主に、旅の炭水化物

各地、食風景の点描

たこ焼き姉妹 ~ロンスエン・ベトナム 

「これ、食べてみて」

 無垢、とでも言い表せる柔らかい乳白色。ちょっと触ればフルフルと揺れ、その表面から中身があふれ出てしまいそうだ。

 親指と人差し指で作った「オーケー」よりもひとまわり大きいか。オセロ玉二つ分程度の円形で、横から見るとピンポン玉を三分の一ぶった切っような、浅いお椀型のシルエット。下(底)が球状の部分で、平らな面が上。だから皿の上では少々傾いている。

幾何学的でシンプルな外観は、窓辺に飾る置き物であってもべつにいいぐらい「静的な物体」にも見えるが、「表面張力で少々こんもりした上の部分に少々まぶされた生々しいネギが、間違いなく「食べ物」であることを訴えている。

 けれども、ほかに分かり易いものはない。脂の焦げる香りが立ち昇るわけでも、肉汁滴るサマもない。初めてこれを目にするならば、「美味しそう」などと口走るよりも「なにコレ?」という疑問であり、味がさっぱり予想できずに戸惑うだろう。「ワカラン…」。だからこそ、食ってみたくなる、手を出したくなるというもんではあるが。

 ――などと想像してはみるが、日本で暮らしてきた人ならば、おそらく「アレ」をすぐに連想するハズだ。

 出来上がって皿に盛られたものよりも、それを作っている――「焼いている」場面を目にすればピンとくる。いやそれ以前の、道具を見るだけでも十分だろう。

 表面に、小さな丸い窪みが幾つか並んでいる鉄板。それを見つけたらば、焼き上がったものの説明に「円形で…」などという表現もまずしないのではないか。

 まさに「たこ焼き」である。

 ただ、日本のたこ焼き店で見るようなに大きな鉄板ではなく、フライパンのように円いかたちで、生地を流し込む「窪み」も、家庭用ホットプレートに付属しているやつよりもまだ少ない、ほんの八つしかない。また焼き上がりは「球」ではなく、窪みに生地を流したまんまの「お椀」型。

 ともあれこれは日本の影響なのか。繋がっているのだろうか――などと、関西方面の人ならば特に、頬を緩ませ想像することだろう。

が、「たこ焼き」。まさにそれを調理する姿にしか見えないにかかわらず、それに通じるような香りはなにも漂ってこず、焼きあがったものとは赤ちゃんのほっぺを思わせる、あどけないミルク色。なにをもって焼いたらそうなるのか。

 ――って知っている。

 日本以外でソレ・「たこ焼き」の調理姿を見るのは、これが初めてではない。

 ココナッツミルクである。

 ここ・ベトナムだけでなく、タイやラオスカンボジアミャンマー…ではどうだったかちょっと記憶にないけれども、ともかく東南アジアでは結構頻繁に見かけるもの、という印象であり、私はタイの屋台で初めて食べていた。

だから、味は想像できるのであるが……。

 

 

 ベトナム南部の中心都市・ホーチミンよりさらに南へ、バスターミナルからミニバンで約四、五時間。「ロンスエン」――と、ガイドブックにあるのをそのまんまカタカナ読みしても首を傾げられ、現地の人の発音からは「ロンシン」と聞こえる。メコン川下流域・デルタ地帯のさなかに位置する町だ。

 トットトットットッ……と、船のエンジン音が響く。むき出した小さなエンジンを端っこにチョンとつけた、渡し船的な小さな木造船から、もう少しゴテゴテと組立った漁船っぽいの、そしてフェリーのような大型船までが、「海」のように悠々たるメコンに紛れるよう、遠くに近くに漂っている。

 旅で一番オモシロイはずの場所・「市場」は、そのメコンに沿って広がっていた。

 幌屋根の下では、野菜や果物が山を作り、パラソルが連なる処には、タライに入ったメコンの幸が所狭しと並べられる。やはり賑やかなのはこの魚エリアであり、跳ね飛ばされる水しぶきが太陽の光にキラキラと輝く中、そこかしかこで客と売り手が滑舌に値段交渉をしている。

 そんな中を喜々と練り歩いていると、突然彼らの縄張りに紛れ込んできた旅人に対し、えらく人懐こく、いい笑顔を向けてくれる人たちに出会った。

 

 コーヒーを飲んでいると、「食べてみてよ」と勧めてくれたのは、そのなかにいたベーさん・ヴォンさん姉妹。

 彼らが商売にしているのは「たこ焼き」。円いの一つ、小皿にのせてくれた味見用をスプーンですくい、いただいてみる。

 口に近づけるに連れて仄かに漂ってくる甘い香りは、あぁ、そうそう、「ココナッツミルク」だ――としかし確認する間もなく、噛んだような飲んだような、よくわからないままあまりにあっけなく、それは喉を通り過ぎてしまった。

 極限、といえるほどにトロトロだ。

 それが漏れ出てきたと思ったら、溶けてどこぞへと消えてしまうような感覚。豆腐よりも柔らかく、…「卵豆腐」。いやまだ柔らかい――寒天の分量を最小限にして作った、「杏仁豆腐」。または、……そうだ、「白身」だ。温泉卵、或いは半熟も半熟で焼いた目玉焼きの白身。あの絶妙なトロロん具合にも似ている。

 半分だけ齧ってみるつもりだったが、トロンが垂れ落ちてしまう前にと、吸い込むよう慌てて口に入れる。

あっというまに――とはいえ、シャワーを浴びた人とすれ違った時のように、残り香のようなものが留まっている。……悪くない。いや「悪くない」どころではない、美味しかった。…どころでもなく、「ものすごく」オイシかった、という気持ちが残像のようにある。

 甘い? 甘味はある。けれども、そこまであからさまではない。

正直、もはや驚くには値しない味だと思っていた。だが初めてソレを口にしたかのように、目ぇ見開いてびっくりしていることが意外だ。

……改めて、ちゃんと「一人前」を食べてみたい。

 

                        (訪問時2006年~)

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  吟味と葛藤 ~サワンナケートのカオチー⑤

 ヒトが仕事しているって中、一人だけイスに座るっていうのは憚られるのだが、しかし座んないと、目を光らせて「座れっ!」――よけい気を遣わせてしまうらしい。

作業の合間に飲む水を、私にもすすめることを忘れない。あぁ、私はただ見てるだけなのに…と申し訳なさを感じつつも、せかされてコップに口をつける。そのとたん、キューっと一気に飲み干してしまいたい衝動がやってきて、自分の喉の渇きに気付くのである。

 ミキサーが回る以上、生地の波は間違いなくやってくる。「終わり」というものがまだ遠い先の先、であることに、何度見ても、「そういうモンだ」と悟れない。「何度」といったって、二、三年に一回、それも三日やそこら滞在する程度の私に言われてもカンに触るだろうが、見ているだけでめまいを感じるほどに、キツイ仕事だ。

――とはいえ勝手なモンで、ここの人たちが「カオチー作り」に従事し続けていること、ソレを確認するたびに、ホッといているのだ。

『見せてもらえませんでしょうか』

という、自分としては一応敬語を使いまくっているつもりの「態度」で、タイ語だかラオス語だかをメチャクチャにミックスさせ、ようやく入り込めた時のド緊張は忘れられない。この町に立ち寄る最初のきっかけとは、単に、旅を進めるルート上だったから、という気まぐれ的な途中下車に過ぎなかったのだが、ラオスのカオチーを探るその一歩が踏み出せた初めての見学場所であり、「原点」だと思っている。

 だから、ナンもせんのに勝手なことを言うな、と怒られそうだからせめて心の中でのみそう願わせてもらうが、「いつまでもガンバッテね」。

 美味い、最高、ラオス一。こんなに旨いカオチー、無くなったらみーんなが困る。転職しようなんて絶対思わないで頂戴よ頼むから――と、思いつく限りの誉め言葉を並べ立てたくなる。

 

 見て快感「クーブのめくれ」部分をつまみ、引き千切ってみれば、湯気とともに立ちのぼる香り――は、ソレがまだ「生地」だった頃にも嗅いだような、と、蘇ってきてハッとする。

「そうなんだ…」

窯から出現したそれは、まるで魔法でもかけられたかのように「別物」に変貌してしまったのではなく、焼かれる前から、というか成型時から――いや、ミキシングの時から既に未来は内包されていたのである。連続して在るものだ。「経て」、出来上がったのがコレなのだと、当たり前のことながらつくづくと思わされる。

 歯を立てる。と、さすが念入りに焼きこんでいただけあって、期待通りに張りがいい。とはいえやたらめったら「バリッ」としている風でもなく、ほどほどに、「そうあって欲しい程度」に、硬い。

白い部分・内層は、フランスパンの特徴である「大小まばらな穴」はそれほど顕著ではなく、どちらかというと均一な気泡で、ムッチリと力強い「ひき」がある。ムギュムギュと噛み締めねばならんこともないけれど、「芯がある」柔らかさ、とでもいおうか。

 日本で食べていた「フランスパン」は、まるで卵の殻のように、外皮と内層はハッキリくっきり・他人のように分かれているように思う。中の柔らかさに対し、外皮は他人のように硬い。だがここのコレは、硬い部分が徐々に中へ向かって柔らかくなる、というような、グラデーションある様相だ。

