主に、旅の炭水化物

各地、食風景の点描

傘とラペイエ ~ヤンゴン・ミャンマー

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いた…ッ!

ホッとした。もう会えないかと思った…と、口が緩んでくる。マッチョさんもまた、こちらに気づいたようで、即座に立ち上がった。目を見開いている。こちらのことを、覚えていてくれていると分かる。…が、ん?

なんだか苦笑いというか、「モゥ…」と少々眉をたらしている。

 空路でミャンマーヤンゴンに入国して数日滞在したのち、約一ヶ月間北の町を巡り、そしてまた戻ってきたのである。今日の午後には、バンコクへの飛行機に乗る。

ヤンゴンを離れる前に、是非とも会っておきたい。飲んでおきたい。入国してからのヤンゴン滞在中、毎朝通ったラペイエの店・つまり紅茶屋さんであるが、そこの紅茶――「ラペイエ」を。

本当は、昨日の朝からこの町に戻っていたんだけど、なんと「フルムーン」。ミャンマーでこの日は休日ということになっており、マッチョさんの店もそれにもれることなく無言でシャッターが閉じられていた。

最終日という、ギリギリになっちゃったけどしかし、――ともあれ、会えてよかった。

小さい、白い花が揺れている。サラサラと靡く髪に、スズランに似た生花がネックレスのように連なり、垂れ下るよう飾られている。可憐だ。生の花を「髪飾り」にしている女性をミャンマーではよく見かけるもんで、けっこうな早朝から凛と身につけている姿はすがすがしい。こちらにも爽やかな空気が流れてくるようだ。な気がしてくる。

一ヶ月の旅でだいぶビルマ語にも慣れ、ちょっとうまくなったよ、とばかりの勢いで、日常基本会話「お元気ですか」を言った。とたんマッチョさんもまた早速、口を開く。柱に引っ掛かっていたカレンダーを指さし、「17日」を指さしながら。17…。今日は21日である。

――ン?

一瞬、何のことだ?と思ったものの、みるみるバツの悪さが込み上げてきた。

北に行くといってヤンゴンを発つ時、「いつここに帰ってくるの?」と問われて答えたのが「17日」。今日は既に21日である。

「いや、あの…」

私の旅に、予定はあってないようなものである。大体のルートはなんとなく思い描いてはいても、滞在日数は「気分次第」なので、「いつここに」などとは正直分からない。

ただ、既に持っていたバンコク行きのチケットが21日だから、まあそれまでに帰ってくるとしたらだいたい…と答えたのが「17日」だった。

「約束」をしたつもりはなかった。単なる一介の旅行者の言うことなど覚えていないだろう――と思っていたのが正直なところでもあった。おそらく私のことだから、きっとその日にはならないような気はしながらも、この町に戻ってくること自体は確かなんだから、会えたらまた「会えましたね」でいいか…と。要するに適当だったのである。案の定、過ぎており、加えてその日付けを口走ったこと自体、この時にはスッカリ私は忘れていた。

 が、マッチョさんは覚えていた。

『17日、待ってたんだよ。』

そして、『心配したよ。何かあったのかと思ったよ。』と続いているであろうことが、その早口から不思議とスルスルと伝わる。

…なにが、「もう会えないかと思った」だ。

待っていてくれたのに。私ってサイテー、などと、上っ面で軽薄な自分を目の当たりにして、嫌悪の沼の底へとズブズブ沈んでゆくようだが、そんな大反省などマッチョさんは知ったこっちゃなく、さあさあ、雨に打たれて帰ってきた子供を家の中に迎え入れるように、私を風呂用(のような低い)イスに座らせた。そして、この手にある「傘」を見て、にんまりしている。

 

さて、まずは、の一杯を頂く。…とその前に、私がどこぞの街仕入れて嬉し気に身につけている、腰巻スカート(ロンジー)の結び方が「アマい」らしく、マッチョさんは「こうやって、こう…」と指導する方が先だ。まるでお母さんである。

