主に、旅の炭水化物

各地、食風景の点描

茹で汁で一服 ~中国・青島

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2002年。初めての中国は、下関港から海を渡り、山東省・青島に始まった。

五月の霞む薄暗い空のもと、歩く。ただ歩く。

国境を越えた直後とか、知らない世界に入ろうとするときとは、モヤモヤしたものをなんとかしたいと、たいてい焦っている気がする。市内交通機関を調べてバスに乗ったりよりも、焦りをもとにひたすら歩く、というのから始まることの方が多く、それがかえって有効といえなくもない。少々疲れたところでランナーズハイというか、町歩きハイ状態となり、いつしか内にある緊張は「腹減った」の前に薄まり、――ア、ほら、食堂だ。商店街らしき、なんとなくホッとするエリアを見つけた。

個人ラーメン店とでもいう、庶民的な雰囲気である。人の出入りが見え、しかも混んでいるような雰囲気が遠くからでもわかる。旨いのではないか。――などと、いつのまにか欲と好奇心が率先し、躊躇というものは薄まっている。単に食い意地の問題かもしれないが、ソコで私も食べたい、そのモノにタッチしたい、という前向きなココロが自分の出発点となる。

「餃子」ではないか。

出入りのどさくさに紛れて入ってみると、壁にかかった品書きがすぐに目に入った。「肉餃子」と「白菜餃子」、「素餃子」。中国で餃子と言えば水餃子を指すという、予め仕入れていた知識の如く、グループが皿をつつき合っているその箸先には、滑らかそうな、真白い皮のうねりがある。おお、本場の…。ぐっと胸が掴まれる

 だが入っては見たものの、やはり気持ちとしての敷居は高く、結局は唇をぐっと噛んで後ずさりした。言葉も通じないよそ者がフラフラ入っては踏み潰されて滅するのみ、という想像などたやすい、丁度昼飯真っ只中の、席の争奪激戦的時間帯という様相である。諦めやしない。時間をずらそう。しばし石畳の急な坂を歩くなどし、教会があるなぁなどと、さも見物に来たかのように見上げてはいるが、気はそぞろだ。気分のせいか、空は一転して晴れ、緑の芝生の上をバウンドするボールに微笑む。まだかな。もうちょっとかな…。

 ……などと調子に乗るうちに迷子になり、結局二時間はおあずけになり、品切れの心配がよぎったが、その甲斐あってというべきか。ようやく見覚えの店構えに戻ってきた頃、黒いジャンパーのおじさんの後に続いて入ってみると、十畳程ある店内の、壁にくっつけられたテーブルには客が一人か二人、という状態になっていた。よかった。餃子はまだあるのだろう。

 先人に倣おうと、じっと見る。まずは入り口近くのレジ台に注文を言うらしい。 

発掘された木簡のように垂れ下った、三枚のメニューと再会する。

「肉餃子」、「白菜餃子」、「素餃子」。

これだけ、というのがまた専門店らしくていい。「素」がなんのことかイマイチよくわからず、無難に「肉」にしよう。(「素」は、タンパク質を大豆などの植物性に頼ったもので、要するに精進料理であることを指す。)

…けど、「六十個」?

さっき来た時は目に入らなかった、木簡の下の方、「六十個 十二元」。

約百八十円。…六十個で。――なんと安い、と喜ぶよりも、まず眉が寄ってしまう。百八十円は渋る値段じゃないが、ビー玉大ならともかく……。六十個である。さすが中国、スケールが違う…。

それって一人でも注文すべき量か。さてどうするかと困惑込めて、ちらとテーブルを見やると、しかし連れのいるようには見えないひとり客のテーブル、その皿にはどう見ても六十個は無い。押し潰した柏餅のようなのが、せいぜい二十個だろうか。既に大半食べてしまった、とかにしては皿が小さすぎる。…割り算していいワケねと、ガクッとくる程単純なことだが、「初めて」のものに遭遇する自分とは、融通のきかないきかんアタマになってるもんだ。

ともあれ、一瞬にしてひとつ解決したが、中国語能力は、ガイドブックの後ろにひっついた会話集のコピー頼りでしかない。メニューの数そのまんまじゃないことを言わなければならない、苦行――ドロッとした焦げ茶色に気分は堕ちてゆきそうなんだけれども、ここで翻ってはきっと、今日は敗北感で寝られないことだけは確信できる。

ならば筆談だ。日本で生きてきたことの特権・漢字が書けることをいま、フル活用する時である。――なんて、動転している中で珍しく思い付き、そんな自分にひとりで悦に入りながら、気分堂々と持ち直してレジに対峙する。さて黒ジャンが去り、いよいよ私の番だ。

 十個でいい、と思っている。日本で店で食べるといえば、たいていラーメン屋で注文しているが、多いところで一皿そんなもんだろう。だが品書きに「六十個」とあるのに、その六分の一はあんまりにも「割り過ぎ」だろうか。

