主に、旅の炭水化物

各地、食風景の点描

南のアワアワと北のグツグツ② ~デリーの早朝・インド

 泡は、あればあるほど望ましい――。

 演奏中のギタリストのような、寡黙な後ろ姿。シンとした中で「ジャボジャボ」だけが躍り響き、…まるで、ホースからの水を直撃されて飛沫を跳ね散らかしている――或いは、水の中にダイビングする自分の姿—―なんて想像で遊ぶのは、それを耳に入れる以外に何もすることがないから。要するにヒマだからである。

寝起きの頭を軽くノックしてくる紅茶、或いはミルクの落下音。空気を含んだ「ジャボジャボ、ドボドボ」を、右から左へただ通過させ続ける――心地よい。これも一種の「リラクゼーション音楽」か。

 ……が、そうだったろうか?

 ――などと、自分自身にもったいぶらずともいい。そうではなかったのだ。「前回」は。

 いまから七年前(2003年)の旅はインド北部、具体的には、デリーからバラナシ、コルカタ、そしてダージリンとその周辺地域を列車を使って回ったのだが、この時には出くわさなかった音だ。

この「ジャボジャボ」行為を見るのは、今回、南部タミル州にきてからのことだ。もちろん、北もここに勝るとも劣らず、チャイを提供する店自体は路地のそこかしこに存在していたのだが、前回「コレ」を目に、耳にした記憶は無い。というか、「いったいどこに在るのか」と探していたぐらいだ。インドの「コレ」に関する記述は、旅行記等で予め目にしていたもんだから。

 前回、口にしたチャイとはほぼ、「煮込んでいた」。

コンロにかかる鍋にあるのはミルクではなく、既に調味されて出来上がった「ミルクティー」である光景――

 

 「さむっ…」

ニューデリーの十一月。早朝、ヒョオォォ…と、いかにも寒々しい音に吹かれて首をすくめた。チャイが欲しい…。

 インドの首都であるこの町は、バックパックを担いだ私のような個人旅行者にはすんごく評判が悪い。例えばよくある情報のひとつに、この国の玄関口である空港から市内中心部への移動では、たいていの人がトラブルに巻き込まれる、と。

 タクシーならば、こちらが土地勘が無いのをいいことに、目的地までに大幅な遠回りをするだとか、値段を法外にふっかけるぼったくる――のはまぁ、インドに限ったことではないのだが、連れて行かれるのは告げた場所とは異なる悪徳旅行代理店であり、そこで無理矢理ツアーの申し込みをさせられる、というトラブルはつとに有名だ。…タクシーは避けよう。バスにしよう――だけどバスなんて無い深夜着のフライトなもんだからどうすんの、というと、そりゃ「空港夜明かし」に限る。空港が出す公式のバスがあるらしく、朝までそれが動くまで待てばいい。――なんて解決策を見出すも、それも必ずしも信用ならないらしく(バスが代理店とグルで、ツアー申込に直行する、とか)、もうどの情報も初心者にとっては為す術無いような「脅し」ばかりであり、空港から無事に町まで辿り着くことはまっこと一苦労というか、鬼門なのである。

 旅行者とは格好の餌食であり、「絶対なんかされる」という心構えを持って入国すべし――というあちこちの経験談をモトに、私もビリビリとコメカミを鳴らし目をギラつかせ、来るなら来いや!とこぶしを握り突破するつもりだったが、「一緒に行きましょうや」と、デリー四回目という旅慣れたヒトの言葉に安易に便乗してタクシーをゲット。次回に生かせる「空港脱出のコツ」など得る間もないまま、あれよあれよと流れに載って安宿街に難無く着いてしまった。まぁいいか、という感じである。

 ボリ・騙しで「評判が悪い」とはいえ、道ですれ違う人々は、「いたってフツー」に歩いている。宿や旅行代理店が軒を連ねるエリアならまだしも、当ったり前だがみんな自分の用があるから道を歩いているのであり、外国人にいちいち構う為ではない。ふいに遭遇する、親切や柔らかい表情を前にして肩透かしをくらううちに、「すべて敵」などと自意識過剰になることもないのだな、と思えるようになってくるが、調子に乗って油断するとコロッとやられるからして、まぁ、「注意アンテナ」はすっかりと引っ込めてしまわない方がいい。

 

 ――見ぃつけた。

 宿から十分も歩いていないだろう。おじさんたちが二、三人、何をすることも無くただ突っ立っている。その片手には、柔らかいベージュ色に満ちたグラスが。

 逆の手はポケットに突っ込んだまま、ズズ……。やや丸まった寒そうな背中に、うしろでチラチラと漂っている湯気が映える。あぁ、あった、あった。

 ついさっき、ここよりももっと「人だかり」な場所を目にしたのだが、牛乳屋だった。風呂桶のような、日本では見たこともない大鍋がデンとあり、中には白い液体がゆらゆらと入っているのを、ステンレスだかアルミだかの、取っ手の付いたミルク缶をぶら下げた人々が取り囲んでいた。この場で飲む雰囲気ではなく、持ち帰りのみのようだ。…いいなぁ、温かいミルクかなぁ。飲みたいなぁ、と思いながら通り過ぎたのだが、――ヨシ。案の定、歪んだトレイ、グラスが積み重なっている。道に向かって備え付けられたコンロの上には、やかんと鍋。

 ちなみに、チャイ屋を見つけるには朝が「易しい」。…いや、「見つけ難い」ほど希少な存在ではないが、昼間の喧騒の前では――軒並みに商品賑々しくディスプレイする店の前を人々はひっきりなく往来し、人力車自転車自動車もまた、ブーブープープーとけたたましくあっちからこっちから堂々横切る中では、チャイ屋もまた、川底や川辺に洗われている石の一つの如く、その世界の構成員としてすっかり埋もれている。諸々の騒がしさ賑やかさに気を取られ、小じんまりしたチャイ屋であれば特に、注意に止まらず素通りしてしまうかもしれない――けれども、まだ町が寝静まっている、時が止まったようにシーンとした早朝ならば、あそこだけ何やら「動き」がある――数人とはいえ人が集っているのが、遠くからでも浮き上ったように分かる。時間が「稼働している」空間。

 そして「優しい」。或いは「柔らかい」、といってもいいか。一日の初っ端は、ほんわかした湯気に巻かれたい――この時間帯での遭遇は、店主のコワモテが目に入ったとしても、なんとなく輪郭ホワホワと滲んでゆき、訪れるのに躊躇しない気がする。

「活きている」空間――だけれども人々はみんな、エンジンがかかりきっていない「ボーっ」とした様子で立っている、という図。そこまで見えたらば、ソコはもうほぼ確実にチャイ屋だ。この瞬間、そこはまさに辿り着くべき「オアシス」のように映って、なんかイイ。なんか、「ホぅッ」とする。

 線の細くて彫りの深い、これって「美男」の類に入るんじゃないかと思われる男性…はおそらくは中年には突入しているだろうが童顔でイケメンのおじさんは、私が前で立ち止まると、きっと息子であろう、これまた瓜二つ顔の男の子に向かって何か言った。十歳ぐらい?、物静かそうな彼はところどころが破れたボロの雑巾をさっと掴み、どうやらイスを拭くようにと指示が出たらしく、木目をゴシゴシ……。あ、いやあの、別にそのまんまでいいよ、などと挟み込む余地はない。パパに似た整った目鼻立ちに、やがてはモテモテ美青年君となることだろう、とその背中をついジッと見る。

「特別扱い」は気恥ずかしく、また地元の人から「よそ者」と明言されているに等しいと複雑な気分にもなるのだが、まぁ、見た目からしてモロに外国人であるからして仕方がない。そもそも女性が、男に混じって一服たたずむなどという光景が少ないから余計に、かもしれない。店で地元の女性を見ないわけではないが、容器に詰めて「お持ち帰り」してもらい、その場で飲むことなくとっとと去る、というのが多いパターンだ。

 とはいえ素直に嬉しい。その後も滞在中は毎日通う場所となったが、空いていようが野次馬的な混雑ぶりの時間だろうが、いつも忘れず小さなイスを拭いてくれる心遣いは、その手にあったボロ雑巾とともにいつまでも記憶に残っている。

 コンロの上では、「チャイ」がグツグツと煮込まれている。鍋の容量は家庭にフツーに在りそうな、これまたカレーでいうと、具をゴロゴロ入れた場合家族四人分、いや三人分でギリギリだろうか、という程度。インドの食堂で見る鍋といえば、「取っ手の無い」寸胴鍋が定番(持ち運び難いんじゃない?といつも思う)だが、コレには取っ手が一本ついた、いわゆる片手鍋だ。「取っ手無し」もあるにはあったが、まだチャイになる前の、ミルクと水を貯めておく容器としてそれぞれ隅に置かれており、火の上にはない。

 その片手鍋の中を覗き込んで、じゃあコレを――と注文するより前に、「あ、」。

 その隣の、ウチにもある麦茶用みたいなアルマイトやかんからジャアぁっと、湯であろうものを注ぎ足す。…あぁあ…。

 早朝とはいえ、鍋の中は既にそこそこ減っていたようで、内側にはベージュの斑なシミと、茶葉が胡椒のようにこびりついている。まだ「人だかり」とまではいかずとも、人はコンスタントに訪れているのだろう。そろそろ作り足さねばな、という頃か。

「チャラ」になった鍋に、茶筒のような小さい容器から、シュッシュっと大きめのスプーンで「まだ?まだ…?」と、約二十杯。これは白いからきっと「砂糖」。二十杯もぉ…?って、これ全部私ひとりで飲むわけではないと分かってはいるが、でもそんな気がしてくる。

 上から落ち着いてパラパラと加えるのでのではなく、五十センチぐらい離れて、素早く「ピッ」と、ホイッスルでも吹かすような勢いで放る。或いは「手裏剣投げ」だ。これが「チャイ職人」としてのパフォーマンスか――というよりも、近くでちんたらやっていたら、沸かしている湯気が入って砂糖が湿気るじゃん、ということかもしれない。

 さらにジャアっと、これは二杯ほど入ったろうか。火にはかかっていない、隅の「取っ手無し」鍋から、計量カップ的ステンレスカップですくって加えたのは、ミルク。きっと、この仕入れ先はさっき通り過ぎた繁盛店、…かな。牧場見学で絞りたてを飲む、とかいうイベントでも遭遇しない限り、通常「牛乳」とは「パックから注ぐもの」であるこちらとしては、「パックされていない」というだけで新鮮なもののように感じてしまう。牛乳屋の「風呂桶」ほどではないにしても、バザーの「とん汁コーナー」で見るような大鍋になみなみと入っているもんだから、「おぉ…」とつい呟いてしまう。

 「超」強力な炎だ。ゴオォォォォ…とけたたましいのは大きく開いたガスに因るのだろうが、あたかも炎自体が音を発しているかのように、ものすごい勢いで噴出している。鍋を包み込まんばかりにはみだして、まるでゴジラの火吹きだ。

茶葉は?……と、棚から、蜂蜜入れみたいなプラの瓶を取り出し、中に三割ほど入っている粉末に見えるもの――ソレだ――を、これまた(これこそ)湿気を恐れてだろう、鍋の斜め上の位置からスプーンでザッザッと飛ばし撒く。

 ……ん?

 ミルクの中に茶葉を入れると、ミルクの脂肪成分が茶葉をコーティングしてしまい、茶が上手く抽出されない―――とは読んだことがある。鍋に残っていたチャイにはミルク成分がまだ残っているし、…っていま、ミルクを足したばかりだ。

 ピュアな水から煮出したいのであれば、別の鍋を用意しなければいかん。が、コンロは二口しかない。…やかんをどかせば? 継ぎ足しが早く煮えるように、という為に「やかん」が熱されていたのだろうが、別の鍋をもう一方に置き、そのやかんの湯を使って改めて煮始めればいいじゃん。――なんて思うけど、そうはしない。

 継ぎ足し継ぎ足しすることで、「ウナギの秘伝ダレ」的な効果を狙って?…でもそうなると、余計に時間がかからんか。鍋に少なくなっていたチャイもまだ、れっきとしたチャイ。コレを売りながら隣で新たに作り始めた方が、途切れず効率いいんではないか。

 二つも鍋があるとになると、洗うのが面倒くさくなるから…? 確かに茶葉とミルクを煮込んだ鍋って、結構強くこびりついてすんなり綺麗になってくれんのである。しかし「継ぎ足し」だと、出来上がるまで客へのサーブがストップしてしまう…――なんてことは些細なことか。いまのところ、チャイが出来るまでの「間」がガマンできない、というような空気が客の方にはないから、間が空く、なんてことに必死になる必要は無い、か。(混んできたら、さぁどうなのだろう?) 

 と、話が逸れたが「ミルクの中に茶葉を入れるのはいかがなものか」問題、だった。

 キチンと抽出できないんじゃあ――なんて心配しても、その後気にせず「茶葉を足す」のは、特にココに限ったことでは全く無かった。

 チャイ用に使われる茶葉は、「葉」とは連想しない程に非常に細かい。つまり細かく切断されることで、液体にその成分が抽出されやすく、茶は非常に「濃い」ものとなる。その強さ(濃さ)とは、ミルク成分の妨害など「些細なもんよ」と凌駕してしまうほどだということか。

 一応、(茶葉を)投入しているのは「純ミルク」の中にではなく、湯(と残った紅茶)で薄まっている液体の中へ、だ。イメージしてみるに、液中のミルク成分が茶葉にまとわりつこうとジタバタ泳いで来るその前に、茶葉は「細かい」のが幸いして、とっとと自分の成分を外(液体中)に放出してしまうのではないか。そもそもこれだけ茶葉を加えていたら、(茶成分が)「出ない」はずもなかろうと、鍋口にびっしりとこびりついた茶葉を、時々靴ベラのような棒でぐるりと掻き落としているのを凝視しながら思う。もともと「濃く」出る茶葉を、いわゆる「雑味」(タンニンの渋みや苦み)が大放出されているのではというほどに煮込み続けているのだから、少々邪魔されるぐらいの方がかえって性格が丸くなり、良いのかもしれない。「ミルクのせいで抽出されにくい」などと気を遣うべきはおそらく、湯を注いでから時間をかけて蒸らすることで、繊細な風味を味わうことができるとされる「大きい茶葉」の話ではないかと想像する。しらんけど。

 強火のまま暫く煮る。

 ――吹き上がってくる。麺を茹でるときのように、底から縁からモリモリと泡が、きたきた…、となると、鍋の取っ手をフキンごしに持ち上げて、突き上げる炎から離す。「高い、高ぁい…」と数回、ゆっくりではあるが大きく、赤ん坊をあやすようにそれを上下に動かすと、泡立ちは落ち着いてゆき、そうしたらまた火にかける。すると再び、スイッチが入ったように泡が吹いてきて、また上下に振る…、というのを繰り返す。

 火を弱めればいいのではないか、と思ってしまうのだが、これって火を弱めても「吹く」のである。「来た」と気付いたら、息つく間もなく火を切らねば、相撲取りが入る風呂のように中身がザバぁ、と零れてしまい、ウチでも何度コンロを汚したことだろう。おそらく、鍋が「取っ手付き」なのはこの為・素早く鍋を火から遠ざける(「高い高い」する)ために違いない。ミルクティーを「煮て仕上げる」様子を見る時、この店に限らずたいていコレ・片手鍋を使っていたし。

 

 つきっきりじゃないとねぇ…。ボッコボコになるから。いや、「敢えて」そうなるように、か。「あ、ヤバいヤバイ」と焦る様子がない。

 一見、ただ煮ているだけ、それを見ているだけ、という姿でしかないけれども、鍋の中身が盛り上がるのを「待っている」気配がある。それも、一度吹いたら終わりではなく、繰り返そうとしているようだ。表面にはミルクのたんぱく質が熱で凝固して膜となり、斑模様を描いている。こんなに沸騰させていいモンだろうかと、「膜が嫌い」と言い放つ、レンジしすぎた牛乳に文句を言う父を思い出す。

 ――まだ?

 イケメンマスターはしばらく、その視線を落としたままだ。火もずっと中華料理的に強く、時々鍋を上下させている…。

 何度「吹かせる」のだろう。どのくらい煮るモンなのだろう。色だけ見ればもう出来上がっているように思えるが、だからって味は別か。色が出たら、温まったら出来たというわけではない、…か。野菜や肉ならば、柔らかくなればヨシ、となんとなくあるが、チャイの場合は…?作り手が「出来た」と次の動作に移る見極めはどこか。ポットで紅茶を蒸らす英国式の淹れ方だったら、お湯を注いで待つのは三分とか五分…。じゃあ最低三分?いや、もっと長い気がする……

時々、そこら辺にあったスプーンでヒョイっとすくっては、手の平に落としてスッと啜る。

 味見している。

 味のバランスをとらねばならない。湯はやかんからジャアッとただ注いでいた。量ってはおらず「テキトー」であり、当然、砂糖も「何杯」とか数字を頭に浮かべながらやってはいない。自分の舌を頼りに、「その味」に持っていくのが確実――が、分かる?コレ。茶葉がもう少しだけ足りないな、ミルクはあとどのくらい、…って? 毎日作り続けていれば、「あ、薄いな」等々、即座にピンとくるもんなのかもしれないが、鍋いっぱいの結構な量となれば難しそうだ。私だったら味見してアレコレ加えるうちにワケが判らなくなり、「戻らない味」に、焦ってイライラするかもしれない。

 最初は三人しかいなかったお客が、調理台をぐるり取り囲めるまでに増えていた。マスターこそ白いシャツの首を開き、袖をまくって褐色の腕を出しているが、みんなセーターやらダウンやら、マフラーを頭に首に巻き付けて厚着し、いかにも寒そうに肩を狭め、手はポケットの中にある。

 大げさ、に見える。

 早朝、ヒョォォオオと吹き抜けてくる風は気持ち沈むほどに肌寒く、半信半疑だった「十一月は厚手の服が必要」というガイドブックの言葉に、いまになって納得、確かにフリースを持ってきてヨカッタ…と思った。しかし、このチャイ屋に辿り付く道すがら目にしたように、焚き火に手をかざしたい、と思うほどではない。薄暗い中に、組んだ板切れから舞い上がる炎と火の粉は美しく、絵にはなるが、「そこまでするか」と意外な目で通り過ぎている自分が、すんごく強い人に思えてくる。「日本で真冬はこんなもんじゃないぞ」チッチっ、と、少々得意気にもなってしまうが、、後に標高の高いダージリンの町でコテンパンにやられてしまうことになるのであり、その話はまぁまたいつの日か改めて。

 店を囲む人たちは、鍋の火で暖をとっているようだ。焚火をすればつい炎に見入るもんだが、その代わりに鍋から立ち上る湯気をただじっと見ている。みんな寡黙に、海辺で這うヤドカリでも観察しているかのように。チャイを待っているからここにいるんだけれども、待ち詫びてもどかしい、などという様子も見えず、ただジッと静止し、目を止めているのである。

 ――出来たのか。

 空のグラスを数個、お盆大のバットの上に、ガラガラと並べ始めたイケメンマスター。「見に来た」んじゃなくて「飲みに来た」んだと、お客はその合図で我に帰ったかのように、足踏み等々、なんとなくの動作をし始めた。

 火を弱め、左手に握ったのは柄がプラスチックの茶漉し。もう片方の手にはステンレスカップを取り、静かになった片手鍋の中身をすくった。

そして、グラスに注ぐ。――んだけれども、グラスに茶漉しをひっかけて静かに…、ではない。「高い」。

自身の頭の位置ほどに、腕を伸ばして持ち上げたステンレスカップから、同様に持ち上げた茶漉しを通過させて、「ドボボボボ…」と注ぎ落とす。

 水道から水をバケツに注ぐような音。液体は茶漉しを通して一直線になり、上手い具合にグラスの中へと命中しているが、グラスは腰丈の位置という結構な高低差があり、そりゃあ当然、飛沫が散りまくってしまうわな。グラスをまとめて置いている縁の高いバットは、確かにあった方がいいだろう。

 ベージュのチャイが透けるグラスのひとつを、ハイ、と渡してもらうその前に、「あ、ちょっと待って」と、その底部分にカポッとはめたのは、白い、小さなマグカップ。熱いから、ということらしい。小さなマグカップが、隅の方に並んでいたのが見えてはいたが、この為だったのか。ほかの人はそれを自分で取っており、同様にはめていた。

 表面は少々泡立ち、その合間にシミが――膜が、よくよく煮込んだ証拠のように浮いている。ゆっくりと口を近づけ、ソッと、湯気をも吸い取る…。

なんと柔らかい味だろう。いきなりベルベット生地に体を突っ込んだように、「わ、」と戸惑う。目が「開かれてゆく」。

 腹がゆったりと温められてゆくような、感覚…。ミルクがタップリのせいなのか。それともしつこく煮るとこうなるのか。

 だがミルクと砂糖のみ、にしては、「なにか」感じる。何だろう。加えたところを目にしなかったが、この「なにか」は生姜じゃないだろうか。

 甘くフンワリな優しさに包まれていると、何故か知らんが、自分も周囲の客もイケメン親子もみんな「いいヒト」である――と思えてくる。「人類みな兄弟」的な、仲間意識のようなものが生まれてきて、お幸せな気分にもなってくる…。

『ミルクが、茶葉の抽出を阻む』?――やかましい。科学的に分析されれば、いちゃもん付けられるのかもしれないけれど、「…それが何か?」。オイシイ――その感想で十分。湯船に浸かるような快感に、「正しい」か「正しくない」か、赤の他人から茶々は無用。「知識」で味覚を左右されてたまるか。

 片手でも余裕で摘まみ持てるんだけど、ぶりっ子的に両手でグラスを握り締めてしまう。――ウマい。心の中、畳の上にべったりと腰を下ろし、大きな大きな息をホぅっと吐いては、もうひと口をちびりと啜る…。

 ――という風に、北部地域で見かけていたのはほぼ、鍋で「煮込んで」作られたチャイだった。店によっては、早く熱が回りやすいようにかミルクの入った鍋を温めておいたり、また、チャイが煮上がったところで、別のやかんに漉して移しておく、としているところもあった。空いた鍋で新しいチャイを作り、殺到する客に備える為にいい。風味では、生姜ではなくマサラ(スパイス)が効いている店も。

作り手の流儀・好みによって工夫が為され、ちょっとした部分で違いが見受けられるが、どこもじっくりと、紅茶とミルク、砂糖を「煮込んで」いる。ただ材料に火が通っただけで煮物と称してはブーイングが出るように、なんらかのポイント・到達点まで煮込み続ける…。

 煮れば煮るほど……――なんて、お馴染みの言い草だ。まず私としては、その筆頭は「おでん」である。「煮るほどに旨くなる」「ダシが出る」「味が染む」という言葉がやってくる。そんな感覚をチャイにも持ってくれば、茶葉が調味料のようにも見えてくるではないか。調味して、味が染み込むまで、じっくり煮込んだ大根やサトイモ、スジ肉…。それを寒空の下で、立ち昇る湯気と共にいただく。…冬の夜、赤ちょうちんを灯すおでん屋台、みたいなイメージが出来てくる。

 そしてまた、出来上がったチャイを敢えて高い位置から、あからさまに跳ね散らかすようグラスに注ぎ落とす、というのもまた、「一味変わる」と意味を見い出しての行為に映る。もちろん、数回にわたってジャボジャボさせる、南のチェンナイやチルティ等に比べれば、その泡立ちはさほどではないが。

 ――とはいえ「そんなことしない」・特に腕を高く振り上げることもなく普通にただ注ぐ、ところもある。…「ところもある」どころか、そっちの方が殆どだ。

 インドへの旅を決めてから、情報収集にと多くの本に、紅茶については特に関心をもって目を通していた。そこで登場するのは、チャイを何度も「ジャボジャボ」とする場面である。初めてインドに降り立ち、訪れたデリーのイケメンチャイ屋。初めて見るチャイ作りに「おぉ、コレがウワサの…」と喜々としたが、内心「ちょっと違うな」と思わなかったこともない。デリーのソレは、泡立ちを狙うようなジャボジャボではなく、グラスに注ぐ時のみの「仕上げジョボボボ」だった。そしてイケメンマスター以降、「見たっけ?」。

 北部を巡る中では、それほど記憶がないのだ。

 北(…とあんまりにもおおざっぱだが、要は北部地域のうち、私が旅をした範囲)においては、チャイは鍋の中で調合されて煮込んであり、あとはグラスに注ぐだけ、という状態でお客を待機していた。

 対して、南部のタミル州(これまた限定的範囲だが)では、「一杯頂戴」と注文を受けてから調合が為される・つまり注文の都度、砂糖、ミルク、そして茶の抽出液を、派手な「ジャボジャボ動作」にて合体させてグラスに注ぐ、という流れであった。

 しかし何故なのか。

「煮込み」スタイルはどうして「ジャボジャボ」しないのだろう。…冷めるから?南よりは暑くないから?…ってことはなかろうよ。(四月五月で40℃近い。) 逆に「ジャボジャボ」側は、なんで煮込まないのだろう。パフォーマンスを重んじる人たちってこと?――と、一方を自分の「常道」としてしまえば、他方に対する「ナゼ?」が浮かんでくる。茶葉はどちらも同じタイプ・「ダスト」と呼ばれる、粉のように細かいタイプのものであるが、何故淹れ方が異なるのか。それに対してなにか、煌くような理由が欲しい。

 だが「そもそも」に対する類の問いなんて、「どうしてご飯が左側で、味噌汁が右側なのか」と同様、現地の人にとっては普段「気にせんがな」であり、凡そ「知らんがな」。或いは「別にいいじゃん」――コレが旨いと思ってやってんだから放っといてよ、と答えるしかないことなのかも。

…まぁいい。勝手に想像するから。

 

ニューデリー訪問時2003年)

詳細はこちら↓

docs.google.com

前回の記事↓

yomogikun.hatenablog.com

 

 

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南のアワアワと北のグツグツ① ~チルティの夕暮れ・インド

はぁ……

がっくしと肩が落とし、行き場を求めるようにただ、トボトボと歩く。

闇夜にわめきたてるような色使い派手な明かりの中で、ふと、純白の輝きが目をついた。――蛍光灯の、まっさらな白い光はなんだか「救い」のようにも映る。吸い寄せられるように、そこへ。

……チャイだ。

あぁ、飲みたい。――疲れた。

 

 バスターミナルを中心に取り囲むのは、布屋や雑貨屋、お菓子売り等の商店や、食堂。いくつかの宿。そして隙間を埋めるように、時計やカギ、おもちゃを並べたテーブル一つ二つだけの露店も、オレンジ色の電球を点している。

 どこにでもある商店街だが、地元の人たちと思しき手ぶらの姿に加え、これからバスターミナルを利用する、大きな荷物を抱えた人たちが混ぜこぜとある。そしてカエルの鳴き声のように止まない、けたたましきバスの「プップー」が、店や街灯の明かりをさらに勢いづかせ、一帯を実際の三倍ぐらい賑やかな、ナイトバザールのような繁華街に盛り上げているのだ。結構、好奇心をくすぐってくる――景色であるハズだが、しかし気分は浮かない。

 ……高い。

 宿が、である。荷物を抱えて歩いている人の中には、これから宿に向かう人もいるのだろうか。…どこもかしこも高いのに?

