、こちらに絡み付いてくるようである。

――バスの中では、クッキーばっかり食っていた。

このときに限らず、旅の中で「移動」の際は、腹を下すことを恐れて、なるべく「便秘になりそうなもの」で食い繋ぐようにしている私である。

だがこの、野菜や肉のエキスだとか塩分だとかを、あたかも既に口にしているかのように連想・実感させる、やんわりとした暖かい「オカズの匂い」が――やっぱり生きていく上で必要なものとは、と教えてくれる。クッキーはクッキーでしかなく、「食事」にはならないのである。

ウットリした。 ……食べたい。

 

 

 中国・ウィグル自治区カシュガル」を出発する、国際バスに乗った。

行き先は、キルギスタンの「オシュ」という町である。全行程は、約二十~二十四時間かかるという。

「夜通し走る」寝台バス―のハズだった。が、思わぬアクシデントにより急遽、バスの乗客みんなそろって、まさに国境の中国側・税関から歩いて数分もない場所にて一泊することになったのである。

「寒いね…」

バスを降り、車内ですっかり打ち解けたウズベク人やキルギス人達と、一緒に白い息を吐いていた。しょっちゅうここを行き来してんのよ、とかいう「慣れた人たち」ではないのだろうか、それとも予想だにしない天候だったのか。ショヒダを含め、ぺらぺらしたワンピース一枚だけの女性が何人かいて、――マフラーをグルグルにしているこっちだって震えるのに、それじゃああんまりだろう。中国で買い込んだのだろうか、毛布を大荷物の中から引っ張り出し、数人で巻きついて「巨大なぬいぐるみ」になっている、微笑ましきおばさん達、など。

こんなところにも招待所――宿がある、ということに感心してしまう。

白い斑模様のガケ山に囲まれ、空気が氷のように張っている。たとえ雪の時期が過ぎ去っても、木の気配というものが無いここの景色は、おそらく砂色に染まってしまうのだろうか。――それに比べれば、今は「雪」という要素が加わって、風景としては「わびさび」を醸し出しているときなのかも知れないが、…それにしても寒すぎるよなぁ…。

「わび」というよりも、この世の果て――「絶望」と題したくなる、どんよりとした空の暗さ。…って、日が暮れてっているんだから、仕方がないんだけど。

長い壁に幾つものドアが等間隔にとりつけられた一階建ての建物は、宿というよりも運動部の部室みたいだが、このような環境に建つならば、それは「文明」といえなくもない。部屋はドミトリー形式で、私達「バスの乗客」のほか、この国境を往来するトラックの運転手が利用しているようだった。こんなところに宿があるなんて――が、こんなところだからこそ、あったら助かるもん、なのかもしれない。

寒い。…何度言ったって変わらないのだが、言わずにおれるかってぐらい、寒い――からして、トイレは必然的に、さらによけいに、近くなろう。

あぁ、でもホラ。部屋に入ってみれば、ストーブがついているじゃないか。

…嬉しいけれども、トイレが哀しい。

 

 

で。

部屋に入って、じゃあちょっと横になるか…と思ったのもつかの間、「行こう行こう」と、数あるドアのうちの一つ・食堂部屋に連れてこられてしまった。当たり前のように腰をかけるみんなに混じって、なんとなく私もじっと座っているうち、運ばれてきたのがその「シチューと思しき料理」というわけである。

「明日はいつ食べられるか分からないしね。今のうちにたくさん食べよう。」

…私は食べないって言ったじゃん。が、まぁ、この人たちがいったいどんな風に何を食べているのか、観察するのもおもしろそうである。勧められたら、遠慮しいしいチビチビと「つっつく真似」でもしとけばいいか、ぐらいに考えていた。

が、ソレを目にしたとたん――「あぁそうですね」と、オススメされてまんざらではないくらい、私は揺れた。「いらない」と言っていた以上、どちらかというと、もっと強い口調でオススメして欲しい、などと思いはじめる始末である。

こんな辺鄙なとこで、こんなものを目にするとは思いもしなかった。ろくなものは無いのだろうと、ナメていたのだ。だから余計に興味もわく。

「じゃあ、ちょっとだけ…」

と、ホントは喜んでスプーンを握り締めているくせに、いかにも食欲無さそうな顔を作って、一口。

「汁」は、見た目通り、ビーフシチューのようなコックリした味。トマトを使っているのかな…にしちゃあ、その酸味は全く感じられない、まろやかぁ、な味でもある。唐辛子だろうか、少々ピリッとした加減が丁度よい。

…うまい。

凍えた体に、滋養が染み渡ってゆく。具も食べてみようかと、ジャガイモのかけらを口にすると、ほっくりしたイモ自体の甘味と、染みた汁の味が、…なんてシアワセなんだろう。一口大の、歯応えある肉は鶏肉のようで、濃い汁の中にその存在は埋没していない。

ここは国境の、「中国」側。

「中国」といってもこの国境を含む西部は、「ウィグル自治区」であるが、……じゃあこれは「ウィグル料理」なのだろうか。

バスが「カシュガル」の町から出発したと前述したように、この時私はウィグルを巡っていた。…が、ほっつき歩き食っていたその中で、このような「デミグラスソース」的な味に出会ったことが無い。これは、キルギス料理の範疇だろうか。国境だけに、あちらの要素が混じったものなのだろうか――

なんとも、目新しいではないか。

本やらで紹介される、両者(ウィグルと、キルギス)のポピュラーな料理メニューを見る限り、「どっちもあんまり変わらない」という漠然とした印象しか、私は持っていなかった。

「似たよう」な食文化ではある。乳製品をよく利用するし、パンが主食的によく食べられる。どちらの地域もイスラム教徒がほとんどであることから、羊肉を使う料理も多い。麺料理も、同名のものが名物だ。

だから、しばらく同じようなものが続くのだろう、食に対して、そんな「諦め」に似たような感じがあったんだけれども――とはいえど、調理法や、調味料、味加減などの嗜好の違いというものは、やっぱ大雑把に「似たよう」などと括れないほど、つつけばそれぞれにイロイロ、枝分かれ的に変わってもくるもの。「どっちもあんまり変わらないんだろうな」なんてのは、たまたまペラっと本をめくって目に入ってきた写真・つまり偶然で作り上げた単なる先入観であり、下調べをしようとしない「怠慢」にすぎないのだ。

目の前のソレをまえに、これから進む地域に対しての「期待」が膨らんでくるようだった。…ってべつに、ウィグルでの料理が不満だったわけではないが、料理が変化するということは、「移動したのだ」という旅の実感でもあり、それが食いしんぼである自分にとっては、かなり楽しみであるということだ。

――なんだけれどもて「この時の自分」の腰を折るようなことを述べてしまうと、それは「大盤鶏」(ダーパンジー)と呼ばれるれっきとウイグル料理であった。町なかにもそのように書かれた漢字をあちこち目にしていたハズだが、大皿料理であり値段も高い分類にあり、一人旅の自分には眼中になく、縁が無かっただけである。

ともあれ、達観などしていられない。まだまだ、何を口にできるのか、未知の世界が広がっているのだ――と、と、なんだか妙に、場違いにもエネルギーに満ち満ちている自分がいたのである。

そして、メインの端っこに突き従うようにある二つの皿――これは町なかの屋台でよく見かけた大人気メニュー・「酢の物」。キュウリと、半透明の「寒天」らしきものの二種類が、おつまみ的にある。

特にこの寒天(らしきもの)は、ショヒダが言うには、ウイグルのみで見られるもので、彼女の故郷・ウズベキスタンには無いらしい。…ならば私も最後に「名物」はいっとくか、という義務感さえ生まれくる。正直言うと、コレ(寒天の方)の、屋台で群がらねばならないほどの「美味しさ」が、私にはイマイチ理解できなかったのだが、…だってウィグルとももう「お別れ」なのだ。

 しかも、――そうだった。「ご飯」まで運ばれてきたのである。これまた大皿にドーンと登場した、「山盛り」。

 

 

ところで、バスの乗客――キルギス人・ウズベキ人たちの会話は、キルギス語とウズベク語のどっちかか、ロシア語である。

キルギス語とウズベク語は似ており、かつウィグル語、そしてトルコ語とも類似している。流暢にとは(ゼンゼン)いがないが、私はこれより以前にトルコ語に接した期間があったし、「たった今」ウィグルを巡っていたばっかりで耳も慣れていたから、なんとなーく彼らの会話は掴めるような…、という感じではあった。

とはいえやはりいかんせん付け焼刃であり、固有名詞は知識もないだけにより理解不能。食堂の人たちに何をオーダーしていたのか、ほぼ「ウニョウニョ」としかわからなかったのだが、そんな中でも、「ご飯」を意味する単語だけは、彼らの会話の中でぎこちなく浮き立っていて、それは私の耳にも確かに引っ掛かることができたのである。

「ミーファン」と、言った。

ミーファンは、「米飯」。即ち「ご飯」。…つまり「中国語」、である。

…へー、あっち(キルギスタンウズベキスタン)でも、白いご飯は「ミーファン」って言うのか――なんてその時は思ったが、それからのち、西・中央アジアキルギスタンウズベキスタントルクメニスタン)へと旅を進める中、油をタップリ使って炊き上げる「ピラフ」ならともかく、中国や日本式にシンプルに(水だけで)炊いた「白いご飯」というのは、サッパリ目にすることは無かった。私らの米料理とは、ベツモノ――だから「中国語」なのだろうと振り返るのだが、ともかくそれがきた。ドーンと来た。

各自に配られている取り皿に「欲しいだけ取って」ということらしく、まず私にその「ご飯の山」が寄せられる。「要らない」という了解はもはや何処かへ消え失せている。…いや、自分でも、「言わなかった」ことにしようとしている…。

この煮込みに、ご飯という組み合わせ――なんて、バッチリなのではないか。予感がした。ダイエット中に袋菓子をポンと出された時のように、線がプチンと切れて止まらないような…。

……キュウリの千切り一本ずつをつまみ、地味に咀嚼して誤魔化している場合ではないのではないか。今コレを食べずして何が旅か。人生か。

心の内では何か希望めいた山が一点ドーンと突き上がり、奮い立ってもくるのだけれど、その空には曇った雲もちゃんとある。でも、あのトイレが……と、複雑な色にモヤモヤしている塊が。

