主に、旅の炭水化物

各地、食風景の点描

シューシのケバブ ~ナゴルノ・カラバフ

  

 

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シューシのコーヒー ~ナゴルノ・カラバフ - 主に、旅の炭水化物

再会(2013年)

 

グチュ、グチュ、と、洗面器にほどほど入ったミンチ肉を、握りつぶすように、そして縁から中へと折るように捏ねたら、片掌に持てるだけのソレをひっつかむ。もう一方の手には、フェンシング用かというような長い長い串。――刺されてもないのに、ソレ、見ているだけで胸がクッとつってくる。

串の真ん中あたりにまず、掴んだ肉ダンゴをあてて、それから上に下にと棒に沿って伸ばしてゆく。度々手を浸している容器の中の液体とは、くっつき防止の為の水、いや油だろうか。テカる手のひらでペタペタとしてゆけば、なんとなく、アタマ貫通したポッキー(チョコ=肉)みたいになった。…というのはアレだ。ロースターに掛けるべく、尖った先端・三、四センチと、手前側の握る部分はあける(肉を引っ付けない)から。

妖精ママはさらに、その肉部分を親指とひとさし指で挟み、指二本の間隔を狭めたり緩めたりと動かすことで、ポッキーにうねるような波跡をつける。

その波のくびりが、菱形に切られた肉片ひとつひとつのように思えなくもない。って揃いも揃った形の肉片ってのは不自然だからして、あぁミンチなのか、とやっぱなるんだが、…ほぅ、綺麗になるものだ。同じ肉でも、酒飲んだウミヘビ状態よりは目を惹くだろう。ウミヘビって、誰が?…というと、きっと、おっちゃんがやったらそうなる。悪いけど、たぶんそう思う。几帳面で、手先の動き細やかな妖精ママだからこその、端正な形だと。

指先で「波」を更に整えたら、ヨシ。ツクネ串ともいうべしか。出来次第、ロースターの上と持ってゆく。

 

 

初めて訪れてから五年。シューシは、当時と比べれば、所々で建設現場が目についた。営業はまだ先とは思われるが、「HOTEL」というオレンジ色の文字が縦に入った、真新しい壁さえある。人の住居跡は、五年前のまま何一つ変わっていないが――。

以前と同じ道順を辿った。かつての住宅跡地を一巡したあと、「あのカフェ」に向かおうとしている。

「ある」だろうか。店は、今も続いているのだろうか。

見覚えのある雑貨店を過ぎて坂を上り、この辺ではないか、と、立ち止まった。

頭がピント合わせにまごついているようで、建物を目にしてもピっとこない。が、場所的には確かにここのはずだろう。看板はない。が、開け放たれたその中を覗いてみると、テーブルが、イスがある。少々配置が記憶と違うものの、それは食堂としてのありようだ。誰もおらず、乾いた空気が漂っているが、――ここ、だろう。

 中に入ってみた。広い空間に、テーブルはまばらだ。…というよりも、「準備中」のような中途半端な感じであり、ガランと空いたスペースがあったり、イスが無いテーブルもある。陽の加減のせいか、記憶にあるクリーム色の雰囲気はなく、それどころかグレーに翳り、寒々しい。

だが嫌な予感とはしない。――匂うのだ。…いい匂いだ。ここが「動いている」ことの匂い。何かオカズの…。

 と、こちらの気配が伝わったのだろうか、奥から現れたのは――見覚えのない、初めての顔。黒いTシャツとジーンズ姿の、若い男の子だ。日本でいえば、高校生ぐらい。

あちらもあちらでポカンとしている。訝し気というよりは、客なのか?と見定めようとする「ん?」とした顔だ。

「こんにちは。…あの、すいません。ここにこういう人は…」

不審な目へ変わらないうちに、と、すぐさま写真をカバンの中から取り出した。二枚、五年前に撮ったものだ。一枚は背を壁にもたれ、こちらにフンと軽い笑顔を向ける、ずんぐりチョボ髭のおじさん。もう一枚は、ヒダの寄ったエプロンを身に着けて立つ女性――奥さん。髪を一つに括りすっきりと顔を出して、客室乗務員みたいにスマートに立っているが、キュッと口を締めているのは、写真に緊張したのだろう。おじさんが極悪帝国の皇帝ならば、おばさんは囚われの妖精。見た目には、そういうギャップのある夫婦だった。

 それを受け取ると、むむむ…と表面をなぞるように二枚を見る青年の、陽にそこそこ焼けた顔が、ゆっくりだがニマ…と緩んでゆくよう。――ヨシ。ここで合っている。ここでいいのだ。…ということは、この男の子は息子君か。

