主に、旅の炭水化物

各地、食風景の点描

お土産をどうぞ ~タイ・コンケン 

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どこもかしこもがベトつく肌。滴る汗がまたいやらしく額を頬を這いずり、イライラを逆なでする。喉の奥底から、ヌメッた息が上がってきて、もうどうしようもなくなる。

そんな中で目の前にある、ケーキ――を包んでいるビニールの濁りを見ただけで、指がヌメってきそうだ。…ウエットティッシュが要る。七星テントウのようにレーズンが表面に見える、握りこぶし大のプリン型。バター、いやおそらくマーガリンだろうが、油脂が多めに入った「パウンドケーキ」の類である。

             

 世界の全てが降り注ぐようなカンカン天気の下にある、タイ。

舌を出して息を粗くする、犬と自分との違いなど一体どこにあるのか分からなくなってくる、「なす術ない」と言うしかない中で、欲されるのはジュースでありアイスコーヒーであり、そうそう、サトウキビジュースもいい。脳天を突き抜ける炭酸ももちろんいい。カランと氷を鳴らしながら、キンキンに冷えたもので喉を潤すあの清涼感を、もうろうとしながら焦がれるその前に、糖分の摂り過ぎが引き起こす生活習慣病云々の説教などなんの歯もたたない。

水一リットル一気飲み、或いは氷の塊をどーんと口の中に突っ込んだってもまぁ構わないんだけど、甘い飲み物って、妙に「癒える」から不思議である。単なる水では、飲んでも飲んでも、栓をし忘れた風呂のように満たされた気にならないのだが、練乳が悲鳴が出るぐらい入ったアイスコーヒーなんて、クドいどころか、飴を貰ってピタッと泣き止む子供のように、みるみる渇きが引いてスッキリとするのだ。

…って、血糖値の急上昇で一時的に頭がハッキリするだけなのかもしれないが。

ジュースはオレンジを絞った生ジュースやらなんやら、瓶、缶入りの既製品にとどまらず豊富にある。アンミツのようなデザートもまた、ヨシ。シロップで甘くしたココナッツミルクの中に、寒天や、タピオカ等の「具」を入れ、仕上げに砕いた氷を盛って食べるものだ。

あぁ…と快感を得られる手っ取り早いのは、「冷たいもの」。時にその冷たさが胃腸を直撃し、腹を抑える事態となることもあるが(疲れた時に一気飲み、とかするのがイケナイ)、暑さにからきし弱い自分としては、そういう甘い飲み物の快楽にすがりもしないとやってられない。冷静で居られない。じゃあ暑い国なんて旅すんな、と言われても、それはまたヒトのヒトたるゆえであり、そう世の中を理性的に生きることは難しいもんである。

が、どっこい「温かい」甘いものも捨て難いのだ。

やはり日中ど真ん中、というよりも、早朝や夕方以降など、まだ気温が落ち着いている時間に食べたいし売っているモンであるのが、砂糖入りの甘い豆乳に、寒天や豆などの「具」を入ったお椀。同様これもお椀で食べる、トロントロンの豆腐に、生姜シロップを張ったもの。特にこの生姜豆腐は私の大好物で、レンゲですくって舌の上にトローンと載せてやると、――「力ぬいたら?」と肩をポンポンとされているような、未来について慮っている自分に気付かされるのである。

 要するに、ここでは喉の通りがいい「液体系」がいい。

が、「ケーキ」はいかがなものか。

卵の色…というよりは、マーガリンかバターの塊を連想する、黄色がかったその色。

ロシアなど寒い場所ならば、モサモサの感触が温かいお茶の味わいを一層増してくれるし、体を温める燃料だとも思うことにして喜んで手を出すけれども、トコロ変わればその嗜好もカメレオンのように変化する。それは口内の水分を吸い取り、暑さにうだっているのをさらに鬱陶しくさせるものに映る。喉にも膜が張り、体中がベトつくような重ったるさがある。

正直、食指が動かない。ここでならば、「オレ、甘いものって苦手なんだよね」と抜かす気取り屋と話が合うであろう。冷静に、敬遠もしよう。

――食べたことがない、というわけではない。

友人(タイ人)宅にお呼ばれの際、子供の誕生日だからと「ケーキ」を振舞われたことがある。白をベースに、緑や黄色のクリームで文字や花々を描きつけられた、派手な丸いデコレンショーケーキは、子供だけでなく、子供質が眠っている大人の気分をも沸き立たせるものではあろうが、食べてみれば、うーん…。スポンジは、パサパサと乾燥した食感がまず気になる。クリームを舐めれば、「クリーム」という状態ではあるが、それは見てくれの為の「道具」であり、「甘いような気がする」ヌメりのある物体。…まぁ、市場でガラスケースに並んでいる大半が「冷蔵」ではないから、生クリームでなかろう想像はついていたけれども、おそらくマーガリンかショートニングかの加工油脂で作られたクリームだろう。

「誕生日にはケーキを食べる」という、どこぞの習慣をもってきましたと言う以上に無く、まぁそれはそれ、と儀式のように平らげたならば、さあ待ってましたと本気にダイビングすべきは、彼らが振舞う料理の方である。正直、舌の肥えたタイ人としては、ホントにそのケーキで満足なのかと、正直疑問を抱いたものだ。

 そこそこに大きい町にならば、ケーキやクッキー、菓子パン等、欧米志向な菓子を揃える(日本でいえば「洋菓子」)店は、一つや二つはあるもんのようだし、市場においてもあれこれと並んでいるのを目にすることが出来る。が、なんというか、ワーイと嗜好品を味わう喜びに浸るというよりも、「ん?」とソレを二度見しながら食べる、ということが多くないか。

たとえば、「一口ケーキ」。マドレーヌよりもちょっと小さめのものを、いい香りを放ちながら売っている店を、市場の一角でよく見かけるものだ。

タコ焼き用鉄板のように、幾つかの窪みがついた(貝っぽかったり、花形だったり)天板に、生地を(その窪みに)流し込み、オーブンで焼き上げたもので、小さいから焼き上がりも早く、売り場には山に積んであったりする。縁日にあるベビーカステラの屋台を思わせる、その匂いにつられて近づけば、焼き立てホヤホヤをたいてい手に出来るだろう。五個、小さな袋に詰めて五バーツ(十五円)等と、安い。

心浮き立つままにゲットし、即口に入れてみれば、しかし――「…ん?」。焼き立てだからパサパサではない。ないんだけれども、噛み潰したら跳ね返ってくるゴワゴワとした弾力が、「ケーキ」というにはちょっと気になる。そこそこに甘い、素朴な味…で終わるには、咀嚼しているうちに、菓子とは違う、なにか「余分なもの」――匂いなのか、味なのか、が気になってくるのだ。

添加物、…膨張剤・「重曹」のせいなのかとも考えたが、想像するに、生地のくっつき防止の為、焼く前に必ず天板に塗りつける油の質と、天板の金っ気ではないか。おそらく生地にはバニラオイル等の香料が入っていないから、生地に移った天板臭さがストレートに分かるのではないか。香料とはもしかすると、こういう野暮な匂いを消すことが第一目的であったのかと、新たな発見に学んだが、ともあれお菓子とは、バニラやシナモンという、いかにもな「イイ匂い」で誘ってくるもんだと思っている私としては、それはあまりに純朴。素直すぎて、もういいや、となってしまう。

が、その逆に、鼻にウルサイほどに「いい匂い」過ぎる、「クッキー」。

ベットリとしがみついてくる、いかにも人工的な香りが――そう、こちらでちょくちょく見かける、ケバケバしく化粧を塗りたくった女性から放たれる香水のように、ビンビンに効いていたり。…暑さにだけでもゲンナリ酔いそうなのに、と、いくら大食漢・珍しモノ好きな私でも、一度に二枚で十分だったりするのである。

 とはいえ、食べもしないで敬遠するのはよくない。「意外と…!」と目を剥く反応を期待して、経験を積むべしと口にしてみた四角い「バター(とは思われないから、マーガリン)ケーキ」は、アラしっとり。…というよりも、上から溶かしバター(マーガリン)をジュッとかけたんじゃないかというほどに、モロに油っぽく、かつクソ甘かった。バチバチと焼いた秋のサンマのように、これも上からレモンをキュッとしてから食べたいなどと、ケーキに対して発想したのは初めてである。

素朴か、或いは、強すぎるか。

…極端なんだよなぁ。ちょうど良い、ということが滅多にない。まぁ、この印象も私の個人的なモンだと言われればそうなんだけど、ケーキやクッキーといった「あちらの菓子」(洋菓子)とは、タイに昔からある、この地域ならではの「甘いモン」とはとても比較にならない。それらは、女性が雑貨屋で物色する、窓辺に置くガラス細工のようなものに過ぎないのだ。いくら欧米志向が世の傾向とはいえ、タイで「ケーキ」なんてあまりに無理矢理、余計なお世話である。それらを口にするよりも、涼しげなココナッツあんみつ一杯平らげた方がなんぼもいい。気候風土を無視して、グローバルになぞならんでいい――という結論に自分としては安定着地していたところで、この「お土産ケーキ」が、カフェー姉さんによって手渡されたのである。

 

「コンケン」は、「イサーン」と呼ばれるタイ東北部の、真ん中あたりに位置している。イサーンでも人口百七十万を超える大きな県ではあるが、その中心部でも、真新しいビルが聳えていかにも都会、というツンツンした空気もなく、のほほんとしつつも賑わっているという、気楽な雰囲気がいい。タイを訪れてもう何度になるのか忘れたけれども、ここに立ち寄ることなく帰国することは、稀だ。

大きな市場が町の中心部を埋め、横断歩道、道路沿いにもまた、果物やジュース、ドーナツや餅菓子、煎餅等の間食、惣菜を並べた露店のパラソルが重なっている。匂いに釣られ、目新しさに引っ張られ、あっちにこっちによろめいていれば、特に名のある寺だとかを目指さなくとも、一日があっという間に過ぎてしまう。