ということで、改めて。

――小さな火鉢の上に、やかんが既に乗っかっている。

主たる商売道具は「やかん」。そして湯を沸し続けられるだけの火があれば十分なのだろうが、その高さが膝の位置でしかないから迫力に欠け、雑事用テーブルの下に隠れてしまってまるで目立たない。ここが紅茶屋であることに初めての人間は気付かず、きっと素通りしてしまう。その隣の小さなテーブルにいくつか重ねられた、練乳の缶詰やティーカップで、もしかしてここは…と想像がやっとやってくるぐらいだ。

小ぶりで幾分厚めの白いティーカップに、缶詰入りの練乳をタラタララ…と注ぐ。その量は、底面が見えなくなって、プラスもう一息分、くらいか。タイやラオス、そしてベトナムでは、コーヒーにこの練乳をいれるもんだが、グラスに深さ1~2センチ、または主役(コーヒー)と「同量」入れさえするから、それに比べれば控えめだな、などと思う。

 もう中は沸いているらしい、やかんの取っ手を握り、注ぎ口をティーカップへと傾けた。

ベージュ。既にミルクが入って濁った色の紅茶が、湯気を上げながら満ちてゆく。

それを、受け皿の上にカチャリと置いてスプーンを添え、ハイ、と控えめな、でも飛びきり優しい笑顔で、差し出してくれるマッチョさん。名前はなんか強そうだが、花髪飾りの雰囲気のままに優しい、気配り世話焼きの若いお母さんである。

「ありがとう」

そして表面には、やはり「生クリーム」のような、少々粘ついた「白い液」が浮いている。

 

やって来たのがちょっと早かったからか、ダンナさんが登場したのはもう暫くしてからだった。肩から上だけパッと見ると、感じスマートなのに、ロンジーを巻き付けた腹がぴょこっとつき出している。40いくか、いかないか。インド系の浅黒い肌をした顔で、「アラ、来たの」とばかりに一瞬だけ目を見開き、笑う。若い時は歯の光っていた爽やか好青年、という感じだったろう。

植民地時代、同じく英国の植民地であったインドから、労働者として多くの人々が移住してきたことにより、ミャンマーにはその系譜とわかる顔つきの人がよく見受けられる。が、マッチョさんは、ここで多数を占めるビルマ族的な――というか、私ら日本人とも通じる東南アジア・東アジアの顔であり、二人はだからひとめで分かる、異民族間カップルだ。

同じく多民族国家であるマレーシアなどは、それぞれ民族のアイデンティティーによって住み分けがハッキリしていているという、いわゆるひとつの皿の中に素材が溶けあうことなく独立して在る「サラダボール状態」であるが、ミャンマーではもうちょっと緩やかなのかもしれない――たとえば食について、インドのチャパティーのような薄焼きパンも、ミャンマーでは一般的な軽食として様々な人々に食べられている、というような光景を見て思ったりもするのだが、さぁどうだろう。民族意識がどうのという以前の、普通にただ「夫と妻」であり「お父さんとお母さん」であり、六歳、十歳ぐらいの男の子がいる。

いらっしゃい、と言っている顔に挨拶をする。と、そろそろカラになろうとしている私のカップを見て、マッチョさんが何か言う。――と、ダンナさんが頷く。

あ、あれかな、と、ずうずうしくも先が読めてしまう。

次は、「あの」ラペイエを出してくれるのだろう。

カレー用というほどに大きくはない、フタつきアルミ鍋からミニミニお玉一杯分の「白い液体」を、アルミ製カップの中に垂らす。

続けてその中へ、練乳缶を傾ける。既にいただいた一杯目に入れていた練乳は、蜂蜜のように粘りある「甘い」タイプだが、この場合それではなく「無糖」タイプ(一般に「エバミルク」と呼ばれるヤツ)。シャバシャバの液体だから、傾ければ素直にピーッと滴る。