 この地の、今までの記憶が一気に蘇ってくる、「ここのだ」と確信できる風味である。

まるみのある味。何を狙っているわけでもない、シンプルだが、甘い――なんて、鼻から?舌から?どちらの感覚に因るのだろうかと、白い綿部分を唇で引っ張りながら、生地の並ぶ天板を窯の中へ差し入れ、迎える作業を繰り返す彼らを見守る。

 クソ熱い天板を、鍵棒一本、ボロタオル一枚で、お構いなしにヒョイヒョイと動かす彼らに対し、「アブナイ!」なんて口に出すのは、おままごとだろう。だからといって私でも出来そうだ、なんていうのは大間違いの大勘違いであり、熟れた桃の皮のように、ズルッとひと剥け(皮膚)は免れまい。

 そして。何か言いたげだが、しかしよく聞き取れない――そんなもどかしさを感じさせる、儚い味でもある。

 町なかでカオチー売りを見つけ、「具」をはさんでもらえるとなれば、そりゃあ何も無しの「素」(「素うどん」のような意味で)よりも、ソッチを選びたくなるだろう。「具入り」にすると値段はモチロン高くなるけれど、大抵、それに見合う満足度であることが分かっている。どうせなら…と、触手が動かでか。

「カオチー自体を味わいたい。」――で、「具入り」ではしかし、いかんのである。

意識が「具」に引っ張られてしまうのだ。「具」の旨さにかまけて、カオチー自体がどのようであるのか、その味を吟味することを忘れてしまうというか、どうでもよくなってしまうのである。

「具」と接していない部分で吟味すればいいではないか、というと、具の、香りとか脂ッ気って結構強く、たとえカオチーの端っこ部分(皮の部分)だけをちょっと捥いで口にしてみても、なんだかその匂いが既にこびりついている気がする。いったん具を挟んでしまえば最後、その風味はカオチーの細胞の中に巣くい、一体化して、分かちがたいものになってしまっているのである。

 だから、「カオチーをみる」その使命感を持つならば、「素」に徹するべきだと思う。…のだが、そうはいってもやはりなかなか、その誘惑を取り払うのが難しい……。

「朝は『素』カオチーで、昼は『具入り』にしよう。夜はあの通りに出る惣菜屋で、ご飯とオカズが食べたいなぁ…」などと考えていても、夜にカオチーの「焼きたて」が手に入り易かったりするもんで、アッチも食べたいしこっちも捨てられない、の私は、「一日の食いもんスケジュール」に悩んでいる時間が、旅の中で実は一番、多い。

 

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真面目食堂 ~ソクチャン・ベトナム

 ソクチャンは、ベトナム南部のメコンデルタ地域にある町の一つ。サイゴンから南西に車で四時間半~五時間、約220キロの距離にある。

……と紹介するのが簡単だけれども、メコンデルタ一帯を巡っていた私は、そのうちのミトー(サイゴンから南西約75キロ)という町からやってきた。朝四時にバスが出発するというから、三時には起きたのだ。前日にターミナルで訊くと、その時間しか教えてくれなかったのだが、行程三時間程度の一応「近郊」だろうに、なんでこんなに早い時間になるねん。

 と、そこはまぁ、イケメン&働きモンの車掌に免じるとして、この町にもまた、目に釘をガッチリ打ってくれる、キラキラ宝石箱のような市場があった。水しぶきを飛ばす、タライの中でうねるメコンの幸や、緑のグラデーション鮮やかな、背をピンと伸ばした香菜。艶っツヤの野菜・果物あれこれ。

 どの町でも在るもの、見るものである。だがどこでだって、男女問わず「美人」には無関心でおれないように、何度見ても見惚れてしまう。美野菜、美魚、美肉、…美市場。「美」は即ちものが新鮮であることに加え、それらを扱う人たちの仕事っぷりにも当てはまる。それがまた、輪をかけて美しい。

特に魚捌き。――の中でも呆気にとられたのは、カエル捌きだ。

 何匹いるのか、タライにビッチリ蠢いているカエルたちは足を束ねられており、仕事人はその中から無造作に掴んでは、その頭をジョッキン。

……エ。まるで、七夕飾り用の紙でも束ねて切るからのように、まとめて切り落とす。

次に手を切り、皮をはぎ…。カエルの変遷自体は美しいというよりもグロいのだが、ショートヘアのお姉さんは、実に冷静、一分の隙も無く、慣れに慣れた手つきでもってスマートにカエルを処理してゆく。書類をまとめるエキスパートの事務員さんと、さして変わらないその後ろ姿であり、カッコいい。

そして、頭が無くなっても――カエルってば動いているモンなのだと初めて知った。「大物」の胴体だけが、床にちょこんと座っているのを見た時は少々寒さを覚えたが、果たしてこの時、頭と胴体、どっちに意識があるのだろうか。…どっちにも、か?突然の事態に、気付いていないのだろうか。……いつ、「死」に気付くのか。いや、死ぬのか?…死とはなんぞや、と深みにはまってしまいそうになる。

 たまたまか、それともここで、十一月とはこういうもんか、昨日も今日も、カッとんだ太陽は見えず、もやもや雲のどんより模様。とはいえ「涼しい」とは思わず、梅雨のような鬱陶しさで汗がニヤニヤ滲んでくる――が、市場歩きのどさくさにそんな不快感は紛れて飛んでしまい、午前中はゆうに潰れてもうホラ、昼飯の時間だ。

 

 行先は、この町に来て初日に目を付けた、市場近い食堂へと行ってみる。食堂といっても常設ではなく、開店は昼限定の「屋台」というべきか。

路地の脇、奥の建物から張り出している大きなテント屋根の下に、大きなステンレス台をL字に構えており、オカズが入った大きなボール容器が七、八個、その上を埋めている。隅の方には、まな板や、鍋のかかったコンロもあるから、この場で作りながら提供しているのだろう。

結構な調理用具、頑丈なステンレス台からして、いつもここに据え置かれているようであり、奥の家は店のヒトん家なのかもしれない。オカズ台の周りには、会議室用のような長テーブルを組み合わせたのが三列あり、結構な人数が座れるようになっている。というか既に、混んでいる。

「地元の人気食堂」となれば、こちらとしてもタッチしてみないとどうにもムズムズする――けれども指くわえて見ているだけ、で終わっていたのがソクチャン到着日。残念ながら、到着際に車内で食ったトウモロコシ二本が腹に効いて、断念した。「到着日」とは、「犠牲の一日」。ペースがつかめず、様子見で終わるもんである。

 ともあれ、小さな店の多くがそういうモンであるように、家族でやっている食堂だ。とりどりのオカズが並んだ台の前に立ち、「これがいい」と指さす客の注文に応対するのは、三十~四十代の、お団子に髪をまとめた女将さん。まるっこい目、その顔つきには、お隣カンボジアの人達が想起されてくるようだ。

 おかずを盛った皿を、テーブルに配膳しているおじさん――は、旦那か。白髪混じりのおじいさんは、氷の入ったお茶配りに徹している模様。

また、女将さんと同じお団子ヘアスタイルだが、より白髪の多く混じった女性がいる。女将さんの手が回らない時はそれをアシストするが、定位置はレジ係・金の受け渡しを一手に担っているようで、となればおそらくこの店で一番権限があるヒト、ということだろう。

二人は顔立ちからして親子であるのは明白であり、料理に直接タッチする店の主砲。男性陣は、家族……に見えて実は「お手伝いさん」なのかもしれないが、配膳などのアシスト係に徹している。また別に、菅笠被った別の女性も配膳に加わっているようで、それは「お姉さん」?

……よく分らんけど「一見」、四人プラスお姉さん、つまり、夫婦と姑夫婦&里帰り姉がやっている店、ということにする。

 ベトナムでは夜も開けるか開けないかという早朝、つまり涼しいうちから早々に活動タイムに突入しているせいか(朝五時に、通りをシャキシャキと歩く姿、というのは珍しくない)、一般の昼飯時間もこちらの感覚よりは早めのようで、12時頃に食堂に行ってみても、オカズの入った鍋やトレイは既にカラ、或いはほぼ残り僅かという状態がたいていあり、見たところ11時がピーク。「選びたい」ならば、それよりちょい早めに行くのがベストだろう。

 というわけで意気込んで、そういう時間にやってきた。

食っている姿、というのは誰も彼も「真面目」だ。おしゃべりに来たのでも、打ち合わせの為でもなく、ボーっとするわけでも悪だくみするわけでもない。ただひたすらに「食べている」。老いも若きも男も女も、「食べる」ただその為だけに此処に来て其処に座り、示し合わせたようにみんな揃って「食べている」。それ以外の寄り道の無い、キッとした表情で。

冗談ばっかりふざけてばっかりの、普段は「真面目」なんて部分が一切見えないヒトであっても、きっとこの時ばかりは個性は無いに等しい。――という面々を見ていると、相当「当たり」な処ではないかココ、という気がした。

 ベージュ、赤茶色、焦げ茶色、…。色合い微妙に違えて並ぶオカズのうち、濃いほどに惹かれるが、とはいえ色薄くとも不意打ちに結構いけるのかもしれない。さぁどれを選ぶべき?染まり切ったゆで卵、角切り豚バラ肉が頭を出した鍋。骨の外れかかった鶏肉。魚と分かるぶつ切りされた胴体――メコンの幸、いってみるか、やはり。