コク、コクと頷くその表情はもはや笑顔であり、「こっちにいるよ」。この寂しげな空間の、その奥――かつて、「オーイ」と呼びつけては妖精ママが現れた、あの入口。その向こうへと、Tシャツ男子は導いてくれるようだ。

 

抜けてみると、おぉ、明るい。

中庭だ。突き抜けた空のもと、敷かれた砂利の隅に、ダリアに似た、花びらを幾重もつけた黄色い花が背を高く伸ばしている。

あぁそうか、この匂いは肉なのだと、傍らの壁沿いまっすぐのところに、煙の上がるコンクリート台が目に入った。ロースターだ。…といえば、「ケバブ」――串焼きではないか。瞬間、記憶が蘇ってきた。そういや前も「ケバブがあるよ」とは言っていたんだっけ。

そして、ヒトが背を向け、その傍らにいる。金色の髪の毛を一つに括っている、女性。そのシルエット…――あの人では。

Tシャツ君が声をかけた。振り返ると、やはり。妖精ママだ。

エプロン姿ではない。普段着、というよりはヒョウ柄の、何となくお出かけ用みたいな半袖ヒラヒラブラウスを着て、煙に向かってゆがめていた口元を戻しながら「ん?」と、細い目を私の方に向けた。その目、その顔だ。…懐かしい。ちょっと皺が深くなった気がするが。

 数メートル離れた、別の出入口から声がする。何人かの会話…。Tシャツ君はそこへスタスタと歩き、躊躇なく首を覗き込ませて何かを言う。と、出てきたのは――あぁ、そうそう、この人この人。チョボ髭親分。

前よりもスッキリ見えるのは、少々髪が薄くなったせいか。その残る髪の毛には白髪が目立つ。写真の時のようにゆるい普段着ではなく、襟付き半袖シャツ・黒い長ズボンというクールビズ的な格好のせいで、ちょっとピシッとして見える。…けれどもそのベルトが少しアップアップ。出っ張り気味の寸胴腹は、変わらない。

写真を差し出されると、最初ポカンと、そして眉を寄せてソレを睨んでいたが、オゥ、オゥ…と、記憶が這い出てきたようだ。ニコォ…っとキティちゃんの髭みたいな皺を作り、笑ってくれる。

それにしても。すっかり「コーヒーの店」というイメージが定着していたのだが――そうだったのだ。

だがこの町で「何かを食べる」という発想自体は皆無だったのであり、それはいまも変わらない。

今回もただ町を歩き、その後おじさん達に会えたなら御の字であり、理想的。それが叶ったならば是非、コーヒーは飲みたい。以前のように。――という想像でいた。

ビジネスホテルの風呂桶ぐらいはあるロースター、その隅の方には薪が突っ込まれ、炎は時にバティッと威嚇するも、しゃらくさい。妖精ママがいま眼中にあるのは、その上に引っ掛かっている、長い、長い串だ。串の肉だ…。

ケバブ、……ねぇ。

 

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ケバブの家

 

ケバブ」(又は「シャシャリク」と呼ばれる)とは、肉に限らず魚も野菜を含んだ、要はバーベキュー料理である。…と思っていたらトルコなどでは煮込み料理にも「ケバブ」と呼んだりするなど、その括りは変幻自在しそうだけれども、――「ケバブ」。そう呼んで、真っ先に頭の中で挙手しているイメージとはたいてい、串に刺した肉をジュージューと炙るというアレである。中央アジア内陸部一帯(中国西部・ウイグル自治区から西のユーラシア大陸)、コーカサス、中東などの広範囲において、それぞれの土地で「郷土料理」と称されており、アルメニアもその内に含まれる。日本における「すき焼き」のように、外部の人間に紹介するといったら、の定番料理でもある。

…って、ん?コーヒーは? それが目的じゃなかったのか、というと、――もちろん飲んだ。

ウマかった、と思う。というのはなんだか心もとない感想だな。再会を心配しながら求めてきたココであり、そのコーヒーだろう――というと、…うん。

きめ細かな泡が表面にフカっと立ち、カップの縁についている、砂丘の砂のように微粒な豆をじゃりっとかみながら、あぁこれこれ、これだよなぁ…と悦に入る。

 以前のように、いやそれよりもガランとした、通りから入ってすぐの広間にポツンと座ってチビチビと、時の流れに浸る。…やっぱり美味しいなぁ。だって、これを飲む為に来たのだ。