そしてやかんの紅茶を注ぎ、――それからが「待ってました」の、ワクワクだ。

もう一方の手にいま液体を注いだカップがあり、他方の手にまた、「カラの」アルミカップを持つ。

そして、中身のある方だけを高い位置に持ち上げ、傾けながら、低い位置にある「カラ」の方へと中身を垂らす。

液体は宙で細い線を描き、吸い込まれるようにちゃんともう一方の中へと収まってゆく。いきなり離れたところから落とすのではなく、徐々に両者を離してゆくようにすれば、ナルホド、はずさない。ジャージャーと音を響かせながら、この動作を何度か繰り返す。

最終的には白いマグカップの中へと収まって、フィナーレ。表面がもこっと泡立って、カプチーノというべしか。この「ジャージャーするラペイエ」のこの儀式は、どうやら「お父さんね」の係らしい。

マッチョさんが受け取り、やはり受け皿を添えて「どうぞ。飲んでね。」

改めて、「いただきます。」

 

マッチョさんのところでは、いつもこの「二種類」を飲ませてくれる。そのあと「どっちがいい?」と、三杯目に突入するのだ。

頬をもたれ、甘えたくなるような優しい味。なんともなかったはずなのに、飲んだら「こういう優しさを欲していた」と気づき、遅ればせながら…と足が疲れを訴え始める。

カラのカップでずっと居座るのもなんだかなぁと「一応」は思い、なるべくゆっくり・チビチビと液を減らすが、カップの底が見えそうなのをマッチョさんは察知しており、自動的に次の杯へと進ませてくれる。長居を憚ることなく、…どころか、当然とばかりに居させてくれる。

いろんな人がやってくる。おそらく市場の常連客、そして仕事人が、夫婦に「ヨ、」と声をかけ、或いは話し込んでゆく。

休憩に乗じてひとところにじっと腰を据え、さまざまな人が往来する様子を眺め、雰囲気を感じとるのにも、ここはうってつけのところだった。ただ座っているだけで、飽きない。

話はする。ビルマ語会話のコピーを持ち出して、基本的な部分をやっとこさ、だ。

結局四、五杯は飲ませてもらいながら、その間、スムーズに進まない意思疎通をああだこうだとやるなどしていると相当な長居となる。やがて、どうにもこうにもトイレに本気で行きたくなった頃、マッチョさんの心遣いを遠慮して「また来ます」となっていた。

私としてはただ長居をしているだけだ。が、傍観者のようでいて、また自分も、ここの日常に埋まる「当事者」である気分になっていた。それが錯覚でも、ただ嬉しいのである。

ラペイエを飲んでこその、ヤンゴンの朝。――ラペイエとはココに座る為の、ほぼ口実となった感があるが。

 

 

――雨だった。

夜遅くに入国して翌朝、ヤンゴンはシトシトシトシト…、まるで日本の梅雨空。うっとうしいなぁモゥ…などと、何年前か中国で買った、折り畳み傘を片手に歩いていた。やがて一日中、どころか連日降りっぱなしで、全くもって梅雨そのもの状態を思い知らされる。

まず、朝っぱら一番のラペイエを飲みたい、と思った。

紅茶・それも「ミルクティー」はミャンマーで「ラペイエ」と呼ばれ、英国植民地の影響下で根付いた、現在では人々にとって日常化した飲みものであるという。朝っぱらはまず、温かいコーヒーや紅茶を飲まないとスッキリしない私としては、是非地元流で飲みたい。

やがて、市場に近い通りの一角に、ラペイエに入れられるはずの「練乳の缶詰」が積まれたテーブルを見つけた。あ、アレではないか。ソレではないか。

近付き、果たしてここでラペイエが飲めるのかどうかと、その場に立ちつくしていた私に、「すわんなさい」。低い椅子へと導いてくれたのは、白い花の髪飾りの女性。

少々緊張気味に口にした、彼女が淹れてくれるラペイエは、雨の冷たさの中にポッと花開いたような優しい味だった。やっと止まり木を見つけられた鳥のように、その染み渡る温かさに、気持ちがホッと落ち着いてゆく。