いまスプーンを握っている中で、こんなこと考えているのはおそらく私一人であろうと思うとバカバカしくもなるけれど、躊躇する自分は、「冷静な自分」である。後悔先に立たず。――でも、やっぱり食べたいじゃないか。

トイレがなんだ。どうせ寝る前には行かねばならんだろう。しかもほんの何分かであり、一生のうちに比べれば、太平洋に沈んだゴマ、といっていい。

ちょっとだけ、ちょっとだけ…

表情だけは「遠慮気味」を忘れないよう気をつけて、手は喜んで、ご飯を自分の皿へと取り分けていた。

「ナンもあるよ。」

キルギス人のおばさんが、まるでメガネケースでも出すように、ハンドバックの中からむきだしの「わっかパン」を取り出した。――「ナン」。それはウィグルの「パン」であり、御土産のつもりだったのだろうか。

い、…いただきます…。

果たして、満足な夕食となってしまった。

       

                               (訪問時2008年)

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ご飯食いの達人~カンボジア

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 カンボジア――ご飯が旨いこと半端ない、ところ。

いや、「ご飯を食べる」ことに長けた、というべきなのか、どうか。とにかくご飯とオカズの「バランス」というものが、半端なくスバラシイ。

長年括りっぱなしで錆びついたチェーンのように、がんじがらめの抜群なる相性。その結びつきには、一分の隙も無い。

味なんて、個人の「好み」モンダイでしょ?と一蹴されようが、そしてハイ、確かに「カンボジアに行った」とはいえ、当然ながら津々浦々全てを歩きつくしたわけでもないが、かまうもんか、万難を排してでも言おう。ご飯を食うことに長けた名手がここに居る、と。

 それは、この世界へと立ち入ってゆくそのさなかで、既に感じ取れることだった。

 

タイからカンボジアへと陸路で移動する。

まずはバンコクから南東方向320キロ・カンボジア国境近い町トラートに向かい、そこから乗り合いバンでタイランド湾沿いに移動し国境を越える。行先は、カンボジア南端にある港町・シアヌークビル(コンポン・ソムとも呼ばれる)だ。バンに同乗していたのは、カンボジア人のおじさんおばさん達、そして欧米人旅行者二人。

「入国ビザ代にはドル払い不可。タイバーツしか受け取らないもんね。フン」

どう粘っても全く折れない税関役人とひと揉めを経て、ヤレヤレ、ボーダーを越えた。さぁ、これからはひたすら突っ走るだけのドライバー任せであり、あとはもうヨロシク頼むわ。

 ――と思ったら、スゴイことになった。

怒りの道。……なんか、ワタシやったっけ、と胸に手を当てて考えてみる。母の怒り――昔々、赤点のテストの束を隠していたのがバレた時のような、化粧もなにも吹っ飛んだ大地むき出しの怒り。茶色い土肌を気性荒くうねらせる前には抵抗する術などなく、その手中にて黙って下を向き、翻弄されるのをひたすら耐え偲ぶしかない。

前日の大雨せいで道はぬかるみ、沼と化した水溜まりのど真ん中の通行さえ強いられる。車はゆっくり、ゆっくり……まさに田植えの中を歩く農夫のような足取りだ。扉を開けて、実際に自分の足を降ろしてみたならば、底なし沼のように引きずり込まれてしまうことだろう。

 ようやく脱したか、と、乾いた土が目に入るようになれば、それは尻を突く振動の始まり。がっくん、がっくんとアクセントを違え、時に大きな岩でも蹴っ飛ばしたのか、いきなり上体がのめり込んで前の座席に体を打つ。これはいつぞやの、アレの報いか――なんて、みんな同じ思いだろうかと想像しながら、いつ終わるとも知れない試練の道をゆく。

 そんな道中、川を渡ることが三度あった。

橋を通るのではなく、車ごと船に乗っての川越えだ。今現在その道をグーグルで見てみると、おそらく状況は変わっているのかもしれない(橋が架かっているように見える)のだが、ともあれ時は2006年。その、三番目の箇所においてだった。

 ――ああ、また船だ。「また」って別にイヤじゃない。この、大地にまさにダイビングする感ありありの、起伏豪勢な道中において、それは迷惑どころかほっと息抜き、いや「息継ぎ」といっていい時だ。

車ごと乗る。…からしてもちろん三日月のような小舟ではなく、とはいえ宮島へと渡るフェリーとは比べるべくもないが、一般車五台はいけるかという、こじんまりした屋根付きフェリーだ。今度も、(二度の川越えのように)おそらく十分かそこらでしかないだろうと察しがついたが、とはいえ船旅は船旅。みんなに続いて車から出てみると、頭痛がすうっと引くようだった。――風が、透き通っている。

 車中、全開だった窓からは土埃がずっと容赦なく舞い込み、顎に震動を受け止め続けながらの外の景色というものは、目に入っているようでもうつろの彼方に飛んでいた。風に「優しさ」など感じる余裕はなかった。

なのに、この静まりようといったら。手のひらを返したように、いま、川面を乱すのは我らの方――この船だけだ。とはいえ、エンジンを吹き波を作ってはいるが、水の上というのは優雅なもので、まるでゆりかご、まるで穏やか。「ワルツ」を導く指揮棒の動きだ。

震えることのない、青空とたなびく白い雲。岸辺で風にそよぐ、草木の緑を心朗らかに眺めることのできる「今」を、じんわり噛みしめるように、…深呼吸。――つかのまの、穏やかな世界に酔う。

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 こう落ち着いてみると、凛とした空気とは対照的に、澱んだガスが溜まった自分にも気付いてくる。…疲れたのだろうか。体力がかなり吸い取られている気がする。まぁ、あれだけ揺られたんだし…とはいうものの、思った以上にぐったりしている感がある。悪路に耐えながらの移動なんて経験は初めてではない。そんなにウブヤワな体ではなかったはずだが、と妙に思ったが、――あぁ。そうか、と気が付いたのは、「イモ」が視界に映ったからだ。――腹が減っているせいなのかもしれない、と。

 焼き芋だ。しかも、紫芋

数分であれ、水上にてぼーっとする時間がある以上、「なんかつまみが欲しい」と思うのは人の人たる所以であり、そして、そのかゆいところに手を差し伸べてこそ商売人。いっちょ前に、甲板の隅には小さな売店スペースが設えられており、また別に、ポテトチップとかの袋入りお菓子を載せたお盆を抱えて、「どうスか?」とお客の前を歩き回る小さな売り子君もいる。グローブを握りしめて公園に駆けてゆくような、帽子を深く被る少年の姿に、「それらは果たして回転はいいのか」という疑問などどこぞかへ飛び、偉いねぇキミ、と、うっかり買いそうになったりもした。

 が、情を振り切って、「イモだ」。甘いんだろうか、という興味に、自分の生気が戻ったような、体内の血の巡りを感じる。どうせ食うならば、どこででも買える袋菓子よりも、大地の収穫物たる実感あるものの方がいい。そういう理屈っぽい欲って、疲れていてもギラギラしているモンだな、なんてさもしさを感じながらも、まぁいい、売り場の方へ向かってみる。だが売り手にとって、それは「ついで」に売る、オマケみたいな存在のようで、メインに売りたいのは、テーブルの板目をほぼ占めている、四つほどの「ナベ」であることは見て分かるのだが、…いまは小物でいい、小物で。

 ナベ…、ねぇ…。

テーブルを挟んで女性が二人、我ら乗客の方を向いている。そこだけ切り取れば、市場の惣菜売り場によくある客待ち場面だ。

 ナベというからには、中身は「オカズ」じゃないのか。

敢えて、というようにずらされている蓋の、その中を覗いてみると、茶色だとか褐色だとかの色に染まった、ゴロッとしたモノと汁。どんなオカズが?…などと、その詳細に対する好奇心よりもまず沸いたのは、

 …誰が食べるの?

訝る気持ち、だろうか。腕時計に目をやれば確かに昼時。仕事や勉強はもはや二の次、生きる糧を、喜びを手にするべくメシに突っ走る、という時である。

 だが、今は船の上だ。

しかもちょっとの間でしかないのだろう。風に吹かれてリラックスしかけたところで「え、もう終わり?」だろうに。東南アジア最大の大河・メコンにしたって、町から町へ移動するというならまだしも、「渡る」だけなら大した時間じゃない。食事をしようなんて発想もないだろう。

早食いになろう。しかも椅子もなさそうだから、立ち食いか。いくら静かな景色だとはいえ一応は船の上であり、足元がふらつかないこともない、全くもって落ち着かない状況だ。おっと手が滑ってオカズ落とした、なんてなりそうではないか。そして食ったところで、またガクガクの道中が待っていることだろうから、余韻どころじゃない――とか、一瞬でヤな結末までが走馬灯のように駆けてゆく。

 そこまでして…と思う。それよりも。ソレよ、ソレ。今まさにうってつけなものとは、と、その輪郭を明確に目が捉えているのは、「イモ」。焼き芋だ。冬の相棒。ストーブの友。

 小ぶりなのが三つ、そのわき腹を串で貫通させて団子のようになったのが、五本か六本、七輪の上にまばらに置かれていた。齧るだけでいい、こういうものこそ、こんなドサクサした状況に相応しい。

 焼き芋は、アジア各地で実にポピュラーな間食である。市場の隅っこ・低い位置で、火鉢に掛かる網の上にゴロゴロ寝かせたのを、几帳面に裏表と可愛がっている場面を目にすれば、親近感も湧いてくるというものだ。――が、「イモはイモ」。 

旅とは、自分にとって「外の世界」に在る時だ。「お馴染み」に甘んじるヒマが腹にあるなら、未知なるオカズを一品でも多く詰めるべし――と、その前を素通りするばかりだった。だが今こそ、素直になろう。

ホントは興味があったんだ。こちらの焼き芋って甘いんだろうか。『イモを食う時は、熱くあって然るべし』――クソ暑い真っ昼間でも炭火の上に在るその背後には、食には妥協するつもりはない、との人々の信念が映るようで、実に頼もしい。

見れば見るほど、腹が減って来た。こんなハードな移動中に食べ物を買おうなんてのは、私ぐらいなもん?、とチラと周りを見ると、欧米人旅行者も、リュックの中に忍ばせてあるチョコバーなんて引っ張り出すことなく、イモの隣に並ぶバナナを買っている。でもイモとバナナならば、私は当然イモ派。横にゆで卵もそういえばあるんだけど、イモったらイモである。

