主に、旅の炭水化物

各地、食風景の点描

「朝食は如何?」~ディヤルバクル・トルコ

 

f:id:yomogikun:20200920170555j:plain

並ぶ並ぶ並ぶ…。

黄、白、赤、紺 、茶…。とりどりがそれぞれ、カレー用大の器の上に載り、きゅっとかき集めたよう所狭しと。

宴会だろうか?…目が、パチパチする。

 壮大な食卓――いや、「卓」ではない。横に敷いた絨毯の上に、テーブルクロス…いやテーブルじゃないってば、とにかくビニール地の食事用クロスを敷いた上に、諸々を並べてある。「床食」と呼ぶのかは知らないが、そういう習慣である地域はけっこうあるもんで、町の食堂などはテーブル&椅子がセッティングされていても、旅のさなかでふとした出会いからおうちに紛れ込んだときに時々出くわす。

目がチカチカするのは、そのクロスの模様のせい。黄色で幾何学的に視覚や鎖模様が連なり、ところどころにリアルな花柄がボンと入っていたりの賑やかさが、ざっとみて十はある皿数を、もっと多く見せている気がする。

いやそれだけではない、か。よくみりゃクロスは二重だ。上のビニール地よりはやや大きい布が、二十センチほど縁からはみ出ているのだが、白地に紺と赤のチェックという、これまた唐突な模様であり、そもそもいっちばん下の、床前面に敷いてある絨毯も、青とピンクと緑の、太い縞模様。そして四面の壁は、明るい青一色。――いったいどの色が、模様が主役なのかわからず、累々の皿も、星として宇宙の中へと埋没してしまいそうだ。ぼうっと何も考えずに部屋を横切っては、どれか一つ――そう、特に、皿の隙間隙間にボ-リングのピンの如く立っている、ルビー色の液体湛えたチャイ・グラス(チャイ=紅茶用の、ひょうたんのようにくびれたグラス)なんて蹴っ飛ばしてしまうだろう。

「さぁ、中へ。さあ、さぁ」

足がすくむようだが、促されるまま、そろそろと宇宙のさなかへ。ふかふかの絨毯――では実際無いんだけれども、老齢の女性にそっと肩を押されると、冷えた体にカーデガンを掛けてもらうかのようなフワリとした気持ちになる。白い布を頭に巻き付け、額からレースの縁を垂らしているその表情は、優しい。靴下から伝わる感触もまた柔らかい気がしてきくる。

一歩一歩踏み入って、膝をかくんと落としたのは、長方形の部屋に沿って長細く皿が並んだ場の、短辺真ん中という位置。……主役的ではないか、いきなり。

キツネにほっぺひっつかまれながら、部屋の隅にチョコンと並んでいるチャイ専用やかん二つをと見つめてみる。この地で、これを持たない家は無いのだろう――なんて考えることで、頭真白にパニック状態に近い自分を誤魔化そうとしている。

 

とにかく私という「客」が来たからではなく、もとから準備されていた豪勢な皿状況であるらしい。食事の最中、…いや、始まってすぐ、というところか。どの皿もしっかりと盛ってあるし、グラスにあるチャイもほぼ縁まで満たされている。ど真ん中に置いてある、ミニパエリア用のような浅いフライパン鍋にペタっと収まっている、グラタンかなにか――黄金色の表面にまだらな焦げ色のついたものが、隅っこ・ひと口分だけ欠けているのが分かるぐらいだ。

あまりに唐突で戸惑っている、…んだけれどもご馳走を前にすれば調子いいモンで、好奇心の玉が口の中からひょっと飛び出し、皿の上をなぞりゆくのを止められない。

油光りしているナスと緑色ピーマンの皿は分かりやすいが、その隣の皿・黄色く染まった、もじゃもじゃとしたものは何だろう。カリフラワー?を炒めて煮てある…?

