主に、旅の炭水化物

各地、食風景の点描

シューシのコーヒー  ~ナゴルノ・カラバフ

f:id:yomogikun:20210110053009j:plain

 

コーヒーの味

 

華奢な少女を思わせる、細身のカップの中には焦げ茶色のコーヒーが湛え、その縁に微細な泡立ちをべっとりつけている。思い浮かんだのは、ミルクを飲んだ時に出来る、唇まわりの白い輪郭。

いかにもコックリとした、理想的な見た目だ。

「飲める」。求めたものが目の前に出されるという、店に入ったからにはの当然な成り行きと、この地でそのような状況にありつけたこととのギャップに、体が、心が戸惑っているのだけれど、――とりあえず。受け皿からそれを離し、チョッと、と唇にくっつけた。

…あぁ、うまい。

誇り高さをいうような香りと、苦み。だがその淵に落っこちてしまわないよう、手を差し伸べている甘さとの、そのバランスが見事だ。チョコレートにも似ているが、鞭とアメを同時に受けるようなその快感は、オトナの刺激、とでもいうモンだろうか。

良いコーヒーだ。それをちびっとちびっと口に含んでゆくごとに、背中にもわりと垂れこめていたグレーの塊がそのなりを潜めてゆき、体全体はじわじわとクリーム色に染まってゆくよう。

それは部屋の色でもある。

明るい、優しいクリーム色の空間。

縦に板模様のある、壁の白のせい。白いテーブル、白い椅子、窓に掛かる白いレースのカーテンのせいだ。

入口の向こうに立つ、真っ黒い木の枝にフサフサ生える葉が、風に揺れる度にキラキラと輝くのが見える。ここからでも目が細まってくるほどの、強烈な陽光に晒されている。だがソレ、光はこちらに入り込んでしまえば角を落とし、諸々の「白」と呼応して部屋全体を柔らかい雰囲気に落ち着かせている。

クリーム色の中で飲む、濃ゆいもの。せめぎ合うように見えて不思議と調和する、そのとり合わせの妙にまた、目を細めた。

ガランとした中でたった一人の客。コーヒーを口にする私に、おじさんが最初にかけた言葉はおそらく「うまいか」とかいう言葉だったろう。

入口を出てスグ、外壁に沿って置いてある椅子から通りを眺め、何かを――っておそらく客がやって来るのを待っていたり、通りかかった知人に挨拶したり、オ、中に一緒に入ってきたその人は客か、と思えば、少しだけ話し込んですぐに出て行く、やっぱり知り合いだったり。

…ここで、どれだけのお客がくるものなのか。ちびちびと、唇を濡らしつつその様子を見ているなか、おじさんはまた入ってきては、斜め前の席に座って背中を壁に沿わせながら、幾度かこちらに話かけてきたりした。

「日本人か。」

頭てっぺんのみがツルンとして、チョボ髭にぶっとい体格。半袖からはむっくり、もじゃもじゃの毛が覆う腕が伸び、その先にはたばこが一本、斜め上にピンと立つ。五十代、いや六十代始め…。「親分」というか、極悪組織か何かの親玉、という役がはまる。

そしてもうひとり。エプロンを纏った、細身の女性がいる。

 

紛争再燃

 

2020年9月27日。――約三十年間くすぶっていた煙。それがまた、火を噴いた。

ロシア・モスクワより南方へ約200キロ。カスピ海黒海に挟まれた、東西に走るカフカス山脈のふもとに「南コーカサスカフカス)」地方はある。そのうちの内陸国アルメニアと、その東隣でカスピ海に面するアゼルバイジャンの間で戦争が勃発。以前より争われていた、両国の境に在る未承認国家「ナゴルノ・カラバフ共和国(アルツァフ共和国)」の帰属問題が再燃し、彼の地は戦場となった。

カラバフ(=ナゴルノ・カラバフ共和国)は、かつて「自治州」としてアゼルバイジャン領土の内にあり、人口八割から九割を超えるアルメニア人、一割から二割のアゼルバイジャン人、そしてその他にはロシア人などが居住していた。だが1980年代より、アルメニアアゼルバイジャン両国において、相手民族に対する殺傷事件が次々に起こると、アゼルバイジャン領のカラバフ自治州においても、長年、その人口比を多く占めるアルメニア人が求めていた「アルメニアへの編入」を掲げて民族間の対立が激化した。やがてソ連が崩壊し、戦争が勃発。カラバフは「ナゴルノ・カラバフ共和国」として一方的に独立を宣言し、1994年まで戦闘は続いた。ロシアの仲介により停戦となると、カラバフは戦況を有利に導いたアルメニアによって、その傘下におかれることになる。

だがこの独立国は、国際的に認められることはなかった。アルメニア本国のみがそれを承認、支援するという、外部からは「未承認国家」と称されたまま約三十年、アルメニアに寄り添うように、そこに在った。

 

2020年の紛争――双方による相手地への砲撃により、一般住民の犠牲者も多く出るなか、ロシアが何度か仲介に入り停戦協定が為されたものの、その都度破棄されて戦闘は続いた。トルコの支援を得ていたアゼルバイジャンが南部を制圧して優勢となり、ついに11月10日、アルメニアが条件を飲まざるを得ない形での停戦合意となった。民間人を含めて犠牲者は5000人を超えるという。

以降、首都・ステパナケルトを含む中部地域はカラバフの領土として残されるものの、南部と西部、そしてアゼルバイジャンと境を接する北東部と一部北部地域が、アゼルバイジャンへと引き渡されることになった。1994年まで、カラバフの地を自治州として傘下においていたアゼルバイジャンにとっては、三十年間アルメニアに占領されていたその一部を「奪還した」ということになる。

地図で確認すると、カラバフは、この紛争前よりも三分の一以下の大きさとなり、かつ陸の孤島のように、アゼルバイジャンに取り囲まれるようになることがわかる。アルメニアとは、ステパナケルトから南西へ、アゼルバイジャン自治州時代からのルート「ラチン回廊」を通過することで陸路の往来が可能。その呼吸器のように繋がれた路は、ロシア兵に警備されることとなる。

 

 私は2008年、そして2013年にカラバフを訪れていた。彼の地で出会い、親しくなった友人たちがいる。彼らはアルメニア人であり、カラバフを国として自負し、またアルメニア本国との深い繋がりを当然のように見なしていた。

友人の殆どは首都ステパナケルトに住んでおり、ここは引き続きカラバフに留まることになったが、砲撃に晒され、彼らの安否と行方が非常に気がかりだ。

そしてまた、今回アゼルバイジャンへと線が引かれた町でも、忘れがたい出会いがあった。

また行こう。また会おう――いつの日か知れないけれども、カラバフに行くならば必ず、という心積もりでいるような。

「シューシ」という町だった。

 

 

シューシを歩く in 2008

 

「廃墟の町」。

90年代の戦争によって無人となり、荒廃したその町には、アゼルバイジャンから逃れてきたアルメニア人難民が住みついたが、現在まであらゆる場所が当時の痛々しさを残したままであるという。

…って、そんな場所を旅の目的地にしていいのだろうかという違和感は、やはりあった。私はジャーナリストでもないのだ。だが、単語は右から左にスルっと通り過ぎるだけでピンとこない、というのが正直なところだったのである。「廃墟」――それでも人が住んでいる、という状況とは、果たして。廃墟はイコール「無人」ではないのか。気になった。

シューシへは、ステパナケルトから車に乗り込み、南西方向へ二十分程で辿り着いた。

日本のガイドブックにあった地図と照らし合わせ、方位磁石を頼りに辿ろうとする。まずは、散策だ。

 手書き風の地図にある「道」を概観すると、行き止まりゲームのように複雑に入り組んでいて、しかも略図風だから心もとないようではあるのだが、実際に歩いてみると、わけがワカランとなりそうながらもちゃんと方向は的を得ている。宅地跡沿いにウネウネと続く、省略されそうな小道もちゃんと描かれており、一見曖昧だが正確な描写に、よくぞ地図にできたモンだと、不安というよりも執筆者への感心を覚えた。

幅の狭い下り坂だ。石畳となっているその隙間を、苔のような雑草が這い、どこからか溢れてきた水がその上を縫ってチョロチョロ可愛げに流れてゆく。綺麗だ。濡れた緑が陽の光を受けて瞬く、その輝き。

誰か栓でも閉め忘れたせいなのか。だったら勿体ないなぁ…などと思いながら、塗れていない面を選ぶように坂を下りてゆく。――「誰か」というのは、それこそが幸せな発想であるということを、じわりじわり、靴に水が染みてゆくよう思い知らされてゆくのであるが。

 

石の壁だ。石の道。石の歴史。石の世界だった――のだけれども。

道の脇に立つ家々は、既にその役割を果たしていない。崩れたまま放置され、かつては窓であったのだろう、ポカンと口を開けたようなその穴の中はブラックホールのように真っ黒で、何ものをも守ってはいない。壁の一部が剥ぎ取られたように不自然に欠け、鉄骨がむき出しになっている家。焼け焦げた跡のこびりついたコンクリートの建物は、アパートだったのだろうか。屋根がなくなり、単なる石壁となっているかつての内部に、日の光は穏やかに降り注ぎ、ゆさゆさと背の高い雑草がのんびりと茂っている。

アルメニア人の人口数が多かったカラバフではあるが、シューシの町は先の戦争より前、住民のうち約80%をアゼルバイジャン人が占めていた。だが、戦争でアルメニア人勢力が町全体を破壊し、占領すると、生き残ったアゼルバイジャン人は難民としてアゼルバイジャンへと逃れていった――。

これは、人間によってもたらされた破壊。

その崩れた跡が、かつての存在を訴えているけれども、石壁はしかし、あかたも最初から石壁としてこの世にあったかのごとくである。静かだ――何の波もない。生活があったはずの場所を確かに歩いているというのに、もはや遺跡のように静まりかえった光景からは、ここで無数に生まれたであろう悲しみが想像できない。

映えるのは、美しい、椿に似た白い花。屋根を失った石壁のてっぺんからも小さな花が空を向き、儚げながらもその可憐さを見せつける。

緑――人が育てずとも立派に葉を茂らせた木々、ぐんぐんとエネルギーを満たしている雑草が、風と共にサワサワとそよぐ。虫の羽音が、その生命を知らせる。鳥が鳴き、その翼が空を掻く音が耳に届く。けしの赤が、ひとつの茎に寄り集って生る細かな花の黄色と、競うようにその色を緑の中で浮き上がらせている。

 ただ人間だけがもういない。その面影とは、今を生きる生命たちの前では無力でしかなかった。

 

カフェ ~魔人と、妖精

 

さて、…どうしようか。

地図は一巡した。ステパナに戻ろうか…。ちょっと座りたい気もするが、座ってくつろぐようなところもない。

うーむ。腹は減っていない。何か食べたい、などという気は全く起こらないが、――そういえば「飲みたい」。飲み物は欲しい気がする。地図によれば、食料品店があったんだっけ。この通りのはずだ。

ジュースでも買えないか。…いやジュースというよりも、ホントは、あぁ、コーヒーが飲みたい。

みつけた小さな店で、訊くと「カフェ」があるという。

カフェ。…飲食店一般の「カフェ」だろうか。――誰が飲食する? 店には生活用品諸々が並んでいるように、店のひとたちをはじめ、ここに住む人たちがちゃんといるのだから…。

言われたように歩くと、確かに人の出入りがありそうな平屋の前に来た。というのも、開かれたまんまの入口からはテーブルとイスが見える。やはり中で飲食するところのようだ。壁沿いにいくつか椅子が置いてあり、そのうち向こう側に、おじさんがひとり、座っている。

「店」であることのフダは特に無い。首を伸ばし、もう少し中をちゃんと覗いてみると、教室ひとつ分の広さの部屋にはピカピカに光る四角いテーブルと、バルコニーに並ぶような、プラ製っぽいが背もたれ付きの椅子が整然と並んでいる。壁には風景画なんて掛かっており、…なんだか「レストラン」の雰囲気だ。節約しいしい旅を続けている私には、ちょっと違うんじゃないの、という感じだが…。

 営業しているのだろうか。でも、教えてくれたってことは、やっているからだろう。

と、こちらが中を覗いたと同時に、椅子にあったおじさんがこちらを向き、腰を上げたのには気付いていた。まん前に座っているんだから、ここの人だろうと見当はつく。だが「レストラン」の人にしては、…部屋で寝っ転がって相撲中継見ているのが合う、普段着的ポロシャツ&ズボンだ。――顔が厳ついというか、ずんぐり系&チョボひげ効果で迫力はあるけれど。

こんにちは、と発する前にはもう頷いて、ここ、ここだよ、とでも言うかのよう。そして中へ、テーブルへと手を向け、促すように。

「えぇと…。すいませんカフェー、は…?」

ヨロシイ、と、より力強く頷いて「もちろん、あるよ」。

そして続くのは「腹が減ってないか?」であり、「ケバブがあるけど」。

――ケバブ。つまり串焼き、…ねぇ。滴る肉汁を前に口からヨダレを垂らす、そういう本格的な飯を今はとる気がしないから首を振り、別に言い訳しなくてもいいんだけれども「腹いっぱいだし、」とジェスチャー込みで答えた。すると、「おーい」と、おじさんは中に向かって大きな声を出す。

野太いのが響き渡るガランとしたなか、奥の角っこにある出入口から、「え?」という顔で姿を現したのは、髪を一つに括った小柄な女性。あら、とこちらに向いた目は細いが、そのまつ毛は、視力の悪いこちらでもなぜかわかるほど、長い。

細身に纏っているベージュのエプロンには、裾にヒラヒラが付いていて、なんだかメイドさんみたいだ。

奥さんかな、というつり合いの、そこそこは年配のように見えるが、そもそもの出で立ちからして可愛らしいのに加え、不思議な雰囲気もある。なんとなく、フッとその壁の中に消えてしまいそうな感じ――そう、妖精のように。

「カフェ、一人分。」

と、太い声で言われたままに、そそくさと背を翻して奥へと去ってゆく。なんか偉そうに言われてカワイソウであり、…「亭主関白」の夫婦か。

 

おつまみひとつ、添えられている。昔のキャンディーに多かった、両端がクシャッと皺を作った包みの、そのシャープな焦げ茶色は、中身をチョコだと思わせる。――ホラ。

いろんなデザインの紙に包まれたひと口チョコが、雑貨屋ではお菓子の家とばかりにバラ売りされているモンで、童心にかえってアレもコレもとつい買い込んでしまう。しかもどれも、旨い。宿の部屋でチャイを淹れ、それを口に含んでひとり、静かに甘さに酔うのは至福の時だ。ただブラブラしていた一日に過ぎなくとも、何かを成し遂げた達成感にナゼか満たされているという、頭の中は不思議な展開となっているのだが、まあとにかく癒しである。

