主に、旅の炭水化物

各地、食風景の点描

肉を洗う  ~バンメトート「お呼ばれ」記

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「おいしい」。

告げると、「ソレじゃなくてコレ」。ハーさんはこちらの取り皿に、プラスチック的に艶めく太い、一番大きな肉切れをドカンと載せる。この空心菜炒めを褒めちぎりたいコチラの心、分かって貰いたいが、「定番中の定番」の総菜を褒めて貰っても嬉しくないのか、聞こえてはいるだろうが通り抜けている顔だ。

 とはいえ旨いったら。空心菜自体それほど癖もなく、塩が効きニンニクも後押しして、これだけでもそれなりにイケるのだが、別添の「タレ」と食うのがまたイイ。透明なオレンジの液に赤が散りばめられ、白い小皿によく映える――昔、こんな色のおもちゃのゴムボールを持っていたような気がする。

炒める時に味を付けたんだから、まぁタレはあっても無しでもいいんじゃないの?――と思ったが、「絶対」だ。一回付けて食べたら、なきゃイヤ、となってしまう。

ベトナムの中部ダクラック省の省都・バンメトートにいる。人口三十万人。ベトナム南部の中心都市であるサイゴン・現ホーチミンシティから北東に約330キロの距離にあり、夜行バスで約10時間。

バンメトートといえば――その名を馳せるのは、「コーヒー」。

ということでできるだけそれを堪能しようと、一日のうちになにかと飲み歩く中で、市場のカフェにて出会ったのが、ハーさん。歳も近く意気投合し、一緒にご飯を食べよう、という流れとなった。しかもハーさんの家で、彼女が料理したものを、である。おぉ、「ベトナム料理教室」…。

 というわけで嬉々とお料理見学を堪能してのち、出来立て三品のオカズを並べた食卓にある。白と黒の大きなタイルを交互に組み合わせたという、なんとなく一面ピエロみたいな床は手入れよくピカピカで、ソファがあり、戸棚があって扇風機があり…のリビング中央にある低いテーブルには、「空心菜炒め」と、「豚肉炒め」「カボチャと牛肉のスープ」。と、炊飯器のジャーが低い椅子の上に。

ソファに、折り畳み椅子を組み合わせ、三人。12時を過ぎて「帰って来た」らしい男性と、ハーさんと、私だ。

 そうだ、たくさん食え、たくさん――とばかりに頷くこの男性は、……旦那さん、だろうか。ハーさんよりも焼けた肌をして、見た目はなんとなく海が似合う体育の先生だが、穏やかで優しそうな雰囲気でもある。

「お邪魔してます」という風に挨拶をしながら、横からハーさんが告げている、おそらくこちらの情報に、うん、うん、と頷くも、特に驚くとかの反応はなく、言葉少なくフーン、と笑顔だけだった。

 豚肉炒めは、ちょっと濃いめの甘辛、と想像していた。見た目はもちろん、入れていた調味料も、醤油、砂糖…そういったものだったハズだ。確かに甘く、辛く、……だが日本でも御馴染みな感じとは何か違い、もっと「込み入った」味がする。これがカラメルの効果だろうか。それとも幾つかの、謎の瓶入り調味料のせいか。

そしてそれを、そう簡単に舌の上から離さない、立体的ともいえる肉の弾力。そして瑞々しさったら…。

噛むうち噛むうち、目が垂れるか大きくなるか知らないが、手すりに寄りかかるよう、即刻に箸が求めるのは「ご飯」だ。

「旨いです…」

大口を放り込まずにはいられず、笑ってしまうのを持て余してハーさんに投げてしまった。ハーさんは困ったように受け止め、こちらとは異なる清涼な笑顔で応答してくれる。

 洗った肉。新鮮な肉――コレが肉の「実力」なのか。

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 ――肉は、洗っていた。

洗面器よりもやや小さい器の中で、ハーさんは、ちゃぷちゃぷと、揉み込みむように。ソレを見ながら遥か昔の記憶が蘇って来て、――「スマン」。

ため息のように漏らした反省のココロ。…今頃になって。

大学生の頃だ。

「新入生歓迎」のイベントにてグループを組み、メンバー内の部屋(一人暮らし)に集まってメシを作ろう、ということになった。メニューは確か、簡単でかつ誰の腹をもそこそこに満たす、カレー。

肉を炒めてから煮るのか、(野菜諸々が)煮えた中に肉を鍋に落とそうとしたのかまでは覚えてないが、とにかく「肉を調理する」というその時。スーパから買ってきたまんまの、食品トレーの上に綺麗にスライスされたのは豚肉だったと思うが、一人の女の子がそれを手にしてシンクに立った。彼女は沖縄出身、ということも覚えている。

