主に、旅の炭水化物

各地、食風景の点描

熱工房 ~ サワンナケートのカオチー② 

 

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カッとんだ太陽の光を受けた、濃い木陰。

そんな、シンとした暗さに「工房」はあった。

埃のような、木材のような、いや、味噌のような――?倉庫の中のように、そこに在るさまざまなものがじっと息を潜めた匂いが、七、八坪ほどの空間を纏っていた。だが、言うならばそれは「動」のイメージに満ちている。置物のように肌をボロボロした老木でも、その体内では大地と太陽のエネルギーを吸収しながら「生」を繋ぐ壮大な営みが展開され続けているように、シンと静まり返ってはいても、こちらの目には見えないだけで「何か」はきっとこの空間を活発に動き回っていると想像ができる、「生きている」匂いだ。

蛍光灯は天井のスミにくっついているけれども、昼間だから点けないのだ…というか、このクソ暑苦しいのに点けたらもっと鬱陶しくなるだろう。ガラスなど貼らない通気口のような窓、そして天井――上にちょっと載せただけのような、スコールにぶち抜かれんじゃないか思わずにはいられない、軽そうなトタン屋根。そして、その壁との隙間から差し込んでくる太陽の光が、部屋の中を「今は昼です」と告げている。その明かりで十分、か。

 「窯」もまた、黙りこくってその隅にじっと佇んでいる。

コンクリートの肌は黒ずみ、その色とはもはや、その正面にはまっている鉄扉と変わらない。微妙にグラデーションを作る、自らの体臭のように奥深いところにまで染み込んだ暗黒色には、火だって何だってびくともしないような貫録があった。

隣接する、生活用の家屋と仕切っている壁は青いペンキで塗り直されてはいるが、ここを囲むコンクリート壁もまた、木肌かと見まごう程に焦げ色に染まっているから、この空間はいっそう暗く沈み込んでいるように感じる。だからこそ陽の光の煌めき、そして、赤い炎のゆらめきが、――生きる。心に訴える。

 

四角い――ような、窯。

高さは身長155センチの私の肩程で、幅は約三メートル。奥行きはテントの支柱ぐらいはあるだろうか。「四角い」というカッキリとした角ある線は真正面からの姿であり、ちょっと斜め横から見れば、コーナーは少々崩れ、その厚さ5センチ程のコンクリート層のすぐ奥に、石を積み重ねた壁が現れているのに気付く。なるほど、コンクリートは単なる覆いであって、「窯」と言えるのはその石壁の内側なのだ。そしてその天井には、人が粘土をペタペタと手で固めたような輪郭でウネっており、所々、含んでいる大きな石の姿を素直にボコッと浮き上がらせていた。

山を貫くツルッとした輪郭のトンネルよりも、大昔から手つかずの、いかにも石が落っこちてきそうな洞窟の方に「おぉ」と声を上げてしまうように、崩れているにも拘らず、いや崩れているからこそ、ワイルドな見た目がいかにも「重厚」だ。…というか、それは崩れているというよりも、「覆いなんて、そこまでカッキリしなくてもいいんじゃないの?」とテキトーなところで(塗り固めるのを)止めたんじゃないだろかと想像できなくもないんだけど、それがかえって「使い込まれてもう何百年」とでもいう、遺跡に似た空気を醸し出しており、この空間の「主」である威厳を放っているのだ。

炎が二つ、その股下のような「個室」にいる。

鉄扉はタンスの引き出しのように横長・長方形なのが四つ――上下二段・二列ではめ込まれており、そのタテ列の真下にそれぞれ開かれたトンネルの中で、揺らめいている。時々、蛍のような明るいオレンジ色の火の粉をプッと遠くまで飛ばしながら。

そう、電気でもなく、またガスを使うのでもない。窯を温めているのはそれ・木で熾した炎である。

窯を見やれば否応なく目に入る、傍らに寄せられている木材は、カットされて、そのまま柱として組めそうなものから、棚にするような厚みの板だったり、或いは生えていたのをただブった切っただけのような、荒れた素肌を晒したものなどが、これから小屋でも建てるのだろうかという程に積まれていた。長さはまちまちだが、殆どが窯の奥行きよりも長いから、そこからエッコラショと何本か抱え出し、トンネルへコラショっとくべられたなら、木は当然投入口からびゅっとはみ出てしまう。黄金にも見える赤い炎を抱えた窯は、まるで口にポッキーでもくわえているかのようにそれをムシャムシャと齧り、火はパチパチと空間を奏でながら、与えられた糧を赤く同化し、舞い続ける。

激しくはないが、安定したリズムで居座るその姿に、――静かなること山の如し。…って山じゃないけど、いまここを見据え、支配している最たるものの「魂」を思った。神聖――だけど、ちょっと怖くもある。その調べとは、窯というものに塞がれて一応は正気を保ってはいるが、いつ暴れ出してもいいんだけど、という脅迫さえ内包している。いったい実態とは、色なのか、熱なのか。揺れ動く美しさに見惚れながら、キミに急所はあるのか、今の心境はどんなもの?――などと考えているうち、魂の骨を抜かれたようにボーっとなった自分にふと、気づく。

床の上で直接燃えている。道路のようなコンクリート床だからまぁ大丈夫なのだろうが、炎周辺は熱いし灰と一体化しているから、屋内とはいえ「外」も同然、裸足にはなれない。散らばった木屑でスイバリも立つだろう(スイバリが立つ=広島において「トゲが刺さる」の意)。――けれども、一見「裸足?」と思うほどに、「彼ら」の足にあるゴムサンダルは心もとない。履きつぶされて薄っぺらなそんなのは、水たまりの中をジャボジャボと歩くようなもんであり、ゴミなんて足の裏に簡単に転がり込んでくる。まぁ、どんなに薄くとも、一枚足に当てているのは裸足よりはそりゃマシだろうが、少々尖った木くずだったならば、簡単に突き破られてしまいそうだ。

開け放してある出入り口は三つあり、そのうち二つは、白光りする屋外へと続いている。光がここに入ってくるように、熱も一応、篭らないようにはなっているのだろう。息苦しさは、それほどではない。――んだけれども、だからって涼しげな顔をしていられる程の余裕は当ったり前ながら全然なく、暑いったら熱いのだ。バッグの中で蒸れている、カメラの悲鳴が聞こえてくるようである。

まもなく、窯の背後から一筋の灰色の煙が、揺らめきながら昇ってゆく。それは音なき「産声」か。熾した炎によって、窯が瞼を開いてゆく、その合図のようにも映った。

――三人兄弟の、熱工房。

ホアさん、ワンさん、ヴァンさん。この時、長兄・ホアさんがそろそろ三十になろうかという頃で、ワンさんは二十三、そしてヴァンさんは二十になったばかりという、エネルギーの塊のような三兄弟だった。

 

 

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平型パン世界 ~ディヤルバクル①

 

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トルコ南東部に位置する町・ディヤルバクル。

郊外のバスターミナルに到着したのは、まだ真っ暗の夜明け前。明るくなってから町まで移動しようと、ターミナル内でジッと待っていたから、宿を見つけて荷を下ろすまでに結構時間は経っていた。というわけで、私はとにかく朝っぱらからハラを空かせて、外へと歩いたのである。

新しい町にやって来たら、まずやるべきお約束は――「フルン探し」にウロつきまわること。だがそれよりも今は、どこでもいいからとにかくロカンタ(=「食堂」)に入りたい。チーズやサラダ。スープでもいい。パンを片手に少々のオカズを添えた、それなりの朝食が摂りたかったから、宿から出た通り・スグに目に入ったドアを、トイレにでも切羽詰ったかのように開いた。複数の店の雰囲気を推し量っては、「あっちか、それともこっちか…」と迷いまくる、いつもの優柔不断からは考えられない「即決」である。

早朝と言っていい時間帯だからか、まだ閑散とした店内のテーブルのうちの一つに陣取り、「はちみつも欲しい」などと告げてから、たいして待つこともなくまずやってきたものを見て、あ、と思った。

パンが、――「平べったい」。

初めてのトルコだった。日本からイスタンブールに入ってから東へ・トルコの大半を占めるアナトリア大陸の中央部や、北部の黒海沿岸の町を経由した後、さて今度は「南東部」へ――と、いろんな方面をつまみ食いするように旅を進めていた。というわけで、ガイドブックではその括りにおける「最大の町」とある、ディヤルバクルにやってきたのである。

それまでの町でフルンに並んでいたパンとは、フランスパンのように棒型で、フックラと膨らんでいるものが殆どだった。とはいえ、平べったいパンもないことはなく、例えばラマザン(断食月)で食べるパンといえば、「ラマザン・ピデ」と呼ばれる円盤状の平型が伝統的であるし、また普段でも、肉やらチーズやらの「具」を、平たく伸ばした生地の上に載せて焼くという、イタリアのピッツァのようなパン(こちらも「ピデ」と呼ばれる)や薄い薄い生地が特徴の「ラフマジュン」と呼ばれるものを提供する食堂が見られる。だが、それらは「具もパンも一気に食べられて便利」という、どちらかというとファーストフード的な存在だし、ラマザン・ピデなど特別なシチュエーションのものである。「白いご飯」に匹敵する、どんなオカズにも添えられるシンプルな味の「いつものパン」とは、もっぱらフランスパン型=「ソムン」だった。

 南東部は、平べったいのが「普通」、なのだろうか。

異なる世界に移動した、という実感。その外観は新鮮で、一目見ただけで旨そうだと思えてくる。

ステンレスのトレイには、もとはある程度デカかったのだろう、手帳よりやや大きめにカットされたパンが数枚載っていた。

ロカンタは、たいてい近所のフルンからパンを仕入れる。

フルンは、近所の人も日々買いにやって来る「町のパン屋」である。中には、全粒粉を加えるなどで、数種類のパンを揃えるフルンもあるが、どこにおいても一番作られているのは、クラム(内層)の白い、味のシンプルなパンである。ロカンタに卸されているものも、万人ウケするその最もポピュラーなやつであるから、そのパンは地元の味といっていい。