ともあれ嬉しいチョコ付き、なのだけれどもこれは「込み」なのか。それともこれを食ったら追加料金、か。

気にはなったがしかし、…なんとなく疲れたし。気分も足元あたりでどんよりと重く、浮上しきれないものがある。まぁいいか、と手に取って開き、長方形の先っぽを齧ってみた。パリッとしたコーティングの中に、柔らかくもホロッと崩れるチョコだ。この甘く深く、に、体もホロッ…。――そしてまた、コーヒーを。

旨いなぁ…。本当に旨い。心から旨い。…旨い。

砂丘の砂のように超細挽されたコーヒー豆を、水と鍋でコツを経ながら煮立てたら、濾すことなく液体丸ごとをカップに注ぐ。日本では大概「トルココーヒー」と呼ばれているこのスタイルは、16世紀、イエメンからオスマン帝国皇帝に献上されたのが始まりだとされている。というわけでその影響があった、現在のトルコの周辺一帯でも広まっており、コーカサスでも飲まれているのだがアルメニア、そしてカラバフでは間違ってもその名称では呼ばない。そのまんま「アルメニアコーヒー」である。

カップの中で豆は沈み、その上澄みを啜るということだが、当然口の中にジャリッと入ってくるもんで、その感覚が私は好きだ。

――ここで、こんなコーヒーが飲めるなんて。空っぽになりかけていた自分の中身が、満たされてゆくのがわかる。さっき歩いている時は端切れも存在しなかった、この一変した感覚が不思議だ。

「君は、ジャーナリストか?」

外と内との出入りを繰り返していたおじさんは、その何度目かの「内」で、近い席に腰を下ろし、こちらを向いて話しかけてきた。ヒマそうだ。

「いえ、違います。旅行者、です。」

戸惑ったが、しかしそれ以外に思い浮かばないから答えたものの、答えたとたんに青くなった。

…「旅行」ってのはフツウ、「楽しむもの」。物見遊山。だがここで一体何をその対象に込めるのかと、人間性さえ問われかねない答えかもしれない。――ここに住む人にとって、侮辱にも等しい言葉では。

 だがおじさんは特に顔を曇らせることは無く(心掛けたのかもしれないが)、あ、そう、フーンと、タバコを吹かし、「中国人?」「日本人です」オぉそうか、と頷いただけで暫くはそれ以上に無く、こちらもホッとするのを誤魔化すようにカップの縁を口に含んだ。

と、「ガンザサは行ったか?」と。

「ガンザサ?」

「そう、ガンザサ。」

なんだか薬草みたいなその響き。そう聞こえたものだから、その後も「ガンザサ、ガンザサ」と私は言うようになってしまうのだが、正確には「ガンザサール修道院」であり、ステパナケルトより北西・約50キロのところに位置するヴァンク村というところにある。…ということはあんまりその時の私はよく分かっておらず、だが、その後にペラペラお喋りが続き、そして「美しいぞ」という念押しの目、表情、そして手の挙げ方からすると、「まさに見所」であることは容易に想像できた。

「いえ、まだです。」

フーン、知らんなぁ、(ガイドブックに)あったかなぁ…。流すように答えると、その厳つい顔の眉毛が、面白いぐらいに下がって皺が寄った。

「…まだっ!?」

「あ、えぇと、明日。…か、あさって、か。」

初めての京都なのに、清水に行かないなんて――そんなのに似た、異議混じった反応に、とっさにそう答えてしまった。おじさんは、おぉそうなのか、とタバコをまたそのチョボ髭の奥に引っ込めて頷き、それで収まった、と思ったら、

「今から行くか」

とくる。

「今から行こうか。わしが運転するから。ドライブだ。フリーだ。金は要らない。」

…ってなぁ……。自分を指さしハンドルを回す動作でこちらを見、その眉はニョキッと跳ねている。ソレって近いのか。これから出て、明るいうちに戻ってこられる場所なのか――という前に、である。

初めて会ったばかりの人の、それも車にホイホイ乗り込むのもヤバかろう。当然、断る。とはいえ、こういうのが典型日本人というのだろうが、きっぱりスッパリと言えない。でもとにかく行くわきゃないんだから、やんわりでも「ダメ」の方向へ持ってゆく。

「いやぁ、今日はちょっと。」

…と、途端に眉が下がった。操り人形のように、糸が上から引っ付いているみたいだ。分かりやすい。

「疲れているので。明日行ってみます。」

疲れて、のところで、そうか…と目を伏せており、また窓の外の方を見る。頭を向けるシルエットがしゅんとしており、…なんかオモロイなこのおっちゃん、と、またひと口。コーヒーも残り少なくなり、深くカップを傾けると、それに気付いていたのか、おっちゃんは背中を向けたまま「チャイ、飲むか?」。

「チャイ」とは紅茶のこと。瞬間、「おごり」で?という疑問と、この、口の中の「コックリ」をスッキリ整備する為に飲んでもいいなという気持ちと、いや、余韻をもう流してしまうのはモッタイナイよ、という気持ちが交錯する。

「チャイ…」どう答えていいのか分からず、ただオウム返しにその単語を呟くと、どうやら「要る」と受信されてしまったらしい。

「おおい、チャイ。」と、奥の入口に向かってまたおじさんは吠えると、一体その向こうで奥さんはどういう風に待機しているのか、間をおかずにスグ、妖精の如くに現れて、青い瞳でダンナを見る。

「チャイをくれ。このひと、日本人だってさ。ガンザサにも行くんだって。」

――という、私に関する説明が単語の端々からうかがわれる。妖精さんは「へぇ…」と細い目をさらに薄くして、口元をやや上げた。笑みが、柔らかい。

「チャイね、」とまた引っ込んでゆくその感じ良さに、まぁ、いいか。昼メシ抜きだし。チャイ代ぐらい…という気にもなる。もう少し、のんびりしよう。

やがて妖精奥さんが再び現れ、熱いから気を付けてね、とでも言いそうな表情で持ってきてくれたチャイは、透明ガラスのティーカップ&受け皿だ。心貫く、きらめくルビー色…。

 おじさんはやはりまた、のそのそと外に出ては座り、「よっ」と通行人と言い合っている。ステパナよりもきっと、ずっと狭い世界に違いなく、見知らぬ人はいないというもんか。誰も一見して、崩れたアパートの一角に住むなどと想像つくような風でもなく、果たしてどういう暮らしぶりなのだろうか。…っておじさんは、ここが兼住居、だろうか。

 そんなことを少々思い始めながらも、あぁなんて晴れっぷりだろうかと、入り口から溢れてくる眩しい光を他人事のように眺め、チャイを啜った。――ほぅ。「方向」が違う感じ。コーヒーの為に開いていた味蕾をそっと閉じ、違う方向から風を送って落ち着かせてくれる。それが、チャイか。

 と、おじさんはまた入ってきて、今度はさっきとは逆の、斜め向かいの席に座る。む?と沈黙が居座るが、会話が無いからと気まずさはない。むしろ会話が続かないのがあたりまえ、という暗黙の了解的開き直りがこのおじさんとの間にはあるようで、平気だ。

「ガンザサ、行くか。」

――思わず吹いてしまった。…おっさん、自分が行きたいのではないか。

「明日だってば。」

と言うとホラまた、糸が緩んで眉が降りる。笑いを漏らしながらも、シュンとしたのを取りなすように「何時間か」と問うてみると、一瞬宙にキョロっと目玉を動かしてから「一時間かな」。…ホントだろうか。あんまり考えたことなかった、という感じだ。

行ってもいいかも、などと実は、チョロッと思い始めていたのである。「よみ」のなさそうな言葉と反応、そして妖精おばさんの存在もあって既に警戒心は低下しており、…というのは甘かったなぁ、実は雑貨屋もろとも皆グルグルの演技だったのだよワッハッハ、とかいう展開もなかろうと何となく判断。シンとしたなかで一緒にいても苦手だなぁ感じもなく、その挙動も可笑しみがある。

が、真に受けて…往復二時間。スムーズにいけば、の話だろう。…しかしなぁ…。実際、時間に関して、「ヒトの言うことをすっかりアテにしてたらダメ」とは、旅の中で度々学んでいることであり、そういえば宿のおばさんも、朝七時半、せめて八時には台所のカギを開けて欲しいと前の晩に要求したのに(湯を沸かしてお茶を飲みたい)、「もちろんよ、まかしとけ」と言うだけ言って、実際開いたのは十時近かったりした。

一番危惧するのは、ソコに行って戻って来て、その後ここからステパナに帰る、という時だ。ここで、暗い時間帯は避けたい。住民には申し訳ないが正直、勇気が無い。遠出するならばやはり朝がいい。

躊躇の顔を宙に置いたまま、どうしたものか泳いでいると、今度はこうきた。――「シューシをドライブしよう」。

指先を下に向け、円を描くように何度かぐるぐると動かす。シューシを、グルグルと…

「それなら十分か二十分だ。」

「……。」

シューシ、…って今しがた歩いてきた、あの廃墟か。さっきの光景と、目だけ少年のようなおじさんから出る、「ドライブ」という言葉が噛み合わない。車がスムーズに通れる道って、そういくらもあったろうか。座席を小刻みにジャンピングする尻を思い浮かべた。

が。地元の人と、あの中を。おじさんは、どういう顔をして普段行くのかと、気にならないこともない。

「それじゃあ…。うーん。」と頷くようなまだ迷っているような、曖昧な反応をしたけれども、「うーん」は「うん」という頷きに等しく、ほぼプラスに寄りかかっている空気をおじさんも察知したらしい。「ヨシ?」と受け取ったのを、私も頷き返すと、糸ぐーんと引っ張られ、色いっそう濃くした眉で立ち上がり、「おーい」とまた奥へ叫ぶ。と、お約束・妖精ママが現れる。…えぇと。これってアレだ。「アラジンと魔法のランプ」。いや、ここでは魔人が「呼ばれる」のではなく、「呼ぶ」方である図。

「シューシ巡りしてくるぞ」ということを、おそらく。意気込んだ様子に、妖精ママは最初だけ驚いたような顔だったが、「あら。そうなの」とクスッと微笑み、既に空になったコップを下げてゆく。いってらっしゃいな、という、母親的な顔でもある。

 でも、…「店」をほっぽらかして出て、いいのだろうか。妖精ママが、ひとりになってしまう。

そんなことはしかし特に頭にないような顔だ。確かに今は誰もいないけれど、でももし来たら――来ないのだろうか。…こなくて、生活は大丈夫か。それで暮らしてゆけるのか。…なんてこともやっぱり知ったこっちゃない、ショッピングにでもいくかのようなおじさんだ。

結局は観念したのは私、ということになる。…これって、古物市で最初は「買うわけないじゃん」の壺に、最後にはなぜか金を払ってしまっているのと同じ類なのかどうなのか。押しの弱い、いかにも典型的日本人としての結末なのではないかと思うと、なんとなく腑に落ちないものがあるけれども、まぁ、…なぁ。

…それにしても。

「シューシ」。暫く歩きながら諸々を感じ、自分なりに重く、あれこれと考えていたはずなんだが…。

「糸吊り眉の、愉快なおじさん」なんて印象で大方染まってしまいそうで、それはそれでかがなものかと思うものの。――ここにやってきてただ立ち尽くすしか術がなく、爪先さえも引っかけられない。単なる気まぐれ旅行者でしかない自分にも、ここで何らかの「とっかかり」が生まれたような、そんな気がした。

「あ、カフェ代…」

「いらん、いらん」

と、手を振っている。

                                                                               (訪問時2008年)

シューシのケバブ ~ナゴルノ・カラバフ - 主に、旅の炭水化物

 

 詳しくはこちら↓

docs.google.com

 

にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村

傘とラペイエ ~ヤンゴン・ミャンマー

f:id:yomogikun:20201011063628j:plain

 

いた…ッ!

ホッとした。もう会えないかと思った…と、口が緩んでくる。マッチョさんもまた、こちらに気づいたようで、即座に立ち上がった。目を見開いている。こちらのことを、覚えていてくれていると分かる。…が、ん?

なんだか苦笑いというか、「モゥ…」と少々眉をたらしている。

 空路でミャンマーヤンゴンに入国して数日滞在したのち、約一ヶ月間北の町を巡り、そしてまた戻ってきたのである。今日の午後には、バンコクへの飛行機に乗る。

ヤンゴンを離れる前に、是非とも会っておきたい。飲んでおきたい。入国してからのヤンゴン滞在中、毎朝通ったラペイエの店・つまり紅茶屋さんであるが、そこの紅茶――「ラペイエ」を。

本当は、昨日の朝からこの町に戻っていたんだけど、なんと「フルムーン」。ミャンマーでこの日は休日ということになっており、マッチョさんの店もそれにもれることなく無言でシャッターが閉じられていた。

最終日という、ギリギリになっちゃったけどしかし、――ともあれ、会えてよかった。

小さい、白い花が揺れている。サラサラと靡く髪に、スズランに似た生花がネックレスのように連なり、垂れ下るよう飾られている。可憐だ。生の花を「髪飾り」にしている女性をミャンマーではよく見かけるもんで、けっこうな早朝から凛と身につけている姿はすがすがしい。こちらにも爽やかな空気が流れてくるようだ。な気がしてくる。

一ヶ月の旅でだいぶビルマ語にも慣れ、ちょっとうまくなったよ、とばかりの勢いで、日常基本会話「お元気ですか」を言った。とたんマッチョさんもまた早速、口を開く。柱に引っ掛かっていたカレンダーを指さし、「17日」を指さしながら。17…。今日は21日である。

――ン?