小さく切るのだろうか?と見ていると、水道の水を躊躇もなく、その上から流し始めたのである。

驚いて、素直に「え、」と声を出した。そして素直に呟いた。

「肉を洗う人って、初めて見た」――今から振り返っても、ソレは明らかに嘲笑を含んでいた。

野菜ならわかる。砂が茎に入り込んでいたり、虫も引っ付いているかもしれない。でも、トレーにキレーに、棚田のように一枚一枚並べられている肉を、「洗う」というのは思ってもみないことだった。

「初めて見た」なんて言っても、フツー、実際に他人が調理する手元を目にする機会というのはあんまりなかろう。そもそも、大学生になって一人暮らしを始め、やっと料理する習慣に慣れ始めた、という頃だった。それまで料理に興味はモチロン、肉の為に買い物に行くこともなく、すっかり母任せの「なんもしない子供」である私だった。「まじまじと生肉を見る」とは、すき焼きとかの鍋料理で「ちょっと高いのよ」と言い聞かされて堂々、お人形のフリルスカート的に広げられた高級肉を前にする時にやっと、というぐらいであり、勿論だがそれを水で洗ってしまうなんて場面は見ていない。料理する手を実際に「見る」経験とは、ウチの台所で動く母と、そして家庭科の調理実習でワタワタした現場でしかなく、あとは料理番組の世界でしかなかった。

肉を洗う――。実際、例えばレバーならば「血抜きの為に水や牛乳に浸けて洗う」とか、鶏ガラは「臭み取りに一旦茹でて洗い、それから煮た方がよい」等と言う、肉によっちゃあ調理前に「洗う」を含めたひと手間を必要とすることは、家庭科の授業などでも教わった覚えがあったが、料理やり始めの自分に、そんな厄介な世界へのシャッターを開ける余裕もつもりもない。使う肉とはもちろん、薄切りとか細切れとか、「トレイから出してそのまま使える」ものに限る。

要はその狭い狭い経験の、狭い了見のなかで、「肉を洗った」場面を見た覚えも、「発想」も無かった。

彼女の行動は、自分の中の常識「外」にあり、しかも傲慢なことに、それが巷でも共通するようなフツウの感覚であると思った。トレーに載った「魚の切り身」しか見たことのない子供の中には、「切り身」が海を泳ぐと思い込んでいる子がいると聞いたことがあるが、その「んなまさか」と同じ類のことのように思えたのである。

ミニスカートが似合うスタイルのいい、可愛い女の子だった。声もいかにもキュルキュルと「ギャル」な感じの、当時としては「イマドキ」にすっぽりはまる子だった。だからイジワルして、というわけじゃないだけれども、…いや、あったのかもな、と今は思う。可愛いモテっ子。だからせめて「無知」ぐらいあったって――

 彼女は私の言葉に「えっ!?」と顔を赤らめ、演技抜きで(コレもイジワルな見方だが)驚いているのが分かった。

「肉って、…洗うもんじゃないの?」

その反応にかえってこっちが戸惑ったぐらいであるが、んなワケないじゃん、と思い込んでいる私としては、「これは洗わなくていいと思うよ」と横からの男子の加勢、というか助言もあり、哀れみかつ得意気な目で、あーあ、とその濡れた肉を見ていたのである。

 ――スマン。「無知」は、私だった。

 実際、母は牛肉や豚肉の薄切り・切り落とし肉など「スライスされた肉」ならば、買ったそのまんまをスグに下味を付けたり、炒めたり煮たり焼いたりしていただろうが、鶏肉の場合は必ず、その皮の内側にある脂を取り除いた後、水を流し、洗っている。なんで鶏だけ、というと「なんとなく」でいつも会話は終わる。また豚肉でも、バラ肉の塊は一回茹でて洗った方がいいけど、肩ロースの塊はそんなことしない、とか「なんで?」「なんとなく」の決まりごとがあるのだが(豚バラは「脂の塊」でもあり、茹でることでそれを少しでも落としたい)、ともあれ「肉を洗う」ことは「アリ」だと気付いたのは、もっと後のことである。とはいえやはり、スライス肉(牛・豚)は、ウチでは、というか日本で買うものならば洗ったりしないだろうし、必要ないだろうと今でも思う。もし水で流したら、水っぽいだけでなく、薄いだけに一緒に味が逃げちゃうのではないか――魚の刺身じゃあるまいし、ではあるのだが、トレーの上に、スーパーの裏でパートさんが整えている棚田的フリルはまさに刺身的であり、それをわざわざ水で流して乱す必要性が感じられない。