それまでの経由地では、ロカンタというと「ソムン」(フランスパン)の、二センチ程度に輪切りされたものが積まれて出されるばかりだったのだが、――ここでは、こうなる。

一切れを手に取ると、焼き上がりから時間が経っていないのか、表面はパリッとしている。「平べったい」とはいえ、それなりにフックラと膨らんでおり、インド料理屋で食べる「ナン」よりも厚いだろう。表面には縫い込んだような格子模様があり、もこもことしたダウンジャケット生地、或いは子供用の座布団を思わなくもない。

スープに、たかがチーズ数切れとはちみつタラリ、トマトとキュウリがちょこっと付いて、…調子に乗って「オリーブも欲しい」などと言ったからよけいに、なのだろうが、「そんなにとられんの?」(お金を)。皿が運ばれて訊いた額は、いつも自分で市場から調達していた朝食と比べると、同じものでもかなり高い。…から、「食べ放題」であるパンをその分、腹に一割り増しぐらいは詰め込みたい。(ロカンタで出されるパンは、ほぼどこでも食べ放題である。)

 

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「餅」の楽しみ ~葱餅

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中国の、「餅」。

その中でも「定番」とされるものの一つが「葱餅」である。…って日本で「『ねぎもち』いかが?」と聴き慣れているからして(試食で)、私はついそう言ってしまうんだが、これは中国では「葱花餅(ツォホアピン)」或いは「葱油餅(ツォユウピン)」と呼ばれ、店の看板にもそのようにある。

作り方を、簡単に紹介しよう。

 

1、生地を作る。――小麦粉と水、塩で捏ねて、暫くねかせる。

2、ねかせた生地を分割して、薄く薄く、麺棒で円形にのばす。

3、成形する。――伸ばした生地の表面に油をハケで塗り、葱と塩をパラパラと一面にふりかけたら、端からくるくる巻いてゆく。

4、長い筒状となった生地を、蚊取り線香のように渦に巻き、その上から麺棒で、厚みを潰すように押さえてゴロゴロ転がし、薄く、円く伸ばす。(五ミリ~一センチ程度)

5、焼く。――油を敷いた鉄板等でこんがりと(ひっくりかえしながら両面)。

 

葱をクルクル巻き込み、潰して(のばして)ある円盤状のそれを上から見たならば、なるほど、葱が印象付ける渦の輪郭は、「花」と模しても、まぁそうですねと言えなくもない。だから、「葱花餅」か。

当然ながら、示した手順はだいたいの流れであって、作り手によって異なる部分もある。客で賑わっている店や、作っている場面が外から筒抜けに見える店があれば、スパイかと怪しまれないようテキトーに工夫しながら観察していると、分割する大きさ(「2」)とは、要は鉄板に載せる時の一個分なのだが、それがイコール菓子パン一個に相当する「こぶし大」だったり、「こぶし」どころか漬物石二個分ぐらいの塊だったりして、鉄板に載るギリギリの巨大円盤を焼き上げるという場合もある。(で、出来上がったものを、必要な量だけ切り売りする)。

或いは、「3」で葱類を巻き込んだら、「4」の「蚊取り線香」とするのをすっ飛ばし、即、端から一個分の大きさに、金太郎飴のように切ってゆく、という方法もある。

どういうやり方であれ、要は、生地は「層」を為している状態であることがダイジだ。つまり、生地と油(+葱)が、隣接すれど混じらない状態が、重なっているということ。

「3」で巻く時、伸ばされている生地が薄ければ薄いほど、筒状となったものをサイドから見た「渦」は、細かい。つまり層の数が多く、焼き上げれば薄い破片がハラハラとめくれるという、(洋菓子の)「パイ」の状態となる。小麦粉をただ水分で練り、なんの層をつくることもなくただ伸ばして焼いたものを口にしてみれば、食べ物というよりは「カタマリ」・まるで粘土を口にしている気分になるのだが、生地内に「油層」があることで、焼いたときにサクっとした食感が生み出されるのだ。熱で鼓舞されて活性化した油層が、隣接する生地層を揚げている状態にすると同時に、熱で生地から流れ出て、その部分に空洞を作るのである。

たいていの店では、「大きく焼き上げて切り売り」か、「金太郎飴方式(「4」は抜き)」であるようだ。

金太郎飴方式の場合、「大きく」生地を分割することがポイントである。それを大きく大きく薄く伸ばせば、それだけクルクルして出来る筒も太くなる。つまり渦もそれだけ多くなるから、「4」を端折ったって層数は十分カバーできるもん、ということなのだろう。量産するには、確かにその方が早いのかもしれない。

一方、家庭でこれを作るとなると、当然ながら、仕込む生地量とは、「店」と比べ物にならないほど少ない。そもそも、焼く為の鉄板だって、フライパンだったりするだろうから、分割量も「こぶし大」となるのは必然的だろう。だが、少量の生地であっても、「筒」に巻くだけでなく、その後に蚊取り線香(「4」)という「二重渦巻き」をすることで、「層」の複雑さを捻出している。…と思うのだが。

 

伸ばした生地は、それはもう「タップリ!の油」で焼くもんなのだという場面を、しばしば目にした。最初に鉄板に敷いてそれで終わり、ではなく、焼き色の様子を伺う時も、裏表ひっくり返す(巨大な円盤ならば、トングのような大きな棒で挟み持ちながら)時も、逐一、刷毛などでタポタポと惜しみなく、ペンキを塗るよう油を撫でつけていた。艶々の透明な液体をたっぷりと浴びた生地は、表面に濃い斑跡をつけ、テカテカと黄金色に輝いて焼き上がる。巻いて閉じた部分が剥がれかけなどしてヒダヒダに波打ち、「葱花」をよけいに思わせる様相だ。美しい…んだけれども、明らかにど凄い量の油であり、カロリー度外視だろう。が、そんな邪念はまさに邪魔で、んなこと言っていては旨いもんはできないのが世の習い。

焼き立て、というよりもほぼ「揚げ」たてのそれを頬張ってみると、――オヤ。油に浸しながら焼くようなものだから、ギトギト・べチャッと、いかにもな油っぽさを想像すれど、意外にもそんな感じは全くない。お見事なサクッと感。とはいえ、濁音響く洋菓子の「パイ」ほどに角はなく、生地を捏ねることで生まれたモチっとした粘りもまた、ある。「甘さ」を連想させる香ばしさに、「油」とは単に火を通す手段のみに留まらず、これもまた餅を構成する必要な要素であることをつくづくと思うのだ。

ちなみに、これも作り手によって様々な「(円盤の)生地の厚み」も、食感・味わいを作り出す要素である。

厚め(一センチそこそこ)の方が、私は好きだ。まぁ、薄いならばそれはそれで――押し潰されていても、ペラペラとみかんの薄皮のようにある「層」の健気さを讃え、分解しながら食べるのも面白いんだけど、厚い方が、よりそのありがたみを実感できる。厚いと中まで火を通すのに、嫌がらせかと思える程に時間がかかり、「まだぁ?」と呟かずにはいられなくなるが、客が催促しようが鉄板が熱かろうが「美味しく」作ってこそウチの味、と職人魂を持って焼いているところを見つけるべし。火の通りがいい加減だと、ヘンにネチネチと粘土感が残るだけで美味しくないんだから、それで正解なのだ。時間がかかる分、表面はしっかりと焼かれてパリッとなるし、無理に押し潰されていない「層」が膨張剤の役割を果たして全体をフックラとさせる。せっかくの「層」、その意味を如何なく発揮されたものを手にしたときの美味しさったらない。厚いとまた、層のせいだけではなく、生地そのものにも「気泡」があるのだな、ということにも気づく。ロールパンやスポンジケーキほど顕著ではないが、ほんのり息をついたような呟きは、生地に酵母などを加えて醗酵させているためなのか。それとも重曹を使うのだろうか――と、合間に想像しながら、もう一口。

小麦粉生地の内外で「油」が踊り、その輪郭を、しっかり甘味へと転化された「葱」と「塩」が縁取る。どれもシンプルな存在ながら、同じ舞台に立ち、お互いの立役者を演じている。「葱餅」――言葉面としては全く惹かれるものがなかったが、旨いヤツじゃないか。

とはいえ、時間が経てば、トンカツがそうなるように油が全身に回って、ベトベトとした印象が表に出てくるから、やっぱり出来たてを食らうのが理想、いや、原則。本当は座って何処かで食べたいが、椅子を探している間に終わってしまう。

 

詳細・モトはこちら↓

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サワンナケートのカオチー  ~具入り点描

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 寿司職人にも劣らないだろう、次にやることが分かっているからこその、休みない手。

「何をどのように入れてくれるのか」の観察に目を凝らすこちらの前で、サラッとした表情を変えることもなく流れを止めないのは、想像としては七、八つぐらい年上だろうか、のお姉さんである。

腰丈の台の上に設えられた、透明ケースの棚にある幾つかの容器の中から、ヒョイヒョイと各種の「具」が、ジャンプするようにカオチーの「口」へと収まってゆく。

 

サワンナケートは、「ラオス中部」と分類される地域でも南端に位置する、メコン川沿いの町である。水の確保が容易で気候条件も良く、肥沃な土地で、ラオスの中でも農作物の生産が高い。タイとの国境地点でもあるから、ベトナムへと繫がる道の要所として栄える「交易の町」とも紹介されるが、私がそこを初めて訪れた時のきっかけとは、まさにタイからベトナムへ向かう通過点・つまり途中下車的に、だった。

到着し、町を把握しようと宿を出て、ブラブラ歩き始めてから十分もかからなかったろう。

路の脇に、屋台が出ているのに気付いた。棚と調理台がセットになった、商売道具一式の前には女性が立っており、その足元には、籠がある。――と、洗濯物入れのような大きなその中に、ポツポツと頭を覘かせている茶色いものに、近眼といえども反応した。そういえばモワモワと「香り」が鼻腔をついている。

「カオチー」、か。

ソレと確信する前から顔が緩み、のんびりとしていた足どりにも急にエネルギーが注入されたようだ。さすが「根付いている」というべきか。到着早々、簡単に見つかるなんて。

「あ、ものほしそうだな。買うのだろうな」というだけでなく、綿パンに、たすきがけショルダーバッグ、そして見慣れない顔―とくれば、「外国人」であることは一目瞭然・近付いてきた時点で、向こうも分かっただろう。