 真面目な人々に立ち向かう女将さんは見るからに忙しく、スキがない。

「○○頂戴」とやってくる客の注文は確かに聞き取っているらしく、頷いてはいるが、目は常に手元の鍋やボール、皿に落としたままである。顔を向けるヒマがないのだろうが、私の場合指を差して注文を伝えるから、もう少し上向いてくれんだろうか。「こんにちは」とまず切り込んで注意を引っ張り上げ、ハキハキ意思表示を続けていかないと、「相手にしている場合じゃない」と無視されてしまうかもしれない。

緊張するが――。

と、すばやかった。場違いにやってきた「挨拶」に対して、レシーブする選手のように反応し、その顔には「メイワク」とかいう文字もない。私が「コレください」と続けるのに対して「うん、うん」とつぶらな瞳で頷いてくれた。

 

 さて、運ばれてきたのは、平皿一面に載ったご飯。と、プラ製小丼に入っているのは、魚の煮込み。ベトナムのオカズ屋では、ご飯にオカズをぶっかけて提供するところもあるが、ここはオカズとご飯は別々に盛っている。

うん、これがいい。まぁぶっかけられてもヤじゃないが、最初からそうなっていると「為す術無い」感じがする。というのは、煮汁の色や、それに浸かっている具のシルエットを眺めたり、汁だけを啜ってみたり、それを口に含んだあとでご飯を食べてみる――とチビチビ段階を経てから、ようやくご飯の上に載せてゆく。それも塩梅をみながら、自分の好みの具合に、少しずつご飯と混ぜてゆくのが好きなのだ。

 そしてまた、他の人の皿と同様に、ご飯の上には黄緑色の葉っぱが載っていた。一見、よくフォーやブン(汁麺料理)に載せて食べる、ミント等のハーブ類かと思ったが、なんだキャベツであり、しんなりしているのは、その艶からすると油で炒めてあるようだ。

あとは、小さな椀にスープがついている。緑のプラスチックがそのまんま映る澄んだスープに、白く半透明なサイコロ切りが沈んでいる。冬瓜だろう。

 さぁ。じゃあ、…やっぱりまずはスープを一口。汁物を出されたらば、つい「冷めないうちに」と先に手を出してしまう私だが、ここ・ベトナムでスープとは、食事の終わり際になってやっとその器に手を振れ、ご飯の上からぶっかけてサラサラ「最後の締め」として一気に平らげる、というスタイルが一般的のようだ。味はいかにも「スープのもと」製であり、見た目通り、すっぴん的にシンプル。

 気が済んだところで、メインの魚へ。

色の変わった青ネギがくったりと絡まった魚の切り身は、モトは鯖ぐらいのサイズだろうか。結構大まかにぶつ切りされて、三、いや四切れは器に入っている。ナマズ類には見えないけれども、やはり川魚の、なんとなくのぺっとした顔だ。

 ベトナムで魚の煮物というと、汁気が無くなるほどに色濃く味濃く、ひとカケラであってもご飯がバックリといけるほどに煮てあるのをよく見るけれども、これはもう少しほんのりゆるく濁った茶色で、表面には煮汁には魚の脂がプツプツと浮いている。

 添えてある大きなスプーンで、その身の端っこを押し切り、煮汁と共にすくって食べると、「あぁ、これこれ」と体が呟く。根拠不明の「安心」がポッと胸に現れて、話し相手もないのに顔が緩み、何処かへと微笑みかけてしまう。

身体が呼応する、まさしく「煮魚」としての味。知っている味だ。脂がのり、ブリンとした身のはねっかえりがまたいい。しっかりとした味つけだが、濃すぎず、汁もまたそれだけで飲める。飲みたい。

魚とご飯、汁とご飯、とつついてゆくうちに、完膚なきまでにペッチャリ潰れて昇天した「トマト」を見つけた。

 トマトぉ?……とはいえ、その酸味などみじんも感じられず、醤油甘辛の中に潜り込んでしまっている。――が、単なる甘辛にしては何かビビッドなものがあるから、それか。…くたばらず、見事に「隠し味」として生きているのか。

 諸々をチビチビ混ぜ合わせ食べてゆく中で、ご飯に載せられていたキャベツに遭遇する。煮魚を口にした後ではその素朴な甘味が妙に引き立ち、歯応えといい、まさに箸休め的なアクセント――どころか癖になるほど旨くて、丼一杯、ご飯と同じぐらいのカサが欲しい。

 これは――「真面目」になるわなぁ。自然と。

ヒトはまともに食う時、すべからく真面目になる。ふざける、サボる、とムカついてくる相手には、説教よりも「旨いもの」が一番効くのかもしれないと、部下を持った覚えもないのになんとなく悟った。部下?……いや、何かとサボりたがる、自分のことか。

 が。……何か、足りない。

 ――お茶。

ジョッキに入った黄色いお茶を、爺さんは片手に三つも四つも持って歩いているくせに、私の前を後ろを素通りしてゆくのである。……ナンで?というと、あれは有料か。「欲しい」と言わないとくれないのか。

 ……いいモン。

 水はペットボトル入りのを持ち歩いているし、そう、スープもあるし。この完璧な取り合わせの中でスープとは、メインに干渉する気などさらさらない、面白味のない「シンプル」な味であって正解。まさに「喉潤し」の役割にとどまって、恥じらうように底に沈めているクリスタルな冬瓜の、涼し気な見た目、その奥ゆかしさを、愛でてやっていればいい。

だからお茶なんてちっとも。有料ならばなおさらに、……要らないモン。

 後ろの方で金を握ったおばあさんが、キリッとした横顔で店を俯瞰している。その姿はまるで、棍棒を握る仁王サマ――というにはやっぱりこちらもクリッとお目目で童顔。カワイイ。ハクを出しているのは白髪ぐらいなんだけど、店が回転するその中心に我ありと、「山の如し」的な威厳が漂っている。その監督の下でほいほいほいほい…と机、椅子、そして時に突拍子なく飛び出ているヒトの足の間を、ちょこまか縫って歩く旦那と爺さんは、仁王さまのなすがまにまに、というべしか。

 浮かんだのは、『レモンスカッシュ』。

ジョッキにツブツブと垂れる水滴。…淡い黄色に氷が斑に入り、何とも爽やかに映るもんである――

 あまりに美しい、クリスタルなお茶。それを、蒸し暑いなかでチューチュー(ストローで)と、氷の隅の、端っこの端っこまで茶を吸い取る人々の、その真面目な姿には真に迫るものがある。

 

「チャーダー(=冷たい茶)?要るの?」

頼んでしまった――のは、翌日。

もはや、ケチっている場合ではないだろう。

                             (訪問時2009年)

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飴玉車掌 ~メコンデルタ・ベトナム

 えいっと、座席の下へ放ったのは、大きなビニール袋。――に入っているのは、キュッと括られた、数本の水入りペットボトル。

 …少々では破裂せんだろうが、投げなくてもいいのに。人の荷物をこんな風に、家畜の餌が入った頭陀袋が如く扱っているのを見るのは特に珍しくもないが、それでもなぁ…。

 傍らに立つおじさんも、あんまりにもそれは、と思ったのか、「オイオイ」とばかりに諫めの声をかけている。ゴムボールじゃないんだから、もうちょっと丁寧にしろよ。

「ん?」と、少年は振りむいた。そのほっぺは、片側だけぽっこり不自然に膨らんでいる。

 膨らみは右に動き、左に動き――ガムじゃない。飴だな。

 

バスと車掌

 

 たいてい、二十代半ばぐらいの若者男子。…に限らず、中年、五十代六十代と思われるおじさんだって色々いるんだけれども、よく見るのは、ということだ。

短パン、Tシャツからのびる素肌は日の光をグングン吸い込んだ褐色をしていて、やせ形が多いが貧弱な印象は無い。枝のように節を浮き立たせた腕、足はカッチリと固く締まり、なんとなく骨密度濃厚な感じがする。さながら高層ビルを支える鉄骨のよう。

  余分な肉を垂らしていない締まった頬骨。車内、車外の様子を見回すその眼光はぎょろりと鋭く、どんなスキも見逃さない、感じ。

 ――カッコいいと思う。

 ベトナムの、バスの車掌だ。若者ならば、道路状況に集中するドライバーの手足となって、まぁチョロチョロと動くもんである。ハンドル操作にデンとしたまま動かないドライバーとあんまりに対照的だから、「子分」のようにも映り、いつかはドライバーへと昇格する為の、いまとは修業時代なのだろうと自然と受け取れてしまう。 

が、「おじさん車掌」であるならば、どっちかというとドライバーよりもドスが効いている雰囲気だ。Tシャツ&短パンではなく襟の付いたシャツ&黒やグレーの長ズボンだったりするし、…って特に「いいシャツ」ってこともなくヨレッとしてたりするんだけども、何となく正装しようという意思がありそうで、ちょっとエラそう。実際、おじさんの時には若者をプラス一人か二人ぐらい従えており、料金徴収は(おじさんが)するものの、荷物の積み下ろしにはちょろちょろ動く彼らに任せていたりする。下積みを経て、ドライバーも経験したその後の、定年前の落ち着き先、とか?……さぁ。

 ベトナム北部から南部の町へ、などといった長い距離の移動の時は、私は鉄道が通っている処ならばそれを使い、バスは避ける傾向にある。というのは、バスは、外国人となると料金を吹っかけてくることが多いからなのだが、そうはいっても鉄道が無かったり、近距離移動の時は、町を繋ぐワゴン車のようなミニバスが便数も多いから、ソレを利用することになる。