これもきっと炒め煮してある、「赤」艶やかなオカズは赤ピーマンか。それとも辛いほうか。ゴマのような種が、ちらちらと見える…。

キューリ、そしてキャベツのようにクチュッと寄せ集まった葉っぱが、黄緑色にくすんでいるのはおそらくピクルス。その盛り合わせ。

葡萄の粒のような、真っ黒い艶玉のオリーブ。

真っ白いものをのせた真っ白い皿が、二枚ある。一枚の上にあるのは、チーズか。もうひとつには、表面に波跡を作り、やや液体の状態のもの。…きっとヨーグルトだろう。

『ちょうど、家族で朝食だったんだ。よかったら――』

流れるような英語で、お兄さんは確かにそう言った。

「朝食」…。――もう、11時も過ぎているけど。

早起きの私にとっちゃあそれは昼食といったほうがしっくりくるが、まぁ確かに、朝の定番・「オリーブ」に、「チーズ」。…今日は休日だろうか。

それよりも、なんという皿数か。これが、あるべき「朝食」なのか。

この場で呼吸をすること暫く――やがて眼も慣れ、ナスとカリフラワーはそれぞれ二皿ずつに分散されており、その分皿数が多く見えることに気づきもするのだが、とはいえそれでも次元が違う。……私の朝とは、全くもって。

 

トルコ・ディヤルバクルは、空の主要玄関口・イスタンブールからは南東に陸路で約1500キロのところにある。ここに私は、トルコ中部、そして黒海沿いの町を数日間まわったのちに辿り着いた。

バスが到着したのは早朝。いつも朝は宿で、自分で買い込んだパンとチーズ、プラスアルファを齧るところだが、道に一晩揺られ疲れていたこともあった。ラクをしよう。景気づけにロカンタ(=食堂)の扉を引き、朝食セットと奮発したのである。

まずは、チョルバ(スープ)。そのでんぷん質を舌に感じる豆スープは、店に入ったことの甲斐を教えてくれるが、真っ白い皿に、ひと目で数えられるキューリの輪切りとトマトの串切り。それがポツンポツンと皿の縁に並び、その内側には豆腐のような真っ白いチーズの角切りと、「間違って垂らした」ような琥珀色の蜂蜜が溜まっている。平皿に蜂蜜を垂らす発想はうちではせんなぁと新鮮に思いながらも、――それにしても、である。

キューリもトマトも、野菜屋で安く買えるし、チーズも専用の店からあれこれ選ぶことができる。これで…キュウリ一本あるかないか量で四ドル近くすんの? 

「長距離移動の慰労だし」「スープがあるし」と言い聞かせるも、正直うじうじガッカリであり、せめてモトを取るべくパンで腹を満たそう。(パンはロカンタにおいて通常どこでも食べ放題)。「ガッカリ」に即蹴飛ばされていたものの、実はひとめ「あ、」と心にタッチしてきたのは、そのパンだ。

かたちが変わった。

これまでの地域では、フランスパンのような棒型や丸いかたちの、フックラ厚みあるパンが当たり前だった。だが目の前にあるのは、平べったい皿状のパン――格子模様が途中で切れており、おそらく大型のを、いくつかに切って重ねてある。ほぉ…。こういうパンを食べるところか。

「世界が変わった」ことの予感にワクワクした。

見た目は平べったいとはいえ相応に膨らんでおり、噛み応えもあって結構腹に来る。「豪勢に食うには自力で用意するのが一番だなぁ」と噛みしめる思いで、どんどん食った。

 

……んだけれども、その「豪勢」のスケールというか、次元が全く違う。

所詮は私一人。豪勢といっても、朝食にはキューリトマト、チーズにオリーブ、パンという、シンプルなものを「量的」に食うということでしかない。「この町特産の、極上のチーズですよ」と言われ手に入れたならそりゃ嬉しいが、こういうひと手間加えたオカズや、床下から出してきたような漬物なんて、揃えようもない。お金があっても到達できない世界だ。…「家庭」というものに入り込まない限り。

――って今がその時である。

オトナ七人に、うち抱えられた幼い子供ひとり。少年ひとり。私を除いた九人が、この場をぐるっと取り囲んでいた。

「さあ、遠慮なく」

これがあなたのぶんよ、とばかりにチャイの入ったグラスを、折ったひざの前にそっと置いてくれたのは、ネックセーターの淡い色そのままに優しい笑みの、若い女性。ロングのスカートが似合う落ち着いた雰囲気に、はるか年上のお姉さんに映るが、映るだけで結構若いのかもしれない。膝をついたその上に、毛糸の帽子を被ったおじさんから二、三歳のチビちゃんを譲り受けてあやし、その幼い顔同様、こちらまでフンワリ感にほだされポケッとしてしまうようだ。

チビちゃんはさぁ判別しかねるとして、彼らのうち女性はこの人と、白い布の、ここの「お母さん」と思われるヒトの二人。お母さんの方は少々皆より後ろに下がり、壁によりかかるようペッタリと座っている。