が、「いる?」と向けたその、ポニーテールを揺らしたお姉さんの笑顔は、外国人への少々不審交じりのハニカミでもなく、もちろん(日本の)デパートにあるような、ピシッと教育されたかたちでもない。「この野菜安いよ」と市場のおばさんが、通りがかりの買い物客に話しかける時のように、サラッと軽いものだった。とはいえ、とっさにラオス語をどう使うべしかとモゴモゴとしていたものだから、買おうかどうしようかと悩んでいるように見えたのだろうか・「優柔不断にねぇ」と呆れている感じでもある。

キレイな人だ。

成人女性はほぼ、くるぶしまでかかるロングの巻きスカート姿が見受けられるという中で、ジーンズパンツという出で立ちはハイカラにも映り、かつそのスッとしたスタイルの良さでバッチリときまっている。顔立ちがこれまたスタイル負けしておらず、キレがいい美しさ、とでも言おうか。

冷静沈着、…かどうかは知らないんだけれども、何ものにも動じない雰囲気を漂わせているのがまた、カッコイイ。

「一つ、ください。」

 

 

ラオスでは、フランスパンによく似た棒型パンが、あちこちで見られる。

19世紀、植民地獲得の潮流に乗るフランスは、東南アジアに進出し、ベトナムカンボジア保護国として獲得、一八九九年には「仏領インドシナ連邦」を成立させ、ラオスもこれに組み入れた。その影響で、かの地のパンを食する習慣もまた広まった。

それは、ラオスの言葉で「カオチー」と呼ばれる。

サワンナケート第一号のカオチーは、「具入り」――太さは野球バット、長さは二十センチ弱のパンの側面に、ザクザクとナイフで切こんでメリメリと開き、そこに数種の「具」をいっぱいに詰め込んだもの、だった。

スゴイ…。

そう呟くしかない、口をガッと開けて中身を抱えるそのボリューム。そして「味」。それはかつての宗主国・フランスだってかなわない、ぐらい言ったって許されるものだろう。…って、フランスに行った経験はないんだけれども、どこにヨメに行ったって恥ずかしくないその出来映えである。

いったいその中身とは何ぞや、というと――

「パテ」。もやしと大根、人参の「酢のもの」(要は「なます」であり、まさにその味)。「ハム」。刻んだ「香菜」。「ネギ」。「チリ(唐辛子)ペースト」。「ソース」。

これらを順に、切り開いたパンにギュッギュッと詰め込んでいけば出来上がりで、……こう書くと「なんだ、『軽食』じゃん」と思えてしまうぐらい迫力は無いから、じゃあ一つ一つに言及していこうか。

 

「おそらく」などと但し書きしているのは、(具の)調理過程を実際に見る機会がなかった為だが、そこは舐めるように味わってみて、想像できるところ、である。

「パテ」は、豚の脂身や内臓をペーストにしたもの。「おそらく」タマネギやニンニク等の香味野菜も少々加え、グニグニと交ぜて丸いアルミ容器に詰めて、火を通してある。上部にはしっかりと焦げ目がついているから、おそらくカオチーを焼く窯で焼いたのだろう。型(容器)から外して皿に取り出すと、大きさも形もまるで一台のケーキのように出来上がる。…んだけど、黒い。焦げ目部分に限らず、「食べ物」に見えなくもそりゃないけど、ホントに食べるの?と、少々躊躇を覚えてしまうほどだ。――が、ナルホド、こういう色となるのに納得の、「甘辛」味。砂糖、そしてここ一帯で一般的な調味料の「ナンバー」(魚醤)、或いは醤油(中国醤油)といった類で濃く味付けされている。そしてまた、練りこまれた脂身の甘みが効いていて、全体的にコッテリ、ご飯がいくらだって進んでもいいような感じである。

これを、大きさは切符ぐらい、厚さ五ミリ強にスライスして、切り開いたパンの端から端まで行き渡るよう並べてある。四切れ、いや、五切れはあったか。「何口目」かでようやく到達する、日本のサンドイッチやアンパン事情など、足元にも及ばない。

「なます」は、そこまで酸味は強くないものの、サッパリ、すっきりとした味付けのものが、日本の定食屋で付く「小鉢」など余裕で越える量、パテの上に広げられる。

ここまでで既に、結構な「かさ」がある。

その上にやはり「端から端まで」載せる、短冊にスライスした「ハム」は、厚さもパテ同様。「五ミリ」という字面は大したことないように思えるが、ちょっとモノサシを取り出してもらいたい。レストランの「サラダ」に添えられている、ピラピラハムの次元じゃない。

この「ハム」は、日本のスーパーでよく見かけるもののように、肉をロープで縛ってから塩水に漬けて…という処理を経たものではなく、肉をミンチにしてからこねくり回してまとめ、蒸し固められたものである。大きさは、だいたい「お歳暮」等の贈答用ハムの塊ぐらい。あまりに整った筒状に、肉としての面影はなく、また断面の模様も均一で、たとえるならば「巨大な魚肉ソーセージ」で、正直、見た目は安っぽい。だが、たいした期待をかけずに食べてみたところ――コレが旨いったらウマイ。旨すぎて、もうその味を思い出せないほどだ。ラオスだけでなく、ベトナムカンボジア、そしてタイでも、市場などではコレ、塊が一個単位で売られており、…一人旅の私にとってはデカ過ぎて、欲しいと思えど「躊躇」が先にたつ、もどかしくさせられるものの一つである。中でも大絶賛すべきは、カンボジアのソレであり…って、ここでその詳細はヤメにしよう。

で、旨いハムを載せたその次には、「香菜」の刻んだものをパラパラと。

「それだけでいいのか」という、まるで隠し味的な量であっても、その風味はおとなしく引っ込んでいることはなく、パテやハムの甘みとドッキングし、第三の味を作り上げてしまう威力を十分有しているのだが、決まり文句・「その独特な匂いを苦手とする日本人は多い」。

そして今度は「そんなことでいいのか」と、香菜とは逆に、ミジンにも何もされていない「葱」(「アサツキ」のような、細葱)を、そのピンとした、あるがままの姿で二本か三本、挟み込む。

ここでポイントとなるのが、根っこ(…というか、ラッキョウのような球根の部分)付きであること。これまた独断だが、「肝」がつかないカワハギを出されてもあんまり嬉しくないように、これがあると無いとでは、味に雲泥の差があるのだ。もし、私が野菜嫌いだった幼少期にこれを口にしてしまっていたなら、おそらく「生涯の敵」となっていたであろう・強い辛さをむき出しにした、野菜臭さの心臓部ともいうべき「球根」は、コッテリ「脂身的な」濃い味のパテと、「肉ッ!」というボリュームのハムと引っ付くことで、決してそのものを単調にしない力を持っている。香菜の強い風味もさることながら、この葱もまた、癖になるアクセントを作り出しているのだ。「香菜は切っても葱は切らない」―これが、カオチーのセオリー…かどうかは知らないけどそうなっていることが多いのは、「あまねく人に、『根っこ』もちゃんと分配されるように」という配慮ではないかと勝手に思っている。

 次。

唐辛子をチョップした「チリペースト」を、瓶から小さなスプーンにとり、挟み込んだハム等に撫でて付着させる。これはたいてい「要るか・要らないか」を訊かれ、私はもちろん頷く。料金込みでもらえるモンならなんでももらう、がモットー…っていうか、辛いのが好きなだけだが。具を挟み込む一番に、これを(パンの)断面に染ませる場合もあるが、パンよりもやはり「脂身的なもの」に引っ付けてもらった方が、しゃんと味が締まるようでイイと思う。

さらに、茶筒程度のプラ容器に入った「ソース」を、スプーン一すくいか二すくい、垂らす。使い回しのプラ容器であるから、数種の調味料を独自でブレンドしたもののようには見えるけれども、「既製品」をただその中に移し替えただけかもしれない。こちらで「ソース」というと、それは醤油ベースに甘味諸々を加えて濃くしたような調味料があるから、アレだろうか。

ともあれ、以上、最後に小さなプリント紙をクルッと巻き、輪ゴムをパツッと掛けたら出来上がり。

これが英訳されると、「サンドイッチ」。――ズシっと重みを増した完成品を手にすれば、…納得いかない。確かに具を挟み込む・その行為からして、呼ぶとすればそうなってしまうのだが、しかしその名前の響きとは、この重みからするとあまりに軽やかである。ハムとチーズをササッと挟んでスマートに終える、「軽食」とはちょっと「格」が違うのだ。

そのタップリの具のせいで、半開きに天を仰ぐ口。見ているだけで、こちらの顎が外れてくる。こりゃあ、食べ難いだろう――なんてことは、嬉しい悲鳴なんだけど。

齧るそのたびに感じ入る「味のハーモニー」なるものは、何日も煮込んで深みの増した「おでん」のように、滋味なる余韻をあとに残す。手に抱えていた重みは、そのままそっくり胃の中にズッシリと移動し、その存在感は「ファーストフード」などという曖昧な名詞にもはまらない。

これはれっきとした「お食事」以外のなにものではなく、歩きつつとか、片手で食みつつトランプに興じるなどとかいう「ながら食い」なんて勿体無い。カニを目の前に控えるよう、イスに座って黙って食え、といいたくなる。

 

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お土産をどうぞ ~タイ・コンケン 

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どこもかしこもがベトつく肌。滴る汗がまたいやらしく額を頬を這いずり、イライラを逆なでする。喉の奥底から、ヌメッた息が上がってきて、もうどうしようもなくなる。

そんな中で目の前にある、ケーキ――を包んでいるビニールの濁りを見ただけで、指がヌメってきそうだ。…ウエットティッシュが要る。七星テントウのようにレーズンが表面に見える、握りこぶし大のプリン型。バター、いやおそらくマーガリンだろうが、油脂が多めに入った「パウンドケーキ」の類である。

             

 世界の全てが降り注ぐようなカンカン天気の下にある、タイ。

舌を出して息を粗くする、犬と自分との違いなど一体どこにあるのか分からなくなってくる、「なす術ない」と言うしかない中で、欲されるのはジュースでありアイスコーヒーであり、そうそう、サトウキビジュースもいい。脳天を突き抜ける炭酸ももちろんいい。カランと氷を鳴らしながら、キンキンに冷えたもので喉を潤すあの清涼感を、もうろうとしながら焦がれるその前に、糖分の摂り過ぎが引き起こす生活習慣病云々の説教などなんの歯もたたない。

