主に、旅の炭水化物

各地、食風景の点描

まぼろしのピン・ムー ~タイ・チェンライ

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そりゃ「小指」だ。

まぁよく刺したなぁ、と、感心するような呆れてしまうような、ちっちゃい肉片。あんまりにムリヤリだろう。こんなのは串に通すよりも、中華鍋で全部を一気にザっと炒め、味付けした方が手っ取り早いだろうに。

あまりにも小さい。可愛らしい。が、食い物・特に肉に「かわいらしさ」など求めていない。必要なのは「食ったぁ」感ではないか。なぜこんなのをチマチマと………そうか。ちょっぴりの肉でも、串に刺せばカサがでる。

 …などと、イジワルっ気な諸々を心に零してみるものの、「すき間」を埋めるにはまぁ、うってつけかもしれない、とも思う。 

すき間――この手にある、買い込んだ惣菜の、である。

 

 タイの北部地方、チェンライ。

夕方になると、町中心部にデンと据わる常設市場沿いには、屋台が無尽蔵に並んだ巨大惣菜市場が出現する。簡易テーブルに、既に出来上がったオカズを種類ごとにトレイや鍋に並べている店もあれば、コンロをセットして、煮たり焼いたり揚げたりをそこでやり、アツアツを提供するところもある。胃を夕飯気分へと駆り立てる食前酒のように、美味しそうな香り、魅力的な彩りが、末広がりに乱舞する。

生きる為に、食べる為に、旨いものを手に入れる為に、ありとあらゆる人が今晩の狩りにやって来る。通り過ぎてはまた戻る。どれを手に入れるべきか――本能に戻った目の動きはそれ以外になく、歳や立場など関係ない。

愉快だ。テレビのドキュメンタリーと違い、現実の旅には背後にドラマチックな音楽など流れていないが、「聞こえる」ようだ。音楽には例えられない、空気の唸り。モノの、ひとの放つ匂いと気が、空気中にわわわわわんと揺れている。まさにパラダイスである。

こっちを選べぶきか、いやあっち…と、心かき乱されながら私が手に入れたのは、ガピ入りのタレが付いた茹で野菜。ガピとは、エビに塩をして醗酵させた、匂いも味もひと癖ある発酵調味料で、東南アジア全般によく使われている。この地に自分を馴染ませる為の通過儀礼的な調味料として(私は)捉えており、これを混ぜ込んだタレをつけだれのようにして、ナスやさやインゲン、その他青菜の茹でたものを食べる、という、タレ&野菜セットがよく売られている。ナスを多くしてもらった。こちらのピンポン玉のようなナスは、ただ茹でただけでも甘くて旨いの。

そしてもう一種類は、ねっとりオカズ。春雨やインゲン、赤い唐辛子が散りばめられているのが分かるが、そのねっとりのモトは何の野菜か芋なのか正体不明の、汁気のほぼ無いオカズ。きっと未知なる地元の魔法的調味料が練り込まれていおり、この地の主食・蒸したもち米が進むであろう感じのものだ。ここのオカズにはそういうネットリ、…って納豆のように糸を引いているわけじゃなく、味噌状をもう少し緩くした感じであるが、通常手でつまんで食べる主食のもち米を、それに擦り付けて食べる、というのに都合がいい。(もちろん汁気のあるオカズもあり、そういうときはスプーンと共に食べる)。

 そして勿論のもち米を手に入れ、以上――とするには、なにかを心が叫んでいる。

タンパク質が欲しい。

「ねっとり」の中には、もしかするとミンチになった肉が潰し込まれているのかもしれないが、食った感ある「肉」の姿が残ったものがいいなぁ――といって、よく目にする鶏片足の串焼きは、ちとデカすぎる。茹で野菜はウサギのようにあるし、ネットリの方も結構、すくった金魚の入った袋ぐらいの重さがあり、これだけももち米一人分はゆうに食えるだろう。