加えて、この町は飯屋が旨い。それも運命の出会いとまでに思える、私の舌と相性ばっちりな店が数軒あるから、それを一通りこなさねば来た気がせず、スケジュールは行くべき場所でポンポンと埋まってしまうのだ。滞在三日や四日では、新たな店を発見しようなどと費やす暇がない。

市場の中に納まる、とあるコーヒー屋もまた、定位置の一つである。

一人歩きが憚られるような暗さにある早朝――でも、市場は別世界だ。あかあかと、電球を宝石のように灯らせた中で、人がわらわら、目を覚ましたのは遥か昔のような顔で動いている。そのうち、活きのいい湯気を、天に躍らせている場所だ。

コップやコンデンスミルク缶を積み重ねた調理台、湯を沸かす鍋や氷ケース、そして客用のテーブル・椅子。六畳そこそこあるだろうかというコンパクトなスペースだが、ここに、朝っぱらからコーヒーを求める人の、多いこと多いこと。

六時前には既に繁盛の波にのり切っており、貫録ある体格の女主人が、吹き上がる湯気の中で額に汗を滲ませ、コップを並べたり、ビニールをまさぐったり、コーヒーを濾す袋(=ネル)をポットから持ち上げなどしている。

近付き、「おはよう」と声を掛けたら、真っ白にくもった眼鏡をちょっとずり上げて、「おはよう」。朝起きてからまだ浅い、ボケた自分に比べれば、ニッとしたその笑みにあるのは「余裕」だ。とっくに「気」は、立ち上がっているのである。

コンケンの時間とは、日々、ここから始まる。ショートヘアだからまぁそうなのだろうが、くしをシャッシャッと軽く入れただけで眼鏡をかけ、なんとなく美術部員の中学生(偏見)のようなしゃれっ気のなさが私と同類だが、その動きはとにかくテキパキと素早い。頼もしい体格でもあるし、歳はほんの四つか五つ違うだけのハズなのに、とってもしっかりした年配者に見える。

コーヒーはこちらで「カフェー」と、「フ」にアクセントを強くおき、語尾を伸ばし気味に言う。ネスカフェ(インスタント)もあるけれど、豆を轢いたものの方がウマイ。…というのはアタリマエでしょ、とコーヒー好きなら口をそろえるだろうが、こちらの淹れ方での「濃厚」コーヒーが、というのをことわっておく。それは「タイカフェー」或いは「トゥンカフェー」と言い、「トゥン」とは、コーヒーを濾すネット・「ネル」を指す。

コップは、宴会の時のビールグラスの大きさの、ガラスだ。それに、あの甘い甘い練乳の缶を傾け、それをドロッと一センチの深さに垂らしたら、ネルを浸しっぱなしで濃く濃く抽出しておいたコーヒー液を八分目まで注ぎ、おまじない的に無糖練乳を少々タラッとさせて、仕上げる。

練乳一センチというのは「クソ甘い」のではと想像するが、これは同じスタイルのベトナムラオスでのコーヒーに比べれば序の口といえるだろう。ここで詳細は突っ込まないけれども、かの地に比べると、コーヒー牛乳のように優しく、軽いと思えるのだが、まぁ、日本で飲むよりも「濃く」かつ「アマアマ」であることには変わりない。その口の中をサッパリさせる、中国茶の入ったコップ(同型)が、コーヒーに添えられてワンセット。つまり一人につき二つのコップが供される、というのが、コーヒー屋における共通事項だ。

よく笑い、よく喋り、よく動く。肝っ玉太っ腹母さん…と言いたいところであるが、何度再会を果たしても、「まだ?」とお互いに言い合う、独り身だ。タイに初めて通ってからもうすぐ二十年になるうちの一度だけ、「フィアンセ」なる写真を見せてくれたことがあったのだが、その後「さあ、家族は増えたのだろうか」と楽しみに訪れてみれば、そんな話など無かったことのように「そのまま」であり、それに関してひとっことも出てこないから、こちらとしても訊きづらく、あの話は夢だった、と思うしかないのだろう。いつも汗を滴らせてきびきび動いているのに対し、私はいいご身分にのんびりとコーヒーをちびちびやりながらその後ろ姿を眺めているのだが、あんなに忙しそうなのに、いつ来ても痩せていない。

合間をみては隣に座り、私の会話帳をひったくって興味深げに眺めるから、私も遠慮なく会話を試みる。開いたページのタイ語と日本語部分をお互い指でなぞり、懸命に声にだし、時に上手くいかないやりとりに苦笑する中で、「ハイヨ」とお客がやって来たならば、カフェー姉さんはその度に大きな体をよっしゃと再起動させる。そうして次の合間には、ドリアンやらラムヤイ(龍眼)やらを出してくれながら、旅のルートについての質疑応答が始まる。市場の原動力ともいえるプロフェショナルな仕事人でありながら、私と同じ位置にきて、「言葉」というものに頭を悩ませる姿は愉快であり、…嬉しくもあり。

その友人からの「ケーキ」だ。

バスの中で食べてね。この町を去るという、別れの時。いつが最初だったろうか、彼女が土産に渡してくれたのは。

レーズンが数個ポツポツと見える、カップ型のケーキ。

また会おうね。また、カフェーを飲みにくるよ。 

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 車窓が変わりゆく中、ケーキ・三つのうちの一つを手に取り、個包装されているそのビニールをずらした。「いい匂い」がする。いや、「ケバイお姉さん」系とは、ちょっと違うような…。

食べてみる。――と、「アレ?」。不自然な・つまり人工的な香りが添加されているのは確かだが、絡みついてくるほどではない。ケバイさというよりも、なんだろう…緑の瑞々しさを仄かな、優しい香りだ。

…美味しい、じゃん。

スポンジはベーキングパウダーで膨らませたのだろう、大きな気泡が縦に開いてフワフワしている。ベタつくのは大量の油脂のせいだろうが、「油っぽい」よりも「しっとり」という言葉の方が先に出てくる。その口どけが、香りとピッタリと添っており、もう一口したくなる。レーズンが、いいアクセントだ。これがまたミソのような気がする。

 無理矢理平らげるどころか、もう一個欲しい――結局こぶし大三つ、一度に食べてしまった。

 酷暑のタイで、ケーキにハマる、なんて…。

さすがカフェー姉さん。やはり体に説得力が、…なんて、ハタから見れば私も人のことを言えたこっちゃないけれども、なるほど「また食べたい」と思わずにはいられない、いいモン知っているではないか。地元人が選ぶものにハズレなし、か。

 

手を振るあの姿のあと、いつもこの掌に残るのは、ケーキ。

別れのときになって、いつも思い出されることがある。そもそも「ケーキ」って、こういうもんじゃなかったか――。

甘く、そして華やかなケーキとは、ちょっと特別を意味する、贈り物となり得るもの。…いつからだろうか、「クリームの口どけ」とか「スポンジの柔らかさ」とか「甘味のバランス」とか、ウルサイことを云々言い始めたのは。 

「ケーキ」の見てくれに浮き立ち、クリームに胸焼けしながらもフォークを突刺すことをやめなかった、子供の頃を思い出す。「子供だからって味は誤魔化せない」のはホントだが、しかし「見てくれ」に、子供は自分を言い聞かすことが出来るのである。ヌメッとしたクリーム(おそらくバターかマーガリン製の)が塗りつけられたスポンジケーキを、私は明らかに、心から「美味しい」と思ってはいなかった。が、「ケーキ」という存在自体が嬉しい。それを貰った、という事実がウレシイ。それを目前にしている、という状況が嬉しい。嬉しいんだから、美味しい「ハズ」と食べ続けていたのである。

それ、――かけがえのない思いだったのではないか。

 そして、歳を経るにつれて余分なものをいっぱい引っ付けてしまっていたことにも、気づくのだ。

「旧い友人」と言いたい、気の置けなさを感じている人から貰うものであり、つまり「あなたから頂くものならなんでも嬉しい」というモンである。「貰った」その心遣いが非常に嬉しい。それだけで十分、胸いっぱい。よって、ケーキの味云々は問題ではない。たとえ口に合おうが合うまいが、つべこべ言おう気は全く失せていた――んだけれども、云々できるほどにウマかった。結局、意外にウマかったからこそ思い出せた、ケーキというものがその奥で背負っている価値。…うーん…。

なんでも、家の隣が菓子屋で、そこから買うのだという。…じゃあ、次はそのコネで入り込み、作り方を見学させてもらえばいいじゃん。

次、コンケンに滞在するお楽しみがまた一つ。

 

モト(詳細)はこちら↓

https://docs.google.com/document/d/1oIf9kXJSsIE268Y2_hJwRkQE9D9fTXf9WPASBkmVA4Q/edit?usp=sharing

「トラディツォナール」・パンケーキ ~ルーマニア・シビウ

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 赤茶けた煉瓦の塀は、所々が剥がれ落ちて粉を吹き、荒れた肌を晒している。石畳に染み付いた、あたかも木洩れ日でできた影のようなグレーの斑模様が、「時代」をいっそう漂わせるようだ。

  ルーマニア中部・トランシルヴァニア地方の町、シビウ。

  朝八時になろうかという頃、散歩へと宿から出てそぞろに歩いてみると、町はしんとして、犬の散歩をする人の靴音が響き渡るほどだ。日本じゃ「見えざる力」に背中を押されたウンザリ顔の人々が、電車の中でひしめいている時間であり、その感覚でいえば、早朝五時か六時ともいえる静けさである。ガッコや会社の始業は一体何時がフツーなのだろうか、八時代から営業していると分かるのは銀行ぐらいであり、なんだか飛び抜けて例外な施設、のように思われてくる。

 通りに沿った家々や商店はほぼ密着して並んでいるが、てっぺんが水平なビルが入り込んでいるわけでもなく、無秩序的な感はない。どころか、寄り集まっているからよけいに――噛めば噛むほどその旨みが滲み出るスルメのように、時の流れとともに醸成した汁を濃く湛えており、その匂い・地に据わったひとつの「世界」を、町全体でもって異文化からやって来た人間に知らしめているようだ。