一瞬、何のことだ?と思ったものの、みるみるバツの悪さが込み上げてきた。

北に行くといってヤンゴンを発つ時、「いつここに帰ってくるの?」と問われて答えたのが「17日」。今日は既に21日である。

「いや、あの…」

私の旅に、予定はあってないようなものである。大体のルートはなんとなく思い描いてはいても、滞在日数は「気分次第」なので、「いつここに」などとは正直分からない。

ただ、既に持っていたバンコク行きのチケットが21日だから、まあそれまでに帰ってくるとしたらだいたい…と答えたのが「17日」だった。

「約束」をしたつもりはなかった。単なる一介の旅行者の言うことなど覚えていないだろう――と思っていたのが正直なところでもあった。おそらく私のことだから、きっとその日にはならないような気はしながらも、この町に戻ってくること自体は確かなんだから、会えたらまた「会えましたね」でいいか…と。要するに適当だったのである。案の定、過ぎており、加えてその日付けを口走ったこと自体、この時にはスッカリ私は忘れていた。

 が、マッチョさんは覚えていた。

『17日、待ってたんだよ。』

そして、『心配したよ。何かあったのかと思ったよ。』と続いているであろうことが、その早口から不思議とスルスルと伝わる。

…なにが、「もう会えないかと思った」だ。

待っていてくれたのに。私ってサイテー、などと、上っ面で軽薄な自分を目の当たりにして、嫌悪の沼の底へとズブズブ沈んでゆくようだが、そんな大反省などマッチョさんは知ったこっちゃなく、さあさあ、雨に打たれて帰ってきた子供を家の中に迎え入れるように、私を風呂用(のような低い)イスに座らせた。そして、この手にある「傘」を見て、にんまりしている。

 

さて、まずは、の一杯を頂く。…とその前に、私がどこぞの街仕入れて嬉し気に身につけている、腰巻スカート(ロンジー)の結び方が「アマい」らしく、マッチョさんは「こうやって、こう…」と指導する方が先だ。まるでお母さんである。

ということで、改めて。

――小さな火鉢の上に、やかんが既に乗っかっている。

主たる商売道具は「やかん」。そして湯を沸し続けられるだけの火があれば十分なのだろうが、その高さが膝の位置でしかないから迫力に欠け、雑事用テーブルの下に隠れてしまってまるで目立たない。ここが紅茶屋であることに初めての人間は気付かず、きっと素通りしてしまう。その隣の小さなテーブルにいくつか重ねられた、練乳の缶詰やティーカップで、もしかしてここは…と想像がやっとやってくるぐらいだ。

小ぶりで幾分厚めの白いティーカップに、缶詰入りの練乳をタラタララ…と注ぐ。その量は、底面が見えなくなって、プラスもう一息分、くらいか。タイやラオス、そしてベトナムでは、コーヒーにこの練乳をいれるもんだが、グラスに深さ1~2センチ、または主役(コーヒー)と「同量」入れさえするから、それに比べれば控えめだな、などと思う。

 もう中は沸いているらしい、やかんの取っ手を握り、注ぎ口をティーカップへと傾けた。

ベージュ。既にミルクが入って濁った色の紅茶が、湯気を上げながら満ちてゆく。

それを、受け皿の上にカチャリと置いてスプーンを添え、ハイ、と控えめな、でも飛びきり優しい笑顔で、差し出してくれるマッチョさん。名前はなんか強そうだが、花髪飾りの雰囲気のままに優しい、気配り世話焼きの若いお母さんである。

「ありがとう」

そして表面には、やはり「生クリーム」のような、少々粘ついた「白い液」が浮いている。

 

やって来たのがちょっと早かったからか、ダンナさんが登場したのはもう暫くしてからだった。肩から上だけパッと見ると、感じスマートなのに、ロンジーを巻き付けた腹がぴょこっとつき出している。40いくか、いかないか。インド系の浅黒い肌をした顔で、「アラ、来たの」とばかりに一瞬だけ目を見開き、笑う。若い時は歯の光っていた爽やか好青年、という感じだったろう。

植民地時代、同じく英国の植民地であったインドから、労働者として多くの人々が移住してきたことにより、ミャンマーにはその系譜とわかる顔つきの人がよく見受けられる。が、マッチョさんは、ここで多数を占めるビルマ族的な――というか、私ら日本人とも通じる東南アジア・東アジアの顔であり、二人はだからひとめで分かる、異民族間カップルだ。

同じく多民族国家であるマレーシアなどは、それぞれ民族のアイデンティティーによって住み分けがハッキリしていているという、いわゆるひとつの皿の中に素材が溶けあうことなく独立して在る「サラダボール状態」であるが、ミャンマーではもうちょっと緩やかなのかもしれない――たとえば食について、インドのチャパティーのような薄焼きパンも、ミャンマーでは一般的な軽食として様々な人々に食べられている、というような光景を見て思ったりもするのだが、さぁどうだろう。民族意識がどうのという以前の、普通にただ「夫と妻」であり「お父さんとお母さん」であり、六歳、十歳ぐらいの男の子がいる。

いらっしゃい、と言っている顔に挨拶をする。と、そろそろカラになろうとしている私のカップを見て、マッチョさんが何か言う。――と、ダンナさんが頷く。

あ、あれかな、と、ずうずうしくも先が読めてしまう。

次は、「あの」ラペイエを出してくれるのだろう。

カレー用というほどに大きくはない、フタつきアルミ鍋からミニミニお玉一杯分の「白い液体」を、アルミ製カップの中に垂らす。

続けてその中へ、練乳缶を傾ける。既にいただいた一杯目に入れていた練乳は、蜂蜜のように粘りある「甘い」タイプだが、この場合それではなく「無糖」タイプ(一般に「エバミルク」と呼ばれるヤツ)。シャバシャバの液体だから、傾ければ素直にピーッと滴る。

そしてやかんの紅茶を注ぎ、――それからが「待ってました」の、ワクワクだ。

もう一方の手にいま液体を注いだカップがあり、他方の手にまた、「カラの」アルミカップを持つ。

そして、中身のある方だけを高い位置に持ち上げ、傾けながら、低い位置にある「カラ」の方へと中身を垂らす。

液体は宙で細い線を描き、吸い込まれるようにちゃんともう一方の中へと収まってゆく。いきなり離れたところから落とすのではなく、徐々に両者を離してゆくようにすれば、ナルホド、はずさない。ジャージャーと音を響かせながら、この動作を何度か繰り返す。

最終的には白いマグカップの中へと収まって、フィナーレ。表面がもこっと泡立って、カプチーノというべしか。この「ジャージャーするラペイエ」のこの儀式は、どうやら「お父さんね」の係らしい。

マッチョさんが受け取り、やはり受け皿を添えて「どうぞ。飲んでね。」

改めて、「いただきます。」

 

マッチョさんのところでは、いつもこの「二種類」を飲ませてくれる。そのあと「どっちがいい?」と、三杯目に突入するのだ。

頬をもたれ、甘えたくなるような優しい味。なんともなかったはずなのに、飲んだら「こういう優しさを欲していた」と気づき、遅ればせながら…と足が疲れを訴え始める。

カラのカップでずっと居座るのもなんだかなぁと「一応」は思い、なるべくゆっくり・チビチビと液を減らすが、カップの底が見えそうなのをマッチョさんは察知しており、自動的に次の杯へと進ませてくれる。長居を憚ることなく、…どころか、当然とばかりに居させてくれる。

いろんな人がやってくる。おそらく市場の常連客、そして仕事人が、夫婦に「ヨ、」と声をかけ、或いは話し込んでゆく。

休憩に乗じてひとところにじっと腰を据え、さまざまな人が往来する様子を眺め、雰囲気を感じとるのにも、ここはうってつけのところだった。ただ座っているだけで、飽きない。

話はする。ビルマ語会話のコピーを持ち出して、基本的な部分をやっとこさ、だ。

結局四、五杯は飲ませてもらいながら、その間、スムーズに進まない意思疎通をああだこうだとやるなどしていると相当な長居となる。やがて、どうにもこうにもトイレに本気で行きたくなった頃、マッチョさんの心遣いを遠慮して「また来ます」となっていた。

私としてはただ長居をしているだけだ。が、傍観者のようでいて、また自分も、ここの日常に埋まる「当事者」である気分になっていた。それが錯覚でも、ただ嬉しいのである。

ラペイエを飲んでこその、ヤンゴンの朝。――ラペイエとはココに座る為の、ほぼ口実となった感があるが。

 

 

――雨だった。

夜遅くに入国して翌朝、ヤンゴンはシトシトシトシト…、まるで日本の梅雨空。うっとうしいなぁモゥ…などと、何年前か中国で買った、折り畳み傘を片手に歩いていた。やがて一日中、どころか連日降りっぱなしで、全くもって梅雨そのもの状態を思い知らされる。

まず、朝っぱら一番のラペイエを飲みたい、と思った。

紅茶・それも「ミルクティー」はミャンマーで「ラペイエ」と呼ばれ、英国植民地の影響下で根付いた、現在では人々にとって日常化した飲みものであるという。朝っぱらはまず、温かいコーヒーや紅茶を飲まないとスッキリしない私としては、是非地元流で飲みたい。

やがて、市場に近い通りの一角に、ラペイエに入れられるはずの「練乳の缶詰」が積まれたテーブルを見つけた。あ、アレではないか。ソレではないか。

近付き、果たしてここでラペイエが飲めるのかどうかと、その場に立ちつくしていた私に、「すわんなさい」。低い椅子へと導いてくれたのは、白い花の髪飾りの女性。

少々緊張気味に口にした、彼女が淹れてくれるラペイエは、雨の冷たさの中にポッと花開いたような優しい味だった。やっと止まり木を見つけられた鳥のように、その染み渡る温かさに、気持ちがホッと落ち着いてゆく。

会話は通じないが、ともかくラペイエは「おいしい」と言い表している私に、女性は安心したようだった。

マッチョさん、というらしい。

で、そのマッチョさん、私が抱えるように持っているもの・既に折り畳んだ「傘」がどうにも気になるらしい。

ガムテープでつぎはぎだらけの「破壊寸前」だ。ボロくっても、雨さえ遮ってくれれば私としては満足であり、そもそも私の荷物の大半は、「いつ捨てても未練がないもの」が基本である。だがソレを目に眉間にしわをよせ、「貸してごらん」と手に取る。まじまじ、回しながら眺めている。

使えるからいいんです、と、少々照れまじりの苦笑いで返していると、ダンナさんと思われる相方、そして市場の仲間たちもまたソレをじっと見る。ヤンヤと注目されながら、たらい回しにされる私の傘。…稀に見るボロさ、ということなのだろうか。まぁ確かに、ガムテープが目立つかなぁ…。

ひとまわりして再びそれを手にしたマッチョさんは座りこんで、柄を伸ばし、エイっと開く。そして何とかと周囲の男性に言い渡した後、傘の骨のうちの一か所に、噛み付いたのである。

エ…。

どうやら、絡まっている糸を噛み切っているようだ。…修理する?

「いや、あの…」

これは今しがた壊れたのでもなく、この状態のままずっと持ち歩いていたものである。困ってもないし、なんの未練ももっていない。どうにも使えなくなったら捨てて帰ろう…どころか、捨てるために携行している、といっていい。安いのがいくらでも売っているし――そんな気でいた。

 焦った。

歯が、どうにかなってしまわないか。断ち切っているのは、傘の骨に巻きつけられている「糸」だろうが、可憐な花飾りをつけた女性が傘に食いついている姿というのはなんとも大ごとであり、狼狽えてしまうけれども、旦那さんはその光景に慌てる様子も全くなく、それどころか、(傘の)部分部分を指さしながら何かアドバイシスしている。何かの指示を受けていた男性が、輪ゴムと紐、瓶を持ってきた。

 …真剣である。

壊れてもいいと思っている傘ですから。……などと、もはやとてもじゃないが言えない。

布の破れた部分をテキパキと、…あまりにテキパキ過ぎて、というかこちらが事の成り行きにポカンとし過ぎて具体的にどのように、というのを全く記憶していないのだが、ゴムやら紐やらを使い、また骨も上手い具合に補強してくれ、そして、ヘタをすれば手の平の皮を挟んでしまいそうだった、滑りの悪かった柄の伸び縮み部分に瓶の中の液体・つまり「油」を塗ってくれた。かつ、その油で手がヌルヌルしないように配慮し、余分な油を改めてふき取ってくれた後、とても丁寧に折りたたんで――フィニッシュ。…私のような、クシャクシャ無理やりグルグル留め、ではなく。

 「壊れてしまってどうにも困っていました」という顔を心がけた。

美しくなって手元に返ってきた傘。一度たりともここまでの愛情を与えたことがあったろうか――ソレに心があるとするならば、きっとこの怠慢・非情なる持ち主に唾を吐いてやりたい気分だろう。モノに対する意識の違いを思い知らされ全くもって恥ずかしい。と同時に、単なる通りすがりであった自分に、手間を厭わずここまでの親切を施され、ただビリビリとマッチョさんに、その周囲に、痺れた。

 それから、その傘を片手に通う場所となった。毎日雨では手放せないんだけれども、ちゃんと使っているところを見てもらいたくもあった。

 

                              (訪問時2005年)

詳しくはこちら↓

docs.google.com

 

 

にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村

「朝食は如何?」~ディヤルバクル・トルコ

 

f:id:yomogikun:20200920170555j:plain

並ぶ並ぶ並ぶ…。

黄、白、赤、紺 、茶…。とりどりがそれぞれ、カレー用大の器の上に載り、きゅっとかき集めたよう所狭しと。

宴会だろうか?…目が、パチパチする。

 壮大な食卓――いや、「卓」ではない。横に敷いた絨毯の上に、テーブルクロス…いやテーブルじゃないってば、とにかくビニール地の食事用クロスを敷いた上に、諸々を並べてある。「床食」と呼ぶのかは知らないが、そういう習慣である地域はけっこうあるもんで、町の食堂などはテーブル&椅子がセッティングされていても、旅のさなかでふとした出会いからおうちに紛れ込んだときに時々出くわす。

目がチカチカするのは、そのクロスの模様のせい。黄色で幾何学的に視覚や鎖模様が連なり、ところどころにリアルな花柄がボンと入っていたりの賑やかさが、ざっとみて十はある皿数を、もっと多く見せている気がする。

いやそれだけではない、か。よくみりゃクロスは二重だ。上のビニール地よりはやや大きい布が、二十センチほど縁からはみ出ているのだが、白地に紺と赤のチェックという、これまた唐突な模様であり、そもそもいっちばん下の、床前面に敷いてある絨毯も、青とピンクと緑の、太い縞模様。そして四面の壁は、明るい青一色。――いったいどの色が、模様が主役なのかわからず、累々の皿も、星として宇宙の中へと埋没してしまいそうだ。ぼうっと何も考えずに部屋を横切っては、どれか一つ――そう、特に、皿の隙間隙間にボ-リングのピンの如く立っている、ルビー色の液体湛えたチャイ・グラス(チャイ=紅茶用の、ひょうたんのようにくびれたグラス)なんて蹴っ飛ばしてしまうだろう。

「さぁ、中へ。さあ、さぁ」

足がすくむようだが、促されるまま、そろそろと宇宙のさなかへ。ふかふかの絨毯――では実際無いんだけれども、老齢の女性にそっと肩を押されると、冷えた体にカーデガンを掛けてもらうかのようなフワリとした気持ちになる。白い布を頭に巻き付け、額からレースの縁を垂らしているその表情は、優しい。靴下から伝わる感触もまた柔らかい気がしてきくる。

一歩一歩踏み入って、膝をかくんと落としたのは、長方形の部屋に沿って長細く皿が並んだ場の、短辺真ん中という位置。……主役的ではないか、いきなり。

キツネにほっぺひっつかまれながら、部屋の隅にチョコンと並んでいるチャイ専用やかん二つをと見つめてみる。この地で、これを持たない家は無いのだろう――なんて考えることで、頭真白にパニック状態に近い自分を誤魔化そうとしている。

 

とにかく私という「客」が来たからではなく、もとから準備されていた豪勢な皿状況であるらしい。食事の最中、…いや、始まってすぐ、というところか。どの皿もしっかりと盛ってあるし、グラスにあるチャイもほぼ縁まで満たされている。ど真ん中に置いてある、ミニパエリア用のような浅いフライパン鍋にペタっと収まっている、グラタンかなにか――黄金色の表面にまだらな焦げ色のついたものが、隅っこ・ひと口分だけ欠けているのが分かるぐらいだ。

あまりに唐突で戸惑っている、…んだけれどもご馳走を前にすれば調子いいモンで、好奇心の玉が口の中からひょっと飛び出し、皿の上をなぞりゆくのを止められない。

油光りしているナスと緑色ピーマンの皿は分かりやすいが、その隣の皿・黄色く染まった、もじゃもじゃとしたものは何だろう。カリフラワー?を炒めて煮てある…?