 ハッキリ言って「ナベ」なんて迷いの片鱗にもかからないのであり、一体、それはいつ売れてゆくもんだろうかと他人事ながら心配でさえある――なんてのは、全くもってお門違いもいいところだった。

 ……たかっているではないか。

店の女性二人とも、素早く腕を上げ下げしている。

たかっている、とはいっても、その時船に乗る車とは我らのバンのみで、他にはいなかった。つまり同乗していたカンボジア人・ちびっ子含めて六人が皆、ナベの前に立って「それと、コレ」などと指を差しているのである。

そして、テーブルの後ろにも鍋が一つあるようで、そこからしゃもじのようなスプーンですくい上げたのは、あぁ、「ご飯」か。

 まず一方の女性がスチロールの白いパックにご飯をフカフカと盛り上げ、もう一人がその上に、指定されたナベの中身をすくいあげて、かける。炒め物らしい野菜の葉っぱが見えるパックを受け取るとスグに頬張りながら、山に登る人がよく被っている、ツバのヒラヒラとした帽子のドライバー兄ちゃんはその場を離れ、次のおばさんも弁当を受け取るのは早く、その次のおじさんもまた悩むことはない。あれよあれよと…っていってもまぁ五人六人なんだけど、こちらがイモを実際に手に取るよりも前に、売り場は何もなかったかのように静まり返ってしまった。

「……」

女性も女性で、何か買いたそうな私に対峙するものの、「ご飯じゃあない」と分かっているようで腕に構えが全くなく、あの素早さも、既にさやの中に収めてしまったような感がある。失礼な、ってまぁ正解である。「ご飯を食う」意気込みなどすっかり逸していた私は、「彼ら」の騒ぎ(?)を前にしてもメシとオカズを頬張るイメージをやっぱり掴みきれず、当初の予定通り「このイモ下さい…」。 

でしょ、とばかりにお姉さんは、指さしたイモ串をつまみ、厚めのビニールに入れると同時に、その串をスルっと抜いた。

「彼ら」はどこへ――というと、手すりに寄りかかり、風に吹かれてああ気持ちイイ、とか言っている場合ではもちろんなくって、座る場所、つまり車の座席に戻ってその中身を顎でかき分けている。車から離れているこちらにまで、ガツガツガツ、と、臨場感届く食べっぷり。

ジッとその目に映るのは、ご飯。そしてオカズ。川の流れでも山の声でもない。

ご飯の国の、人だもの……。

 

案の定、十分かそこらの船上であったが、確か一番乗りで弁当を手にしていたドライバーは、エンジンをかける頃には食べ終えており、その他はもう少し余裕をもって、暫くモグモグと頬を動かしていた。ワゴンだし、後ろから二番目に座っていた私は、おもちゃのようなペラペラのプラスチックちゃのような製レンゲの動きがよく見えていた。

 ザックリすくって、バックリと頬に含んで、モグモグモグ…

老いも若きも…っていうか、繰り返すけど六人ぐらいだったんだけども、中年おじさん二人とちびっ子を抱えた若いお父さん。体格の良い、女子柔道を引っ張る体育教師のような女性――みんな快活な、ほっぺの動きだ。ちびっ子も、パパのものを分けて貰うというわけでもなく、自分の弁当をかっぽじっていた。

 …本気だ。

匂いが、こちらの脳みそに鮮やかに色をつける。

食べる人なんているんだろうか――どころか、いま、どうして私は食べないんだろうかと思えて仕方がない。イモだけ、そしてバナナだけで済まそうとするなんてのは、外国人チームだけである。六人のうちの一人二人は、イモを買っていったようだが、それは弁当を食った後のオヤツ、或いは手土産という感じ。

なんとなく、敗北感。腹を案じて氷入りのジュースはもちろん、たとえ大繁盛であっても、大衆食堂は衛生状態を心配して絶対避ける、現地のスタイルとは一線を置いた潔癖なる旅行者の類になっているようで…。

「…うん。焼き芋の味」

紫イモだからって特別にどうということもなく、想像通り。香ばしく、十分甘い。――けれども、その単一の味で満足するには、周囲から発される匂いが賑やかすぎる。オカズという捻りでご飯をガッつくという「合体」を、私もやりたい。変化が欲しい。ヒトが調理したものを、私も食べたい…。

靡く髪の毛に旅情を鼓舞されて、心に仕舞ってあった大好きな音楽を引っ張り出しながら、川の上流に思いを馳せて一句詠もう――なんてするならば、そりゃイモやバナナが最適だろう。片手にあるだけで、高まるウットリ度数に水を差すことも無い。 

 ――が。

…そうじゃないんじゃないか。

ただ片手でイモを齧るしかないという、まるで突然サルになってしまったかのようなこの、隔絶した感といったらどうだろう。…そうは思わんかヨーロピアン。イモやバナナで済ませる我らの「昼食」の、なんと貧弱なことだろう。

ビニール越しにあるイモのゴツゴツした感触が、なんというか、……ただ、侘しい。って、イモもバナナにも全く罪はないのだが、それは「食事をした」ということにはならんのだ。

 そう、座るところが無いとか足元ふらついて落としたらどうしようとか、そういうことは「何を寝ぼけているのか」なのである。真実はただ一つ・「いまは食事の時間」である、ということ。

たかが10分程度の乗船中にオカズ屋を広げるという発想に呆れていたものの、10分の停止時間があれば、乗り込んでいた人たちは車の中から出て来る。考えてみれば、車で走っている人の「止まってみようかな」と気まぐれが起こるのを待つよりも、商品を見て貰える確率とはよっぽど高いのだ。いったい昼メシ時に何人が川を渡るのかしれないが、昨日今日思いついたわけでもない、商売になるからこそ「いつものように」店を出しているおばさん・お姉さんなのだろう。

 

 ガタガタと尻が浮く道はそれからも続き、滑らかな道路が出現したのは三時間も後だったろうか。イモを食ったおかげで多少頭痛は軽くなった気がしたが、やっぱイモじゃ足りないのか、というほどにヘトヘトである。まともに食う人々が大正解。たくさん食べても、車に酔ってもどす人が出てくるんじゃないかと危惧したが、そんなヤワじゃないし、という人が揃っていたのか、ちびっ子もまたへっちゃらのような、すました顔をしていた。

「ご飯が主食である」とは、ということを思い知らされたようだった。それまで「ご飯?主食にきまってんじゃん」なんて、いちいち思わないほどに身近な存在としてそれは自分の中に在ったはずだが、お門違いに思えてくる。そう、「格」が違う気がした。

 

それからはもう、「ご飯」一直線の日々。「過ぎたるは…」と自身へ警鐘を鳴らしながら、セーブしながら……なんて体重増加への躊躇など、日を経るうちにいつしか忘れてしまう。目の前の誘惑に抗えず、どっぷりとはまってゆくのだ。自分も「ご飯食い」と化してゆく――そのさなかにふと、私の脳裏にはあの「もぐもぐカンボジアチーム」の背中が蘇るのだ。そりゃ、「ああなる」わなぁ…。

――ご飯を食わずには、いられないのである。

カンボジアって、そういうところだ。

 

                             (訪問時2006年)

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艶々米うどん ~ベトナム・ロンスェン

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 「米うどん」。…とは私が勝手に呼んでいるんだけれども、小丼に、その艶肌をあらわに晒して浸るメン。

「ここで食べよう」――決め手はコレだ。

その上に抱えるのは、ゴロゴロとした濃淡違えた茶色っぽい類の物。まず「お揚げ」が分かる。もちろん豆腐のアレだが、厚揚げとはいかずも、もそっと厚めなのが二口大ほどの長方形で。別にちゃんと分厚い「厚揚げ」もあって、何故かサイコロに小さく切られている。

対して色白の、サイコロは豆腐。そして湯葉もある。濃い醤油色に染まったのがクシュっと皺を作り、肉の切れっ端のように。

何という種類なのか知らないが、きのこ――はシメジのカサだけみたいな、コロンとしたのが水玉のように散っており、人参・大根は、けんちん汁的に太めのひょうし切り。

 どれもそれぞれの素材の色に汁の味がプラスされた、個性ある茶色だ。――人参もまぁ、明るい茶色系と言っていい。

過不足なく、というバランスで配されたそれらの上に散りばめられたのは、別世界からやってきた鮮やかな緑色。パクチーベトナム語=ラウ・ムーイ)であろうと、みじん切りされた葉っぱのギザギザとか細い茎から分かる。そして頂点に君臨するのは、ミニスプーン一杯ほどの、こめかみを突く真紅。唐辛子ペーストだ。

 ステンレスのレンゲが、丼と汁の隙間…なんてのは無いけどそのピラミッド世界を邪魔しないよう、端っこに突き刺さり――これが、「品」として完成された形であり、崩壊のスタート地点でもある。

さぁ、とレンゲを持ち上げると、その重しのようにちょうど載っていたメンが、ツルンと滑ってピッと汁を跳ね飛ばした。

活きの良い、ピチピチメンだ。

ミルキーな色…。蛍光灯のような艶を持ちつつも乳白色に濁るその肌は、妖精が漂わせるオーラのよう。現実に戻って例えるならば、炊いた白がゆの、その表面に張った「膜」だろうか。見た目そのままに、啜ればつるつるつるんと面白いように吸い込まれる。滑りの良いプラスチック、そんな感触。そして全くぶれのない、見事に一定した太さだ。

米製のメンである。

米どころの東南アジアは、「メン」という形態を中国から受け入れつつも、その原料には小麦より、米を使ったものの方が圧倒的に多い。その製造工程も様々あるが、「一定の太さ」のメンといえば、押し出し製法。米を水と擂り潰して液状にしたら、それを小さな穴に通しつつ湯に落とし、茹でることで「メン」にする。丁度トコロテンを押し出すように。

このタイプは、ベトナムならば「ブン」と呼ばれるものがよく知られているが、今回のソレとは、同類ではあろうが「ブン」ではない。ブンがソーメンのように細いのに対し、「米うどん」――ベトナムで「バインカン」と呼ばれるが、冷や麦よりも太く、うどんで言うならば「極細」の分類だろう。そしてプラスチック的ミルキーな艶肌が特徴的だ。