「さあ、遠慮は全く必要ないから」

二人の男性がかわるがわる、盛んに勧めてくれる。彫りの深い顔で英語をスラスラ言うもんだから、欧米人だと言われても違和感が無いほどだ。一人は皺具合からすると四十代、もう一人はもう少し若く、三十代いくかというところ。この二人以外は、手を皿に差し出して「さぁさぁ」と促す、或いはうん、うん、と頷くことでその意思を伝えるものの、言いはしない。おそらく英語が堪能なのがこの二人、なのだろう。

 『食べて食べて』――特に分り易いのは、池に集まる鯉のように口をパクパク、必死に合図を送る少年。その顔を前にすれば、膨らんだ警戒心も口を緩めた風船のようにスーッと中身が抜けてしまうようだ。前髪を太い眉の上でピッと揃えたおぼっちゃまヘア、そしてクリクリの目を更に大きくさせているのが、またカワイイ。中一、という感じだろうか。

……そう、ばかばかしい。

今ここでじゃなくて、「肝心な時」に糸を張れよ。…と振り返るとまた情けなさがやってきて、応答しようと作る笑みが引きつっているのが、自分でもわかる。

『君、英語は話せるのかい?』

私の前に現れたこの人たち・オトナ達の中に、この少年――ぴょこぴょこ撥ねる小柄な存在には、「いち早く」反応していた。

――「あの子たち」とは違う…?関係ない…?

だがこの少年が見せたのは、初めて見る対象に対する「驚き」と「好奇心」、その塊を前面に出している分り易さしかなかった。珍しがり、可笑しければ躊躇なく頬を緩めて笑い、近づいてみたくなる――おぼっちゃま君とは、私の持っていた「子供」という概念の範疇にある姿に見えた。…ホッと、した。

『あの子たちにはもう、関わっちゃいけない。危険だから、決して。』

 

 

 オカズの載った皿の縁にはところどころ、気まぐれのようにフォークが立てかけられている。

あれは個人所有かそれとも共用なのか。…と思っていたら心を読まれたように、これを、と、英語兄さんからフォークが回ってきた。…ということは、やっぱり個人所有なのか?

 そして、取り皿は無い。「食べて」と言われても、どのように?と戸惑う。

とりあえず確実に「私に」と出された、チャイを頂こう。…と、そのグラスの縁に触れた瞬間、猫の尻尾に触れたかのように、即座に不安が目を覚ました。――グル?…かも?

 「あの少年」たちを非難するフリして実は共謀。うまく家の中に連れ込んで、睡眠薬が入ったチャイを飲ませてとどめを刺す――トルコの睡眠薬強盗の話は頭に叩き込んであった。…が、どうする?

 でも…。最初に私を見つけ出した、壁に寄りかかりこちらを見ている白いベールのお母さん。

『あんたたち! 何をしてるの!?何をしてるの!! 誰かきて!!』

あのとき、そう叫んでいるように耳に響いた。懸命な声だった。この人の、あの声に演技は無かった……と、思う。

だが…。確信をする「自分」というものが、今はどうにも曖昧で心もとない。私は、何もかんもが「甘い」のかもしれない。情けなさも這い上がり、涙が浮かんできそうだが、チャイに手を触れたこちらをみてか、「チャイ」と目をやはり大きくして言いながら、即座に角砂糖の入ったミニ洗面器を渡してくれたおじさんは、顔の輪郭が逆三角形で何となく「ねずみ男」に似ている。そしておぼっちゃま君経由で、砂糖を混ぜる為のスプーンもバトンリレーされてきた。

「ど、どうも…」

ニコニコしている。思わず、つられて笑ってしまう。…と、尻あたりからプスーッと空気が抜けてゆくのもまた、感じる。

既に、ロンカンタで飲んでまた宿でも飲んで、今日何杯目かのチャイであり、その都度砂糖を入れていたから…と躊躇するものの、この状況で「入れない」のは、ありえない流れだ。

一口飲んだ。

と、…あぁ。頬に伝ってくるようだ。血か。命か。

そして、彼らもまた食べることのスタートが切れたようで、めいめい、手を伸ばし始める。クロスの上・チカチカ模様に紛れて置かれているのは、よく見れば、パン。――あの、ロカンタで見た平べったい、表面に大きく格子模様が入ったパンが、メモ帳大に切られ…いや千切られて、並ぶ皿の間に点在している。英語兄さんたち、そして姉さん横・チビちゃんの父親と思われる毛糸帽おじさんは、自分の近くにあるひとつを手に取り、さらにそれを小さくむしった。