これもきっと炒め煮してある、「赤」艶やかなオカズは赤ピーマンか。それとも辛いほうか。ゴマのような種が、ちらちらと見える…。

キューリ、そしてキャベツのようにクチュッと寄せ集まった葉っぱが、黄緑色にくすんでいるのはおそらくピクルス。その盛り合わせ。

葡萄の粒のような、真っ黒い艶玉のオリーブ。

真っ白いものをのせた真っ白い皿が、二枚ある。一枚の上にあるのは、チーズか。もうひとつには、表面に波跡を作り、やや液体の状態のもの。…きっとヨーグルトだろう。

『ちょうど、家族で朝食だったんだ。よかったら――』

流れるような英語で、お兄さんは確かにそう言った。

「朝食」…。――もう、11時も過ぎているけど。

早起きの私にとっちゃあそれは昼食といったほうがしっくりくるが、まぁ確かに、朝の定番・「オリーブ」に、「チーズ」。…今日は休日だろうか。

それよりも、なんという皿数か。これが、あるべき「朝食」なのか。

この場で呼吸をすること暫く――やがて眼も慣れ、ナスとカリフラワーはそれぞれ二皿ずつに分散されており、その分皿数が多く見えることに気づきもするのだが、とはいえそれでも次元が違う。……私の朝とは、全くもって。

 

トルコ・ディヤルバクルは、空の主要玄関口・イスタンブールからは南東に陸路で約1500キロのところにある。ここに私は、トルコ中部、そして黒海沿いの町を数日間まわったのちに辿り着いた。

バスが到着したのは早朝。いつも朝は宿で、自分で買い込んだパンとチーズ、プラスアルファを齧るところだが、道に一晩揺られ疲れていたこともあった。ラクをしよう。景気づけにロカンタ(=食堂)の扉を引き、朝食セットと奮発したのである。

まずは、チョルバ(スープ)。そのでんぷん質を舌に感じる豆スープは、店に入ったことの甲斐を教えてくれるが、真っ白い皿に、ひと目で数えられるキューリの輪切りとトマトの串切り。それがポツンポツンと皿の縁に並び、その内側には豆腐のような真っ白いチーズの角切りと、「間違って垂らした」ような琥珀色の蜂蜜が溜まっている。平皿に蜂蜜を垂らす発想はうちではせんなぁと新鮮に思いながらも、――それにしても、である。

キューリもトマトも、野菜屋で安く買えるし、チーズも専用の店からあれこれ選ぶことができる。これで…キュウリ一本あるかないか量で四ドル近くすんの? 

「長距離移動の慰労だし」「スープがあるし」と言い聞かせるも、正直うじうじガッカリであり、せめてモトを取るべくパンで腹を満たそう。(パンはロカンタにおいて通常どこでも食べ放題)。「ガッカリ」に即蹴飛ばされていたものの、実はひとめ「あ、」と心にタッチしてきたのは、そのパンだ。

かたちが変わった。

これまでの地域では、フランスパンのような棒型や丸いかたちの、フックラ厚みあるパンが当たり前だった。だが目の前にあるのは、平べったい皿状のパン――格子模様が途中で切れており、おそらく大型のを、いくつかに切って重ねてある。ほぉ…。こういうパンを食べるところか。

「世界が変わった」ことの予感にワクワクした。

見た目は平べったいとはいえ相応に膨らんでおり、噛み応えもあって結構腹に来る。「豪勢に食うには自力で用意するのが一番だなぁ」と噛みしめる思いで、どんどん食った。

 

……んだけれども、その「豪勢」のスケールというか、次元が全く違う。

所詮は私一人。豪勢といっても、朝食にはキューリトマト、チーズにオリーブ、パンという、シンプルなものを「量的」に食うということでしかない。「この町特産の、極上のチーズですよ」と言われ手に入れたならそりゃ嬉しいが、こういうひと手間加えたオカズや、床下から出してきたような漬物なんて、揃えようもない。お金があっても到達できない世界だ。…「家庭」というものに入り込まない限り。

――って今がその時である。

オトナ七人に、うち抱えられた幼い子供ひとり。少年ひとり。私を除いた九人が、この場をぐるっと取り囲んでいた。

「さあ、遠慮なく」

これがあなたのぶんよ、とばかりにチャイの入ったグラスを、折ったひざの前にそっと置いてくれたのは、ネックセーターの淡い色そのままに優しい笑みの、若い女性。ロングのスカートが似合う落ち着いた雰囲気に、はるか年上のお姉さんに映るが、映るだけで結構若いのかもしれない。膝をついたその上に、毛糸の帽子を被ったおじさんから二、三歳のチビちゃんを譲り受けてあやし、その幼い顔同様、こちらまでフンワリ感にほだされポケッとしてしまうようだ。

チビちゃんはさぁ判別しかねるとして、彼らのうち女性はこの人と、白い布の、ここの「お母さん」と思われるヒトの二人。お母さんの方は少々皆より後ろに下がり、壁によりかかるようペッタリと座っている。

「さあ、遠慮は全く必要ないから」

二人の男性がかわるがわる、盛んに勧めてくれる。彫りの深い顔で英語をスラスラ言うもんだから、欧米人だと言われても違和感が無いほどだ。一人は皺具合からすると四十代、もう一人はもう少し若く、三十代いくかというところ。この二人以外は、手を皿に差し出して「さぁさぁ」と促す、或いはうん、うん、と頷くことでその意思を伝えるものの、言いはしない。おそらく英語が堪能なのがこの二人、なのだろう。

 『食べて食べて』――特に分り易いのは、池に集まる鯉のように口をパクパク、必死に合図を送る少年。その顔を前にすれば、膨らんだ警戒心も口を緩めた風船のようにスーッと中身が抜けてしまうようだ。前髪を太い眉の上でピッと揃えたおぼっちゃまヘア、そしてクリクリの目を更に大きくさせているのが、またカワイイ。中一、という感じだろうか。

……そう、ばかばかしい。

今ここでじゃなくて、「肝心な時」に糸を張れよ。…と振り返るとまた情けなさがやってきて、応答しようと作る笑みが引きつっているのが、自分でもわかる。

『君、英語は話せるのかい?』

私の前に現れたこの人たち・オトナ達の中に、この少年――ぴょこぴょこ撥ねる小柄な存在には、「いち早く」反応していた。

――「あの子たち」とは違う…?関係ない…?

だがこの少年が見せたのは、初めて見る対象に対する「驚き」と「好奇心」、その塊を前面に出している分り易さしかなかった。珍しがり、可笑しければ躊躇なく頬を緩めて笑い、近づいてみたくなる――おぼっちゃま君とは、私の持っていた「子供」という概念の範疇にある姿に見えた。…ホッと、した。

『あの子たちにはもう、関わっちゃいけない。危険だから、決して。』

 

 

 オカズの載った皿の縁にはところどころ、気まぐれのようにフォークが立てかけられている。

あれは個人所有かそれとも共用なのか。…と思っていたら心を読まれたように、これを、と、英語兄さんからフォークが回ってきた。…ということは、やっぱり個人所有なのか?

 そして、取り皿は無い。「食べて」と言われても、どのように?と戸惑う。

とりあえず確実に「私に」と出された、チャイを頂こう。…と、そのグラスの縁に触れた瞬間、猫の尻尾に触れたかのように、即座に不安が目を覚ました。――グル?…かも?

 「あの少年」たちを非難するフリして実は共謀。うまく家の中に連れ込んで、睡眠薬が入ったチャイを飲ませてとどめを刺す――トルコの睡眠薬強盗の話は頭に叩き込んであった。…が、どうする?

 でも…。最初に私を見つけ出した、壁に寄りかかりこちらを見ている白いベールのお母さん。

『あんたたち! 何をしてるの!?何をしてるの!! 誰かきて!!』

あのとき、そう叫んでいるように耳に響いた。懸命な声だった。この人の、あの声に演技は無かった……と、思う。

だが…。確信をする「自分」というものが、今はどうにも曖昧で心もとない。私は、何もかんもが「甘い」のかもしれない。情けなさも這い上がり、涙が浮かんできそうだが、チャイに手を触れたこちらをみてか、「チャイ」と目をやはり大きくして言いながら、即座に角砂糖の入ったミニ洗面器を渡してくれたおじさんは、顔の輪郭が逆三角形で何となく「ねずみ男」に似ている。そしておぼっちゃま君経由で、砂糖を混ぜる為のスプーンもバトンリレーされてきた。

「ど、どうも…」

ニコニコしている。思わず、つられて笑ってしまう。…と、尻あたりからプスーッと空気が抜けてゆくのもまた、感じる。

既に、ロンカンタで飲んでまた宿でも飲んで、今日何杯目かのチャイであり、その都度砂糖を入れていたから…と躊躇するものの、この状況で「入れない」のは、ありえない流れだ。

一口飲んだ。

と、…あぁ。頬に伝ってくるようだ。血か。命か。

そして、彼らもまた食べることのスタートが切れたようで、めいめい、手を伸ばし始める。クロスの上・チカチカ模様に紛れて置かれているのは、よく見れば、パン。――あの、ロカンタで見た平べったい、表面に大きく格子模様が入ったパンが、メモ帳大に切られ…いや千切られて、並ぶ皿の間に点在している。英語兄さんたち、そして姉さん横・チビちゃんの父親と思われる毛糸帽おじさんは、自分の近くにあるひとつを手に取り、さらにそれを小さくむしった。

まず先駆けは、チビちゃんパパだったか。皿に引っ掛かったフォークを取り、ナスらしき黒光りをトロンとすくい上げるとパンに載せ、それを折って、ナスを挟み込むように口に入れた。

英語兄さん・年上の方は、真ん中の浅いフライパン鍋に手を伸ばしている。違う皿にひっかかっていたフォークを手に、中一面に埋まる黄色いものをひとかけら、プリンのように跡を残してすくい取り、やはりパンの上に載せる。

ふーん…。

パンにオカズを載せるから、フォークをベットリ口に食むことはなく、どうやらそれは「共用」らしい。…と思っていたら英語兄さん・若い方は、同じく黄色いものを、パンには載せずそのまま口に運んだりしており、…ううむ、よく分からない。ともあれ私には専用に、と出してくれたのだろう。

ともあれ、「食べない」というのはイカンだろう気がする。

チャイを飲んで誤魔化していた私に、ね、と、子供を抱いたまま目配せするお姉さん。おぼっちゃま君もまた「ね、ね、」と、パクパク付きで訴える。

最初からあったっけか、パンは丁度良くこの膝の前にも置かれていて、じゃあこれを。さらにそれを小さく千切ってみてから、一番近くにある皿の、黄色っぽいもじゃもじゃしたものを遠慮気味にすくってみた。と、ボロっとする。

その感触で理解した。――イモだ。カリフラワーではなく、ジャガイモ。だがイモにしてはえらく茶褐色だ。

このままフォークから口に持っていくのは直箸だから…あ、でもさっき食べてたよね?…とよぎるも、やはり左手にあるパンの上にちょこんと載せてみる。…上手く載らない。ボロっとこぼれそうになるのを、顔を近づけて食べにゆく、というヘンな体勢になる。

オイシイ。油が絡んだイモが、甘い。その色が言うように、なんらかの香辛料の効いた風もあって、しっかり味付けされている。あんまりちょびっと過ぎたようで、…もう少し食べたい。

「ん?」

おぼっちゃま君が自分そっちのけで、こちらをジッと見ている。大丈夫?とでも言わんばかりの顔だ。「美味しいです」のつもりで大きく咀嚼し、少々オーバーに笑顔を見せた。大人たちはあからさまではないものの、やはり気にしながら食べているらしく、うんうん、もっと食べなさい、と親戚的に頷きながらモグモグする。姉さんは膝の上のチビちゃんに、スプーンをその眠そう・ダルそうな口に近づけながら、こちらを見て笑っていた。見ていないようで、ちゃんと「見ている」――と、自意識過剰になる。

もう少し大盛りにすくってみると、ぼろぼろ粒には何か小さな繊維が引っ付いているが見えた。同様にして口に入れると、あぁそうか――玉ねぎの甘味だ。それが効いている。イモを潰してからか、潰しながら、か、ともかく玉ねぎとの炒め煮だ。舌に感じる艶と滑らかさに、結構な油の量を想像できるが。

へぇ…。

最初の一線を通過してしまえば、好奇心がひょこひょこッ「待ってました」と言わんばかり・つくしのように生えてくる。

じゃあ、隣の皿にもいってみたい。食事としての空気が定着したところで、「君は日本のどこからきたの?トーキョー?」と、話は英語兄弟がリードする形で始まり、旅行者への基本的質問攻めが続く予感の中、焦げ色ついた輪切りのナスに目が行く。いかにも油を吸い込んだ艶めきだ。一緒に絡まっている深緑色のピーマン、というよりは長細いからシシトウと言うのだろうが、それをナスと炒め煮するのはウチでも夏の定番であり(ニンニクみそ炒めがめっぽう好きだ)、このコンビネーションを求める心は国境越えて共通かと嬉しくなる。

やはりシシトウよりはナスの方をさらい、パンに載せて。――むぅ。どろん、と溶ける。まさに求めるそのグデンべろんとした柔らかさと、香ばしいのか甘いのかが合わさった味。おそらく塩だけだろうが、相方・シシトウの風味が僅かに引っ付いて、これが見事にパンに合う。ほぉ…。

もっと欲しい。…が、色彩的に「赤」いのも気になるから、その皿もひとすくい…。と、大ぶりが取れてしまい、ずうずうしいか。しかし一回とったものを返すのはイカン気がするから、仕方ない、もうこれを頂こう。…予想しなくもなかったが、辛い…。