少々調べてみると、これは米に加え、キャッサバも原料として混ぜられるらしい。「キャッサバ」といえば、日本では台湾紅茶で有名になったあの丸い玉「タピオカ」の原料であり、あぁそうか、そういやあの類のツルン、である。ついでにいえば日本で愛される「わらび餅」も、スーパーでお手柄に買えるものはキャッサバ澱粉が混じっている。あぁナルホドなるほど、あの感じ。

おそらく同種、と思っているのだが、これを初めて食べたのはベトナムにおいてではなく、ラオスだった。「カオピャック」と呼ばれ、食感の面白さにはまって見つけるとよく食べていたのだが、それを紹介してくれた友人とはそういえば、ラオス生まれのベトナム人。――ベトナム由来、友人にとって、民族的故郷の味でもあったのか。いやいやモトはラオスが先なのか。…って喧嘩しないで、どっちにしろ、どちらにも好まれる共通メンだ。

「バインカン」。その太さ具合といい透明感といい、「アレだ」――カオピャックだと、ひと目で被った。

竹で骨組みをつくった天秤の中にすっぽりはまった、炊きだし用みたいな大鍋のなかで、それはうねり泳いでいた。

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遠野の餅③ ~搗いてこそ餅

遠野の餅① ~胡桃ダレをつけて - 主に、旅の炭水化物

遠野の餅② ~胡桃を擦る - 主に、旅の炭水化物

 

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正月の雑煮から始まって、それから約三か月間は毎日それが朝食である。ウチは両親の実家が鳥取であるから、雑煮はかの地の定番「小豆雑煮」・つまり俗に言う「ぜんざい」であり、甘いモン好きでもある自分にとっては、この時期の朝、目を覚ますそのたんびに嬉しい。そのためには、夜はなるべく胃もたれしないよう暴食は避けようと心がけるほどだ。

餅――「大好き」などという言葉を越えた執着が、私にはある。「太る」なんて躊躇は、ソレを前にしてはあまりに弱い、弱い。「最期の晩餐」を問われれば、もちろんソレを選ぶだろうが、自分の死因とは「モチで喉を詰まらせる」ではないかと冗談抜きで思う。餅好きとして、餅を食いながら死ぬのは本望、…なんてウッカリ言いそうになるけれども、好きな餅に苦しみうなされながらの最期なんて怖い。まさにスッカリ信頼していた人間の裏切られたかのように、甚だしく悲しい地獄ではないか

ともあれ、我が家には「家庭用餅つき機」がある。約三か月間餅を大量に消費するのだからして、当然正月に一度搗いて終わり、とはいかず、機械の容量最大に搗いて、終わっちゃあまた搗く。搗きたてを食べられるという、充実感に漲る時を、何度か過ごすのだ。

ナゼ三か月かというと、しきたりなど尤もらしい理由は特になく、長袖Tシャツ一枚でも過ごせる春が到来すると、それまでは極上に有難くあった湯気立ち昇る小豆汁の温もり、そしてそれに絡まる甘味が、鬱陶しく感じられてくるためであり、単純に「さすがに飽きてくる」。最初から最後まで一つの味付けである「餅」に比べ、ご飯メニューの、味噌汁や漬物、煮物の残りや卵焼きなどが添う「変化」が欲しくなる。ジャムを塗り、ゆで卵を添えてトーストを食べている母が羨ましくなる。白状すれば、「餅」にこだわるのはウチの伝統というわけでは全くなく、餅に対する偏愛は家族内でも「私」に限るんだけれども、毎年、そのピークが落ち着いて、そろそろ潮時となるのがだいたいお彼岸の時期だ。固めの煮小豆・「アンコ」を心置きなく堪能するのをトドメに、しばしこの類に別れを告げなさい、と自分に合図を送る。

とはいってもそれ以降、次の正月まで全く餅を食べないわけでもない。毎朝たべない・つまり自分ちで搗くことがなくなるだけであって、店で目にしたら当然欲しい。とはいえたいてい一個が百円ぐらいと、ウチで好き放題に搗きまくっていた冬を思えば馬鹿らしくもなるからそうメッタやたらには買わないが、平餅、餡餅、柏餅に桜餅、みたらし団子…。一応は手に持ち上げて、「おいしそうだなぁ…」と、それらが入ったパックを一通り持ち上げてみて、数秒は見つめている。買いはしないけど買うかの如くたたずんでいる、店員には余計な期待を持たせるちょっと迷惑な客なのである。

 

ともあれ。話は遠野の餅であり、さぁ搗く。――のは、早朝。

 朝二時に起きるという。…だわなぁ。そうなるわなぁ。

じゃあ私も。…いや、洗面所とかなんとか、丁度一緒になると気を遣わせるだろうから、ちょっとずらして二時十分、いや十五分起床を目指そう。

と思ったら二時半になっていた。

慌てて支度し、工房に向かったのが三時前。おかあさんはとっくに正装している。テレビの料理人で見るような白衣に、羽織り、腰巻きエプロンをキュッと回した職人の姿。…に、シャンプーハット。なんでも、髪の毛が入っているという苦情が寄せられたならば、産直市の回覧板かなんかに実名で公表されるらしい。げに恐ろしや。

「遅れました」と近付くと、鍋の準備やら、湯を沸かしたりの下ごしらえ云々を済ませ、いまから米の水を切るところだという。そして「蒸し」の開始という、餅作りが本腰にスタートするところであり、おぉ、ちょうどいい寝過ごし方だった。…って下ごしらえから手伝えよ、というモンであるが。

餅は、モチ米。…って当たり前なんだけれども、大量生産の餅、そのパッケージの裏を見てみると、「モチ米」ではなく、「モチ米粉」と表示されているものが結構ある。モトはもち米なんだし、粉砕されているか・いないかというだけで同じなんじゃないの――?というと、違う。食感が違う。粘りに執念深い力が宿っているのは、「モチ米」で搗いた餅だ。

バケツの中で一晩以上水に浸かっていた米を、大きなザルに受ける。八分目の米、加えて水もタプタプに入ったのをシンクまで持ち上げるのは結構な力仕事だが、いつもと同じとでもいうように、ヒョイ。その腕にはスイッチが既に入り、おかあさんは水の流れに載る米を、ザルの外側に散らさないようにと集中していた。「押さえておいてね」と言われてザルを支えるこちらは一方、全くもって何の踏ん張りも要らず、すんませんというか、ちょっと情けないヒトに見える気がする。

 炊き出しにでも行くかのような、大ザル盛りの米。それをまた、大きな蒸し器の中へと移す。

直径40センチか50センチかの二段構え・その上段の穴の開いた鍋底に、ガーゼというにはもう少し強い地の、網目の布を二重に敷いてシンクに横付けする。米の重みで布がズってしまうだろうから、「押さえておいてね」はやっぱり私の方。おかあさんがザルを持ち上げて傾け、のち、積もりゆく米を平らに馴らしてゆく。

 シンクの隣には中華料理屋でもいけるだろう、かなり大きい二口コンロがあり、一方には使い込まれた大きなやかんが蒸気をしゃんしゃんと吹いている。もう一方に蒸し器下段を置き、その中へ「気を付けてね」と言われながらやかんの熱湯を注いだら、強火だ。その湯気モクモクを覆うよう、米の入った蒸し段を置く。

 そういえば、おかあさんはそれほど背が高いわけではなく、それどころか八十過ぎていることもあって少々背中は丸いのだが、だからといって高くてやり難い、という風ではなさそうだ。シンクもガス台も作業台も、具合滑らかな位置に見える。

そこも、モチロンぬかりない、か。――というのも、おとうさんが設計した厨房だという。

シンクの配置、調理台の選定。もともと餅屋を始めるまで、自営業として台所の設計をしていたらしく、おかあさんはその事務をしていた。「ウチ(住まい)の台所もね。この私がやったわけよ」

なるほど、この工房自体が、おかあさんへの愛が詰まったプレゼント、というわけである。…って、そのおとうさんはどこに?というと、いまは多分事務部屋だ。ここで「餅作り」とは、おかあさんが主役。おかあさん在ってこそコトが回るのであり、おとうさんはというと、経理とか注文受けだとかの事務、そして産直市や直接お客さんのとこへ品の配達係を担っている。餅づくりにおいては、お母さんが仕上げた餅やまんじゅうの包装・梱包をしたり、搗く米を洗っておいてくれたりなどの、アシスタント役。かつて設計の仕事をしていた時分と、立場がほぼ逆になった、ともいえる。と、あとは餅・まんじゅうの出来の判定役だ。「文句はしょっちゅうつけるよ。味見はオレの仕事だ。」

作りはしないけど文句は付ける、なんてのは、都合いいこと言ってんじゃないわよとも言いたくはなろうが、作業にないからこそ冷静な目になれるともいえる…か。

ともあれおとうさんは、姿が常に工房に在るとは限らないとうわけで、いまの時間はまだお休み中でもいい。…んだけど同じく早起きしていて、「コーヒー飲みなさいよ」なんて声をかけてくれるし、いまは私がその役を取ってしまっているが、普段はザルを押さえたりもきっとしている。

『広島に餅、もって帰りなさいね』と言われ、わぁラッキー、と頷きはした。だがどう見てもこの米は、一升…いやもっとありそう。当然、産直市に出す品のついでに多めに仕込んでいるのだろうと思えば、「今日は、別に注文があって忙しいから」。じゃあそのついでかというと、その分はもうちゃんと、と、指の差す先には別のバケツがあり、中にもち米が浸っていた。

つまり今蒸しているコレ、全部が広島用だという。「エ?」と思わず訊き返してしまう。

「送ればいいからね。」

 

モチ米は、遠野産。しかも「妹の息子が作っているの」。

ほぅ…、まさに「ウチ」の感・濃ゆい餅。異郷の人間としては、より遠野の実生活に分け入っている感アリアリで嬉しい。

ジジジっと小さく呟いているタイマーが、懐かしい。昔うちの台所にあったのとまさに同じヤツだ。それを三十分に合わせていたが、半ばでもう既に甘い香りが脳にホッホッとタッチする――のに対して、甦るのは厳しい記憶。『これが鳴るまで、そこから動いちゃダメよ!』ピアノの前に座り、メソメソしながら手を動かしている自分。

