主に、旅の炭水化物

各地、食風景の点描

山麓のイワシ盛り~トルコ・ドーバヤズット

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ベージュの地に、意味ありげな幾何学模様――おうちの絨毯はやはりいい、と、すっかり座り込んだその感触をズボン越しに受け止めながら、湯船に浸かる如くのホンワリ気分で、薄ピンク色の壁、雪で白光りする窓の方などを眺めている。

向かいに座る男の子が齧っているのは、レモン。

 見ているだけでぴょっと首がすくみ、体温が下がるようだが、リンゴでも食べているような平然とした口だ。もう片方の手を床について、なにやらサッカー部長――ここへと私を連れてきた男性の話にじっと耳を傾けている。歳は十二か三か、袖がちょっと長いらしいが紺青色ハイネックのセーターがよく似合い、幼くも鼻筋通った結構べっぴん君だが、目が合ったら、合ったまんま黙ったまんまの、いかにも大人しそうな子だ。

そんなボクの足下に、どっちも目のぐりぐりとした二人のちびっ子が転がり込んできた。やんちゃ娘たちは暫くそこでじゃれ合ったらまた、コラとあやす間もなく、猫のように奥の部屋へと駆けてゆく。

向こうでバウンドしている、黄色い声。しばらく姿が見えないなと思っていた、姉妹の笑い声だ。と、ジュウぅ……。音と同時に、弾くような香ばしさもまた鼻腔に届いた。今の、この口の中と繋がるような……。

「……追加?」

もしやと気付いてから暫く、シャツの襟首をキリッと立てたお姉さんが現れた。二百メートルを駆け抜けたような爽やかな笑顔とともに、その手あるのは、皿。近付いてきてひざを折り、「できたよう」と言わんばかりに、絨毯の上のフラフープ大のお盆・ど真ん中にある椀皿へ、その中身を傾けた。

 小イワシの唐揚げ。

芋けんぴ」みたいだ。一尾一尾、ピーンと頭から尾っぽの先まで張ったのが、薄茶色にこんがり積み重なり、モワワと吹く湯気さえ見えるという、まさに揚げたて。頭と内臓がどれも綺麗に取り除かれ、もしかしてこの処理も今、急いでやったのだろうか。

と、やがて妹の姿も続き、同じく「ハァー」やり切った、という満面の笑みである。チビちゃん二人もそのスカートの後を追ってきて、台所で何かお手伝いは出来たのだろうか。顔をホクホク火照らせ、とにかく全力ではしゃぎ回るそのパワーに、脱帽。

ここで「食卓」とは、遠足のように、腰を付けたその床と同じ位置にあるスタイル。お盆の上にはイワシ揚げのほか、ひと口大の人参やキュウリの載った、ピクルスと思われる皿が二枚。そしてイワシ用と思われるレモンの串切りがあり、ボクの齧っているのはこの残りだろう。あとは25センチはあろう、ずんぐりフランスパンが二本。いま、招待に与かっているのは二人……というと、「一人一本」?

「お茶を飲んで帰る」つもりだったにしては、結構な量の登場に戸惑ったものの、「さぁ」と促すサッカー部長に倣い、フランスパンを手に取った。それを千切り、ほの温かいイワシを挟んで食べてみると、――あぁ、よく知っている。唐揚げの、ご飯とよく合うあの感じだと、懐かさがやってきた。

一匹ごとにパン一切れではすぐに腹が膨れてしまう。調子こいて二匹を一度に挟むなどしていれば、そりゃ二人で食ってりゃ皿の底が見えるのはスグである。そのうち、お代わりを、また揚げてまでしてくれたのだ。しかも最初にあった量よりも、多い気がする。

『働き手がいないから、この家族はとても貧しくてね――』

……全くもって人のせいにするようだが、そもそもそう言っていたのは、ご馳走されている相方・サッカー部長だ。もう少し気ィきかせてというか、自身も遠慮しいしい食っても良かったのではないか。と、見るも特に(追加に)驚く顔もなく、また棒パンの残りをひと千切りし始めている。

……頂くべし、か。こちらも同じくパンをとり、イワシを一匹、そのフワフワに挟み込む。さすがにアツアツ度も、より鋭い。

改めて思うが、ウン、ご飯が合う。だがここではパンと食うもの。その違和感とは、即ち自分が非日常にある証拠であり、旅のし甲斐があったというものだ。だが、次のひと口はイワシの上からレモンをキュッと、なんてやってゆくうち、その組み合わせも自分の中にフィットしてくる。その変化を他人事のように観察するのがまた、面白いモンである。

「美味しいです」と、まるで新妻に見つめられているような気分で答えると、姉さんはパアッとその頬を緩め、笑みを漏らした。「美味しいって!」と、まとわり付くちびっ子に言いながら、もっと食べてと、皿に手を向けて促す。

切れ長、かつ二重の目。シュッとした眉に、スッと伸びる鼻筋、均整の取れた唇。整った顔立ちにはまさにそれ、オデコをツルッと出してオールバックにまとめた髪型がピッタリだ。まだ十八だというが、水色のシャツの大きな襟が、スーツとの組み合わせを想起させるせいか、髪型ひっくるめて「キャリアウーマン」のイメージがはまる。

