主に、旅の炭水化物

各地、食風景の点描

「ヤグレ」一日の始まり ~マラテヤ・トルコ

f:id:yomogikun:20200706074443j:plain


一瞬、時が止まったような沈黙があり、そしてその口から出されたのは意外な言葉――私の名前だ。

入口からおそるおそる足を踏み入れた、そのたった一歩で、立ち尽くしてしまった。

と同時に釘付けになったのは、この空間に踏み入る前からムンムンと漂っていた香り、そのまんまの「ソレ」――部屋を占拠している台の上に放られた、真ん丸い、円盤形のパン。

目にすれば途端に、甘いような香ばしい、その匂いが増すような気がした。黄金色に照り輝くその艶は、香りをも染め上げ、まだ食べてもいないのに既に美味しい。

あぁ、一気に過去へと遡ってしまう――そう、コレだコレ。格子模様で、ゴマもそう、降りかかっていた。

 

アナトリア」と呼ばれるトルコ内陸部の、ど真ん中。…よりはやや南東部寄りにある町・「マラテヤ」には、イスタンブールからならば約1200キロ・夜行バスで約13時間揺られて辿り着くことができる。クルド人が多く居住するトルコ南東部はまた「クルディスタン」とも呼ばれるが、イスタンブール方面からこのエリアに向かう時、この町はその「入口」といっていい地点だ。

ガラス張りの店内を覗くと、二人立っているうちの一人――「あの人だ」。以前、パン作りをとことん見学させてもらった中にいた。

それはひと目でわかった。忘れるもんか。――だが情けないことに、この口から「彼」の名前が出てこない。この店内、窯のたたずまい……記憶にある懐かしさに震えるようだが、「名前」が一向に。

以前と同じ会話本を持っているから、それを出し、メモしたはずの最期のページをめくればいいのだが、相手はこちらを即座に叫ぶ前で「ええと…」とノロノロとやるのもちょっと…。ココに来ると決めていたのなら、名前くらい復習してから来い、なんていまさら愚痴ったって遅いのだ。ゴメン…。

それにしても約二年の年月を経ている。突然彼らの日常に踏み込んだ、こちらは「外国人」だったから、「ダレ?」はまぁなかろうと願い、せめて「そういえばアンタ、前にここに来たような気がするけど?」程度の、ボやけた反応を想定していたのだ。それがどうだ、顔を合わせたその一瞬で、直球に「名前」。――ありがたいことこの上なく、自分のふがいなさはとりあえずさておいて、そりゃあ有頂天に感動である。

 再会の言葉を並べたい。最大級に感慨と懐古の情が喉まで出掛かっている――がやっぱり、言葉が出てこない。目の前に獲物がちょこんと座ってこっちを見ているのに、「槍」が見当たらないという気分だ。

ニヘニヘとした笑顔で「うわぁ」とか「おぉ」とかいう、口から思わず突いて出る感嘆の句はほぼ世界共通に理解してもらえるが、お互いに過ごした時間について語り、話を膨らませるための「語学力」を私ってば持ち合わせていないことを、つくづく思い知らされるのである。もどかしさで、ただ彼らを見つめ、もうこれは会話帳が無くても言える「元気でしたが」「私を覚えていますか」「バスでここに到着しました」などといった、ありきたりな語句をとりあえず、ゆっくり、並べるしかない。ただ自然に溢れ出てくるのは、笑顔である。

…なんてしているうちに、思い出したではないか。「Mさん」だ。

 少々、オッサンになったか。

って、彼より一つ年上である私も同じことなのだが。

肩が張り、えらく貫禄がついた。以前は、華奢とまではいかずとも、もうひとまわり分マイナスした体格だった気がする。図書館で本を読んでいる青年(…と呼ぶには瀬戸際の歳だろうが)のような雰囲気で、黙々とパン生地の成形をこなしていた。もちろん、ブラモを触るように「指先だけ」というわけはいかない、それは腕全体、いや体全体を使う結構な労働であるのだが、生地を見つめる目線は静かで、それとの対峙している彼の両肩には、母親が台所に立つような柔らかい雰囲気があったように思う。

ソレがいまは、荒波を前に立ちはだかる岸壁のような逞しさがビシバシ伝わる。髪型は角刈りになり、高校時代の空手のセンセイに似ている…。

場所は覚えていたし、貫録云々は後から思うことであって「Mさん」の姿も分かった。だが店に入る前、なんとなく看板を凝視せずにいられなかったのは、彼の姿が「かつて」の立ち位置に無かったからだ。

 窯出し口の正面に立っている彼はいま、「窯係」――パン生地を窯の内部に置き、焼き上がったら取り出す、という役割を担っている。生地を載せる為の、長い柄の大きな木製ヘラを手に立ちはだかっているその姿は、なぎなたを構えるまさに武道家のようにも映る。

窯係に「出世」したのか。以前はずっと年上の、おじさんがやっていたのだが。

そして、彼がかつて立っていた位置・窯の傍らに設えられた、畳一枚ほどの台の前で、ひたすら生地の成形をこなしている青年は、本当に会ったことがない。突然の不審者…もとい、訪問者に、「何だオマエ」の反応どころか「眼中に無し」とバリヤーを張っているようであったけれども、Mさんがペラペラと話し出したおかげで、次第に、腕を動かしながらもチラチラと目を合わせてきた。そして「何事?ダレ?」という答えを聞いた後、やっぱり手は止めないながらも「ブアイソ」に張っていた糸を緩め、更にやや経ってからようやく、少々の笑みを浮かべてくれた――ヨシ、と心は密かにグーを握る。