 ぐにゃりとした柔らかさ、とでもいうのか、フリーハンドで描いたような緩い輪郭の建物たち――それぞれがこれみよがしとオデコをおろす、その屋根の表面にビッシリと張り付く瓦とは日本のものに比べれば小さいのか、近眼の私がパッと見ると、籐製の籠の目のようだ。或いは燕の巣。所々がカサブタのように剥げ、時の流れに自然に任せたまま放ったらかしているのは、これも味わいのウチ、と開き直っているのか。

 どこか、絵本の世界にでも立っているような気がしてくる。たいてい二階建てのようだが個性を尊重されて、ケースの中の色鉛筆みたいにノッポもあればチビもある。加えて坂道だから、ジッと天を見ていると、乱高下する空の高さに「あれ?」と、感覚が斜めになってくるようで少々フラついてしまう。

  そのなかで唯一震えも揺れもない、ものさしでシャッと引いたような線にあるのは教会であり、だからこそ「神聖な場所」であることを浮き立たせているようだ。

  一二世紀、シビウはドイツ人入植者たちによって作り上げられた町で、商業で栄え、1571年から1711年までは、ハンガリー人が支配層である「トランシルヴァニア公国」において重要な地点であったという。トランシルヴァニア公国はのちにハプスブルク家の統治する「ハプスブルク帝国」の支配下となり、さらに第一次大戦後、ハプスブルク家オーストリア皇帝とハンガリー国王を兼ねる「オーストリア・ハンガリー帝国」が解体されると、シビウは「ルーマニア王国」(1878年オスマン帝国より独立)に併合される。(のち、ルーマニア王国は王政が廃止されて「ルーマニア民共和国」となり(1947年)、「ルーマニア社会主義共和国」と改称(1965年)。1989年の革命を経て、現在の「ルーマニア共和国」となる。)

 シビウにおける現在の人口は約十七万人。民族構成はルーマニア人が95%を占め、ハンガリー人(2%)ドイツ人(1.5%)と続く。(wikipediaより)

「ドイツ色が強い町並み」らしい。…と、「ドイツ色」たるものが、行ったことが無いからすんなり「そうね」とは出てこないんだけれども、「中世っぽい」とか「歴史的」等の言葉を並べたくなるこの感じが、だろうか。コクのある味わい――それも、無理に保存している感がないから嫌味がない。ツーリスティックな気取りがない。

  私としては、旅のルートにあり、地図も(ガイドブックに)あるし宿もそこそこの値段みたいだし、ということでほぼ気まぐれ的に立ち寄ったのだが――旅番組のナレーター気取りで、町のそぞろ歩きに酔うのも悪くなさそう。墨汁を零したように、角っこから蔦が絡み、伸びに伸びて壁を覆い、窓の部分だけぽっかり「ナニ?」と目を開けているような家々に向かって、「ねぇおばあちゃん」などと、おとぎ話のノリで話しかけたくなってくる。

  旅というものに、特に風情を求めてはいない私でさえこんな風だから、観光メインでこの辺を回る人にとっては放っておけない処だろう。小さくとも、外国から・多くは欧米からの旅行者がそこそこやって来る町のようで、いかにも外国人受けを狙っているカフェや土産物屋が並ぶエリアもあることはあるし、私が泊まった家族経営の小さな安宿もまた、ただ安いだけじゃなく、庭には石ころを敷き詰めてガーデニングもさりげなく、屋内には雑貨屋的なインテリアを配置するなど、町にしっくり溶け込んだ家屋でありながらも快適さ・居心地の良さを目指していることがうかがえた。おそらく宣伝には、外国の「自分の家」のような感覚でくつろいで欲しい、という文句がきっとある。

 

  単なる散歩は「外出」の範疇にはみなさないのか、頭にカーラーを巻いたまま通り過ぎるおばさんに、のんびりとした街の雰囲気が伝わってくる。たまに、勢いあるツカツカ音に気付いて前を見れば、細い紐を肩から吊り下げてゴージャスにヒダをなびかせる、青いワンピース姿の女性がやってくる。こちらにとっては「結婚式用」ともみなせる服を、普段から着こなす女性をこの地で目にするのは珍しくなく(日本でもたまにコスプレ嬢に会うけれども)、「こんな派手な服は外に着て出られない」というセリフなんて存在しないだろうきっと。

 そうやってフラフラ、よそ見しぃしぃ小一時間ほど歩いたのは、「朝飯探し」が目的でもあったからだが、全くもって、どこもかしこも「開店前」。出直して来いと言われているような、妙に響き渡る鳥たちのさえずりを背に、じゃあ宿に一旦戻って無料のコーヒーでも――という時に、見ぃつけた。

  というよりやっと、気付いたのである。

「ソコ」は、宿から町の中心部へ向かう、という時に必ず歩いていた通りに在った。しかし看板などの目印となる自己主張もなく、「絵画な景色」にすっかりと収まり込んだその前を毎回通り過ぎるだけであったのだが、見慣れてきたからだろうか。……なぜだか浮いていないかココ、と、ふと違和感が生じ、立ち止まった。

――ガラス戸である。ソコだけ「透き通っている」。ギィィ…っと軋む音を思う、木製の門や重そうなドアが並んでいるような中で、ナンか軽いというか、そぐわないことないか。

「何かある」と、ピンときた。…っていうか、開け放たれており、その中を覗いてみると、ガラスのテーブルが大小二つあり、パイプの椅子も数個。

「店」みたいだ。…食堂、だろうか。

誰かいる。肩から腰までが一本の大樹のような、頼りがいありそうな背中――が、こちらの気配を察したのか、ちょろっと翻った。

 おばあさんだ。頭に三角巾をすっかりと頭に覆い、眉間にしわを寄せている。ほんの少し覗かせた白髪の生え際、その下の目は「どうしたの?」とでも言いたげにクリクリと瞬いて、…イヤ、あの…、と、なんとなく、こちらが狼狽えてしまう。

 おばあさんが向かっていた壁際は、キッチンスペースだ。角っこには2ドア式の冷蔵庫があり、その横には引き出しと開きがついたステンレスの調理台、そしてさらに隣には下にオーブンが備わった三口のガスコンロがある。頭上の開き棚といい、ステンレス台以外は殆どが木目調であり、「店の厨房」というよりは「ウチの台所」のインテリアだ。しかもコンロの隅にある「流し」が、簡易洗面台的というか、あまりにこじんまりして使い難そう――ホントに店だよね、と、テーブルのセッティングや、支払い用レジの存在を改めて見直してしまう。

いま逃げるのもヘンだし、とりあえず「初めまして」とだいぶん口慣れてきたルーマニア語を呟きながら屋内へと踏み入れた。何を売っているんですかココ、と。

  と、その太い腕、大きな指の先にある、搗きたての餅のような「玉」に釘付けになった。

   野球ボールよりはやや大きい、白い粉のまぶった丸い――「生地」らしいものが、赤いプラスチックのトレイに十個か十二個か納まっている。赤ちゃんの膨らんだ頬のような、いかにもヤワヤワな感触が、ただ見ているだけなのに不思議とリアルに伝わってくる。

  裾を出した半袖シャツとズボンの上から、白地に赤縞のエプロン姿。「味噌作り」…なんてやんないだろうし「餅搗き」もしないだろうけど、三角巾を締めたその出で立ちに、町内の婦人会でイソイソ出かけてゆく田舎の叔母の姿が思い出される。が、婦人会でもなく、いまここにはおばあさん一人きりのようで、その腕は生地を扱っている只中である。店番というわけでもなく、ここのメインのなる職人のようだ。

  …パンの生地、だろうか。

――「プラティーナ」と言った。

フツウの単語覚えはいまひとつだが、食いモンに関しては、脳細胞の隅っこ、どこかしらにひっかかっているモンである。ガイドブックだったかエッセイだったかで、読んだことのある単語の響きだ。

ルーマニア版・パンケーキ」。

本格的な「地もの」を発見したのかもしれないと、朝限定で提供される無料の「挽きたてコーヒー」などどこぞに飛んでしまい、浮き立った。もちろん、ひとつ欲しい。

 ――見せてほしい。

 

 

 一旦、台に散っていた小麦粉を綺麗に拭きとり、表面のステンレスを光らせたら、生地を一つ、トレイからムニュっと掴んで前へ持ってくる。捏ねて捏ねて、「発酵」させたことが伺える弾力だ。その端を口にくわえ、ビヨーンと引き伸ばす心地に酔ってみたい。

台の上、小さな容器に入った「サラダ油」に手を浸し、そのテカった手で生地を潰すよう、円形のCDサイズに広げてゆく。くっつき防止の為の、手粉ならぬ「手油」である。

そうしてテカりの移った生地の上に、「具」を載せる。

「数種あるヨ」――と見せてくれた「具」とは、「チーズ」「じゃがいも」「スメタナサワークリーム)」等々…。そしてデザート的に、「リンゴの甘煮」が、種類別に容器に入っている。

「バルザ」を選択した。バルザとはキャベツの意味だ。

「具はキャベツ」とだけ耳にしたならばフツー、キャベツには悪いが正直「華」がないというか、「キャベツぅ?」とトーン低く吐き出すだけで、まず自ら進んで選ぶことはないと思う。だがここ・ルーマニアでのキャベツ料理は結構侮れないのである。

食事どきに、総菜屋(スーパーの)で出来合いを買い込むことが結構あるが、上手そうな色の肉煮込みの「ついで」とばかりに、炒めてあったり、漬け汁に浸かってしんなりしている「キャベツおかず」をよく買うんだけれども、たいていハズレがなく、ともすればメインよりも印象に残るほどに味が良いのである。だからきっと、コレを選んでおいたらば、おそらく無難には満足できるだろう。なますのように細切りになっているそれは、やはり見た目は地味なんだけど、作り手がこのおばあさんであろうからして「熟練の」味であることもなんとなく期待されたわけだ。