 ペンを持った時点で「変わったヒトがきた」と察知したようだ。十六、七ぐらいか。レジには、白衣姿に三角巾、三つ編みを両耳元から垂らした女の子が立ち、なんだか給食係である。台に紙を置き、「肉、二十個、四元」と書いてゆく。と、そのお目目をぱっちり開けて、どれどれ、とちゃんと覗き込んでくれるのが嬉しい。そうしてやはり赤い、ぽっちゃりホッペで、フン、フンと頷いた。『わかったよ』――通った。女神よ。つい笑みが出てしまう。

 「六十個」の値段表示とは、二、三人で店に入るのが普通だからかとも最初は思ったが、中国では果物でも肉でも野菜でも何でも、たいてい「量り売り」であり、その単位は一斤(五百グラム)が基本である。おそらく餃子も、六十個というのはそれが一斤の量だったのだろう。

ともあれ、丁度空いたテーブルにつき、座っていると、空腹から二時間おあずけしたとはいえ、柏餅二十個って量はどうなのかなぁ。…÷4(十五個)でも良かったんだよなぁ、などと思い始める。とっさに単純な計算が出来なかった自分に「これから中国大陸を…」の心配を少々込みなどしながら、暫く。――おぉ、湯気を上げたのがやって来た。これは私の注文。中国にやってきて、私が自力で掴んだ初めての食べ物……じゃあなくって蒸し饅頭とか買い食いはもちろんしたんだけれども、食堂に腰を下ろし、正面切って相対する初めての食卓だという達成感に覆われながら、蛍光灯に艶光るそのひだに魅入った。少々ふちのある、白い陶器製平皿ぎりぎりいっぱいに、波をグニョグニョと描いた水餃子。これが二十個。心配するほどでもない、かもしれない。腹をすかせた高校生ならフツーに食えそうな見た目であり、私でも余裕だろう。

続いて出されたのは、平たい小皿ぎりぎりまで入ったタレだ。透明オレンジ色に、ポツポツと浮いているのはおそらくニンニクだろうと、大きなツブ切りからわかる。それと、カラの、ご飯用でもいいような白いお椀――いや、お茶用の湯呑だろうか。

運び担当は、これまた三つ編スタイル三角巾の、レジっ子ちゃんより多少ふくよかな女の子で、ほっぺ赤くも笑顔はない。ぶっきらぼう、というよりも、余計な表情は作らん、という素直なカンジなだけであり、皿を置くその手つきが投げやりだったりするわけはない。

中国でも、食堂ではお茶が出されるのだろうか。カラの椀にどうすべしか、キョロキョロ居心地悪さを感じていると、案の定、三角巾ちゃんはその手にアルミのやかんを下げて戻ってきて、その注ぎ口を傾ける。懐かしい、おばあちゃんちの麦茶入れみたいだ。

――ん?

じょぼぼぼと満たしてくれるお茶、…と思えばそれは白い。白い椀が透けて白湯、というわけではない。濁った、お粥のような色だ。

 ナニ?これ。――と目を向きながらも、ナニよりソレより、主役の餃子だ。

 

 つるんと滑らか肌の、モチッと弾力という、快感。

初めて、の驚きは無い。中国の餃子についての本を読み、自分で生地を捏ねて皮を作ったことがあったが、アレはあながち間違ったものではなかったのだ、などとまず思った。中の肉餡もそう奇抜な味ではなく、馴染みある感じに詰まっている。たれも酢醤油+ニンニクだし、「餃子を作って食べるということは、こういうことですよな」と、答え合わせをしている感じだ。来たことなど一度もなかった世界・中国に、分かるよ知ってるよと頷ける味がある――風が脳天の隅っこをサッと撫でてゆくような、爽やかなときめきを感じた。中国ってそんなに「遠くなかった」んだ。

 …とひとまず主役に感じ入ってから、改めて。椀の中に目をジッと凝らす。

なんだろうこの、「白い汁」は。

スープ?重湯?…念のため、周囲を見回してみる。同じ椀に、口を付けていることを確認。…よし。食事中に指をゆすぐ為の液体が、遠い昔家庭科の授業で「フィンガーボール」とたしか習った記憶があるが、あれじゃないようだ。やっぱり飲むものだと、その汁を啜ってみた。

 これは――「アレだ」と、記憶とすぐに結び付いた。蕎麦湯である。

…って、蕎麦なわけはなく、もしかして、餃子の??