「あの……一緒に食べませんか」

私よりもずっと若いのに、すっかり「見守る眼差し」だ。ジェスチャーを交えて言ってみると、緩めた口元そのままにキョトンとしている。サッカー部長が横から訳して伝えると、手を「否」の意味に振った。

目を更にパアッと大きくして、どうやら「もう食べたの。お腹いっぱい。」と言いたいらしい。……確かに昼飯はとっくに過ぎた時間だが、それは豆大福を隠した直後のリアクションに似て、不自然。妹も同じくだ。

姉より二つ下という妹は、垂れ気味の眉の下には目がパアッと花開き、ややフックラした頬には笑窪が深い。胸に大きなハート模様を描いているピンクのセーターそのまんま、直球に可愛いらしさ満開だ。だが姉ちゃん同様に目鼻の彫りがめっぽう深く、後ろの結び目まで届かない、緩く波うつ耳元の髪を垂らした横顔なんて見ると、その色っぽさにドキッとする。

 ともあれ、「食べてない」と思う。

そして冷蔵庫にいつも常備しているイワシ、ってこともない気がする。買い物帰りだったお母さんが、片手にぶら下げていた大きな袋の中身とは、まさにコレだったのではないのか。今日の夕飯にするつもりで……。

お母さんを見る。コートを脱ぎ、ピンクのカーデガンという楽な格好になっても貫録のシルエットはそのままだ。こちらに加わりチャイを飲むこともなく、帰ってからずっと部屋の隅、一畳程のマットの上にじっと座っている。頭のスカーフを巻き付けたまま、手には数珠を握り、時にうつ伏せたり立ったりを繰り返している。「お祈り」中であるのは、私にでも分かる。

「神と、話をしているんだ。」

サッカー部長曰く、「ラマダン」。つまりイスラム教徒が毎年約一か月間、その時が来ると実践するという「断食」(夜明け~日没)だが、今は時期が違うのではないのか。というと、「個人的なラマダン」があるもんらしく、何かの事情でお母さんはいまそれに相当しているのだという。でもって、四時半から食べてよい、とのこと。「神と話す」――すごい言葉だ。

ときに、傍らの桶になみなみ入った水に手を浸すなどしている姿を見ながら、…どうしよう。答えは出ないが「どうしよう」だけがゆらゆら、アメンボのように頭上を漂う。ラマダンの後にありつく、やっとの食事であったのではないのか。しかもお代わりまでして、……残りはあるのだろうか。

『働き手がいないから、とても貧しくて――』

……イカン。動揺してきたのを誤魔化すかのように、「どこで獲れたイワシですか?」なんて口に出している。

トラブゾンよ。ね、」

後ろを向き、キャリア姉さんが同意を求めたのは、台所を片付け終わったらしい、大きなお姉さん。その大きなお腹をかばうようゆっくりとひざを折りながら、「ん?うん。そうね」。笑顔がフワァッと、ファー(毛皮)のように柔らかい。頭をクルリと包んでひらりと垂れる、黒地に花柄のスカーフが、隠しているはずの髪の毛の美しさをいうようだ。サッカー部長また曰く、近所にお嫁に行ったここの長女であり、ちびっ子二人のママであると。…だろうなぁ、お祈り母さんの、というにはちびっ子過ぎる。現在七人目がお腹にいるらしく、…おぉ、フワフワ柔らかい以上に、ずっと逞しく強いのだろう。

 トラブゾン――黒海沿いの港町だ。あそこでは、イワシのソテーを食わせる店が軒を連ねていた。青い海、青い空…って今は彼の地も冬の空だろうが、同じ国、トルコという括りにあるとはいえ、なんだか足摺岬ぐらい遠い世界に思えてくる。

ここは、真っ白い空の下の、真っ白い海――雪の世界。白に囲まれた内陸の地だ。ここで「土地の料理」をいうならば、やはり山の幸・即ち家畜の肉或いは獣肉だろう。なのにイワシ。海に面していないここで、イワシ…。

山深い温泉旅館の食卓に上る海の幸とは、そこで採れないものを敢えて供することで「精一杯のもてなし」を表現するというように、「貴重品」――イワシってば貴重な海の幸、滅多に食べられない「ご馳走」なのではないか。…ってまぁ、今はトラックが走って物流行き交い、貴重度数も低いのかもしれんが、とはいえこの雪。海辺に比べれば、新鮮なものは入手しづらく安くもなく、食卓に上る頻度もそう高くないのではないか。なのにそれを、まぐれのようにやってきた、旅人と称する見知らぬ人(=ワタシ)に惜しげもなく。

ちびっ子二人はぐりッと、まるでサルを前にしたように、こちらが食べる逐一を見ている。イワシの羨望というよりも、興味は「外国人がウチで食っている。しかも骨を残すこともなく非常に器用に」ということであるのは、わかる。

わかるけれども、……胸がキュウッと締まるようだ。

人んちの食糧を減らしている――どうしよう。どうしようもない分からない。無力感とやるせなさが心の中で燻るんだけど、みんな、全くもってニコニコしているのである。……マイッタ。

出会いはまったく運命。気まぐれ的な成り行きの果てだ。

                            (訪問時2006年)

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