 しんなりとしたその汁気をギューッと絞り、たっぷりと、広げた円盤の上に載せる。…タップリすぎやしないか。食う側としてはモチロン、具とは多ければ多いほどに喜ばしいんだけれども、果たして包めるのだろうか――と見ていると、これが丸く収まるもんなのである。生地の端っこ部分、僅かに残されているノリしろを摘まんでクイッと円の中心部分まで引っ張たら、生地が動かないよう抑えているもう一方の手に、その(摘まんだ)部分を渡す。

 それからはもう肉まんの具を包むイメージで、ぐるっと円周に沿って「摘まんでは中心に寄せて」ゆき、最終的に具を包み込んでゆく。 

 どっしりと、安定感のある大きな手だ。そして一つ動作を変えるごとに、「ネ」と念を押す。――こちらとしては、隅っこから邪魔にならないよう眺めるだけのつもりだったのだが、ノリはお料理教室的に、ゆっくり、スローで手つきを見せてくれるのである。面倒見の良さがにじみ出ている顔だ。いきなり踏み込んで来たハズなのに、こちらも最初からそのつもりだったかのような気になってくる。

  そうしてすっかりと包みキュッと締めたら、上から押し潰すよう再び「円盤」へとそれを広げる。直径二十センチ程度か。中の具は生地にビトッと密着し、ツブツブとした跡が表から伺えるけれども、どうにか突き破らずにいてくれている。

で、これを焼く。既にコンロに準備してある、昭和の台所にあるような鉄製の真っ黒いフライパンに油を「ひく」――どころではない。ポトポトポ…と、実にいい音を鳴らしてボトルから注ぎ込まれた油は、波打ち、天井の照明を反射していた。

作り手である頭巾ばあちゃんの腰回りに、…ウン、と納得してしまう。



  ――出来た。

  コンガリと焼き上がった(揚がった)のを、トングでフライパンの上からぶら下げるように挟んで余分な油を滴らせ、とりあえずキッチンペーパーを敷いた皿の上へ置く。みるみる油のシミが出来てゆき、――どうか、ぐんぐんと油を吸い取っておくれ。

  ルーマニア版「パンケーキ」…?

 英語で説明するとしたら、…まぁ、「パン」(フライパン)で焼くからそれはそうなのかもしれないけれども。お好み焼きを「広島風パンケーキ」というのと同じぐらい、現物を見るとちょっと無理やりな感がなくもない。

 「パンケーキ」というと、一面ムラなく焼き上がった「どら焼き」色(理想)の円盤型に、バターを載せ蜂蜜を垂らし、ナイフで三角に切りながら食べる、というアレを浮かべる(それより分厚いのが「ホットケーキ」)。その断面は細かい気泡の入ったスポンジ状であり、「ケーキ」という言葉もそう違和感がないが、この円盤の、斑に強い(黒い)焦げ色がついたヒョウ柄はどちらかというと「蜂蜜タラり」のソレよりも、インドの無発酵パン「チャパティ」に似ている。1.5センチ程度の厚みは、卵の力でフンワリ膨らませたのではなく、発酵した生地であるにしても単純に「具」を包み込んだことに因る部分が多く、「パンケーキ大」のいわゆる「お焼き」(長野名物を想像して)である。いや、「焼き」というよりは「焼き揚げ」――素直に「揚げパン」と認めてあげていいと思う。

 

   出来上がった円盤状を半分に折り、それに白いキッチンペーパーを巻き付けたら、半透明のビニール袋に入れる。「テーブルにいきなさい」と促されて座ると、もう一枚ペーパーを千切り、それを敷いた皿の上にビニールごと載せて、「召し上がれ」。

  …って、エラい丁寧な。持ち帰りならともかく「今、ここで食べる」と言っているだから、素肌を晒した「円盤」のまま皿に直接のせ、フォークとナイフでもつけてくれたらもういいんじゃないかと思うんだけども。それとも、サンドイッチのように、手に取って「齧り付いて」食うモンなのか。

 ならば確かにビニール袋はあった方がいい。「ココ持って」のつもりの白い紙とはいえ油が既に染み渡っていて、触れる前からもう、指がヌメってくるようだ。だが、ビニールに入っているのに皿にのせ、加えて紙も敷くのって、ちょっと無駄なんじゃないか。和菓子に懐紙が敷かれるように、「皿の上に直接置くってのは、なんだか無粋」とかいう感覚があるのだろうか。経費節約しなくていいのか、ばあちゃん。

とはいえ、そんなことはホントはどうでもいいのである。――出来立てだ。食べる前からもう、熱気が肌を刺激している。それだけで贅沢であり、ウレシイ。

半月形となったその先端から、いざ。

ボコボコと水膨れとなり、斑模様となった表面は、出来たての「サクッ」感もありながら、噛み千切るときの「伸び」もある。油で火を通すからのこその香ばしさと、甘さがまたイイ。

 炊き立てのご飯のように、この皮部分だけでも食べ進められる気がする――が、やはり。スポットを当てて味わうべきは「バルザ」だろう。中から、やや太めの千切り、その切れっぱしが、「どうも、ご指名されまして」と垂れ下っている。

   …「甘い」。

 なにか香草らしきもののみじん切りが、ちくわ天に混じる青のり程度に混じり込んではいるが、それ以外のものは見当たらない。なのに「玉ねぎの飴色炒め」?と思えるほどのその甘味は、いったいいかなるマジックを加えたのか。それとも、この青のりがポイントなのか。

  反応に気づいた頭巾ばあちゃんは、改めてそれが入ったポリ容器を持ってきて、蓋をめ  くり見せてくれた。たびたび気にかけて貰い、まるで自分とは小さな迷子ちゃんみたいな気がして少々恥ずかしくなるなか、フライパンに指をさしながら、何ぞやを説明してくれる(もちろんルーマニア語。私は旅用会話の本しか持っていないのだが)。その動作と、特に変わった色をしていない中身のその見た目から察するに、おそらくキャベツを塩コショウで単に炒めただけだろう(テーブルの上の塩、コショウを指差した)。

  だが「それだけで、コレ?」と、長年慣れ親しんできたキャベツの一体どこを捲ればこうなり得るのか不思議不可思議極まりないその旨み――期待以上である。おそるべしはルーマニアのキャベツ料理であり、なんと安上がりに得られる感動なのだろうかと、皮肉抜きで敬意を表する。

  表面の油っ気に慄いたものの「しつこさ」はなく、出来立ての美味しさに騙されてアッサリ食べ進めてしまった。実際、「アッサリ」とはこの体を通り抜けてくれないんだろうと、口の周り、そして指の「ベッタベタ」を思えば推して知るべし。

  この指でカバンなんて触りたくないから、ナルホド、「皿の上のペーパー」というのは丁度欲しい「もう一枚」なのだ。一見、紙の過剰サービスにも思えたが、考え抜かれた「セット」だったのか。確かにテーブルの上に「どうぞご自由に」とまとめて置いて、手持無沙汰にパッパッと必要以上に抜き取られてしまうより無駄もなく、過剰どころかよっぽどいい、というモンかもしれない。

トランシルヴァニアの、伝統的な食べ物よ。」

――とは、「空から光が降り注ぎ、大地に目を落とすと、焼け野原は一面の花畑へと姿を変えていた」とかいう捻った文章でもないから、単純に単語をピックアップしてゆけば簡単に理解できるセンテンス。

「トラディツィォナール」――なんとカッコイイ響きであることか。

 だがいかにも「職人」がつくった、という気張った感などは無く、その姿そのままに「おばあちゃんの台所仕事」。――…ってそれこそが昔からここに在ることの証明みたいなモンであり、あぁ、だから「トラディツィォナール」なのかと、説得力がドンとくる。

  九時開店だという。

ということは、明日もまた、それより前に行くべし。散歩をやめて直行したならば、きっと、生地捏ねから見られることだろう。

…今度は、具にチーズを入れて貰ってみようか。

 

(訪問時2013年)

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「ワッサン」の優しさ ~ポンデチェリー

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疲れた…。

『「クリスマス」には避けるべし』――とあったガイドブックのお触れ書き通り、インド南端部のヒンドゥー教聖地・ラーメーシュワラムで、「宿無し」事態に陥った。クリスマスや年明け前後は、インドにおいても長期休暇をとる時期であり、「聖地」は、主要な彼らのお出かけ先となる。

「聖地」――こちらにとってはゲームの世界ともいうべき無縁な単語であり、響きの格好よさに、せめて一泊なりともしてみたいのが、気まぐれにやってきた「にわか巡礼者」には、とても太刀打ちできない世界なのか。普通は絶対にその玄関先に立ち止まることのない高めのホテル(四、五千円)を断腸の思いで尋ねてみても、「フル」と準備していたかのように首を振る、チョボひげ・パンチパーマのレセプションたち。インド人の巡礼ラッシュの前には、なす術も無かった。

野宿する度胸もない。チャプチャプと聖なる大海に浸り、沐浴だか水遊びだかに興じる人々をアクセントに、「向こうはスリランカですなぁ」という感慨半分、「泊まれない」口惜しさ半分で水平線を睨むように眺めつくしたら、夜行バスで移動を決め込んだ。

行先は、「ポンデシェリー」。

夜行バスに乗る甲斐ある(睡眠時間が取れる)距離に位置する町を、適当に選んだ。ラーメーシュワラムと同様、タミルナードゥー州にあり、ベンガル湾に面する町だ。

が、恐るべし「クリスマス」――到着して探した宿、三、四件と断られ続けて暫く彷徨い、聖地の悪夢またしても――と泣きたくなっところで、運よく、しかも理想的な「安宿」をゲットすることが出来た。と、ドッと寝込んでしまった。砂埃にまみれまくったし、夜行バス車内の急激な冷房にもやられたのかもしれない。…歳をとったもんである。

 

ベッドに横たわり、暫く体が受け付けるるものはバナナと水のみであったのだが、気の済むまで寝つくしたなら、「ちゃんと」食欲も出てくるもんである。オカズっ気が欲しい。口の中でしっかりとした噛み応えが欲しい。