 夕方、「チルチラパッリ」に到着した。インド南部タミル・ナードゥ州のど真ん中にあり、チェンナイから南に列車で約八時間。降り立った駅の構内は小奇麗で、町へと続く道路の舗装はちゃんとしており、歩道も整備されている。そこそこの規模の地方都市である印象を抱きつつも、歩き進むうちに目に入ってくる町の喧騒――建ち並ぶ、古めかしい商店や行き交う人々の様子を前に、これから遭遇する未知なる展開に期待を膨らませていた。

 が、宿がない。いや、宿はあるのだが……。

 私が滞在するのは、快適さよりもほぼ値段重視の安宿であり、前回・七年前の北インドの旅からすると一泊の平均六百円程度。まぁ、非常事態で千円あればいいだろう――と思って今回(2010年)も予算を組んできた。だが南は高いのか?どこも、千円どころではない、二倍以上は値上がっていた。

 インドへのゲート口だった先の滞在先・チェンナイでもそうだったが、大都市だし…としぶしぶ、それでもしぶとく値切っていたのだ。地方にいけばもっと安くなるだろうと期待していたが、いやいやここはそれ以上。一応、ネットやガイドブックで調べていたけれども、情報があまりに古かった?――いや、ほんのニ三年前のものだったと思うが…。それ以降にインフレ?

  宿はある。そこそこ見つかる中で、安そう、とカンが働くところを訪ねてみるも「フル(いっぱい)」。何度も同じ言葉を言ってきたような、疲れた顔を横に振られたところが数件。ナンだ、何か祭りでもあるのか。私と同様、ここもか…とため息を落とす、旅行かビジネスか知らんがインド人客も結構いるから、ぐずぐずしていると高級宿しか残っていない、なんてハメになる。空いている中から一番安い宿を選ぶのに一時間ぐらいかかった。ことわっておくが、日本の物価と比較すれば…なんて思考は旅の中ではサッパリと失せている。加えて前回の物価感覚を引きずっている自分であるからして、悪いけど初チルティ(=チルチラパッリ)はすこぶるガックリな第一印象である。繁華街の光が、視界をせつなく漂っている…。

 見本のように整然と並べられた果物が光沢を放ち、ポツポツと、人がその前で立ち止まっている。食堂らしい店からは、家族連れと思われる老若男女のグループが出てきて、またその数を埋めるよう別の集団が入ってゆく。――賑わっているようだ。評判の店か。隣には小ぎれいな宿が立っているから、その泊り客が便利にしているに過ぎないのだろうか。

 バスターミナルや駅周辺での飲み食いは、正直なところなるべく避けたい。つまり旅立ち前後の腹を満たす為にと、みんな必要に迫られての「やむをえず」「とりあえず」な行き場に過ぎない――つまり場所柄で繁盛しているだけかもしれないから。人はどうあっても「来る」んだから、店も「質はそれほどでなくても売れる」と思って仕事がテキトー……かどうかはさぁ、偏見はダメよ、なのだが。でも実際、そういうことって(集っている割には量・味ともにたいしたことナイ)これまで結構多かったモンで、利便性よりもやはり「美味しくて」集っている、という処を探したいものだ。

 ――なんてこと言ってもなぁ…。

 もうメンドくさいし。辺りは既に暗くなっているのに加え、到着したばかりで地理もまだよくわかっていない。出費で気持ちは滅入っている。…となると、まぁ今日ぐらいは安易に、私もこの近辺で済ませるか。より回転の良さそうな店を選んで…。

 犬の〇ンなど蹴っ飛ばさないようにも心がけながらキョロキョロと、まずは非常に分かりやすい、バナナのたたき売りの如く人が群がっている白い光へと近付いてみる。人々の、黒くコロコロした頭の隙間から、振り上げられる腕と容器がチラチラ見える。湯気が、上がっている。

「チャイ」を囲む集団だ。

 えらく盛況なんだな。涼しくなってきた時間帯だからか。

 そのまま周辺歩いてみれば、どうやらその近辺、五十メートルと離れない間隔で「だんご」が出来ているようで、どこもほぼおじさん集団である。汗染みや埃付きのヨレヨレしたシャツ、という普段着姿が多く、特にカバンなど持っていないから、遠出してきた一見の客というよりは、多くがフラッと暇つぶしにやってきたそこら辺のご近所さんだろう。…ってまぁ、こちらにとっては全インド人が「ご近所さん」に見えるのだが、グラスを片手にボーっと一服ひとり落ち着く姿もあれば、数人で話し込む姿、そして店の人を含めて親しげにペラペラと喋っている姿には、気心の知れた「いつもの場所」という空気がある。

 あっちこっちと在るチャイ屋の中で、人々が「ココ」とする決め手とは何だろう。

 味か。作り手の人柄だろうか。店の椅子の、座り心地、或いは配置か。それとも気まぐれ。「だんご」の光景に呼ばれて「じゃあワシも…」とフラッと入ってみるのだろうか。……呼ばれたい、私も。ソコに混じってみたい。地元に据わったチャイ屋で、まずは一服、チルティに触れてみたい。

 ――という、新たな場所と接触するのことの意気込みはまぁ、近付くにつれて湧きもするんだけど、まずはこのお疲れ「ガックリ心」を、胃を、柔らかいチャイの味でもって癒してあげたい。優しさが欲しいのである。

 

「――チャイ?」

 店の人……ではなさそうな、お客のひとりがこちらに気付いて「オイこの子、飲みたいんだって」という風に、店へと近付く花道を開けてくれる。通りに尻尾を向けるお客とは逆に、通りに唯一向き合っている担い手――蛇使いならぬ「紅茶使い」は、…ん?修行のヒト…?

 インドといえば、と思い浮かべる、人々の額にある赤いポッチン・「ビンディ」。それはヒンドゥー教における信仰を表し、また既婚女性は必ず付ける習慣的なものであるらしく、ここでそれを目にするのは全く珍しくもない。…けれどもこの、白髪混じりでもじゃもじゃ髭の、山小屋生活が似合いそうなおじさんのそれは、眉毛の上に金色をべっとり、書道的な「一」の文字を書きつけ、そのど真ん中に、親指で印を押したような大きな赤丸を重ねてある。白髪交じりのグレーな髭がバッチリ決まっている風貌を含め、そのディープな額模様には聖なる威厳が漂う――んだけれども正直なんだかソレは「日の丸」にも見えて、顔にアレコレ描き「ニッポン!」と叫ぶ、サッカーのサポーターを思い浮かべてしまう。…ってそれはともかく。

 世俗を捨てた修行者を「サドゥー」と呼ぶが、そんな雰囲気。…って世俗を捨てたら商売はしないか。或いは寺院関係者?――もやっぱりこのような場所で商売はしないだろうが、しかしコンロにかかっている巨大な鍋がまたで金色で、寺院の塔のような、神聖的「ハク」もあるからして。

 …えらく変わった寸胴鍋だ。その上にはろうとを逆さにしたようなフタが被り、その突き出た細い管から天に向かって湯気が踊っている。腹には蛇口がついたフォルムは、ロシア式の湯沸かし器「サモワール」を連想させ、実際に湯を沸かす鍋であるんだろうけれども、このオッサンの出で立ちからソレも宗教上の儀式用品に見えてきて、なんだか「ありがたや」な雰囲気を醸し出しているようだ。失礼を承知で言えば、それも戦略? 日本でお坊さんが朝のキヨスクでサラリーマンに牛乳を渡しているような、見た目にハッとくる意外性に、よけいにワクワクッと興味も湧く。

 とはいえ上半身はフツーの半袖シャツ、下は巻きスカート(=ルンギ。南インドでよく見られる、男性の典型的な民族衣装)という、他の人とそう変わらない出で立ちだ。

 サドゥー・マスターはこちらをチラッと見ると、「ほぅ、一杯飲んでいかんかね」と、喋りはしないが目を見開き、ゆっくり頷いた。なんとなく優しげな印象に、挨拶代わりに喋りたくて、タミル語で「紅茶をください」と言ってみる。

ちゃんと、「『テー』ください。」と堂々、鼻息勇んだ。

 インドのお茶とは「チャイ」と呼ぶもんだ――と私は思い込んでいたが、百を超える言語が存在するインド。その公用語であるヒンドゥー語では確かにそうなるが、ここタミル州の主要言語・タミル語では「紅茶」は「テーニール」であり、たいてい「テー」と言っているのが聞こえる。まぁ「チャイ」と言っても当然、現地の人には分かってもらえるし、気を抜くとうっかりそう呟いてしまうのだが(実際、チェンナイ滞在の項で、さんざん私は「チャイ」と記した。つい書いちゃう。)男性(客)だってこちらに『チャイ?』と問いかけてきた。

 外国人に認知度の高い「チャイ」と言ってあげる方が分かり易いだろう、とかいう余所者への配慮? 「チャイ」でいいのか、と、一瞬肩の力を抜こうとしたが、しかし現地語を喋ろうと努力をしているのを分かってもらいたい――「この世界に入り込みたいんです」という哀れなる下心をモロにさらけ出すのだ。かえって痛々しいというモンかもしれんが意地である。一応、現場では努めて「テー」と言おうと気張っていたのだ。そして出来れば、今ワタシが言っている「テー」とは現地流の「テー」であって、英語の発音で「Tea」を喋っているもりではないのだと、ひと言ただしておきたい気分だ。たとえそれが、モトは英国経由の言葉であるといえども、「英語クサく」はなっていない、その微妙なカンジを醸し出したい。本来英語圏ではない土地で、「英語で押し通そうとしている外国人」とは見られたくないというミエっぱり?な気持ちもあるわけで。(とはいえ現代、地方によって言語の異なるインドでの共通語としては、ヒンドゥー語に加え英語もまたその役割を担っていると言えるが)「チャイ」だと明らかに英語と区別がつくから、そこんところの心配(?)はないが…。

 ――と、「タミル語ができるのかね」。サドゥー・マスターは少々笑んだ。

 お、「上手く」通じたのか、それとも見透かしているのか。どちらにせよ、なんかウレシイ。

  調子に乗って、たぶん怒りはしないハズ…と、その手元に釘付けになるフリをしてカメラを構えるが、こんな大勢の中でコトはコソコソとは運ばない・必ずチクるヤツがいる。「あ、あ。写真撮っているよ」

 サドゥー・マスターはこちらを向いて、フフ…「ええぞよ」と細目で頷きながら、その作業の途中であった「ジャボっ」を、外国人には珍しいと心得ているのか、実に格好よく撮りやすい角度で決めてくれる。あぁスイマセンねぇ…。コソコソ撮ったらたいていブレるからして、あっちから気を遣ってくれるのは非常にありがたいのだが、あまりにオープンというか、構図や状況を好都合にお膳立てされてしまうと撮るのが一気に萎えるのが正直なところ――なんてことはちっとも思ってませんとばかりに、既にカメラ目線の笑顔に対して、こちらも笑顔。……せっかく「仕事に夢中」なカッコええ顔があったんだけどなぁ、と、もじゃもじゃの眉毛にも「金」の染料がちょっと散っているのをじっと見る。……信仰心、厚いんだろうな…。

 そしてまた、次の注文らしい。台の上にカシャカシャッと、五人のガラス製コップが素早く横一列に並んだ。少々スマートな形の、大きくも小さくもないシンプルなグラスだ。雰囲気にのまれているんだろうか、単にコップを並べているだけのはずだが、空間を切るような、「ハリ」のある手の動きに見惚れてしまう。

 演台みたいなステンレスの作業台には、左端奥に、コンロが三口。左から「金色塔」、もとい湯沸かしが載せられ、真ん中には、計量カップみたいな取っ手付きのステンレスカップ、そして右端には取っ手の無い寸胴鍋があり、中には白い、あぶくが少々立ったミルクがなみなみと入っている。「塔」のせいで大きくは見えないのだが、カレー(日本的な)八人分ぐらいは入るだろう。いずれも、弱火が点っているのがチラチラと見える。

 手元には、ステンレスカップがもう二つと、やや小さい鍋があり、白い粉が八分目に詰まっているのが見える。きっと砂糖だ。白い風紋にスプーンが突き刺さり、側面には小さな塊がこびりついている。

 そして隅っこの、駄菓子屋でバラ売り用の飴が入っているような、大きなプラスチックの容器に詰まる黒い粉末状のものは――「茶葉」。

 金色塔の下っ腹の蛇口を捻り、手元のステンレスカップの中にほどほどの湯を出す。溢れ出す湯気の白いモワモワが夜の空気に映え、フツーよりももっと熱そうに見える。

 それを、一列に並べたグラスの上から垂らしつつ、左から右にたあぁぁ…っと走らせ、また右から左に戻る。中に八分目程度入ったようだが、その湯はすぐに捨ててしまった。

 つまりこれは、紅茶が冷めないようにグラスを温めておくための湯。カップの冷たさで淹れた茶が冷めては興ざめだと、「紅茶を淹れる」といって語られる鉄則のひとつだ。とはいえ、これまで見てきた感じだとインドの人って「猫舌」が多く、どちらかというと「消毒」の意味合いかもしれない。それとも、いくら相手が「猫舌」であっても、ここでも一応、それはホストが行うべきマナー、なのだろうか。

 さて、(湯を捨てて)空になったグラスを再び整列させてたところで、コンロ上のステンレスカップを手に取った。高い位置にあると分かりにくいが、コレには茶漉しが引っ掛けてあり、どうりでその柄がピっと水平に突き出している。それを反対の手で持ち上げ、茶漉し部分を少々浮かすようにしながら、中の液体をグラスの中へと傾ける。その中にはもうお茶が出ているのだ――が、「イ?」と目を疑うほどに、えらく「黒い」。中は「紅茶」だと分かってはいるが、紅茶の「紅」の字など充てよう気も起らない、なんて色をした液体だろう。

 だがほんの「ちょこっと」だ。溜まった液体はグラスの高さ四分の一にもならないような量であり、アイスコーヒーに入れる、ペチっと開くガムシロップみたいと言ってもオーバーではない。横に、またその横に、と同様に液体を垂らしてゆくサドゥー・マスターの、「クリッ、クリッ」とカップを傾ける角度が毎度揃っており、躊躇がなくこれまた素早い。そして茶漉しを安定させて(引っ掛けて)、カップはコンロの上に戻しておく。

 スミに置いてあった、今度は「カラ」のステンレスカップを手に取った。小鍋にある白い砂漠に突き刺さっていたスプーンを、抜き取りつつもザバ、ザバ…っと、その中へと勢いよくぶち込む。

「砂糖」……。

 ボーっとなる自分を取り戻し、即、ザボザボと鳴らした音をカウントしてみると、十回。…十杯。

 次はこれまた別のステンレスカップを手に取って、その中に注ぐのはミルクである。鍋の中身をすくいとり、ジャーっと、注ぐその手が高くなってゆく。…オヤ?

再びカップからカップへと、同じ動作をくり返す。一方、紅茶と思しき黒い液体は、グラスに入って待機したたままだ。インドならではの「チャイ落とし」、もとい「テー落とし」景であるが、白い液だけ――砂糖の入った「ミルクだけ」をジャージャーとさせるのか。ここは。

 それもとびっきり、自分が持ち上げられる一番高い位置から、もう一方の腕は腰…どころではなくてもっと下の、持ち上げた腕とやや一直線になる低さまで下げている。液体が落下するその距離が、長い。だが、別に難なく一本の線を宙に描き、それをくり返す動作がまた素早いのである。

 スゴイ。ミルクが「踊っている」。ジャーっというか「…ジャっ!」と、潔い、キレのいい音だ。まるで液体自体に確固とした意志でもあるかのように、力強い。

 ――ン? 線となったミルクがカップの中へとその尻尾をしまいむ、その数回目あたりで、鼻にフワンと触れてきた。ミルクの匂いだ。こちらから嗅いで分かる、というのではなく、能動的自発的にミルク自身が放つ、まるで立ち上がっているような、香り…。

 と、それが合図だったかのように、並べてあるグラスの上へともってきた。

 そして、手首をほんの少し左右に振りつつも零れないよう、カップの中身を垂らしてゆき、ミルクはゆらゆら…と波打ちながら、グラスの縁まで満たされてゆく。右から左へ一列、どれにも同じように、ゆらゆら…。波打たせたら、先住の「真っ黒液」と混ざり易くなるのだろうか。底でジッと佇んでいた黒は、その倍以上の白が入ってきたことですぐさま褐色になったが、さらにゆらゆらするうちに、ぼやけたオレンジ色へと変化してゆく。

 そのグラデーションを目にしている時間はそれほど長くはないはずだが、左から右へとグラス間には時間差があるから、混ざりゆくその経過をじっくりと観察しているような気になる。やがて色が馴染みきってしまっても、グラスの上に浮かぶ、モリモリの泡だけはくっきりと「白」だ。カプチーノ……いや、やっぱり「ビールの泡」だ。

 出来上がりだ、と思う間もなく、マスターは再びステンレスカップを手に取る。コンロにかかっているやつ・つまり真っ黒紅茶の、である。

 必要なのはそれに引っかかっている、金魚網のような茶漉しだ。下のカップで受けながらグラスの上へと素早くもってきて、垂れ下がる袋部分の先から「の」の字を描くように、チョッチョッと、ほんの少しだけ液を滴らせていった。

 白い泡の上に落ちれば、黒紅茶は改心したように赤橙色だ。どの泡にも、垂れた軌跡が映えている。…これは「飾り」か。ガトーショコラやシュークリームにうっすら降りかかる粉砂糖、…のようなつもりで?

 ほんの数秒の、ちょっとした行為に過ぎずとも侮れないものだ。僅かながらも「お化粧」されると、それだけで配慮とかいうものを感じて、ちょっと嬉しくなる。気分浮き立ってくる。滴り具合によって、マーブルだったり、点々模様だったりとグラスごとに異なり、白に滲む柔らかい色合いがメルヘンチックでカワイイ…。

 こんな埃舞う、雑踏の只中で洒落た演出だ――いやだからこそ、余計に際立つのかもしれない。

 ほぉ…、と見惚れている場合ではない。五つのうちの一つを持ったマスターの手が、「これがアンタのね」と、こちらに伸びてきた。差し出されたグラスに、アイドルを前にするような、ナゼだかキラキラした気持ちが湧いてくる。…「アイドル」は、テーか?それともマスター…?

 口に含む。上部のモリモリ泡をすり抜け、やってきた「テー」とはトロけるほどに優しい。「ホッ」と、声に出して強調したくなるような、なんともジャストイット・丁度の甘さだ。…って、グラス五杯分で砂糖スプーン十杯だから、一杯につき二杯――しかもそのスプーンはカレー用の大きさであり、かつ零れる寸前の山盛り。ティースプーンで言えば四杯、いや五杯分はあるとみておいた方がいい。「みておいた方がいい」っていったって、後日真似してみよう勇気など出ないだろうが。

 チビチビ、時間を稼ぐようにテーを舐めながら、休む間もなく次の注文にカチャカチャと、グラスが整列し始めるのを眺めている。

いったい、「途切れる時」ってあるのだろうか。額に滲む汗。集中しないととても捌けまい、鳴り止まないテーの注文に、頼りにされることの喜びを感じたりもするのだろうか。一日に、いったいどれだけの数を――なんて愚問だろう。

マスターのひとり舞台だ。ついつい魅入ってしまう無駄のない機敏な動きは、明らかにその道のプロだからこその軌道にある。「たかが紅茶」などと誰に言えようか。…ってべつに誰も言ってなくて、私の中にこそ「紅茶なんて誰にでも淹れられるもの」なんて思いが正直あったんだけど、ここの仕事っぷりは殊に、「誰にでも」出来るもんじゃ無かろうよ。

熟練のパン職人が、毎度毎度秤を使わずともいつも同じ量のアンコを包むように、ミルクの落下音、手に伝わる重さで、たとえ目を瞑っていても「何人分の量」であるときっと把握できているに違いない。そう思えるほどの、完璧な「職人芸」なのだ…。

 

 ――みんな、好きねェ……。

…ムフッと、笑みがムカデのように這い上がってくる。疲れというものを大股でまたぎ越し、何故だかガッツも湧いてくるようだ。

大丈夫、やっていけそう――とはいえやっぱり、宿の出費は心のスミで影を落としてはいるのだが、チィルティの、ハマれそうな「行き場」をゲットしたことに、まずは第一歩、「達成」。 

 さて、飯だ。「当たり」がもう出たから、次はハズレでもまぁ、よしとしよう。

(訪問時2010年)

 

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カラバフのケーキ屋さん⑧ ~幸せのゲンコツ豚・おうちバージョン 

目次

 

アリーナさん宅にて

 我が宿は「外国人バックパッカー御用達」ではあれど、地元人(アルメニア人)の家族連れも珍しくないようで、幼い子供を連れた二世帯合同家族旅行、とかいうグループに、私は滞在中、三組遭遇した。

 自炊可能なこの宿で、判を押したように彼らがやっていたのが「ホロバツ」である。毎夜、炭火を熾し(バーベキュー用の炭火台は宿で貸してくれるらしい)、やはり漫画的な肉塊をボコボコと突き刺した「フェンシングの剣」を載せ、モクモクと煙を吹かせるのである。それを察知したならば、心地よい風に吹かれながらの昼寝中でも、急いで窓を閉めねばならん。吊るしてある洗濯物が他人の食う焼肉臭に染まるのは、ちょっと避けたい事態である。

 屋外でバーベキュー、といえばイベントの筆頭。そう常日頃からやるもんじゃない、という意識がある。たいていの世界、「家庭料理」には煮込みの部類が多く、ここでもその感覚はそう違わないだろう。……という気はしていたが、あの厳つい、剣のような串ってばどこの家も備えているもんなのか。あんな凶器的なヤツは店にしかない特別な道具に思えるが、みんな、使い古して変色したようなのを当たり前のように持参してきて、ワイワイやっているのである。「アルメニア料理」と題されるだけあって、普段から何かとホロバツ?「今日は給料日だし、すき焼きにするか。」的なカンジか?