…でも何か。ちょっとしたものでいい――というのに、「ピン・ムー」に白羽の矢が刺さった。

「ピン・ムー」或いは「ムー・ピン」とも呼ばれるそれは、「豚の串焼き」。「ピン」は串に刺した炙り焼きを指し、「ムー」とはブタのことである。

スーパーで「切り落とし」として売っているような、小さな薄切り肉の刺さったミニミニ串。それをメインにはする気は起こらないものの、こういう穴埋め的にはもってこい、の気がした。三本ぐらいかったら、気が収まりそうだ。

 フックラした指に、ひっくり返す串が更に可愛らしい。テニススクール通いのヒトを思わせる、ヘアバンドでオデコを出し、両肩にタオルを引っかけたおばさんは、問いかけに顔を上げ、爽やかに笑った。訊いたことが即嬉しくなってくるような感じ良さだ。

「三本5バーツ。」(当時約十五円)

――ステキ。まさにそれ、「三本ください」。

 

 「ピン」即ち串焼きは、繰り返すけどここ・タイ北部の主食である蒸した「もち米」のお供としては、代表取締役みたいなもんで、ドラム缶半割したようなのに炭を入れ、炙り焼いている姿はよく見られるしよく売れる。串の種類は様々あるが、そのうち、鶏肉が最も目につくだろう。

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鶏肉はタイ語で「ガイ」であり、その串焼きは「ピン・ガイ」ということになるが、それよりも「ガイ・ヤーン」と、料理法くっつけて(「ヤーン」=「炙る」)呼ばれることが多く、一目置かれているのである。…かどうかは知らないけど、「串焼き」といえば即ソレを連想するもんであり、列車の中では、三十センチ定規ぐらいはある長い串に括り付けてこんがり焼いた鶏もも足一本を、通りでうちわを配る人のように何本も抱えて売り歩くおじさんおばさんの姿は定番だ。(ちなみに「その串、一本頂戴」とか声をかける時は、「ピン」と言っている。)もちろん、もち米つきで買える。まさにタイの駅弁の華である。

そういえばガイヤーンには、日本の焼き鳥のように、ひと口に切ったものを数珠にして刺したものといえば、レバー或いは鶏の頭、足先を繋げたものがあるが、肉といえばそのようにもも足、或いはもっと大きく、胸から足にかけてをどーんと括りつけた炙り串であることが殆どだ。あ、そうそう、まさに団子のように、卵を殻ごと串に刺したものもあるけれど。(これは「ピンカイ」と呼ぶ。カイ=「卵」。)

とはいえ、デカくなくていいけど肉が食いたい、という時だってある。まぁデカくて困ることはこちらの胃としては全然無いんだけど、デカいものはそれだけ値段も高いから、気が引けるのだ。チマチマが欲しい。レバーも足先もいいけど(ゼラチンが旨い)、肉が、という気持ちのとき――

 その欲求を引き受けるのが、「ピン・ムー」といえる。豚はなぜか大ぶりではなくチマチマしているもんのようで、串の長さもみたらしだんご的だ。

生姜焼きにしたらいいぐらいの厚さの肉を、消しゴム大に四角く切ったものが、たいてい三つくらい刺さっている。俗にいう「バラ肉」「三枚肉」部分が多く、ガイヤーン同様に魚醤油「ナンプラー」と砂糖を混ぜた甘辛いタレを、刷毛で塗りつけながら焼き上げる。顕著な脂の部分がギトギトと濃く焦げ光り、これも負けず劣らずに駅弁の定番だ。ちなみに豚の場合は、その内臓を串に焼いているのを私は見た覚えが無い。豚串といえば肉、というイメージ。

小さいからして安く、買い易い。どちらかと言うと、私もガイヤーンよりはこっちの方により馴染みがあるもの――なのだが、「ソレ」は何かが違っていた。

…って、一目瞭然、「色」だ。

黄色い、という印象。オレンジがかった明るい焼き色は、ターメリック混じったカレースパイスをそりゃ想起する。

そして、妙に小さい。えらく小さい。くどいけど小さい。まさに小指である。

一切れを三つ、というのではなく、やや長めの薄切り一切れ一枚のみを串に刺している。少し先端がすぼんだ、全体的に葉っぱのようなシルエットになっており、かつ、肉の下(持ち手側)にはリモコンの音声大小ボタン程度の、ミニ長方形の脂身が刺してある。どの串にも。

