主に、旅の炭水化物

各地、食風景の点描

「餅」の楽しみ ~葱餅

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中国の、「餅」。

その中でも「定番」とされるものの一つが「葱餅」である。…って日本で「『ねぎもち』いかが?」と聴き慣れているからして(試食で)、私はついそう言ってしまうんだが、これは中国では「葱花餅(ツォホアピン)」或いは「葱油餅(ツォユウピン)」と呼ばれ、店の看板にもそのようにある。

作り方を、簡単に紹介しよう。

 

1、生地を作る。――小麦粉と水、塩で捏ねて、暫くねかせる。

2、ねかせた生地を分割して、薄く薄く、麺棒で円形にのばす。

3、成形する。――伸ばした生地の表面に油をハケで塗り、葱と塩をパラパラと一面にふりかけたら、端からくるくる巻いてゆく。

4、長い筒状となった生地を、蚊取り線香のように渦に巻き、その上から麺棒で、厚みを潰すように押さえてゴロゴロ転がし、薄く、円く伸ばす。(五ミリ~一センチ程度)

5、焼く。――油を敷いた鉄板等でこんがりと(ひっくりかえしながら両面)。

 

葱をクルクル巻き込み、潰して(のばして)ある円盤状のそれを上から見たならば、なるほど、葱が印象付ける渦の輪郭は、「花」と模しても、まぁそうですねと言えなくもない。だから、「葱花餅」か。

当然ながら、示した手順はだいたいの流れであって、作り手によって異なる部分もある。客で賑わっている店や、作っている場面が外から筒抜けに見える店があれば、スパイかと怪しまれないようテキトーに工夫しながら観察していると、分割する大きさ(「2」)とは、要は鉄板に載せる時の一個分なのだが、それがイコール菓子パン一個に相当する「こぶし大」だったり、「こぶし」どころか漬物石二個分ぐらいの塊だったりして、鉄板に載るギリギリの巨大円盤を焼き上げるという場合もある。(で、出来上がったものを、必要な量だけ切り売りする)。

或いは、「3」で葱類を巻き込んだら、「4」の「蚊取り線香」とするのをすっ飛ばし、即、端から一個分の大きさに、金太郎飴のように切ってゆく、という方法もある。

どういうやり方であれ、要は、生地は「層」を為している状態であることがダイジだ。つまり、生地と油(+葱)が、隣接すれど混じらない状態が、重なっているということ。

「3」で巻く時、伸ばされている生地が薄ければ薄いほど、筒状となったものをサイドから見た「渦」は、細かい。つまり層の数が多く、焼き上げれば薄い破片がハラハラとめくれるという、(洋菓子の)「パイ」の状態となる。小麦粉をただ水分で練り、なんの層をつくることもなくただ伸ばして焼いたものを口にしてみれば、食べ物というよりは「カタマリ」・まるで粘土を口にしている気分になるのだが、生地内に「油層」があることで、焼いたときにサクっとした食感が生み出されるのだ。熱で鼓舞されて活性化した油層が、隣接する生地層を揚げている状態にすると同時に、熱で生地から流れ出て、その部分に空洞を作るのである。

たいていの店では、「大きく焼き上げて切り売り」か、「金太郎飴方式(「4」は抜き)」であるようだ。

金太郎飴方式の場合、「大きく」生地を分割することがポイントである。それを大きく大きく薄く伸ばせば、それだけクルクルして出来る筒も太くなる。つまり渦もそれだけ多くなるから、「4」を端折ったって層数は十分カバーできるもん、ということなのだろう。量産するには、確かにその方が早いのかもしれない。

一方、家庭でこれを作るとなると、当然ながら、仕込む生地量とは、「店」と比べ物にならないほど少ない。そもそも、焼く為の鉄板だって、フライパンだったりするだろうから、分割量も「こぶし大」となるのは必然的だろう。だが、少量の生地であっても、「筒」に巻くだけでなく、その後に蚊取り線香(「4」)という「二重渦巻き」をすることで、「層」の複雑さを捻出している。…と思うのだが。

 

伸ばした生地は、それはもう「タップリ!の油」で焼くもんなのだという場面を、しばしば目にした。最初に鉄板に敷いてそれで終わり、ではなく、焼き色の様子を伺う時も、裏表ひっくり返す(巨大な円盤ならば、トングのような大きな棒で挟み持ちながら)時も、逐一、刷毛などでタポタポと惜しみなく、ペンキを塗るよう油を撫でつけていた。艶々の透明な液体をたっぷりと浴びた生地は、表面に濃い斑跡をつけ、テカテカと黄金色に輝いて焼き上がる。巻いて閉じた部分が剥がれかけなどしてヒダヒダに波打ち、「葱花」をよけいに思わせる様相だ。美しい…んだけれども、明らかにど凄い量の油であり、カロリー度外視だろう。が、そんな邪念はまさに邪魔で、んなこと言っていては旨いもんはできないのが世の習い。

焼き立て、というよりもほぼ「揚げ」たてのそれを頬張ってみると、――オヤ。油に浸しながら焼くようなものだから、ギトギト・べチャッと、いかにもな油っぽさを想像すれど、意外にもそんな感じは全くない。お見事なサクッと感。とはいえ、濁音響く洋菓子の「パイ」ほどに角はなく、生地を捏ねることで生まれたモチっとした粘りもまた、ある。「甘さ」を連想させる香ばしさに、「油」とは単に火を通す手段のみに留まらず、これもまた餅を構成する必要な要素であることをつくづくと思うのだ。

ちなみに、これも作り手によって様々な「(円盤の)生地の厚み」も、食感・味わいを作り出す要素である。

厚め(一センチそこそこ)の方が、私は好きだ。まぁ、薄いならばそれはそれで――押し潰されていても、ペラペラとみかんの薄皮のようにある「層」の健気さを讃え、分解しながら食べるのも面白いんだけど、厚い方が、よりそのありがたみを実感できる。厚いと中まで火を通すのに、嫌がらせかと思える程に時間がかかり、「まだぁ?」と呟かずにはいられなくなるが、客が催促しようが鉄板が熱かろうが「美味しく」作ってこそウチの味、と職人魂を持って焼いているところを見つけるべし。火の通りがいい加減だと、ヘンにネチネチと粘土感が残るだけで美味しくないんだから、それで正解なのだ。時間がかかる分、表面はしっかりと焼かれてパリッとなるし、無理に押し潰されていない「層」が膨張剤の役割を果たして全体をフックラとさせる。せっかくの「層」、その意味を如何なく発揮されたものを手にしたときの美味しさったらない。厚いとまた、層のせいだけではなく、生地そのものにも「気泡」があるのだな、ということにも気づく。ロールパンやスポンジケーキほど顕著ではないが、ほんのり息をついたような呟きは、生地に酵母などを加えて醗酵させているためなのか。それとも重曹を使うのだろうか――と、合間に想像しながら、もう一口。

小麦粉生地の内外で「油」が踊り、その輪郭を、しっかり甘味へと転化された「葱」と「塩」が縁取る。どれもシンプルな存在ながら、同じ舞台に立ち、お互いの立役者を演じている。「葱餅」――言葉面としては全く惹かれるものがなかったが、旨いヤツじゃないか。

とはいえ、時間が経てば、トンカツがそうなるように油が全身に回って、ベトベトとした印象が表に出てくるから、やっぱり出来たてを食らうのが理想、いや、原則。本当は座って何処かで食べたいが、椅子を探している間に終わってしまう。

 

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