 ということで、アリーナさんちで「およばれ」される時も、メニューは五年前と同様「ホロバツ」であった。

 肉屋で肉を買う時は、「塊で」が普通――か。魚屋で魚を一匹買うというとき、店のヒトに二枚や三枚におろして貰うのは手間が省けていいかもしれないが、「鮮度が落ちる」懸念から敢えて自分でさばく、というのと似た意識があるのだろうか。イスにひとり、一家の主人・サメルさんが腰を掛け、数個ある「塊」のうちの一つを、大きな包丁でキコキコと切り開いている。

 玄関傍の軒下にある、ベッド一台分はあるテーブルと数個のイスは、この日の為に奥から出したというわけではなく、「屋外でお茶でも/食事でも/お酒でも」の為に常時据え置かれているのだろう。その「足」が、もはや地面と一体化して久しい、というように、土の染みを刻み付けている。

 ビニール製の、白い花柄テーブルクロス。その上にまず載るのは、濃淡ある木目のまな板と肉塊、草花模様がラフに描きつけられた、ずん胴の容器――には白いものが見えるが、おそらく塩だ。もう一つ、シュガーポットのような花模様の陶器に入るのは、褐色の粉末――唐辛子粉か。そしてそして、切り分けられた肉が搭載されたステンレス製のバット。これから保存食でも作るのかというほどに、盛り上がっている。

豚肉だ。ムニムニと柔らかそうなピンクの赤身、そして縁はもちろん、中ほどにも結構しっかりブッとい脂の層が入り込んでいる。あばら骨近い、いわゆるバラ肉のようにも見えるが、肩ロースのような気もする。骨は付いていないらしく、店で見るように斧でぶった切る、という必要はなさそうだが材料の下準備、そして「焼き」に至っても、ホロバツというものは一家の男性・たいてい「お父さん」がやるもんだろうか、五年前もそうだったし、投宿していた家族たちも、串の準備に頭を付き合わせているのはたいてい男性陣だった。英国では、ローストビーフを切り分け、家族に分配するのは父親の役目であり、ご馳走である「肉の塊」を家族に分配することで「主はオレ」と、その権威を誇示していると本で読んだことある。…ってまぁイマドキ、お父さんの権威誇示なんて、DVと紙一重、愛想尽かされるのがオチというご時世であるが、ボーっと突っ立って横で見ているより、炎と戦うならば「アンタじゃない?」と振りたくなる先とはまぁ多くの場合、成人男性とはなるだろう。

「アウトドアは俺に任せろ」と、普段失墜している権威回復の為か、日本でだってワイルドさをアピールするが如しに「焼き」役にはまるお父さんは少なくなく、そういうウチも例外じゃないけれども、でも「焼く」だけだよね。肉の処理・味付けなどの下準備は「お母さん」あってこそ。「最初から(最後まで)やってよね…」とグチがまたひとつ、どこかでボソッと零れて……

 ――とは違うサメルさんである。肉の大きさの塩梅を見ながら、ちゃんと厚さが揃うように、脂身がこう入り込むように…とか、焼けるのをイメージしながら一つ一つを考えて切っているようで、「…マメ!」の一言。「爪を煎じて…」というもんであり、感心感心。

 …やはり「ひと切れ」が、デカイな。それは店に限らない、アルメニア人の常識か。

 手をグーにした大きさが最小、なかにはその1.5倍あるごっついもの等、全部バットへと盛り上げたならば、まな板の隅っこに、塩らしきものを容器からスプーン一杯分置き、その上に、もう一方の器から唐辛子粉と思われる粉末をピッと足した。それを指で混ぜて摘まみ、バットの上から全体に振りかけて、肉に手で擦り付ける。揉み込む。

 ちなみに菓子工房でみんなが摂る昼食の用意も、サメルさんがやっていた。カセットコンロを出し、ある日は卵をトマトと炒めたり、イモを茹でたり。「もうすぐ茹で上がるからね」と腰に手を当てて言うアリーナさんの横で、鍋の中で躍る皮付きイモを突くなどしているサメルさんを見ていると、…なんか、いいねぇ。いい旦那さんだねぇ。ゾッコン惚れ込んで結婚した嫁さんなんだろうな、というのが伺えるようであり、二十周年を経ても、そしてこれからも、それはきっと、ずっと続く…。

 少々つるンとしてきたらしい頭と、デンとしたお腹を抱え持った貫禄の姿に、初めて会った時は正直ちょっとビビッたんだけど、仕事場で指示を出し、取り仕切っているのはアリーナさん。ケーキ屋はあくまで嫁さんが主役であり、この人は後ろに待機して、物事がうまく進むようチョコマカと動きまわっているサポーターだ。お昼ご飯も、「じゃあボク、やろうか」となるのはそう珍しくないのだろう。いい夫婦、いいコンビであるなぁと、見ていていつも思う。

 肉に調味が終わったら、片手に「剣」を持ち、もう片方の手で掴んだ肉を、丁寧に貫通させてゆく。これまたムチムチ肉付きのいい、ガッチリとした手指と腕で扱われている豚肉とは、輪をかけて旨そうに見える。噛み付き甲斐のありそうな弾力と、溢れてくる肉汁脂汁がリアルに想起されてくる…。

 ひと串につき四切れの肉がゴツゴツと刺さり、それが四本。いや五本か。ひとり一切れプラスアルファで、十二、三人で食べたっていいんじゃないか。

 さらにサメルさんが屋内から持ってきた、大皿にある「山盛り」は、ジャガイモ。四つぐらいに切ってカレーに入れたらよさそうな、大きくも小さくもない楕円形のメークインがゴロンゴロンしている。――皮が、普通色と、「紫色」。紫イモ――は日本でもたまに見るが(鹿児島とか沖縄物産展とかで)、あれはサツマイモ。こちらはジャガイモだ。

「このイモは、カラバフにしかないんだ。ここ以外どこにもない。イェレバンにも無いんだよ。」

 五年前にも聞いた言である。

 皮付きのまま、紫と茶が交互になるよう突き刺す。……んだけど、予めこの為に少々切りおいていた、キャラメル一つ分の「豚の脂身」をイモとイモの間にサンドしながらだ。

 やはりそうするモンか――と、ホロバツ屋に並ぶ串を思い浮かべる。

無くても「まぁいっか」で済むもんではなく、「あ、足りない」となったなら、ゲンコツ肉の端っこからちょいと削ぎ取って間に合わせる。まだ焼いてもいないうちから、やっぱり唇が脂ぎってくる……。

 ひと串に九個のイモが刺さって、二本。

 そうしてもう一種類は、トマト。お尻みたいにプリプリ、はちきれんばかりの艶々トマトは、ホロバツ屋でも定番であるように、けん玉のように串に刺して「焼く」モンである。店で売っているのと遜色ない、でんぶり真っ赤な玉が六つ。へたの部分を側面にして、中心を通るよう注意深く貫通させる。

 テーブルから少し離れた、敷地内ともご近所との共有部分とも判別できない砂利スペースの端っこに、日本でもイベントで出すようなバーベキューコンロを置き、いつのまに熾したのか・右側半分に入っている大きな炭からは既に炎が高く昇っていた。左側半分には、いつぞやの残りがそのまま残っているような細かい炭が、その隙間にチラチラと赤い熱を抱えている。

 まずはイモだろう。…と思ったらトマトも置いた。

暴れる炎をトングで端によせ、串が熾火の上にくるよう縁にかける。予め茹でたりレンジしたりすることなく、イモを生から焼くとかなり時間がかかるだろうとは想像つくが、トマトはスグだろうに。

 特にトマト好きでもないが、旅が長くなってくると「野菜を採らねば」という気になり、つい食い易いトマト(やキュウリ)を買うのだが、こちらで八百屋に並んでいるトマトとは、小さかったり熟れ過ぎで安売りされているものもまぁ見るけれども、たいていはあっちでもこっちでも、真っ赤っかに腫れた「パっツンパツンなお尻」のヤツが珍しくない。いつものスーパーで見る、熟れる前に無理矢理もぎ取られましたと白状するような、青臭い、食欲の針の微動だにしないようなものを目にすることは殆どなかった。肥えた新鮮な魚はまずは刺身で食いたいように(薀蓄家によれば、新鮮だからこそ「塩焼き」で味わうべし、らしいが)、こういう立派なヤツはまずナマでその味を確かめたくなるけれども、ここではきっと、そんなの当たり前過ぎて興味が湧く余地も無いのかも。

 サメルさんは、作業をそこそこに終えたテーブルを片付けつつ火の具合を見て…とやるそのさなか、なにやら透明緑色の瓶を家の中から持ってきた。調味料だろうか。…いや、

 ……酒? 

 フランベするように振りかけて、風味付け――とちょっと思ってもみたが、案の定グラスを片手に持ち上げて、「飲む」。……やっぱり。

 肉を焼き、分配することを「一家の主」としての権威とみるよりも、焼けてゆく食材の煙に空腹を掻き立てられながら、酒を煽るこの時間とは、単純に気持ちがいいに違いない。「呑んでもいいから、焼け具合をちゃんとみていなさい。」――与えられたアメを傍らに、ワクワクとご馳走を仕上げることの喜びに、浸る…。

  

 トマトってば、焼けばそりゃあピーマンやナス同様、黒く「焦げる」もんなのだなぁ。片面が、墨で塗りたくられたように真っ黒く成り果てている。「あーあ…」――ではなく、ソレこそが待ち望んでいた姿。ひっくり返して、反対側も同じく黒くなるまで焙ったならば火からおろし、串を抜いてその黒玉をボトボトと深い丼皿へ落とすと、グラスを一度グイっとあおってからソレを抱え、玄関の奥へとすっ飛んでいった。ジャ、私もあとへと続こうか、と思っているとスグに戻ってきて、「イモはどうよ?」とその面倒をみる。

 そうして、トマトが置かれてあったスペースに、いよいよ今日の真打ち・「肉串」が置かれる。炎は既に落ち着いて、灰と炭にはざまで赤く瞬いているその上に五本全てをかざすと、煙がシュウゥゥゥっと、肉から、いや炭の奥から勢いよく立ち昇る。深い眠りについていたドラゴンがまさに呼び覚まされた如くであり、「焼いてやろう」こちらの気概もソレに載って燃えてくる。

 この厚み、この大きさ。大口あけてかぶりつく姿に涎が垂れ、喉が鳴る――。が、それにしても、一体「何キロだろう…」。

 この夫婦には、二人の息子さん(十八と二十)がいる。そしてご近所の友人であり妊婦のマリアさんが、アリーナさんと台所に立っていた。……いくら若者男子が二人いるとはいっても、明かにそれ以上の肉の量であり、イモだろう。

 ――と、

「あぁ、来た来た。」

 手を上げたのは、サメルさん。お父さんとお母さんと、真ん中に娘――という、「家族」に違いない三人のシルエットが、この家へと繋がる小さな坂道を登ってくる。「お父さん」の背の高い男性が、サメルさんに向かって同じように手を上げる。……だよなぁ、と納得。

「こんにちは、はじめまして」の挨拶を済ませたら、おじさんはおじさん同士がよさそうだ。酌み交わすことで友情確認ということで、肉が焼ける前から二人が「できあがり」そうな予感を抱きつつ、女性陣はアリーナさん達のいる屋内へと向かう。娘さん――長い髪の先がくるくるとカールした漫画的な「美少女」は、息子さんどっちかの想いビトにならん筈はない、……なんて下世話なことを考えもしながら。

 

 台所の広さは四畳ほど。流しの横には、塩をはじめ調味料の瓶が端っかわに整然と並び、青に統一された引き出しや戸棚も、ツルっとして光沢がある。はめ込んであるガラスも光っているし、調理台はもっと深い藍色の、大理石模様。シックだ。確かに五年前も目にしたはずだが、リフォームした?とばかりにピカピカである。「料理あんまりしないでしょ」と勘繰りたくなるけれども、何を言うか。既に用意されている皿にある品々の、カラフルな色の取り合わせとは、「やる人」だからこそのセンスだろう。

 まず目がとまったのは楕円の皿、鮮やかな黄色のフワフワが載っているやつだ。チーズである。顔を近づける私に、チーズ下ろし機を持ってまだ擦り続けているアリーナさんは「美味しそうでしょう?」とばかりにニヤリとする。チェダーかゴーダか、スーパーで見たことのあるヤツに似た硬質チーズを、薄氷のようなスライス玉ねぎに載る、肉ソボロらしい茶色いツブの上からたっぷりと。「サラダ」らしいが、殆どソレしか見えないほどに覆いつくしてしまい、その中心部に四枚の葉をつけたミントを一枝のせる。緑に、黄色が鮮やかに映え、黄色に緑の深さが印象付けられる。贅沢だな――さすが由緒あるチーズ文化圏だ。半額だったと喜々と手に入れた、普段は滅多に買わない外国産チーズを、「何グラム…」と秤で量りつつ惜しみつつ消費する、などというようなケチ臭さはない。

「日本じゃあ、こんなチーズはとても高くって使えないよ」と、羨望を込めて愚痴ったのだが、「そう。ここでもすごく高いのよ」と返されてしまった。

 …アラ?ここは、チーズ文化圏では。

 ――と、思い返してみれば、市場で目にしていたチーズとは、石鹸、いや豆腐を思わせるような「白いチーズ」が殆どだった。黄色くてかっちりと固く、すりおろして食べるようなチーズは覚えが無い。つまりひと言「チーズ」といっても、伝統的・一般的な手法ものとは異なるタイプならばそれは輸入モンであり希少、高かろう。私たちが(っていうか私が)秤を睨んで使わねばならない感覚とたいして違わないのである。

 …ということはつまり、「奮発してご馳走しまくってくれている」のがビシバシと伝わってくるというものであり、「イイエ、せっかくこの地にやって来ているのに、輸入物よりも、できれば地産地消がいいです。ここチーズの方が食べたいです」なんてことは、口が裂けても言えず、ホぅ…と、頷いておくことにする。

 その隣の皿には、これまた「色」がモノを言うような野菜――ほうれん草のようだが、あの根元の赤紫を全身に行き渡らせたような茎と葉っぱが、卵と絡まった炒め物。これはもしかすると、「ビーツ」という、ボルシチのあの赤色の正体かもしれない(アカザ科の根菜で、テーブルビートというらしい。「Wikipedia」より)。

そのまた傍らには、赤い汁を湛えた丼――って、トマトか、さっきの。トマトが自身の赤い汁に、その輪郭を溶かし込んでいるのだ。

 こうなったか。

「真っ黒」の面影は全くない…ことはなく、ちょっと灰が振った?という程度にはポツポツとしているが、焦げた皮は、おそらくアチアチと頑張って剥ぎ取られたのだろう。「皮」という拠り所を失った中身はぐちゅぐちゅに崩れ、まるで汁物になっている。りんごでいえば、真ん中の「蜜」の部分だけを寄せ集めたような、トマトの「熟」たる究極の姿にも思えてきて、――甘そうだ。スゴイ、スゴイ。

「久しぶりね、調子はどうよ?」と、奥様方の世間話が始まる中で、さて外はどうなっているかと靴を履いてみると(屋内では靴を脱いでスリッパを履く)、肉の焼ける、体の疼いてくるような匂いが既にあった。近所一帯、「誰かやってんな」と丸分かりだ。

 ちょうど今、串一本がオッケーらしく、サメルさんはテーブルまで持ってきて、「ホラね、」とこちらに突き出すよう見せてくれる。

 褐色。特に脂身の部分が濃い焦げ茶色であり、ブチブチと表面を吹く泡に、釘付けとなる。

 それを、いつのまにかテーブルの上に用意していた、バケツのような寸胴鍋の中へ。串の先をその中に傾け、肉にナイフを当て、スススとひと切れずつ落としてゆく。…まだおあずけ、である。

「イモはもういいんじゃないの?」と声を掛けるもう一人のお父さんは、焼き網の前に立ち、舞い上がる煙をよけるように頭を動かしながら、残った串を突っついている。現在はでっ腹気味のようだが、鼻筋通った垂れ目の甘いマスクで、おそらく若い頃はモテただろうことが娘の美貌からも伺える。裏返してチラと見ては、「まだ」と炭火の上に戻すなどの素早い判断は、やっぱり「おうちでもやってますな」であり、未知の液体が入ったビーカーを前に実験に挑むような「おそるおそる」の感がない。ふたりのシェフによる、本領発揮の共同作業であり、チビチビ・ぐでんぐでんにぶっ潰れていると思ったら大間違いなのだった。

 奥さん同士の盛り上がりに入り込めない息子君もいつのまにか外に出て、お父さんを真似て頭を垂れている。だからって早く焼き上がるわけでも手伝っていることにもならないけれど、焚火を前にすると、ナゼだろう、ただそれを見つめる・それだけで何か満たされるモンである。

 焼き上がった肉が全部鍋の中に収まったら、その上から小タマネギを、サメルさんは器用にスライスしながらふりかけた。…へぇ、「薬味」か。脂の乗った肉を、タマネギの辛味とクセで中和しながら食べるのか。

 じゃあもうスグ、「いただきます」でしょう――というと、さぁじゃあそろそろお皿を用意してコップを出して、フォークは何本いるかしら…と、「これから」であって、エ、もう一呼吸要るんですか。「アツアツ欲」はみんなそれほどでもないらしく、わりと冷静であるのがちょっと不思議でもある。

 

 さて。

 屋外テーブルの上にドーンと主役を張るのは、二皿に分けて盛り上げられた、褐色の肉。上にパセリのように、チラチラと降りかかる白いタマネギが妖艶だ。そして「肉なだれ」をせき止めるかの如く、石ころのようなイモがゴロゴロと、皿の縁をぐるっと囲っている。

 こちらの前に配られた花柄の取り皿に、ステーキにも等しい厚切り肉を一つ、有無を言わさず載せてくれるのは、隣に座るサメルさん。そして、イモ。ツヤは豚脂に因るのだろう、皮にシワが寄り、ヒョウ柄の焦げ目がいかにも旨そうだ。

 そうしてその背後に、グチャッとトマト汁を載せる。丼にどーんと入った「トマトスープ」をどう扱うか――というと、肉に纏う「ソース」として使うのである。或いはただそれのみをパンに浸して食べてもいいのだと、「これね」と千切り置かれた薄焼きパン「ラバシュ」に目をやった。テーブル上のところどころに配置されているパンは「ラバシュ」のほかに二種ある。ふっくらした、平型楕円形パンと、カラバフ独特の薄焼きパン・香草のみじん切りが混ざる「シンガリョー・ハッツ」だ。

どちらかというと「ラバシュ」をまず、とばかりにこちらに配られてあるのは、柔軟性のある「薄い」パンに、クルクルと肉や野菜を包んで食うという「ホロバツといえばの定番」で是非味わって欲しい、という気遣いだろうと自意識過剰になってみる。

 そして、「チーズかけサラダ」と、「赤野菜と卵炒め」の皿のほか、「ホラ、こっちに来てみ」と、肉を焼いている間に案内された家庭菜園からの「キュウリ盛り」。「ホラ、こっちに来てみ」と、肉を焼いている間に案内された家庭菜園からの「キュウリ盛り」。手のひら大の、短くもずんぐり青々したキュウリを舟形に(長細く四つ割り)切り、盛ってある。

他にはその同じキュウリを、トマト(これは生)とサイコロに切り、タマネギの薄切り、そしてハーブと和えたカラフルなフレッシュ野菜サラダの皿。そして、茹ですぎホウレン草のようにクタっとした褪せた野菜皿は、漬物の類だろうか。

 それにしても、これまた以前と同じことを思っているなぁとつくづく思うんだけれども、彼らと私との「違い」――私にとって、焼肉にしろステーキにしろ、肉とは「焼けたはしから食べてゆくモン」であり、時を逃してはならじと一分一秒にこだわる。舌を焼き、「アチアチっ」との声を漏らしてこそ「成功」であり、たとえ食べ難いといえども串刺しになった肉の、串をはずす間も惜しむ。「とっとと齧りつくべし」――本能的ともいえる豪快な食いっぷりであることがまた、こういうモンの醍醐味だ。

と、思っているんだけれども…。

 以前も今も、ここでは肉が焼けたからってそれが即スタートとならず、焼けてから皿や飲み物等々セッティングして、ゆっくり「いただきます」。

 …冷めちゃうじゃないか。

 アツアツ信望者としては、正直「それでいいのか」という声が喉まで出かかる。分厚い肉を豪勢に使っていながら、それをお上品にお皿に移してしまっては、冷めるし豪快な勢いも全く削がれてしまう。

 だがそもそも、「串に刺す」のは肉を炎に晒す必然性からであり、「齧り付く」パフォーマンスの為ではない。「どうせ(串から)はずすでしょ」と串を抜き取り、「熱すぎると食べにくいでしょ」と、粗熱が取れるその間に、他のものを準備する。「肉を食う」ことに興奮するほど、肉に飢えてなどいない――かどうかは知らないけれども、「冷静沈着」とも言うべき姿に映る。

 ホロバツは確かにメインではあることは間違いないが、それさえあればオッケー、というよりも「ワン オブ ゼム」――その他諸々の皿を周囲で埋めた中にある肉とは、せっかく「外で焼く」なんてメンドくさいことをした割には、あれこれのうちの一品であるという、おとなしい印象に収まってしまうのだ。……ってまぁ、お客さんがいるから、と、頑張ってアレコレ用意してくれているというのもあるんだろうけれど。

 さぁ席に着いた着いた、――と「いよいよ」だ。

 飲み物は、ウォッカに、ビール、アプリコットジュースに炭酸水のボトルが、ケーキに刺さるキャンドルのように、テーブルの上、所々のスペースに立っている。

 アプリコットジュースって旨いんだよなぁ、と思ってワクっとしたが、「ウォッカは飲めません」と答えて「じゃあ」と、こちらは問うことなく注がれたのは「ビール」である。…ビールはアルコールに入らない、ということだろう。アプリコットジュースは、もっぱら青少年たち用である。勿論おやっさん二人は、ウォッカだ。

「乾杯!」

 私たちの出会いに、みなさんの健康に――という前置きをして。

 

 何はともあれ、「肉」だ。

まずは、なるべくトマトのかからない部分の、その肉々しさを味わいたい。一番大きいのではないかと思われる、そのとっておきを……

 ――溜息が漏れ出た。

 結構しっかりと焼いていたにもかかわらず、パサパサなどと感じることはないのは、簡単にはジュースを逃さないその分厚さのせいか。それともやはり、「ナマ」から焼くせいだろうか。ウチで、豚・それもアバラ肉を料理するという時、カロリー(脂)を気にするが故に一度まず茹でて、その後に焼くなり煮込むなりを始めるのだが、それじゃダメなのではないか。これと比べれば「火が通った」事実は同じでも、明らかに、ほとばしる肉汁の勢いが違う。「食え!」という、生々しい訴えがある。

 そして何といっても、はねっ返りのいいゼラチン質だかのブルンプルンと、そこに漲る脂の旨味が、「肉を食う」という実感を脳天にどーんと落っことしてくれる。塩加減も、ぴったりなのが凄い。食卓用の塩瓶が置いてあるが必要ない。スライスしたタマネギを降りかけた効果というのがイマイチよく分からないが、きっと縁の下の力持ちとして、イロイロとふんばっているのだろう。

 アリーナさんも隣の奥さんも、手で肉を掴んで齧りついているから、こちらも安心して食いつく、食いつく。「ナイフでキコキコしながら食べる」のがアタリマエでなくて、よかった――と思えど、その方が食べるのに手間取る分、満腹中枢を刺激する時間を稼げてよかったのかもしれない。…だって食べれば食べるほどに、食欲が元気付いてくるのはどうしたことか。一つで十分、などと見なしていた自分は何処かに露と消えており、二つ三つは余裕で食べる自信がある。

 それを、トマト汁と一緒に食うと、どうなるか――と、「肉を食う」という重々しい事実が、ちょっと軽やかになるカンジ。

脂分を洗い流すとか、中和させるとかいう、茶のカテキン成分のような役割を期待してしまうぐらいに、サッパリする。加わっているのは塩だけらしいが、「ホントにただの塩?」と疑ってしまうほど濃い味があり、トマト汁・ただそれだけでもパンを進めるのに十分。

 一方のイモは予想通りの、そりゃウマイだろう、という味であり、正直「紫」だからといって「普通」との違いがわからない。おそらくは、イモ・ただそれのみにスポットを当てれば、云々したくなるほどの差や感動があるのかもしれないが、いま現在スポットライトの輪の中心にはどうしても「肉」が固定されており、そちらの印象がドーンと強すぎて小さな声を聴いてあげられないことに、スマン、許して欲しい。

 そしてアリーナさん達が用意してくれた、豪勢な「高級オランダ産チーズ」を使ったサラダは――…とはいえ「サラダ」という軽やかな響きよりは、立派なたんぱく質としての「オカズ」皿だ。野菜のタマネギは薬味程度でしかなく、肉そぼろの厚い層がチーズと主役を二分しており、しかもチーズ層の下に絞られているマヨネーズが、更にコクとカロリーを何倍かに引き上げている。肉を食べたあと、「サラダも食べてよ」と皿を回されて、ちっとも口がすっきりしないどころか、更にパンが進んでしまってもう雪だるまだ。