水一リットル一気飲み、或いは氷の塊をどーんと口の中に突っ込んだってもまぁ構わないんだけど、甘い飲み物って、妙に「癒える」から不思議である。単なる水では、飲んでも飲んでも、栓をし忘れた風呂のように満たされた気にならないのだが、練乳が悲鳴が出るぐらい入ったアイスコーヒーなんて、クドいどころか、飴を貰ってピタッと泣き止む子供のように、みるみる渇きが引いてスッキリとするのだ。

…って、血糖値の急上昇で一時的に頭がハッキリするだけなのかもしれないが。

ジュースはオレンジを絞った生ジュースやらなんやら、瓶、缶入りの既製品にとどまらず豊富にある。アンミツのようなデザートもまた、ヨシ。シロップで甘くしたココナッツミルクの中に、寒天や、タピオカ等の「具」を入れ、仕上げに砕いた氷を盛って食べるものだ。

あぁ…と快感を得られる手っ取り早いのは、「冷たいもの」。時にその冷たさが胃腸を直撃し、腹を抑える事態となることもあるが(疲れた時に一気飲み、とかするのがイケナイ)、暑さにからきし弱い自分としては、そういう甘い飲み物の快楽にすがりもしないとやってられない。冷静で居られない。じゃあ暑い国なんて旅すんな、と言われても、それはまたヒトのヒトたるゆえであり、そう世の中を理性的に生きることは難しいもんである。

が、どっこい「温かい」甘いものも捨て難いのだ。

やはり日中ど真ん中、というよりも、早朝や夕方以降など、まだ気温が落ち着いている時間に食べたいし売っているモンであるのが、砂糖入りの甘い豆乳に、寒天や豆などの「具」を入ったお椀。同様これもお椀で食べる、トロントロンの豆腐に、生姜シロップを張ったもの。特にこの生姜豆腐は私の大好物で、レンゲですくって舌の上にトローンと載せてやると、――「力ぬいたら?」と肩をポンポンとされているような、未来について慮っている自分に気付かされるのである。

 要するに、ここでは喉の通りがいい「液体系」がいい。

が、「ケーキ」はいかがなものか。

卵の色…というよりは、マーガリンかバターの塊を連想する、黄色がかったその色。

ロシアなど寒い場所ならば、モサモサの感触が温かいお茶の味わいを一層増してくれるし、体を温める燃料だとも思うことにして喜んで手を出すけれども、トコロ変わればその嗜好もカメレオンのように変化する。それは口内の水分を吸い取り、暑さにうだっているのをさらに鬱陶しくさせるものに映る。喉にも膜が張り、体中がベトつくような重ったるさがある。

正直、食指が動かない。ここでならば、「オレ、甘いものって苦手なんだよね」と抜かす気取り屋と話が合うであろう。冷静に、敬遠もしよう。

――食べたことがない、というわけではない。

友人(タイ人)宅にお呼ばれの際、子供の誕生日だからと「ケーキ」を振舞われたことがある。白をベースに、緑や黄色のクリームで文字や花々を描きつけられた、派手な丸いデコレンショーケーキは、子供だけでなく、子供質が眠っている大人の気分をも沸き立たせるものではあろうが、食べてみれば、うーん…。スポンジは、パサパサと乾燥した食感がまず気になる。クリームを舐めれば、「クリーム」という状態ではあるが、それは見てくれの為の「道具」であり、「甘いような気がする」ヌメりのある物体。…まぁ、市場でガラスケースに並んでいる大半が「冷蔵」ではないから、生クリームでなかろう想像はついていたけれども、おそらくマーガリンかショートニングかの加工油脂で作られたクリームだろう。

「誕生日にはケーキを食べる」という、どこぞの習慣をもってきましたと言う以上に無く、まぁそれはそれ、と儀式のように平らげたならば、さあ待ってましたと本気にダイビングすべきは、彼らが振舞う料理の方である。正直、舌の肥えたタイ人としては、ホントにそのケーキで満足なのかと、正直疑問を抱いたものだ。

 そこそこに大きい町にならば、ケーキやクッキー、菓子パン等、欧米志向な菓子を揃える(日本でいえば「洋菓子」)店は、一つや二つはあるもんのようだし、市場においてもあれこれと並んでいるのを目にすることが出来る。が、なんというか、ワーイと嗜好品を味わう喜びに浸るというよりも、「ん?」とソレを二度見しながら食べる、ということが多くないか。

たとえば、「一口ケーキ」。マドレーヌよりもちょっと小さめのものを、いい香りを放ちながら売っている店を、市場の一角でよく見かけるものだ。

タコ焼き用鉄板のように、幾つかの窪みがついた(貝っぽかったり、花形だったり)天板に、生地を(その窪みに)流し込み、オーブンで焼き上げたもので、小さいから焼き上がりも早く、売り場には山に積んであったりする。縁日にあるベビーカステラの屋台を思わせる、その匂いにつられて近づけば、焼き立てホヤホヤをたいてい手に出来るだろう。五個、小さな袋に詰めて五バーツ(十五円)等と、安い。

心浮き立つままにゲットし、即口に入れてみれば、しかし――「…ん?」。焼き立てだからパサパサではない。ないんだけれども、噛み潰したら跳ね返ってくるゴワゴワとした弾力が、「ケーキ」というにはちょっと気になる。そこそこに甘い、素朴な味…で終わるには、咀嚼しているうちに、菓子とは違う、なにか「余分なもの」――匂いなのか、味なのか、が気になってくるのだ。

添加物、…膨張剤・「重曹」のせいなのかとも考えたが、想像するに、生地のくっつき防止の為、焼く前に必ず天板に塗りつける油の質と、天板の金っ気ではないか。おそらく生地にはバニラオイル等の香料が入っていないから、生地に移った天板臭さがストレートに分かるのではないか。香料とはもしかすると、こういう野暮な匂いを消すことが第一目的であったのかと、新たな発見に学んだが、ともあれお菓子とは、バニラやシナモンという、いかにもな「イイ匂い」で誘ってくるもんだと思っている私としては、それはあまりに純朴。素直すぎて、もういいや、となってしまう。

が、その逆に、鼻にウルサイほどに「いい匂い」過ぎる、「クッキー」。

ベットリとしがみついてくる、いかにも人工的な香りが――そう、こちらでちょくちょく見かける、ケバケバしく化粧を塗りたくった女性から放たれる香水のように、ビンビンに効いていたり。…暑さにだけでもゲンナリ酔いそうなのに、と、いくら大食漢・珍しモノ好きな私でも、一度に二枚で十分だったりするのである。

 とはいえ、食べもしないで敬遠するのはよくない。「意外と…!」と目を剥く反応を期待して、経験を積むべしと口にしてみた四角い「バター(とは思われないから、マーガリン)ケーキ」は、アラしっとり。…というよりも、上から溶かしバター(マーガリン)をジュッとかけたんじゃないかというほどに、モロに油っぽく、かつクソ甘かった。バチバチと焼いた秋のサンマのように、これも上からレモンをキュッとしてから食べたいなどと、ケーキに対して発想したのは初めてである。

素朴か、或いは、強すぎるか。

…極端なんだよなぁ。ちょうど良い、ということが滅多にない。まぁ、この印象も私の個人的なモンだと言われればそうなんだけど、ケーキやクッキーといった「あちらの菓子」(洋菓子)とは、タイに昔からある、この地域ならではの「甘いモン」とはとても比較にならない。それらは、女性が雑貨屋で物色する、窓辺に置くガラス細工のようなものに過ぎないのだ。いくら欧米志向が世の傾向とはいえ、タイで「ケーキ」なんてあまりに無理矢理、余計なお世話である。それらを口にするよりも、涼しげなココナッツあんみつ一杯平らげた方がなんぼもいい。気候風土を無視して、グローバルになぞならんでいい――という結論に自分としては安定着地していたところで、この「お土産ケーキ」が、カフェー姉さんによって手渡されたのである。

 

「コンケン」は、「イサーン」と呼ばれるタイ東北部の、真ん中あたりに位置している。イサーンでも人口百七十万を超える大きな県ではあるが、その中心部でも、真新しいビルが聳えていかにも都会、というツンツンした空気もなく、のほほんとしつつも賑わっているという、気楽な雰囲気がいい。タイを訪れてもう何度になるのか忘れたけれども、ここに立ち寄ることなく帰国することは、稀だ。

大きな市場が町の中心部を埋め、横断歩道、道路沿いにもまた、果物やジュース、ドーナツや餅菓子、煎餅等の間食、惣菜を並べた露店のパラソルが重なっている。匂いに釣られ、目新しさに引っ張られ、あっちにこっちによろめいていれば、特に名のある寺だとかを目指さなくとも、一日があっという間に過ぎてしまう。

加えて、この町は飯屋が旨い。それも運命の出会いとまでに思える、私の舌と相性ばっちりな店が数軒あるから、それを一通りこなさねば来た気がせず、スケジュールは行くべき場所でポンポンと埋まってしまうのだ。滞在三日や四日では、新たな店を発見しようなどと費やす暇がない。

市場の中に納まる、とあるコーヒー屋もまた、定位置の一つである。

一人歩きが憚られるような暗さにある早朝――でも、市場は別世界だ。あかあかと、電球を宝石のように灯らせた中で、人がわらわら、目を覚ましたのは遥か昔のような顔で動いている。そのうち、活きのいい湯気を、天に躍らせている場所だ。

コップやコンデンスミルク缶を積み重ねた調理台、湯を沸かす鍋や氷ケース、そして客用のテーブル・椅子。六畳そこそこあるだろうかというコンパクトなスペースだが、ここに、朝っぱらからコーヒーを求める人の、多いこと多いこと。

六時前には既に繁盛の波にのり切っており、貫録ある体格の女主人が、吹き上がる湯気の中で額に汗を滲ませ、コップを並べたり、ビニールをまさぐったり、コーヒーを濾す袋(=ネル)をポットから持ち上げなどしている。

近付き、「おはよう」と声を掛けたら、真っ白にくもった眼鏡をちょっとずり上げて、「おはよう」。朝起きてからまだ浅い、ボケた自分に比べれば、ニッとしたその笑みにあるのは「余裕」だ。とっくに「気」は、立ち上がっているのである。