「どう?どう?」という目をしながら、何らかをパクパク訴えるおぼっちゃん君は、もしかして「それ辛いよ、気を付けて」と    言っていたのかもしれない。大人に話しかける時はちゃんと言葉を声に載せるのに、こちらに対しては鯉になる。…自分の家なのであり、どうか喋りたいように喋ってもらってもいいんだけどなぁ、と笑えてくるも、なんせ辛い。赤いピーマンではなく、唐辛子そのものか。加えて酸味もあり、素材のウブな味というよりは、漬物っぽくならされた感があり、これは確かにちょこっとでいいかもしれない。一皿のみなのも頷ける。

じゃあ、――「アレ」も、いってみようか。

この食卓…って「卓」じゃないけどもうそう言うが、一番気になっているのはそのど真ん中のフライパン・黄色いオカズである。鍋底一面、ホットケーキのようにフックラと焼かれた感じだが、表面はボコボコとまだらな焼き色はどうもグラタンっぽい。チーズをかけて焼いてある、とかだろうか。

真ん中に燦然と、しかも台の上に載せてあり、この食卓「とっておき」なんじゃないか。毛糸帽のパパ、英語兄さんの、既にそれをつつく姿はあったけれども、そう頻繁ではない。…取りにくいなぁ。真ん中だから遠く、膝を立てて身を乗り出さないと届かないから、「丁度近くにあるからつついてみた」という何気なさが出せない。「それが食べてみたいから、取りに行く!」と表明するような積極的な姿勢は、果たしてここで出すような存在だろうか私ってば。

…なんて思ってみたものの、英語兄さん(兄)が二度目、よッとそれに手を伸ばしたそのタイミングに乗じ、二秒くらい遅れて私も続いてみる。

ティグリス川を見ようと、地図を見ながらここまで歩いてきたんです」

答えながら、自然な動きでフォークを動かす。と、フォークの入ったところ、なんの抵抗もなく素直にホコッとすくいとれた。齧った跡のような弧を残して、…ヨシ。

よく見ると、…卵。卵焼きだわ。

そういえば「朝食」である。オムレツは確かにそれに似つかわしいモンであり、グラタンってのはそりゃちょっと重いだろう…。

しっかり焼いてある。結構厚いから、結構な個数割ってあるのだろうが、ちと焼き過ぎだなぁ感がなくもない。味付け無し?…ってことはないか。塩ほんのり、だろうか。

なーんだ。…などとは罰当たりこの上ないが拍子抜けしたのが正直なところ、とはいえ、唯一のホッカホカおかずだ。「さぁ食べよう」の直前に作られたに違いなく、よく見りゃ土台は持ち運び用チェス台の、折り畳んだ状態のようで、鍋ごと出すそれは焼き立ての為に底が熱く、ビニールクロスの上にじかに置くのが憚られたせいなのだろう。

「この近辺はね。一人で歩くのは絶対に危険。昼間でさえね。」

はぁ。「我が家」のまさに周辺が、そんなにコワイのか…。

壁一つ隔てた屋内で、平和的にご飯を食べながらそれを聞くというのが、それこそ平和ボケ国民といわれる所以か・どうもピンと来ないのだが、「そうなんですか…」と相槌を打ちながら、チェス台のふもと、良いかんじに萎びた色のピクルスらしきもののうちミニキュウリを一つ、これもいかにも自然にと心してゴロッとすくう。これ丸ごと食うってこと?…って、切ってないからそういうことだろうけれども、いくらミニキュウリとはいえ。

摘まんで食べたほうが楽だな、と、…おぉ!スッパイ!

これはまさに箸休め的に、チビチビと齧るもんだろう。…とはいえ摘まんだコレをどこに置くべきか、そのまま、あんまり動かさない指の間にずっと挟んでおくのもヘンな気がして、一度に食べきっちゃうことにする。おぉぉ…きゅーっとくる。両頬が吸い込まれそうだ。

思わず手にしたチャイの甘さが、ひときわ染みる。…おぉ、こういうことか。ってどういうことか知らんけれども、なんとなしにこの世の仕組みに納得する思いだ。

中身を半分以上減らしたグラスを、姉さんが手に取り、お母さんが受け取った。足してくれるようだ。

しっかり煮出したお茶用と、それを割るための湯。二つのやかんをいい按配に垂らし、もう一杯、もう一杯、と、グラスに数回満たしてゆく。

そして、これ、とおぼっちゃんがパクパク、砂糖を回してくれる。

                            (訪問時2004年)

詳細はこちら↓

 

docs.google.com

 

 

にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村

幻のナムパクノー ~サワンナケート・ラオス

ンン

 

f:id:yomogikun:20200809124754j:plain

 

 葉っぱ――「パクノー」ひと掴みを、ミキサーの中へ。…と、足りないのか、もう少し。

ミキサーというのは、デパ地下や地下街なんかで、フレッシュジュース用に苺とかバナナとか入れてガガガと回す、ジューススタンドに数台あるアレである。…ってここはまさに「ジューススタンド」であり、どこの、というと、ラオス

ラオス南部に位置するサバナケット(サワンナケート)である。首都ビエンチャンに次ぐ、ラオス第二の都市とも称されるが、メコンに沿う、落ち着いた静かな町だ。

 青汁ジュース「ナム・パクノー」を、頼んでいる。

ラオスで「ナム」とは水だから、「パクノー」がその商品たる材料名だろう。パッと見た感じ、ミントに似た爽やかな色だが、茎がちょっとクセっ毛で長く、葉の形はフキに似ている。後で調べるところによると、せり科に属し、和名は「ツボクサ」というらしい。…名前からすると何となく、土手とかその辺に生えていそうな名前だなぁ、という印象だが、その通り道端その辺にあるモンらしく、血行にお肌に良い・コラーゲンを促す等々、女性が求めるイイ効能があるというから、ジュースというのは、摂取する形態としては二重丸かもしれない。果たしてここ・ラオスでも、ソレ(肌云々)を求めて飲まれているのか。まぁ、ハーブも様々ある中で、敢えてソレを選んでいるということは、なんらかの効能が経験から伝えられているんだろうが。

ともあれ出来上がりの清々しい色から、グリーンジュースと呼ぼうとしたが。――飲んだら「青汁ジュース」の方が相応しい。ってわたしはそもそも巷の青汁を飲んだことが無いのだが、かつての超有名なCMほどに「不味い!」と叫ぼうほどではないものの、眉間にシワが寄らずにはいられず、自然と連想されたのである。

まぁそのことはあとにまわし、とにかくそのミント色の「パクノー」。嵩としては、ミキサーの三分の一程度だろうが、とはいえ、茎がクルンと巻いた葉っぱなもんだからスカスカであり、実際それほどの摂取量はないだろう。それを掴みとる時に、指に一本二本そのツルが引っ掛かるかどうかでも、ミキサーに入る量・即ち出来上がりの濃さも違ってくるんじゃないかとも思うんだけれど、

「そうねぇ、やっぱり『ナムパクノー』ね。」

自分の作るジュースの中でどれが好き?と訊いたらメーの答えもソレだから、きっと悪いようにはしないはずだ。

 ちなみに「メー」は名前ではなく、娘たちが「メー、メー」呼ぶから私もそう呼んでしまうのであり、つまりはラオスで「お母さん」の意味なのだが、日本人の私にはそれが名前のようにも聞こえるから心の中ではメーメー呼んでいる。実際呼んじゃったらば、んなでかい子供はいないワヨ、とムッとするだろう。……いや、困った顔はあっても、「ムッ」はないかもな。

「優しく穏やか」という文句をそのまんま具現化したような人だ。目が細く垂れているから、たとえボーっとしているだけでもそう見えるのもあるが、微笑み顔などされてしまうとこちらの方がホゥっと抜けてくる。私としては、お母さん、は失礼だしお姉さん…ともちょっと違う。そうだなぁ、思い出すのは中学のとき同級生にいた、いつ話しかけても笑顔のかぶちゃん。ノート見せてと言っても嫌な顔一つなく、人のうわさ話も自分からしないし悪口も決して言わない。いつその傍に行っても、安心できる存在。

四十代半ば。卵型の輪郭の中のその口は小さく、小柄だからもっと若く見えるが、落ち着きと、子供をたしなめるその口調からすれば、そんなもんかな、と思う。肩までの髪を一つに括り、通りに面したいつもの場所でジュース屋を開いている。

 話を戻して、ミキサーに入った「パクノー」。その上から、小鍋にあるシロップをお玉ですくい、氷に通しながら注ぐ。…というのは、取っ手付きのザルに氷を入れて、それをミキサーの上に引っかけた上から、シロップを垂らすのである。おぉ、冷やすためか。…って、氷を伝う、たったわずかな間で果たして効果あるだろうか?と思うも、数ミリの誤差の設計ミスにより、部品が合わんじゃねーか、と工事業者に平謝りの事態だって起こるんだから、何事も侮ってはいけない。

きび砂糖だろうか、ほんのり黄色がかったシロップの水位は、ミキサーの中のパクノーと同じ。…ってほぼ、シロップを飲むようなもんだと、一瞬のけぞる。

ちなみにくだくだと書いているが、手早い。かつ、角をきちっと折った鶴のように、テキパキ丁寧だ。会議室用にあるような長テーブル上でこなしている、自分の作業を見下ろす目は、黒板の字をノートに書き留める少女の横顔――真面目なモクモク顔である。

 氷は中へ入れるのかと思えば入れず、ミキサーをカチッとON。ヴィーンとお馴染の音で、中身は青のりへ、それからよりもっと細かい粒子へ、そしてベットリしたグリーングリーンへとぐるぐる目を回し、メーのお許しによってそれは解放される。

出来た。

コップはガラス製のジョッキグラスで、生中、という感じか。その中へ、さっきザルに入れシロップを通した氷を全部、ほぼいっぱいに入れると、ミキサーの蓋をパコンと開いてその上から注ぐ。ナミナミ、てっぺんまでだ。あ、あと一センチが入りきらない…と思うも、その残った分を取っておいて、あとで忘れた頃に「これね」とにっこり足してくれるからそう悲しまずともいい。ストローを一本指し、仕上がりのシルエットとなる。

メーはそれを持って、さあ、と後ろへ目くばせした。イスがあるのだ。約一メートル四方の、タイル張りのテーブルも。

ジュース屋の後方は建物だが、そこから伸びる大きなトタン屋根が、店ぎりぎりまで伸びている。テーブルはもちろんすっぽり入って日に焼けることは無く、炎天下真っ昼間、そのぜーたくスポットにお客はいま私一人、そこに。

「召し上がれ」

コップを置くとメーは再び振り返り、カラにしたミキサーを、長テーブル足元にあるタライの水でジョジョっとゆすぐのを繰り返し、振出しに戻す。

 ――グリーン。

シロップへの戸惑いはまぁ、この清らかな色で丸め包んでおくことにして、アー、あつかったのだ。とにかく早く、この火照りをどうにかしよう…。

 

何度も飲んでいる、お馴染みの味だ。が、キューッと一気にではなく、最初のひとくちふたくちはいつも、ゆっくり吸い上げて舌の上に少々留める。……ウン。これ。受け取った荷物の差出人を確認するように、フンフン、と読んでゆく感じ。

正直、第一声に「アーうまい!」とはこない。

ジュースとして甘いことは甘い、と言い聞かせるも、葉っぱ・パクノーのクセが、その茎のうねりのようにまず絡んできて、葉っぱであることの生命力を主張する。ひと言でいえば、青臭い。過ぎれば苦さ辛さに転じる危うさを孕んでいる――が、その一線を越えることはない。やはりシロップが効いているのだ。「甘さ」は、葉っぱが自己一辺倒に陥る歯止めでもあるのだと、ここで「あの量」に納得がゆく。

序章を踏んで自身を慣らして、それからだ。水を得た魚のように、生き返ったぁ感がやってくるのは。

ほぅ、とありつけた潤いに肩が下がり、ジュースとはいえどちゃんとした葉物を摂取した満足も頭で少々得ながら、最後にはスッキリしている。タメになるもん飲んだなぁと、まさにあの「青汁」を克服し、ものにしたかのような充実感がある。まぁ、要するに「慣れ」だ。

もちろん、しょっぱなの時は生意気な反応しかなかった。

一瞬で「ヴ」とか「ゲ」とか、これを敢えて選択した自分に対する非難と後悔しかなく、注がれたグラス一杯の苔色をカラにすることが出来るのか、それは果たして「私」がするのか、と気が遠くなった。

不味い――はしかし、旨い。キライキライも好きのうち・「甘い」のを頼りになんとか飲んでいるうち、気付いてくる「快」がある。かりに「もう一杯」でも、特に悪くないかも…とさえ。

対して何の抵抗などあるはずもない、ただ無心にスッと飲み干せるものといえば、フルーツジュース――それもシュワシュワの炭酸系なんて、その気泡にザパっとダイビングしたいぐらいだ。だが、快感に釣られてとっとと飲みきってしまうのが悲しい。シュワシュワといかにも思わせぶりだったのに早々に冷たく突き放され、ポツンと取り残された気持ちになる。

「分り易いジュース」が、こちらを癒すには持続力に欠ける一方、青汁ジュースは「読ませる」感じ。そして、部長じゃないけれども、「ふむ」と納得して頷く、という感じ。

過程、というものがある。そう、冷たいけれどもその勢いに流されず、段を踏んで冷静に味を取り込もうとしている自分の落ち着きを、急激に減少しない水位を前に気づくのだ。

アァ、熱が引く。何様かしらんが納得し頷きながら、旨いもんなのだ、と、噛み砕くように時間をかけて味わう。

 

ココでしか飲まないジュース、というのがあっていいのかもしれないと思う。

 ――旅をしていると、相性のいい街、というのがある。

腰を下ろせばそこから、蜘蛛の巣から伸びる糸のように展開が生まれるところ――不思議とこちらに都合いいことが、タイミングよく起こる出会いの町。

この癖、奥深さは、それをそのまま内包したようでもある。これを飲んでこそココの滞在という、もはやなくてはならないものになっていた。

                         (最終訪問時2016年)

詳細はこちら↓

docs.google.com

 にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村

「ヤグレ」一日の始まり ~マラテヤ・トルコ

f:id:yomogikun:20200706074443j:plain


一瞬、時が止まったような沈黙があり、そしてその口から出されたのは意外な言葉――私の名前だ。

入口からおそるおそる足を踏み入れた、そのたった一歩で、立ち尽くしてしまった。

と同時に釘付けになったのは、この空間に踏み入る前からムンムンと漂っていた香り、そのまんまの「ソレ」――部屋を占拠している台の上に放られた、真ん丸い、円盤形のパン。