 歩き疲れて手すりに手を伸ばすよう、掴むのが――ビール。堰を切ったようにスルスルッ飲み下してしまうことに、目が点になる。

 ヤバいなぁ…

というのも私、これまでその旨さを寸分も理解せず、「苦いのを、なにを好き好んで…」という、飲まない人間にありがちな感想しか持たなかったのであるが、

 ――好きかもしれない。

自分の中に、「実はビール、凄く好物なんだよね」という気配を感じる。巷で耳にする「喉で味わう」という、いままで理解不能だった感覚が、ようやく私にも「きた」のか。

 ……いかん。ダイエットという一生続く大海、その浜近くで今までワタワタどうにか泳げていたのに、大食漢で「甘いもの大好き」に加えて「脂っこいもの+ビールが最高」などと普通に言うようになったら――好物にはとことんはまってしまう私のことだ。沖へ飛ばされ深海へ沈められるようなもの。かといって深海に生きると開き直ることなど出来ず、「体重」という怨念から解脱できないならば、果てしない苦行が…… ヤだなぁ…。

 コレは「麦茶の炭酸だ」と、「自覚」から遠ざけようと脳にマインドコントロールを試みるものの、何度目かの乾杯、その度にゴクゴクいってしまうのはいったいどこのスイッチを切ったらいいのだろう。ビールってそういうモンなのか、肉を噛み切る力さえ漲ってくるようだ。

 そう、「乾杯」は食事前に一度きりとは限らないものらしい――ということは、ウォッカ通じゃ全然ない無知な私も、ウォッカ圏を旅していれば分かってくる。既にモノを口にし始めて暫く、エ、また?と、号令がかかってくる。「家族が無事であることに感謝」とか「出会いに感謝」とか、何事かのスバラシイことに対する前置きの言葉も、その都度だ。

 タイミングとしては、会話がひととおりしたらやってみる、という感じであって特に深い考えはなく、この場ではホストであるサメルさんが頭取なのは言うまでもないが、時にお友達パパも交代して、たぶん「変わらぬ友情を祝して」とかなんとかを唱えては何度目かのカチン、をする。とはいえ、とかく繰り返される乾杯に、遠くの席に座る子供たちは次第に耳に入っていないが如くに無視しており、いつのまにかアリーナさんたち奥さん方もいち抜けており、毎度毎度の「乾杯」に、みんなが合わせる必要はないということが分かってくるのだけれども、私はサメルさんの隣であるからして必然的にというべきか。…一緒になっての「乾杯」であり、こちらのビール杯も、なぜか知らないが釣られて進んでしまうのだ。釣られて。

 カロリーの心配なしに「サッパリ」したいならば、「葉っぱ」がいい。

 所在なげに放られたような、テーブルの中心に寝かされている小さな緑を、時々、サメルさんはその茎からプツンととって、葉を折り曲げるよう口に入れている。

 ソレはもしかして…と、真似をしてみると、あぁやっぱり。

スゥ…っと爽やかな風味に、バジルだと確信した。サメルさんは「これはお腹にイイ」といいたげに、その出っ腹を撫でてみせる。

口に居ついた肉の残像がイイ具合に口の中から剥がされ、連れ去られ、後に吹き抜けるのは一筋の清々しい空気。快感…。紫蘇がそうであるように、毒消しのような効能を期待するのかもしれない。

そうして帳消しになった口に、また肉が入ってきてラウンド2。

 ……マジックだ。

 ――でも現実は、「帳消し」どころじゃない。脂肪とカロリーは確実に蓄積してゆくことだろう…。

 

美味しさ繋がり

 

 食後にデザート、というのは、やはりあって然るべきか。どんなに腹がはちきれそう、これ以上食うのは苦痛でしかなかろうと。

 ――とは、あくまで「私は」であり、ヒトの分まではみ出して食っていたせいだろうよ。「もう食えない」その分が、さっきまで遠慮していたに違いない方々の腹を満たすならば、それでいいじゃない。私が食わずとも誰かが食べる。ここでみんなの胃の容量は、平等に満たされる。「然るべき」なのである。

 まぁしかし、ひと口ぐらいはじゃあ…と、ひと口大にカットされている「スイカ盛り」からひとつ、フォークの刃にブスっと突き刺し食べてみる。…と、気持ちイイ。心地イイ。口の中に貼り付いていた豚の脂やトマトソースとか、チーズサラダとかの残像が、クシャクシャと寄せ集まり丸まって、すぅ…とその胸の奥に流れてゆく。「胃薬」か、スイカって。食べるのだからカロリーは増えてゆくに違いないのだが、まるで体内を掃除してくれているかのような錯覚に覆われる。…快感。じゃあもうひとつだけ、と、ひとり突出しないように気を付けたいものだが、ひと口で終わるはずだったデザートが、旨い、終わらない。サメルさんと友達おじさんはたいしてスイカには興味が無いようで、もっぱらウォッカに心奪われているから、胃にある内容物を各自メスシリンダーに移したら私ってばやっぱりトップか。

 スイカは胃薬。だが、デザートとして特筆すべきはその隣の、やはり「アンズ盛り」だろう。薄いオレンジ色のぽってり玉に、濃いワイン色がほんのり、ほっぺたみたいに灯っている。…カワイイ。と、サメルさんが、

「アンズは、アルメニアが美味しいんだよ。イェレバンのものが世界で一番」。

 …オ、また言ったね。

 というのも、前回・五年前の「ホロバツ」後も、アンズをどうぞ、という流れだったのであり、私はコレが好物なだけによく覚えているのだ。

そのときは「誰でもウチのが一番」と言う、アルメニア人としてのアルメニア賛美・手前味噌的な言葉だろうと思ったのだが、これがそうでもないのである。

「アンズ」。形も大きさも梅のような(同種)この果物を、私が「ナマ」で初めて口にしたのは二十代半ばも過ぎた頃であり、場所はトルコである。食べた瞬間、自分にとっての果物ナンバーワン・「桃」の地位が揺らいだ。

 それまでの人生、アンズというものには市販のジャムでしか触れることがなかったのだが(それも人生のうち一回か二回で、味の印象も特にない)、

 ――「ナマ」って、こんなに旨いモンなのか。

一度食べてすっかり虜となり、以降、あっちでもこっちでも、旅の中でコレを見つけたらば必ず手に入れるようになった。(生産量は、中央アジアやトルコ、イランがTOP3)。だが品種が違うのかどうか、シロウトの私としてはよく分からないが、見た目は同じアンズとはいえ場所によって全く味が違う。甘味が強い・弱いというレベルではなく、ミカンのつもりが食べたら大根だった、というほどにもう全くの別物(と思えた)であり、「ホントにこれ、アンズ?」――あの感動は何かの記憶違いだったのかと、狐につままれたように感じたこともあった。

 だから、「ここのアンズは美味しい」というのは、誇張ではない。

 美味いアンズとは――もちろんよく熟れた食べごろのヤツで、齧りつけば、輪郭は幻のように簡単に崩れ、果肉がドロンと汁を抱えて漏れてくる。甘く、それを引っ張らない程度の爽やかな酸味が、絶妙なバランスで入り込んでいる。

いつまでもこの「快」に酔っていたいと、「ごちそうさま」をするには後ろ髪をひかれまくってカンタンに振り返ってしまう――「最高のアンズ」とは、引くに引けず、あれれれれぇ…と食べ続けてしまう、線の切れた自分を眺めるしかない事態に陥ってしまうヤツであり、確かにここで食べる「イェレバンからきたアンズ」とはそういう類に入る。私の中で「旨いアンズ」のトップを争うといっていい。

「一番だよ。」と、なんだか嬉しそうな顔も、前と同じだ。それは、誇りでもあるのだろうか。――アルメニア人としての。

 彼の地のものを自分たちのこととして受け止める、一体感。とはいえそれは、「ナショナリズム」という言葉をあてがったり、至上主義となり他を排するような風では勿論なく、この有名俳優はオレの幼馴染みなんだぞ、とテレビを見ながら人に教えたくなるような、自分の中に「頼もしい存在」があることの喜び。穏やかな笑みを浮かべて故郷を慕うような、ある土地に対する連帯感とでもいう、暖かい色のものだ。

 そしてまた私は、アンズの旨さにおいて贔屓する地を思い浮かべる。――トルコの、「マラテヤ」である。 

 マラテヤは、トルコにおいて「アンズといえば」と知られた町だ。

 シーズンになると多くの町の市場で「マラテヤ産アンズ」が並ぶが、当のマラテヤでは、ひと際アンズが「揃っている」。というのも他の町が、その品揃えといえばせいぜい大小の違いであるのに対し、ソコはそれに加えて非常に「色」が豊かだ。青緑から橙、ピンク、レッドワイン色まで、虹のようにグラデーションを変えたものが並び、「アンズをくれ」と店主に投げると「どういう味のやつを?」と訊いてくる。(「甘い」と答える語学力しかないんだが)

 橙色とか赤系の色で、触ったら赤ちゃんの頬っぺたのように柔らかいヤツが「美味しそう」――となんとなく思うのだが、青みがかった、見た感じとして「いかにも酸っぱそう」な色のをひとつ、「食え」と言われて口にしてみると、「お、」。…ちゃんと甘い。加えて風鈴が揺れるような、初夏の淡い空を見上げるような清々しさがあって、ハッとしてくる。品種に因るのか知らないが、その瑞々しさは、「いかにも熟した」暖色のものに負けず劣らずの魅力があって、捨て難い。

旬の頃にははまた「干しアンズ」作りも盛況で、アンズ専門店のみならず、家庭においても家の木に生ったものを屋上にビニールシートを敷いて並べ、天日に晒していた。

『美味しいでしょう?』

 ウチらのアンズは世界一、とアンズを背景に胸を張る人たちの、その穏やかな顔を思い出す。「旨い」――浮かべるその同じような表情を、彼らはお互いに知らないのだろう。

アゼルバイジャンとトルコ、あなたにとって、どっちが『良い』と思う?」

五年前、アリーナさんちの近所に住む、女優志望の美少女に訊かれたことがある。私がアゼルバイジャンにもトルコにも行った、という話を耳にしてのことだ。

 こ…、れはまたなんと、きわどい質問をしてくれることだろうと、その美貌でズイっと迫られるのもあってか、返答に困った。

 しかし問いを発する本人の表情としては、こちらが懸念するほどでもなく、コロコロと明るい。旅の中で出会った人、それも一度も外国に出たことのない人が、こちらに旅の話を求める時にする「興味津々の目」だ。

教えられてはいるのだろう。トルコによる虐殺と、未だに硬化している両国の態度。そしてアゼルバイジャンとの戦争とその経緯。「碑」や資料館などでその歴史を顧みる、戦後何十年という私たちとは異なり、「傷跡」がまだ生々しく町の景色の中に残っており、停戦後の苦労を実際にその目にして成長してきたことだろう。とはいえ戦争当時只中にあった年代よりは、彼らに対する負の感情は、少しは薄いのだろうか。

 自分が決して交わらないであろうと考える、その世界。そこを行くということは、自身に置き換えるならば「ライオンが走り回る、サバンナの世界をゆく」ようなイメージだろうか。彼の地と複雑な因縁を持たない人間から発せられる、その「彼の地」とは、いったいどういうものなのか。いったいどうやってトルコという「難所」を切り抜けるのか――という、未知の世界に対する「コワイもの見たさ」かもしれない。それに対して何か面白いことを言わないといけないような気にさせられる、冒険談にワクワク興味を抱く目と、正直それほど変わらなかったようにも思う。

トルコで、現地の友人たちに、旅の写真を見せたことがある。

「スゴイね…」と、彼らがただ呟き、ジッと見つめていた一枚は、カラバフの青々とした山脈だった。また、アルメニアへの嫌悪感を吐いたその口で、「へぇ…」と、少年のような目で大人しく見入っていた一枚は、バケツにてんこ盛りされたサクランボと、それを抱えて売り場に立つ女性が映る、市場の場面。

 ただ率直に、美しい景色を前にした「綺麗だね」であり、色艶のいいサクランボに「いいね」と頬を緩めていた。人々の賑わう活気も伝わっただろうか。

 そこには歴史のしがらみから生まれた憎しみも、嫌悪も見て取れない。

 私には、歴史を後ろ盾にして生まれる人々の感情を変えることなど、とても出来ない。一方に、彼の地の人々のことを「いい人たちだよ」と言ってみても、肯定も納得もなく、不快感を露になる実感するのみであり、自分とは「両方の地」に友に持てど、それを繋げることなどとても出来ない中途半端な存在であると思い知らされてきた。

だが、生活にある何気ないこと。釣りの場面でも、洗濯の場面でも、子供を抱える姿でも、包丁を握る場面でもいい。普段の日常生活にある「あちらの姿」を垣間見ることで、その「憎悪」は減らせるのではないか――それは、写真を見入っている、拍子抜けするほど憑き物が落ちたような彼らの目を見て、ふと思ったことである。

 同じアンズだ。同じものを食べ、旨い旨いと皺を同じように寄せ、顔を宙に向けている。お互いが。

ただそれだけのことである。ただそれだけのことであるが、知ってほしい。知らせたい――。

行き来できる余所者である自分に、この時、ほんのりとではあるが意味を見出せるような気がしていた。

 

 ――それにしても。

 顔の輪郭が崩れまくっているのは私ひとりか、「こんなのアタリマエの味よ」とばかりに、みんなイチイチ感動を表していないというか、「今日ワタシ、柱で足ぶつけちゃって親指がイタイ」とかいう普通な会話で、冷静な顔であるのが不思議だ。

 ご招待家族の可憐な娘さんは、食べることにはそれほど力を入れているようではない。まぁそうだろう、食い気よりはオシャレに興味があるお年頃。お父さんとお母さんに連れてこられてしまった、という感じであり、パンと、チーズサラダかトマト汁かを少々皿に乗せており、肉に食いついた様子は果たしてあったのか。それとも隣の席には息子君たちが座っているから、ガッツくにはちょっと恥じらいがあるのかもしれない。

 十八歳というにしては大人っぽいけれども、大人というにはやはり「少女」のあどけなさがあり、丸っこい目が印象的だ。赤と黒のワンピースがなんとよく似合うのだろう――私もこういう年頃では…というと、オシャレに没頭した記憶は一つとしてなく、メシ食う暇も惜しんで入れ込んだのは、ひたすらに漫画本である。

 時々楽しそうに息子君・それも弟君の方と歳が近く息も合うようで、マンザラでもなさそうですな二人とも、と、オバサン的に軽くニヤけてもみる。

 

(訪問時2008年、2013年)

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カラバフのケーキ屋さん⑦ ~迷彩服の背中


目次

 

迷彩服の背中

 

「そうなの。兵士なのよ。」

へぇぇぇ…と、深い息を出して、えらく感心される理由が分かった。たかが「占い」と馬鹿に出来ない――ということか。

 

 コーヒータイムが終わり、さぁ仕事を再開しようと意気込んだとき、カップを片付けようとするのを「待って」と、魔法使い・エニさんがそれを逆さまにした。

  あ、やるのか。

「コーヒー占い」である。飲み終わったら一旦カップを伏せた時、底に溜まっていた豆の粉がカップの内側に描く模様で、その時の運勢を占う、という遊びだ。トルコでも見ていたが、ここでもやはり、そういうもんらしい。

エニさんはカップをひょい、と手に取り、その中身をこちらに向けて「どう?」。

 ――エ?

どう、って…。カップの側面と底には、黒い砂粒が波打っている。砂丘の風紋みたいだ――けど…。

隣でクリームの入った容器を取り出しているアンさんに、そのまま「ドウゾ」と向け、バトンタッチ。占いの見方なんて、私は知らないのだ。

「ただ、何に見えるかを言えばいいのよ。その模様から、何を連想する?」

 模様が何を暗示すると「思う」か。…それって私の発想力であって、いいのかそれで。さしあたりのないことを言ってお茶を濁したいが、波模様から「海」――じゃああんまり芸がなさすぎ、考え無しである。

「花」と答えてみれば、しかし「ふーん。他には?」と返されてしまう。…ひとつ言うだけじゃダメなのか。見て思い付くもの全部言え、では、占いの意味とは、果たして。

正直、模様はどうとでも取れると思うが、「鳥」や「太陽」などととりあえず出してみると、「あとは…」といつのまにか本気で頭を捻っている。これは占うというよりも、好き勝手に「こじつける」ことが面白いのかもしれないと、ふと思った。

「じゃあ私も」と、アンさんもまた、自分のカップを伏せた。どれどれ、と覗いてみれば、これまた模様のタイプが全く違う。時により、飲み方により、模様は千差万別。だからこそ「占い」にもなるのだと、言いだしっぺの気持ちがわかる気がする。

そのカップ(の底)には、あっちこっちに火を噴いて暴れまわっているような、荒々しさを感じる。パッと見て、「人だ」と思った。昔アニメで見た「ポパイ」のように、両腕を上げて筋肉を盛り上がらせ、踏ん張っている姿—―具体的な表現になってしまうが、それが「見た感じ」なのだから仕方が無い。逞しい男の人、ということだろうか。

そう伝えるとアンさんは、エニさんと顔を見合わせた。へぇ…と、再び手元にもってきた艶々クリームを片手に、カップの底をじっと見て、嬉しそうな――照れたような顔をする。

「アンのダンナは、兵士なのよ。」

フフフン、と、本人の口元がにやけている。普段、彼女からのろけ話は聞いたことはないが、アツアツ夫婦の程がうかがえる、そのカワイイ表情だ。

 

 兵士――。

 ホロバツ屋エリアとは逆の、西へと向かうメインロードの坂を登る。そういえば顔用のクリームがなくなってきたな、と店の窓際に並ぶコスメ商品を横目に雑貨屋を通り過ぎると、「英語学校」の看板を掲げた、そう謳うにはあまりに小さい建物の出入り口周辺を、数人の子供たちが囲っている。塾みたいなもんだろうか。

 それもまた過ぎると、歩道脇の木々がモサモサと緑濃く重なってきて、その隙間から向こうに公園らしき広場が見える。ちゃんと動くのか、メリーゴーランドのような遊具もポツンとあるような、アレンジされた場のようだ。

 緩やかな坂ではあるが、日差しが強いからついハァハァと息が鳴る。さらに進むとやがて真正面には、メインロードの中でもメインなエリアとでもいいたげな、噴水さえあるロータリーが現れた。だが「ロータリー」とはいえど、単に車の為の分岐点ではなく、真ん中の噴水も威張り散らした感はない。大きな木々が囲んで緑色の密度は結構濃く、ベンチがあって人も座っているという、そこもまたちょっとした公園・「憩いの場」になっているのだ。

 道路を渡り、そのサークルの内側に入ってみる。噴水を囲む白いベンチが一周、段を下げてもう一周と、結構な数が備わっている。

 木に茂る深緑の葉が、いまちょうどいい具合に日陰を作っているところを選んだ。噴水の音にすがるよう腰をかけ、風に吹かれていると、カンカン照りのなかを歩き、くもの巣が張り付くように鬱陶しかった汗もスウッと、無かったことのように消え去ってゆく。密に囲まれた緑の中、チューリップの花弁から空を見上げる親指姫気分で首を傾ければ、噴水のクリスタルが宙に弧を描く、その輝きに釘付けになる。玉硝子のように降ってくるその向こうには、小さな花々が、濃い緑に負けることなく、鮮やかな彩りを散りばめている。

 先客は、少なくない。

 きっと、癒しを求めてここを目指して歩いてきたという人たちが、ベンチで足を組んでいる。ママ友か、ズボンにTシャツ姿の若い女性二人は、乳母車に乗った赤ちゃんに視線を落とし、これまたクルクルとよく動く、二つ三つの子をあやしながら話し込んでいる。デンとした腰を落ち着ける老人二人は、噴水の踊りを目で追いながらも、なにやらのことに熱弁を振るっている。結婚式か記念日か、小さい頃に夢見たようなレースフリフリのまっ白いドレスを着た少女が、母親に、お人形のように脇を抱えられながらベンチに座らせて貰っており、…ダイジョブかちゃんとそこキレイだろうか、拭いてからの方が良くないか、と、お節介にも気にしてしまう。

 おぉ、とこの中で自分が「異なる」と思う点とは、直射日光に対する恐れの度合いだ。みんな体から顔から、陽を浴びることに躊躇はなく、位置を少しズラせば陰に収まるであろうその、ちょっとした動作も無い。「シミ・そばかす」の心配ってしないのだろうか、若い女性もお構いナシにその白い肌を晒しており、完全に日陰となったベンチは、特に競争力が高いこともないようだ。木立の中で肌を輝かせた姿はいかにも健康的に映り、対して敢えて日陰に収まっている自分とはなんだかジメっぽく、じゃあ、とこちらも日向へと持って行かれそうになるが、…いや、でもやっぱり暑いわ。みんな、暑くないのだろうか。

 排気ガスが囲む道路のど真ん中、なんてことはすっかり頭にない(まぁそんなに交通量もないけれど)。空に顔を向け、あくびのような深呼吸を幾つもしながら、背もたれにズルズルもたれかかる…のはシャツが汚れんかと気になるからやらないが、快適。気持ちイイ…。グンと背伸びをしたり、手を空にパーと開いて目を閉じる。

――三人の兵士がいることは、気付いていた。

 警備の為、という風ではない。ベンチの一つに、二人はそれぞれ前にかがむよう、両手を前に組んで座っており、一人は背もたれに片腕を置いて寄りかかり、足を組んでいる。やはり噴水に視線を置いては、ポツリ、ポツリ…と、途切れがちに何かを話しているが、黙りこくってボウッとしている時間の方が長い。ただ寛いでいるのだ。

 特に、誰も気にする風ではない。兵士もまた自然に、この場に紛れ込んでいるのである。



 戦後に生まれ、「戦争」からも基地からも遠い日常を生きてきた私にとって、迷彩服を着た「兵士」とはイメージでしかない。…ってもちろん、戦争に出向く人たちが朗らかに笑顔を振り撒くわけなかろうが、手をオデコの前で斜めにシャキンと構えて行進したり、銃を手に、ギラ付いた目で警備に立ち、時に任務を振りかざして一般市民を威圧しないとも限らない、兵士とはおっかないもの――張り詰めた雰囲気を漂わせる「別次元」に生きる存在に思っていた。

 これまで国境を幾つも越えてきたが、たいていそこらに立っている軍人らしき警備の人間にはビビるし、初めてここに来た五年前もまた、ただ向かいの通りに迷彩服を一人見かけただけでギクリとし、腹に巻いたパスポートの感触を確かめ、ビザも問題なかったはずだと背中を固くしたものである。なにかイチャモンつけられ、しょっぴいてかれやしないか――が、ここで町をウロウロしていれば、兵士を見かけることなど実にどうということもない、日常茶飯だと悟るのにそれほど時間はかからなかった。

 任務中か、それとも何かの用事に兵舎を抜け出したついでなのか知らないが、たいていすれ違うその顔は、「さぁ帰ろ」と塾を終えた少年のようにホクホクしており、二人並んで背中をたたきながら談笑していたりする。鋭い眼光…からは程遠い、ピリピリした雰囲気も全くなく、ただボウッとした目で地面をなぞり、考え事しながら歩いています、というのが分かり易い青年。バスの中で「やぁ、奇遇だねぇ」と、Tシャツ姿のデップリおじさんが手を差し出したのは、今しがた乗り込んできた、迷彩服のこれまたデップリおじさんであり、お互いクシャっと顔にシワを寄せて握手を交わす。「どこに行くの?」と問うて「釣りだよ」と答えておかしくない、和やかな空気で二人、仲良く並んで座っていた。

 単に、「迷彩服」であるだけだ。兵士も人間。そりゃあ、いつもいつもシャキンと敬礼したり、行列を組んで歩いたりしているわけではなかろう、なんてことを思いやる余裕さえある、「フツウの姿」がそこここに。

「うちのダンナは兵士」などと聞くと、なんと言ったらいいのだろうかと、途端にモヤっと陰がさし、口籠ってしまいそうになるけれども、それは改まって告白するようなことでもないのだろう。「アラ奥さん、うちもなのよぉ」と、玄関先の井戸端会議で「私の息子が来年受験だ」の次に話題に上るような。

「兵士」とは、身近な存在なのだ。

 壁を感じることない、人間的な彼らの表情に微笑ましくもなり、ホッとする。だがホッとすればまた逆に、迷彩服が浮上してきてなにやら、違和感とも言うべきか、ちぐはぐとしたものが胸に残ってスッキリはしない。そりゃ私が、お幸せな環境にいたからでしょう、という言い方で済ますことができるのだろうか。

 兵士が「身近」にならざるを得ない、その存在が必要とされる世界である。過去――そして現在となってもまだ、争いの可能性捨てきれない世界である、ということだ。

 五年前のふとした場面だが、今もよく覚えている。

 ステパナケルト近郊の町「シューシ」へ行こうと、バスターミナルでバスに迷っていた私を「こっちだよ」と案内してくれたのは、迷彩服姿の気の良さそうなおじさん――がバンを指し示す手の、その親指は赤黒く膨れていた。気にも留めていない風であったから、負傷した時とはそれよりも随分前のことだったのか。