とはいえ、腹には少々おもりがぶら下がっているようなダルさがあって、本調子とはいえない。刺激的なスパイス料理に立ち向かおう気概がなく(とはいえ、スパイスは胃薬の原料でもあるのだが)、ポピュラーな軽食である「サモサ」(コロッケ種のようなイモおかずを、小麦粉で練った皮で包んで揚げたもの)や「パコーラ」(野菜の衣揚げ)等の、油の中をたっぷんたぷんと泳いだ揚げ物スナックも、ヘビーでシンドイ。だからってクッキーで済ますというのは味気ないし、バナナを食べて凌ぐのも飽きてしまった。

インドに行ったら、インドのものしか食べたくない。一旦日本を離れたなら、醤油依存症はロウソクの火を吹いたように消え、とことん現地の食で通す。食べることに関しては、郷に入っては郷に没入するのが信条だ。もちろん日本食を携えて旅に出ることもなく、現地の日本食レストランの類に飛び込むということも無い。

――んだけれども、ビョーキの時は別だ。

人間弱った時というのは、食べ慣れていたものが恋しくなるもんなのだろうか。「現地流」が自分を離れ、テレビの向こうを見るように「他人事」な世界に思えてくる。艶やかな膜で甘味を閉じ込めた、まっさらなおかゆ。そしてふくよかな香り漂わせる味噌汁が脳裏に浮かぶ。自分の体に長年寄り添ってくれていたものたちの有難みが、この時浮き上がってくるのである。…って、モチロン望んでも、レトルトなりとも持ってないから仕方ないんだけれども、そういう優しげなものが欲しい。

舞い上がる埃。そして「カッ」と天から叱られているような、脳天に直撃する直射日光に、たった数歩のところで町に繰り出したことを後悔するが、背を翻すのも面倒くさく、惰性のままに歩き続けた。瓶のお掃除ブラシのように、青いバナナがびっしりと生っている太い幹(っていうの?)を、何本も路上に並べ、多くの人が、その立て掛けている隙間から、中へと入り込んでゆくその先に、市場の賑わいが広がっていることが、「匂う」。普段なら心湧き立ち、捨て置かないはずのエリアであるのだが、今はちょっと近付く気力・体力がない。――どころか、うんざりとしている。「これではいかん」とも思わないのが、弱っている証拠だろう。

果たして「食べたいもの」って見つかるのだろうか。意味もなく歩きまわり、袋入りのビスケットと牛乳を、雑貨屋で買って終わりとなるハメが見えてきた。そんなことになるならば、無理矢理でも食堂の椅子に座ろうか…。

と、雑貨屋風情の店を通り過ぎようとすると、遠くからではガラスに反射していた、店頭の戸棚の中が見えてきた。ポクポクと丸っこい、茶色いものが並んでいる。そう、「雑貨屋」にしては何か、ムン、と匂わなくもなかったのだが、その色を目にして、なるほど、と確信した。

「パン」だ。

なんとなく「昭和」を思う、ひなびた駄菓子屋という感じの店構え。ガラス棚の木枠は所々が剥げており、祖母の家の台所の、食器棚としても違和感がない。二段の棚、それぞれには新聞紙が敷かれており、上段にはコッペパンのような棒型――給食のよりは1.5倍はあるパンが積み重なっており、下段には小型の丸パンと、それより一回り大きいロールパン。ロールは、よくあるバターロールのようにこじんまり丸まっているわけではなく、カレンダーのように巻いた生地の両端を、内側へクイッと曲げた、というような、なんとなく横歩きする「カニ」を連想させる形だ。が、丸パンが十数個並んでいるのに比べて、カニはたった一つ、取り残されたようにポツンとしていた。

 なんとなく、柔らかそうなパンだ。そのクリームブラウンの焼き色には、生地にミルクや砂糖、油脂が混ぜ込んであると想像がつく。「柔らかそう」な、かつ、「甘そう」な――皮がバリバリっとしてクセがないフランスパンというよりは、歯をその表面に突き立てる必要もなく、分かり易い味の、日本のコッペパンやアンパン、クリームパンのような感じだろう。どれも同じ焼き色だから、成形を変えてはいても、生地はみな同じなのかもしれない。

 インドでパンといえば、「ナン」である。

壺型の窯で焼き上げる、平べったくて大きなパン。…といっても「ナン」よりも「チャパティ」という、よりペッタリと薄い無醗酵のパンの方がよく食べられるものなのだが、ともあれ日本のインド料理屋でもっぱら有名な「ナン」とは、「パン」といえばフックラしたもの、というのが常識の世界で育った私にとっても、横に平べったくデカいという形の新鮮さに加え、アッツアッツの「焼き立て」が供されることが常識なんていう喜ばしいものであり、パンとはいえど別格であるもののような感がある。インド料理屋に入って、カレーのお供に「『ライス』にしますか、それとも『ナン』?」と訊かれるのが、わざとらしい儀式のように感じてならない。ライスを選ぶ人なんておるんかい――っているのであり、カレーよりもこれを食べたいがために店に来た自分としては、憐れみの目でそれを茫然と見つめてしまう。全くもって大きなお世話も甚だしい。

そしていま。インドにやって来ておいて、「ナン」を素通りするなんて愚は犯すわけはない。――んだけれども、今は異文化にウホウホと頬を膨らませる気分ではない。欲するのは、「安堵」である。

 フワフワのパン。…いいんじゃないか。

コッペパンだのメロンパンダのクリームパンだのの、昔ながらのフワフワパン――というものは、たいてい「パサパサ」である危険性を孕む。(時間が経つと水分が抜け、劣化が著しい)。特にパンを主食とする国々を旅するようになってから、私は日本の食パン・菓子パンの、その噛み応えの物足りなさ、腹に溜まらない軽さ――「食った」感の乏しさに魅力を感じなくなったのだが、いま、この胃にぴったりとはまるといえばまさにソレ、だろう。どうのこうの言っても、確かに私はそういうパンに長年触れて、育ってきたのである。

窯の熱回りを正直に映し出している、濃淡とムラのあるパンのブラウン色。「均一な色で焼き上がるわけないジャン」と開き直ったようなシロウトくささが、いかにも素朴。飾り気が全くない。一つだけ残されたカニパンの「ロール型」が、唯一の「オシャレ」に映る。

…なんだか、ますます惹かれてきてしまった。袋菓子を買い込んでバリバリと食むよりは、よっぽど「この町で食った」というハンコひとつ押せるものではないか。

「ひとつ、ください。」

近づいた時点で気づくだろうに、呼ばれて「あ、客?」と数歩前に出て、戸棚へとデコを近づける、商売っ気ないランニングシャツのおじさん。「カニ」を指さすと、ズズッと、砂をこするような音でその引き戸をスライドさせ、こちらの指の行き先に合うヤツを、ピンクのビニール越しに手にとった。

「『ワッサン』ね?」

そう言ってビニールをクルッと裏返し、めくれ上がった棚の新聞紙をちょっと直したら、その引き戸をまたズズ…と締める。木枠と同じ、ダークブラウンの肌。使い込まれまくったような武骨な腕は、強そうだ。

「ワッサン」…。

見た目より、随分とズッシリした重みが手にかかっている。

 

 

 腰を落ち着け、パンを千切ろうとした場所は、食堂である。

とはいえ、天井に灯るランプの光を反射しているるテーブルが、ツルツルッとした大理石模様(「模様」だけ)という、少々「レストラン」ッ気漂う場所であり、大衆食堂専門の私にとっては一段階「ハレ」の場所である。

カフカのパンを添える、「スープ」がまた欲しくなった。かつ「ナン」じゃないんだから、スパイスから一線を置いたような、波のない優しい味のもの。…と、意外だったのだが、そのようなスープもまたインドでは極上に旨いのである。とはいえここはインドだから、おそらく隠し味に(スパイス類が)入ってはいるのだろうけれども、刺激は全く突出しておらず、結露の窓に滲んでいる雪景色を眺めながら炬燵でヌクヌクと温まる時のような、お腹がホコホコと幸せの湯船に浸ることの出来る、スープ。そういうのに旅行者が出合うには、ちょっと「高め」の店に入った方が率が高いことを、なんとなく学んでいた。

 「チキンスープ」と共に。黄色く濁った汁には、溶いた卵が雲のように散り、鶏の肉片も二三切れ浮いているのが見える。トロミを思わせる艶には、いかにも滋養が濃縮しているかのようだ。温かいうちに一口、と啜ると、瞬間体が歓喜した。

 さて、パンである。

『ワッサン』…ってばやっぱり「クロワッサン」のことだろうが、そう言われて初めて、その形ってば「カニ」じゃなくて…と気付いた。とはいえ、「クロワッサン」たるべき、触る度、口に入れる度にパリパリと剥がれてクズが散るという、バターの層など皆無だから、無理もないんじゃないか。「クロワッサン」なんて、形だけである。

底が、見事に焦げている。…ってこれまた素朴感ひとしおだなぁ、と、カニ足部分を千切ろうとすると、指に少々の力を入れる必要があった。固くはないが、されるがままになるもんか、という抵抗力がある。その「ひき」と、モッサリと詰まった中の具合は、なんとなく脱脂綿の塊を連想しなくもない。

食べてみると、…「フワフワ」なんてもんじゃなく、またパサパサと感じる余地もない。ゴムを新調したパンツのように、活きの良い噛み応えがあり、その、どっしりと腰の入った網目が水分を逃さず、シットリ感を保持しているようでもある。かつ、明確な「甘さ」がゆるぎなく居座り、それは意志といってもいいのかもしれない。

ウマイ…。

「甘いパン」はたいていフワフワと心もとないもの――とは、思い込みだった。甘く、かつこれほどの弾力とは…。

癖になる。「ナン」ではなく、インドで「パン」を美味しいと思うとは想像していなかった。底の部分が、焦げ色の強いその見た目のままに、焼き込まれてガリっとなっているのがまたイイ。敢えて「焦げる」ようやってんだと言い訳されても、反論できない強力な説得力がある。

 