まず先駆けは、チビちゃんパパだったか。皿に引っ掛かったフォークを取り、ナスらしき黒光りをトロンとすくい上げるとパンに載せ、それを折って、ナスを挟み込むように口に入れた。

英語兄さん・年上の方は、真ん中の浅いフライパン鍋に手を伸ばしている。違う皿にひっかかっていたフォークを手に、中一面に埋まる黄色いものをひとかけら、プリンのように跡を残してすくい取り、やはりパンの上に載せる。

ふーん…。

パンにオカズを載せるから、フォークをベットリ口に食むことはなく、どうやらそれは「共用」らしい。…と思っていたら英語兄さん・若い方は、同じく黄色いものを、パンには載せずそのまま口に運んだりしており、…ううむ、よく分からない。ともあれ私には専用に、と出してくれたのだろう。

ともあれ、「食べない」というのはイカンだろう気がする。

チャイを飲んで誤魔化していた私に、ね、と、子供を抱いたまま目配せするお姉さん。おぼっちゃま君もまた「ね、ね、」と、パクパク付きで訴える。

最初からあったっけか、パンは丁度良くこの膝の前にも置かれていて、じゃあこれを。さらにそれを小さく千切ってみてから、一番近くにある皿の、黄色っぽいもじゃもじゃしたものを遠慮気味にすくってみた。と、ボロっとする。

その感触で理解した。――イモだ。カリフラワーではなく、ジャガイモ。だがイモにしてはえらく茶褐色だ。

このままフォークから口に持っていくのは直箸だから…あ、でもさっき食べてたよね?…とよぎるも、やはり左手にあるパンの上にちょこんと載せてみる。…上手く載らない。ボロっとこぼれそうになるのを、顔を近づけて食べにゆく、というヘンな体勢になる。

オイシイ。油が絡んだイモが、甘い。その色が言うように、なんらかの香辛料の効いた風もあって、しっかり味付けされている。あんまりちょびっと過ぎたようで、…もう少し食べたい。

「ん?」

おぼっちゃま君が自分そっちのけで、こちらをジッと見ている。大丈夫?とでも言わんばかりの顔だ。「美味しいです」のつもりで大きく咀嚼し、少々オーバーに笑顔を見せた。大人たちはあからさまではないものの、やはり気にしながら食べているらしく、うんうん、もっと食べなさい、と親戚的に頷きながらモグモグする。姉さんは膝の上のチビちゃんに、スプーンをその眠そう・ダルそうな口に近づけながら、こちらを見て笑っていた。見ていないようで、ちゃんと「見ている」――と、自意識過剰になる。

もう少し大盛りにすくってみると、ぼろぼろ粒には何か小さな繊維が引っ付いているが見えた。同様にして口に入れると、あぁそうか――玉ねぎの甘味だ。それが効いている。イモを潰してからか、潰しながら、か、ともかく玉ねぎとの炒め煮だ。舌に感じる艶と滑らかさに、結構な油の量を想像できるが。

へぇ…。

最初の一線を通過してしまえば、好奇心がひょこひょこッ「待ってました」と言わんばかり・つくしのように生えてくる。

じゃあ、隣の皿にもいってみたい。食事としての空気が定着したところで、「君は日本のどこからきたの?トーキョー?」と、話は英語兄弟がリードする形で始まり、旅行者への基本的質問攻めが続く予感の中、焦げ色ついた輪切りのナスに目が行く。いかにも油を吸い込んだ艶めきだ。一緒に絡まっている深緑色のピーマン、というよりは長細いからシシトウと言うのだろうが、それをナスと炒め煮するのはウチでも夏の定番であり(ニンニクみそ炒めがめっぽう好きだ)、このコンビネーションを求める心は国境越えて共通かと嬉しくなる。

やはりシシトウよりはナスの方をさらい、パンに載せて。――むぅ。どろん、と溶ける。まさに求めるそのグデンべろんとした柔らかさと、香ばしいのか甘いのかが合わさった味。おそらく塩だけだろうが、相方・シシトウの風味が僅かに引っ付いて、これが見事にパンに合う。ほぉ…。

もっと欲しい。…が、色彩的に「赤」いのも気になるから、その皿もひとすくい…。と、大ぶりが取れてしまい、ずうずうしいか。しかし一回とったものを返すのはイカン気がするから、仕方ない、もうこれを頂こう。…予想しなくもなかったが、辛い…。