 とりわけ南部のメコンデルタ地域では、頻繁にバスに乗った。そもそも鉄道が走っていないから必然であるんだけど、「ボられる」「ふっかけられる」というイメージにかかわらず、ここらで見られた車掌の働きっぷりとは実に爽やか、気持ちのいいもので、その類の疑念もうっかり離散してしまうほどだった。

 

 厳つい男性客が眉間に皺寄せて「ウンショ」と引きずってくる頭陀袋でも、頭の上、肩の上に平然と「ヒョイ」。「心頭滅却すれば火もまた涼し」なんて、全国大会目指す運動部的にそう躾けられているんだろうか、眉間に皺寄せた顔ひとつ見せることもなく、車内の椅子の下に荷物をきっちり・整然と敷き詰めてゆく(おかげで足の踏み場は無くなり、人の荷物を踏みつけることになる)。或いは車体の上に、よじ登って積み上げる。

 乗客の荷物積みが終わり、さあ発車、と車が動き始めても、客集めを「諦めない」。

 オーライオーライ、と、すれ違いを見張りドライバーを導く必要のないところでも、入口から、或いは窓から、車掌はいつまでもいつまでも身を乗り出している。アー気持ちイイ、と、ひと仕事終えた汗を風で乾かしている――ということもなくて、せっせと「営業」している。

「○○行きだよ、○○行き!!」「おじさんどこいくの?○○?そこならこの車も通るよ!」荷物積みなどなかったことのように、エネルギー全開だ。

 出発して三十分もしたら、車掌が座席を回って金を集めてゆくのだが、カネ――に関してことベトナムでは「外国人は乗客ぐるみでボラれる」なんて話はざらだから、「切り詰め旅」のこちらとしては超ナーバスにならざるをえないものの、頻繁に乗っているこのデルタ地域でのワゴン&バスにおいては、あからさまにボラれるといった、「ヤーな気分」になることはそうなかった、と思っている。あからさまじゃないだけで、「気付いていない」お幸せなケース込みで。

 忙しいのである。

 車内では補助イス(風呂用みたいなの)を取り出して、ドライバーの横で道を真っ直ぐ見据え、時に頭を出して、或いは車が動いているさ中でも地面に飛び降りて「オーライ!」と運転を導き、見守り、乗客を見つけて車内に引き入れる――と、車掌たちは常にクルクル動き回っている。仕事中、その眉も目も「キッ」とつり上がっており、太陽に晒されまくった日焼け顔にはへらへらする余裕など見えない。「真面目実直」という言葉がまさに当てはまるのであり、ボる為なんかにくだんねぇエネルギー使ってらんねぇ、ってもんだろう。(そうであるべきだ)

 我らを運んでくれているのは確かにドライバーなんだけれども、とはいえ乗客と接し荷物を積み込み・降ろしする彼らは当然ながら車内状況を一番把握しており、乗客にとって、背中姿のドライバーよりもその存在感は大きい。ベトナムのバスのイメージは、車掌如何によるといって、過言ではない。

 車掌という、「職人」。

 いかに「仕事」というものを避けて生きるか、なんて考えているこちらからすれば、その姿は頭が下がるほどでもある。

バスが目的地に到着し、さあ降りよう、というその去り際。車内、或いは屋上に積まれていた自分の荷物をウンショと担ごうとしたらば、背中がなんか軽い。

「ん?」と振り向けば、「ホイ」と車掌が手を出して支えてくれている。無事に背中に固定できたなら「じゃね、」と、キリッとした仕事顔をすこーし緩め、爽やかな笑顔で見送ってくれる――なんてされた時にはもう、

「――カッコえぇッ!!」

と、心の中で絶叫してしまう。

 

飴玉抱えて

 そんななかで、非常に印象深く残る車掌がいた。やはりメコンデルタにおいて、ロンシンからサイゴンホーチミン)に向かう時だった。

小さな、小さな車掌だ。

キャップ帽に短パン&Tシャツ姿の、見た目小学2、3年生――もしかしたら背が低いだけで5、6年生ぐらいにはなるのかもしれんが、空き地でボールを追っかけ回っているような、頬プヨンとした、まあるいお顔の男の子。

最初、乗客が連れた子供かと思ったが、それにしては他の乗客の荷物を、それもどの人のも、車内に押し込む手伝いをしている。――から、車掌の子供が父親にくっついて「車掌ゴッコ」している、と思った。

 だが、その荷物の扱いとは手慣れたもので(かなり乱暴だが)、「ここに、こう詰めて、コッチはこうやってはめ込んだら、ソコにも荷物をもう一個置けるじゃないのさ」と、乗客が自分でやろうとするのを「効率ワリィな」とばかりに頭を掻きながら、口達者にアドバイスしているっぽい。「…あ、ハイ」そうね、と、みな彼のペースだ。

 発車をすれば料金徴収、釣りの受け渡しをちゃんと担い、間違えないようにブツブツ呟きながら計算している。シビアなベトナムで鍛え抜かれているのか、見た目は小学生でも算数に四苦八苦する頼りなさはなく、答え(お釣り)をハキハキと答えている――が、気張り過ぎか、時に間違えるようで、何か諭すように大人(客)が口を挟むと、負けず嫌いらしく、「テヘ」なんて苦笑いすることなどなく、わかってたモン、とばかりにキッと言い直したりしている。

 利発な子。……どころか、「君、本職?」とばかりである。

 道中は、ドライバーと助手席のあいだに、後ろから顔を挟み込んで前を見て、新客を拾える気配アリと察知すれば、車内にびっしり詰まるヒトの足と荷物をまたぎ(踏みつけ)、助手席のオトナと共に「やぁやぁ我こそは…」なんてノリで大声出しながら飛び降りてゆく。――ほっぺに、飴を含ませて。

 おそらく、メインの車掌とは助手席のおじさんなのだろうが、声も仕事も前面に出して「我ここに在り」と主張しているのはこのチビ君だ。息子か?違うのか?……、おじさんのにしてはチビすぎるなぁ、とか、年齢がどうのの問題ではない。休憩所などで、大人に混じって麺食っている姿とは、見た目「ファミレスでお馳走されているボク」であるのだが、仕事っぷりは立派に「同僚」であり、こちらがたじろいでしまうほどだ。「ごっこ」よばわりなど失礼もいいところ。

 ――とはいえやはり、「子供」だなぁと思う。やることなすことの「張り切り」が、隠れることなくド直球に表れている、というのが。

 雨の中、車がエンストしてしまい、チビ君もやはりジッとしてらんないのだろう、いっぱしに、後ろで車体を体を使って押し上げている大人たちに混ざっていた。やがて動いたらば、顔を見るまでもない、「嬉しい!」と叫ぶ魂そのものが腕と足に一杯に表れて、雨に濡れるのもなんのその。ひとりサッカーボールのように跳ねまわっている。――紺碧の空に向けて掲げるトマト、その照り返す皮のように艶やかで、果肉のように無防備だ。見ているこっちが、スッカラ気持ちいい。

 新客が到来するや否やにスグ飛び出せるよう、やがてボクはドア横のシートに小さく陣取ってきた。それは即ち私の隣であり、片腕には「海苔のお徳用」みたいな蓋付きプラ容器を携えている。中に放り込んであるのは、様々な種類のアメ。

ウオッカを煽って仕事に行く――じゃないけれども、おみくじよろしくその容器をガラガラと振り、ひとつ取り出しては、包みを破って口に含み、駆けてゆく。これがボクの「元気のモト」。ガソリンであり、宝物――とばかりに、いつも傍らに置いている。駄菓子片手に遊びに出かける、それは子供そのまんまの姿である。

 乗客の入れ替わりもなく、川沿いに田んぼの広がる中をただ真っすぐ走るだけというのんびりした道中では、――退屈、というのが分かりやすく、邪気の無い寝顔を晒してグースカと寝入っていた。車の振動で前の席にゴンゴンと頭をぶつける(でも起きない)などして乗客の笑いを誘っている。

 チビ君はこちらを「外国人」と把握していたようで、ある瞬間、居眠りから何かの拍子で(デコを強く打った?)急に目を覚まし、気付け薬のようにプラ容器から包みをガサガサ開いて口に含んだら、突然こちらを向いて「握手。」と手を差し出し「名前は?」なんて訊いてくる。……いきなりどうした。夢の続きに居るのかと可笑しくなりながら答えると、「フーン」と反応してまた目をウトウト…。オイ、飴、大丈夫か。喉に詰まらせんなよ。

 チビ君がいるおかげで、車内はえらく和やかだった。

 ベトナムでは、子供はある程度成長すれば、甘やかすことなく厳しく躾ける、と読んだことがある。市場や店でも、小さな体であれ、大人に混じって堂々お客と相対して働き、お客の側にも「子供相手」な態度などあまり伺えないのを見ると、そのことは納得できる。――けれども、乗客の笑い声の多い、いつもより車内に漂うほのぼのとした雰囲気は、このチビ君ゆえだろう。

抑えることを知らず、息が切れること構わず、指先を突っ張らせ手のひらを一杯に開き、子供の底なしエネルギーを放出しているその様子に、人の頬は自然と緩んでしまう。イッパイに「子供」であり、なおかつ物怖じせず臆せずの、「車掌」である。

……見事だ、ボク。

 

