主に、旅の炭水化物

各地、食風景の点描

たこ焼き姉妹 ~ロンスエン・ベトナム 

「これ、食べてみて」

 無垢、とでも言い表せる柔らかい乳白色。ちょっと触ればフルフルと揺れ、その表面から中身があふれ出てしまいそうだ。

 親指と人差し指で作った「オーケー」よりもひとまわり大きいか。オセロ玉二つ分程度の円形で、横から見るとピンポン玉を三分の一ぶった切っような、浅いお椀型のシルエット。下(底)が球状の部分で、平らな面が上。だから皿の上では少々傾いている。

幾何学的でシンプルな外観は、窓辺に飾る置き物であってもべつにいいぐらい「静的な物体」にも見えるが、「表面張力で少々こんもりした上の部分に少々まぶされた生々しいネギが、間違いなく「食べ物」であることを訴えている。

 けれども、ほかに分かり易いものはない。脂の焦げる香りが立ち昇るわけでも、肉汁滴るサマもない。初めてこれを目にするならば、「美味しそう」などと口走るよりも「なにコレ?」という疑問であり、味がさっぱり予想できずに戸惑うだろう。「ワカラン…」。だからこそ、食ってみたくなる、手を出したくなるというもんではあるが。

 ――などと想像してはみるが、日本で暮らしてきた人ならば、おそらく「アレ」をすぐに連想するハズだ。

 出来上がって皿に盛られたものよりも、それを作っている――「焼いている」場面を目にすればピンとくる。いやそれ以前の、道具を見るだけでも十分だろう。

 表面に、小さな丸い窪みが幾つか並んでいる鉄板。それを見つけたらば、焼き上がったものの説明に「円形で…」などという表現もまずしないのではないか。

 まさに「たこ焼き」である。

 ただ、日本のたこ焼き店で見るようなに大きな鉄板ではなく、フライパンのように円いかたちで、生地を流し込む「窪み」も、家庭用ホットプレートに付属しているやつよりもまだ少ない、ほんの八つしかない。また焼き上がりは「球」ではなく、窪みに生地を流したまんまの「お椀」型。

 ともあれこれは日本の影響なのか。繋がっているのだろうか――などと、関西方面の人ならば特に、頬を緩ませ想像することだろう。

が、「たこ焼き」。まさにそれを調理する姿にしか見えないにかかわらず、それに通じるような香りはなにも漂ってこず、焼きあがったものとは赤ちゃんのほっぺを思わせる、あどけないミルク色。なにをもって焼いたらそうなるのか。

 ――って知っている。

 日本以外でソレ・「たこ焼き」の調理姿を見るのは、これが初めてではない。

 ココナッツミルクである。

 ここ・ベトナムだけでなく、タイやラオスカンボジアミャンマー…ではどうだったかちょっと記憶にないけれども、ともかく東南アジアでは結構頻繁に見かけるもの、という印象であり、私はタイの屋台で初めて食べていた。

だから、味は想像できるのであるが……。

 

 

 ベトナム南部の中心都市・ホーチミンよりさらに南へ、バスターミナルからミニバンで約四、五時間。「ロンスエン」――と、ガイドブックにあるのをそのまんまカタカナ読みしても首を傾げられ、現地の人の発音からは「ロンシン」と聞こえる。メコン川下流域・デルタ地帯のさなかに位置する町だ。

 トットトットットッ……と、船のエンジン音が響く。むき出した小さなエンジンを端っこにチョンとつけた、渡し船的な小さな木造船から、もう少しゴテゴテと組立った漁船っぽいの、そしてフェリーのような大型船までが、「海」のように悠々たるメコンに紛れるよう、遠くに近くに漂っている。

 旅で一番オモシロイはずの場所・「市場」は、そのメコンに沿って広がっていた。

 幌屋根の下では、野菜や果物が山を作り、パラソルが連なる処には、タライに入ったメコンの幸が所狭しと並べられる。やはり賑やかなのはこの魚エリアであり、跳ね飛ばされる水しぶきが太陽の光にキラキラと輝く中、そこかしかこで客と売り手が滑舌に値段交渉をしている。

 そんな中を喜々と練り歩いていると、突然彼らの縄張りに紛れ込んできた旅人に対し、えらく人懐こく、いい笑顔を向けてくれる人たちに出会った。

 

 コーヒーを飲んでいると、「食べてみてよ」と勧めてくれたのは、そのなかにいたベーさん・ヴォンさん姉妹。

 彼らが商売にしているのは「たこ焼き」。円いの一つ、小皿にのせてくれた味見用をスプーンですくい、いただいてみる。

 口に近づけるに連れて仄かに漂ってくる甘い香りは、あぁ、そうそう、「ココナッツミルク」だ――としかし確認する間もなく、噛んだような飲んだような、よくわからないままあまりにあっけなく、それは喉を通り過ぎてしまった。

 極限、といえるほどにトロトロだ。

 それが漏れ出てきたと思ったら、溶けてどこぞへと消えてしまうような感覚。豆腐よりも柔らかく、…「卵豆腐」。いやまだ柔らかい――寒天の分量を最小限にして作った、「杏仁豆腐」。または、……そうだ、「白身」だ。温泉卵、或いは半熟も半熟で焼いた目玉焼きの白身。あの絶妙なトロロん具合にも似ている。

 半分だけ齧ってみるつもりだったが、トロンが垂れ落ちてしまう前にと、吸い込むよう慌てて口に入れる。

あっというまに――とはいえ、シャワーを浴びた人とすれ違った時のように、残り香のようなものが留まっている。……悪くない。いや「悪くない」どころではない、美味しかった。…どころでもなく、「ものすごく」オイシかった、という気持ちが残像のようにある。

 甘い? 甘味はある。けれども、そこまであからさまではない。

正直、もはや驚くには値しない味だと思っていた。だが初めてソレを口にしたかのように、目ぇ見開いてびっくりしていることが意外だ。

……改めて、ちゃんと「一人前」を食べてみたい。

 

                        (訪問時2006年~)

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