ここだからこそ在り得る、「ワッサン」――か。

つまり、それは言わずとも知れた「フランス」である。かつてインドは英国の植民地に組み入れられたが、そんな中でここ・「ポンデチェリー」はフランスの植民地として維持された歴史がある。よって仏語的に「ポンデシェリー」或いは「プドゥシェリー」とも呼ばれるが、もともとの現地名は「プドゥッチェーリ」と発音するのが近いらしく(wikipedia)、「ポンデチェリー」というのは英国的な呼び方である。私が英語的に呼んでいるのは、ガイドブックにもそうあるもんだから真に受けて呼び慣れただけのことで、他意はない。

というわけで、この街の歴史に入り込んだ「フランス性」が垣間見られるものとして、「ワッサン」はある。

ところで、である。

インドなら「ナン」だ、或いは「チャパティ」だ――とは前述したものの、それら平焼きのパン・つまり「小麦食」は、インドの北部地方においてよく食されるものであり、一方、このタミル地方を含む南部において、主食とされているのは実は小麦ではなくて「米」である。南部において愛しの「ナン」(チャパティでもいいんだけど)を食べたいならば、北部地方の料理をウリにする専門食堂(たいていちょっと高めの「レストラン」)でやっとお目見え出来るモンであり、普段、そうしょっちゅう口にするモンではないことは、ともすれば「日本におけるインド料理屋のナン」と同じであるともいえる。

よってその点、「南にいる」ってちょっとガックリなことだなぁ、という気分ではあるのだが、だからこそ存在する「ワッサン」なのだろうか、とも思う。元来しっかとした小麦粉食の形態が根付いているところ・つまり「北」に、ワッサンなんていう、フランス経由の新参者は見向きもされない、入り込む余地なんてないのかもしれない。

ワッサン――「クロワッサン」。…って繰り返すけれども、それが身上である「層」なんてかけらもない。そもそも、バターを、「溶かし込むことなく生地に折り込んでゆく」作業は、このクソ暑いインドでは至難の業というか、冷房が、冷蔵庫なみにキンキンに効いた作業場でないと無理だろう。だがそのおかげで、…というべきか知らないけれども、代わりになんとも味わい豊かな「ワッサン」が出来上がったものである。

気候が変わり、作り手が変わることで、それはソコでしか見られない独自のものが出来上がり、定着した。まさにこれは、インドにある、この街だからこそ生まれ得た「ワッサン」という以外になく、オリジナルの「クロワッサン」は、それが羽ばたけるトランポリンの役割を担ったのだ。

 

ハタと、凝視する自分に気づいた。配線図を辿るような寄った目で、前にあるものを味わいつくそうと。

このパン。そして、ふくよかなスープ。…体から噴水のように、喜びがほとばしる。これはエネルギーである。

――よし、いつもの調子だ。

餅の楽しみ ~西安

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食堂の炊飯器ならば、このくらいはあるだろうか。――フタが、である。大人が頭上で両腕をあげ、「オッケー」と大きなマルをつくるよりも、まだ大きいと思う。

そのフタをめくれば、鉄板。電気仕掛けのやつが、その円周をちょうどすっぽりと囲む台に埋め込まれており、フタはその台の端と金具で留められているから、めくってもその置場にきょろきょろとする必要はない。救急箱じゃあるまいし、そういうパックリ口の調理機器って珍しい――ってそのお馴染中のお馴染・炊飯器がそのようだった。ついでに思い出したけれども、ウチに使わなくなってから一五年は経つ「電気フライヤー」もまた、パックリ開け閉め型った。揚げている最中にカチッとフタが出来るから、油が飛び散らない。フツウなら、油が跳ねて、そこらじゅう掃除する羽目になる揚げ油というものを、「すき焼き」をするかのように食卓の真ん中に置き、油から引き抜いた「揚げたて」を口にするなんてことが出来ることに飛びついたんだけど、ウチのそれってばフタを取り外すことが出来ず、洗うのがめっぽうメンドくさいのである。新式はどうなっているのか知らないけれども、「フタは外せたほうがいい」という社内意見がいっこも出なかったのは、ちょっといかんのじゃないかメーカー、と思わなくもない。

 が、「ソレ」、巨大で重そうだし。何度も開け閉めするから、その置き場をイチイチ探してはおれんのだろう。

フタをカチッと開ければ、ジクジクと油を跳ね散らかす音が鮮明になる。円型の鉄板には、そのきわから一、二センチほど内側に引っ込んだ円盤が、表面にまだら模様を焼きつけて収まっている。

 

西安

早朝から稼働している市場はあるだろうかと歩き回っていたが、殆どが、自分の溜息さえ響く静かな通りでしかなかった。早すぎたのだろうか――と、あまりの動きのなさに諦め始めた頃、大通りから中に入ってそれからどう歩いたっけか、青白い空気の中でただ一か所、ポワンとしたオレンジ色の光がはみ出している空間が遠くに見えた。影絵のような数人の後ろ姿が、ジッとそこに佇んでいる。待っている。私もまさに待たれていたように、近づいた。

「煎餅屋」である。といっても、テレビを見ながらバリバリするお茶の間の菓子でもなければ、「餅」という字が付くからって、日本の正月の必需品・「モチ」を意味するわけでもない。「餅」は「ピン」と発音し、中国において小麦粉製品(小麦粉を水で練ったもの)全般を差し、さらに「煎餅」(=ジェンピン)とは、平べったく伸ばすなどした生地を、(鉄板等で)コンガリと両面を焼き上げたものである。小麦粉の――そういえば、「太鼓煎餅」とか日本にもあるよね、というアレも「ホットケーキ」もまぁその分類に入れないこともないのだろうが、中国で「煎餅」と掲げられるとき、生地は、ホットケーキ用ほどにトロトロとゆるくもなく、餃子用のように捏ねることのできる、弾力がある生地を焼き上げたものが殆どであり、かついかにも「菓子」である甘い味は少数派である。たとえに出すならば、野沢菜などを入れ込んで焼く、長野で知られた「おやき」がしっくりとくるだろう。

店頭・三メートル程度の間口に並べてあるフタつき丸鉄板・二台のうちの一台を、白衣を着た店の青年――のような少年のような――が前にしていた。ほのかな狐色に染まった巨大円盤おやき・その底に、ものさしよりも長い棒を、中心を通るように差し入れ、そのまま上へと浮かせてヨイショっとする。と、ほう…。バフンっと、座布団を放ったような風が起こり、うまいことひっくり返った。厚み二、三センチあり、持ち上げた時のしなり具合からしても結構な重みとカサだろうが、さすが慣れている感じだ。若そうな兄ちゃんだが、その無表情には「なんてことないし」という余裕が見える。中国で「美形」とされる分類がどういうのかは詳しくないが、鼻筋がガチっと通って顎はカクカクっと引き締まり、目はスッと鋭く唇はキッと揺るがない――いかにもとっつきにくい、「壁」を感じさせるクールな雰囲気に、逆に引き込まれる。綺麗な男の子、だと思う。

そうしてその表面に、ペンキ用のような刷毛で塗りつけている黄色い液体は、「油」だろう。蓋を閉めて、また開いては塗って…を繰り返し、フタを大口に開けてさらにバフンっとひっくり返す。

じっくり焼いて、待ちわびて――そうして狐色が声高に、黄金を放つようになったならば、焼き上がりらしい。

アラ、今度は弟…かどうかは知らないけれどもやや幼い少年が、やっぱり白衣、そして家訓なのか・やっぱり冷たそうな表情で、同様に一本の棒を円盤の底から差し入れると、反対の手に持った、巨大な掴み棒でもそれ(円盤)を支えるよう挟み、鉄板の隣の台へと放った。瞬間ザザッとした濁音に、歯切れよい食感が想像できる。

 それからの展開は早い。

「それきた」とばかりに一気に人の声が湧き、弟君は、頷きはしないけれども確実に「その声」を一つ一つ聞き入れているらしく、肉屋にあるような長い包丁で、ザクッ、ザクッと、その円盤に躊躇なく刃を振り落としてゆく。ざっと切り離した数切れをはかりの上に載せ、「よし」となったら、それを更に握りこぶし大へと切ってから、ビニールへと収めてお引渡し・お勘定――となる。それにしても、ザクッ、ザクザクっ、ザクッ…――それ、脳に心地いい。

量り売りだから、かき分けるかのように飛び交うお客の叫びは、「重さ」を言っているのだろうが…。それにしては、それらしい細かい数字には聞こえない。じゃあ「○人分頂戴」だろうか。或いは、「その半円になったのを三分の一ぐらい」とか言っているのか。…ワカラン。

おそらく家族分をまとめて買いにきたのだろう、半円分ぐらいドカッと持っていく人も少なくない。私がこと細かに中国語を喋るとすれば、「半円のそのまた半分の、その三分の一ぐらいでいい」となるのだが、そんなにチビッとの注文などしている人なんていない。ドカドカ、ザクッと、大量の破片が気持ちよく袋に消えてゆくばかりである。

弟君といい兄ちゃんといい、若くともその「無表情」にはハクがあるのだ。ちょこっと過ぎて、「はぁ?」ってな感じで顔を歪められたらヤだなぁ。…って、それ以前にどういう言い方をすればいいか。とりあえずグラムで言ってみるか。…って、何グラムでどれだけの大きさなのか、ちょっとよく分からんのだが。量る動作が素早過ぎて、針の振れもよく見えないし。

ザクッとする時に生じる細かい屑が、ほぼ「まな板」同然と化している台の上に、演出のように散り積もってゆく。それを眺めるがままに時は過ぎ、ぐずぐずとしていているうちに「円盤一枚」など終わってしまい、隣で焼き上がったのもすぐである。私と同様、未だ手にせずの人が、「あ…」とネジの抜けた顔をしている。

――が、買いそびれたものの、それがよかったのだ。兄ちゃんは既に鉄板から後ろに下がり、オレンジ色の電球三つ四つが吊り下がるそのもとで、大きな台に載った白い塊を前にしていた。これから焼く為の生地、か。その仕込みが見られるのではないか。

 