 到着後、これまた荷物を背追うのを手伝ってくれ、「バイ」と手を振る彼に、私はショルダーバックの奥の奥に突っ込んであった抹茶味の飴を二つ、その宝物のコレクションにと渡した。

 と、パァぁぁっと、まさに、ど真ん中の笑顔だ。珍しい包みをじっと見て、裏表とひっくり返したり、上へとかざしたり。ひととおり反応したその後で、大人びたように「ありがとう」。

…か、カワイイ…。

 

 暫く彼の地に旅に出ていないからして、いま現在(2022年)はどうなのか知らないが、エアコンなど入らない(あっても故障)、結構年季が入ったボロい車体のワゴンやバスが、デルタ地帯を縦横無尽に走っていた。運悪く、日光のモロに当たる窓側席に座る羽目になったならば、うだる暑さと振動に朦朧とし、口を半開きにして耐えるしかない。

 これらを利用しての移動には、覚悟というよりも「諦め」がなければやってらんないのだが、そんななかにも「到着するのが惜しい」なんていう、実に珍しい事態にも遭遇するのもまた、メコンデルタならでは――かどうかは知らんけど、まぁ、そんなこともありにけり。

                                                                                                             (訪問時2009年)

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インレーの魔術師 ~ミャンマー・ニャウンシュエ

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 見知らぬ地で、食べ物を見つけてそして口にした、ということについて改めて振り返る。何気なくやっていたそのことが、なんと貴重だったことだろう。

あたりまえだが、「食べ物」それは自然にただ「ある」のではなく、在らしめる――作り出す人々がいるからこそ成り立ったものだ。「食べる」ということは、それが存在する世界に踏み込んでいる、ということでもある。

それを共有させて貰うことで、少しでも知りたい。彼らについて、彼らが育んできたものについて。その世界について――と、あの時、彼の地を旅していた。

2021年に軍クーデターが起き、ミャンマーの事態はますます悪化している。

ミャンマーにて出会った人々が、あの景色が今どうなっているのか、想像すらできない。「元気だろうか、」などと、普段なら何気に発する思いを馳せる言葉というものが、あまりに能天気すぎて躊躇われる。

彼の地を訪れる、という可能性というものが、果たしてこれから先に生まれるのかの予想もつかない中、ただ、あの時、日常を歩いていた彼らを書いておきたいと思う。

 

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カズベキ村の道案内 ~グルジア(ジョージア)

 

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「犬コワイ」私

 

うーん…。ことごとく、埋めるなぁ…。
 道を囲む斜面、苔のように短く生える草の合間を、左右の前足でかいてモロモロと崩してゆく。と、「穴」とまではいかない、少々の窪みが出来たその黒い土の中に、顔を突っ込み、くわえたままだったケーキのかけらを差し入れる。…そして丁寧にも、ちゃんと土をかける。
「食わんの?」
と言うと、ハッハッと息を切らせながら、「うーん。今はいいかも」という目をして、フイと前を行く。
 何度やっても、こうなる。
 食い物を土に埋めておいて、腹が減ったらそれを掘り返して食うという習性――は、リスだったか鳥だったか、テレビの動物特集で見た覚えがあるが、犬もそういうモンなのだろうか。
だが、「パフォーマンス」ではないか?という気もした。
 食う気はないけど「要らん」とは言えない。これは……「おすそわけ」と、会社のお姉さまたちが毎日毎日お人形のような笑顔で配って回る、まんじゅうやクッキー、煎餅やらを、「ワァ嬉しい。でも今はお腹いっぱいなので、持ち帰って大事にいただきますね」と一応笑顔で受け取っておいて、帰宅後「母のおやつボックス」に追加されるのと――同じ気がする。
 受け取る「フリ」だけ。……やっぱりワンコも「要らん」のか。
 パサパサのケーキ。朝食に出た、残り物だ。
 本人がヤなら仕方がない……んだけれども、「食えるもの」はこれしか持っていない。犬って、人間が食べるモンを何でも食べるモンなのかどうかもよく知らないのだが、それでも「感謝」を伝えたい気持ちが勝り、「ハイ、これ食べて」「ハイ、どうぞ」とトライしてしまう。相手は差し出された瞬間、「エッ」と戸惑うように少々と後ずさりして顔を背ける動作をするが、結局口にくわえてくれる。だが即モグモグとすることは一度として無く、全て、道の脇に持って行って、土を掘ってそれらを埋めてしまう。
 確かに、どこそこ構わず掘っている、というよりは、なんとなく土の傾斜とか、草の陰になる具合だとかが隠し場としてはイイ場所、という感じはするけれども、片道二時間の道中で、似たような景色はどこもかしこであり、…覚えてんのかホントに。
 ―――人間と違って、ボクは賢いからね。鼻が効くからね。
 というモンかもしれないが、この行為は、山登りで拾って「杖」として使っていた枝を、「後の人、どうぞ使ってください」と山から去る時に適当なところに立てかけておくような、処理の丸投げ、もとい「親切」にも映る。「リス君でも小鳥君でも、気付いたら食べてね」と。
 ケーキは、この子にとってメイワク…?
 そうだとしても「要らん」とプイすることなく一応受け取る、というのがなんだかいじらしいというか、いとおかし。…カワイイ。
 なんとかこの子を喜ばせたい、というのがますます盛り上がってきて抑えきれず、また「食べて」と肩掛けバックからひとかけを差し出す。その循環に陥っている。――馬鹿な人間の相手も大変、ってか。キミにとっては。
 だって生まれて初めてだったのだ。こんな気持ち
 犬というものに、まともに「親しみ」というか、同志としての信頼を覚える、ということは。

「ボーダーコリー」というらしい。
 全体的には長めの黒い毛におおわれているが、三角形にぴょこんと立つ両耳、そして両目を含む顔両側を除いた、脳天から縦に鼻、口、そして喉元にかけての毛は白く、また胸と前足、後ろ足の先っぽも白い。
 あぁ、白と黒のボーダー模様ってことで?……というとそうではなくて、原産がイングランドスコットランドの「国境」地域である、という意味での「ボーダー」とのこと。八~十一世紀にスカンジナビア半島から英国に持ち込まれた、もとはトナカイ用の牧畜犬で、のち英国の在来種と交配を重ねて今の姿になった。牧羊犬として大活躍する、とっても賢い犬種である。
 ――なんてことを知ったのは「今、ネットを覗けば」であり、当時の私としては、初めてこの子を見た瞬間とは「ゲ、犬」。犬種も何も知ったこっちゃなく、犬はすべて「犬」であり、ただただ瞬時に目が凍り付き、心は茶色と黒のマーブルに染まった。
 そう、怖いのだ。
 吠えるでしょ、噛むつもりでしょう、と想像されてきて、見ただけでもうイタイ。私にとって、犬への恐れレベルは熊とそう大して変わらない。…ってまぁ、熊の方が命にかかわる確率がとびきり高いんだろうけれども、怖いもんはコワイ。よく、他人が散歩に連れて歩いている犬を見て、即顔をほころばせて「かわいいねぇ」と躊躇なく手を出す人がいるもんだが、自分のどこを探したらそんな神経が出てくるのか見当もつかず、全く理解不能。(スイマセン)

 ペットというものがウチにはいなかった。…ことはなく、そういや遥か遠い昔に兄がインコを貰ってきたが、兄が一人でなんかやっていた、とあまり記憶になく、あとは熱帯魚がいた(やっぱり兄が買ってきた)。そもそも家の主ともいえる母親が動物嫌いであり(インコをよく許したよなぁと今となっては不思議に思う)、特に犬猫に関して、母は超の付くほどに毛嫌いしていたから、その母が「コワイ」と言うもんは、単純素直で自我無しの子供だった自分も倣って「コワイ」であった。
熱帯魚は、水の中という、同じ空気を共有している実感のない「別次元の生物」と捉えるからこそ飼えたのかもしれない。餌をやれば集まってくるのが面白くて、私も水面に撒いたりしていたが、「生き物」としての思いやりや、配慮があったかというと、全然、だろう。絵画、或いは機械仕掛けで動くおもちゃを見ているのと、大して違いは無かった気がする。動物愛護をうたう人からすると、ひどい、サイテー、と怒られるだろうが、要するに私にとって「人間以外の生き物」とは、言葉が通じるでもなく、「よくわからない」か「コワイ」存在だった。いまでは人間の方がよっぽどコワイと心から思うが、「絵」のようにリアル感に乏しく、正直、それらの命に関して無関心、とさえいってよかった。
 なかでも犬は、スグ吠えるし、飛びかかってくるかの如くだし、「コワイ」以外の何物でもない。加えて小学生の頃、私はよく下を見て歩いていなかったせいか、道に転がっていたフンをしょっちゅう踏んづけていた。そしてナゼかたいてい、その場面を見ているクラスの奴らがいて、「やーい」と後ろからからかってくるもんだから、よけいに「犬はキライ」となっていった。
 大人になってからは「無視」顔をしておけば寄ってこない、ということがわかってきたから、「キライ」とまでは思わなくなったが、とはいえ自分には遠い、タッチすることなど想像できない「コワイ存在」のままだった。

カズベキ村

 