「どう?どう?」という目をしながら、何らかをパクパク訴えるおぼっちゃん君は、もしかして「それ辛いよ、気を付けて」と    言っていたのかもしれない。大人に話しかける時はちゃんと言葉を声に載せるのに、こちらに対しては鯉になる。…自分の家なのであり、どうか喋りたいように喋ってもらってもいいんだけどなぁ、と笑えてくるも、なんせ辛い。赤いピーマンではなく、唐辛子そのものか。加えて酸味もあり、素材のウブな味というよりは、漬物っぽくならされた感があり、これは確かにちょこっとでいいかもしれない。一皿のみなのも頷ける。

じゃあ、――「アレ」も、いってみようか。

この食卓…って「卓」じゃないけどもうそう言うが、一番気になっているのはそのど真ん中のフライパン・黄色いオカズである。鍋底一面、ホットケーキのようにフックラと焼かれた感じだが、表面はボコボコとまだらな焼き色はどうもグラタンっぽい。チーズをかけて焼いてある、とかだろうか。

真ん中に燦然と、しかも台の上に載せてあり、この食卓「とっておき」なんじゃないか。毛糸帽のパパ、英語兄さんの、既にそれをつつく姿はあったけれども、そう頻繁ではない。…取りにくいなぁ。真ん中だから遠く、膝を立てて身を乗り出さないと届かないから、「丁度近くにあるからつついてみた」という何気なさが出せない。「それが食べてみたいから、取りに行く!」と表明するような積極的な姿勢は、果たしてここで出すような存在だろうか私ってば。

…なんて思ってみたものの、英語兄さん(兄)が二度目、よッとそれに手を伸ばしたそのタイミングに乗じ、二秒くらい遅れて私も続いてみる。

ティグリス川を見ようと、地図を見ながらここまで歩いてきたんです」

答えながら、自然な動きでフォークを動かす。と、フォークの入ったところ、なんの抵抗もなく素直にホコッとすくいとれた。齧った跡のような弧を残して、…ヨシ。

よく見ると、…卵。卵焼きだわ。

そういえば「朝食」である。オムレツは確かにそれに似つかわしいモンであり、グラタンってのはそりゃちょっと重いだろう…。

しっかり焼いてある。結構厚いから、結構な個数割ってあるのだろうが、ちと焼き過ぎだなぁ感がなくもない。味付け無し?…ってことはないか。塩ほんのり、だろうか。

なーんだ。…などとは罰当たりこの上ないが拍子抜けしたのが正直なところ、とはいえ、唯一のホッカホカおかずだ。「さぁ食べよう」の直前に作られたに違いなく、よく見りゃ土台は持ち運び用チェス台の、折り畳んだ状態のようで、鍋ごと出すそれは焼き立ての為に底が熱く、ビニールクロスの上にじかに置くのが憚られたせいなのだろう。

「この近辺はね。一人で歩くのは絶対に危険。昼間でさえね。」

はぁ。「我が家」のまさに周辺が、そんなにコワイのか…。

壁一つ隔てた屋内で、平和的にご飯を食べながらそれを聞くというのが、それこそ平和ボケ国民といわれる所以か・どうもピンと来ないのだが、「そうなんですか…」と相槌を打ちながら、チェス台のふもと、良いかんじに萎びた色のピクルスらしきもののうちミニキュウリを一つ、これもいかにも自然にと心してゴロッとすくう。これ丸ごと食うってこと?…って、切ってないからそういうことだろうけれども、いくらミニキュウリとはいえ。

摘まんで食べたほうが楽だな、と、…おぉ!スッパイ!

これはまさに箸休め的に、チビチビと齧るもんだろう。…とはいえ摘まんだコレをどこに置くべきか、そのまま、あんまり動かさない指の間にずっと挟んでおくのもヘンな気がして、一度に食べきっちゃうことにする。おぉぉ…きゅーっとくる。両頬が吸い込まれそうだ。

思わず手にしたチャイの甘さが、ひときわ染みる。…おぉ、こういうことか。ってどういうことか知らんけれども、なんとなしにこの世の仕組みに納得する思いだ。

中身を半分以上減らしたグラスを、姉さんが手に取り、お母さんが受け取った。足してくれるようだ。

しっかり煮出したお茶用と、それを割るための湯。二つのやかんをいい按配に垂らし、もう一杯、もう一杯、と、グラスに数回満たしてゆく。

そして、これ、とおぼっちゃんがパクパク、砂糖を回してくれる。

                            (訪問時2004年)

詳細はこちら↓

 

docs.google.com

 

 

にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村