会話は通じないが、ともかくラペイエは「おいしい」と言い表している私に、女性は安心したようだった。

マッチョさん、というらしい。

で、そのマッチョさん、私が抱えるように持っているもの・既に折り畳んだ「傘」がどうにも気になるらしい。

ガムテープでつぎはぎだらけの「破壊寸前」だ。ボロくっても、雨さえ遮ってくれれば私としては満足であり、そもそも私の荷物の大半は、「いつ捨てても未練がないもの」が基本である。だがソレを目に眉間にしわをよせ、「貸してごらん」と手に取る。まじまじ、回しながら眺めている。

使えるからいいんです、と、少々照れまじりの苦笑いで返していると、ダンナさんと思われる相方、そして市場の仲間たちもまたソレをじっと見る。ヤンヤと注目されながら、たらい回しにされる私の傘。…稀に見るボロさ、ということなのだろうか。まぁ確かに、ガムテープが目立つかなぁ…。

ひとまわりして再びそれを手にしたマッチョさんは座りこんで、柄を伸ばし、エイっと開く。そして何とかと周囲の男性に言い渡した後、傘の骨のうちの一か所に、噛み付いたのである。

エ…。

どうやら、絡まっている糸を噛み切っているようだ。…修理する?

「いや、あの…」

これは今しがた壊れたのでもなく、この状態のままずっと持ち歩いていたものである。困ってもないし、なんの未練ももっていない。どうにも使えなくなったら捨てて帰ろう…どころか、捨てるために携行している、といっていい。安いのがいくらでも売っているし――そんな気でいた。

 焦った。

歯が、どうにかなってしまわないか。断ち切っているのは、傘の骨に巻きつけられている「糸」だろうが、可憐な花飾りをつけた女性が傘に食いついている姿というのはなんとも大ごとであり、狼狽えてしまうけれども、旦那さんはその光景に慌てる様子も全くなく、それどころか、(傘の)部分部分を指さしながら何かアドバイシスしている。何かの指示を受けていた男性が、輪ゴムと紐、瓶を持ってきた。

 …真剣である。

壊れてもいいと思っている傘ですから。……などと、もはやとてもじゃないが言えない。

布の破れた部分をテキパキと、…あまりにテキパキ過ぎて、というかこちらが事の成り行きにポカンとし過ぎて具体的にどのように、というのを全く記憶していないのだが、ゴムやら紐やらを使い、また骨も上手い具合に補強してくれ、そして、ヘタをすれば手の平の皮を挟んでしまいそうだった、滑りの悪かった柄の伸び縮み部分に瓶の中の液体・つまり「油」を塗ってくれた。かつ、その油で手がヌルヌルしないように配慮し、余分な油を改めてふき取ってくれた後、とても丁寧に折りたたんで――フィニッシュ。…私のような、クシャクシャ無理やりグルグル留め、ではなく。

 「壊れてしまってどうにも困っていました」という顔を心がけた。

美しくなって手元に返ってきた傘。一度たりともここまでの愛情を与えたことがあったろうか――ソレに心があるとするならば、きっとこの怠慢・非情なる持ち主に唾を吐いてやりたい気分だろう。モノに対する意識の違いを思い知らされ全くもって恥ずかしい。と同時に、単なる通りすがりであった自分に、手間を厭わずここまでの親切を施され、ただビリビリとマッチョさんに、その周囲に、痺れた。

 それから、その傘を片手に通う場所となった。毎日雨では手放せないんだけれども、ちゃんと使っているところを見てもらいたくもあった。

 

                              (訪問時2005年)

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