コンケンの時間とは、日々、ここから始まる。ショートヘアだからまぁそうなのだろうが、くしをシャッシャッと軽く入れただけで眼鏡をかけ、なんとなく美術部員の中学生(偏見)のようなしゃれっ気のなさが私と同類だが、その動きはとにかくテキパキと素早い。頼もしい体格でもあるし、歳はほんの四つか五つ違うだけのハズなのに、とってもしっかりした年配者に見える。

コーヒーはこちらで「カフェー」と、「フ」にアクセントを強くおき、語尾を伸ばし気味に言う。ネスカフェ(インスタント)もあるけれど、豆を轢いたものの方がウマイ。…というのはアタリマエでしょ、とコーヒー好きなら口をそろえるだろうが、こちらの淹れ方での「濃厚」コーヒーが、というのをことわっておく。それは「タイカフェー」或いは「トゥンカフェー」と言い、「トゥン」とは、コーヒーを濾すネット・「ネル」を指す。

コップは、宴会の時のビールグラスの大きさの、ガラスだ。それに、あの甘い甘い練乳の缶を傾け、それをドロッと一センチの深さに垂らしたら、ネルを浸しっぱなしで濃く濃く抽出しておいたコーヒー液を八分目まで注ぎ、おまじない的に無糖練乳を少々タラッとさせて、仕上げる。

練乳一センチというのは「クソ甘い」のではと想像するが、これは同じスタイルのベトナムラオスでのコーヒーに比べれば序の口といえるだろう。ここで詳細は突っ込まないけれども、かの地に比べると、コーヒー牛乳のように優しく、軽いと思えるのだが、まぁ、日本で飲むよりも「濃く」かつ「アマアマ」であることには変わりない。その口の中をサッパリさせる、中国茶の入ったコップ(同型)が、コーヒーに添えられてワンセット。つまり一人につき二つのコップが供される、というのが、コーヒー屋における共通事項だ。

よく笑い、よく喋り、よく動く。肝っ玉太っ腹母さん…と言いたいところであるが、何度再会を果たしても、「まだ?」とお互いに言い合う、独り身だ。タイに初めて通ってからもうすぐ二十年になるうちの一度だけ、「フィアンセ」なる写真を見せてくれたことがあったのだが、その後「さあ、家族は増えたのだろうか」と楽しみに訪れてみれば、そんな話など無かったことのように「そのまま」であり、それに関してひとっことも出てこないから、こちらとしても訊きづらく、あの話は夢だった、と思うしかないのだろう。いつも汗を滴らせてきびきび動いているのに対し、私はいいご身分にのんびりとコーヒーをちびちびやりながらその後ろ姿を眺めているのだが、あんなに忙しそうなのに、いつ来ても痩せていない。

合間をみては隣に座り、私の会話帳をひったくって興味深げに眺めるから、私も遠慮なく会話を試みる。開いたページのタイ語と日本語部分をお互い指でなぞり、懸命に声にだし、時に上手くいかないやりとりに苦笑する中で、「ハイヨ」とお客がやって来たならば、カフェー姉さんはその度に大きな体をよっしゃと再起動させる。そうして次の合間には、ドリアンやらラムヤイ(龍眼)やらを出してくれながら、旅のルートについての質疑応答が始まる。市場の原動力ともいえるプロフェショナルな仕事人でありながら、私と同じ位置にきて、「言葉」というものに頭を悩ませる姿は愉快であり、…嬉しくもあり。

その友人からの「ケーキ」だ。

バスの中で食べてね。この町を去るという、別れの時。いつが最初だったろうか、彼女が土産に渡してくれたのは。

レーズンが数個ポツポツと見える、カップ型のケーキ。

また会おうね。また、カフェーを飲みにくるよ。 

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 車窓が変わりゆく中、ケーキ・三つのうちの一つを手に取り、個包装されているそのビニールをずらした。「いい匂い」がする。いや、「ケバイお姉さん」系とは、ちょっと違うような…。

食べてみる。――と、「アレ?」。不自然な・つまり人工的な香りが添加されているのは確かだが、絡みついてくるほどではない。ケバイさというよりも、なんだろう…緑の瑞々しさを仄かな、優しい香りだ。

…美味しい、じゃん。

スポンジはベーキングパウダーで膨らませたのだろう、大きな気泡が縦に開いてフワフワしている。ベタつくのは大量の油脂のせいだろうが、「油っぽい」よりも「しっとり」という言葉の方が先に出てくる。その口どけが、香りとピッタリと添っており、もう一口したくなる。レーズンが、いいアクセントだ。これがまたミソのような気がする。

 無理矢理平らげるどころか、もう一個欲しい――結局こぶし大三つ、一度に食べてしまった。

 酷暑のタイで、ケーキにハマる、なんて…。

さすがカフェー姉さん。やはり体に説得力が、…なんて、ハタから見れば私も人のことを言えたこっちゃないけれども、なるほど「また食べたい」と思わずにはいられない、いいモン知っているではないか。地元人が選ぶものにハズレなし、か。

 

手を振るあの姿のあと、いつもこの掌に残るのは、ケーキ。

別れのときになって、いつも思い出されることがある。そもそも「ケーキ」って、こういうもんじゃなかったか――。

甘く、そして華やかなケーキとは、ちょっと特別を意味する、贈り物となり得るもの。…いつからだろうか、「クリームの口どけ」とか「スポンジの柔らかさ」とか「甘味のバランス」とか、ウルサイことを云々言い始めたのは。 

「ケーキ」の見てくれに浮き立ち、クリームに胸焼けしながらもフォークを突刺すことをやめなかった、子供の頃を思い出す。「子供だからって味は誤魔化せない」のはホントだが、しかし「見てくれ」に、子供は自分を言い聞かすことが出来るのである。ヌメッとしたクリーム(おそらくバターかマーガリン製の)が塗りつけられたスポンジケーキを、私は明らかに、心から「美味しい」と思ってはいなかった。が、「ケーキ」という存在自体が嬉しい。それを貰った、という事実がウレシイ。それを目前にしている、という状況が嬉しい。嬉しいんだから、美味しい「ハズ」と食べ続けていたのである。

それ、――かけがえのない思いだったのではないか。

 そして、歳を経るにつれて余分なものをいっぱい引っ付けてしまっていたことにも、気づくのだ。

「旧い友人」と言いたい、気の置けなさを感じている人から貰うものであり、つまり「あなたから頂くものならなんでも嬉しい」というモンである。「貰った」その心遣いが非常に嬉しい。それだけで十分、胸いっぱい。よって、ケーキの味云々は問題ではない。たとえ口に合おうが合うまいが、つべこべ言おう気は全く失せていた――んだけれども、云々できるほどにウマかった。結局、意外にウマかったからこそ思い出せた、ケーキというものがその奥で背負っている価値。…うーん…。

なんでも、家の隣が菓子屋で、そこから買うのだという。…じゃあ、次はそのコネで入り込み、作り方を見学させてもらえばいいじゃん。

次、コンケンに滞在するお楽しみがまた一つ。

 

モト(詳細)はこちら↓

https://docs.google.com/document/d/1oIf9kXJSsIE268Y2_hJwRkQE9D9fTXf9WPASBkmVA4Q/edit?usp=sharing

「トラディツォナール」・パンケーキ ~ルーマニア・シビウ

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 赤茶けた煉瓦の塀は、所々が剥がれ落ちて粉を吹き、荒れた肌を晒している。石畳に染み付いた、あたかも木洩れ日でできた影のようなグレーの斑模様が、「時代」をいっそう漂わせるようだ。

  ルーマニア中部・トランシルヴァニア地方の町、シビウ。

  朝八時になろうかという頃、散歩へと宿から出てそぞろに歩いてみると、町はしんとして、犬の散歩をする人の靴音が響き渡るほどだ。日本じゃ「見えざる力」に背中を押されたウンザリ顔の人々が、電車の中でひしめいている時間であり、その感覚でいえば、早朝五時か六時ともいえる静けさである。ガッコや会社の始業は一体何時がフツーなのだろうか、八時代から営業していると分かるのは銀行ぐらいであり、なんだか飛び抜けて例外な施設、のように思われてくる。

 通りに沿った家々や商店はほぼ密着して並んでいるが、てっぺんが水平なビルが入り込んでいるわけでもなく、無秩序的な感はない。どころか、寄り集まっているからよけいに――噛めば噛むほどその旨みが滲み出るスルメのように、時の流れとともに醸成した汁を濃く湛えており、その匂い・地に据わったひとつの「世界」を、町全体でもって異文化からやって来た人間に知らしめているようだ。

 ぐにゃりとした柔らかさ、とでもいうのか、フリーハンドで描いたような緩い輪郭の建物たち――それぞれがこれみよがしとオデコをおろす、その屋根の表面にビッシリと張り付く瓦とは日本のものに比べれば小さいのか、近眼の私がパッと見ると、籐製の籠の目のようだ。或いは燕の巣。所々がカサブタのように剥げ、時の流れに自然に任せたまま放ったらかしているのは、これも味わいのウチ、と開き直っているのか。

 どこか、絵本の世界にでも立っているような気がしてくる。たいてい二階建てのようだが個性を尊重されて、ケースの中の色鉛筆みたいにノッポもあればチビもある。加えて坂道だから、ジッと天を見ていると、乱高下する空の高さに「あれ?」と、感覚が斜めになってくるようで少々フラついてしまう。

  そのなかで唯一震えも揺れもない、ものさしでシャッと引いたような線にあるのは教会であり、だからこそ「神聖な場所」であることを浮き立たせているようだ。

  一二世紀、シビウはドイツ人入植者たちによって作り上げられた町で、商業で栄え、1571年から1711年までは、ハンガリー人が支配層である「トランシルヴァニア公国」において重要な地点であったという。トランシルヴァニア公国はのちにハプスブルク家の統治する「ハプスブルク帝国」の支配下となり、さらに第一次大戦後、ハプスブルク家オーストリア皇帝とハンガリー国王を兼ねる「オーストリア・ハンガリー帝国」が解体されると、シビウは「ルーマニア王国」(1878年オスマン帝国より独立)に併合される。(のち、ルーマニア王国は王政が廃止されて「ルーマニア民共和国」となり(1947年)、「ルーマニア社会主義共和国」と改称(1965年)。1989年の革命を経て、現在の「ルーマニア共和国」となる。)

