主に、旅の炭水化物

各地、食風景の点描

戸惑いのソムタム ~タイ・コラート

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「サラダ」といえば、添え物。

とはいえもちろん、エビやイカ、茹でたブタ肉や蒸し鶏などのタンパク質を混ぜ込んだ、主菜の位置に持って来れないこともない「おかずサラダ」「ボリュームサラダ」と紹介されるレシピも珍しくないことは知っているけど、たいていの場合私にとってスッと連想されるのは、レタスキャベツ、ブロッコリーにトマト、間が良ければルッコラやパセリが仲間入りする、ボール皿に入った野菜オンリーの盛り合わせであり、傍らにドレッシング容器が立っている、というもの。とりあえず「野菜を食った」ことにしたい気休め、或いは主役のコッテリ肉料理に添える、サッパリ口直し的な存在である。主菜の味の邪魔をしないし、コレステロールやカロリーの心配もない(ドレッシングが結構あるけど)から、あったら良い。けどまぁ、サッパリがあればいいのならトマト一個齧るだけでもいいのであり、無いなら無いでもいい存在。

 が、パパイヤサラダ――「ソムタム」は断じて、そんなことはない。

 

コラートの町は、「イサーン」と呼ばれるタイの東北地域にあり、そのうちでも南西部の、首都バンコク寄りに位置する。にある。バンコクから向かうとすれば、約260キロの距離であり、「イサーンへの玄関口」と称される町でもある。

「ご飯を一緒に食べよう」

メーは、と、屋台が通りを埋める「ナイトバザール」へと案内してくれた。

彼女と知り合ったのは、バス停の場所を尋ねたおばさんに因る。私の喋る不思議なタイ語に困り、この外国人どうにかしたってヨ、と、その知人だった彼女に振ったのが始まりである。「バス停」という簡単な単語でさえ通じない…と、劣等生ぶりに少々ガックリとする中、腰まで届く髪は絹糸の暖簾のようにサラサラで、スタイル抜群、色黒でキリっと締まった顔つきとっても美しく、かつ堪能な英語で優しく接する彼女とはまさに救いの女神に映った。訊いてもないのに歳四十とまでいきなり自己紹介し、こちらと二十近くも年が離れているとはとても思えなかった。四十でもこんなになれるんだ…と、つい頻繁にその横顔を見ながら、ともあれ、ナイトバザールを歩く。

切り売りされた、プリッと甘いジャックフルーツの入った袋を二人でつつきながら、目はズラッと並ぶ屋台の諸々を追い、歩いていた。豚肉がぶら下がり、大鍋から湯気が立ち昇り、中華鍋をかき回している、エプロンの姿、姿。

「何食べたい?」――と言われても、「どれも」であって選べず、やっぱり地元の人にオススメしてもらうのが一番なのだ。「なるべくこの土地『ならでは』なものがいいんだけど…」

もぞもぞと喋っていると、じゃあ、と選んだのが「パパイヤサラダ」。まずは英語でそう言い、次にタイ語で言った。「ソムタム」。

 

「ソムタム」はイサーンの郷土料理の代表格だ。もっと言えば、ここから東北へとさらに進んで国境を越えた、ラオスの郷土料理でもある。

隣接するラオスとイサーンに居住する主要民族は共通しており、現在でも言語などの点で同じ、或いは似通った部分が多く見受けられる。食文化においても、共通して「もち米」を主食とし、それとともに食べられるオカズも同じ類が幾つもある。そして「ソムタム」もその中の一つだ。(ラオスでは「タムマクフーン」と呼ばれる)

英訳されると、それは「パパイヤサラダ」となる。文字通り、未熟な緑色のパパイヤを主役としたサラダで、それをわんさかと細切れにし、調味料で潰し和えたもの。彩りの為か、濃いグリーンの映えるさやインゲン(生)もほんの少々加えることもある。調味料としては、唐辛子、ニンニク、砂糖、ライム、トマト、ナンプラー、干しエビ等々…。