 頂きには雪を被り、その肢体の、ごつごつした輪郭をも白い線で浮き立たせた岩山の連なり。それを後ろ盾に、新緑の色が波のうねりのように広がり、その箸休めの如く、渓流が飛沫を揚げて通り抜けてゆく。ザァァ…っと、こちらが流されるかのような響きの間に入る、ピチッピチッと弾ける小鳥の声に、つい頭を上げてみるも、その姿は見えず、映るのは近くまで迫る雲と青い空。ザァァ…だけが途切れることなく響き続け、やがてまた、ピチッピチッとついばむような彩りが耳に入る。
 ――と、牛が。
 その足元の草を食んでいる。鬱蒼とした林の中に、隠れるように。集落の中を放し飼い、だろうか。いや、黒い幹にキラキラした緑をこぼれんばかりに生やした林とは、どこぞの森林公園みたいに整備されているようにも思えるから、ヒトんちの敷地なのかもしれない。木陰でのんびり、ご満悦、とばかりに尻尾を振っている。

「牧歌的」「絵本的」という言葉が浮かばないワケがない、世界。映る色そのままが何の覆いもクッションもなく、ストレートにやってくるその透明な空気を吸うと、こちらの方が吸い込まれてしまいそうだ。この壮大な中では気が大きくなるのか、集落にはゴミもあっちゃこっちゃと捨ててあるんだけれども、そこに目をつぶれば、心鷲づかみにされる美しさ。ただ歩いているだけで浮かれてくる景色である。
 ――んだけど、ちょっと煮え切らない、というのが正直。

 グルジア共和国(2015年以降、日本における国名の正式呼称は「ジョージア」と決定)の北部、ロシアとの国境までもうすぐそこ、というエリアにある「カズベキ」(ステパツミンダ)にやってきた。コーカサス山脈にある名峰・カズベキ山(標高5047メートル)の麓に位置する村であり、首都トリビシから北へ約160キロ、マルシュルートカと呼ばれる乗り合いワゴンで、ムツヘタ軍用道路を約三時間進んだところにある。標高1740メートル(Wikipediaより)
 なぜここに。――というと、単に、ガイドブックに「行き方」が載っていたから。
グルジアという処をほとんど知らない以上、行けるところは行っておこう精神であり、「カズベキだから」というわけではないと言えばない、ということもない。…ん?…うん。
 「景色は最高」「のんびり癒しの自然堪能」の記述には、やはり惹かれた。人口は2000年において約1500。(2015年では930あまりと、人口減少の一途をたどっている)山間の自然に囲まれた小さな村で、人々はジャガイモをはじめとする農業に従事し、羊、水牛、豚等の家畜を飼うという、静かな暮らしを営んでいるという。
 都会より、田舎ののんびりした世界が好きだ。何処の国でも私は、ビル乱立・人口過密の首都に長く滞在することはなく、より素朴な表情を求めて地方へと逃げがちである。行き先として躊躇する理由はない。

  雪が見えているのは伊達じゃない。……寒いわ。
 五月、トビリシでは快晴が続き、汗ばむほどの気温だったが、霧を纏ってひんやりしている。山だし、と長袖を着てはいたものの、一枚じゃあ心もとない気がした。
 自然の豊かな村。静かで、癒しの世界というのは全然間違ってなかった。理想郷、美しい世界そのものだ。
 だが、「絵本」過ぎる…。
 まず、店がない。…ってあるにはあるが、雑貨を売っているような所が二軒。「カフェ」の看板が一軒。それ以外に見つからない。
 …市場は?
 庶民の台所であり社交場。色彩豊かな食材がワンサカと並ぶなかで、それらを巡ってやりとりする人たちの様子を見て回るのが旅であり、お楽しみ、である私なのだが、その存在が一向に伺えないこの静けさよ。加えて、パン――ここではどんなパンが食べられているのかと、パン食文化に興味があるものの、パン屋が存在する気配も全くもって感じられない。
 そんなぁ…。
 なんて、ショックを受ける方が悪い。そもそも田舎とはそういうものなのだろう。「自給自足」――自分ところで作って自分で食べる、その循環がほぼ出来上がっているのだ。パンもまたしかり。
 「買う」ものとは、ウチにないもの――絶対に「ここ産」ではない、どこぞより運ばれてきたイチゴとか、パッケージされたチョコレート。自分のところで作り出せないものを、お祝いの日なんかに「奮発して」手に入れる、という程度であり(雑貨屋のイチゴはバカ高かった)、それは雑貨屋二件もあれば事足りる、ということだろうか。
 とはいえ、今まで旅してきた中で、どんなに小さな町でも「市場がない」ということはなかった。おそらく、週一回か或いは月に何回か、定期市とか何かしらのイベントが立つのだろうとは思うが、三日程度の滞在で、私には結局「当たり」がなかった。
 そして問題はもうひとつある。
 地元「ならでは」の食にどう触れたらいいのか。――と、一軒あった「カフェ」に入ってみたが、えらくビックリされてしまった。そんなに久しぶりの客なのか。おかげで下ごしらえから見学することができて(なーんもしてなかった)食いモンにありついたのは一時間以上経ってから、となったのだが、まあそれはそれでちょっと楽しかったものの、おそらくこの「カフェ」も、町内会の集まり的イベントでやっと利用されているに過ぎない気がした。
 自給自足とは、言わずもがな「家庭」で食うモンが、基本。
 旅行者などの部外者が「あの国の飯はマズイ」などと、食に関して良い印象を得られず不平を漏らすトコロというのは、たいてい、食堂やレストランなどの「外食」ではなく、「内食」――家庭料理の方にいいモンが隠れているものである。
 ――そう。「外」がダメなら(ダメっていうか「無い」)、「ウチ」だ。
 というわけで、期待は宿に向かった。それも自分ちの空いた部屋を貸している、という、一般家庭とほぼ変わらないような民宿であるからして、祈るような気持ちで。
 ……だが、まぁ…。
詳細は省き結果を述べるならば――ブツクサ・ガッカリ悶々気分、というのが正直なところだった。 でもデザートまで付いているから、せめてそれを慰めに、と、口にしたパウンドケーキは干からび、口に入れると、ボロボロと岩が風化して砂へと砕けてゆく、その過程のよう。出された紅茶を一口啜ってみれば、ほぼ出し殻で淹れたような風味の無さ。ウチで飲む、しつこく湯を足した時の緑茶のようだと虚しく笑えてきた。
 よって、思わずにはいられない。
 ……することが、無い。
 「何かをする為」にと構えて旅をしたことはないし、それどころか、いつもなんもしてないように思える自分だ。しかし「食べもの」「それを作っている現場」といった、自分のワクワクを引き起こす源泉となる場面が目に出来ないとなると、とたんに「何しに来たっけ…」と後ろ向きな虚無感に覆われる。 
 景色は抜群だが、眺めているばっかりじゃあなぁ…――ここに「いる」ことの実感がない。
「綺麗なところ」。……みんなただ、それだけでここに来るのか。ただのんびり、眺めて寛ぐだけか。余暇においても、「余暇として」充実できることを求めソワソワ行動詰め込んで、結局のんびりと時間を過ごせていないという、私も「典型的日本人」のうち、ということか――なんていうのはともかくとして。
 「それだけ」ではなく、ここに「呼び物」があるらしいことは一応、知ってはいたのである。
 景色の良さを謳うならば、どこもかしこも牧歌的なグルジアだ。首都でさえちょっと郊外に出れば「深緑の国」と言いたくなるほど自然にあふれ、緑に枯渇を感じることはないのだが、ガイドブックがこの地を敢えて載せているのは、「サメバ教会詣で」というイベントが出来るから。

 北カフカスをゆきカスピ海へと流れ込む、約623㎞の大河・テレク川。その支流の傍にすっくと聳えているヴェミムタ山(標高2170m)の山頂に、教会が立っているという。それが、14世紀に建てられたグルジア正教会の「ツミンダ・サメバ教会」。
 カズベキ山のもと、天に抱かれるようにある壮大なビューのこの教会へ、この村から約二時間のトレッキングで辿り着くことができるという。(2018年、一般車も走れるように舗装されたらしい)。
 自然満喫、プラス教会詣での「癒し」コースを満喫できまっせ――自然はともかく、教会に特に興味はないから、ガイドブックの記事は小見出し以外に全く眼中になくやる気もなく、教会に関する歴史だとかの記述ももちろんスッ飛ばしていたのだが、「やることがない」。……絵本の中で、ジッと収まっておれない私がいる。
 ――ならば、登ってみるか。 

 明朝、肩が寂しくなるほど冷え冷えした空気に、「あ、嬉しい」と古めかしいストーブに手をかざす。五月という今の時期、火を熾すのはパン焼きの時だけかと思っていたが、あまい。広島感覚でいえば初冬だろう。
 コーヒーと共に出されたのは、昨晩と同じケーキ。三つあったうち一つ食ったあとの、二つの塊――残ったそのまんまを戸棚にしまい、皿の上を整えることもなくまたそのまんま出した、「あなたの食べ残し」というのがモロに伝わるやつ。それをまるごとビニールの中へと頂戴し、「非常食」としてカバンにつめた。「山で食えば何でも旨い」というではないか。

 ――快晴。外の空気はさらに冷たく無遠慮だが、なんというトレッキング日和。立ち昇る自分の白い息を、青空バックに見上げ、いざ出発。
 と思ったら。
 ――いるではないか……。
 向かう先に、「犬」が立ちはだかっていたのである。
それも、結構デカイのが。真正面、道のど真ん中で、しかも真っ直ぐにこちらを見て。