やがて、そう、昔の始業ベルみたいな音がして、蓋を開ければ――玉手箱。わさわさの湯気を噴き出すと同時に、ピアノの記憶もまたすっかり蒸気の彼方へと消えてしまった。ストレートに意思表示する匂いの塊に押され、目が細まり、口元が緩む。このままパックリいきたい。搗く前の、蒸したてのヤツを盗み食いするのがまたウマいんだよなぁ…、――なことは毎日毎日の繰り返しで、もはや食わずとも舌にあるという、仙人の境地だろうか。次の作業へと移るおかあさんとはあまりにクールであり、きっと、洗濯機のブザーが鳴ったときの反応とそれほど変わらない。

湯気の容赦ない攻撃を受けながら、摘み上げるのは一口分の米ではなく、敷いたネット布の端っこ。「アッチチ」と言いたそうなのを口元にちょっとだけうかがわせながら、ホッ、ホッ、と、そのまま持ってゆく先とは、「神器」――壁際の、餅つき機。にセットされている、シックなブラックの臼の中だ。蒸し米はベロンと網から剥がれ、その中へとストンと一気に落としこまれる。

かき氷機と受け皿、のような感じで、臼は機械にがっちりと固定されており、その真上には表面がゴム素材の「杵」が取り付けられている。静かなること山の如し。ジッと目を閉じ、「その時」を待っているのだ。

 

「あとは機械がするんだもん。」

と、頭の位置についた四つか五つのボタンのうち、ひとつのつまみを回してから、別のボタンをグッと押した。臼はイベントの際に見かけるような大きさであり、機械だからといって特別にデカいというわけではないが、ウチの家庭用餅搗き器がそうであるようにテフロン的な加工が施されているようで、黒光りしている。

 動いた。回った――のは、固定されていた臼。と、その中へと少々カーブして延びている、指よりも太い棒だ。それが、次第に餅米を「塊」へとまとめてゆく。モワモワと燃えるような湯気に惑わされず、十秒か、いやもう少しだろうか、まとまってきたその白い肌に皺が見えるようになってきたのをおかあさんはじっと見つめたまま、また別のスイッチをグッと押した。――と、深呼吸する間もなく、いきなり杵は目を覚まし、「ドシドシ」とピストン運動を開始した。

杵はゴム素材という今どきの業務機器であり、使用後のお手入れにウンザリ後ずさる感じもなさそうだが、臼のど真ん中をズドンズドンと直撃し続ける様とはなんだかとても「大ごと」であり、その迫力に呆気にとられる。

湯気もろともにまともにパンチを食わされる塊は、真ん中に大きなくぼみを作っては回り、また殴られては懲りなく回り……。旨く設計されたもんだ、棒はちょうどぶつからない位置でひとり回り続けながらも、餅をまんべんなく搗かせる為の抑えにもなっている。

おかあさんはその行く様をじっと見守り、時にボタンを押して杵を止めたり、再開させたり。回転棒が餅を捏ねくることによって出来る「皺」の具合とか、搗くたびに鳴る「ネチャ、ネチャ、」とした音の具合で、餅の状態を把握し、調整しているようだ。時に、臼の内側に貼りつき、どうにも動けず痒がっている生地を中心にやろうと、ドシドシまっ最中にも手を出したりするから、「あぶなっ」と思わず声が漏れそうになった。その目――我がやらねば誰がやる、と、言わずとも伝わってくる。

家庭用餅つき機器ではこの「ドシドシ」が、つまり杵が無く、臼の底に付いている回転ばねで、餅生地をこねくり回す。私も長年ソレを見つめ、親しんできたのであり、これが無かったら自分の餅人生どうであったかと思うと、有難いことこの上ない家電だ。

だがずっと――幼い時分から、心の中に違和感がなくもなかった。コレを使って「餅を搗く」――「搗い」てはない、よね。

でもまあ、家で、家族だけでやるもんなんだから。杵まで付いた大掛かりな機械なんて現実的じゃなく、「杵を使ったような効果」がこの臼の中で展開されているならそれでいい。「火」を目にせずとも、炊飯器のスイッチを押せばそれはご飯を「炊く」と言うように、臼の中で、ブルブル震動してグルグル回った結果、びよーんと伸びる、まさに餅状態になる効果が出るのであれば、それで「搗く」と言い換えても問題ない、気がしていた。…が。

言い換えていいのか――と、いま、まさに思う。

この「ズドズド」こそ、「搗く」という行為の機械化だろう。下っ腹を殴られる迫力の前には、やはりブルブルグルグルはブルブルグルグルでしかなかったと、「家庭用」の限界を見た気がする。あれは餅「搗き」ではなく、餅「練り」だった。

やはり、打ち付けられるその臨場感は違う。脳天がかち割られるんじゃないか、ということをチラとでも想像してしまうその振動を前にするとき、「餅搗き」という言葉に、ようやく血が通ったのを実感できる。たとえ、メーカーが科学的な分析により、「搗いた」のと同じ効果が得られますと宣伝しても、この違和感の解消には繋がらないだろう。

ドシドシの、ココロに打ち付けられてゆく実感――搗いてこそ「餅」だ。

――なんて、その感動にほだされても、じゃあ杵を、せめてソレのついた機械を購入しようなんてことにはならず、まぁ「餅練り」でもそこそこの味なんだしと、結局はソレに甘んじるのであるが。これから先、生涯「搗く」ということに矛盾を抱きながらも、家で餅を「搗いた」と言い、それを食い続けることだろう。

 

「できた」

…と、ボタンを押したのは、果たして時間がどれくらい経ったのか。急に静かになった瞬間浮上した、餅の輝きといったら。

「――白いね。」

当たり前なんだけれども、思わず。指で触らずとも食わずとも、見ただけで滑らかな感触が伝わる艶やかな「白」は、マラソンを完走したランナーのように、為すべきことを遂げた、という誇りをまとうかのようだ。

「きれぇいな、餅だぁ…」

経験値ハイレベルなお母さんでさえ、奥から掘り出すような声で、そっと呟いた。

「日によってね、いくら搗いてもイマイチな時もあるんだけど、今日のはホント、イイ餅だよぅ…。」

なんとも、正直である。

 

脇のタライに溜めた水で腕までをしっかりと濡らし、臼の底にジッとなった餅をなだめるように抱え上げたら、傍らの椅子の上、臼と同じ高さにある金色アルミボールの中へと移す。…いつの間に、ボールがここに。臼の回転・「ズドズド」にその視線を吸い取られているその間に、見逃していた細々なことは、きっとまだあるに違いない。

ってほら、調理台へと向かうと、その面積の半分を覆う程の白い綿布が、これまたいつの間にか広げられている。おかあさんはその上に、小さなボール容器から粉を大きく振り撒いた。

「『とり粉』ね」

要はくっつき防止に振る粉で、餅を取扱う意味そのままに「餅とり粉」とも呼ばれるもの。二、三度パッパッとはたいたところに金のボールを傾けると、ボールの内側にも予め粉が撒かれていたようで、何よ、とか言いながらも、餅は結構簡単にゴロンと転がる。

とり粉を更にまぶすよう、餅生地の表面に触れてゆく。と、たぽん、たぽん…。震えるその様子に何を連想するかといえば、――まさに、「腹」。或いは、バイバイと手を振る時に揺れている、二の腕にぶら下がる肉だ。

ボヨンと寝そべる塊・そのど真ん中あたりの「一点」目がけて、生地を四方の端っこから摘み上げ、集めるようにする。つまり巾着のように。そうしてそれをひょいっと、猫を抱くように底からすくい上げてひっくり返したら、そのまま、いつのまにか(…ってやっぱり餅に見惚れている間に)傍らに在った、スチロールトレイの上へと載せた。大家族用焼肉というか、コピー用紙二枚分ぐらいあるだろうその上に、ベローンと。

ん? 一個ずつに千切り分けてゆくのだろうと思っていたが、塊まるまる。これで餅の成形は終わりのようだ。

裏(底)で一点に摘まみ寄せられたことで、オモテの肌は、髪をポニーテールに括ったバレーボール部員のおデコのように張っている。皺ひとつない。雪のようなまっさらな美しさに、頬ずりしたい衝動に駆られて千地に乱れる。

おかあさんを見た。

目を細め、その出来に十分満足であることが言わずもがな。「ね、」の一言で通じ合えてしまった。作り手にとっても充実漲る出来栄え――これを私が頂くことができるなんて、と、餅好き冥利に尽きるというものである。

「上出来だ。」

おとうさんだ。近づいて来て、それに向かい、いい子だ、とでもいいたげな。

……なんだけれども。

「これを、切りなさいね。切って、冷凍しておいたら、いつでも食べられるから。」

「うん」と、一応は素直に答えはする。つまりこれは、後に一個の大きさに切り分ける「のし餅」である。…んだけれども。

…切れるのだろうか。この、ベローンを。

うちでも餅を切って角餅にするが、それは厚み一センチだか二センチだかに、平たく押し広げてあるものを切る。だがこれは随分と、…百科事典的に分厚く、カステラぐらいあるんだけど。

まず半分ぐらいに切って、それをかき餅を作るときのように、かまぼこ的に?――餅で、このような完成形を目にしたのは初めてであり、切り分ける術が一瞬思い浮かばず、この巨大な塊に箸を突っ込んでひとり、まるまるを顎でひっぱりあげる図を想像なんてしてしまった。

これを送るのは明日の朝。到着はさらにその次であり、それも午前中なのか午後になるのか。きっとガチガチに固くなっているはずであり、――ウチにチェイソーは無い。

送るならば、搗きたての今、もう送ってしまった方がいいんじゃないか。…というと、熱で汗をかくから止めた方がいいとのことだ。…ですわなぁ。餅の熱を逃がしきらないままダンボールに包んでは、その熱を、一緒に梱包する胡桃ダレにも一日保持させることになる。胡桃ダレに関しては、「(家に届いたら)すぐに冷凍庫に入れなさい。冷蔵庫じゃなくて、『冷凍』よ」と念押しされるぐらいなのであり、絶対によろしくない。

大丈夫かなぁ…。

なんて眉を寄せてみても、遠野をあとにしてもまだ数日間「旅」が続く自分としては、その役を両親に丸投げするしかない。「切っておいてね」――ガチガチに固い巨大餅を前に、茫然とする父の顔が思い浮かぶようだ。鍛冶職人のように、ヤケクソ的にトンカチを振りかざして「割る」のだろうか。でもこの綺麗な餅が、バラバラの破片になるのは勿体ないなぁ…って、私は好きなことを言うだけの、全くもってナニサマないい身分。