 だが、ここにいては確かに「必要なのだ」だと思う。

 人が、バイクが行き交い、舞い上がる砂煙の中に晒されている各種各部位の生肉。ハエが集っているのを、時にうちわなどで振り払う売り手もいるけど、多勢に無勢、ほぼ気分的・気まぐれ的な行為にも見え、どうやったって…と諦めて全くの放置状態のところもある。そんな中、お客は「この肉の、ココの部分を頂戴」などと切り売りしてもらうのだが、そのビニール越しに受け取った肉には、埃やハエのタッチした跡はもちろん、時に「あ」と店のおばさんは床に落としたかもしれず、地面の諸々も付着した可能性もあるだろう。そして一生懸命肉をさばく際の、したたり落ちる汗やお喋りの際の飛沫もちょっと遠慮したいもの――からして、いくら火を通すとはいえ、ちょっと自分ちで水をひと流しぐらいしたくなるモンではなかろうか。

 不衛生、とヤな顔を向けたいのではない。まぁ、ピカピカ床のスーパーでパック肉を買うことに慣れていれば、冷房もない中で肉を捌く現場の、諸々混じり合ったナマあたたい匂いにひるむかもしれないが、肉を食う――「生きていたもの」・その肉を捌くというとき、大地にフツーに在れば砂埃も飛んでくるし虫も呼ぶ。そういうもんだろう。

 考えてみれば、魚を捌く時というのは、その血合いとか、飛び散って身に付着した鱗を水でサッと洗い流すのは全くもって当たり前である。肉もまた、捌かれぱっなし――砂とか埃が付いたまんまではなく、やはり洗う。料理をするのはそれからだ。スーパーでパックされたフリル肉とは、その段階までやってくれている、ということである。

 ――ベトナム

 市場には日も昇らぬ早朝から、皮をはぎ取られた牛や豚の、大まかに切断された足、胴体、或いはまったく切断もされていない丸一頭が、リヤカーに載って足早に運び込まれてくる。肉売り場では、商売人がこれを更に解体・分別しながら、その最中に「ここ頂戴」と指差されたならばその部分を切り取り売ってゆく、という光景が見られる。

これを食うのだ、とばかりに大きな部位が転がる様子は圧巻であり、ブルンブルン弾けよさそうな肉の、ドカンドカンした塊を前に、沸き立つ「肉欲」――昔アニメで見た「ギャートルズ」のように、炙り焼いて食いつきたくなるのだが、人々とは意外にこじんまり買ってゆくもんで、その量とは私らがスーパーで手にするひとパック三百グラム入り、とかと同じぐらいだ。…冷静。

ともあれ、「息の根を止める」場面こそさすがにないものの、「生き物を食べる」ことの原則――人が我が物にしているのは落命した肉であることを、リアルにフレッシュに抱くことのできる現場。それがベトナムの市場だ。

 まぁベトナムの、に限らず、肉食文化の据わったこの周辺ではどこでもなんだけれど、そんなのを前にしていると、鮮度を保つために冷凍冷蔵技術・流通ルートを整備・発達させている世界での「パック詰め肉」が、妙に「モノ」に思えてくることだ。…なんて言っちゃいけない、それらもかつてはちゃんと「命」のあった肉であり、現にウマイウマイと日々食ってんだけど、人口加工肉にも似た、ベツモノのように正直感じられてくる。

 沖縄出身――。

 彼の地では、まさにアジアの市場と被るような光景が目に出来る、と本で読んだことがある。「この肉を食らうのだ」という人の意志高らかな、新鮮な肉捌きがみられるのだと。

私はまだ行ったことは無く、もしかして繁華街などにおける現在は多少違っているのかもしれない。さすがに食品衛生法なんたらで、肉は冷蔵保存にされているのだろうが、大きな塊だとか豚の頭とかが、店頭のケースにデンと広がっているらしい。

「彼女」は、その沖縄出身だと言っていた。

肉を洗う――。

「切り身」は、私だ。それが海を泳いでいるように、肉を前にしながらも「肉」として見ていない。箱に入った置時計同様、いまからただ使えばいいだけの物体であり、そこに「命の跡」などという発想もなかった。

「肉を食う」認識にしても、食の文化に対しても――まさに無知は私。クローズアップされるひがみとも相まって、あぁなんと醜い自分であることか。しかも今さらなのが余計に恥ずかしさをダメ押しする。

…ゴメン。どうか、お元気でおられますように。

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 遠慮の「壁」が、ガラガラと崩壊する――ご飯を食わずにおられようか。空心菜といいこの豚炒めといい、「ええ、こんなに?」と思ったハズの白い「盛り」が、全くもってフツウに見えてしまっている。…ヤバイ。けど、覆水盆に返らずというか、一度崩れた壁は、即座に修復不可能だ。

そこへ「おかわりは?」と、逡巡する心に悪魔のように…いや、女神が手を差し伸べる。――「うん」と導かれるままに、ご飯茶碗を引き渡す。

 ところで無心に頬張っているようでいて実は様子をうかがっていたのだが、問題は「カボチャと牛肉のスープ煮」である。

カボチャと牛肉が煉瓦のように沈み、ややカボチャ色がかった澄んだ汁が、大きな丼ひとつにドンと入っている。表面に浮く黄色い油と絡むように散っている緑色の微塵が、最後も最後に放った、ネギ&パクチーだ。

 丼にはお玉が突っ込まれているが、…どう食う?