 シビウにおける現在の人口は約十七万人。民族構成はルーマニア人が95%を占め、ハンガリー人(2%)ドイツ人(1.5%)と続く。(wikipediaより)

「ドイツ色が強い町並み」らしい。…と、「ドイツ色」たるものが、行ったことが無いからすんなり「そうね」とは出てこないんだけれども、「中世っぽい」とか「歴史的」等の言葉を並べたくなるこの感じが、だろうか。コクのある味わい――それも、無理に保存している感がないから嫌味がない。ツーリスティックな気取りがない。

  私としては、旅のルートにあり、地図も(ガイドブックに)あるし宿もそこそこの値段みたいだし、ということでほぼ気まぐれ的に立ち寄ったのだが――旅番組のナレーター気取りで、町のそぞろ歩きに酔うのも悪くなさそう。墨汁を零したように、角っこから蔦が絡み、伸びに伸びて壁を覆い、窓の部分だけぽっかり「ナニ?」と目を開けているような家々に向かって、「ねぇおばあちゃん」などと、おとぎ話のノリで話しかけたくなってくる。

  旅というものに、特に風情を求めてはいない私でさえこんな風だから、観光メインでこの辺を回る人にとっては放っておけない処だろう。小さくとも、外国から・多くは欧米からの旅行者がそこそこやって来る町のようで、いかにも外国人受けを狙っているカフェや土産物屋が並ぶエリアもあることはあるし、私が泊まった家族経営の小さな安宿もまた、ただ安いだけじゃなく、庭には石ころを敷き詰めてガーデニングもさりげなく、屋内には雑貨屋的なインテリアを配置するなど、町にしっくり溶け込んだ家屋でありながらも快適さ・居心地の良さを目指していることがうかがえた。おそらく宣伝には、外国の「自分の家」のような感覚でくつろいで欲しい、という文句がきっとある。

 

  単なる散歩は「外出」の範疇にはみなさないのか、頭にカーラーを巻いたまま通り過ぎるおばさんに、のんびりとした街の雰囲気が伝わってくる。たまに、勢いあるツカツカ音に気付いて前を見れば、細い紐を肩から吊り下げてゴージャスにヒダをなびかせる、青いワンピース姿の女性がやってくる。こちらにとっては「結婚式用」ともみなせる服を、普段から着こなす女性をこの地で目にするのは珍しくなく(日本でもたまにコスプレ嬢に会うけれども)、「こんな派手な服は外に着て出られない」というセリフなんて存在しないだろうきっと。

 そうやってフラフラ、よそ見しぃしぃ小一時間ほど歩いたのは、「朝飯探し」が目的でもあったからだが、全くもって、どこもかしこも「開店前」。出直して来いと言われているような、妙に響き渡る鳥たちのさえずりを背に、じゃあ宿に一旦戻って無料のコーヒーでも――という時に、見ぃつけた。

  というよりやっと、気付いたのである。

「ソコ」は、宿から町の中心部へ向かう、という時に必ず歩いていた通りに在った。しかし看板などの目印となる自己主張もなく、「絵画な景色」にすっかりと収まり込んだその前を毎回通り過ぎるだけであったのだが、見慣れてきたからだろうか。……なぜだか浮いていないかココ、と、ふと違和感が生じ、立ち止まった。

――ガラス戸である。ソコだけ「透き通っている」。ギィィ…っと軋む音を思う、木製の門や重そうなドアが並んでいるような中で、ナンか軽いというか、そぐわないことないか。

「何かある」と、ピンときた。…っていうか、開け放たれており、その中を覗いてみると、ガラスのテーブルが大小二つあり、パイプの椅子も数個。

「店」みたいだ。…食堂、だろうか。

誰かいる。肩から腰までが一本の大樹のような、頼りがいありそうな背中――が、こちらの気配を察したのか、ちょろっと翻った。

 おばあさんだ。頭に三角巾をすっかりと頭に覆い、眉間にしわを寄せている。ほんの少し覗かせた白髪の生え際、その下の目は「どうしたの?」とでも言いたげにクリクリと瞬いて、…イヤ、あの…、と、なんとなく、こちらが狼狽えてしまう。

 おばあさんが向かっていた壁際は、キッチンスペースだ。角っこには2ドア式の冷蔵庫があり、その横には引き出しと開きがついたステンレスの調理台、そしてさらに隣には下にオーブンが備わった三口のガスコンロがある。頭上の開き棚といい、ステンレス台以外は殆どが木目調であり、「店の厨房」というよりは「ウチの台所」のインテリアだ。しかもコンロの隅にある「流し」が、簡易洗面台的というか、あまりにこじんまりして使い難そう――ホントに店だよね、と、テーブルのセッティングや、支払い用レジの存在を改めて見直してしまう。

いま逃げるのもヘンだし、とりあえず「初めまして」とだいぶん口慣れてきたルーマニア語を呟きながら屋内へと踏み入れた。何を売っているんですかココ、と。

  と、その太い腕、大きな指の先にある、搗きたての餅のような「玉」に釘付けになった。

   野球ボールよりはやや大きい、白い粉のまぶった丸い――「生地」らしいものが、赤いプラスチックのトレイに十個か十二個か納まっている。赤ちゃんの膨らんだ頬のような、いかにもヤワヤワな感触が、ただ見ているだけなのに不思議とリアルに伝わってくる。

  裾を出した半袖シャツとズボンの上から、白地に赤縞のエプロン姿。「味噌作り」…なんてやんないだろうし「餅搗き」もしないだろうけど、三角巾を締めたその出で立ちに、町内の婦人会でイソイソ出かけてゆく田舎の叔母の姿が思い出される。が、婦人会でもなく、いまここにはおばあさん一人きりのようで、その腕は生地を扱っている只中である。店番というわけでもなく、ここのメインのなる職人のようだ。

  …パンの生地、だろうか。

――「プラティーナ」と言った。

フツウの単語覚えはいまひとつだが、食いモンに関しては、脳細胞の隅っこ、どこかしらにひっかかっているモンである。ガイドブックだったかエッセイだったかで、読んだことのある単語の響きだ。

ルーマニア版・パンケーキ」。

本格的な「地もの」を発見したのかもしれないと、朝限定で提供される無料の「挽きたてコーヒー」などどこぞに飛んでしまい、浮き立った。もちろん、ひとつ欲しい。

 ――見せてほしい。

 

 

 一旦、台に散っていた小麦粉を綺麗に拭きとり、表面のステンレスを光らせたら、生地を一つ、トレイからムニュっと掴んで前へ持ってくる。捏ねて捏ねて、「発酵」させたことが伺える弾力だ。その端を口にくわえ、ビヨーンと引き伸ばす心地に酔ってみたい。

台の上、小さな容器に入った「サラダ油」に手を浸し、そのテカった手で生地を潰すよう、円形のCDサイズに広げてゆく。くっつき防止の為の、手粉ならぬ「手油」である。

そうしてテカりの移った生地の上に、「具」を載せる。

「数種あるヨ」――と見せてくれた「具」とは、「チーズ」「じゃがいも」「スメタナサワークリーム)」等々…。そしてデザート的に、「リンゴの甘煮」が、種類別に容器に入っている。

「バルザ」を選択した。バルザとはキャベツの意味だ。

「具はキャベツ」とだけ耳にしたならばフツー、キャベツには悪いが正直「華」がないというか、「キャベツぅ?」とトーン低く吐き出すだけで、まず自ら進んで選ぶことはないと思う。だがここ・ルーマニアでのキャベツ料理は結構侮れないのである。

食事どきに、総菜屋(スーパーの)で出来合いを買い込むことが結構あるが、上手そうな色の肉煮込みの「ついで」とばかりに、炒めてあったり、漬け汁に浸かってしんなりしている「キャベツおかず」をよく買うんだけれども、たいていハズレがなく、ともすればメインよりも印象に残るほどに味が良いのである。だからきっと、コレを選んでおいたらば、おそらく無難には満足できるだろう。なますのように細切りになっているそれは、やはり見た目は地味なんだけど、作り手がこのおばあさんであろうからして「熟練の」味であることもなんとなく期待されたわけだ。

 しんなりとしたその汁気をギューッと絞り、たっぷりと、広げた円盤の上に載せる。…タップリすぎやしないか。食う側としてはモチロン、具とは多ければ多いほどに喜ばしいんだけれども、果たして包めるのだろうか――と見ていると、これが丸く収まるもんなのである。生地の端っこ部分、僅かに残されているノリしろを摘まんでクイッと円の中心部分まで引っ張たら、生地が動かないよう抑えているもう一方の手に、その(摘まんだ)部分を渡す。

 それからはもう肉まんの具を包むイメージで、ぐるっと円周に沿って「摘まんでは中心に寄せて」ゆき、最終的に具を包み込んでゆく。 

 どっしりと、安定感のある大きな手だ。そして一つ動作を変えるごとに、「ネ」と念を押す。――こちらとしては、隅っこから邪魔にならないよう眺めるだけのつもりだったのだが、ノリはお料理教室的に、ゆっくり、スローで手つきを見せてくれるのである。面倒見の良さがにじみ出ている顔だ。いきなり踏み込んで来たハズなのに、こちらも最初からそのつもりだったかのような気になってくる。

  そうしてすっかりと包みキュッと締めたら、上から押し潰すよう再び「円盤」へとそれを広げる。直径二十センチ程度か。中の具は生地にビトッと密着し、ツブツブとした跡が表から伺えるけれども、どうにか突き破らずにいてくれている。

で、これを焼く。既にコンロに準備してある、昭和の台所にあるような鉄製の真っ黒いフライパンに油を「ひく」――どころではない。ポトポトポ…と、実にいい音を鳴らしてボトルから注ぎ込まれた油は、波打ち、天井の照明を反射していた。

作り手である頭巾ばあちゃんの腰回りに、…ウン、と納得してしまう。



  ――出来た。

  コンガリと焼き上がった(揚がった)のを、トングでフライパンの上からぶら下げるように挟んで余分な油を滴らせ、とりあえずキッチンペーパーを敷いた皿の上へ置く。みるみる油のシミが出来てゆき、――どうか、ぐんぐんと油を吸い取っておくれ。

  ルーマニア版「パンケーキ」…?