 どうしよう…。腰から下が、サーッと冷たくなってゆくのを感じるも、現実を前にキッと歯を食いしばった。目を見ちゃダメ、と息を止め、「平静な雰囲気」を慌てて奥から呼び出して、「何も見えてないモーン」とあさってな顔をして通り過ぎることに、心音最高潮に全神経を注ぐ。飼い慣らされている犬でさえ身構えるのだから、野良犬ならばその恐怖は何十倍である。
 野良?――そう、犬種はもちろん、野良かどうかの区別も曖昧な自分だが(ただ「犬」という型しかない)、黒白模様でその大きさ・体つきはなんとなく、よく飼われてそうな感じであるのに、一見してみすぼらしい風貌――毛がボサボサと不揃いで、白い毛色であろう部分は砂埃を被っている。「ひとんちの犬」というには手入れがされていないのが、私でさえ分かった。
 捨て犬だろうか。のちに、この種の紹介写真をと比べても、それは毛がやはり二倍ぐらい長く伸びて、ひとむかし前のフォーク歌手&ギタリスト、という感じだった。
 後ろを見ても、誰もいない。
 …やっぱりヤツの目に映っている存在とは私?「見えてないモーン」で、果たして誤魔化しが許されるのかと揺らいでしまうほどに、彼が見据えているのは私よりほかにない。
 狂犬病の恐怖まで一瞬、ひとっ飛びに想像が及ぶも、とはいえその犬は吠える気配がなかった。睨んでいる、という感じも警戒の様子もなく、そしてまた無関心にボーっとこちらを傍観している、というのとも違う。
 そしてあと二、三歩行けば近付いてしまう、という時になって、フッと背を翻し、スタスタと歩き始めたのだ。地図によれば、……そっちは私の進むべき方向である。

 なんと言うべきか。飛行機到着後のつなぎ通路(?)を渡ってすぐ、「バンコク行きの飛行機へ乗り換える方はこちらでーす」と案内してくれる人。もう少し言い過ぎるならば、手を差し出し、歩みをこちらに合わせて進んでくれる騎士、というか。

「行くんでしょ?」――とでもいう目で。

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 ――結局。

この子は教会までの往復、私に「道案内」を買って出てくれたのである。

こちらがゼイゼイとへばろうが、あっちから石を投げられようが、そっちから美女に誘惑されようが、私を見捨てることなく、最後まで――出会った場所に戻ってくるまで。

 

                               (訪問時2008年)

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 ワンタンの悟り ~タイ・カンチャナブリー

 

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「ダメダメ、三日しかもたないよ」

と、レックさんは即座に否定した。何を馬鹿なことを――とまでは言わず、困ったように笑うというソフトな反応をしながら、またひとつ、黄色い皮をぺランと手の上にのせる。

表情も、話す調子も何ら普段通りのまま、その手元はちっとも滞らないから、こちらも特に邪魔者になった気なんてしないで居続けられる。…ってまぁ、「邪魔者」と自覚したって、退散するかというと…どうだろうかね。

 表面に少々白い粉を吹いた、一辺七、八センチほどの黄色い正方形。私が知る「ワンタンの皮」に、切断面なんて目についたことがあったろうかと、ソレがずいぶんと分厚いことが触らずとも分かる。黄色はなんだろうか。中華麺のように、かん水を使って出来た皮なのだろうか。(アルカリ性が、小麦粉の成分と反応する)

「これ、日本に買って帰れるかな」と、ぼそっと言ってみたのだが、…ダメなのか。

まぁねぇ。この気候だ。冷蔵庫にも入れずリュックに突っ込んだままでは蒸れてしまい、カビでフサフサ、毛糸編みのコースターと化すかもしれない。

三日以内?じゃあ、帰国直前に買うとしたら。帰ったら即刻使うことを心すれば、イケるだろうか。…って、でもねぇ。帰ったらまずお好み焼き食べて、その次は肉じゃが…と、順序がある。だいたい日本に帰ったらとたん行動力は落ち、数日は放心状態でいる私なのであり、ちゃっちゃと豚肉練って(ワンタンの具の)、なんてやるだろうか。

「…日本には無いの?」

「あるけど…」

――まるで、ベツモノだし。

またひとつ、その手の上に。少女のように華奢な、小さな手だと思う――けど、早い早い。その手自体に独立した意思が宿っているかのような、確固たる、という動きだ。

 黄色い皮をのせている方とは反対の手に、箸を一本だけ握っている。

テーブルに置かれた丼には、ピンク色の肉餡がこんもり。そこに突っ込まれているミニスプーンを、箸を握ったまんま持ち上げたら、その腹にこびり付いているのを、皮の真ん中に「チョッ」となする。

ピンクの「チョッ」。――たったこれだけ?とウッカリ声が出るほどの「チョッ」であり、小匙一杯にも満たない。指に、何かの拍子についてしまった味噌を拭ったかのような、もっといえば、向こうの店のが誤って飛んできたんじゃないか、というような…。

これは「具」なのか。「間違ってない?」なんて言いたくなるが、さっきから判を押したようにその量なのである。

で、スプーンは肉餡盛りに再び突き刺して、用済み。既に拳の奥の、「箸」の出番だ。

餡の載った四角い皮の右上・隅っこに、箸をあて、少しだけ内側に巻き付ける。ひと巻きちょいぐらい。

そしてその部分を、「チョッ」の具の上に覆い被せ、箸でもってキュッときつく締めながら巻き込んで、そのまま箸自体に巻き付けてしまう。

箸と一体化した皮の両端を、その両方から真ん中に寄せるようギュッと握ると、ヒダヒダになる。――となれば、箸もまた用済み。

シャッとそれを引き抜いてしまえば、あとにはキャンディーの包みみたいに両端クシャッと縮れた、ねじりマカロニというか、ひらひらレースを纏ったイモムシ、みたいなのが残される。

出来上がり?

箸を引き抜いたあとに開いた口(両端)は、それが引っ張られぬようギュッと押さえているのに乗じて閉じられていることになるのだろう、…多分。正直その場において「最後、端っこの処理は?」なんて疑問を挟む余地などちっともなく、「滝は上から下に落ち」「蚊に刺されたら痒くなり」「牛乳飲んだら口まわりが白くなる」と同様、「箸を引き抜いたらヒラヒラ・イモムシが出来る」――そーゆーモン、という理がある如くに現場を納得していた。「見ているようでいて見ていない」ことに、時間も空間も離れて多少冷静になっている今、やっと気づくことができるのだ。

 ともあれ。折り紙の新品の束のように、分厚く重なった黄色い皮がビニール袋にあり、それが一枚一枚、みるみる姿を変えていった。四角いトレイに、コロコロ生まれ出るイモムシに、こちらは「ホー」と見入るのみだった。

昼のドラマを耳に流しながら編み物、とでもいうような、穏やかな横顔。だが「家のお母さん」と言うには、髪の毛をかっちりと頭のてっぺんで纏め上げ、キレーに口紅を眉を描いたお化粧顔だ。特に眉の線が、観音様のようなその雰囲気にまこと似つかわしい。

たいていは視線を落とし、とはいえよそ見してもどうということもなく、レックさんの手先はただひたすらに動き続ける。何個、というつもりもなく、客足のない今のうちに、作り溜めておく気なのだ。

「面白い?」

「うん」

見惚れている私に、ブンが布巾を持ったまま近付いてきて、言った。思わず笑ってしまう。日本語だ。

学校で習っているらしい。可憐な美少女16歳――ぱっちりした目にスッキリ整った鼻筋、唇。どういじっても可愛いだろうに、髪の毛はただ一つに後ろで括っただけ、というのがまたニクい。

出会った日本人から貰ったという、そこそこ分厚い「タイ語・日本語会話集」――旅行における必要なフレーズを集めた本を、ホラ見て、と学校帰りのカバンから出して見せてくれるのだが、――教科書以外に入れるのがソレ?と、「学ぶ」ことに対する好奇心にまず感心する。私など、カバンが重い理由はほぼ、友人と毎日貸し借りする漫画本のせいだった。(教科書は学校に置きっぱなし。)

帰りがけにそのままここに来ているのか、制服姿でお手伝い中。別のテーブルの前で、立ったままずっとフォークとスプーンを白い布巾で拭っている。

 

タイ、バンコクより西へ約150㎞。ミャンマーとの国境に寄った、カンチャナブリーの町。

太平洋戦争中に建設された、泰緬鉄道にかかるクウェー川鉄橋――「映画『戦場にかける橋』の、でしょ?」と知られるそれをひと目見よう――と意気込んでいたわけでもなく、いや行ったら行ったで見に行くけれども、この町に向かおうとしたきっかけは別にある。他の町で出会った友人の郷里がこの町であり、里帰りしているはずの本人を訪ねるも仕事で留守。だがそのお姉さん・レックさんが「よく訪ねてくれたね」と、こちらの相手を買って出てくれた――のが始まりだ。

この人は家族で夜、メン屋台を営んでいるという。…となりゃあ、「見学させて」とならない展開はなく、「ナイトバザール」として屋台が建ち並ぶ通りは宿から徒歩でほんの数分であることも乗じ、夕方になれば「どうも」と訪ねる(おしかける)日々となったのである。…メンドクサイのに出会ったなぁ妹、とレックさんは内心思っているかもしれないが、湖畔の水面のように穏やかなその観音スマイルに、んなこと微塵も感じていない、ということにしておいた。