 何か食う、というつもりはハナから無かった。

…んだけれども、なんだかかなり気になったのである。これでヨシと終わるには、髪の毛が引っ掛かったように、気持ちの通りがスンナリといかない。

再会という目的を達成し、ホッとして腹が減ったか。胸を貫きかねない串の迫力を前に、食への欲望が目を覚ましたか。

そうかも知れない。だが一番気になるのは、以前とは打って変わったような、奥の、その忙しそうな動きである。評判が上がったのだろうか、それとも閑古鳥が鳴いていたあの時とは、たまたまだったのか。ジュージュー音が鳴っていると、たとえ一本でも「忙しい」感じがするもんだが、いま炭火の上には数本あり、なんだか繁盛しているっぽい。

ケバブ焼き。「食堂」ならばそりゃそうだろうが、ここのメイン・つまり彼らの本領とは、コーヒーではなくてそっちだろう。そこ・つまりの核心である分野にタッチすることなしに、ここを去っていいのか、という自問自答が巻き起こっていた。

あとで後悔することの予感がある。このままバイバイしたならば、これから先ケバブを前にする度に、靄が・悔恨の声が心の隅っこでボソボソしていることだろう。「あの時」食欲ないフリなどせず、食えばよかったのに…、と。

……食おうか。

せめて、一本。でもコーヒーを飲んだ「後」に、ってのもヘンな流れだなぁ。コーヒーがフツウ「食後」だよなぁ――なんてウロウロ考えているうちに、「待望のコーヒー」、なんとなく飲み終わってしまっていた。

 このままじゃあ「忘れ物」の感が甚だしい。やらずに後悔よりやって後悔、とはどのセンセイから聞いた言葉だったか。

席を立ち、奥への入り口を抜けると、丁度おっちゃんがいた。手にしているのは、丸々したトマトを数個、数珠のように連ねた串、一本。…おぉ、トマト焼きか。外気に光る、滑るような肌。はちきれんばかりの真紅のソレに目を奪われると、もはや迷いは吹っ飛んだ。

「ん?」とこちらを向くおっちゃんのシルエットは、うちわ片手の妖精ママに剣を捧げる、まるで従者だ。

「一本、食べたい。」

 

――というわけで、私ぶんの串が焼き上がるまで、作業を見せてもらっている次第だ。

先客がどれだけ注文したのか知んないけれども、ともかく最後尾だろうからゆっくり見学できるだろう。懐かしい珍客ということで、迷惑もきっと帳消しよね、という暗黙の訴えのもと。

それにしても、その「ヒョウ柄ブラウス」はいいのだろうか。どちらかといえばソレ、応接間で小指立てて紅茶をすするマダム、という図にはまる服であり、眉間に皺をよせ串を焼く状況とは明らかにミスマッチ。事の次第を想像するとしたら、たとえば、家でくつろいでいるなかで、急に「助っ人」として呼ばれてしまい、着替える間もなく慌ててやってきました、という感じか。それとも、出入りする人たちの視界に入るところで焼くのだから、ちゃんとしたカッコをしてなくちゃ、ということだろうか。…汚れちゃうし、匂いも染み込むだろうに。

 「助っ人」?――いや、それどころか…。

ウットリとくる、立ち昇る肉の芳しさとは、ママにとってはもはや、焼けたかどうかの判断基準でしかないのだろう。厳しい目で、…煙に巻かれて厳しくならざるを得んのだろうが、見極めながらも手は串を回し、炭火を扇ぎ、そしてちょっとの合間で次の串を貼り付ける。そしてサイドメニューのイモを、炒めたりもする。アレしてコレして…と手際が非常に効率的だ。

その傍らで、Tシャツ君はミンチ用に肉を轢いたりしており、おっちゃんは、ちと大きめのタライに、鶏と思われる肉・抱えて持って来たりしている。これからミンチにするのだろうか、それとも丸で焼いて、という特注なのだろうか。

 なんだか…。いやなんだかではなく実際「アットホーム」そのもの、まさに家族の台所風景であり、協力する姿がここにある。

三人四脚の、その「要」にあるのはまさに妖精ママだ。あとの二人・父ちゃんと息子はその補佐役である。

とはいえTシャツ君は肉轢き係に加え、ママが焼き上げた串を引き受けて、その上からソースを垂らしたり、或いは新たな串に(ママが)生肉をニギニギしている間、代わりに炭火の前に立って扇いだりひっくり返したりするなど、調理に踏み込んだ補佐役をこなしている。

対して父ちゃんは、処理する為の生肉を「持っている」。トマトやイモの注文があったから倉庫に「取りに行く」。串肉と共に出すパンを「買ってくる」。――という、新入り見習い的というか、補佐のその補佐、という立ち位置の仕事であり、又は「どうもよく来たね」「ヤァ久しぶり」といっちょ前に愛想よく、の接客係。