 英語で説明するとしたら、…まぁ、「パン」(フライパン)で焼くからそれはそうなのかもしれないけれども。お好み焼きを「広島風パンケーキ」というのと同じぐらい、現物を見るとちょっと無理やりな感がなくもない。

 「パンケーキ」というと、一面ムラなく焼き上がった「どら焼き」色(理想)の円盤型に、バターを載せ蜂蜜を垂らし、ナイフで三角に切りながら食べる、というアレを浮かべる(それより分厚いのが「ホットケーキ」)。その断面は細かい気泡の入ったスポンジ状であり、「ケーキ」という言葉もそう違和感がないが、この円盤の、斑に強い(黒い)焦げ色がついたヒョウ柄はどちらかというと「蜂蜜タラり」のソレよりも、インドの無発酵パン「チャパティ」に似ている。1.5センチ程度の厚みは、卵の力でフンワリ膨らませたのではなく、発酵した生地であるにしても単純に「具」を包み込んだことに因る部分が多く、「パンケーキ大」のいわゆる「お焼き」(長野名物を想像して)である。いや、「焼き」というよりは「焼き揚げ」――素直に「揚げパン」と認めてあげていいと思う。

 

   出来上がった円盤状を半分に折り、それに白いキッチンペーパーを巻き付けたら、半透明のビニール袋に入れる。「テーブルにいきなさい」と促されて座ると、もう一枚ペーパーを千切り、それを敷いた皿の上にビニールごと載せて、「召し上がれ」。

  …って、エラい丁寧な。持ち帰りならともかく「今、ここで食べる」と言っているだから、素肌を晒した「円盤」のまま皿に直接のせ、フォークとナイフでもつけてくれたらもういいんじゃないかと思うんだけども。それとも、サンドイッチのように、手に取って「齧り付いて」食うモンなのか。

 ならば確かにビニール袋はあった方がいい。「ココ持って」のつもりの白い紙とはいえ油が既に染み渡っていて、触れる前からもう、指がヌメってくるようだ。だが、ビニールに入っているのに皿にのせ、加えて紙も敷くのって、ちょっと無駄なんじゃないか。和菓子に懐紙が敷かれるように、「皿の上に直接置くってのは、なんだか無粋」とかいう感覚があるのだろうか。経費節約しなくていいのか、ばあちゃん。

とはいえ、そんなことはホントはどうでもいいのである。――出来立てだ。食べる前からもう、熱気が肌を刺激している。それだけで贅沢であり、ウレシイ。

半月形となったその先端から、いざ。

ボコボコと水膨れとなり、斑模様となった表面は、出来たての「サクッ」感もありながら、噛み千切るときの「伸び」もある。油で火を通すからのこその香ばしさと、甘さがまたイイ。

 炊き立てのご飯のように、この皮部分だけでも食べ進められる気がする――が、やはり。スポットを当てて味わうべきは「バルザ」だろう。中から、やや太めの千切り、その切れっぱしが、「どうも、ご指名されまして」と垂れ下っている。

   …「甘い」。

 なにか香草らしきもののみじん切りが、ちくわ天に混じる青のり程度に混じり込んではいるが、それ以外のものは見当たらない。なのに「玉ねぎの飴色炒め」?と思えるほどのその甘味は、いったいいかなるマジックを加えたのか。それとも、この青のりがポイントなのか。

  反応に気づいた頭巾ばあちゃんは、改めてそれが入ったポリ容器を持ってきて、蓋をめ  くり見せてくれた。たびたび気にかけて貰い、まるで自分とは小さな迷子ちゃんみたいな気がして少々恥ずかしくなるなか、フライパンに指をさしながら、何ぞやを説明してくれる(もちろんルーマニア語。私は旅用会話の本しか持っていないのだが)。その動作と、特に変わった色をしていない中身のその見た目から察するに、おそらくキャベツを塩コショウで単に炒めただけだろう(テーブルの上の塩、コショウを指差した)。

  だが「それだけで、コレ?」と、長年慣れ親しんできたキャベツの一体どこを捲ればこうなり得るのか不思議不可思議極まりないその旨み――期待以上である。おそるべしはルーマニアのキャベツ料理であり、なんと安上がりに得られる感動なのだろうかと、皮肉抜きで敬意を表する。

  表面の油っ気に慄いたものの「しつこさ」はなく、出来立ての美味しさに騙されてアッサリ食べ進めてしまった。実際、「アッサリ」とはこの体を通り抜けてくれないんだろうと、口の周り、そして指の「ベッタベタ」を思えば推して知るべし。

  この指でカバンなんて触りたくないから、ナルホド、「皿の上のペーパー」というのは丁度欲しい「もう一枚」なのだ。一見、紙の過剰サービスにも思えたが、考え抜かれた「セット」だったのか。確かにテーブルの上に「どうぞご自由に」とまとめて置いて、手持無沙汰にパッパッと必要以上に抜き取られてしまうより無駄もなく、過剰どころかよっぽどいい、というモンかもしれない。

トランシルヴァニアの、伝統的な食べ物よ。」

――とは、「空から光が降り注ぎ、大地に目を落とすと、焼け野原は一面の花畑へと姿を変えていた」とかいう捻った文章でもないから、単純に単語をピックアップしてゆけば簡単に理解できるセンテンス。

「トラディツィォナール」――なんとカッコイイ響きであることか。

 だがいかにも「職人」がつくった、という気張った感などは無く、その姿そのままに「おばあちゃんの台所仕事」。――…ってそれこそが昔からここに在ることの証明みたいなモンであり、あぁ、だから「トラディツィォナール」なのかと、説得力がドンとくる。

  九時開店だという。

ということは、明日もまた、それより前に行くべし。散歩をやめて直行したならば、きっと、生地捏ねから見られることだろう。

…今度は、具にチーズを入れて貰ってみようか。

 

(訪問時2013年)

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「ワッサン」の優しさ ~ポンデチェリー

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疲れた…。

『「クリスマス」には避けるべし』――とあったガイドブックのお触れ書き通り、インド南端部のヒンドゥー教聖地・ラーメーシュワラムで、「宿無し」事態に陥った。クリスマスや年明け前後は、インドにおいても長期休暇をとる時期であり、「聖地」は、主要な彼らのお出かけ先となる。

「聖地」――こちらにとってはゲームの世界ともいうべき無縁な単語であり、響きの格好よさに、せめて一泊なりともしてみたいのが、気まぐれにやってきた「にわか巡礼者」には、とても太刀打ちできない世界なのか。普通は絶対にその玄関先に立ち止まることのない高めのホテル(四、五千円)を断腸の思いで尋ねてみても、「フル」と準備していたかのように首を振る、チョボひげ・パンチパーマのレセプションたち。インド人の巡礼ラッシュの前には、なす術も無かった。

野宿する度胸もない。チャプチャプと聖なる大海に浸り、沐浴だか水遊びだかに興じる人々をアクセントに、「向こうはスリランカですなぁ」という感慨半分、「泊まれない」口惜しさ半分で水平線を睨むように眺めつくしたら、夜行バスで移動を決め込んだ。

行先は、「ポンデシェリー」。

夜行バスに乗る甲斐ある(睡眠時間が取れる)距離に位置する町を、適当に選んだ。ラーメーシュワラムと同様、タミルナードゥー州にあり、ベンガル湾に面する町だ。

が、恐るべし「クリスマス」――到着して探した宿、三、四件と断られ続けて暫く彷徨い、聖地の悪夢またしても――と泣きたくなっところで、運よく、しかも理想的な「安宿」をゲットすることが出来た。と、ドッと寝込んでしまった。砂埃にまみれまくったし、夜行バス車内の急激な冷房にもやられたのかもしれない。…歳をとったもんである。

 

ベッドに横たわり、暫く体が受け付けるるものはバナナと水のみであったのだが、気の済むまで寝つくしたなら、「ちゃんと」食欲も出てくるもんである。オカズっ気が欲しい。口の中でしっかりとした噛み応えが欲しい。

とはいえ、腹には少々おもりがぶら下がっているようなダルさがあって、本調子とはいえない。刺激的なスパイス料理に立ち向かおう気概がなく(とはいえ、スパイスは胃薬の原料でもあるのだが)、ポピュラーな軽食である「サモサ」(コロッケ種のようなイモおかずを、小麦粉で練った皮で包んで揚げたもの)や「パコーラ」(野菜の衣揚げ)等の、油の中をたっぷんたぷんと泳いだ揚げ物スナックも、ヘビーでシンドイ。だからってクッキーで済ますというのは味気ないし、バナナを食べて凌ぐのも飽きてしまった。

インドに行ったら、インドのものしか食べたくない。一旦日本を離れたなら、醤油依存症はロウソクの火を吹いたように消え、とことん現地の食で通す。食べることに関しては、郷に入っては郷に没入するのが信条だ。もちろん日本食を携えて旅に出ることもなく、現地の日本食レストランの類に飛び込むということも無い。

――んだけれども、ビョーキの時は別だ。

人間弱った時というのは、食べ慣れていたものが恋しくなるもんなのだろうか。「現地流」が自分を離れ、テレビの向こうを見るように「他人事」な世界に思えてくる。艶やかな膜で甘味を閉じ込めた、まっさらなおかゆ。そしてふくよかな香り漂わせる味噌汁が脳裏に浮かぶ。自分の体に長年寄り添ってくれていたものたちの有難みが、この時浮き上がってくるのである。…って、モチロン望んでも、レトルトなりとも持ってないから仕方ないんだけれども、そういう優しげなものが欲しい。

舞い上がる埃。そして「カッ」と天から叱られているような、脳天に直撃する直射日光に、たった数歩のところで町に繰り出したことを後悔するが、背を翻すのも面倒くさく、惰性のままに歩き続けた。瓶のお掃除ブラシのように、青いバナナがびっしりと生っている太い幹(っていうの?)を、何本も路上に並べ、多くの人が、その立て掛けている隙間から、中へと入り込んでゆくその先に、市場の賑わいが広がっていることが、「匂う」。普段なら心湧き立ち、捨て置かないはずのエリアであるのだが、今はちょっと近付く気力・体力がない。――どころか、うんざりとしている。「これではいかん」とも思わないのが、弱っている証拠だろう。

果たして「食べたいもの」って見つかるのだろうか。意味もなく歩きまわり、袋入りのビスケットと牛乳を、雑貨屋で買って終わりとなるハメが見えてきた。そんなことになるならば、無理矢理でも食堂の椅子に座ろうか…。