 

 

廃墟の町を訪ねる

 

 五年前、短い滞在期間ながらも、ステパナケルトから少々移動を試みていた。といってもバスで日帰りの小旅行である。

 バス会社が軒を連ねている、アルメニアのイェレバンほどの規模はないが(といってもこちらも知れたものだが)、さすが首都とされるだけあって、バスターミナルは市場に次いで賑わう場所である。

 砂丘色の、一つ一つに微妙に陰影ある石レンガで積み上げられた、およそバスオフィスとは思えない重厚なる建築物は、かつては要塞だったのではないか。…なんて、動きもしない単なる壁をまじまじと見上げるなどしているのは外国人の私ぐらいなもんだ。仰々しいアーチ型の門をくぐると、中堅スーパーの駐車場程度だろうか、敷地内には朝の七時前から早々、人々が集っていた。車はいつもと変わりなく排気ガスを吹いて走り出し、人々はただ前を向き、宙の中で思いに耽るかしながら、じっと立ち、座り、ぶらぶらと歩いている。

 せっかくカラバフまでやって来たのだから、ほかの町にも足を伸ばしてみたい。ビザが発給される際、ハンコを押してくれるエライおばさんは、訪問予定地として「ステパナケルト」とだけ書いていた私の申請書を見て、「ほかの町には行きたくないの?」――行けばいいのに、というような言い方さえしたのだ。

 ならば手持ちのガイドブックに、行き方が記載された町へ。

「シューシ」という町は、バスターミナルから車で二十分程というアクセスの容易な場所であり、古くはこの地方の首都として栄えた町であるという。

とはいえ、だ。「小旅行にうってつけ」などという記述などなく、それどころか、とても「旅行」という字を充てられるようなことは書かれていない。

「廃棄の町」。――もちろん、それは戦争による。

 ソ連時代、シューシの人口はアゼルバイジャン人(アゼリー人)の割合が多かったが、ソ連崩壊の際、1990年代から再燃した両民族間の戦争のなかで、アルメニア人勢力が町を占領し、その大部分を破壊した。荒廃し無人となった町に、戦争で生じたアルメニア人難民が住みついたが、現在に至るまで、あらゆる場所が当時の痛々しさを残したままであるという。

 人は、そこに住み続けている。廃墟は、イコール「無人」というわけではない――単語は右から左にスルっと通り過ぎるが、その状態がいかなるものか、全くピンとこない。それは一体どのような状態を言うのか。単なる旅人が行けるような状態ではないのではないか――とはいえ本には堂々行き方が紹介されている、というのが奇妙に思えた。地図にはバス停のマークなんて書き込んであるし、さらには「食料品店」さえ載っている。

 …想像できない。

 興味、――というと不謹慎かもしれないが、よくわからないからこそ「行ってみよう」という気にもなった。

 不安がないわけではないが、そもそも行き方が乗っているのだから…と、躊躇はそう感じなかった。「廃墟」なる中でも生活がある、という状況とは果たして。単なる紙でしかないが、かくも人を心強くさせる「地図」とはなんと不思議なモンだろうか。

 

 

 石畳の道、その隙間を苔のような雑草が這い、どこからか溢れてきた水がその隙間を縫うようチョロチョロ可愛げに流れ落ちてゆく。濡れた緑が陽の光を受けて瞬く、その輝き――の前に、人が残したものが傷をさらし、時間を止めたように白目をむいて立ち尽くしていた。

――バンから降りて、集落の只中と思われる小道を進んでいった。

路の脇に立つ家々は、既にその役割を果たしていない。崩れたまま放置され、ポカンと口を開けたようなかつての窓は、ブラックホールみたいに真っ黒く、何ものをも守ってはいない。

一部が剥ぎ取られたように不自然に欠け、鉄骨がむき出しになっている壁。焼け焦げた跡のこびりついたコンクリートの建物は、アパートだったのだろうか。屋根がなくなり、単なる石壁となっているかつての屋内に、日の光は穏やかに降り注ぎ、ゆさゆさと背の高い雑草がのんびりと茂っている。

 向こうには、頂上付近の骨組みをさらけ出した、天に延びるモスクの尖塔が、さえぎりも無く視界に入る――

……これが、「廃墟」か。

 かつては「生活」があったはずの場所を確かに歩いているというのに、もはや遺跡のように静まりかえり、風に吹かれて葉の擦れる音しか響かない中では、人の息遣いが、ここで無数に生まれたであろう悲しみが想像できない。

 そんななか時折、思い出したかのように「人」とすれ違うのだ。石につまずいて転ばないようにか、こちらに顔を向けることもなくただ下を向き、スタスタと歩いてゆくのは、十五、六の少年。何かビニール袋を抱えているその姿は、傍目には文房具屋にでも行って来たように颯爽だ。

無人の町ではない、ということを自分に言い聞かせる。そもそも、ステパナケルトからのバスの往来だって、頻繁に(一時間に一本のペース)あるのだ。

 だがこの世界の一体どこに、人が住む気配があるのだろうと疑問ながらに歩き進めていくと、洗濯物が舞っているアパートも確かにあることはあった。が、そのアパートも、よく見れば、人の生活があるのは二階の一部のみのようで、一階はドアも窓も、口を開けっ広げた「がらんどう」であったりする。つまり、使えるところだけ使っている、という状態だ。いったい、電気やガス、水道といったライフラインは、どの程度通っているのか。

 この景色の中を日常にして生きる人がいる。

――五年後の2013年、果たして状況は変わったのだろうかと、再び訪ねてみた。

「工事中」と囲まれている現場があり、二三、新しい建物が立っているのを見つけた。これから復興へと本格的に着手し始める兆しを感じはしたものの、家屋の崩れた跡など、大半が「相変わらず」な印象だった。

 そしてこの時は滞在期間に余裕があることもあり、北部の町「マルタケルト」を初めて訪ねてみた。かの地でもまた、人々の日常生活の隣には廃墟、という光景があり、それらはあたりまえのように「共存」していた。活きた生活の光景の中に、戦争の跡が――途絶えた光景がむき出しに、なんら躊躇なく混ざり込んでいた。

 

アルメニア人が多数を占めていた」とされるカラバフが、ソ連時代、なぜ「アゼルバイジャン」と決定されたのだろうか。

――というと、ロシア革命後の1921年、領土区画を決定する際にスターリンをはじめとした党中央委員会によって、カラバフをアルメニアソビエト社会主義共和国領とすることは半ば決まりかかっていたのだが、結果は急展開してアゼルバイジャン領となった。これは石油資源を持つアゼルバイジャンの猛反対があり、また民族同士の反目感情を植えつけることで、中央への反抗を逸らす為でもあったと言われている。

この時の決定によって、二つの民族は昔からのいがみ合いに終結をみたどころか、その憎しみを再燃させる「根っこ」を温存することとなる。カラバフにおいては、アルメニア語をはじめ、アルメニアの歴史や文化などに関する一切の教育が禁止された。

言葉は自分自身を発する手段でもある。その弾圧は即ち自分が生きてきたことに対する否定でもあり、抑圧は、のちに必ず爆発しないではいられない帰結を伴う。

1980年代のゴルバチョフ時代、ソ連一党独裁体制から民主的な体制へと改革するペレストロイカ、そして「情報公開」と訳されるグラスノチ政策がすすめられた頃から、強いられてきた状態の維持が限界点まで達したのか、アルメニア人による、カラバフの「アルメニアへの返還」運動や抗議活動はいよいよ高まった。

アルメニア人」「アゼルバイジャン人(アゼリー人)」と一括りに、さも全体全員についてを述べているかのようではあるが、とはいえ大規模な民族闘争が起こる前は、それは「たまたま」生まれがそうあった、という問題であり、個人レベルではアゼル人・アルメニア人関係なく「お隣さん」としてうまく共生していたという話はそこかしこにある。しかし、やがて各地で高まってゆく民族感情は、そういった人々をソッとしておくことなく巻き込んでゆき、平穏だった地を殺戮の場へと変えた。捻じれた国境線は、あまりに大きな捻じれを引き起こした。

 占領と、奪還。その戦いに晒された跡を、まるで石ころをよけて歩くかのように、人々は暮らしている。いま、その傷の前にいちいちと足を止め、見上げているのは私ぐらいなものだ。

 もちろん、戦争中そして戦後まもなくは瓦礫が足の踏み場も無いほどであったろうし、それに比べれば随分と片付いた現在ではあるのだろう。道があり、人や車が通ることだってできる。家々の復旧は世帯の経済的なことを含め諸事情によって早まったり後回しになったりするのだろうが、少なくとも「そのまま」というわけではなく、歩みを進めてきた今がある。

 

 地方の町からステパナケルトへと戻る一日数本のバス、そのうちの一便に乗り込むと、毎度、結構席は埋まっていた。迷彩服の兵士もポツポツと混じっているが、ほぼ一般の住民である。勤め帰りのような顔。お使いから帰るような顔。散歩のような顔…。特に緊張の面持ちもなく、日常を抱えた様々な顔が揃うのを見ると、歩いていた処とはまるで「普通の町」であり、あの光景とは、もしかして非常に限られた場所だったのか、自分ひとりが不思議な世界に迷い込んでいたのか、という気になってくる。バスの乗車の際の、警察による単なるパスポートチェックにビビる私の方が、よっぽど顔がこわばっている。彼らは、いつものように移動しているだけなのだ。

発車すると、多くの人が首を少々回し、窓の外へ向けている。或いは、前の席の背もたれに取り付けられたネジや取っ手を、今日のオカズはナンにしようか…と、心ここにあらずな感じで見つめているのか。

 ……空ってこんなに近かったろうか。

こげ茶色の大地に、干草色の雑草が所々波打っている。そんな中、気まぐれのようにポツポツと、背の低い、緑の葉をつけた木が立ち――まばらに砕け散った石レンガが、まるで大地に最初からあったかのように、角を落とし埋もれている。

もとは「建物」として空間を囲んでいた石壁が、子供がおもちゃのブロックを蹴っ飛ばしたかのように崩れかけ、そのままじっと息を止めている。

遺跡ではない。何百年も何千年もかけた「風化」ではない。これは、人によってもたらされた破壊だ。破壊された集落の跡が、そこに。向こうにも。そして、草原のように、ずっと向こうにも。

 ――なんという、広大な大地だろう。なんと向こうまで見渡せることだろう。

 それは本当に「石」でしかないというように、私の目はそれらを筒と抜け、その向こう・奥の奥にたたずむ山々、そして雲たちこめる空の広がる先を映し出している。たとえ「集落」が生きていたとしても、視界に入る空間の奥行というものは変わらないはずだ。が、――きっともっと、山々は遠い、別次元の存在に映り、空はもっともっと果てしなく感じたのではないか。

 人がいなくなった大地というのは、こんなにも「映るってくる」のか。

 自然のなか、人が住めるようにと開拓された土地に、人間の跡が「無い」。そこに造り上げたはずのものがすっぽりと抜け落ち、遮りも無くいやによく見通せる向こうの山々とは、空とは、なんと肌寒く映ることだろう。なんと「不自然」に思えることだろう。

 まるで遠い昔の遺跡のように、人間の痕跡が野ざらしになった中を歩いていると、否応なく気付かされたのは強烈なエネルギーに溢れ生命を輝かせる、緑。植物をはじめ、人以外の、自然に生きる生命たち。

木々は立派に葉を茂らせ、雑草はピンと腕を広げて風にサワサワと泳ぐ。虫の羽音が、その生命を知らせる。鳥が鳴き、羽ばたいた空気の振動が、はっきりと届いてくる。燃えるような真っ赤なけしの花が、名も知らない花の、小さくも強烈な黄色と競い合うように、その存在を緑の中で浮き上がらせている。

人が関与しようがしまいが我関せずと、彼らは自身の存在を伸びやかに謳歌しているように映った。ただ、人間だけがもういない、というだけなのだ。

 屋根を失った壁のてっぺんからは、儚げな白い花が天に向かい、その可憐さを見せつける。崩れた石レンガは、あかたも最初からその姿でこの世にあったかのごとくであり、そこに咲くのは白い椿の花。陰のある背景に、そのまっさらな白が映え、なんと美しいことだろう……。

 ――「人間」という面影は、今を生きる生命たちの前では無に等しかった。

 

 

 「じゃあね」と笑顔で、偶然同じバスに居合わせたらしい知り合いに別れを告げたあと、迷彩服の兵士がひとり、バスを降りた。いったいどこに行き場が存在するのか想像も湧かない、枯草のそよぐ荒涼とした色の中、その姿を小さくしてゆくのが窓に映る。また、間を置いてひとり、またひとり、と、ポロポロと降りてゆく兵士たち。どこかに基地があるのだろうか。

 やがて、山あいに町の遠景が映るようになる。――ステパナケルトが、近づく。

家の傍に寄り添うのは、庭木、植木鉢に入った植物。整列された花々。人の手の匂い染みつく植物に、穏やかな、優しいものを感じ取る。

なんと、華やかな町であることだろう。ステパナケルトとは――。

 

 

移住地・ステパナケルト 

 

 アンさんは、父親がマルトゥーニ出身であると言っていた。

地図を開いてみれば、マルタケルトと同じくまさにアゼルバイジャンとの国境辺りだ。そして彼女自身の生まれはンヌンヌイギ。…言ってて喉が詰まりそうな地名だが、外国人向けの大雑把な地図では、その場所を把握するのは無理。

 ビッグ・ご飯さんは、ステパナケルト生まれ。両親はシューシ近郊の出身。父親は亡くなり、母親はこの町にいるという。

 ミニ・ご飯さんは、私も訪れたマルタケルト出身。

「あぁ、そうなんですか」と頷くしかないけれども、ほぼどこも、戦火を避けられなかった場所である。マルトゥーニなど行ったことはないが、国境地域であることからして推して知るべし。

「シューシ」と聞いて、即浮かんでくるあの廃墟群の光景に、両親の生家はどうなったのか。お父さんが亡くなったのは戦争のせいなんじゃないか――という言葉は喉まであるけれども、それをオモテに取り出す勇気がない。

 マルタケルトへ、ミニ・ご飯さんは「戻るよ、たまにね」と、言った。そこで暮らす両親のもとへか、祖父母・親戚に会いになのか。故郷についてのよもやま話を聞きたい気もするけれども、果たしてキャピキャピと盛り上がってもいいものなのだろうか。ミニ・ご飯さんは、故郷のことをどう思っているのだろう――だが、踏み出せない。喉から出かかるも、やはり「へぇ…」という反応だけで、終わってしまった。

彼女もまた帰省の際は、バスの道中にあった乗客たちのように、何を思っているのか推し量れない、一本の線を空中に流すようなあの静かな目で、車窓の向こうを眺めるのだろうか。

 ステパナケルトとは、仕事と生活を求め、カラバフの各地から人が集まってくる土地でもあるのだろう。辿りついた安住の地――この地ももちろん戦禍にあったが、「首都」としてきっと、どの町よりも復興が進んでいる…。

 魔法使い・エニさんは、生まれも育ちもステパナケルトだという。

 彼女らと私の会話において、アルメニア語でもロシア語でも意思疎通がうまい具合に進まず、残る手段はジェスチャーかイラストでも描くか…となった時に、「それを英語で言うと…」と、ヒョっと助け舟を出してくれるのがエニさんである。うーん、と、記憶の縁から単語を取り出す、という風で流暢にというわけではないが(それはワタシもだ)、英語教育が広まりを見せている現在ならばまだしも、学生時代はもちろん旧ソ連時代の、バリバリのロシア語世代といえる齢六十(2013年時点)である。どういうことだろうか。何か、深刻な理由でも…と、戦争中は英語圏にやむを得ず避難したとか、英語に慣れざるを得ない経験があるのだろうか。思いきって訊いてみると、「外国語を勉強するのが好きなの」。

――なんだ、と、拍子抜けしつつも若者の鏡のようなことを仰ることに敬服、その勢いで、私という考えナシはうっかりと、これまたアホなことを言ってしまった。

「じゃあ、アゼル語も?」

…なんて、冷静になってみれば、ンなワケ無いだろう。だがエニさんとは話の最中で、「『いくらですか』はロシア語ではこう、アルメニア語ならば…」などと、ときおり突発的に「言語講座」へと流れたりもするのだが、その時に「アゼル語では…」というのも特に躊躇など見せることなくスラッと口に出してくるのである。ドイツ人の「それってアイラン?」ではないけれども、「アゼルバイジャン」――それはタブーに他ならず、こちらとしては決してウッカリ口から漏らすことならじと心していた名詞であったのだが、そんなのは私ひとりか。エニさんはみんなに聞こえないようにも何も無く、バンバンとお構いナシに言ってのけていた。あまりにも何気ないので、私も少しずつ、緊張感の縄を緩めていたのだ。

「勉強なんて。だって、カラバフは『アゼルバイジャン』だったんだもの。」

――あぁ。無知をさらけ出してしまったと、顔から火が出る思いだった。ほんっと呑気な観光客である。「この子、何にも、なーんにも知らないのかしら?」と、呆れられただろう。……って無知なのはホントであるが、それをわざわざ自分からオモテに印象付けてしまった。

アルメニアの占領地」という言葉だけが立ち、それが意味することが、自分の中で薄くなっていた。当たり前のようにあるアルメニア語の表記、言葉に触れるに連れて、停戦後に訪れた余所者は「その影」を忘れそうになるけれども、そう、ここは「アゼルバイジャン」だったのであり、国際的にはいまもそうなのだ。アゼル語が話せても、なんら不思議なことはない。

とはいえ、「かつて」それを話すのは、アゼル人と会話する時のみ、或いは公の場所でのみ、だったのか。どのくらいの割合で――今、彼女らの会話では、彩りを添えるかのように「ロシア語」が自然と紛れ込んでいるけれども、そのように家庭でも何気に話されるものだったのか。

 アゼル人の「知り合い」は、どれくらいいたのか。「友人」は、いたのだろうか――

アゼルバイジャン時代と、未承認ながらアルメニアの保護下となった現在。ずっとこの町に身を置いてきたエニさんは、周囲に起こった変化をどう見つめてきたのだろう。

 英語のおかげで意思疎通が比較的容易なエニさんだから、少々込み入ったことを「訊く」としたらこの人だったろうとは、いまならば、思う。いや、カラバフに行く前から、「かつて」について知りたいならば、やはり現地の人たちに直接訊けばいい、という思いはあった。ふとした会話の中に、そのチャンスはいつかあるだろう、と。

「日本には、お掃除ロボットがあるのよね?テレビでみたわ。」「日本で『お茶』は、グリーンティーでしょう?」――などと、作業の合間に彼女から話しかけてくれる内容は、日本、そして外国への興味に満ちたものが多いから、私もまたすっかりとリラックスしたその同じ調子で――というわけでもなく多少は「おそるおそる」ではあったのだけれども、それでも『もう』大丈夫だろうかな、と訊いてみたのである。それでも自分としては、遠回しにしたつもりで。

ここで生まれ、住んで六十年だと聞いた後、「家族は無事だったのですか?」と。

――その一瞬、見た事のないような影が、エニさんの表情を覆ったと思う。

私と彼女だけの会話だった。他のメンバーはボールを持ったり、オーブンを開いたりの最中であり、ミキサーの音がいやに明るく耳に響き、ヘラを手に持ちかえる音とか、「あれ取って、」と呼びかける声などが活き活きと飛び交うなか、エニさんの表情が止まり、その輪郭だけがこの空間の中に凍りつき、沈みこんだようだった。

 私は狼狽えた。普段からは全く想像できない、見たこともない暗い空気が、彼女全体を覆ったのだ。

だがそれは、ほんの数秒だったのかもしれない。

「大丈夫。」

と、頷いて、私の問いに対する答えを出したのだ。

大丈夫――じゃあないんじゃないか、とは、思った。思ったけれども、もはやそれ以上は訊けなかった。

 いくら気軽な雰囲気になっても、気軽に流せない事実が確かにある。やはり考え無し、馬鹿がつく直球なワタシ…、と自己嫌悪で沸騰し後悔に染まるが、だからといってこれから先、この反省を踏まえて言い方をどうにかこうにか変えて出直すか、といえば――いや、やっぱり二の足を踏むだろう。戦争のことについて訊こう、なんて。

「タブー」は既に外されたのではないか、とおそるおそるタッチしてみれば、実はものすごい地雷を踏んでいる可能性がある。どんなに気を遣い、注意深く、慎重に慎重を重ねたとしても、そのポイントとはおそらく、悲劇を経験していない私にとっては思いがけない場所に潜んでいるのかもしれない。当時の恐怖と悲しみを彼らの中に呼び戻し、さらに深く掘ってしまうとも限らない。

彼らの苦悩を目の当たりにして、訊かなきゃよかったと悔やみ、この先、会うことを躊躇するようになってしまうのが怖い。

 

 アルメニア人は、オスマン帝国による虐殺・迫害をきっかけにして、多くの人が国内から逃れた離散民族(ディアスボラ)として知られている。アルメニア人は古来より商工業・芸術に長けているといわれているが、実際に海外で成功した人も多く、アメリカやフランスなどでは財界・政界にも大きな影響力を持ち、ネットワークも強い。

一方で、資源がなく、特別な産業も持たない本国・アルメニアにおいては高い失業率が続いて人口流出が止まらない状況にあり、経済は海外在住のディアスポラの支援によって支えられているという。カラバフの復興もまた、在外アルメニア人による寄付・投資によってまかなわれ、それは本国への投資をも上回る、ということだ。

カラバフの首都・ステパナケルトの町の整いようはその甲斐あってのことか、しっかり舗装されたメインロードがあり、スーパーマーケットをはじめ、ガラス越しに、服や靴、化粧品を並べる店が交替に道路を彩る。緑揺れ、花壇に赤い花の映える公園では噴水があり、夏の日差しにきらめきを放つ水しぶきと少年は戯れ、大人たちはベンチに腰を下ろしてそれを見守り、憩う。

市場では彩りよく積まれる野菜や、生きた鶏、果物、チーズや色の異なる保存食用の瓶等々、数多のものが所狭しと並び、お客を呼ぶ声が賑やかに飛び交う。串焼き屋のオジさんたちが、夕暮れのなかでゲームに没頭する通りがあり、買い物袋をぶら下げた人々は足を止め、その様子を窺う。

 それぞれの日常の生活が、ゆらゆら、穏やかに漂っている。

 平和だ…。

 目に映るものだけをざっと流し見ていれば、あたかもここはずっとこうであったかのようだ。私の生活してきた世界と同じであるような幻想――「戦争の当事者」であったのは遠い遠い昔であったか――に、囚われる。シューシやマルタケルトを思えば、ステパナケルトの放つ明るさには、やはりホッとしないではいられない。

 だが、明るくなった「気がする」ステパナケルトの印象もまた、メイン通りを流し見てのことにすぎない。

 随所に残る、建物の傷。ふと立ち止まれば、洗濯物が窓から舞うアパートの壁には銃弾の跡が目に留まり、路地の奥へと入り込んでゆけば、爛れた皮膚のように表面が剥がれたままの建物が珍しくない。上の階には生活が収まるものの、下の階は、ガラスのない「がらんどう」――黒い口を開いているのが数部屋並ぶ。シューシやマルタケルトと変わらない光景が点在している。

 市場近くの路地に構える野菜売りのおじさんには、片腕が無かった。

「安いけど…。」下からひっくり返してみてみても、見事にキズモノばかりに選別されていたトマトは「熟れ」を通り越してぐっちゅぐちゅに傷んでおり、今日これからすぐに煮込むならばいいのだろうが、サラダとして生で食うにはちょっとなぁ…。まぁ、だから安いんだろうけれど。

 吟味しまくって、気を持たせておいて悪いケド、と、その場を離れようとふとおじさんを見た時に、気が付いた。半袖の先がないことに。

……一つぐらいは。

 なんて気が起こったが、そのことに嫌悪感が湧いた。欲してないのに無理矢理買おうとする自分とは、「ナニサマ」だろうか。憐れみで買う、のか。おじさんは「どうする?」(買う?)とこちらを向いたけれども、心に靄を生んだまま、結局「どうも」と口をモゴモゴさせて、気まずいものを感じながら背を向けた。

 ケーキ屋にいる時、お得意さんだろうか、店に「やぁ」と言いながら入ってきたおじさんの袖は、キッチリと短く折りたたまれていた。…そうすると、ピラピラしなくていいからか。ナルホド、などと目を見張るけれども、見張っちゃダメ自然に自然に…などと心掛けてしまう。トマトのおじさんはどうだったっけ。突然に気が付いて目を背けてしまったが、もしかすると袖をああいう風にしていたかもしれない…と、せめてその後ろ姿をジッと見つめてしまう。だが、アリーナさんたちはいつものように、注文通りイェレバンスキ等数種の菓子を袋に詰め、お金を受け取って見送るだけ。一見、特別な反応はない。

