主に、旅の炭水化物

各地、食風景の点描

インレーの魔術師 ~ミャンマー・ニャウンシュエ

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 見知らぬ地で、食べ物を見つけてそして口にした、ということについて改めて振り返る。何気なくやっていたそのことが、なんと貴重だったことだろう。

あたりまえだが、「食べ物」それは自然にただ「ある」のではなく、在らしめる――作り出す人々がいるからこそ成り立ったものだ。「食べる」ということは、それが存在する世界に踏み込んでいる、ということでもある。

それを共有させて貰うことで、少しでも知りたい。彼らについて、彼らが育んできたものについて。その世界について――と、あの時、彼の地を旅していた。

2021年に軍クーデターが起き、ミャンマーの事態はますます悪化している。

ミャンマーにて出会った人々が、あの景色が今どうなっているのか、想像すらできない。「元気だろうか、」などと、普段なら何気に発する思いを馳せる言葉というものが、あまりに能天気すぎて躊躇われる。

彼の地を訪れる、という可能性というものが、果たしてこれから先に生まれるのかの予想もつかない中、ただ、あの時、日常を歩いていた彼らを書いておきたいと思う。

 

 

 ――コレ?

持っていた地図に載る「市場」の場所には、たしかにそれらしい感じは、あるにはあった。…けれども。

学校の中庭程度の広場に、木のテーブルがたくさん並び、地面に突き立てた木の柱が支えているトタン屋根と、大きなパラソルで日除け・雨除けとしているという、空気の通りの良い、ほぼ青空市場に等しい感じのところ。

 …のようなのだが、実に閑散としている。

 

 ミャンマー中部。現在の首都ネピドーとマンダレーのほぼ中間、西寄りに位置するニャウンシュエが旅人にとって目的地となるのは、多くの場合、この国でも有数の観光地・シャン州にある巨大な湖「インレー湖」を目と鼻の先にした町であるからだ。ミャンマーには様々な民族が暮らしているが、インレー湖周辺にもまた多く、とりわけその脇に家屋を構え、湖の水と一体化するように生活を営むインダー族がよく知られている。遠くに物言わぬ山々をバックにした、波もなく佇む藍色の湖の上で、ただひとつ浮かぶ小さなボートにひとり立ち、ボートを漕ぐ――インダー族に伝統的な「足漕ぎ」をしている写真を載せないガイドブックはないだろう。

 まぁ、ボートで湖巡りもいいんだけれども。――私としては、市場の方が気になる。旅行者をそそる「水上マーケット」とかではなくとも、陸の町なかにある、生活必需品が並ぶ庶民の市場。正直、それさえ見られれば、目的地はどの町でも良い、というのが本音。

 ――であるのだが。

 湿った砂の上を、時に足先で小突いてしまう石ッころの音が響く。人の声など、立っていない。

商品など、殆ど並んでいない。椅子やらをテーブルにのせて休業状態であるところが殆どで、その合間にポツっと、いつ仕入れたかしれないスナック菓子の小袋をぶら下げた雑貨屋が、ひとつか、ふたつ、いや三つ?…と、取り残されたようにある。店の人間――なのか単なる散歩の休憩中なのか、ポツンと暇そうに座っているけれども、明らかに「お客」と思しき人は皆無である。これだけ閑散としていては、置いてあるものも、商品なのか個人的なものなのか、はかりかねるぐらいだ。

 そんな中を歩き回っている「動」なる自分とはかなり目立つようで、なんだか人んちの中を勝手にウロウロ徘徊しているような気がしてくる。数少ない「じっと座っているヒト」の目が刺さり、「アンタどこの人?」とでも言いたいのがビシビシと伝わる。

 

「賑わい」というものをポケットに隠した、静かな町だ。湿った砂の上を、時に足先で小突いてしまう石ッころの音が響く。人の声など、立っていない。

…「ワクワク市場」の光景はいずこ……。地元の有様に旅人が文句垂れる筋合いは無いんだけども、ガックリと地に手をつきなんとなく敗北感、にある中で、ひとつオアシスを見つけた。

ラペイエ屋である。

「ラぺイエ」とは紅茶のことであり、かつミルクティーを差す。かつて英国の植民地下にあったミャンマーでは、現在それは庶民的な飲み物として広まっており、ある程度の町ならばそれ専門の喫茶店があちこちにある。その場所をここでもひとつ、見つけた。