ウチでは餅に関してはレンジ厳禁なのだが(味の問題で)、切り易くするための使用はこの際、まぁ目をつぶろうか。とはいえ、こちらからあえてその提案はするまい。なるべくレンジを思い浮かべることなく、昔ながらの鏡開きだと思って、ヨロシクあとは頼まれて欲しい。

 

さてその後。果たしてどのような事態に――と、恐る恐る電話してみた。

「全然、柔らかいねぇ。」

ずっこけそうになった。その意外な反応に拍子抜けして、「全然」と肯定形を組み合わせるのはヘン、…なんてメンドくさいこと言いたくなる違和感さえどうでもいい。

固くて切れなかった云々ではなく、しょっぱなから餅の味、その柔らかさに話がすっ飛んでいるのである。――餅は、ちゃんと切れたのだろうか。

「ん?切れたよ?」

なんで?とでもいうようなその返事。餅は、発送した翌日の、午前中には到着したらしく、つまり搗いた日の翌々日だ。…そんなはずはないだろう。あの餅の巨大さ、分厚さに対して、どうしてそんなに平然としているのか。「まぁ分厚いこと、切りにくかったんだよ」とか、一言ぐらいあって然るべきではないのか――と思った瞬間、氷解した。

「分厚い餅」。…そうか、そのせいか。

厚みの度合いだ。

ウチで切る場合は大きく押し伸ばす。つまり「薄い」から、冷めるのも早く、即ち乾燥して固くなるのも早い。だが一升(「以上」はある、とやはり母も言った)もある餅の、カステラ的・百科事典的な分厚い塊であるならば、その内部の熱が逃げるのは容易ではない。空気に触れる餅の表面はとっとと冷めて乾燥するだろうが、地殻の内部で燻るマグマのように、内部事情としては暫く搗きたて状態が保持されることになる、ということえはないか。よって冷める=固くなる時間もゆっくりとなる――デカく厚く、であればあるほどだ。つまりその状態が、ウチの場合はまさに好都合とだったということである。

ナント――…。

一つ一つを丸めるのはまぁ確かに手間だろうが、「ベローン」じゃなくて、せめて、なまこを二本に分けてくれた方がまだ切り易いのでは――と、心の底で実は思っていた。が、全くもってそれはシロウト考えだ。

まさにあの形状は必然、包丁の刃をあてる時間稼ぎとしては、丁度良かったのである。なんと思慮された餅作りであったことか――とかいうと、「あ、そう?」なんておかあさんのすっとぼけた、タマタマだったという反応も想像できなくもないんだけど。

「柔らかい餅だねぇ」

「杵でついているからね。そりゃウチでやるのとは違うよ。」

と、私はさも知ったげに、自慢げに。鼻を膨らませて携帯を握りしめるのだ。

まさしくそれは、搗いてこその餅。

餅世界の、餅。

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山麓のイワシ盛り~トルコ・ドーバヤズット

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ベージュの地に、意味ありげな幾何学模様――おうちの絨毯はやはりいい、と、すっかり座り込んだその感触をズボン越しに受け止めながら、湯船に浸かる如くのホンワリ気分で、薄ピンク色の壁、雪で白光りする窓の方などを眺めている。

向かいに座る男の子が齧っているのは、レモン。

 見ているだけでぴょっと首がすくみ、体温が下がるようだが、リンゴでも食べているような平然とした口だ。もう片方の手を床について、なにやらサッカー部長――ここへと私を連れてきた男性の話にじっと耳を傾けている。歳は十二か三か、袖がちょっと長いらしいが紺青色ハイネックのセーターがよく似合い、幼くも鼻筋通った結構べっぴん君だが、目が合ったら、合ったまんま黙ったまんまの、いかにも大人しそうな子だ。

そんなボクの足下に、どっちも目のぐりぐりとした二人のちびっ子が転がり込んできた。やんちゃ娘たちは暫くそこでじゃれ合ったらまた、コラとあやす間もなく、猫のように奥の部屋へと駆けてゆく。

向こうでバウンドしている、黄色い声。しばらく姿が見えないなと思っていた、姉妹の笑い声だ。と、ジュウぅ……。音と同時に、弾くような香ばしさもまた鼻腔に届いた。今の、この口の中と繋がるような……。

「……追加?」

もしやと気付いてから暫く、シャツの襟首をキリッと立てたお姉さんが現れた。二百メートルを駆け抜けたような爽やかな笑顔とともに、その手あるのは、皿。近付いてきてひざを折り、「できたよう」と言わんばかりに、絨毯の上のフラフープ大のお盆・ど真ん中にある椀皿へ、その中身を傾けた。

 小イワシの唐揚げ。

芋けんぴ」みたいだ。一尾一尾、ピーンと頭から尾っぽの先まで張ったのが、薄茶色にこんがり積み重なり、モワワと吹く湯気さえ見えるという、まさに揚げたて。頭と内臓がどれも綺麗に取り除かれ、もしかしてこの処理も今、急いでやったのだろうか。

と、やがて妹の姿も続き、同じく「ハァー」やり切った、という満面の笑みである。チビちゃん二人もそのスカートの後を追ってきて、台所で何かお手伝いは出来たのだろうか。顔をホクホク火照らせ、とにかく全力ではしゃぎ回るそのパワーに、脱帽。

ここで「食卓」とは、遠足のように、腰を付けたその床と同じ位置にあるスタイル。お盆の上にはイワシ揚げのほか、ひと口大の人参やキュウリの載った、ピクルスと思われる皿が二枚。そしてイワシ用と思われるレモンの串切りがあり、ボクの齧っているのはこの残りだろう。あとは25センチはあろう、ずんぐりフランスパンが二本。いま、招待に与かっているのは二人……というと、「一人一本」?

「お茶を飲んで帰る」つもりだったにしては、結構な量の登場に戸惑ったものの、「さぁ」と促すサッカー部長に倣い、フランスパンを手に取った。それを千切り、ほの温かいイワシを挟んで食べてみると、――あぁ、よく知っている。唐揚げの、ご飯とよく合うあの感じだと、懐かさがやってきた。

一匹ごとにパン一切れではすぐに腹が膨れてしまう。調子こいて二匹を一度に挟むなどしていれば、そりゃ二人で食ってりゃ皿の底が見えるのはスグである。そのうち、お代わりを、また揚げてまでしてくれたのだ。しかも最初にあった量よりも、多い気がする。

『働き手がいないから、この家族はとても貧しくてね――』

……全くもって人のせいにするようだが、そもそもそう言っていたのは、ご馳走されている相方・サッカー部長だ。もう少し気ィきかせてというか、自身も遠慮しいしい食っても良かったのではないか。と、見るも特に(追加に)驚く顔もなく、また棒パンの残りをひと千切りし始めている。

……頂くべし、か。こちらも同じくパンをとり、イワシを一匹、そのフワフワに挟み込む。さすがにアツアツ度も、より鋭い。

改めて思うが、ウン、ご飯が合う。だがここではパンと食うもの。その違和感とは、即ち自分が非日常にある証拠であり、旅のし甲斐があったというものだ。だが、次のひと口はイワシの上からレモンをキュッと、なんてやってゆくうち、その組み合わせも自分の中にフィットしてくる。その変化を他人事のように観察するのがまた、面白いモンである。

「美味しいです」と、まるで新妻に見つめられているような気分で答えると、姉さんはパアッとその頬を緩め、笑みを漏らした。「美味しいって!」と、まとわり付くちびっ子に言いながら、もっと食べてと、皿に手を向けて促す。

切れ長、かつ二重の目。シュッとした眉に、スッと伸びる鼻筋、均整の取れた唇。整った顔立ちにはまさにそれ、オデコをツルッと出してオールバックにまとめた髪型がピッタリだ。まだ十八だというが、水色のシャツの大きな襟が、スーツとの組み合わせを想起させるせいか、髪型ひっくるめて「キャリアウーマン」のイメージがはまる。

「あの……一緒に食べませんか」

私よりもずっと若いのに、すっかり「見守る眼差し」だ。ジェスチャーを交えて言ってみると、緩めた口元そのままにキョトンとしている。サッカー部長が横から訳して伝えると、手を「否」の意味に振った。

目を更にパアッと大きくして、どうやら「もう食べたの。お腹いっぱい。」と言いたいらしい。……確かに昼飯はとっくに過ぎた時間だが、それは豆大福を隠した直後のリアクションに似て、不自然。妹も同じくだ。

姉より二つ下という妹は、垂れ気味の眉の下には目がパアッと花開き、ややフックラした頬には笑窪が深い。胸に大きなハート模様を描いているピンクのセーターそのまんま、直球に可愛いらしさ満開だ。だが姉ちゃん同様に目鼻の彫りがめっぽう深く、後ろの結び目まで届かない、緩く波うつ耳元の髪を垂らした横顔なんて見ると、その色っぽさにドキッとする。

 ともあれ、「食べてない」と思う。

そして冷蔵庫にいつも常備しているイワシ、ってこともない気がする。買い物帰りだったお母さんが、片手にぶら下げていた大きな袋の中身とは、まさにコレだったのではないのか。今日の夕飯にするつもりで……。

お母さんを見る。コートを脱ぎ、ピンクのカーデガンという楽な格好になっても貫録のシルエットはそのままだ。こちらに加わりチャイを飲むこともなく、帰ってからずっと部屋の隅、一畳程のマットの上にじっと座っている。頭のスカーフを巻き付けたまま、手には数珠を握り、時にうつ伏せたり立ったりを繰り返している。「お祈り」中であるのは、私にでも分かる。

「神と、話をしているんだ。」

サッカー部長曰く、「ラマダン」。つまりイスラム教徒が毎年約一か月間、その時が来ると実践するという「断食」(夜明け~日没)だが、今は時期が違うのではないのか。というと、「個人的なラマダン」があるもんらしく、何かの事情でお母さんはいまそれに相当しているのだという。でもって、四時半から食べてよい、とのこと。「神と話す」――すごい言葉だ。

ときに、傍らの桶になみなみ入った水に手を浸すなどしている姿を見ながら、…どうしよう。答えは出ないが「どうしよう」だけがゆらゆら、アメンボのように頭上を漂う。ラマダンの後にありつく、やっとの食事であったのではないのか。しかもお代わりまでして、……残りはあるのだろうか。