 平べったく伸ばされた生地が二枚、初見の彼の、その手元にある。

テカっているのはその表面に溶き卵が塗られたからだ。さらに、チャイ(トルコ紅茶)に添えられるようなミニスプーンを逆さ・つまりすくう部分の方をつまんで持ち、柄の先端部分を生地面に当て、シャッと斜め上に、線を引いて傷付ける。素早く、そして結構深く、だ。

第一線と平行なのを六本描くと、今度は少々角度を変えて同様に数本を引き、「格子模様」とした。

『スプーンで、しかも「柄」でなんて――えらくキレのいい柄なんだな。』

瞬間、かつても同じことを思ったことに気が付いた。その手の動きを見ていると、蕾が開くように、昔の時間とその頃のワタシの感覚が、スローモーションでよみがえってくる。

 

「バターパン」である。

バターを生地のなかに巻き込んだ生地。その香ばしさ、触感たるや――口の中に訴えてくる。ニヤケてくる。

あぁ、なんといいタイミングでやってきたことだろう…。

『ヤグレ・エクメッキ』

以前、その名称を教えてくれたのはMさんだった。

バターはトルコ語で「ヤール」であり、パンは「エクメッキ」。直訳すれば「バターパン」。「ヤグレ」は「ヤール」の何段活用か知らないが、語尾がどうにか変化した言い方だろうか。いや、「ヤール」とは言っているが彼らの巻き舌のせいで「ヤグレ」に聞こえるだけかもしれない――試しにいま、自分で何度かそう(巻き舌っぽく)言ってみるとますますそんな気がする。が、彼の地で何回聞いても「ヤグレ」としか聞こえなかった私の中に、それはもう「ヤグレ」でしかなく、正式名称さておいて、この話はコレ「ヤグレ・エキメッキ」ということで進ませていただく。

要はコレ、「パイ」なのである。パン生地の中に、固形状のバターを閉じ込め、たたみ込み、巻いて巻いてを繰り返すことで入り組んだ内層を作り上げ、顔面サイズの円盤形に伸ばして焼いたもの。

トルコにおける菓子パン的な位置にあり、メロンパンが一人一個食うモンであるように、おひとり様用個食的なパンとでもいおうか。軽食として、朝に食べられることが多い。

再会の感動から一呼吸経て、頭が少々冷えてきたろうか。黄金色の輝きを放つ、つやつやとした巨大金貨。なにより鼻腔に入り込み脳を酔わせる、バターの芳しい香りには申し分ない間違いない――んだけれども正直、その見た目に少々、あれ?と思わなくもない。

「こじんまり」して見える。記憶としては、もうひとまわりは大きかったような気が…。私の記憶は美化されていたのだろうか、と首をかしげるようだが、ともかく。

――食べたい…。

 

f:id:yomogikun:20200706074708j:plain

私の心は丸裸らしい。その叫びを見透かされているように、「食べなよ」と促してくれる。ハイ、勿論です。

 渡されたものを持ち上げてみると、小振りなわりにはズッシリとした感。まじかで見ると結構フックラとしており、もちろん発酵にもよるだろうが、油脂が生地に熱を通し、上手い具合に層ができたことで膨らんだのだろう。

「パイ」――と呼ぶには正直、地味だ。

ケーキ屋に並ぶミルフィーユ、アップルパイ、或いはクロワッサンの、一枚一枚薄く、かつ整然とした美しさがひと目で分かる層に比べれば、こちらはせいぜい、成形時にスプーンで入れた格子模様の切込みに、その(層の)存在が確認できるぐらいである。

だが、改めてそのおもてをジッと見ると、その表面向こう側に小さい気泡が、皮を蹴破りたいけど出来ない、とばかりに閉じ込められていて、それは春巻きや餃子を高温で揚げた時、皮に出来るプツプツとした空気包(火ぶくれ?)の跡にも似ている。そう、「揚げられた」感じ――…バター、ですなぁ。外に表現はしないが、体内にそのパワーを逃さずに包み隠しているのだ。それが「ズッシリ」の理由でもある。

ともあれ、アツアツを、早く口の中へ。

撥ねのよいサクサク皮を持って引き千切ると、中の部分が層状にベロンとしわく伸び、かつ湿っている。いかにも(バターが)染み渡っているなと、口に入れる。

甘い。この香ばしさ甘さは、いったい「味」なのか、それとも「香り」なのか。どっちなんだイヤどっちもか。どっちでもいいけどその快感に、目元口元がスローに横へ横へと広がってゆくのを止めようもない。間違いなく、わかりやすく、これは確かにウマイ。

「コレなんだよなぁ…」

そしてパンから手を放したくないから心の中で、手の平をグーするのだ。ここの一日のしょっぱなは、やはりこれを食ってこそなのである。

こんなに小さかっただろうか――なんて、食べた後に残るその満足感に因ったのだろう。

胃に溜まるその感覚のままに、外見も「大きいもの」として記憶に残ったのだ。おそらく前回の私も、食べる前はナメていたはずである。こんなのは一人でたべちゃうよなぁ、…と。

…どっこい、印象的、いや衝撃的だったといっていい。

それは旨いというだけではない。コレを作るのをジッと見ていていると、「美味しいもの」であるその罪を真正面にして、目が点になったものだ。

そう、やはり「バター」は罪である。いや、バターに罪は無い。ソレを魔物的美なる食に変身させる、ヒトの罪。貪りたいワタシの罪――。

 

詳細はこちら↓

docs.google.com

 

にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村