一心に捏ねくっているその塊は、強情そうだ。

田舎で使う漬物石・四個分ぐらいはある塊を、やや太い棒状にして、グニグニと両腕で捩じるようにもみ広げては、広がった端を下に折り畳んで小さくして、またもみ広げる。脂が詰まったブルンブルンの腹を揉む、なんだかエステのぜい肉マッサージを思い浮かべてしまうが、それを何度も何度も「ヨシいっか」となるまで繰り返すのだろう。見た感じ、ツンと指でさわったらポワンポワンと震えるような、既に弾力の良さが想像できる生地であり、その半袖シャツから延びる白い腕の、ガッチリとした締まりのよさが仕事っぷりを物語る。…にしても兄ちゃん、真っ白な生地にも負けず、肌「白い」わ。それはまるで、ひな人形を思わせる。

 塊を、ある程度に――ドッチボールぐらいに分割して、長い・五、六十センチはあるめん棒を転がして、広げてゆく。手粉を何度も振りながら、丸く丸く、厚さは一センチ程度か。張りのある動き、その素早さを、めん棒が台に当たる度にたつ「ダン、ダン」の響きが代弁しているかのようだ。

広がったその表面に刷毛で塗りつけるのは、生地の白に対して艶やかな、透明な黄色い「油」。…お仕事中だからまぁ当然なんだろうけど、兄ちゃんの目は、見下ろす姿勢だからよけいに鋭く見える。…逞しい、クールな色白美男子。となると、アンタ結構モテるんじゃないのか。

 で、一面を輝かせたら、その上からパラパラと何かを振り撒き、円の端っこからくるくると巻いてゆく。

ロールケーキのようになった、その「渦」がのぞく両端を、生地の下に潜らせて潜らせて…とやって再び「塊」にまとめ、その上からめん棒を押し付けて、また広く丸く伸ばす。丸く、丸く。…綺麗に丸くなるもんである。

そうして、今度はより端整な円盤が出来たら、空いている鉄板の上に載せる。大き過ぎず小さ過ぎず、鉄板サイズ内に収まるのは、さすがだ。あ、先に鉄板に油は敷いたっけ…というと、この生地の前に、散々と塗りながら焼いていたから、その「残り油」で充分だろう。そうしてゴマをパラパラと振り、大口開けていた「フタ」を下ろす。

やはり途中、上からタップリタップリ惜しみなく、刷毛に油を滴らせながらじっくりと焼き上げてゆく。

 

何枚、売れてゆくのをやり過ごしただろうか。

というよりも、「もう一回」――ついつい、生地を触るその手つきと、それが焼き上がってゆくまでの変化に見惚れ、匂いに酔い、包丁のザクザク音に聞き入ってしまう。だがもうそろそろ、…いい加減、買おう。買いもしないのにずっと立っていると、不審者が…という視線をされかねない。

「二元分、頂戴」

なんとなく、そういう言い方が分かってきて、告げてみると、弟君の表情は、前に注文したおばさんの時とそれほど変わることなく、あっそ、という感じで腕はザクッと途切れずに続いた。――ヨシ。

二元分は結構ずっしりとして、食パン一斤よりもまだ重いんじゃないのかコレ。一回で全部は食べられないだろう。「一元」と言ってもよかったようだ。

塗りたくった油でほぼ「揚げ焼き」状態だったはずだが、油っ気をそれほど感じさせない、表面の肌は軽やかだ。サックサクしている。が、指は確かにヌメっているから「感じさせない」だけであり、カロリー満点なのは免れないだろう。

ザクッと切られた断面は、想像通り「パイ」状である。生地に油をぬり、巻いて丸めて重ねてまた広げて巻いて…とやることで、生地と油が「層」を為してゆく。それに火を通せば、挟み込まれている油の層が、それに接する生地を直接熱する。だから生地の層・一枚一枚が明確になる。

 捏ねたからのばす。伸ばしたから丸める。丸めたからまた伸ばす。伸ばしたから焼く、焼けたから売る――という一連の流れを冷静に回転させる兄弟のように、「買ったから帰る」という、当然の成り行きに沿い、何事もなかったかのような顔をして立ち去る。――んだけれども、「お宝」を手に入れたワクワクで、足元が踊っている。早足になる。早く、食べよう。 

 

 表面サクッとはしているが、中の層はパリパリしているというよりも、グインと伸びがいいようだ。

香ばしい。生地は、小麦粉、塩、水のシンプルな配合だろう。だから、油で焼くからこその、香ばしさが生きる。油で焼くからこその、甘みが分かる。膨張剤が入っているのかどうかはわからないが、このフックラ感は、熱されて層が浮いたことによる膨らみのように思う

生地をロールにする際、パラパラ振り撒いていたのはおそらく塩だろう。が、ほんのわずかに当たる程度でしかなく、もうちょっと強くてもいいのに、と思う。――「これだけ」を食べるならば。

ということは、「これだけ」じゃないのか。地元の人は、これを片手に、オカズを食べるのだろうか。

――なんてことを思いながら二へっとしているのは、あら、年甲斐もない。きっと、こういう顔で買いに来ている女子高生が、数人いるハズである。

携帯している方位磁石を取り出した。この場所を覚えねばならない。明日もきっと、辿りつくのだ。

ちなみに餅は、「千層餅」という。

 

黒パンよこんにちは ~チェルノウィツィー

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ウクライナ。バスでルーマニア国境を越えて数時間、「チェルノウツィー」という町にやって来た。

…んだけれども、辿りついた宿のオーナーは英国人。その家族、いや友人にも見えない、お手伝いさんのように掃除洗濯雑用をやりこなす、ひょろっとした中年のような青年のような年齢不詳の男性もまた、英国人。オーナーの美人若奥さんはウクライナ人だけれども、もんのすごい流暢な英国英語を話した。「洗面所で洗濯はするな」「石鹸は自分のものを使え」「皿は必ず元の位置に戻せ」云々、いちいちと規則が事細かに書かれた掲示の紙はまぁわかるけれども、家族間の呼びかけも、喧嘩も、家族の食事に交わされる何気ない一言二言も、何から何まですべてまるっきり「英語」オンリーの世界。一つか二つの、床を這いまわる赤ん坊も、この箱の中ではゆくゆく「そっち側」で話をするようになるのだろう。

ウクライナに来た、という気がイマイチ高まらない。

加えて、赤ん坊には手がかかる。美人妻は子育てに疲れているのか、「ご機嫌ナナメ」であることが、旦那や青年に対する言動・態度からビリビリと伝わってくることが結構ある。とはいえ、旦那は「そんなキミが丸ごと好きだよ」と歳が随分離れているだけに包容力もあるのだろう・夜はビットリ、客の存在などお構いなしにくっついて、二人映画鑑賞に浸っているからまぁ安泰なんだろうが、こき使われて八つ当たりされて、の青年的中年はたまったもんじゃないのではないか。不満が積み重なり、いつか爆発するんじゃないかと、フリーの時間はたいていパソコンの前でゲームに熱中している、その物言わぬ背中をジッと見てしまう。

「家庭の中」を、アカの他人(=私だ)がチョロチョロと、邪魔にならないようにウロついている感じが拭えない。

 

ホぅ―― だからこそ、宿から一歩外に出た瞬間のこの爽快感ったら。

単に通りを歩いているだけなのに、非常にスガスガしい。山の清涼な空気の中で深呼吸をするようであり、憑き物が落ちたようでもある。…なんて、オーバーなんだけれども、ともあれ「あんまりプライバシー丸出しの宿というのも考えもんだなぁ」などと思いながら、軽い足取りで町を歩いた。

丘か、というほどの急な坂道はびっしりと石畳で埋まり、それだけで「時代」の雰囲気があるのに加え、道沿いには、これまた美術館を思わせる麗しい建物がズラズラと建ち並んでおり、ゴージャス感がみなぎっている。

「ロミオ様…」というセリフを吐いてもおかしくない豪華な窓枠は、しかし黒ずんだ石壁の、いかにも古臭そうな建物だけではないようで、おそらく築数年であろうものにもはまっているのは、「これが私らの美意識ですんで」というもんなのだろう。ところどころでその窓や入口の傍には、服の皺が見事にはためく、彫刻の天使っぽい像が引っ付いていたりする。…そこまで「荘厳感」を出さんでも、と、最初はズッコケそうになったけれども、結構あっちこっちで「ヤァ」と浮遊しているのを見上げていると、なんとなく、彼らはその背後の建築物から抜け出した魂であるような気がしてきて、建物自体に親しみが湧いてくるから不思議だ。

教会の尖塔が空を突く中を、トロリーバスがウィィィンとレトロに走り、その脇でマウンテンバイクに乗った少年たちが、大声で何かを掛け合いながら、ガタガタと石段を駆け抜けてゆく。乳母車を押す、談笑しているママ友が、ゆったりと通り過ぎる。…石畳の雰囲気はいいんだけれども、足の裏が疲れるなぁ。乳母車も振動が結構くるだろうに、と思うが、こうやって赤ちゃんの時から、身を持って石畳に慣れてゆくのかもしれない。

ルーマニアとは異なる町の雰囲気に、散歩だけで時間をやり過ごせてしまう。…が、やはり一番のわっくわくは、市場だ。

庶民の生活には欠かせない場所であるというのに、トロリーバスで三十分以上かかった。あまりに遠いもんだから、乗り合わせた隣の人に「ここ?次?まだ?」と、ハラハラしてしつこく聞きながらであったが、そんな中、返ってくるのがウクライナ語であること・そのことにニンマリとしてしまう。「新しいエリアに来た」現実が、やっと自分の血管を流れている。

小学校の敷地・二つ分はゆうにあるだろう。ありとあらゆる食品や生活雑貨が揃う巨大市場は、屋根付きの「常設」と、そこに収まり切らず、通路や敷地外を取り囲む道路脇へとはみ出した「場外」とでも表わせるエリアで展開されていた。「常設」の方は、各店舗スペースに余裕があり、一つの店が小屋という感じであるが、「場外」は、段ボールや小さな折りたたみ机の上に商品を並べるという、即席かつ簡単な出店である。