『働き手がいないから、とても貧しくて――』

……イカン。動揺してきたのを誤魔化すかのように、「どこで獲れたイワシですか?」なんて口に出している。

トラブゾンよ。ね、」

後ろを向き、キャリア姉さんが同意を求めたのは、台所を片付け終わったらしい、大きなお姉さん。その大きなお腹をかばうようゆっくりとひざを折りながら、「ん?うん。そうね」。笑顔がフワァッと、ファー(毛皮)のように柔らかい。頭をクルリと包んでひらりと垂れる、黒地に花柄のスカーフが、隠しているはずの髪の毛の美しさをいうようだ。サッカー部長また曰く、近所にお嫁に行ったここの長女であり、ちびっ子二人のママであると。…だろうなぁ、お祈り母さんの、というにはちびっ子過ぎる。現在七人目がお腹にいるらしく、…おぉ、フワフワ柔らかい以上に、ずっと逞しく強いのだろう。

 トラブゾン――黒海沿いの港町だ。あそこでは、イワシのソテーを食わせる店が軒を連ねていた。青い海、青い空…って今は彼の地も冬の空だろうが、同じ国、トルコという括りにあるとはいえ、なんだか足摺岬ぐらい遠い世界に思えてくる。

ここは、真っ白い空の下の、真っ白い海――雪の世界。白に囲まれた内陸の地だ。ここで「土地の料理」をいうならば、やはり山の幸・即ち家畜の肉或いは獣肉だろう。なのにイワシ。海に面していないここで、イワシ…。

山深い温泉旅館の食卓に上る海の幸とは、そこで採れないものを敢えて供することで「精一杯のもてなし」を表現するというように、「貴重品」――イワシってば貴重な海の幸、滅多に食べられない「ご馳走」なのではないか。…ってまぁ、今はトラックが走って物流行き交い、貴重度数も低いのかもしれんが、とはいえこの雪。海辺に比べれば、新鮮なものは入手しづらく安くもなく、食卓に上る頻度もそう高くないのではないか。なのにそれを、まぐれのようにやってきた、旅人と称する見知らぬ人(=ワタシ)に惜しげもなく。

ちびっ子二人はぐりッと、まるでサルを前にしたように、こちらが食べる逐一を見ている。イワシの羨望というよりも、興味は「外国人がウチで食っている。しかも骨を残すこともなく非常に器用に」ということであるのは、わかる。

わかるけれども、……胸がキュウッと締まるようだ。

人んちの食糧を減らしている――どうしよう。どうしようもない分からない。無力感とやるせなさが心の中で燻るんだけど、みんな、全くもってニコニコしているのである。……マイッタ。

出会いはまったく運命。気まぐれ的な成り行きの果てだ。

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シューシのケバブ ~ナゴルノ・カラバフ

  

 

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シューシのコーヒー ~ナゴルノ・カラバフ - 主に、旅の炭水化物

再会(2013年)

 

グチュ、グチュ、と、洗面器にほどほど入ったミンチ肉を、握りつぶすように、そして縁から中へと折るように捏ねたら、片掌に持てるだけのソレをひっつかむ。もう一方の手には、フェンシング用かというような長い長い串。――刺されてもないのに、ソレ、見ているだけで胸がクッとつってくる。

串の真ん中あたりにまず、掴んだ肉ダンゴをあてて、それから上に下にと棒に沿って伸ばしてゆく。度々手を浸している容器の中の液体とは、くっつき防止の為の水、いや油だろうか。テカる手のひらでペタペタとしてゆけば、なんとなく、アタマ貫通したポッキー(チョコ=肉)みたいになった。…というのはアレだ。ロースターに掛けるべく、尖った先端・三、四センチと、手前側の握る部分はあける(肉を引っ付けない)から。

妖精ママはさらに、その肉部分を親指とひとさし指で挟み、指二本の間隔を狭めたり緩めたりと動かすことで、ポッキーにうねるような波跡をつける。

その波のくびりが、菱形に切られた肉片ひとつひとつのように思えなくもない。って揃いも揃った形の肉片ってのは不自然だからして、あぁミンチなのか、とやっぱなるんだが、…ほぅ、綺麗になるものだ。同じ肉でも、酒飲んだウミヘビ状態よりは目を惹くだろう。ウミヘビって、誰が?…というと、きっと、おっちゃんがやったらそうなる。悪いけど、たぶんそう思う。几帳面で、手先の動き細やかな妖精ママだからこその、端正な形だと。

指先で「波」を更に整えたら、ヨシ。ツクネ串ともいうべしか。出来次第、ロースターの上と持ってゆく。

 

 

初めて訪れてから五年。シューシは、当時と比べれば、所々で建設現場が目についた。営業はまだ先とは思われるが、「HOTEL」というオレンジ色の文字が縦に入った、真新しい壁さえある。人の住居跡は、五年前のまま何一つ変わっていないが――。

以前と同じ道順を辿った。かつての住宅跡地を一巡したあと、「あのカフェ」に向かおうとしている。

「ある」だろうか。店は、今も続いているのだろうか。

見覚えのある雑貨店を過ぎて坂を上り、この辺ではないか、と、立ち止まった。

頭がピント合わせにまごついているようで、建物を目にしてもピっとこない。が、場所的には確かにここのはずだろう。看板はない。が、開け放たれたその中を覗いてみると、テーブルが、イスがある。少々配置が記憶と違うものの、それは食堂としてのありようだ。誰もおらず、乾いた空気が漂っているが、――ここ、だろう。

 中に入ってみた。広い空間に、テーブルはまばらだ。…というよりも、「準備中」のような中途半端な感じであり、ガランと空いたスペースがあったり、イスが無いテーブルもある。陽の加減のせいか、記憶にあるクリーム色の雰囲気はなく、それどころかグレーに翳り、寒々しい。

だが嫌な予感とはしない。――匂うのだ。…いい匂いだ。ここが「動いている」ことの匂い。何かオカズの…。

 と、こちらの気配が伝わったのだろうか、奥から現れたのは――見覚えのない、初めての顔。黒いTシャツとジーンズ姿の、若い男の子だ。日本でいえば、高校生ぐらい。

あちらもあちらでポカンとしている。訝し気というよりは、客なのか?と見定めようとする「ん?」とした顔だ。

「こんにちは。…あの、すいません。ここにこういう人は…」

不審な目へ変わらないうちに、と、すぐさま写真をカバンの中から取り出した。二枚、五年前に撮ったものだ。一枚は背を壁にもたれ、こちらにフンと軽い笑顔を向ける、ずんぐりチョボ髭のおじさん。もう一枚は、ヒダの寄ったエプロンを身に着けて立つ女性――奥さん。髪を一つに括りすっきりと顔を出して、客室乗務員みたいにスマートに立っているが、キュッと口を締めているのは、写真に緊張したのだろう。おじさんが極悪帝国の皇帝ならば、おばさんは囚われの妖精。見た目には、そういうギャップのある夫婦だった。

 それを受け取ると、むむむ…と表面をなぞるように二枚を見る青年の、陽にそこそこ焼けた顔が、ゆっくりだがニマ…と緩んでゆくよう。――ヨシ。ここで合っている。ここでいいのだ。…ということは、この男の子は息子君か。

コク、コクと頷くその表情はもはや笑顔であり、「こっちにいるよ」。この寂しげな空間の、その奥――かつて、「オーイ」と呼びつけては妖精ママが現れた、あの入口。その向こうへと、Tシャツ男子は導いてくれるようだ。

 

抜けてみると、おぉ、明るい。

中庭だ。突き抜けた空のもと、敷かれた砂利の隅に、ダリアに似た、花びらを幾重もつけた黄色い花が背を高く伸ばしている。

あぁそうか、この匂いは肉なのだと、傍らの壁沿いまっすぐのところに、煙の上がるコンクリート台が目に入った。ロースターだ。…といえば、「ケバブ」――串焼きではないか。瞬間、記憶が蘇ってきた。そういや前も「ケバブがあるよ」とは言っていたんだっけ。

そして、ヒトが背を向け、その傍らにいる。金色の髪の毛を一つに括っている、女性。そのシルエット…――あの人では。

Tシャツ君が声をかけた。振り返ると、やはり。妖精ママだ。

エプロン姿ではない。普段着、というよりはヒョウ柄の、何となくお出かけ用みたいな半袖ヒラヒラブラウスを着て、煙に向かってゆがめていた口元を戻しながら「ん?」と、細い目を私の方に向けた。その目、その顔だ。…懐かしい。ちょっと皺が深くなった気がするが。

 数メートル離れた、別の出入口から声がする。何人かの会話…。Tシャツ君はそこへスタスタと歩き、躊躇なく首を覗き込ませて何かを言う。と、出てきたのは――あぁ、そうそう、この人この人。チョボ髭親分。

前よりもスッキリ見えるのは、少々髪が薄くなったせいか。その残る髪の毛には白髪が目立つ。写真の時のようにゆるい普段着ではなく、襟付き半袖シャツ・黒い長ズボンというクールビズ的な格好のせいで、ちょっとピシッとして見える。…けれどもそのベルトが少しアップアップ。出っ張り気味の寸胴腹は、変わらない。

写真を差し出されると、最初ポカンと、そして眉を寄せてソレを睨んでいたが、オゥ、オゥ…と、記憶が這い出てきたようだ。ニコォ…っとキティちゃんの髭みたいな皺を作り、笑ってくれる。

それにしても。すっかり「コーヒーの店」というイメージが定着していたのだが――そうだったのだ。

だがこの町で「何かを食べる」という発想自体は皆無だったのであり、それはいまも変わらない。

今回もただ町を歩き、その後おじさん達に会えたなら御の字であり、理想的。それが叶ったならば是非、コーヒーは飲みたい。以前のように。――という想像でいた。

ビジネスホテルの風呂桶ぐらいはあるロースター、その隅の方には薪が突っ込まれ、炎は時にバティッと威嚇するも、しゃらくさい。妖精ママがいま眼中にあるのは、その上に引っ掛かっている、長い、長い串だ。串の肉だ…。

ケバブ、……ねぇ。

 

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ケバブの家

 

ケバブ」(又は「シャシャリク」と呼ばれる)とは、肉に限らず魚も野菜を含んだ、要はバーベキュー料理である。…と思っていたらトルコなどでは煮込み料理にも「ケバブ」と呼んだりするなど、その括りは変幻自在しそうだけれども、――「ケバブ」。そう呼んで、真っ先に頭の中で挙手しているイメージとはたいてい、串に刺した肉をジュージューと炙るというアレである。中央アジア内陸部一帯(中国西部・ウイグル自治区から西のユーラシア大陸)、コーカサス、中東などの広範囲において、それぞれの土地で「郷土料理」と称されており、アルメニアもその内に含まれる。日本における「すき焼き」のように、外部の人間に紹介するといったら、の定番料理でもある。