 片腕や指のない人。片足のない人。バスターミナルで『シューシに行きたいんだって』と導いてくれたあの兵士のように、赤黒い腫れを皮膚に刻み込んでいる人。

 シャツの袖を閉じた、腕のない人。松葉杖を脇に挟み、片足で立つ人。

 ここに滞在していて、何かを抱える人が珍しくないと気付くのにそれほど時間はかからない。だがその背筋はピンとしていて、まるで気にかけないが如くである姿を少なからず目にした。

 不自由となった体を路上に横たえて缶を差し出す、いわゆる「物乞い」にある人の姿をいろんな国で見てきたが、それが無いとは言わないまでも、ここでは非常に稀である。体に障害を持つ人々も、健常者の中に混じって仕事に就き、生活を営んでいるのが当たり前に映るのだ。

 そう、当たり前なのである。

 本人にとっては勿論、「当たり前」などといわれる筋合いは無く、身体的に障害のない場合と「変わらず生きる」そのエネルギーと苦労は並々ならぬものだろう。だがそれが「当たり前」である世界――もはやどうにもできないものを抱えて生きる人たちの、なんと多いことか。

 ソレを前に、ただ通り過ぎるだけでしかない私は、好き勝手に感じているのだ。ここで胸を張って生きている、彼らの凛とした「誇り」とでもいうものを。

そして教えられるようである。ナニを抱えていても、同じ人間だ。戦禍の中で生き延びることができた、同じ人間――それだけで、私たちは通じることの出来る「十分な理由」であることを。

 ここにいて、私は、この地に「紛れ込めている」気がすることが多々あった。人々と言葉を交わせば交わすほど、その感は強まってゆく。通じ合える。自分のいったいどこに、ここの人たちと異なる部分があるというのか――日本人もアルメニア人も、カラバフのアルメニア人も、変わらんよねぇ――と。

 なぜシューシへ、そしてマルタケルトへ行こうとしたのか――は、もちろんガイドブックに記述があったから。せっかく取ったビザを生かしたい。行けるなら、少しでも多くの場所に足を伸ばしたいという欲があった。ケーキ屋の人たちとも縁深い町であることを知って俄然心強くなり、ますます行く気になった。そして、ずうずうしくも「期待」していた。今よりももう少し、みんなのことが理解できるようになるのかもしれない――。

 だが当然ながら、本当に、「真に」踏み込むことなど出来るわけがないのだ。

 頭に描いていた期待よりもまず最初に目の前にやってくるのは、現実である。シューシの廃墟はピンポイントの悪夢だったのではなく、カラバフの其処彼処で見られ得る光景であり、――この中で生き抜いてきた彼らを、簡単に「理解」したり「共感」するなんてことは無理なんじゃないか。私の生い立ちからは、とても当事者の気持ちに到達し、察するどころかその片鱗にさえ触れることはきっと出来ないという、突き付けられるのはどうやったって無力感しかない。無人となった集落をみて「遺跡のようだ」などと言い流すことの出来ない、かつてそこに存在した人たちの息を生々しく思い返すのが彼らであり、それは、決定的に私が彼らと異なることの一つである。

 傷付いた体を前に、「とはいえ不自由はなさそう」などと、本気で思い込むほど無理矢理なことはない。彼らに凛とした「誇り」を感じる?――それは私が自分の中に生じている靄をなんとかやり過ごそう・丸め込もうと、都合よく勝手に思い込もうしているだけではないのか。

 長い間ここは戦場であり、戦争の記憶とは、遥か遠い中にたたずんでいるものではない。もはや「過去」のことだなどと割り切れない、現在に続く姿がそこここにある。そしていまもって「停」戦中という、危うい現実がある。

 そんななかで私といえば、放ってしまった不用心な言葉に顔色を変えたエニさんのように、傷口を小突き、湛えている悲しみその水面の揺れを垣間見ることでようやく、戦争とは夢まぼろしではなく確かに身近な現実であると気付かされる、というていたらくであり、過去が残したものの大きさの前に手も足も出ずにだんまり、ただ地面を情けなく見つめている。 

迷彩服の兵士とTシャツ姿の男性が談笑し、肩を叩いて分かれてゆくのは実にありがちな姿ではあるけれども、その邪気のない笑顔に「平和」という言葉を取り合わせるには何か切ない戸惑いがある。日常世界のかしこに散らばる「不自然」を感じながらも、それがどのように「まるっきりの平和」と違うのか、私は明確にすることができない。――そもそも「まるっきりの平和」ってなんなのか、そんな世界が存在するのか、という疑問に立ち戻るのを繰り返すだけだ。

 彼らは、私に「共感」を求めたことは無い。ただ、私が勝手に彼らを「知りたい」と願っていたに過ぎないのだが、その、あまりにも独りよがりな好奇心には、自身への敗北感――というより「恥ずかしい」でしかない。

 現実に対する無知も手伝い、「見た目」では分からない傷に、触れていいものかどうかの「一歩手前」の葛藤しか、どうしたって私には出来ないのである。

それでも、私はまたここへ戻ってこよう、と思わずにはいられないのだ。そうして、彼らと接することで得る喜びに浸り、自身の幸運に酔うことで、「平和」をこの地に投影さえするかもしれない。

だが、彼らを「理解している」などとゆめゆめ思わないことだ。そう、胆に銘じることだ。平和に「見える」。でも「見えるだけ」なのだ、と心するしかない。

それぞれは、過去が残したものを抱え、これからを生きてゆく。

「生きてゆく。」

その部分だけなのだ、きっと。私が入り込めるのは。

 

 

 夕方。

 いつものコースをゆけば、予想通り、今日も鼻先にちょいちょいと漂ってくる匂い。

またやってる…。

 肉の焼ける煙の靄と、夕陽が広げるオレンジ色が混ぜこぜになった中で、地面に箱をひっくり返した上を取り囲んでいるのは、またしてもチェスだか将棋だかの対戦ゲーム。ヒトの鼻をひっつかまえておきながら、白衣姿のおじさんたち数人、今日は早々座り込み、ジッと頭を低く垂れているばかりで「手招き」などする気は全くナシ。肉焼きはやっぱり、担当ひとりに任せっぱなしだ。

お使いらしきビニール袋を片手にぶらさげたまま足を止め、暫く高いところから眺めては去ってゆくのも、通りすがりのこれまたオッサン。

 あちこちの国の路地で見られる、「オッサンの光景」だ。

 たとえ国際ニュースの中で犬猿の中といわれる国同士だろうが、タバコを片手に燻らせながらテーブルに繰り広げられる小さな宇宙に向かう目、そして、熱中した背中が放つ気合とは、どこにおいても共通している。

女性陣は、その不必要に真剣な横顔を見て、「またやってる…」と腕を組み、しょうがないねぇと苦笑いか、或いは溜息をつきながら、アテにならない旦那をよそにせっせと家事や仕事に腰を折る――という姿もまた、おそらく。どっこでも同じことしているよなぁ、という光景に、「人類みな兄弟」と能天気に口走ってしまいそうだ。

 通り沿いの本屋が文房具を店先に並べており、学校帰りらしい少女達が足を止めて、ペンを物色している。私もああいう歳の時分、文房具を揃えるが好きだったなぁ…と通り過ぎながら、ペンケースに入れるも、新品はなるべく使わないようにしていたことを思い出す。道路を挟んだ向こうの通りでは、母親たちが、おしゃべりをしながらゆっくりと歩みを進めている。

……ん?なんか匂う。あんなところにあったろうか。新しいケーキの店が、わかりやすく外壁に、豪華なデコレーションケーキの絵を描いて看板としている。ライバルの出現に、アリーナさんもきっとうかうか出来ないな――と思ったが、まぁ、動じないんだろうな。

 そんな場面を通り過ぎたら、今日も、「リカちゃん」のいるあの串焼き屋に顔を出す。

 こんにちは、と店に足を踏み入れると、主人がひとり、木の幹を真横からぶった切ったようなまな板の上で、肉をダンダンと切断していた。 斧で。

 …まるで「薪割り」だ。

なるほど骨の付いた肉とは、本来こういう道具があればこそ小さく切断できるのだと納得。普段、私が目にしている肉とは、予め小さくカットされてパックに入ったものであり、それを見て、炒めようか、煮ようかといった「調理」については巡らせるけれども、その前段階の処理について考えることはほぼなかった。なんとなく、機械がチュイーンと、人力要らずでやってしまうのだろうと想像しており、実際そうなのだろうが、本来「動物の肉を切る」というのは大変な力仕事なのである。斧を振り上げる腕を思い描くことも無く、「いつのまにか」に肉を平らげている私は、なんと「物事をすっ飛ばした」世界にいることだろうかと改めて思う。

 既に整然とガラスケースに収まっている肉串も当然、おじさんの腕によって、ダンダンとされたもの。串焼きは確かに「焼くだけじゃん。そして塩コショウだけじゃん」――誰にも出来るじゃん、と言いさえする、非常にシンプルな料理であるが、それでもう充分なのだ、と思った。肉の処理こそがこの料理の腕の見せどころなのであり、ホント「ご苦労様」なのだ。主人にとっては、串に刺したどの塊にも、自身のアイデンティティーが宿っているに違いない。

 今日は、焼きナスか焼きトマトか、と、「焼き」に関しては肉を避けるつもりだったのだが、その渾身の力作・ゲンコツ肉を前にすれば、外側にノペっとくっついた脂が艶良く滴っている焼き上がりが想像されてきて、選ばずしてなんぞや…。

 あ、リカちゃんだ。

 奥の台所らしき部屋に立っている姿が、半分開いた扉から見えた。フライパンを前に、フライ返しをあちこちとさせているのだ。「こんにちは」と言いながらオモテに持ってきたそのフライパンを覗き込むと、鶏の手羽先とトマト、そしてタマネギが湯気を上げている。「炒め煮」か。と、オ、リカちゃんのすぐ足元には「ボク」がまとわりついている。

 野菜に徹しようとしたのは、タンパク質はお惣菜で摂ろうと思っていたからだ。串焼き屋には珍しく、ここでは二、三種類が日々トレイに並んでいる。他の店は男ばっかりで切り盛りしているところが殆どのようだが、ここはリカちゃんも参戦、その一翼として総菜に腕を振るっている。砂ずりの炒め煮等、家で作られるような素朴な料理が並び、外食が稀な地域において、旅人にとってそれらは「家庭の味」として貴重に映る。

ママのフライパンの動きをじっと見上げているボク――ホントに「家庭の味」作りの最中か。今のソレは売り物ではないのかもしれないな。

と、その柄を掴んだまま、こちらにやってきた。訊いてみると、値段で答えが返ってくる。じゃあコレにする、と言うと、笑ってウンウンと頷き、おじさんにはやっぱり初志貫徹・「トマトが欲しい」と告げた。

「カッコイイですね勇ましいですね惚れましたワタシ」という勢いでバシバシと「肉切断姿」を撮っておきながら、カチ割ったその肉自体は食わんのか、という展開でちょっとバツが悪い気もしたが、馴染みの客だろう、「アレとコレ」と注文の声が背後からすぐにやってきて、不必要な気遣いであるとすぐに気付く。

 おじさん、忙しいのだ。

 

(訪問時2008年、2013年)

 

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カラバフのケーキ屋さん⑥ ~晩飯探訪・ステパナケルト

          

      


                              

 ケーキ屋に別れを告げ、夕陽を背に、橙に染まる町のメインロードを東へと進む。

 道の脇に立つ建物の、古めかしい感じは変わっていないんだろうが、なんとなく、以前よりは整然とした印象を受けるのは「道」のせいだろうか。きっかりと「歩道」が分けられて歩きやすく、車道も新たに舗装されたように見える。

 適当に、しばらく道沿いに歩いてゆくと、緩やかなカーブを曲がったその前方に、モワモワっと白く霞がかっているのが見えた。…煙?そして、ムォン、と何かを抱えた空気が顔面に押してくる。「匂い」…。

 ――焼肉…。ケバブ屋か。

ケバブ」。「アルメニア料理といえば何?」と彼らに問えば、たいていコレと答えが返ってくる。とはいえ、ケバブ中央アジアやトルコなどの西アジア、中東にかけても耳にする料理名でそう珍しくもなく、要は肉の串焼き(炭火焼)だ。アルメニア語では一般に「ホロバツ」というのだが、「ケバブ」でも通じる。

 なぜソレが「郷土料理」? ちなみにお隣のグルジアでも、ケバブを食べないことはない。が、それを「郷土料理」と持ち上げられるのがあんまりない(ような気がする)のは、想像するにそのほかにもヨイショする料理名が多いからではないだろうか。余所者がサラッと通り過ぎ様に目にした感想をいうと、グルジアにおける食のバラエティとは、豊富。うってかわって、…といっちゃあ失礼なんだけれども、アルメニアにおけるバラエティというと、イマイチ「よくわからない」のが正直なところだ。「ケバブ」――それ以外に、紹介するような特徴的な料理が特に無いということだろうか、とイジワルく勘繰ってもしまうのだが、まぁ、外国に向けた日本食の紹介で必ず出る「すき焼」「天ぷら」が家庭で毎日食べられているわけではないように、それは「一見」であって、家庭のなかに入り込んでみれば、きっとアレコレが存在するに違いない。――とはいえ、である。

 ソレを前にしてしまうと、やっぱりこれは確かに「アルメニア的」だ。公用語(?)「ケバブ」と呼んで「串焼き食い圏」の他構成員と肩を並べておくよりも、やっぱり「ホロバツ」。堂々、そう呼んでやりたくなる貫禄がある。

 まさにここならでは、と言えることには(といってもお隣グルジアでも可能だろうが)、肉に「豚肉」を使うことが少なくないことだ。中央アジアや中東、西アジアの多くの地域は、その大半がイスラム圏である。つまり宗教的な制約により口に出来る肉は限られ、肉の選択肢は羊肉が多く、或いは鶏肉、となるのだが、アルメニアでメインに使われるのは豚肉。そしてこれがまた、野趣あふれんばかりの、いかにもの「串焼き」な見た目である。

 串に突き刺す肉片とは、…って「片」というよりは、肉塊。カタマリだ。たいていの場合、大男の握りこぶしといってもオーバーではなく、日本の「焼き鳥」にある一本の肉を寄せ集めても、こちらの肉一切れには及ばないだろう。それが四つ五つ突き刺してあるのが、一本。――この串がまた凄い。フェンシングの剣かというほどに長く、先っぽの刃がリアルで、凶器にもなり得る迫力だ。

これに対すれば日本の「焼き鳥」ってばまるでコビトの食べ物。そしてまた、自然物を利用した「竹串」にはなんとも穏やかなものが感じられてくるし、おちょぼ口でも食べられる大きさに揃えた肉片、更には肉に梅や紫蘇、チーズやらを器用に巻き込んだりなど、手の込んだ演出がチマチマとあり得るのがなんとも奥ゆかしい。「焼き鳥」を日本料理と紹介されることに対し、――醤油を使った「甘辛」に調味する、というだけジャン。肉を串に刺して焼くなんて、世界のどこでも在り得る料理だろうよ――と少々納得しかねていたが、やはりアレは立派に「日本的」なものであったのだなぁと、思い直されてくるのである。

 ステパナケルトに話を戻そう。ケバブ屋、もとい「ホロバツ」屋が数軒、道沿いに連なっている様子だ。どの店からも白い煙がわんわんと立ち昇り、いかにも「いまが売り時」と言わんばかりである。

 仕事帰りを狙って?――そういえば、行き交う人の姿も目立つようになってきていた。ちょっと先にも、何らかの品物――野菜や雑貨を軒先に出した、商店らしき小さな建物が並んでいるのが見え、そこそこに賑わいのあるエリアのようだ。ホロバツ屋は、エリア入り口でそれを率先して演出しているよう。

 少々歩を緩め、近付いてみる。炎のチラつく熾火の上に、ナニを載せているのか…なんて想像する必要もなく、それはもう肉である。どこも赤い生肉を吊り下げた肉売り場があり、そのすぐ隣で網を出しているのだ。「肉屋ですが、焼いてもいます」か。

と、「こっちゃこい」。西日を顔いっぱいに受けてその前に立つ、白衣のオジさんたちが手招きする。…ナゼ白衣なのだろう。肉屋をはじめ、生肉を扱う人はたいてい、理科の先生みたいにコレを纏っている姿が多い。エプロン=白衣?

だが、手招きされると逃げたくなり、「へいらっしゃい」と笑顔で吠えられれば「あとにします」と踵を返してしまうのが私だ。「いえ、あの、エエト…。いいお天気ですなぁ」という風に、曖昧にニヤ付いて頭を掻きつつやっぱり逃げてしまう。ええい、意気地なし。

とはいえこう焼肉臭にまみれていると、体はどんどん欲してくる。……買ってみようか。最初はソレを食うつもりなど更々なかったのに、なんとか手に入れずにはいられなくなってきた。不思議だねェ…。

買おう、とキッパリ。――その前に、「肉塊」を食うとなれば、たっぷりの野菜も欲しい。

向かいの八百屋で、トマトを買って帰ろうか。ざっと周囲を見回すと、ある一軒の店の前に、ホロバツ屋よりも随分と人だかりがあるのに気が付いた。まだたいして暗くもないのに煌々と電球が灯っており、何の店かと近付いてみれば、ガラス越しに見える三段の棚、そこに並ぶのは――パンだ。直径三十四、五センチはあろう、円形で平べったい…。

 ――と、入口から、店の奥に「タンディル」も見える。パン屋だ。

「タンディル」というのは、インド料理が好きな人ならば、「ナン」――インド料理店の入り口でガラス越しに見える、ソレを焼き上げている姿を思い浮かべることだろう。上部の穴から生地を入れ、壺状の内部の側面にそれを直接貼り付けて焼き上げる、パンの焼成窯だ。そこにあるソレは石レンガ積みの様相で、盛り土のようにドーム状になっている中心に、パッコリと穴(窯の入口)が開いている。「井戸」と言った方が似ているか。

 おぉ…。この辺りでよく見かける楕円形のパンもこのタイプの窯を使って焼き上げられるのかもしれないが、私としてはそれ・タンディルから連想するアルメニアのパンといえば、薄焼きパン・「ラバシュ」の方だ。

ラバシュとは、食器拭き用の布巾のように薄くも、画用紙二枚分ほどに大きいパンである。薄いから、カップラーメンを待つよりも早く、短時間で焼き上がる。よって、生地を広げて窯に突っ込んでは、焼き上がったのを出して、また入れては出して…と、焼き職人の忙しい仕事っぷりが見ものだ。…ってどこで見たのかというと、アルメニアの縁深い地、トルコ東部において。ちなみにイランでも見た。

食べる時は適宜・B5程度の大きさに千切り、それに肉やら野菜やらをくるくると巻き込んで、口に入れる。春巻きの皮や海苔巻の海苔のように、他の食材とすっかり合体させ、ひと口に入るような「カタマリの一要素」にして食べるもんだから、「パン自体を食った」ことの実感は、なんとなく薄い。

 一方、オカズがスープ類のみであるとか、「包む」必要が無く(難しく)、口の中にフカフカとした食べ応えが欲しい時は、一センチ~二センチ程度の厚みある「楕円形」のパンがある。

オカズの方に華を持たせたい時は「ラバシュ」、「パン食った感」が欲しい時は「楕円形」――とか用途、或いは気分によるのか。お呼ばれされると、パンはこの二種類が籠に盛って出されていたりする。

 ともあれ、「窯がある場面」を目にすると嬉しくなってくるが、しかし棚に並んでいるのはそのラバシュでもはない。平べったいパン――とはいえ楕円ではなく、「円形」だ。そして、いやに色白い。モヤモヤッと焦げ色が斑についた、全体的にはうっすらベージュ肌のパンであり、かつ「焼き立て」――合致したイメージは「グルジア」(ジョージア)だ。これはグルジアのパンではないか。

白衣(やっぱりエプロン)の女性が、また一つ、焼き手によって井戸穴から掘り出されたパンを手に取り、棚に置いてゆく。きっと、シロウトの手では一度じゃすんなり持ち上げられないほどの、アッツアツだ。――大きい。直径40センチはぐらいはあるだろうか。

グルジア」。色白であるのもさることながら、ソレを彷彿とさせる一番の特徴は、なんといっても「焼き立て」であること。――それが一番の魅力でもあるんだろうな、と、人々の集いに紛れてみて、やはり思う。かの地ではごく当然のことだが、アルメニア、そしてカラバフでは滅多に遭遇することではない。たいていパン屋とは、日本の駅の駅弁コーナーみたいに、小さな小屋でパンだけを並べた売店のみあり、その工房は別の処にあるらしく目にすることが殆どない。だからパンとは、ほの温かければ御の字であり、焼きたて「ホヤホヤ」では決してないのだ。

 へぇ…。五年前は全くもって気が付かなかったが、カラバフに「異国」をウリにする店があったのか。まぁ、隣国であるからして、似たようなものや影響がみられることは珍しくないだろうが、異種をついばむ楽しみとでもいうのだろうか、ちょっとしたウキウキが、私でさえも感じられる――どころではなく、久方ぶりの「焼き立て」を前にして食欲がさらにメラメラと搔き立てられてくる。都会のデパ地下にある「全国お取り寄せコーナー」のように、「四方八方」がその場に展開されると実に軽率に映るというか、萎えてくるのだが、ほんの気分転換とばかりに紛れ込んでいる光景には、垂れ下るオレンジの電燈と二重写しに明るいエネルギーの瞬きを感じるようで、頬が緩んでくる。

 買うべし、だろう。

グルジア」とはいえ、この地に住まう多くの人々が手を出すものならば、それはもう「ここの味」だ。とはいえあの「巨大」は、二日分はゆうにある。絶対に、残る。パンはその都度買うのが断然旨いのだから、なるべく食べきれる量のものを――なんて躊躇していては始まらないのだ。余ったら、チャイに浸して食うなり、なんとかしろ。

 パンを堪能しながら、肉串しを食う――あの匂いに魅了された「さっきの自分」を捨て去る気も無い。パンと肉。炭水化物とタンパク質。組み合わせは至ってノーマルだが、食べる前から腹が太くなるのがわかるようだ。

 どちらもアツアツ状態で宿に帰るには、どっちから手を出した方がいい? ――どっちが待ち時間が少ないか。というと、バサバサと井戸窯から放られるパンの回転は当分続くことだろう。まずは、串焼きを手に入れるべし。

 

 仕事から解放され、家路につくことが出来る喜びか。一日を無事に終えようとすることへの安堵感か。その足の行き着く先には、大切な人たちが待っているからだろうか。

 朝市の、品定めするお客とそれに物怖じしない売り手のアピールが織り成す、ピンピンと立ち上がった活気――よりも、「賑わい」はどこか穏やかだ。その表情や肩に、柔らかいものをに感じる。

片手に、トマトをぼこぼこに詰めた袋をぶら下げている彼らを見ていると、なんだか羨ましくなってきた。ワーイ帰ろう、と、17時きっちりに職場をあとにして、バッグをぶらぶらさせながら駅へと向かっていた自分の姿とは、実はとても幸せ色だったのではないか――と、遠い空の下にある両親の顔を思い浮かべる。

 それにしても。串焼きだけに限ることではなく野菜屋にしろ卵屋にしろ、「同業者」が軒を連ねる、というのが珍しくない。地元の人たちにとって、同種の店が連なる中から一軒を選ぶポイントというのは何だろうか。値段か。昔のよしみか。店主との相性か。なんにしても、「隣」なんてあからさまなんじゃないのと思いながら、いったいどこを選ぶべきか、気分とカンを頼りに歩いてゆく。

ガランとしているのに「へいらっしゃい」の勢いが強いならば、回転が悪くて古くなった肉を売っちまおう魂胆ではないか――などと勘ぐり、かといって、全く営業っ気もなくブアイソなところはホントに入る気がしない。

お客さんが丁度いる、というところがいい。店の人が忙しく動くその間に、何をどのように売り買いできるのかを観察したい。

 四つ五つ通り過ぎ、また一軒の店――の前では電熱ヒーターが備え付けられ、庫内では横棒に貫通したまるまるの鶏が数羽、ゆっくりと回っていた。表面にいい焦げ色を付けてはいるものの、「電気焼き」はちょっと趣が無い。そそられない。ここも素通り…、と過ぎながらも、店内を一応チラと見た。

――と、奥にはちゃんと、焼き場があるのか。煙がそそるほどに立ち昇っているのが見える。店主らしき男性がそれに向かい立ち、背中の輪郭から炎がチラチラとはみ出している。

入口近くのガラスケースには、何やらを刺してある串が各種、彩りよく並んでおり、その前でお客と思われる人が、突っ立ったまま煙に燻されている店主の様子をただ眺めたり、イスに座って新聞を広げたりしている。