各自にスープ皿があるわけではない。取り皿は私の為に一枚あるけれども、これは空心菜やら豚炒めの為の平たい皿であり、スープには向かないだろう。そもそもこれは「お客さん用特別皿」であり、二人はそんなの使わず、ご飯茶碗を兼取り皿にしている。「郷にいっては…、」とやりたい私としては、なるべく二人のように食べようとしており、皿は自分でオカズを取り置く為というよりは、もっぱらハーさんが「食べてコレ」と勧める肉切れを置くのに使われている。

 ベトナムではたいてい、白飯を食う時には汁物が添えられる。この時、汁物だからといって「温かいうちに」口にすることはあまり意識されないようで、オカズも一通り食って茶わんのご飯も残りわずか、そろそろ食事を終えようかという頃にようやく、その残り少ないご飯の上から「汁物」をぶっかける。つまりたいてい「ぬるく」、湯気こそ汁物としての証、なんてみなしていると少々がっかりもするが、まぁ暑い地域であるからしてそれは大した問題じゃないということか。そして、お茶漬け的にそれを啜る。啜り易いことに、汁にはそれほど具があるわけではなく、ちょろっと青菜が泳ぐ程度であることが多い。――で、「ごちそうさま」。

 対して「今」のコレ。一応「汁物」の分類ではあろうが、食事の終わり頃に手を出すにしちゃあ、その具とはまるで岩場であり、「かき込む」にはゴロゴロ立派過ぎる。(食事の)最初の段階でタッチするべきカボチャ、のようにも思うが、今からご飯を汁に浸すもんだろうか。…いや、豚肉やら空心菜やらの為には、私としては、飯は浸ってない「ホックリ」状態であってほしい。

……なんて悩んでいると、おぉ、体育おじさんの手がそっちに伸びそう――伸びた。

 お玉を取って引き上げ、具が載ったままそれを丼の内側に付けるように傾ける。あ、汁気を切る? そうしてそれをご飯の上にもってくる。そうか…単純に、具だけをさらえばいいのか。ならばご飯はほぼホクホク状態のままだ。

なーんだ私って頭固いな、…とはいえ「それでいいんだろうか」とも思う。汁に浸かっているからこその、この料理、ではないのか。豚汁を出されているのに、具だけ食って汁は要らない、というのに等しい気がする。

少々釈然としないこともないが、ともあれ答えが分かったところで、じゃあ。「誰かが先に取るまで待ってたでしょ」というのが丸分かりだが、あんまり躊躇っていつまでも手を出さないでいるのは、頑張って作ってくれたハーさんに申し訳ない。っていうのを言い訳に、興味ビンビンをやっと果たせる。

 おじさんに倣い、カボチャと肉を三つ四つ、ご飯の上に載せてみた。それでも少々汁が入ってしまったが、植木鉢をひっくり返したとたんのダンゴムシのように、ご飯の奥の奥へと潜っていってしまった。

 ――カボチャの甘さだ。素直な、柔らかい味だ。

 肉も、肉の甘さである。…ってスープの味もきっと染みているのだろうが、「ご飯イケイケ」とこぶしを上げる豚炒めと空心菜の前では、それは儚い夏の思い出。静寂なる湖のほとりにワンピース姿の美少女を見たような、束の間の安らぎ。頬を撫でる爽やかな風…――の「爽やか」さは、薬味のせいだ。特にパクチーが効いている。

 そうして諸々食べていって、茶碗のご飯が残り少なくなった頃、体育おじさんは「汁」を改めてその上に注ぎ、ちゃんと飲む。この時、汁だけといっても一つ二つ具が入り込み、いまようやく「汁も具も」一緒に、ということになるが、具が入るのは「たまたま」な感じであって、必要なのはホントは汁だけ、のような感じで食っている。

「豚汁だったら…」とやっぱりわだかまりが生じるのを押さえ、同じようにじゃあ私も。たまたま、を装ったつもりはないんですけどアラ不思議、いっぱい入った具と共に、ご飯の上に。

 …あぁこれは、進むわ。肉のダシかそれとも味付けのせいか、色は澄んでいても、煮しめた色を秘めたような、おとなくもずっと啜っていたくなる味。それをご飯とサラサラとゆくと、脳裏に風鈴が揺れ、リーンと響くのにも似た快さがある。

 風鈴が鳴る。か細くも凛とした音色の向こう、ハーさんが見える。

                              (訪問時2007年)

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