――「フツウの」とは一線を置いているのでは、という予想は、ただのひと目でつく。

 まさに炭の上で脂のジクジクうずいているヤツを取り上げてくれることの喜び、そしてテニスおばさんの愛想のよさの前には軽く流してしまったが、串を入れる為の、ハガキより一回り大きい厚手のビニールには、予めほんの少々のキュウリのスライスが入っていた。ほんの一握りの、おしんこ程度だ。その存在理由を探すならば、味に貢献するのではなく、それは哀れにも、ビニールに直にアツアツを伝えない為のクッションでしかないだろう。――なんて、愚かなことよ。いやこの時点の、ワタシの浅墓な考えが、だ。

その串を入れた後に、何らかのタレをも中に注ぐ。少々湯気を吹き、これも温かいようだが、ちょうどきゅうりが浸る程度である。焼き上がったピン・ムーにタレを注ぐ、というパターンがまた珍しいし、このタレ自体もまた――何者か。ドロドロした黄土色の中に、唐辛子色に染まった油がアメーバのように漂った、全体的には明るいオレンジだ。辛いのだろうか。未知なるものへの興味が沸く。

 ゴムでぐるぐるとタレが零れないよう、うまく縛ったのを、こちらも清々しくなってくるいい笑顔で貰う。ホカホカだ。ならばもはや、ほっつき歩いている場合ではない。

早く帰ろう。

 

 

手洗いして、急いでベッドの上に要らない地図を広げ(こぼすから)、「食卓」をセットする。つけたしのように手に入れたものの、熱気冷めやらぬピン・ムーからまず、ひと口でもタッチするべきであろう。本命(もち米&ネッチリ、茹で野菜)は後だ。

――と。「ん?」

ひとりなのに、いやひとりこそだろうが、心の中がそのまんま声になって出る。

「んんんんん…。うまぁい!」

吠えた。目が覚めた。予想外だったせいもあろうか。いや予想しない、出来ないだろう――この味。

二本目、脂身部分まで一気に口にすると、改めて目が点になるというか、いや天を泳ぐ。

ターメリック色ではある。が、スパイスとしての風味は色に免じて感じなくもないケド…、という程度でしかなく、甘く辛くの味はいつものピン・ムーに通じる。だが、それよりも、深く濁った捻りのコク。――タレだ。タレが効いている。

甘辛ではあるが、もっとなにか優しい――と、目を閉じて探してみる。

ナンプラー等の調味料が効いているからもちろんお菓子とは思わないが、でもそれに通じる優しさがある。「甘い」と「辛い」の支え合うバランスの、「甘い」のほうが勝って在り、かつ、この丸さは――ココナッツだ。それは分かる。そして、…何かに似ているんだなぁ…。甘く、コックリ。脂身が合わさると更に、ダブルパンチで陶酔の沼に陥りながら、カラになった串でビニールの中に沈むキュウリをいじる。

「…味噌?」

そうだ、風呂吹き大根につける、甘味噌のあの感じである。

「おぉ…」ちょっと光が見えた。嬉しくなって、貫いたきゅうりを気まぐれのように口に入れた。――と、「んん!」。

とてもとても、非常においしい。単なる彩り・特に無くてもいい存在と見做していたそのキュウリであり、全くもって懺悔ものだ。僅かに火の通った、シャックリした歯触りの快がたまらない。液状であるタレに「食った感」ある個体制を持たせるだけでなく、濃い海の中でキュウリ自体の甘味がそよぐその爽やかさには、打ち震えてしまう。

 全くもって漫画的な驚きようだが、一人っきりだからいいだろう。

 

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