午後五時前。日差しは多少、角を落としてはいるものの、翳ったとまではいかず、夕飯時にはまだまだ早いように思える。「ナイトバザール」の通り一帯、テーブルを出したり鍋を運んできたりと、どこの店も人々は「準備中」だ。

だがそこから漏れだしているのは、色気、或いは、企みとでもいうべきか――串肉を炙る、といったハッキリした動きは無いものの、鍋からはみ出すスープの湯気、それとも肉から、野菜の断面からの香味のせいか、モワンと色を付けた、思わせぶりな匂いが漂っている。

早々に魅せられたのか、「いま食える?」とそんな中でも客はポツリ訪れるもんである。そしてひとつでもテーブルがセットされていれば、まだキューリ全部切り終えてなくとも「準備中です」などと追い返すことはあまりない。

「いらっしゃい」――レックさんもまた、屋台の表舞台(調理台)にデンと立つ旦那さんよりも素早く、顔を上げて反応した。

既に心積もりしていたように、現れる早々注文を言ったひとりを「ソッチに座ってね」と、テーブル三のうちの一つ、唯一まっさらに整っている方に導いたら、もういい頃ね、と、占拠して広げていた肉餡と皮、イモムシ入りトレイをテーブルから片付け始めた。

 居場所を失くしたコチラも金魚のフン。レックさんにひっついて、通りに面している調理台の傍らへと移動する。

せっせと働く、「やることのある人」の隣でただポツンと突っ立っている、というのは、いくら見学させてくださいと了解を取ってはいても少々情けないモンがあるから、全神経集中、学会に発表するぐらいのノリで現場を眼球ギラギラと焼きる、目指すは「やる気マンマンに満ちた木偶の棒」。

旦那さんはいま、「カオマンガイ」の持ち帰り用に対応している。カオマンガイとは、鶏スープで炊いたご飯の上に、茹で鶏をのせたもの。メン屋とはいえこれもメニューの一つにやっており、しかも人気だ。

丸い、切り株まな板で肉を切る、そのでかい図体――腹のデンとしたたるみがモロに分かる、藍色のタンクトップの下に白いエプロンを巻き付けた姿は、料理にドスを利かす調味料でもあるか。スポーツ刈りの頭に眉毛がくっきり「キッ」とつりあがったコワモテでもあるから、よけいにだ。うん、うん、と頷くだけで反応少なく表情も変わらず(悪く言えば無愛想)、寡黙なのもまた凄みに変換され、こういう人が包丁を握る姿がオモテにあると、なんだかスゴイもん作ってそうな店、という気がしてくる。

 …んだけれども今は忙しく、新たな客にはレックさんが、その横で対応する模様。

注文は「バーミー」であると、私にも聞こえていた。中華麺である。

「コレも入れるの?」と、イモムシを指さすと、「うん」。――ワンタン。タイ語で「ギアク」といい、つまりワンタンメンの注文だ。

 調理はいたってシンプルである。

麺とワンタン、もやし少々を、メン用の深い網じゃくしに入れて大鍋の中に沈め、その間、温めた丼に揚げニンニク小匙一杯、塩、コショウ、味の素少々を振り入れておく。茹で上がったメン類一式をその中へと移し、上からスープを注いだら、薬味として葱&パクチーを振り撒く。

あとはお客が、テーブルの上の調味料四種――「砂糖」、「粉末唐辛子」、「輪切り唐辛子の酢漬け」と、タイといえばの「ナンプラー」(魚醬)でもって、好き勝手に味を調える。

自分で味付け?――なら、家でも出来るのでは。

…なんてことはしかし、言えるもんじゃないだろう。日本でだってそうだけど、ラーメンのようなスープを家でこしらえるというのはなかなか大変であり、店に来たイミ、というのはやはり「大あり」だ。

夕方の為に仕込むスープは、自宅にて朝から取り掛かるという。豚骨、鶏ガラに加えて、カオマンガイ(鶏ご飯)用の鶏肉丸々一羽も一時間程度、この中で茹でたら肉をさらったあとの骨を再び戻していた。全部で何羽茹でるのか、煮込む鶏肉が増えればそれだけ濃度は増してゆくことだろう。店という多くの人に提供する場であるからこそ、意気込んで揃えられた材料の数々であり、出来上がるその濃度――食べる人数が片っぽの指の数にも満たないのに、「家で」というのはちょっと無理ってなもんである。

とはいえど。そのかかった時間も手間も全く感じさせない、店頭で見せる「仕上げ」とは非常にあっけない。引っかかっているタオルでもシュルッと掴み取るように、またひとつ、メンを片手でホイサッサ、ヘタをしたらインスタント?なんて思われかねない早さであるのが惜しいというか、もっと「もったいぶって」仕上げたらいいのに。そう、「ギアク」――ワンタンだって、今は、さも生まれた時からこの姿だった、かのようにコロコロとそこに在るけれども、ひとつひとつ、過不足なく正確に、手間をかけてこしらえていたものなのである。…それが「プロ」か。手間、などと周囲に思わせないのが。

 と、「食べて」。

ついでに、とばかりに私にも小丼だ。いつもの――ワンタン四つ入った「味見用」。コレの為にあらかじめ多めに茹でていたという、その心遣いが嬉しい。

レックさんは客の丼と小丼を両手に、「さあ」と観音スマイルでテーブルへと導いてくれる。

感謝して「いただきます」。

 汁に浸かってしまえば「イモムシ」なのかなんなのか、くにょくにょとしたヒダが泳いでいるようで、まぁ一見は「幅広の麺」。子分のように、その底からモヤシがチラチラと顔を出し、葱がパラパラと彩りを添えている。

 レンゲですくってみると、今はイモムシというよりは、ひらひらと腕を広げたジュディオングというか、脱皮した蝶々。

 ……これよ。この弾力。

一口だけだ。まだ丼には殆ど残っているというのに、もっと、もっともっと食べたい――という切なさにも似た気持ちが盛り上がる。

やっぱり、旨い――のは、皮か、具か。どっちでもいいんだけど、どっちなんだろう、と、針がチカチカ、どちらを差してみようかと遊んでいる。

その「はねっ返り」に、ワンタンってこんなのだった?と、そう称されるものを食った過去を引っ張り出してみる。麺(中華麺)の添え物という「ワンタンメン」としてであり、まず印象としては、「皮が薄」かった。儚かった。病院の窓から眺める、落ちゆく葉っぱのように。

茹でたら「溶ける」が如くで、いつのまにか口の中を通過しており「食った感」などまるでなかった。…って実際溶けたのか破れたのか、中に在るはずの「具」・肉餡もスープのどこぞへと消えているモンで、皮に包む理由が分からない。中の肉餡は一つにまとめ、わかりやすく「肉団子」にした方がいいのではないか。皮のぶんだけ、メン(啜る方)を増やした方がいいのではないか。「要らないのでは?」――と正直、ワンタンとはその存在意義を量りかねるモンだった。

が、これは違う。

厚めの皮で、しかもヒラヒラのしわが余計に弾力を感じさせるのだろうが、讃岐うどんの「コシ」という言い方がまさに当てはまる。「啜り食い」する紐状とは、ただ形を変えただけで。

ただカタチが違う――けれども、だからこそ。「啜らない」・つまり勢い付くことなく口に入るせいで、モグモグと落ち着いて咀嚼する、その実感が強く残る。ともすれば「讃岐」よりも度胸、据わってんじゃないかと思う程だ。

 その、コシある皮に、中の肉餡が便乗している。

包む際に見たその量とは、「あまりにも…」とウッカリちゃちを洩らしそうになる程に「ちょこっと」であった筈だが、味付けが強いのか何なのか、カッキリ「具あり」の明確な色が、その弾力全体に及ぶのだ。「ワンタンメン」として食うにしても、決してナルト(かまぼこの)のようにメンの「添え物」に甘んじることは無く、「同等」とふんぞり返っていい存在であると思う。

――いや、しかし勿体ない。

「また明日も食える」と悠長なことを言ってられない、この場における命短し旅行者としては、メンと一緒に食うなどという余裕にかまけている場合ではない。心ゆくまで、これだけに没頭することがまさに、正解。

そしてやはり、思わずにはいられないのだ。

「この皮――欲しいなぁ。」

とはいえ結局は「ここの味だから」。タレの必要性など感じない、この肉餡の味と包み技、そして――ワンタン自体のインパクトに忘れそうになるが、それを抱擁する慈悲深く滋味深い、ありがたや的「スープ」と合体するからこその、旨さだ。……それは分かってはいるが、遠い日本でコレを偲びたい、「似た」感じを得たい、それらしき満足が欲しい――と思うならば、この食べ物のアイデンティティといえる「皮」にすがるしかないだろうよ。

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やや薄暗くなったか、という緩慢な空よりも、人々の方がはっきりと夕方の到来を告げている。「食べる」為に動く時間だ。

新たにお客がやって来たようだ。結構な数の注文らしく、まだ「カオマンガイ」にケリがつかないコワモテパパの横で、レックさんは「こんばんは」とガラスケースの横からニョキっと顔を出し、ブンもまた、スタンバイの丼をカチャカチャと用意する。――制服の白が、早々灯された電球に照らされて、光っている。

家族三人がそれぞれ、立ち位置にすっぽりはまり、迷いなく動いている。

                                                                                                      (訪問時2007年)

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