えぇ、と思った。茹で汁なんて飲むのか、と。餡がヘタクソにも飛び出していたら、ダシがでてスープにはなろうが、小麦粉のぬめりが出ているだけではないのか。餃子に限らず饂飩にソーメンにしても、茹でたあとの湯を飲もうという発想は私にはなかった。

やっぱり飲むっていったら、茶なのではないか。茶の原産地である茶大国中国だ。

 …と、新たな客だ。

常連だろう、レジのほっぺちゃんに喋ったのは、ボソボソとしかも口早で、『だるまさんがころんだ』と聞こえたぐらいだ。だがほっぺちゃんには当然通じているらしく、頷くこともなく注文を奥へと叫んだ。アレを理解してこそ、日常会話の中国語かと、それは大学受験よりも遥か高い山に思える。

と、ふくよか頭巾ちゃんは餃子が来る前にもう例のお椀を出して、やかんの中の白濁湯を注いでいた。常連おじさんは小さな椀を両手で持ち、突っ伏してズズズ…と啜る。

…そういうもんか。

もしかして私の椀だけ中身がコレであり、一見には茹で汁でも飲ませとけ、とか、――私って歓迎されていないんじゃないかとさえ被害妄想チラついていたのだが、おじさんはまさにお茶を一服する・そんな感じで肩をほぅ、と緩めていた。

蕎麦湯ももちろん「茹で汁」に違いないのだが、それは「茹でた汁」というよりも「蕎麦湯」という、あたかもこれも一品であるかのようにいつしか見做すようになっていた。だが初めて接した時はやはり私、「そんなもんを飲むのか」と驚いた。ちっとも美味しくないジャン、と、飲む意味が分からない。だが成長するにつれ、茹で汁に落ちた蕎麦の風味とか栄養成分云々だとかをいわれれば、ナルホドそういうもんかと飲みにくいながら無理やり飲み、慣れてくればこういうものだとして飲むようになり、出されなければ欲しいと求めるようになり、ウチでは出さないとか捨てるとか言われたらば悲しくなる、というルートを辿った。餃子のゆで汁も、きっと…?

二度目の口をつける。…でもやっぱり「茹で汁」でしかなく、積極的に前向きにはなれないのが正直なところだ。いったいコレの良さとはどこにあるのか。

可愛いレジっ子ちゃんはレジ台の回りを布巾で拭いており、ふくよか頭巾ちゃんは、何の遠慮もなく私のテーブルの前に座って肘を突き、その目はこちらの頭上を飛び越えて、棚上のテレビをぼうっと見ていて実に自然な無表情。奥の厨房からは、茶筒ひっくり返したような白帽子を被った、半袖白衣(作業服)姿の調理人が、チラチラとこっちに半身突き出し、やはりテレビが気になるらしい。おそらく生地を仕込んでいる最中であろう、手のひら指先、腕に、粉がたっぷりまぶっている。

いかにも日常、といういまのこの空気に、風呂に漬かってゆらゆらとほどけてゆく、そんな感覚がやってきた。

食べていれば、やっぱりなにか飲みたくなるからして、敬遠したくともソレしか無いから飲まざるをえないのだが――やっぱり、モワンとした「無味」。…いや無味、とは違うか。ただの湯と比べればモワンと、曖昧な雲が浮かぶ丸みがある。

意味の見いだせない、しまりのない味――だがそれに浸っていると、肩の力入れ過ぎの自分をふと、キョトンと振り返ってしまう。緊張しすぎでしょ、と。

「茹で汁」の出自とは、餃子。刺身をしたら出た骨でアラ汁・アラ煮が出来るように、…って魚に限らず獣・家畜類もまた、肉食文化の地ではそれを捌いたならば内臓を血を余すことなく利用するように、餃子も「茹で汁」まで愛して。

生地を為す主原料・小麦の場合は、もみ殻と藁は、まぁ家畜の餌とか藁細工となり、人が食うのは実を精製した「粉」からであるけれども、「餃子を食う」ということは、茹で汁も平らげてこそ本当に食った、ということなのかもしれない。それが餃子を発祥とする地としての基本姿勢か――なんてことまではその時全くもって思わず、店としてはそれは喉潤しでしかなく、新たに湯を沸かすよりも、店としては使い回しで手間がないし、というだけのことかもしれないが、とにかく、明日も来よっかな――と、ズボンのベルトをゴムに変えたような開放感を、餃子よりも息長く立ち昇っている、茹で汁の湯気に思う。

 

ちなみにその後、そしてまたその後も数年おきに中国を旅していると、何度も茹で汁にはまみえることになるのだが、ともあれ。

銀行では両替にキンチョーし、バス停の場所に惑い、列車のチケットは全力で武装するほどの気合で列に並ぶ。自分の必死な形相が分かるほどに気張っていた、初めての中国。――の、餃子と茹で汁、

よく知っている味の、はじめてのものに出会い、「親しい異文化」というものを噛みしめた。

おおらかゆったりと息を吐く。ズボンはゴムでも十分。ベつにベルトをキュッと占めずとも、伸びてダレていなければ進んでゆけると、こういう中でちょくちょく、なにか据わったものを得てゆくのだ。

――いま?

もちろん、茹で汁は出してほしい。ないと、ちょっとがっかりする自分だ。

 

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