目にすれば途端に、甘いような香ばしい、その匂いが増すような気がした。黄金色に照り輝くその艶は、香りをも染め上げ、まだ食べてもいないのに既に美味しい。

あぁ、一気に過去へと遡ってしまう――そう、コレだコレ。格子模様で、ゴマもそう、降りかかっていた。

 

アナトリア」と呼ばれるトルコ内陸部の、ど真ん中。…よりはやや南東部寄りにある町・「マラテヤ」には、イスタンブールからならば約1200キロ・夜行バスで約13時間揺られて辿り着くことができる。クルド人が多く居住するトルコ南東部はまた「クルディスタン」とも呼ばれるが、イスタンブール方面からこのエリアに向かう時、この町はその「入口」といっていい地点だ。

ガラス張りの店内を覗くと、二人立っているうちの一人――「あの人だ」。以前、パン作りをとことん見学させてもらった中にいた。

それはひと目でわかった。忘れるもんか。――だが情けないことに、この口から「彼」の名前が出てこない。この店内、窯のたたずまい……記憶にある懐かしさに震えるようだが、「名前」が一向に。

以前と同じ会話本を持っているから、それを出し、メモしたはずの最期のページをめくればいいのだが、相手はこちらを即座に叫ぶ前で「ええと…」とノロノロとやるのもちょっと…。ココに来ると決めていたのなら、名前くらい復習してから来い、なんていまさら愚痴ったって遅いのだ。ゴメン…。

それにしても約二年の年月を経ている。突然彼らの日常に踏み込んだ、こちらは「外国人」だったから、「ダレ?」はまぁなかろうと願い、せめて「そういえばアンタ、前にここに来たような気がするけど?」程度の、ボやけた反応を想定していたのだ。それがどうだ、顔を合わせたその一瞬で、直球に「名前」。――ありがたいことこの上なく、自分のふがいなさはとりあえずさておいて、そりゃあ有頂天に感動である。

 再会の言葉を並べたい。最大級に感慨と懐古の情が喉まで出掛かっている――がやっぱり、言葉が出てこない。目の前に獲物がちょこんと座ってこっちを見ているのに、「槍」が見当たらないという気分だ。

ニヘニヘとした笑顔で「うわぁ」とか「おぉ」とかいう、口から思わず突いて出る感嘆の句はほぼ世界共通に理解してもらえるが、お互いに過ごした時間について語り、話を膨らませるための「語学力」を私ってば持ち合わせていないことを、つくづく思い知らされるのである。もどかしさで、ただ彼らを見つめ、もうこれは会話帳が無くても言える「元気でしたが」「私を覚えていますか」「バスでここに到着しました」などといった、ありきたりな語句をとりあえず、ゆっくり、並べるしかない。ただ自然に溢れ出てくるのは、笑顔である。

…なんてしているうちに、思い出したではないか。「Mさん」だ。

 少々、オッサンになったか。

って、彼より一つ年上である私も同じことなのだが。

肩が張り、えらく貫禄がついた。以前は、華奢とまではいかずとも、もうひとまわり分マイナスした体格だった気がする。図書館で本を読んでいる青年(…と呼ぶには瀬戸際の歳だろうが)のような雰囲気で、黙々とパン生地の成形をこなしていた。もちろん、ブラモを触るように「指先だけ」というわけはいかない、それは腕全体、いや体全体を使う結構な労働であるのだが、生地を見つめる目線は静かで、それとの対峙している彼の両肩には、母親が台所に立つような柔らかい雰囲気があったように思う。

ソレがいまは、荒波を前に立ちはだかる岸壁のような逞しさがビシバシ伝わる。髪型は角刈りになり、高校時代の空手のセンセイに似ている…。

場所は覚えていたし、貫録云々は後から思うことであって「Mさん」の姿も分かった。だが店に入る前、なんとなく看板を凝視せずにいられなかったのは、彼の姿が「かつて」の立ち位置に無かったからだ。

 窯出し口の正面に立っている彼はいま、「窯係」――パン生地を窯の内部に置き、焼き上がったら取り出す、という役割を担っている。生地を載せる為の、長い柄の大きな木製ヘラを手に立ちはだかっているその姿は、なぎなたを構えるまさに武道家のようにも映る。

窯係に「出世」したのか。以前はずっと年上の、おじさんがやっていたのだが。

そして、彼がかつて立っていた位置・窯の傍らに設えられた、畳一枚ほどの台の前で、ひたすら生地の成形をこなしている青年は、本当に会ったことがない。突然の不審者…もとい、訪問者に、「何だオマエ」の反応どころか「眼中に無し」とバリヤーを張っているようであったけれども、Mさんがペラペラと話し出したおかげで、次第に、腕を動かしながらもチラチラと目を合わせてきた。そして「何事?ダレ?」という答えを聞いた後、やっぱり手は止めないながらも「ブアイソ」に張っていた糸を緩め、更にやや経ってからようやく、少々の笑みを浮かべてくれた――ヨシ、と心は密かにグーを握る。

 平べったく伸ばされた生地が二枚、初見の彼の、その手元にある。

テカっているのはその表面に溶き卵が塗られたからだ。さらに、チャイ(トルコ紅茶)に添えられるようなミニスプーンを逆さ・つまりすくう部分の方をつまんで持ち、柄の先端部分を生地面に当て、シャッと斜め上に、線を引いて傷付ける。素早く、そして結構深く、だ。

第一線と平行なのを六本描くと、今度は少々角度を変えて同様に数本を引き、「格子模様」とした。

『スプーンで、しかも「柄」でなんて――えらくキレのいい柄なんだな。』

瞬間、かつても同じことを思ったことに気が付いた。その手の動きを見ていると、蕾が開くように、昔の時間とその頃のワタシの感覚が、スローモーションでよみがえってくる。

 

「バターパン」である。

バターを生地のなかに巻き込んだ生地。その香ばしさ、触感たるや――口の中に訴えてくる。ニヤケてくる。

あぁ、なんといいタイミングでやってきたことだろう…。

『ヤグレ・エクメッキ』

以前、その名称を教えてくれたのはMさんだった。

バターはトルコ語で「ヤール」であり、パンは「エクメッキ」。直訳すれば「バターパン」。「ヤグレ」は「ヤール」の何段活用か知らないが、語尾がどうにか変化した言い方だろうか。いや、「ヤール」とは言っているが彼らの巻き舌のせいで「ヤグレ」に聞こえるだけかもしれない――試しにいま、自分で何度かそう(巻き舌っぽく)言ってみるとますますそんな気がする。が、彼の地で何回聞いても「ヤグレ」としか聞こえなかった私の中に、それはもう「ヤグレ」でしかなく、正式名称さておいて、この話はコレ「ヤグレ・エキメッキ」ということで進ませていただく。

要はコレ、「パイ」なのである。パン生地の中に、固形状のバターを閉じ込め、たたみ込み、巻いて巻いてを繰り返すことで入り組んだ内層を作り上げ、顔面サイズの円盤形に伸ばして焼いたもの。

トルコにおける菓子パン的な位置にあり、メロンパンが一人一個食うモンであるように、おひとり様用個食的なパンとでもいおうか。軽食として、朝に食べられることが多い。

再会の感動から一呼吸経て、頭が少々冷えてきたろうか。黄金色の輝きを放つ、つやつやとした巨大金貨。なにより鼻腔に入り込み脳を酔わせる、バターの芳しい香りには申し分ない間違いない――んだけれども正直、その見た目に少々、あれ?と思わなくもない。

「こじんまり」して見える。記憶としては、もうひとまわりは大きかったような気が…。私の記憶は美化されていたのだろうか、と首をかしげるようだが、ともかく。

――食べたい…。

 

f:id:yomogikun:20200706074708j:plain

私の心は丸裸らしい。その叫びを見透かされているように、「食べなよ」と促してくれる。ハイ、勿論です。

 渡されたものを持ち上げてみると、小振りなわりにはズッシリとした感。まじかで見ると結構フックラとしており、もちろん発酵にもよるだろうが、油脂が生地に熱を通し、上手い具合に層ができたことで膨らんだのだろう。

「パイ」――と呼ぶには正直、地味だ。

ケーキ屋に並ぶミルフィーユ、アップルパイ、或いはクロワッサンの、一枚一枚薄く、かつ整然とした美しさがひと目で分かる層に比べれば、こちらはせいぜい、成形時にスプーンで入れた格子模様の切込みに、その(層の)存在が確認できるぐらいである。

だが、改めてそのおもてをジッと見ると、その表面向こう側に小さい気泡が、皮を蹴破りたいけど出来ない、とばかりに閉じ込められていて、それは春巻きや餃子を高温で揚げた時、皮に出来るプツプツとした空気包(火ぶくれ?)の跡にも似ている。そう、「揚げられた」感じ――…バター、ですなぁ。外に表現はしないが、体内にそのパワーを逃さずに包み隠しているのだ。それが「ズッシリ」の理由でもある。

ともあれ、アツアツを、早く口の中へ。

撥ねのよいサクサク皮を持って引き千切ると、中の部分が層状にベロンとしわく伸び、かつ湿っている。いかにも(バターが)染み渡っているなと、口に入れる。

甘い。この香ばしさ甘さは、いったい「味」なのか、それとも「香り」なのか。どっちなんだイヤどっちもか。どっちでもいいけどその快感に、目元口元がスローに横へ横へと広がってゆくのを止めようもない。間違いなく、わかりやすく、これは確かにウマイ。

「コレなんだよなぁ…」

そしてパンから手を放したくないから心の中で、手の平をグーするのだ。ここの一日のしょっぱなは、やはりこれを食ってこそなのである。

こんなに小さかっただろうか――なんて、食べた後に残るその満足感に因ったのだろう。

胃に溜まるその感覚のままに、外見も「大きいもの」として記憶に残ったのだ。おそらく前回の私も、食べる前はナメていたはずである。こんなのは一人でたべちゃうよなぁ、…と。

…どっこい、印象的、いや衝撃的だったといっていい。

それは旨いというだけではない。コレを作るのをジッと見ていていると、「美味しいもの」であるその罪を真正面にして、目が点になったものだ。

そう、やはり「バター」は罪である。いや、バターに罪は無い。ソレを魔物的美なる食に変身させる、ヒトの罪。貪りたいワタシの罪――。

 

詳細はこちら↓

docs.google.com

 

にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村

コチョリーの朝 ~インド・ニューデリー

 

f:id:yomogikun:20200603064727j:plain

「インドの朝は遅い。」

朝六時などという時間、市場でシャキシャキしたやりとりが既に軌道に乗っているタイやベトナムなどの東南アジアを旅することが殆どだった身としては、ただただそう思い、唯一賑わっているチャイ屋で時間を潰し、インドで早起きはやめよう、などと心しながら朝飯屋が稼働するのをジッと待つ。ぼちぼち、というのは、7時半ぐらいだろうか。

 

 どこに行くべしか。――とざっと見て、多いのは揚げパン・「プーリー」屋だ。

長屋のような小さな入口の軒下に、時にはテントで延長して、鍋・コンロをセットして揚げているという姿が10数メートル間隔で在る。

 赤ちゃんの握りこぶしよりやや大きい、小麦粉と水で練ったのであろう真っ白い生地玉を、めん棒或いは手のひらで薄く伸ばして、中華鍋(インドでもこう呼ぶのだろうか。要は、底が球面状の鉄鍋のこと。)になみなみ張った油で揚げる。と、ぷくーっと、アンドーナツのようにふっくら膨んだ揚げパン・「プーリー」の完成。当然アンコは入っておらず、その中は空洞であるが、ちょっと時間が立てば少々ヘナっとしぼみ、結局はナンのような平焼きパンに見える。ちなみにナンの生地は発酵しているがこの場合は無発酵であり、その代わり、と言うのは私の勝手だけどこの空洞が、なんとなくフックラした食べ易さを生んでいる。

 

それを千切り、豆とかジャガイモとかのカレーを、ちょろっと・鍋のつけダレ程度になすりつけたり、具をはさみ持ったりしながら食べる、というのが朝の定番のようだ。

ボリュームとしてはそうあるようには見えず、値段はもちろん庶民的うってつけ、のスナックだが、揚げているからそこそこは腹にくる。インドでは揚げ物が巷で実に多く、店に並ぶオヤツの類も、バナナ揚げとか、サツマイモ揚げとかサモサとか(カレーの具を包んで揚げた、春巻きのようなもの)各種とっても人気。インドを席巻するヒンドゥー教カースト制度においては、万物が浄・不浄(穢れ)に分類されている概念があるが、油で「揚げる」行為とは、それがたとえ「不浄」なものでも、それをすることで「浄」へと昇華されるとみなされる。よって、揚げモンとは、「胃が重い」「カロリーありそう」などと敬遠されるどころか、外で食べるものとして、誰にでも安心できるもの、であるということではないか。

…見ているだけでなんとなく、肌質オイリーに、ほっぺがプーリーの如くプクプク膨らんだ気がしてくるもんだ。

 

客と思われる丸まった背中が、カウンターに向かい食んでいる姿を斜め後ろからじっと見る。

なるべく混んでいるところがいい。あそこは、ひとり。こっちは…、ぼちぼち。などと、適当に判定しながら通りを行くと、――ん?