 それぞれが目の前にものに気を取られているそのスキに、もう少し中を見てみたいと踏み込む――と、ガラスケースの奥には女性もいた。下を向き、何をやっているのか、その手元はケースに阻まれて見えないが、こちらの視線をすぐに察知したようだ。大きな目がぱちくりして、「あら?注文?」と言っている。リカちゃん人形みたい――カワイくも、なんと綺麗な女性だろう。その、空気の微妙な揺れが電流のように伝わったのか、店主は顔だけをこちらに向け、煙のせいで目が半開きのまま会釈した。「あんたダレ?」と言おうとするのを「あ、ようこそ。いらっしゃい」と言い直すような、混ぜこぜの表情。白衣ではなく、赤いシャツの普段着、というのに、いかにも家族経営的なこじんまり感が漂う。リカちゃんは、店主の奥さんだろうな。女性がいると私としてはやはり入り易い。――よし。ここがよかれとやって来ているお客もいることだし、なにより自然な、リキみのない反応がいい。

 ガラスケースの各種――ゲンコツ大のぶつ切り肉、そして串にウネウネと波型にまとわりついたミンチ肉はたぶん豚肉だろうか。鶏の手羽先が五つ、串一本に貫通している。

野菜だけ、というのもある。日本ではこんなのお目にかからないよなぁという真っ赤な、野球ボール大のまるまるトマトが五つ、数珠繋ぎだ。巨大なシシトウやナスは、へた近くに串を打たれてブラブラと、ぶら下がるだけ刺してある。ジャガイモには、……「じゃがバター」のバター代わり?刺してあるイモとイモの間に、ピンポン玉ぐらいの豚の脂が挟まれて――焼いているうちにテカテカとコーティングされた様子が浮かび、唇がヌメッてくるようだ。えぇぇ、そそられる…。

 だが本命はなんといっても、まずはその豪勢なるブタニク。でも、どう頼めばいいのだろうか。ひと串に、岩石のような肉塊四つ――は、一キロ以上あるだろう。…いくら食いたくとも、それはフツウ、ウチで「焼肉をしよう」といって仕入れる量だ(三人分)。これが一人旅の困ったところなのだが、しかしここで「この際、最初で最後の豪華な晩餐にしてしまおうか」――などとチラとでも思い始めると、空腹の勢いに乗って「そうしよう」とホントにそっちへ流されかねないのが私の困ったところである。

 一息ついたようで、「さぁ焼いたげるよ」という風にこちらに近づいてきた店主のオジサン…とはいえ髪は薄いものの、肌から察するに四十代はじめごろ。いや、もっと若いのかもしれない。その奥の部屋にちらりと見えるボクはまだ小さいし、奥さんはリカちゃん人形。燻され続けて、の為かどうか知らないが、おでこがツルピカして笑顔に映える。

「何にする?」

「……ひとつ、いくらでしょう?」

その答えは、あぁそうか、「キロいくら」の、量り売りだった。ならば、「百五十グラム」などと言ったらどんなもんだろうか。

果たして、「これでいい?」と、ガラスケースからひと串を取り出し、刺さった中から「最も小さそうな肉」を指差して示してくる。

 あぁ、「ひと串全部」じゃなくとも、肉ひと切れから焼いてくれるのだ。示された肉はそれほど小さくないハズだが、「ゴロゴロ」岩石に挟まれては「チマッと」見えてきて、やっぱりソッチがいい、とその隣を指差したくなるものの、そこはまぁ小手調べだとグッとこらえる。まずは肉をゲット出来ること自体が御の字であり、「いい、いい」と頷いた。リカちゃんの、こちらを見る丸々の目が本当にカワイイ。

素手で掴んだその肉塊を量りに載せ、電卓で「いくらね」と見せたなら、それを一つだけ改めて串に刺し、炭火の上に引っ掛けられた鉄網へ。焼きトマト、焼ジャガイモも食べてみたいな…という応用は、またにしよう。

 ――と、効率よく、この間に…。

気分上昇、この勢いに乗って臆することなくグルジアパンをゲット。座布団かというような大きなビニールをぶら下げて戻り、なんと上手い展開か――ちょうど焼き上がったところではないか。

主人はそれを、一枚の大きなラバシュを広げてその上に置き、香草少々を振りかけてクルクルと包む。…って、――エ。「ラバシュ」があったのか。

先に言ってくれ、という気分だが、同時に思い出した。そうなのである。蕎麦にはソバツユがつきものであるように、串焼きを頼めばたいてい、ラバシュは自動的に付されるものなのだ。ラッキー、とはしかし思うことができず、「…余分だったんじゃないの?」と、腹の中にいるもう一人の自分が冷たくボソッと呟いている。店主やリカちゃんに見られないよう、円盤入りビニールを後ろに回し持つが、隠れるわけなかろう。ズボン越しに伝わってくる、ホカホカとした嬉しそうな熱が、なんか哀れだ。

 

 ん……?

さっき通った店の前、白衣のおじさん達がまとまって座っている。取り囲んでいる…。

通りに、椅子を並べてテーブルを構え……碁? いやチェスか?――よく知らないけれども、ゲームに熱中しているようだ。ひとりだけを串の番人に残して――。

暇なのか。あんまり売れていないのだろうか。ならば、私は回転のいい、結構「当たり」の店を見つけた、ということだったのかもしれない。

 カーブ地点へと道を戻る。ノートを手に抱え持つ若者や、スーパーの袋をぶら下げたおばさんが突っ立ち、顔を同じ方向へと向けて何かをじっと待っている。車線が歩道に食い込んだその場所は、バス停に違いない。

昼間の猛暑を悔い改めるような緩い風に、少女の髪の毛が揺れている。

 時々膝に当たる、温かいビニールにせかされて、足早に家路…いや宿路を行く。はやく帰ろう。はやく食べよう。チキンの詰め物焼きにされるように、この腹いっぱいにすべてを満たしてやろう。なんの、グルジアパンだってもちろんだ。…と、アツアツの今のうちに、ちょっとだけつまんじゃってもいい。

 と、西日に目を細めたその先に、迷彩服を着た兵士もまた家路か。トボトボと歩いている姿が浮かび上がっていた。

 

(訪問時2008年、2013年)

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カラバフのケーキ屋さん⑤ ~「アルメニア・コーヒー」と「バクラヴァ」

 

 カラバフのケーキ屋さん① ~定番「フワフワ四角ケーキ」

カラバフのケーキ屋さん② ~「ナゴルノ・カラバフ共和国」

カラバフのケーキ屋さん③  ~菓子累々

カラバフのケーキ屋さん④  ~味見天国

 

 

 

 ところでお菓子を食う時、その付き添いは「コーヒー」にするかそれとも「チャイ」(紅茶)か。

…なんてことは個人の好みでありどっちもアリではあるのだが、どちらが多数派かは土地によって傾向がある。ロシアや中央アジアの国々、イランは「チャイ」。インドも「チャイ」。そしてアゼルバイジャンも、「チャイ」。トルコも「チャイ」――独特の、「くびれたグラス」がよく知られる。

 他方、グルジアでは、飲み物をどうぞ、と招かれた際に出されたものいえば、「コーヒー」であったことが多い。停泊していた宿の女将。「チャイももちろん飲むわ。でもチャイは、ほとんど『水』よ。」なんて言っていたが、かの地では「コーヒー」がよく飲まれるようだ。

 この辺の「コーヒー」といえば通常、小さな鍋で煮出して淹れるタイプであることが多い。ミルクパンよりもかなり小さい、「キュッ、ボーン」とした腰のくびれを連想する、色気あるフォルムの片手鍋が、コーヒー専用として存在する。サイズは様々だが、一般家庭で多いのはコーヒー三、四杯分のもので、鍋底の面積は茹で卵が三つ入るかどうか、だろうか。その中に一見「ココアか」と思えるほど「超」極細に挽いたコーヒー豆と、水、そして砂糖は要るかどうかを訊かれるものだが、これは甘くして飲むのがおおよその傾向であり、それらを一緒に入れて火にかけて、ぶくぶくアワアワと沸騰させる。そうして煮出したものを、ママゴト用のような超ミニミニカップに注ぐ。

 出来上がりの量とは一見、「たったそれだけぇ?」とつい言いそうになるが、それでもう十分と頷けるほどに濃く、そして砂糖入りの場合はしっかり甘い。

とはいえ人の体は七十パーセントが水で出来ているし――なんてことを思いながら飲んでいるわけではないだろうが、その「役」を担えるのは、『ほとんど水』であるチャイの方だろう。空間にハッキリ独特の香りを漂わせる、コーヒーの個性的な強い癖の前には、チャイの風味とはあまりに優しく大人しいが(ってこれまた種類はイロイロあるんだけれども)、まだ「量」を飲める。

 要するに、「コーヒーが多数派」というのは、朝などの強い覚醒作用を欲する時や、来客があったりオヤツだったりと、意識して気分転換を図ったり娯楽要素が混じる時間等に飲むものがほぼソレ、ということ。水分摂取としてはチャイ或いは単なる水であり、全くチャイを飲まない、ということではない。

 

 アルメニアはというと、やっぱり「どっちも」飲む。

が、普段に飲むものとしてはやはり、「チャイ」がより主流といっていいだろうか。根っからのチャイ派である周辺地域と同様、朝から晩までチャイであることの方が多く、よって、お菓子にも当然「お供」にされる。

 で、この工房におけるチャイとは――海外においては紅茶にしろコーヒーにしろ、「えぇぇぇぇ!?」とのけぞるほどに砂糖がザッポリ入るものに直面することが多いなか、珍しくノンシュガーで、となっている。みんな砂糖の山を前にして働いているから、自然と自制心が生まれるのか。ソレは確かに適しており、チャイの渋みは菓子の甘さを邪魔することなく、洗うように流れ去り、快く「次のひと口」を呼び込んでくれる。

だが、それは「ちょっとつまみ食い」のときの話。午前午後の「オヤツの時間」と改まって設ける時、特に午後の三時や四時という時間帯においてはたいてい、チャイではなくて「コーヒー」を淹れる。つまり、ちゃんと腰を落ち着けて、改まって寛ぐ「とっておき」で選ばれるのはコーヒー、ということだ。

アルメニア・コーヒー」である。

 それはやっぱり、極細挽き豆の「煮込み」。アルメニアに特化した点があるというわけではないのだが、わざわざそう呼ばれるように、コーヒーを愛好するアルメニア人は少なくないのだ。

 大きなマグカップでなみなみと淹れるチャイに対して、コーヒーはここでもやはり例に漏れず、エスプレッソ用のような「ミニミニ」カップであり、誰がということもなくそれを用意するのが目に入れば、特別なひととき・休憩時間がやってきたことの合図。なーんにも仕事をしていないこちらでさえ肩の力が抜けてきて、オヤツの時間だ、とホッとする。…常に食っているクセに。

 エニさんは、それまでめん棒をゴロゴロとしていた成形台を片付ける。濡れたふきんで拭い、のっぺりとした木目模様を出したらば、作業中にはテーブルの下に重ねられているプラスチックのイスを人数分引き抜いて、並べた。

瓶をどこからか取り出してきて、その中からスプーン山盛り一杯のコーヒーを、すくう――だけでもう、鼻の穴奥に深い深い香りが入り込んできて、ウットリだ。

 だがこの工房では、あの「色気鍋」は使わない。

 優しいベージュ色に木の葉模様の描かれた、お猪口よりも一回り大きい程度のカップが人数分ある。既に水が入っているその中へ、一カップに付き一杯、焦げ茶色のパウダーを入れる――と、入れたまんまの「山盛り」で浮かんでいるその麓に、サラサラ…と、同じく匙一杯の砂糖も、また。

かき混ぜたりすることもなく、そのまま、それら人数分を全部卓上ヒーターの上に載せるのだ。つまり鍋ではなくて、直接各自が使うカップで煮てしまおう、ということである。

 ヒーターは、理科の実験でフラスコを載せるような小型のもので、作業では、ケーキの上面を覆う為に液体ココアを煮詰める、等で使っており、コンパクトで「ひとり鍋」を保温するのにもよさそうだ。

 暫く放っておくと、熱が回り水が温かくなるに連れて、カップの「山」と「粉雪」はナメクジに塩をかけたように沈んでゆき、液体に馴染んでゆく。ぶくぶくっと細かな泡が立ってきたら、それで出来上がりだ。鍋で煮る場合にしても、「泡立ち」がこのコーヒーの「キモ」であり、カップに注ぐ際「(泡を)消さないように!」と能書きされるポイントでもある。

――と、淹れたての、カップまるごとアツアツが出来上がった。

アルメニア・コーヒー」。

 そう人びとは呼び、私もここにいるからそう呼んでいるが、要はこの「煮込む&濾さない」スタイルのコーヒーというのは、前述したようにグルジアでも飲まれるし、ウクライナでもしかり、そういえばルーマニアでも、宿のレセプションが、大学受験勉強の合間に(レセプションをしている場合だろうかと思うが)小鍋を取り出して、淹れてくれた。

 それぞれの地で「グルジアコーヒー」「ルーマニアコーヒー」とは呼んでいなかった。このスタイルのコーヒーについて説明する際、引き合いに出されるのはもっぱら「トルコ」であり、アルメニア人以外はたいてい、それを「トルココーヒー」と呼んで紹介する。

 ご存じのように、そもそもコーヒーはアフリカ原産。エチオピアからイエメンへ伝播し、アラビア、エジプトへとやってきて、トルコへと伝えられたのは16世紀に入ってからのことである。トルコの前身・オスマン帝国が勢力を広げるに乗じてのことで、支配するに至った土地の習慣が献上され、伝えられた為と考えられている。

現在、トルコは観光地としての認知度は高く、遠いエリアに生きる外国人にとって、ここら一帯を旅しようとするときの入港地点となることも珍しくないだろう。ならば、このスタイル・「煮込みコーヒー」の味に出会う、初めての地となる可能性も高い。説明されるままに彼らはそれを「トルココーヒー」と記憶にインプットし、その先の周辺国で同じスタイルのものに出会えば「あ、トルココーヒー」とその名を口走ることには何の不思議もない。――のだが、カラバフ、ひいてはアルメニアにおいては躊躇があるというか、もはや「禁句」の類だろうか。

 

 トルコの前身・オスマン帝国では、イスラム教以外の宗教を信望することに関して比較的寛容であり(制約付きで)、また様々な民族もこの地に居住していたと言われている。その中に、アルメニア人もいた。…というより、彼らはもともとトルコ東部を含む土地で暮らしていた民族であり、最高峰アララト山は、彼らの故郷としてのシンボルでもある。

しかし第一次大戦中、トルコと敵対関係となったロシアが、アルメニアをその支配地域に置いていたことから、帝国は、「敵と内通している」という疑いを帝国内に居住するアルメニア人に向けた。彼らの排斥・虐殺を仕向け、強制移住を強いることで、数十万とも百万規模とも言われるアルメニア人を死に至らしめた。

 19世紀の「アルメニア人虐殺事件」と呼ばれる、この一連の歴史に対する認識において、現在でもトルコとアルメニア政府間では相違がある。アルメニアは、当時の虐殺の規模と残虐性を訴えるが、トルコもまた「多くのトルコ人アルメニア人によって殺害された」と主張し、アルメニア人の死は、歴史の流れにおいてはやむを得ない事態だった、と言い切る。この為、いまだに両国では国交回復が為されていない。

 アルメニア入国の際に押されたパスポートのハンコをみてみると、立派に「アララト」であると分かるのだが、現在はそれはトルコ領に在る。国際的に利用されるものに、敵方にあるものを堂々と象っている。あてつけ、といっちゃあ言葉が悪い、アルメニアにとっては背筋を張って「当然だ」と鼻息を吹くだろうが、これまた相手にとっちゃあムっと青筋でもあろう。

 またトルコとは、「ナゴルノ・カラバフ」を巡るアゼルバイジャンとの争いにおいて、オスマン帝国が敵方(アゼルバイジャン)に肩入れしていた、という歴史がある。ロシア革命(1917年)が起こり、アルメニアアゼルバイジャンそれぞれ、短命ながらも「独立国」となったが(のち1922年、ソ連邦が成立し、双方その内に組み入れられる)、その時から既にこの地を巡るアゼルバイジャンとの争いは始まっており、オスマン帝国アゼルバイジャン軍を支援していた。

なぜオスマン帝国か――。オスマン帝国・のちのトルコとアゼルバイジャンとは、その多くが信仰する宗教がイスラム教であり、かつ言語も似通っていて意思疎通が容易であるということから、「兄弟」とさえ言われる程に関係が良好である。(が、同じイスラム教でも、トルコはスンニ派が多数を占め、アゼルは隣国イランのように、シーア派が多い。)この時、帝国領土内においてはアルメニア人大虐殺のただなかであり、カラバフのアゼルバイジャンへの帰属を肩入れするのもその延長とみることもできる。

 

 ――グルジアジョージア)の宿で居合わせた、よく喋る陽気な若者二人連れは、アルメニア人だと自己紹介した。

キッチンで私が茶を淹れようとしていると、「これ、いかが?」と、そのうちの一人が自分が飲んでいたのと同じ、白い色した飲み物を渡してくれる。もしかして、…と思って口にすると、案の定、やはりよく知っているものだった。

ヨーグルトと水、そして少量の塩を混ぜてシャカシャカとシェイクさせたら出来上がりの「ヨーグルトドリンク」であり、グルジアでもアルメニアでも、この近辺でお馴染の飲み物だ。特に脂身の多い肉の串焼き、或いはピザなどを食べる時に最適で、そのサッパリ感が、コッテリした肉っ気をスッキリ流し去ってくれる。

「『タン』というんだ。体調が悪いときは、これを飲んだら元気になるんだよ」

と、喉を押さえてゲホゲホし、腹を押さえて腹痛を表すジェスチャーを混じえてそう言った。ヨーグルトだから、そういうもんだろうネ、と頷き、アルメニア語では「タン」と呼ぶのか――あとで単語帳にメモしておこう、と思った矢先である。

隣のソファに座り、先程もこのアルメニアコンビと談笑していたドイツ人旅行者が、膝の上にあるパソコンから顔を上げて、言った。

「それって、『アイラン』とは違うの?」

 ――と、瞬間、彼ら二人の表情が、固くなったのが見て取れた。

「アイラン」とは、トルコにおけるソレの呼び名である。かの地でも、全く同じものを口にすることが出来る。

「これは、『タン』と呼ぶんだよ。」

と、彼らは返した。

「「アイラン」とは、違うものなの?」

「『アイラン』なんて、僕は生涯一度たりとも飲んだことは無い。一度だってね。」

 

 東にアゼルバイジャン。そして、西にはトルコ。アルメニアにとって両サイドから「敵」に挟まれているという状態にあるというのが、長らく続いていたということ。その意識は一般の人々の中にも浸透しており、現在・旅の最中である2013年時点においてもまだ、お互い反感は「現役」であり、強い。

 それは単なる旅人にも、道中で感じることだった。トルコを連想させる言葉は意地でも受け入れない――きっぱりと言い切った時の目とは、その場の雰囲気をがらりと変えたと思う。――本人には全く他意のない問いかけが、相手にとって許しがたい事を内包している場合もある。知りたい、見て見たい、と旅をしている以上、私も、現地の人々の中では本当は触れるべきでない・犯すべきでない一線を、気付かないうちにはみ出しているかもしれない。

私が遭遇し、「感じる」ことであって、全土に置いて反発の感情がのべつくまなく存在するなどと決めつけてはならなし、敏感度とでもいうか、かの地に対して反応するその度合いも、個人によって異なるだろう。とはいえ、その意識に遭遇する頻度は高いのではないか、とは想像できるのである。

 

 

 「トルココーヒー」とは呼ばない。…が、「バクラヴァ」は、大丈夫なのだろうか。障らないのだろうか。 

 ――「胡桃ケーキ」の呼び名である。

 これもまたオスマン帝国支配を所縁とする、トルコ、カフカス地域、イランやアラブ、中央アジア、ロシアなど、広い範囲で見られる菓子であり、特にトルコにおいては「トルココーヒー」的に名物とされる。

トルコの「バクラヴァ」とは、「パイ菓子」である。クレープよりも春巻きの皮よりもまだ薄い、ペラペラした専用生地を、数枚、胡桃等のナッツを挟み込みながら重ねてゆき、盆のような浅い型に入れて焼き上げたもの。皮が非常に薄いだけあって、そのパリパリ層はあたかも鈴虫の羽のよう。その「せっかくの」繊細なパリパリの上から、甘い甘いシロップをたっぷりと、浸るほどにかけるのが特徴だ。

 焼く前に、表面には格子模様が切り込まれており、シロップはその切れ目から中へ中へと、なみなみとあるにかかわらず余ることなくしっかりと染み込んでゆく。格子模様の目・麻雀のコマ一つ分の大きさが「一個分」となり、「……べちょべちょ?」と心配になりながらも食べてみると、柔らかいのはまぁもちろんだが、「層」の存在感はナゼか健在であり、その一枚一枚から、吸収した「甘水」がジュワァと染み出してくるのを受け止める感覚というのが、――「快」。

 発祥は諸説あり、そのうちの一つによれば紀元前八世紀に遡り、ダマスカス(シリア)のアッシリア人によって作られ始めたものという。(「トルコの観光・伝統文化の総合サイト」http://www.jp-tr.com/index.html)。広範囲にみられるのは、これもコーヒーが辿ったように、オスマン帝国の影響下であったが故。…まぁ、オスマントルコがどうのこうのでなくとも、近辺ならば「じゃウチでも作ろうか」と、似たものが食べられるようになるモンなんじゃないかと、モトはインドのカレーも国民食にしてしまう無節操な日本人としては思ってしまうが、砂糖をふんだんに使った甘味とは多くの場合「贅沢品」であり、まずは支配層にくっついて広まるからして、どうしても「帝国」とセットになるということかもしれない。

 というわけで、この辺りでは近代の諍い以前から「バクラヴァ」は存在し、いまも目に付いたってそう不思議ではない、ということだろう。実際、アルメニアの首都・イェレバンにおいても、「パリパリの層、かつシロップ浸し」の、「あ、バクラヴァだ」とひと目見て分かるものが菓子屋には並んでおり、名称のフダも堂々掛けられていた。「…いいの?」なんて、余計な心配というもんだ。

 …というならばじゃあ「アイラン」はナゼ、というと、想像するに「バクラヴァ」の場合は、それがトルコに限らずそれ以外の国でも一般的な名称であるが、「アイラン」はトルコ国内における呼び名であるからか。ちなみにお隣・イランやアゼルバイジャンでは、ヨーグルトドリンクは「ドゥーグ」と呼ばれている。モノは同じでも、トルコ一国に染まった呼び名はダメ――、…ってか。

 名称はじゃあ問題ないとしても、だ。

 今、この目の前にあるソレに対して、やはり「ん?」と思わずにはいられない。

…これ、「バクラヴァ」?