で、そこではとっても面白そうな作業現場が、店の入口スグ、に展開されていた。

作業現場――とは、ラペイエの「つまみ」を作り上げる姿だ。

 

 仕事人は、一見ちょっと不思議な感じのオジサンである。タンクトップからムキムキっといい腕を出してはいるが、頭はくるくるっとクセッ毛の髪型にクリクリの目が印象的という、たくましさ・可愛いらしさの両方を兼ね揃える、歳は四〇代半ばといったところか。

 背は私と同じかちょっと高いか、という小柄であるし、冗談を飛ばしたら明るく反応しそうな顔立ちだから、ねぇねぇ、と気軽に声を掛けてしまいそうになるのだが――ニコリとも、愛想笑いの気配もない。顔に似合わず、「近寄りがたい雰囲気」というものを前面に出している。

 ロンジーを纏っていない、一見して「外国人」丸出しの私に、「ん?」とは顔を向けたものの、それは「また客か」という流し目に過ぎず、それよりもいま、クリクリおじさんにとっての相手とは、目の前、畳二枚分はある焦げ茶色の作業テーブルの上に載った、「生地」。

 クっと口を締めて、ただそれと対峙するのみ――なんていう、いかにも「旨いモンを作る人」の姿にあった。

 

生地は、サッカーボールよりも小さな塊だ。

生地がくっつかない為の手粉(小麦粉)をたっぷりと台の上に振りまいたら、その上に塊を移し、めん棒で押し潰し押し潰し、ゴロゴロと円に円に――薄く薄くと伸ばしてゆく。めん棒で伸ばせるギリギリの薄さになったら、手粉を再びその表面にタップリめに振り撒いて、端っこから巻いてゆく。手粉だけでも結構な量だ。

太い紐になったそれを縦にして置くと、その上からめん棒をあてて押し潰し、ゴロゴロ向こうへコッチへと、しっかりと押しつけ伸ばしてゆく。

 四、五センチの幅に潰れた帯状が、やがてその1.5倍程度になった時、巻いてあったのを広げてみると、それも当然、巻き込む前よりも随分とデカくなっている。…あぁナルホド。「一枚」の状態で伸すよりも、巻いて「厚み」を作ってからゴロゴロした方が、重なっている層一枚一枚がより押し潰される為に、容易に薄くできるのだ。で、それに再び粉をタップリ振りまいたら、生地に出来た折れ目と方向を変えて再び巻き込み、ゴロゴロと同じことをもう一度。巻く際、伸びる余裕を持たせる為に、アバウトな感じで緩めに撒く、というのがポイントなのだろう。

 今度は広げることなく帯状のまま、向きを九〇度変えて横長にしたら、端から七、八センチの幅で包丁を入れた。

 切り離したその一切れを摘まみ上げると、トイレットペーパーの端を持って放った時のように、畳まっていたのがハラハラと解かれ、細長い一枚の生地となった。薄く、まるで布のようにはためいて、その皺とはまるで木綿のように、リアルだ。

 残りもすべてほどいたら、それらを重ね、長細いのを横にして揃える。ここでようやく、行く末が見えてきた――あとは、一個分の「皮」として、切断すればいいのだろう。

 端から等間隔・六、七センチに包丁を下ろし、薄い正方形の重なりが出来上がってゆく。

 

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先に言ってしまうと、これは「シュウマイ」である。その皮を作っていたのだ。

へぇぇ……。なんて中華的。

――どころではなく、中国で「油条」と呼ばれる揚げパンを、インドを想起させる「サモサ」「パラータ」を、英国的「山形食パン」のアレンジを、このクリクリおじさんが――ひとつ「クリ」を短縮して「クリおじさん」としたいと思うが、次々と作り出してゆくのを、その背中の斜め後ろにことわりもなく立ち、咎められもしないから図に乗って逐一と観察していたのである。ここで市場の「モト」をとらんとばかりに。

 見せて貰うからには、目に力を入れてグッと集中・「遊びじゃないんです真剣なのですワタシ」という意思のこもったオーラをビンビンに漂わせるつもりで。――って、それは旅人の記憶作り。充実感を得たいという、自分の為の娯楽以外の何ものでもないのだが、せめて「気合」ぐらい持っていないと、長い間、忙しく働くヒトの傍にジッと意味なく立つことの面目が立たない。

 

                                                                                                            (訪問時2005年)

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