停車している車が邪魔で見えないが、人が集っているのが分かる。建物のシャッターは閉まっているようだが…と近くまで寄ってゆくと、あぁ、「屋台」なのだ。

路上に教壇二つ分の台だけ出し、その傍らにセットした鍋の中には、わずかばかりの煙を吐く油に浮き、風船のようなプクプク生地が棒で突っつかれながら泳いでいる。突っついているのは、ガタイのいいチョボ髭のおじさん。

ほう…。

屋台という最小規模のところと、建物を構えたところとでは、同じ人数でも、屋台の方にそそられてしまう。小さいのに人一杯というギャップが引き立つためか、ともあれいいじゃない、ここにしようか、とひと目で心は踊った。

 直径三十センチぐらいの中華鍋は、店にしては他のところよりも少しこぶりで、家の台所から持ってきたんだろうか。台挟んで客側には、その下回りにぐるりと耐火用の囲いがあって、鍋はまるでドラム缶の上にすっぽりとはまっているように見える。

 髭おじさんは、あっちをこっちに、こっちをあっちに、ひっくり返してはまた返して、と、それは棒ではなくって、ほぼヘラのように平らな穴あきお玉で、結構几帳面に風船の面倒をみている。やや白髪交じりの髪の毛は後ろに流して清楚に決めており、服は長袖をまくり上げカッターシャツに、茶色いベストを腹に膨らみをもたせて着こなしている。こんがり色の腕には、銀色のじゃらじゃらした時計が光り、――見た感じ、スナック屋台のあるじというよりは、不動産屋のオヤジであり、悪くていかさま金貸し業かレートを誤魔化す私設両替屋ってイメージだ。まぁ好き勝手言って悪いけど、今は視線を鍋に落としているせいで、目は鋭く、髭もハクを与えて厳しそうな雰囲気を漂わせている。

 店のヒトと思われる、もうひとり。オデコの輪郭まですっぽりと、優しい茶色の毛糸の帽子を被った、女性…。

グレーのショールを寒太郎のように巻き付けた、その隙間から伸びる手には、白い生地。台のトレイにある、切りっぱなしていびつなやつをひとつ手にとっては、ピンポン玉よりやや大きいかという小ぶりな玉に丸め、同じトレイの隅の方からキチッと並べてゆく。不動産屋が目の細くふっくら体形であるのに対し、細身で、ギロッとした大きな目とかぎ鼻が印象的で、くっきりした顔立ちだから、肌のシワがあんまり「皺」と感じられない。

 夫婦でやっている商い、かな。

ここのプーリーは、確かに生地がピンポンだったように、これまた他のところよりもかなり小さく、草加せんべいほどのサイズだ。揚がったそれを、鍋のすぐ隣の台の上、ひとつ鍋を挟んである浅いタライの中へ移すようで、既に揚がったのが、三つ四つ寂しげに入っている。結構売れたのだろうな、…ということよりも、鍋を挟むことなく揚げているすぐその横にタライを置いた方がやり易いんじゃないか・垂れる油で鍋蓋はべとべとになってしまうだろうに…、とよけいなことが気になるが、その取っ手のない真っ平らな蓋の隙間からは「お玉」と思われる柄が飛び出ており、おそらく、プーリーとセットにする何らかのカレーが入っているのだろう。(ちなみに、インドでは、スパイスの種類の組み合わせ、バランスを変えることにより、「カレー」などとひと言で括れないバラエティ豊かな料理が存在するが、ここでは便宜上、断腸の思いで「カレー」と呼ぶことにする。)

ハンディーなプーリー。…なのに、ん?。ハンディに無い。

少年から青年からおじさんから(女性っていないな)、椅子は無いから客はその周辺に立ち食いしているんだけれども、みんな食べ方が、カップアイスみたいなのである。というのはつまり、緑色のお椀型の器から「すくって」食べているだけ。プーリーを指に「つまんで」カレーつけて、という、その「摘まんで」いる図がない。

揚げたプーリーはどこに行ったのか。先に食ってしまったのか。

 と、少年二人がやってきて、うようよっと呪文を唱えた。というか注文した。一呼吸おいて、更に二人の客。次はおじさん一人。

 …ヤバイ。やばくはないけど、置いてけぼり食ってる気になってくる。私も頼みたい。だが忙しくなってきた中、ただでさえ「ムスッ」と見えるオヤジなのに、輪をかけてというか、ますます視線は手元以外に行き場は無く表情固く、こちらのことなんか無視されるんじゃないか。行きたいけど行きづらい。なのに人は増えてゆき、よけい不利になってゆく(気がする)。となればこそよけいに、ココロ引き寄せられてしまうこの矛盾は、まるで年頃乙女の恋心。 ――なんて心の内ヘンに不安定になってきた頃、小さな子がやってきた。女の子だ。黒いショールをスマートに巻き付け、もっと小さな子を二人連れている。きっと妹と、弟だろう。

小学校でいうと五年生ぐらい、という感じのお姉ちゃんは、不動産オヤジのもとにやってきて、その厳つい顔を見上げてこしょこしょ…と囁く。と、オヤジはちゃんとその子に目を向け、うん、うん、と丁寧に、しかも子供相手としての少々の微笑み込みで、頷いている。

おぉ、紳士的優しげ。ちゃんと答えてくれるのだと、まぁ当たり前なんだけれど、オッサンのその顔が緩んでいるうちにと私も乗じてすぐさま言おうとした。『ください』と。

だがの前に、子供ではない存在――しかもひと目見て外国人と分かる――に気づいたオヤジは、気のいい声で言うのだ。

「ハロー。食べていくかい?」

ズッコケるではないか。と、奥さんもぎょろりとこちらを向いて一瞬おいたのち、「来たのかい?」とか言いそうな顔で、口元を上げた。

ま、…この辺、外国人多いからな。

  

「ハイ。」と言って、暫しゆるりと。注文が通ったとなれば、待つのは一向に構わない。その間にじっくり観察できるというもんだ。

不動産オヤジ、…言いにくいから不動サンと呼ぶけれども、不動サン夫婦の側にぐるり回って立ってみた。当然ながらオヤジ側には耐火用の覆いは無く、鍋を支える、錆びついてひと回り太くなった五徳の下で、火はチョロチョロとした安定の蠢きだ。風情からして炭火かと思ったが、ガスの炎である。

揚げたプーリーの入ったタライの前に、枯れ葉のような、鄙びた緑色の椀が重ねられている。一番上のを一つ取り、もう片方の手で揚げたヤツを二枚、その皿へと入れたら、オ、と声が出そうになることには、椀ごとグシュッと、その縁を閉じるように潰してしまった。器は、紙か。…なんてことよりも、せっかくカリッと膨らんだのに…。――なんてことは、ちっとも気になどしていない勢いである。

そうして位置的にギモンある鍋の蓋を、落っこちない程度にずらしたら、お玉の柄をもって引き上げ、すくったものを椀の上から垂らした。褐色で、そこそこにボテッとしているというか、トロミある感じ。

さらにその鍋の手前に置いてある、小さなボール容器の中のものを、ミニスプーンでピッと少々ふり落とす。これは色から想像つく。辛味だ。真っ赤なチリペーストだ。

生の唐辛子のみをすりつぶしているのか。それともニンニク玉ねぎ、生姜か何か、ヒミツの香味成分も一緒にペーストになっているのか。

気が付けばジッと見ているのは私だけじゃなく、黒マントの少女の妹、弟もグリッとした目で不動サンのもとにくっつき、じっとその台の上を、手つきの虜になっている。勝手に推定するに、クリボー頭の妹は二年生、弟は入学したばかりの一年生。お姉ちゃんはオトナ的に、台を隔てて向こう側に立って待っており、私が代わりに並んで三人、社会見学するちびっ子たち、となっている。

チリが入ったら、スプーン、というよりやっぱりアイス用の小さい木ベラみたいなのを、容器に入ったカレーの端の方に突き刺して、渡す。――女の子に。…ん? 順番は?

ちょっと待ってね、ばかりに不動サンはこちらに目配せして、一連の動作を再び繰り返すと、次はワタシに渡してくれるではないか。

…その前に二人連れ二組と、オジサンが一人いたハズだけど…。順番抜かしていいんだろうか。チラと先客を見てみると、んなことちっとも気にしてないように、少年たちは女子高生のように喋っており、オジサンはボーっと向こうの空か、それとも雑貨屋にぶら下がる袋入りシャンプーかを眺めている。レディーファーストか、或いは外国人特別扱い…。

ま、すぐできるんだしな。「どうも」と受け取ると、同時にニコッと髭が動いた。と、「あぁ」と、目がまたしても点になった。

これ、紙じゃなくて、…「葉っぱ」なのだ。

触って、その細かな葉脈が見えて(私は近眼だ)、ようやく気付いたのである。葉っぱ数枚ををどうにか繋ぐ加工をして、椀皿状に固めてあるのだ。

 そういや、インドでは、カレーはバナナの葉の上によそい、食べ終わったらそのまま捨てて土に返す、というのを本などで読んではいた。とはいえ実際、現代のニューデリーでは、食堂では金属の皿やトレイによる提供が殆どで、なんだあの話は昔のことか、と思っていたのだが、これこそアレか。バナナの葉だろうか。(旅を経たのちの私の印象としては、葉っぱスタイルでの提供は、南インドにおいてよく遭遇した。)

 重なっている皿はどれもキレイに形が揃っているから、おそらくどこかの工場などで加工されているものだろう。インド的なんだけど、現代的。ともあれ、おもしろいものみっけ、と、皿だけでテンションが上がる。

さっそく、すくってみる。

ジャガイモだ。それと分かる大きな塊と、砕け散って小さくなったのとがある。ポッテリとしているのはこのでんぷん質のせいだろう。

表面にプツプツ散っているのは、クミンシードは分かるが、何かの未知なるスパイスの粒。

 ――うん。イモのせいだろうか、よく知った味のような気もするが、頭の中の隅に穴を開けるような、清涼感突き抜ける初めての感覚もある。

 そして、カレーもいいんだけれども、なにより、だ。

グシャッとしているしカレーが掛かるし、形も色ももはや一体化して分かり難いんだけれど、だが確かに口の中でタッチする、「サク…」の感触が何ともいい。プーリーである。カレーの一部になったかに見えても、繊細ながら丸め込まれない存在感が、ちゃんとある。これがあってこそ一皿として完結する、プーリーとは確かに主役だ。

f:id:yomogikun:20200603064926j:plain

 サクサクのカレー。…で、思い出した。

そういや「カレーパン」だ。コレ、逆ではないか。「逆」カレーパン。

あれは生地の中にカレーを詰めて揚げるものだが、これはカレーの中に揚げパンが在る。…いいじゃないか、トッテモ。

私もたまーに作るんだけれど、具を注意深く包み、揚げる際は、弾けませんように弾けませんように、と祈りながら油に投入するも、その願い届かず中身流出となると、肩が腰まで下がり切なくなる。――が、その心配がないではないか。具を包まないんだから、当然のこと。

 ほう…。

ちなみに、先にチラと挙げた、「サモサ」というインドのポピュラーなスナックがある。餃子の皮のような小麦粉生地に、やはりスパイスの効いた具を三角型に包みこんで揚げたものだが、包むからして当然ながら具の水分が少ないものの、コレとは形を変えただけともいえる。とはいえ朝食どき、どちらかというとプーリーの方がより出会う頻度として多いのは、やっぱり「包む」必要が無いからではないか、という気がしてきた。手がかかるし、弾けたらばその生地はパーであるし…てまぁ、シロウト的な目線でいうのもねぇ。

 なんだかんだ思っている間に、先客全てに「葉っぱ皿」は行き渡り、一気に少なくなったタライの中へと、揚げたてプーリーが追加されてゆく。そうして、不動サンは、奥さんがひたすら丸めている生地をひとつ、手でペタペタと広げ、新たに油の中へと浸してゆく。

 と、…ん?

奥さん、ただ丸めているだけかと思ったが…。――台の上の生地の端っこに、布巾を被って、「何か」ある。よくその動作を見てみれば、それをピッと素早く、指先で僅かな量を取り、具のように生地の中へと擦り付けて、丸めているのだ。ひとつ、ひとつ。

何…?「パテ」のような、ペーストよりも、固めの感じに見える。肉…?とも違うような。でもホントにちょこっとであり、意味あんの?ぐらいのカケラ的な量。…「隠し味」?

手の内にある、皿の中を凝視するも、もはや…である。プーリー本体でさえ、見た目の判別はカレーの奥へと潜りこんでいるのに、そのカケラなんて…。

ジッと、ビーム光線を放っているのに気付いたのか。顔を上げた奥さんと、目が合ってしまった。訊いてみようかという前に、向こうから口を開いた。

「グッド?」

そのひと声で、ハッとした。――男のヒトだ。この人。

が、…ウン、確かに。いったん「男だ」と思うと、オジサンだと納得する顔つきに見えてきた。思い込みがひっくりかえったせいもあるが、たったのひと言、その不思議なオーラ漂うハスキーボイスに、ちょっと奇妙な印象を持ってしまう。イメージで言うならば、王様付きの預言者或いはまじない師。動揺している心の中の波に乗り、「ハイ、とっても」と勢いよく答えると、皺をくしゅっとニッコリ笑った。

不動サンはお玉を手に、こちらの器の中にもうひと垂らししてくれる。うん、うん、と頷きながら。あぁどうも。ありがとうございます。

「コチョリー」と、二人声を合わせた。逆カレーパンの、なんかこしょばしくなる名称だ。

「いくら?」「セブンルピー」…って、「『サス』でしょ?」という私に、ヒンドゥー語の発音を指南する。

ちょっとしたやりとりがまた、土地に「入り込めた」感を増長させ、ウレシイ。感じのいいトコ見つけたなぁ、と、そのことに一気に有頂天になり、「ナゾの具」への疑問もまた一気に離散してしまったのだが、あとから思うと、その場の疑問を何故その場で訊かんのか、と叱り飛ばしたい口惜しい、のパターンである。

 

少女たちを見た。ショールのお姉ちゃんは一つの皿を手に持って、アイススプーンで弟にアーン。妹にアーン。…そういや、ひとつだった。受け取ったのは。

ひとつを三人で分ける。まぁ大人が一人ひとつで、子供だから…といってもなぁ。

お姉ちゃん。小六っていったら(知らんけど)育ち盛りだろうに。自身は中継ぎ程度にチョロッと口にして、ほぼ妹・弟に、様子を見ながら丁寧に食べさせている。

おそらく制服なのだろう。小二の妹は白いシャツの上に紺のワンピース。弟はシャツにズボン。…が、大きすぎて袖から手が全部出ておらず、裾が腰から下にだらんと垂れている。…デカすぎるだろう。男の子はすぐおっきくなっちゃうし、というのにも程がある。お父さんのじゃないのかソレ。二人とも、斜めに引っかけたカバンがまた、体に対して大きすぎる。

あ、ちょっと待ちなさい、とばかりに妹の顔にハンカチをあて、鼻水を拭うお姉ちゃん。クリボーちゃんはされるがままだ。セミロングの黒髪がその顔の前に少々垂れ、かがみこむその顔を覗き込んだ。

ここで朝飯食ったあと、学校の門まで送り届ける展開が見える。旅人にしかすぎんから、事情云々すっ飛ばして勝手なことを言うしかないが――なんと面倒見がいい、優しい…。個人的な問題、うちでは「兄弟愛」という言葉は昔から存在していないから、こういう図はホントにドラマチックで心打たれてしまうのだ。ええお姉ちゃんやなぁ…。

二人を見守るその横顔、鼻の付け根にひとつ輝く金の星――ピアスだ。

浅黒い肌、目鼻の整った顔立ちに、けっこーな美女へと成長する将来が想像される。確かいつだったか、インド人女性のミスユニバースがいたし、そう、インドのヒトって綺麗なんだよなぁ…ジッと見てしまう。いやヘンな気ではなく、あくまでその、心温まる図だ。

と、やはり「ビーム」は気付かれてしまうらしい。目が合い、その可憐な笑顔にハッとする。

――唐突に。この手のひらの上に、「髪留め」よ出でよ、と思った。そう、バラを象った、赤く煌めくガラス玉のやつがいい。リボンをかけて、手渡したい気持ちでいっぱいだ。

預言者なら叶えてくれるかもしれない。――と振り向けば、お仕事、お仕事の顔である。ふたりとも。

「コチョリー」――ちょっとした軽食だ。

ちょっとしたもの、ちょっとした出会い。

…ちょっとした、でも、いつまでも残るほの温かさだ。

明日もまた、来よう。

                               (訪問時2003年)