…って、ん?コーヒーは? それが目的じゃなかったのか、というと、――もちろん飲んだ。

ウマかった、と思う。というのはなんだか心もとない感想だな。再会を心配しながら求めてきたココであり、そのコーヒーだろう――というと、…うん。

きめ細かな泡が表面にフカっと立ち、カップの縁についている、砂丘の砂のように微粒な豆をじゃりっとかみながら、あぁこれこれ、これだよなぁ…と悦に入る。

 以前のように、いやそれよりもガランとした、通りから入ってすぐの広間にポツンと座ってチビチビと、時の流れに浸る。…やっぱり美味しいなぁ。だって、これを飲む為に来たのだ。

 何か食う、というつもりはハナから無かった。

…んだけれども、なんだかかなり気になったのである。これでヨシと終わるには、髪の毛が引っ掛かったように、気持ちの通りがスンナリといかない。

再会という目的を達成し、ホッとして腹が減ったか。胸を貫きかねない串の迫力を前に、食への欲望が目を覚ましたか。

そうかも知れない。だが一番気になるのは、以前とは打って変わったような、奥の、その忙しそうな動きである。評判が上がったのだろうか、それとも閑古鳥が鳴いていたあの時とは、たまたまだったのか。ジュージュー音が鳴っていると、たとえ一本でも「忙しい」感じがするもんだが、いま炭火の上には数本あり、なんだか繁盛しているっぽい。

ケバブ焼き。「食堂」ならばそりゃそうだろうが、ここのメイン・つまり彼らの本領とは、コーヒーではなくてそっちだろう。そこ・つまりの核心である分野にタッチすることなしに、ここを去っていいのか、という自問自答が巻き起こっていた。

あとで後悔することの予感がある。このままバイバイしたならば、これから先ケバブを前にする度に、靄が・悔恨の声が心の隅っこでボソボソしていることだろう。「あの時」食欲ないフリなどせず、食えばよかったのに…、と。

……食おうか。

せめて、一本。でもコーヒーを飲んだ「後」に、ってのもヘンな流れだなぁ。コーヒーがフツウ「食後」だよなぁ――なんてウロウロ考えているうちに、「待望のコーヒー」、なんとなく飲み終わってしまっていた。

 このままじゃあ「忘れ物」の感が甚だしい。やらずに後悔よりやって後悔、とはどのセンセイから聞いた言葉だったか。

席を立ち、奥への入り口を抜けると、丁度おっちゃんがいた。手にしているのは、丸々したトマトを数個、数珠のように連ねた串、一本。…おぉ、トマト焼きか。外気に光る、滑るような肌。はちきれんばかりの真紅のソレに目を奪われると、もはや迷いは吹っ飛んだ。

「ん?」とこちらを向くおっちゃんのシルエットは、うちわ片手の妖精ママに剣を捧げる、まるで従者だ。

「一本、食べたい。」

 

――というわけで、私ぶんの串が焼き上がるまで、作業を見せてもらっている次第だ。

先客がどれだけ注文したのか知んないけれども、ともかく最後尾だろうからゆっくり見学できるだろう。懐かしい珍客ということで、迷惑もきっと帳消しよね、という暗黙の訴えのもと。

それにしても、その「ヒョウ柄ブラウス」はいいのだろうか。どちらかといえばソレ、応接間で小指立てて紅茶をすするマダム、という図にはまる服であり、眉間に皺をよせ串を焼く状況とは明らかにミスマッチ。事の次第を想像するとしたら、たとえば、家でくつろいでいるなかで、急に「助っ人」として呼ばれてしまい、着替える間もなく慌ててやってきました、という感じか。それとも、出入りする人たちの視界に入るところで焼くのだから、ちゃんとしたカッコをしてなくちゃ、ということだろうか。…汚れちゃうし、匂いも染み込むだろうに。

 「助っ人」?――いや、それどころか…。

ウットリとくる、立ち昇る肉の芳しさとは、ママにとってはもはや、焼けたかどうかの判断基準でしかないのだろう。厳しい目で、…煙に巻かれて厳しくならざるを得んのだろうが、見極めながらも手は串を回し、炭火を扇ぎ、そしてちょっとの合間で次の串を貼り付ける。そしてサイドメニューのイモを、炒めたりもする。アレしてコレして…と手際が非常に効率的だ。

その傍らで、Tシャツ君はミンチ用に肉を轢いたりしており、おっちゃんは、ちと大きめのタライに、鶏と思われる肉・抱えて持って来たりしている。これからミンチにするのだろうか、それとも丸で焼いて、という特注なのだろうか。

 なんだか…。いやなんだかではなく実際「アットホーム」そのもの、まさに家族の台所風景であり、協力する姿がここにある。

三人四脚の、その「要」にあるのはまさに妖精ママだ。あとの二人・父ちゃんと息子はその補佐役である。

とはいえTシャツ君は肉轢き係に加え、ママが焼き上げた串を引き受けて、その上からソースを垂らしたり、或いは新たな串に(ママが)生肉をニギニギしている間、代わりに炭火の前に立って扇いだりひっくり返したりするなど、調理に踏み込んだ補佐役をこなしている。

対して父ちゃんは、処理する為の生肉を「持っている」。トマトやイモの注文があったから倉庫に「取りに行く」。串肉と共に出すパンを「買ってくる」。――という、新入り見習い的というか、補佐のその補佐、という立ち位置の仕事であり、又は「どうもよく来たね」「ヤァ久しぶり」といっちょ前に愛想よく、の接客係。

……。

おっちゃん自ら告白せずとも、「ワシ、料理からしきダメ」というのが伝わってくる。

親分的外見が手伝って、何かやるとしてもオーダーを伝えるだけ、あとはノペーっと座って煙草をふかしてふんぞり返る「亭主関白」という印象があったものの、…どっこい。ここを統べるのは「ママ」なのであり、おっちゃんとはその従者。そのちょこまかとした挙動を見ていると、「何か役に立たなくちゃ」という誠意のもとにあるのがひしひしと伝わってきて、……ワルイけど笑えてしまう。

串を焼くのは妖精ママである姿を目に、…こういうのってフツー、父ちゃんがおったら父ちゃんがやるもんじゃないのか。ケバブは煙と炎と格闘する野趣あふれる料理であり、いくら「関白」っつったって、その白く細い腕に火傷しては、と、心配にならんのかおっちゃん。――等と実はチョロッと思わなくもなかったが、せめて皿洗いをするにしても「割るから手を出さないで」と言われかねない不器用っぷりもまた、想像されてくるのだ。

もしママが風邪で寝込んでしまったならば、率先してその代役を務めるのは間違いなく「ボク」の方であり、おそらくイモの皮も器用に剥いてしまうことだろう。

確かにねぇ…。おじさんは、いたら助かるけど、いなくてもオーダーの流れが滞るってことはまぁ無く、店に客がたて混んでいない時ならば、――ドライブ?行ったって構わないわよ、となるわなぁと、あの時の妖精ママの優しい笑顔が思い出されてくる…。

 顔は広いし「威厳ある主人」のようには見える。その外映えを生かしていると、気付いているのかいないのか――妖精ママ、旨い具合にコントロールできているもんだ。

更に想像(妄想)するに、マーガレット一本、その太い両手で指し出してプローポーズした若かりし頃――なんて。でもおっちゃん、妖精ママにベタ惚れだったのだろう。今もずっと、頭上がらないぐらいに。

なかなかの夫婦ですなぁ、と、妄想に満足して、頷いている。

 

現在 (2020年)

 

2008年の訪問の話(「シューシのコーヒー」)で述べたように、2020年9月末より再燃した戦争は、11月、ロシアの仲介で一応終結した。長年、両者に横たわっていた領土問題を、一方の国が武力で「奪還」した結末となった。

日本に住まう私としては、世界認識の甘さを痛感させられる。カラバフは以前から、停戦状態であった。「終戦」ではなかったことは、知識としてはわかっているつもりだった。

だが私といえば、いま現在、日本という土地で「次の戦争」が起こることのリアル感がないように、「戦後」のような見方で彼の地を歩いていたと思う。今後は復興で「よりよく」なるばかりだろう。銃弾に見舞われた壁もいつしか補修されてゆくのだろう。国境周辺で時折衝突があり、死傷者も出たというニュースを目にしたことはあった。「未承認」とされ、隣国と銃を突き合わせた緊張状態のまま、「復興」と言葉にするのは心の隅で一抹の不安というか胸騒ぎというか、何か目をつぶっているような感もしないではなかったが、まさかこのようなことが起こるとは、この地が再び、戦争の惨禍に晒されることになろうとは想像していなかった。

アゼルバイジャンが勝利し、領土の線引きが新たにされた。いったい、武力によって出される結果に、問題は解消の方向へと舵を切ったと果たしていえるのか。

残されたのは、新たな禍根。憎しみと悲しみと増幅させ、さらに深く彫りこまれた民族間の亀裂――

カラバフで出会った人々の安否が、非常に気がかりではある。大いに気がかりではあるけれども、その状況を思い浮かべ、彼らの思いと同じようになることなどできない。何もできない。ただ、記憶にある彼らの表情を浮かべ、その心の傷はいかばかだろうかと遠くから胸をひっつめるしかできないのだ。何の奇跡も起こさない自分の現状に、ただすっぽりと収まっているだけで。

インターネットでは、これからアゼルバイジャン統治となる町に住んでいたアルメニア人が、アルメニア本国へと逃れてゆく姿が流れている。掘り起こした先祖の墓と共に、自宅に火を放ち――アゼルバイジャンに、我が家は渡さない、と。

シューシは制圧され、今後アゼルバイジャンの本格統治が始まる。

「彼ら」はもはや、あの地には残ってはいない。そしてもう戻ることもないだろう――というのは、無事ならばの前提である。無事を信じたい。おじさん、妖精ママ、きっと嫁を貰ってもいい年のTシャツ君――どこにいても、生きていて欲しい。ただそれしか今は。

いつか、親子三人の写真を渡しに行こう。また。

――それ自体がまさに幸せな、希望だったのだ。

 

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