と、雑貨屋風情の店を通り過ぎようとすると、遠くからではガラスに反射していた、店頭の戸棚の中が見えてきた。ポクポクと丸っこい、茶色いものが並んでいる。そう、「雑貨屋」にしては何か、ムン、と匂わなくもなかったのだが、その色を目にして、なるほど、と確信した。

「パン」だ。

なんとなく「昭和」を思う、ひなびた駄菓子屋という感じの店構え。ガラス棚の木枠は所々が剥げており、祖母の家の台所の、食器棚としても違和感がない。二段の棚、それぞれには新聞紙が敷かれており、上段にはコッペパンのような棒型――給食のよりは1.5倍はあるパンが積み重なっており、下段には小型の丸パンと、それより一回り大きいロールパン。ロールは、よくあるバターロールのようにこじんまり丸まっているわけではなく、カレンダーのように巻いた生地の両端を、内側へクイッと曲げた、というような、なんとなく横歩きする「カニ」を連想させる形だ。が、丸パンが十数個並んでいるのに比べて、カニはたった一つ、取り残されたようにポツンとしていた。

 なんとなく、柔らかそうなパンだ。そのクリームブラウンの焼き色には、生地にミルクや砂糖、油脂が混ぜ込んであると想像がつく。「柔らかそう」な、かつ、「甘そう」な――皮がバリバリっとしてクセがないフランスパンというよりは、歯をその表面に突き立てる必要もなく、分かり易い味の、日本のコッペパンやアンパン、クリームパンのような感じだろう。どれも同じ焼き色だから、成形を変えてはいても、生地はみな同じなのかもしれない。

 インドでパンといえば、「ナン」である。

壺型の窯で焼き上げる、平べったくて大きなパン。…といっても「ナン」よりも「チャパティ」という、よりペッタリと薄い無醗酵のパンの方がよく食べられるものなのだが、ともあれ日本のインド料理屋でもっぱら有名な「ナン」とは、「パン」といえばフックラしたもの、というのが常識の世界で育った私にとっても、横に平べったくデカいという形の新鮮さに加え、アッツアッツの「焼き立て」が供されることが常識なんていう喜ばしいものであり、パンとはいえど別格であるもののような感がある。インド料理屋に入って、カレーのお供に「『ライス』にしますか、それとも『ナン』?」と訊かれるのが、わざとらしい儀式のように感じてならない。ライスを選ぶ人なんておるんかい――っているのであり、カレーよりもこれを食べたいがために店に来た自分としては、憐れみの目でそれを茫然と見つめてしまう。全くもって大きなお世話も甚だしい。

そしていま。インドにやって来ておいて、「ナン」を素通りするなんて愚は犯すわけはない。――んだけれども、今は異文化にウホウホと頬を膨らませる気分ではない。欲するのは、「安堵」である。

 フワフワのパン。…いいんじゃないか。

コッペパンだのメロンパンダのクリームパンだのの、昔ながらのフワフワパン――というものは、たいてい「パサパサ」である危険性を孕む。(時間が経つと水分が抜け、劣化が著しい)。特にパンを主食とする国々を旅するようになってから、私は日本の食パン・菓子パンの、その噛み応えの物足りなさ、腹に溜まらない軽さ――「食った」感の乏しさに魅力を感じなくなったのだが、いま、この胃にぴったりとはまるといえばまさにソレ、だろう。どうのこうの言っても、確かに私はそういうパンに長年触れて、育ってきたのである。

窯の熱回りを正直に映し出している、濃淡とムラのあるパンのブラウン色。「均一な色で焼き上がるわけないジャン」と開き直ったようなシロウトくささが、いかにも素朴。飾り気が全くない。一つだけ残されたカニパンの「ロール型」が、唯一の「オシャレ」に映る。

…なんだか、ますます惹かれてきてしまった。袋菓子を買い込んでバリバリと食むよりは、よっぽど「この町で食った」というハンコひとつ押せるものではないか。

「ひとつ、ください。」

近づいた時点で気づくだろうに、呼ばれて「あ、客?」と数歩前に出て、戸棚へとデコを近づける、商売っ気ないランニングシャツのおじさん。「カニ」を指さすと、ズズッと、砂をこするような音でその引き戸をスライドさせ、こちらの指の行き先に合うヤツを、ピンクのビニール越しに手にとった。

「『ワッサン』ね?」

そう言ってビニールをクルッと裏返し、めくれ上がった棚の新聞紙をちょっと直したら、その引き戸をまたズズ…と締める。木枠と同じ、ダークブラウンの肌。使い込まれまくったような武骨な腕は、強そうだ。

「ワッサン」…。

見た目より、随分とズッシリした重みが手にかかっている。

 

 

 腰を落ち着け、パンを千切ろうとした場所は、食堂である。

とはいえ、天井に灯るランプの光を反射しているるテーブルが、ツルツルッとした大理石模様(「模様」だけ)という、少々「レストラン」ッ気漂う場所であり、大衆食堂専門の私にとっては一段階「ハレ」の場所である。

カフカのパンを添える、「スープ」がまた欲しくなった。かつ「ナン」じゃないんだから、スパイスから一線を置いたような、波のない優しい味のもの。…と、意外だったのだが、そのようなスープもまたインドでは極上に旨いのである。とはいえここはインドだから、おそらく隠し味に(スパイス類が)入ってはいるのだろうけれども、刺激は全く突出しておらず、結露の窓に滲んでいる雪景色を眺めながら炬燵でヌクヌクと温まる時のような、お腹がホコホコと幸せの湯船に浸ることの出来る、スープ。そういうのに旅行者が出合うには、ちょっと「高め」の店に入った方が率が高いことを、なんとなく学んでいた。

 「チキンスープ」と共に。黄色く濁った汁には、溶いた卵が雲のように散り、鶏の肉片も二三切れ浮いているのが見える。トロミを思わせる艶には、いかにも滋養が濃縮しているかのようだ。温かいうちに一口、と啜ると、瞬間体が歓喜した。

 さて、パンである。

『ワッサン』…ってばやっぱり「クロワッサン」のことだろうが、そう言われて初めて、その形ってば「カニ」じゃなくて…と気付いた。とはいえ、「クロワッサン」たるべき、触る度、口に入れる度にパリパリと剥がれてクズが散るという、バターの層など皆無だから、無理もないんじゃないか。「クロワッサン」なんて、形だけである。

底が、見事に焦げている。…ってこれまた素朴感ひとしおだなぁ、と、カニ足部分を千切ろうとすると、指に少々の力を入れる必要があった。固くはないが、されるがままになるもんか、という抵抗力がある。その「ひき」と、モッサリと詰まった中の具合は、なんとなく脱脂綿の塊を連想しなくもない。

食べてみると、…「フワフワ」なんてもんじゃなく、またパサパサと感じる余地もない。ゴムを新調したパンツのように、活きの良い噛み応えがあり、その、どっしりと腰の入った網目が水分を逃さず、シットリ感を保持しているようでもある。かつ、明確な「甘さ」がゆるぎなく居座り、それは意志といってもいいのかもしれない。

ウマイ…。

「甘いパン」はたいていフワフワと心もとないもの――とは、思い込みだった。甘く、かつこれほどの弾力とは…。

癖になる。「ナン」ではなく、インドで「パン」を美味しいと思うとは想像していなかった。底の部分が、焦げ色の強いその見た目のままに、焼き込まれてガリっとなっているのがまたイイ。敢えて「焦げる」ようやってんだと言い訳されても、反論できない強力な説得力がある。

 

ここだからこそ在り得る、「ワッサン」――か。

つまり、それは言わずとも知れた「フランス」である。かつてインドは英国の植民地に組み入れられたが、そんな中でここ・「ポンデチェリー」はフランスの植民地として維持された歴史がある。よって仏語的に「ポンデシェリー」或いは「プドゥシェリー」とも呼ばれるが、もともとの現地名は「プドゥッチェーリ」と発音するのが近いらしく(wikipedia)、「ポンデチェリー」というのは英国的な呼び方である。私が英語的に呼んでいるのは、ガイドブックにもそうあるもんだから真に受けて呼び慣れただけのことで、他意はない。

というわけで、この街の歴史に入り込んだ「フランス性」が垣間見られるものとして、「ワッサン」はある。

ところで、である。

インドなら「ナン」だ、或いは「チャパティ」だ――とは前述したものの、それら平焼きのパン・つまり「小麦食」は、インドの北部地方においてよく食されるものであり、一方、このタミル地方を含む南部において、主食とされているのは実は小麦ではなくて「米」である。南部において愛しの「ナン」(チャパティでもいいんだけど)を食べたいならば、北部地方の料理をウリにする専門食堂(たいていちょっと高めの「レストラン」)でやっとお目見え出来るモンであり、普段、そうしょっちゅう口にするモンではないことは、ともすれば「日本におけるインド料理屋のナン」と同じであるともいえる。

よってその点、「南にいる」ってちょっとガックリなことだなぁ、という気分ではあるのだが、だからこそ存在する「ワッサン」なのだろうか、とも思う。元来しっかとした小麦粉食の形態が根付いているところ・つまり「北」に、ワッサンなんていう、フランス経由の新参者は見向きもされない、入り込む余地なんてないのかもしれない。

ワッサン――「クロワッサン」。…って繰り返すけれども、それが身上である「層」なんてかけらもない。そもそも、バターを、「溶かし込むことなく生地に折り込んでゆく」作業は、このクソ暑いインドでは至難の業というか、冷房が、冷蔵庫なみにキンキンに効いた作業場でないと無理だろう。だがそのおかげで、…というべきか知らないけれども、代わりになんとも味わい豊かな「ワッサン」が出来上がったものである。

気候が変わり、作り手が変わることで、それはソコでしか見られない独自のものが出来上がり、定着した。まさにこれは、インドにある、この街だからこそ生まれ得た「ワッサン」という以外になく、オリジナルの「クロワッサン」は、それが羽ばたけるトランポリンの役割を担ったのだ。

 

ハタと、凝視する自分に気づいた。配線図を辿るような寄った目で、前にあるものを味わいつくそうと。

このパン。そして、ふくよかなスープ。…体から噴水のように、喜びがほとばしる。これはエネルギーである。

――よし、いつもの調子だ。