イサーン地方とは概して、タイのなかで経済的に貧しく、開発も遅れたエリアとされており、「田舎者」と時に蔑視されることさえもあるという。だが食となると、そういう偏見差別は都合よく棚に上げてしまえる貪欲さというかしたたかさというか…、いや、人はわかりあえると可能性を感じさせてくれる、というべきか。イサーンの郷土料理は、イサーンの地以外・バンコクなどでもよく見られる人気オカズである。もともとは、都会に出稼ぎのためにやってきた東北出身者の郷愁を癒していたのが始まりというが、東北系にルーツをもたなくとも「ソムタム?大好きだよ」と、パッと顔を明るくさせるタイの人は少なくない。

「サラダ」とは訳す。たしかにその材料となる未熟パパイヤ自体甘くはないが、頭スッキリ爽やかシャクシャク心地よい。サッパリする。だが、「ソムタム」となってしまえば、主菜の邪魔をせずおとなしく寄り添っているような「脇役」ではない。はまらない。これは、れっきとした主菜になるべく、の存在だ。

だからといって、シーフードサラダとかしゃぶしゃぶサラダなどの、ボリューム系と同類かというと、それも違う。というのも、「これだけ」を食うには、どうもおさまりがつかない。

 要するに、味が濃い。「サラダ」とはたいていサッパリしているもんであり、添え物だけでなく単品でつつくことも普通にあるが(実際、サラダボール一つ抱えて「昼食」にする女子大生もいるだろう)、ソムタムの場合、この味を緩和するべき相手が必ず要る。欲される。人は一人では生きていけないように、ソムタムもまたそれだけで食われることはない。そのパートナーとは、「もち米」。イサーンの主食だ。

バンコクなどの中央部、南部の主食がうるち米であるのに対し、前述したイサーンとラオス、そしてチェンマイなどを含むタイ北部もまた、蒸した「もち米」を主食とする。とはいえ現在は、「もち米地域」にも、人の往来、嗜好や意識の変化(もち米=太る、とか)により、うるち米のご飯もよく食べられているけれども、主力はあくまでもち米である。

このもち米と食ってこそ、ソムタムの味が活きるのであり、もち米もまたソムタムによって、自身の甘味が生かされる。

ソムタムの味?――思いっきり、「オカズ味」。…というとなんやら形容にもなっていないけれども、ニンニク、干しエビ、そしてナンプラーと呼ばれる魚醬(魚を醗酵させた琥珀色の液体調味料)という、熟成物のうまみ成分だかがプンプンに効いた、母の野菜炒めとか魚の煮物と同様、ドシッと腰をとらえるしつこさがあり、食事をちゃんした気になる、味。葉っぱものを合わせて塩コショウに油をタラリ、とかいう精進サラダとはまるっきり世界を異にしており、イカの麹漬けにも劣らない、もち米へと走らせる促進力に満ちた味。

 だからこれを「サラダ」と真に受け、もう一品主菜を・肉オカズでも選ぼうか、…なんてことをしてしまうといけない。いや頼んだっていいんだけれども、もち米が二倍必要になる。

得てしてこの地方のオカズは、ソムタムに限らず、「もち米無しではいられない」ものばかりだ。ソムタムの最低限の量とは、一三、四センチの平皿にこんもり、という程度だが、それで皿に山盛り一杯分の餅米がゆうに進んでしまう。だがデブを恐れてもち米を増量させることなく、二品のオカズを無理やり一皿分で済まそうとすると、妙に塩辛さが口に残り、夜中に喉も渇く。

 

場面を戻して、ナイトバザールだ。

メーがピックアップしたのは、ソムタムと餅米。中華的点心のニラ饅頭を四個と、パッミー(焼きそば)一皿。席を取ったテーブルはソムタム屋の前だが、それぞれは別の屋台からやってきて、一堂に並んでいる。

さすがである。もち米のパートナーはソムタムのみ。ニラ饅頭とパッミーは、おかずというよりはスナックの類であり、この相思相愛に割り込むことなく、つまみとしてつつくような感じとなる。

カラの皿を二枚とスプーンとフォークを店の人からもらうと、「タイ人はね、みーんなソムタムが好きなのよ」と言いながら、メーは目の前のご馳走を、少しずつとりわけてくれた。ソムタム盛りを、スプーンとフォークで挟み持ちあげる。