……。

おっちゃん自ら告白せずとも、「ワシ、料理からしきダメ」というのが伝わってくる。

親分的外見が手伝って、何かやるとしてもオーダーを伝えるだけ、あとはノペーっと座って煙草をふかしてふんぞり返る「亭主関白」という印象があったものの、…どっこい。ここを統べるのは「ママ」なのであり、おっちゃんとはその従者。そのちょこまかとした挙動を見ていると、「何か役に立たなくちゃ」という誠意のもとにあるのがひしひしと伝わってきて、……ワルイけど笑えてしまう。

串を焼くのは妖精ママである姿を目に、…こういうのってフツー、父ちゃんがおったら父ちゃんがやるもんじゃないのか。ケバブは煙と炎と格闘する野趣あふれる料理であり、いくら「関白」っつったって、その白く細い腕に火傷しては、と、心配にならんのかおっちゃん。――等と実はチョロッと思わなくもなかったが、せめて皿洗いをするにしても「割るから手を出さないで」と言われかねない不器用っぷりもまた、想像されてくるのだ。

もしママが風邪で寝込んでしまったならば、率先してその代役を務めるのは間違いなく「ボク」の方であり、おそらくイモの皮も器用に剥いてしまうことだろう。

確かにねぇ…。おじさんは、いたら助かるけど、いなくてもオーダーの流れが滞るってことはまぁ無く、店に客がたて混んでいない時ならば、――ドライブ?行ったって構わないわよ、となるわなぁと、あの時の妖精ママの優しい笑顔が思い出されてくる…。

 顔は広いし「威厳ある主人」のようには見える。その外映えを生かしていると、気付いているのかいないのか――妖精ママ、旨い具合にコントロールできているもんだ。

更に想像(妄想)するに、マーガレット一本、その太い両手で指し出してプローポーズした若かりし頃――なんて。でもおっちゃん、妖精ママにベタ惚れだったのだろう。今もずっと、頭上がらないぐらいに。

なかなかの夫婦ですなぁ、と、妄想に満足して、頷いている。

 

現在 (2020年)

 

2008年の訪問の話(「シューシのコーヒー」)で述べたように、2020年9月末より再燃した戦争は、11月、ロシアの仲介で一応終結した。長年、両者に横たわっていた領土問題を、一方の国が武力で「奪還」した結末となった。

日本に住まう私としては、世界認識の甘さを痛感させられる。カラバフは以前から、停戦状態であった。「終戦」ではなかったことは、知識としてはわかっているつもりだった。

だが私といえば、いま現在、日本という土地で「次の戦争」が起こることのリアル感がないように、「戦後」のような見方で彼の地を歩いていたと思う。今後は復興で「よりよく」なるばかりだろう。銃弾に見舞われた壁もいつしか補修されてゆくのだろう。国境周辺で時折衝突があり、死傷者も出たというニュースを目にしたことはあった。「未承認」とされ、隣国と銃を突き合わせた緊張状態のまま、「復興」と言葉にするのは心の隅で一抹の不安というか胸騒ぎというか、何か目をつぶっているような感もしないではなかったが、まさかこのようなことが起こるとは、この地が再び、戦争の惨禍に晒されることになろうとは想像していなかった。

アゼルバイジャンが勝利し、領土の線引きが新たにされた。いったい、武力によって出される結果に、問題は解消の方向へと舵を切ったと果たしていえるのか。

残されたのは、新たな禍根。憎しみと悲しみと増幅させ、さらに深く彫りこまれた民族間の亀裂――

カラバフで出会った人々の安否が、非常に気がかりではある。大いに気がかりではあるけれども、その状況を思い浮かべ、彼らの思いと同じようになることなどできない。何もできない。ただ、記憶にある彼らの表情を浮かべ、その心の傷はいかばかだろうかと遠くから胸をひっつめるしかできないのだ。何の奇跡も起こさない自分の現状に、ただすっぽりと収まっているだけで。

インターネットでは、これからアゼルバイジャン統治となる町に住んでいたアルメニア人が、アルメニア本国へと逃れてゆく姿が流れている。掘り起こした先祖の墓と共に、自宅に火を放ち――アゼルバイジャンに、我が家は渡さない、と。

シューシは制圧され、今後アゼルバイジャンの本格統治が始まる。

「彼ら」はもはや、あの地には残ってはいない。そしてもう戻ることもないだろう――というのは、無事ならばの前提である。無事を信じたい。おじさん、妖精ママ、きっと嫁を貰ってもいい年のTシャツ君――どこにいても、生きていて欲しい。ただそれしか今は。

いつか、親子三人の写真を渡しに行こう。また。

――それ自体がまさに幸せな、希望だったのだ。

 

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