「層」――にしては、フックラと柔らかで、パイとは発想しない。「ケーキ」ではないのか、コレ。

バクラヴァ」のイメージに当てはまる部分を言うならば、生地に挟まれたソボロの何パーセントかに「ナッツ」(胡桃とヘーゼルナッツ)が入り込んでおり、仕上げに蜂蜜という「甘味」が塗られている。そして、一切れは四角(菱形)に切り分けられる、ということだろうか。

正直、「バクラヴァ風」と呼ぶにも無理やりな気がする。アルメニアにおいて「バクラヴァ」は独自に進化したのだ――というよりも、これはこの店のオリジナルであるように思われる。(イェレバンで見た「バクラヴァ」は、「いかにも」の型通りだった。)

…もしかすると、それが作戦だろうか。「これがバクラヴァ?」と訝しく思わせて、どんなモンなのかと興味を引く。一個ぐらい食べてみようかと誘う……。

 ――実際、これを「バクラヴァ」と呼ぶのなら、これから先は私もそれに従いますと、宗旨替え(?)してもいいぐらいの実力はある。

 本家とは似て非なるとはいえ、決して引けを取らない味だ。切り売りもあるが、菓子箱一個丸ごと売れることも少なくなく、私がここの住民だとしてもそうするだろう。



 ――そうして、啜る。

 カップの縁に少々の泡を吹いた、煮立ったばかりのコーヒーは、いくら「淹れたて至上主義」のヒトとはいえ、出来てスグに唇をタッチさせればその皮をベロンと吸い取ってしまうこと必至(だってカップごと熱してあるんだから)。ちなみにこの煮込みコーヒーは、豆を漉さずに提供するもんであり、インスタントじゃないんだから当然、粉末は溶けずにカップの中に残っている。だからコーヒー豆を沈殿させるためにも、少し待った方がいい。そうして液体の上澄みを、落ち着いて、ゆったりのんびり「お茶の時間」らしく啜るべし。お菓子に気を取られながら、という加減でちょうどいいのだ。

 だがいくら上澄みを、と思っても、やはり少々は(コーヒー豆が)口の中に入ってくる。その「入ってしまった」ジャリジャリした感触が、イヤではない。…どころか結構好きであり、無いと物足りないと思っている。今、ワタシって「変わった(いつもと違う)コーヒー」を飲んでいるなぁ――という実感がある。即ち「旅の中に在る」ことをジャリジャリ噛みしめて酔う為の、それはアイテムでもあるのだろう。

 それにしても「甘く濃いコーヒー」と「甘い菓子」とでは、アマアマしてクドイのではないか。お互いの味が打ち消されはしないか――というと、「それとこれとは別」。コーヒーはこの菓子のスパイスであるかのように、違う方向からその味を補強して膨らみを持たせる。喉の奥へと消え去るときの余韻もまた、快い。

 ウマいねぇ…。

と、あちこちから湧いていたギモンはやがて、ただその一言に丸め込まれてしまうのが不思議だ。これが、いま、ここであるべしの「バクラヴァ」であり、「コーヒー」。その存在には、誰にも何も言わせない力がある。

 …んだけれども。

 気付け薬的なカップに「チビッと」のコーヒーと、モゴモゴ・ボロボロと、「喉に籠る」菓子の取り合わせ。これ二つをセットにしたものを「ひとつの菓子」とみなしていいと思うのであり、コレを潤す為の飲み物が、改めて欲しい。水分を求める為にコーヒーの量を増やしてもらう――のは、この場合相応しくないことは、そのコックリ度から理解できる。

 コーヒーは大好きだが、それなりの量を飲めるチャイの方が、私としては「助かる」。本音を言えば、ここでコーヒーを淹れるなら、チャイも同時に淹れて欲しいのであるが、そんな手間がかかることは口が裂けても、というモンだろう。じゃあ自分のペットボトルの水を出して飲むかというと、それもなんとなくアテツケだろうか、という気がして出来ない。要するに、水分を欲するほどに食べ過ぎなければいいのではないか。

…ってそれは、私の力では、如何ともしがたく。

 

(訪問時2008年、2013年)

 

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カラバフのケーキ屋さん④ ~味見天国

 カラバフのケーキ屋さん① ~定番「フワフワ四角ケーキ」

カラバフのケーキ屋さん② ~「ナゴルノ・カラバフ共和国」

カラバフのケーキ屋さん③  ~菓子累々

 

目次

お菓子の家

 

 小さな男の子が、ミニ・ご飯さんに何かを伝える。後ろに手を組み、呟くような小さな声で、…なんだろう。キレイなお姉さんに、思い切っての愛の告白、だろうか。

練乳缶の蓋に、ナイフをグッサリと突き刺す、という動作にあった美しい人は、その手を止めて「いいよ」と頷いてから、商品台へと歩く。

 缶を開けるのに、ナイフを使う――は、普通なのか。グルジア国境近い町の宿で、鰯のトマト缶を食べようとして「缶切りある?」と宿主にジェスチャーで求めるも、速攻で首を振られた。…缶切りぐらいフツウ、家にあるでしょ?冷たい対応に、ケチンボ…と呟きながら、仕方なく手持ちのナイフでグサグサしながらこじ開けていたのだが、ナッツ砕き機器(ロシア製)を揃えているココでさえ、缶切りは無く「ナイフ」で、である。…もしかすると、「缶切りある?」などと訊くこと自体が愚問だったのか。

 ミニ・ご飯さんは、放射状に並べてあった「コーンクッキー」――というのは、ソフトクリームを受けるコーンみたいな、円錐状に巻いてある薄いクッキーのことだが、それをひとつだけ取ってくると、フワフワ四角ケーキを組み立てているアンさんと作業台を挟んで向かい立った。

クリームを拝借するのだ。スプーンで、ピンポン玉よりは小さい塊をすくいあげたら、まずは(コーンの)ラッパ部分になすり置いて、スプーンの膨らんだ部分でチョイチョイっと奥へと押し込む。続いて棚の下から胡桃(砕いてある)の入った容器を取り出すと、ラッパを上に向け、詰めたクリームの上からそれをパラパラと振り掛けた。

ソフトクリームを食べる際、ときに(頻繁に)落胆に覆われるように、クリームはコーンのなかに半分程度しか詰まっていない。……と思ったらまだ続きがあり、更にクリームをモッコリすくいとって、ラッパの口・すりきりまで詰め込み、その面を平らにした。

 ソフトクリームというよりも、パン屋で見かける「コロネパン」。アレも口のところまでクリームがあるように見せかけて中はスカスカ、というのが多いが、コレはぎりきりまでクリームを、空気も入らないようビッチリぴちぴちに詰めてある。ウン、実に頼もしい。そうあるべきだ。

トドめに、逆に持ち(クリームの「入口」を下に向ける)、朱肉に印鑑を押しつけるが如く、胡桃フレークの中に突っ込ませる。逆さになっても、ヤワなクリームじゃないから落ちてしまうことはない。持ち上げて見れば案の定、濡れ手に粟、じゃなくて「胡桃」がクリーム面にびっちりと貼りついている。「ビッチリ」――「クリーム詰め」業界では、ぜひとも心しておいて欲しいキーワードである。

それを「ボク」のところまで持ってゆく。と、しばしあっちこっちさせていたボクの視線の糸はすぐさま引っ張られた。

「お待ちかね」と差し出すと同時に、反対の手ではボクからの小銭を受け取る。ソフトクリームじゃないから溶けやしないのだが、受け取って数秒もしないうちから、ボクはパクっと口に含む。そうやってマイクを握り締めるようにしながら、小さな背中は去って行った。

「リクエスト」があってから、クリームを詰めるのだ。最初から詰めて並べておくと、コーンがクリームでシナってしまう、という配慮か。

「二つ頂戴」――と、買い物帰りにソレを片手にして、それぞれ齧りつきながら帰ってゆく親子連れ。やっぱりソフトクリームを食うシルエットだ。小さな女の子たちが数人、小銭を握り締めてやってきた。――学校脇にあった駄菓子屋に、ワクワク通った時のことを思い出す。

 このクリーム・コーンは結構人気のようで、お土産に買って帰るというよりも、みんな小腹を満たすちょっとしたスナック的に手にしているみたいだ。とはいえ主役であるクリームとは、アイスでもなし、またカスタードクリームでも生クリームでもない、「マーガリンクリーム」。…と言うと、「ネオソフ○」に指突っ込んで舐めた記憶がやってきて、口の中がネトネトあぶらぎってくるようではあるんだけど。せめてそれを洗い流す、チャイ(紅茶)がお供にないと喉が「クドイ」とネを上げそうな気がする――のだが、「お腹すいた」と現れたお客が指差してくるのはコレであることが多く、たいていみんな、店内から去る前にはもう唇で突いている。

 

 生地を成形する為の手粉が風に舞うからか、エニさんが、開かれた窓の戸をほんの少しだけ閉じようとする――という時には不思議と、たいてい外に誰かがいて、「いらっしゃい」とまた全開することになる。

窓辺から顔を出したのは、どっしり体系にスーツ姿の、気位高そうな年配の女性。ピッと伸びた背筋にはハクがあり、その目は最初から商品テーブルの上をなぞってはおらず、ただひと言をアリーナさんに向かってかける。と、彼女は五分ほど前にデコレーションが終わった丸いケーキを、敷いてあるダンボール紙を支えながら持ってきた。

店の品揃えとは、フワフワ四角ケーキのほか、全体的に日持ちのするクッキー類が多い。そのうち、デコレーションが顕著な丸い(ハートも)ケーキは一割というところ。一、二台は中の商品台にも置かれ、場所をとるからかあとは市場からの出入口に設置してあるガラスケースの中に待機している。が、これは見て選ばれてゆくというよりも、「〇〇の記念日」として、要望をあらかじめ受けて作ることの方が多いだろうか。

 これは「フワフワ四角」よりもフワッとした厚みのあるスポンジで、なによりその装飾が凄い。クリームが凄い。

 ドレスがヒラヒラ翻るような縁の内側には、色づきのクリームで描かれた蔓が踊り、葉が舞い、幾重にも花びら纏うバラが咲き誇る。上から更にキラキラと「ラメ」が散りばめられるなど、「ご覧あれ!」とばかりに豪華絢爛たるものが殆どであり、切り分けるときにはきっと、「あーあ」と声が漏れることだろう。

で、「出来てるよ」と今持ってきた特注品とは、特に大きい、直径三十センチはあろうケーキ。

 てっぺんには、大ぶりの四角いビスケット二枚をハの地に立てた「家の屋根」があり、その周囲に白いクリームで降り積もる「雪」が描かれ、ドア付近に狐ともタヌキともしれない小さな人形(既製品)が立っている。クッキリしたピンクと緑に染まったクリームでフリフリと円周が縁取られ、赤い線でウネウネと、アルメニア語の文字が流れるように書きつけられている。たいていロココ調っぽい感じの装飾が多いのだが、ペンキを塗った積み木みたいというか、原色べったり、見てチカチカとするような色の取り合わせ方は珍しい。きっと小さな子供への何らかのお祝い用だろう、というのが言われずとも想像できる。

 この人の予約だったのだ。

と、ソレを目にした瞬間から、手にするまでの間に――女性の厳ついイメージが、緩み、ほどけ、崩れゆく。「うわぁ…」と何やら語って受け取ると、「じゃあね」と満面の笑顔で背を向けて去ってゆく。この人もまた、馴染みのお客なのだろう。

 …って、それでいいのだろうか。

 ダンボール紙一枚で支えるのみの、ケーキは「裸」だ。…箱にでも入れたいのではないか。

 店にケーキを入れる為の箱は、あるにはあるが、「フツーの」である。日本のケーキ屋さんで入れてくれるような、側面を開閉してスッとケーキを出し入れ出来るようなものではなく、単純に、上からボトンと入れるのみ。「フワフワ四角」であれば、側面がソボロでガードされているから損傷が殆どなく、一台まるごとボトン式でも問題ないようだが(とはいえ入れ難そうだ)、このクリームデコレーションの場合、表面だけでなく側面にも「唐草文様」や「レース」がフリフリと描かれているから、ソレを潰さず…となるとそりゃ確かに難しい。せっかくの「豪華絢爛」がくっついたり崩れたりで、無残なグニョグニョになってしまうことだろう。

 だからそういうのを購入するお客は、三・四人前の寿司桶を抱える出前兄ちゃんのような姿勢で、「素肌のケーキ」を持って帰ってゆくことになるのだけれども、なぁに家はすぐソコだし――だとしても、石に躓いて転んじゃったらどうするのか。それは電話帳じゃないんだから、なんとも無かったような顔して拾えんだろうよ。…あぁ、コワ…。

 そのためかどうか、このゴージャスケーキは旦那・サメルさんが車で出前することも少なくない。ブレーキ踏んだり、カーブの時とかに、ケーキが右左に揺れ動かないかと気になりそうだが、そっちに気がいってどうか事故をしないようにして欲しい…。



 売り台をじっと見ている。――と、繰り返すけどやっぱり「フワフワ四角」がよく売れる、というのが分かる。

 だいたいお客さんは、「ひと切れ」にカットしてあるヤツを選ぶんじゃないか。「一台丸ごと」には躊躇があるのではないか――と思っていたのだが、結構「一台丸ごと」なのである。もちろん小学生が駄菓子の入ったビニールを持ち歩くように、或いはダイエット中の息抜き程度にとばかりに、カットされたものを数個のみ、という人もいるにはいるが、「イェレバンスキとシガラそれぞれ八個ずつと、四角ケーキ一台丸ごと」など、一度に大量に持ち帰る人も少なくない。ドカ買いするのを何度か目にしていると、ここではみんながみんな、毎日毎日やたらめったら「お茶」しているような光景が思い浮かばれてくるようだ。スバラシイ。

 アンさんがソレばっかり塗っているのも道理ですなと納得。売れるから要るんであり、「仕事に慣れる為」とかいうのは後から取って付ける理屈だ。棚の「古雑誌状態」に見えたスポンジ――「いつ陽の目を見るのか」の心配なんてのも、全くもって杞憂、というモンである。

 ところでフワフワ四角ケーキ「まるごと」を箱に入れるテクニックとは。――というと、ケーキの載った台紙(四角ダンボール)を、箱の一辺に沿わせて斜めに差し入れたところで、シャッと(ダンボールを)引き抜けば、ストンとケーキがちょうど収まる。

「ちょうど収まる」のは当たり前で、手作りなのだ。もとは切れ目だけが入った白い厚紙を、アリーナさんが時々パチンパチンとホッチキスで留めて「箱」に組み立てている。もちろん手近な箱が転がっていたならばそれも使い回してとっておき、「ケーキ三切れを箱に詰めてほしい」という人の為にも、大小様々を揃えておいた方がいい。サメルさんが、配達や材料調達で移動中に入手してくるらしく、想像するにスーパーでスミに投げられているダンボールを「もらうね」と拝借する、あんな感じだろうが、ここには「あんな感じ」のスーパーがない。店が並ぶ通りは確かにあるが、ダンボールが山と出るほどに回転がいい店というのは覚えがなく、不用品とはいえ収集も結構大変なのかもしれない。

 お客さんの前で、その箱にケーキを詰め終わったら、補強の為にカドをセロテープで止めよう――と、「ちょっと、この端っこ、探して」。

「セロテープの端っこ」がどこか分からなくなったらしく、アリーナさんにその匙を投げられたのは、「お客さん」。ジッと他人事のように見守っていたおばさんは、抱え持っていたミニバッグを脇にはさみ、目を凝らしてそのつるつるした表面に爪を立てる。取れるじゃない、と、その先端を引っ張り出したら、「じゃあここ抑えてるから」貼って、とばかりに、アリーナさんはカドっこをおばさんに向ける。

…そういうのってフツー、日本じゃお客にはやらせないよな、と可笑しくなってくるのだが、おばさんは特にどういうこともなく、箱で良いようにガードされ終わったケーキを抱えて「じゃあね」ゴメンなすって、と、クリームのついたスプーンや、天板を持ったままのみんなの合間を縫って行く。

 ――「同等」。作り手と買い手は、同じ位置だと感じる。

「お客様はカミサマ」――買い手と売り手の立場を明確に区切り、お客を「上位」に扱うことが美徳であるトコロにおいて、カミサマの側・サービスを受ける立場にある時、それを心地よいと感じたことは正直、ある。だがここから見れば、それはあまりに「劇場」。滑稽な世界だ。

店とお客はもう少し肩を抜いて、自然な人間関係にあっていい。だから誰もが何気に出入りできるのだろう、と、その気張りのない空気に羨ましさを思う。勿論、信頼関係があればこそで、一歩間違えば横柄な雰囲気に転じて無礼となり、不快感を伴ってしまうだろうが。

  

味見天国

 ミニ・イェレバンスキに手を伸ばして、巻かれたソボロが描く「渦」をじっと見る。そうして、口の中へ。

やはり、これを「クッキー」と呼ぶには足りない。とはいえ「ケーキ」或いは「パン」とももちろん一線を画しているから、便宜上「厚いクッキー」と分類してしまうが、やめられない止まらない、とパクパクと何気に口に放り込めるような尻軽さは無い。分厚い、焼きイモのようなホックリ感。それが咀嚼するにつれてモロモロ、ホロホロホロっとほぐれてゆき、崩壊する――という展開を口の中で受け止める。一個で、「食っている」ことの充実感がある。…って一個で済まんのだが。

 ソボロがよくその役割を果たしていると思う。

 生地自体には、油脂と卵、そしてヨーグルト等々が入るけれども、砂糖は無い。よって、材料自体が持つ素朴な、おとなしい甘さが奥ゆかしくあるのだが、そこに「ソボロ」という明確な甘味が張り付くことで、メリハリが生まれ、全体的にまぁるく優しい「菓子」の範疇へとまとまる。本体とは異なる、ソボロの「ボロ」っとした噛み心地もまた快い。――あぁなんと、温かい「チャイ」によく合うことだろう。

 同じイェレバンスキでも「ビッグ」の場合は、やはり折り畳んで畳んで「層」を作っただけあって、触れるとパリパリと、膜が砕けてゆく。ミルフィーユほどの繊細さはないが、ホクホクほぐれる「クッキー」っ気を残しつつも、油脂の風味がより明確なパイの素質も併せ持つという、まさにミニの進化型バージョン。…いや、ほぼ「ミニ」とは別物といっていいかもしれない。

イェレバンスキ・シスターズと同じソボロ使っている「シガラ」は、――こちらは(ソボロに)ヘーゼルナッツが入る分、その風味が立っているかというと、それよりも独特な「食感」に意識がゆく。これは成形の時、ソボロを一面広げてしまうことなくアンコのように塊で置いた為か、含まれる砂糖分がまとまって溶けており、トロッと…とはいえクリームとは異なるし固形ともいえない、曖昧な感触が生まれている。カリッとした外皮を齧ると、ソレが出てくるのがオモシロ旨い。

「バナナ」は、これまた「カリっ、ボロっ」としたクッキーにギュッと詰まっているソボロの、味が異なる。

前述したようにトボローク(カッテージチーズ)が混ざっており、「チーズ味、かつ甘い」――となれば思い浮かべるのはチーズケーキ。見た目で「バナナ」とは発想しない、素朴な、……曲がった枝が放置されているだけのような地味な形だが、かなり旨い。

「ブーメラン」でもいいんじゃないか、バナナの味はしないんだし。何故「バナナ」なのか――と、安易に想像することとしては、かつての日本がそうであったように、それが高級品の代名詞であり「憧れ」である…とか。産地から遠く遠く離れたこの地で、その果物はかなり高価であり、桃やらブドウやらが一キロあたり百二十円程度であるのに、バナナはその倍はする。希少品で高価なソレを模すことが、嗜好品としてのステータスを向上させているのだろうかと、父がスーパーで見かけては「懐かしいナァ」とたいてい呟く、「バナナカステラ」を思ったりもする。

 …と、アラ。

「ボク」が再び現る。クリーム入りコーンを買っていった男の子――忘れ物でもしたのだろうか。

小さな声で呟き、やはりミニ・ご飯さんの前でモジモジとしているから、「お姉ちゃんのことスキなの?」とでも意地悪を言いたくなってくるが、天使は「わかったわかった」と笑いながら、数回頷きながら席を立つ。

「おかわり」である。

 ――え。

アレをもう一個…。クドくないのか、なんて正直思うが、まぁ、「『もう一個食べたい』ところでやめておいたほうがいい」などと抑制しよう気が無いのが子供というモンであり、子供でなくとも私は真夏、一日にアイスを少なくとも三個は食べている。…が、そうだろうか。もしかすると…。

天使のような、綺麗なお姉さんに会いたくて、の「もう一つ」――ミニ・ご飯さんは、このボクに芽生えた淡い恋心の「キミ」。「あら、また?」でもなんとでも、反応して貰えること自体が嬉しくて。

「ありがとう、また来てね」と、満面の笑みでその鼻頭を指でツンとでも触れたらば、きっとボクは真っ赤な茹でダコ? 出口のところまで行って、恥ずかしげに出てゆくその背中を眺め、この後の道中はきっとホップステップジャンプしている――などと妄想しながらも、「コレ食べてみなよ」と取り分けられた「鈴カステラ」を摘んでみる。

「鈴カステラ」とはもちろん、見た目からこちらが勝手につけた名称だ。丸い、それも「球」形の薄皮クッキーであり、中にはクリームが入っている。

――なんて、「ボク」のことなど、とても言えるもんではない。

「もう一つ」が積もって一体、幾つになっているというのか。三大商品(フワフワ四角ケーキ、シガラ、イェレバンスキ大・小)はもちろんのこと、クッキー族――「頂戴」となってからクリームを詰めるコーン型を除き、「バナナ」、「鈴カステラ」等々――一応私、ほぼ全品食べている。

 別に自分に向かって並べられた品々ではないはずなのだが、各種勢揃いした商品台その前に立つだけで、「どうぞ!」と訴えらえているようで、心がピンクとオレンジに渦巻いてソワソワする。子供の頃に夢想した、「お菓子の家」の前に立って戸惑いたい、というのを疑似体験するようであり、あの状況への憧れは、幾つになっても心に健在なのだろう(捨てられて殺されかけるのはごめんだが)。

天板に現れた焼き立てシガラを一本、「食べなよ」とサッと差し出してくれる、なんてことが合間にチョイチョイあるだけでなく、彼らのルーティーンの中に、ちゃんと腰を落ち着ける「オヤツの時間」というのが、午前中と午後に必ず一度は設けられている。みんなの動きがなんとなく穏やかになって来たタイミングに、商品テーブルから数種類を「どれがいい?」と返事も待たずにポイポイ適当に選んで小皿に盛り合わせ、四角ケーキならば一切れを更に三つにカットするなどして、いろんな味をちょこちょこと摘まめるように。クッキー的な歯応えのある菓子ばかりを口にしていると、スポンジの柔らかさもまた恋しくなり、…などと、キリなく楽しむことが出来る。

「一個食べたらもう一個欲しい」というのが基本の私でも、息継ぎのように「常に食べ続けている」感があり、一日トータルでいったい幾つ?夕方近くには、体はスッカリとお菓子で埋めつくされたような気がしており、「どう?」と差し出されるもう一個に対し、「イエイエもう十分です」と手を振るのは遠慮じゃなくてマジで心から、となっている。彼らと時間を共にしながら、「立ちっぱなし」による足のダルさを久しぶりに味わうとはいえど、私の場合それ以上になく、エネルギー消費量なんて取るに足らないものだろう。ほぼ毎日毎日、ただ見て、ただ食べて帰るだけの自分に罪悪感がないわけではなく、彼女らと同じ調子で「お茶とお菓子」をやっていてはイカンのだってば。――が結局、ウマイウマイと頬張ることこそ「恩返し」だ、なんてヤケクソ的に開き直ってしまうのだ。

 特に今回、五年前は見なかった「胡桃ケーキ」に、特に心酔してしまっていた。

 胡桃がひとつ、トップの中心を飾っている、ひし形にカットされたミニケーキだ。まさに胡桃の殻のように、コックリ濃いブラウン色で、かつ飴がけしたように表面がつやつやしている。見ただけで、「フワフワ四角」とはモト(の生地)が異なることが分かる。

 その色はナニを使った生地?黒蜜でも?――というと、「ペクメズ」というシロップを混ぜる。砂糖は一切加えず、ブドウ自体を煮詰めたものだという。

このケーキの作り方を紹介しよう。…といっても残念ながら、生地自体を仕込む場面は逃してしまったので、その成形から。

 

クッキー用というには柔らかく、餅よりは少し締まった感触の生地を、めん棒で長方形に、天板に丁度入る大きさへと伸ばすのを、三枚。

一枚を天板に敷き、その表面にメレンゲ(卵白と砂糖をピンと泡立てたもの)を塗って「ソボロ」を振り撒いたら、もう一枚、生地を重ねる。その上に、同じく塗って振り撒いて、とやったら最後の一枚重ね、蓋をする。これで一台分。

その直方体のトップに、ナイフで飾りを描く。菱形が並ぶ幾何学模様――このケーキは切り売りするから、装飾であると同時に、カットする為の「一切れ分」の跡線でもある。

艶出しの為に、溶いた卵黄を刷毛で塗り、それぞれの区画の中央に、胡桃の大きな破片を載せる――というのも、生地と生地の間に挟み込んだソボロとは、「スペシャル版」。「シガラ」に使うヘーゼルナッツ入りのソボロに、細かく砕いた胡桃を追加してあるのだ。トップの胡桃は単なる付け足しのお飾りにあらず、このお菓子の醍醐味たる「主役はワタシ」という念押しである。

そして焼成。焼く前に卵黄を塗ってある為、見事な褐色に焼き上がる。それに更に塗り付けられるのは、蜂蜜。これがツヤツヤ「飴肌」の所以だ。

 

というわけで、材料がアレコレ入った、かなりリッチなケーキだ。

フワフワ四角が普段着ケーキだとすれば、こちらは蝶よ花よと育てられた「お嬢様」なイメージであり、……甘ったるそう、と、作り方を見ているだけで一歩引き気味になってしまうのだが、そういうものほど、どうしてどうして魅せられてしまうのだろう。

口に入れてみると「クドさ」など浮かばず、ペクメズのせいか蜂蜜も一役買っているのか、コクある甘味とナッツの香ばしさの相性がことのほか良く、またボロボロとフワフワが一体化したような食感に魅了され、いつのまにかカロリーへの心配なぞ丸め込まれてどこかへポイ。ただただ、「おいしいわぁ」と呟くのみの単細胞と化している。

ちなみにこの胡桃ケーキは、「バクラヴァ」と呼ばれている。――と、

……ん?

バクラヴァ」とは確か、「かの地」でよく耳にする菓子であるが――

 

(訪問時2008年、2013年)

 

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