「ん?」そういう図はなんだか「サラダ」のようだ。そして平皿に載ったもち米も四、五口分程度を、粘りつくのを難しそうに、スプーンのサイドで押し付けるようにして、それぞれに。取りやすいように、という配慮してくれているのは、うんうん、それはもちろん分かる。が――

 片手にスプーン、もう片方にフォーク。そのスタイルで、ソムタムともち米を食べる…。

メーは自分の皿にあるもち米、その小さな塊から、やはり難しそうにひと口大を離すと、軽くまとめるようにスプーンにのせ、更にソムタムの、切り干し大根のようにクテッとしたパパイヤを数本その上にのせて、それを口へと持っていった。

「……。」

ここでもち米とは「手」で食べられるもの、とは知っていた。食文化の本を読みつけることが趣味だったし、イサーンに入るのはその時初めてだったが、それまでに行っていたタイ北部もまた「もち米圏」であり、もともと餅が大好きな私は、日々ドップリもち米食いに徹し、腹も重量もひとまわり大きめに帰国したのだ。

もち米は、ひと口大を取ったその手のひらで、軽く丸める。まさにシャリで握りをするように。そしてそれをオカズに押し付け、拭い去るようにくっつけて一緒に摘まみ持ち、食べる。

というわけで、もち米圏におけるオカズというのは、それと一緒に摘みやすい、ウエットでも汁気少な目の、ディップのような形態であるものが割合多いのだが、もちろんスープ的なオカズもある。そういうときは当然ながら、逆の手にスプーンを持ち、それを啜ったり具をすくい上げて口に入れながら、片方に握ったもち米に食いつく。或いは椀の汁表面に、チョッと触れ、味を付けてから口にする。

 ――もち米をスプーンの上に載せ、食べる、というのはありえない図だ。

これは、うるち米の食べ方である。うるち米の場合はご飯を平皿にのせ、その上にオカズをかけて供されるし、供されなくても例えば数人分をまとめて盛られてあるならば、自分でそうするものだ。つまりカレーライスのように、飯オカズ諸共をスプーンですくって食べる。うるち米はパラパラとしているから、それが便利だ。この時にフォークもセットにされるのが普通。

昔は、というかもともとはこの場合・うるち米ご飯も手で食べられていたのであり、現に同じくうるち米を主食とする南インドでは、人々は手で食べている。汁気オカズの為にスプーンはもともとあったのだろうが、フォークというのは、タイの西洋文明の影響というか憧憬、と説明される。これはオカズなどを突き刺す為では決してなく、スプーンの上にオカズを寄せ、載せる為に使われる。それが「マナー」というものらしい。

 そういうわけで。

メーのその姿に、外国人を前にして礼儀正しき「マナー」をあらわそうと、敢えてそうやって食べている、というのが伝わってくるようで、なんというか…絶句してしまった。もち米、そしてソムタムとしても、「え…」と声を出せたら出すに違いない。

あの…、いつも通り、フツーに食べて貰っていいですが…とは、なんとなく言えなかった。

これは、日本的に言うならば、寿司をスプーンで食うようなものであり、「違う」と口から出てこないわけはないシルエットである――なんてことは、メーの方が百も千も承知であるはずだ。しかしそんなことはおくびにも出さず、アイスクリームを食べる時と変わらず、ただ「うん、おいしい」とそのことに満足を言い、笑顔である。

加えて当時、…だけでなく今だって当然そうなるんだけど、メーは二十近く年上だったから、「マナー」を踏襲してタイ人として恥ずかしくないように、という気概も、もしかしてあったのではないか。こちらもこちらで、大のオトナに「手で食べませんか」などと言えない。

ただ「おいしい」と言う以外は何事も感じてないように、メーに倣い、難しいながらももち米をスプーンにのせていたのである。スプーンの金っ気とは、ホントもち米には合わんなぁ、と思いながら。

顔には出さない。だがおそらくこの、はまらないのに無理にはめ込んだパズルのピース的に、強烈な違和感を実は奥底にて二人共に有していたと、確信がある。

                               (訪問時1999年)

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