 

詳しくはこちら↓

docs.google.com

 

 

にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村

茹で汁で一服 ~中国・青島

f:id:yomogikun:20200502050121j:plain

 

2002年。初めての中国は、下関港から海を渡り、山東省・青島に始まった。

五月の霞む薄暗い空のもと、歩く。ただ歩く。

国境を越えた直後とか、知らない世界に入ろうとするときとは、モヤモヤしたものをなんとかしたいと、たいてい焦っている気がする。市内交通機関を調べてバスに乗ったりよりも、焦りをもとにひたすら歩く、というのから始まることの方が多く、それがかえって有効といえなくもない。少々疲れたところでランナーズハイというか、町歩きハイ状態となり、いつしか内にある緊張は「腹減った」の前に薄まり、――ア、ほら、食堂だ。商店街らしき、なんとなくホッとするエリアを見つけた。

個人ラーメン店とでもいう、庶民的な雰囲気である。人の出入りが見え、しかも混んでいるような雰囲気が遠くからでもわかる。旨いのではないか。――などと、いつのまにか欲と好奇心が率先し、躊躇というものは薄まっている。単に食い意地の問題かもしれないが、ソコで私も食べたい、そのモノにタッチしたい、という前向きなココロが自分の出発点となる。

「餃子」ではないか。

出入りのどさくさに紛れて入ってみると、壁にかかった品書きがすぐに目に入った。「肉餃子」と「白菜餃子」、「素餃子」。中国で餃子と言えば水餃子を指すという、予め仕入れていた知識の如く、グループが皿をつつき合っているその箸先には、滑らかそうな、真白い皮のうねりがある。おお、本場の…。ぐっと胸が掴まれる

 だが入っては見たものの、やはり気持ちとしての敷居は高く、結局は唇をぐっと噛んで後ずさりした。言葉も通じないよそ者がフラフラ入っては踏み潰されて滅するのみ、という想像などたやすい、丁度昼飯真っ只中の、席の争奪激戦的時間帯という様相である。諦めやしない。時間をずらそう。しばし石畳の急な坂を歩くなどし、教会があるなぁなどと、さも見物に来たかのように見上げてはいるが、気はそぞろだ。気分のせいか、空は一転して晴れ、緑の芝生の上をバウンドするボールに微笑む。まだかな。もうちょっとかな…。

 ……などと調子に乗るうちに迷子になり、結局二時間はおあずけになり、品切れの心配がよぎったが、その甲斐あってというべきか。ようやく見覚えの店構えに戻ってきた頃、黒いジャンパーのおじさんの後に続いて入ってみると、十畳程ある店内の、壁にくっつけられたテーブルには客が一人か二人、という状態になっていた。よかった。餃子はまだあるのだろう。

 先人に倣おうと、じっと見る。まずは入り口近くのレジ台に注文を言うらしい。 

発掘された木簡のように垂れ下った、三枚のメニューと再会する。

「肉餃子」、「白菜餃子」、「素餃子」。

これだけ、というのがまた専門店らしくていい。「素」がなんのことかイマイチよくわからず、無難に「肉」にしよう。(「素」は、タンパク質を大豆などの植物性に頼ったもので、要するに精進料理であることを指す。)

…けど、「六十個」?

さっき来た時は目に入らなかった、木簡の下の方、「六十個 十二元」。

約百八十円。…六十個で。――なんと安い、と喜ぶよりも、まず眉が寄ってしまう。百八十円は渋る値段じゃないが、ビー玉大ならともかく……。六十個である。さすが中国、スケールが違う…。

それって一人でも注文すべき量か。さてどうするかと困惑込めて、ちらとテーブルを見やると、しかし連れのいるようには見えないひとり客のテーブル、その皿にはどう見ても六十個は無い。押し潰した柏餅のようなのが、せいぜい二十個だろうか。既に大半食べてしまった、とかにしては皿が小さすぎる。…割り算していいワケねと、ガクッとくる程単純なことだが、「初めて」のものに遭遇する自分とは、融通のきかないきかんアタマになってるもんだ。

ともあれ、一瞬にしてひとつ解決したが、中国語能力は、ガイドブックの後ろにひっついた会話集のコピー頼りでしかない。メニューの数そのまんまじゃないことを言わなければならない、苦行――ドロッとした焦げ茶色に気分は堕ちてゆきそうなんだけれども、ここで翻ってはきっと、今日は敗北感で寝られないことだけは確信できる。

ならば筆談だ。日本で生きてきたことの特権・漢字が書けることをいま、フル活用する時である。――なんて、動転している中で珍しく思い付き、そんな自分にひとりで悦に入りながら、気分堂々と持ち直してレジに対峙する。さて黒ジャンが去り、いよいよ私の番だ。

 十個でいい、と思っている。日本で店で食べるといえば、たいていラーメン屋で注文しているが、多いところで一皿そんなもんだろう。だが品書きに「六十個」とあるのに、その六分の一はあんまりにも「割り過ぎ」だろうか。

 ペンを持った時点で「変わったヒトがきた」と察知したようだ。十六、七ぐらいか。レジには、白衣姿に三角巾、三つ編みを両耳元から垂らした女の子が立ち、なんだか給食係である。台に紙を置き、「肉、二十個、四元」と書いてゆく。と、そのお目目をぱっちり開けて、どれどれ、とちゃんと覗き込んでくれるのが嬉しい。そうしてやはり赤い、ぽっちゃりホッペで、フン、フンと頷いた。『わかったよ』――通った。女神よ。つい笑みが出てしまう。

 「六十個」の値段表示とは、二、三人で店に入るのが普通だからかとも最初は思ったが、中国では果物でも肉でも野菜でも何でも、たいてい「量り売り」であり、その単位は一斤(五百グラム)が基本である。おそらく餃子も、六十個というのはそれが一斤の量だったのだろう。

ともあれ、丁度空いたテーブルにつき、座っていると、空腹から二時間おあずけしたとはいえ、柏餅二十個って量はどうなのかなぁ。…÷4(十五個)でも良かったんだよなぁ、などと思い始める。とっさに単純な計算が出来なかった自分に「これから中国大陸を…」の心配を少々込みなどしながら、暫く。――おぉ、湯気を上げたのがやって来た。これは私の注文。中国にやってきて、私が自力で掴んだ初めての食べ物……じゃあなくって蒸し饅頭とか買い食いはもちろんしたんだけれども、食堂に腰を下ろし、正面切って相対する初めての食卓だという達成感に覆われながら、蛍光灯に艶光るそのひだに魅入った。少々ふちのある、白い陶器製平皿ぎりぎりいっぱいに、波をグニョグニョと描いた水餃子。これが二十個。心配するほどでもない、かもしれない。腹をすかせた高校生ならフツーに食えそうな見た目であり、私でも余裕だろう。

続いて出されたのは、平たい小皿ぎりぎりまで入ったタレだ。透明オレンジ色に、ポツポツと浮いているのはおそらくニンニクだろうと、大きなツブ切りからわかる。それと、カラの、ご飯用でもいいような白いお椀――いや、お茶用の湯呑だろうか。

運び担当は、これまた三つ編スタイル三角巾の、レジっ子ちゃんより多少ふくよかな女の子で、ほっぺ赤くも笑顔はない。ぶっきらぼう、というよりも、余計な表情は作らん、という素直なカンジなだけであり、皿を置くその手つきが投げやりだったりするわけはない。

中国でも、食堂ではお茶が出されるのだろうか。カラの椀にどうすべしか、キョロキョロ居心地悪さを感じていると、案の定、三角巾ちゃんはその手にアルミのやかんを下げて戻ってきて、その注ぎ口を傾ける。懐かしい、おばあちゃんちの麦茶入れみたいだ。

――ん?

じょぼぼぼと満たしてくれるお茶、…と思えばそれは白い。白い椀が透けて白湯、というわけではない。濁った、お粥のような色だ。

 ナニ?これ。――と目を向きながらも、ナニよりソレより、主役の餃子だ。

 

 つるんと滑らか肌の、モチッと弾力という、快感。

初めて、の驚きは無い。中国の餃子についての本を読み、自分で生地を捏ねて皮を作ったことがあったが、アレはあながち間違ったものではなかったのだ、などとまず思った。中の肉餡もそう奇抜な味ではなく、馴染みある感じに詰まっている。たれも酢醤油+ニンニクだし、「餃子を作って食べるということは、こういうことですよな」と、答え合わせをしている感じだ。来たことなど一度もなかった世界・中国に、分かるよ知ってるよと頷ける味がある――風が脳天の隅っこをサッと撫でてゆくような、爽やかなときめきを感じた。中国ってそんなに「遠くなかった」んだ。

 …とひとまず主役に感じ入ってから、改めて。椀の中に目をジッと凝らす。

なんだろうこの、「白い汁」は。

スープ?重湯?…念のため、周囲を見回してみる。同じ椀に、口を付けていることを確認。…よし。食事中に指をゆすぐ為の液体が、遠い昔家庭科の授業で「フィンガーボール」とたしか習った記憶があるが、あれじゃないようだ。やっぱり飲むものだと、その汁を啜ってみた。

 これは――「アレだ」と、記憶とすぐに結び付いた。蕎麦湯である。

…って、蕎麦なわけはなく、もしかして、餃子の??

えぇ、と思った。茹で汁なんて飲むのか、と。餡がヘタクソにも飛び出していたら、ダシがでてスープにはなろうが、小麦粉のぬめりが出ているだけではないのか。餃子に限らず饂飩にソーメンにしても、茹でたあとの湯を飲もうという発想は私にはなかった。

やっぱり飲むっていったら、茶なのではないか。茶の原産地である茶大国中国だ。

 …と、新たな客だ。

常連だろう、レジのほっぺちゃんに喋ったのは、ボソボソとしかも口早で、『だるまさんがころんだ』と聞こえたぐらいだ。だがほっぺちゃんには当然通じているらしく、頷くこともなく注文を奥へと叫んだ。アレを理解してこそ、日常会話の中国語かと、それは大学受験よりも遥か高い山に思える。

と、ふくよか頭巾ちゃんは餃子が来る前にもう例のお椀を出して、やかんの中の白濁湯を注いでいた。常連おじさんは小さな椀を両手で持ち、突っ伏してズズズ…と啜る。

…そういうもんか。

もしかして私の椀だけ中身がコレであり、一見には茹で汁でも飲ませとけ、とか、――私って歓迎されていないんじゃないかとさえ被害妄想チラついていたのだが、おじさんはまさにお茶を一服する・そんな感じで肩をほぅ、と緩めていた。

蕎麦湯ももちろん「茹で汁」に違いないのだが、それは「茹でた汁」というよりも「蕎麦湯」という、あたかもこれも一品であるかのようにいつしか見做すようになっていた。だが初めて接した時はやはり私、「そんなもんを飲むのか」と驚いた。ちっとも美味しくないジャン、と、飲む意味が分からない。だが成長するにつれ、茹で汁に落ちた蕎麦の風味とか栄養成分云々だとかをいわれれば、ナルホドそういうもんかと飲みにくいながら無理やり飲み、慣れてくればこういうものだとして飲むようになり、出されなければ欲しいと求めるようになり、ウチでは出さないとか捨てるとか言われたらば悲しくなる、というルートを辿った。餃子のゆで汁も、きっと…?

二度目の口をつける。…でもやっぱり「茹で汁」でしかなく、積極的に前向きにはなれないのが正直なところだ。いったいコレの良さとはどこにあるのか。

可愛いレジっ子ちゃんはレジ台の回りを布巾で拭いており、ふくよか頭巾ちゃんは、何の遠慮もなく私のテーブルの前に座って肘を突き、その目はこちらの頭上を飛び越えて、棚上のテレビをぼうっと見ていて実に自然な無表情。奥の厨房からは、茶筒ひっくり返したような白帽子を被った、半袖白衣(作業服)姿の調理人が、チラチラとこっちに半身突き出し、やはりテレビが気になるらしい。おそらく生地を仕込んでいる最中であろう、手のひら指先、腕に、粉がたっぷりまぶっている。

いかにも日常、といういまのこの空気に、風呂に漬かってゆらゆらとほどけてゆく、そんな感覚がやってきた。

食べていれば、やっぱりなにか飲みたくなるからして、敬遠したくともソレしか無いから飲まざるをえないのだが――やっぱり、モワンとした「無味」。…いや無味、とは違うか。ただの湯と比べればモワンと、曖昧な雲が浮かぶ丸みがある。

意味の見いだせない、しまりのない味――だがそれに浸っていると、肩の力入れ過ぎの自分をふと、キョトンと振り返ってしまう。緊張しすぎでしょ、と。

「茹で汁」の出自とは、餃子。刺身をしたら出た骨でアラ汁・アラ煮が出来るように、…って魚に限らず獣・家畜類もまた、肉食文化の地ではそれを捌いたならば内臓を血を余すことなく利用するように、餃子も「茹で汁」まで愛して。

生地を為す主原料・小麦の場合は、もみ殻と藁は、まぁ家畜の餌とか藁細工となり、人が食うのは実を精製した「粉」からであるけれども、「餃子を食う」ということは、茹で汁も平らげてこそ本当に食った、ということなのかもしれない。それが餃子を発祥とする地としての基本姿勢か――なんてことまではその時全くもって思わず、店としてはそれは喉潤しでしかなく、新たに湯を沸かすよりも、店としては使い回しで手間がないし、というだけのことかもしれないが、とにかく、明日も来よっかな――と、ズボンのベルトをゴムに変えたような開放感を、餃子よりも息長く立ち昇っている、茹で汁の湯気に思う。

 

ちなみにその後、そしてまたその後も数年おきに中国を旅していると、何度も茹で汁にはまみえることになるのだが、ともあれ。

銀行では両替にキンチョーし、バス停の場所に惑い、列車のチケットは全力で武装するほどの気合で列に並ぶ。自分の必死な形相が分かるほどに気張っていた、初めての中国。――の、餃子と茹で汁、

よく知っている味の、はじめてのものに出会い、「親しい異文化」というものを噛みしめた。

おおらかゆったりと息を吐く。ズボンはゴムでも十分。ベつにベルトをキュッと占めずとも、伸びてダレていなければ進んでゆけると、こういう中でちょくちょく、なにか据わったものを得てゆくのだ。

――いま?

もちろん、茹で汁は出してほしい。ないと、ちょっとがっかりする自分だ。

 

詳しくはこちら↓

茹で汁で一服 ~中国・青島 - Google ドキュメント

 

にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村