ダンボール箱に積んである中玉スイカとラグビーボール大のメロンの横で、それをポンポンと叩きながら「甘いよ」と叫ぶ、腹の突き出たおじさんのヤケクソのような声が、青空に向かって威勢よく伸びる。うーん、と悩むフリをして、さらに歩を進めた。

瓶に詰められた、小さな小さな赤と藍色のベリーが、太陽にギラギラ照らされてキラキラ宝石のように輝く。綺麗…だけれども、この炎天下に晒されれば傷みは早そうだ。バケツに納まっているネギや香草は、ペットボトルで上から水を振り撒かれ、付け焼刃的に瑞々しさをアピールできてなんとかなるんだろうけれども。

ポクポクとしたキノコが、赤ずきんちゃんが腕に下げるような籠に詰まっているのは、果たして「カワイさ」狙ったディスプレイだろうか。

杏を色・大きさで箱に分けて積み重ね、「こっちが旨いよ」とオススメするのは、、ピッチピチの短パンと体の線丸出しのTシャツで野菜売りにはちょっと見えない、若いお姉さんだ。いかにも「自家製なのよ」という、不揃いの瓶やビニール袋、バケツに詰めてある、チーズやスメタナ(サワークリーム)を前にして、頭巾をまわしたおばあさんたちが、「おいでおいで!」と手を振って訴える。

「食べてみる?」と、足を引っかけるかのようなタイミングでピクルスが差し出されても、行き交うお客たちは冷静な面持ちで、ペースを緩めつつも硬派に通り過ぎる。呼び止められるたんびに足を止めているのは、私ぐらいかもしれない。

さて。

パン売り場が、あちこちにある。あれこれと、ある。

山型、丸型、棒型。編み込んだ鎖型。丸い生地を輪にくっつけた、花型。中華のまな板よりもずっと大きく太い、まるで「切り株」のようなパンは、どういうつもりなのだろうか。

形に加え、色の濃淡があるから迷うのだ。形が独特だと気になるけれども、やはりウクライナで手を出すならば「黒パン」だろう。耐寒性があり、やせた土壌でも栽培可能なライ麦は、この地にとって古くからの主要な作物であり、それを使うために色黒く焼き上がるパンは、昔より庶民の食卓に並ぶ大切な糧であった。とはいえ現在、小麦との配合率等によって食感も色も変わったものが豊富に店には並び、様々な「色合い」から選ぶことが出来る。おそらく粉は全てライ麦と思われる程に「真っ黒」のパンもあれば、表皮(ふすま)交じりの小麦を使った、ほんのりした茶色もある。精製された小麦オンリーの、中身は「真っ白」と思われるパンもまた、珍しくない。

一般に「白っぽい」・つまりふすまの含有が少ない、精製された小麦粉を多く使うほどに、パンはフワフワと柔らかくて軽く、ライ麦やふすまの配合が高い、黒色を帯びたパンであるほど、どっしりと重くなる。これは、パンの膨らみの骨格となる、麦のタンパク質「グルテン」の含有量による。ふすまが入ればその性質を妨げるし、ライ麦自体には元来その成分が少ない。

「常設」のパン屋の方が、棚を備えつけ、テーブルにもズラズラと種類多く並べてあるから、どうしても惹かれる。種類が多くったって買うパンは一つなんだけど、「選べる」と思うとやはり気になる。…とはいえ、「通路」にこじんまりとある、机に並ぶだけの数を売るパン屋というのも、夜明け前、電球一つが灯った薄暗い部屋の中で生地を捏ね、パチパチと薪をくべた小さな窯で焼き上げる――とかいう、純朴なる自家製世界が勝手に想像されてきてこれまた引っかかる。

あれこれと逡巡し、結局「ココ」と腹を決めたのは、「常設」に収まる回転のよさそうなトコロだ。

四畳もないスペースに備えた棚は、エプロンを下げたお姉さんの背丈ほどの高さだが、ぎっちり・隙間なくパンが詰め込まれており、まるで書斎にある辞書や研究書のよう。ひと目、「売れんのだろうか?」。残ったら次の日にまた売るのだろうかと思わずにはいられないのだが、お客が訪れて立つと、お姉さんはその白い指をスッと差し入れて抜き出し、ビニールに入れる――その素早く流暢な調子には、「完売」の字が即チラついた。

大型のパンが殆どだ。棚には収まり良く、直方体の「箱型」が多い。机の上には棍棒型や、ケーキよりも一回り大きい丸型が、色分けされて並んでいる。

…やっぱり、悩む。

黒を欲するならば、とことん「真っ黒」を目指すべきか。だがソレと決めようとすると、「くどいのだろうか…」と躊躇が生まれ、かといってあんまり無難な優しい色では、「せっかくウクライナまできて…」と自分が不甲斐ないような気もしてくる。じゃあ中庸を…とはいっても、グラデーションのように微妙に分かれている色の中から「コレ」と指をさす決め手をどこに求めればいいのか分からない。

多数派よりは、少数派を選んでしまいたくなるヘソ曲がりだから、箱型よりは、丸型を。色は、濃くはないけれども、意味ありげな灰色のやつでヨシとしよう。

同じ「丸型」でも、中心が高く自然の膨らんだというものと、その上に花瓶を載せたってオッケーな、綺麗に真っ平なもの(鉄板を載せて焼いたのだろう。)がある。色は似ているが、アレとソレとは種類が違うことの意思表示か。ふっくらとした盛り上がりに今は琴線が触れるから、そちらを。

ドスが効いた「黒」は、また次にしよう――と、もんのすごく時間をかけ、選んだ。ひとところに立って悩んでは、お姉さんのアイラインくっきりお眼目で「ナニ?」と射抜かれそうだから、その周囲を何度も往復し、野良犬のようにウロつきながら。そんな逡巡など知ってか知らずか、「ハイこれね」と、何ともなかったかのように、これまたアッサリと渡してくれるもんである。

と、重い…。見た感じよりも、2.5倍はずっしりと感じた。

 

家族三人でショッピングか。シンデレラ青年は徹夜のせいか、向こうの部屋でグースカ寝ているのがちらっと見える。

誰もいないキッチンで、じゃあのびのびと――昼飯だ。

電気ポットのスイッチを押して、荷物からティーバッグを一つ取り出したら、早々にパンを取り出す。…の前に、同じく市場で買ったキュウリとハムをスライスだ。

キュウリは、小型だが、ガッチリと果肉が詰まって瑞々しい。ハムは、脂身が豊かにのった豚バラで、チャーシューのようにほんのり赤く艶がある。皮部分のプルンとしたゼラチン質が見るからに旨そうだ。みんなが塊を一本ドカッと買っていく中、「チョッとだけ欲しい」という申し出を、憐れむように切り分けてくれた、店の青年だった。だって一人モンの、しかも旅人なんだよ、私って。

 そしてようやく、パンをスライスする。

南太平洋のタロイモみたいに、灰の中に埋めて焼くわけじゃないんだろうけれども、表面には砂のような粉がまぶっている。地面が隆起したような亀裂が側面から入り、なんというか、老木を思わせる「渋さ」がある。

包丁で突き刺すその手に、グッと力が入る。パンを切るのに「ンっ」と踏ん張るのは、同じく黒パン圏であるロシア以来だ。その表面に、爪なんてとても食い込ませることなんてできないのはもちろん、切り目を適当に入れたらあとは手で引き裂こう、なんてのもまたアマイ。機内食で貰う、プラスチックのナイフなんかじゃママゴトでしかなく、ちゃんとした「刃」のあるナイフが無いとダメでしょう。窯の床部分に、生地を直に置いて焼き上げたのであろう・パンの「底」の部分が特に固く、ダンボールを数枚束にしてカッターナイフでキコキコする時ぐらいに力が要る。

断面は、細かい気泡がギッチリと詰まっていた。

切ってしまったら乾燥が気になるから、まずは口に入れてみる。

何事かが詰まった香ばしさがある。簡単に流し去る(飲み込む)にはいかないネッチリとした弾力は、しかしながら醗酵して膨らんでいるだけあって、どことなく「ふんわり」の感も内包している。噛みしめなくちゃいかんけれども、食べにくくもない。その微妙な具合が快感だ。

深く濃い、しっかりした印象を残す味。噛みしめる喜びをもたらす味。それは、肉を連想するようでもあるし、魚を食べるような満足でもある。オカズを呼びこむ風味、とでもいうのか。だがオカズがなくたって、これだけでも十分食べ続けることが出来るような気さえする。「重い」のは伊達じゃなく、「食事をした」という意識をドシンと打ち付ける貫録がある。

 と、脂身ハムとキュウリを一緒に食ってみると、…こりゃ合わせずにおかでか、進む進む。パンが余計、山の頂上から雪だるまを落とすように、食えば食うほどに食欲が出る。

 ウクライナの旅は、まだ始まったばかり。末恐ろしきかな、と、一人ほくそ笑む。

宿の居心地具合など、全くもってどうでもよくなった。

 

シベリア鉄道 ~ロシアの中の故郷 

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「シベリア鉄道」初めの第一歩は、ロシア極東の町・ウラジオストクからイルクーツクへの三泊四日。三等寝台車での旅である。

車内は通路を挟んで両側に二段ベッドが配置され、片側は進行方向と直角(頭か足を窓に向ける)に並び、もう片側は、窓に体を沿わせた、進行方向と並行に寝るかたちとなっている。三等だから当然一等、二等があり、一等は床にベッドが二つ並んだ、二名用の個室であり、二等は二段ベッドが二つ並んだ、四名が利用できる個室。三等はというと、「解放寝台」と訳される、ドアやカーテンといった仕切りのない、一車両がまるごとが「ひと部屋」・つまり相部屋であり、料金も安い。節約というのがモチロンの理由だが、車内がツーツーだと、どんな人がいて、どういう風に車内で過ごしているのか、乗客たちののんびりとした様子を眺めることもできるし、より、いろんな人と話をするチャンスも生まれる。グループならば個室もまぁいいんだろうが、異国を旅するならば、解放がよっぽどオモシロイ、と思う。

 さて。イルクーツクまでの旅路で、「窓に直角」の下段をとった私の、上のベッドの人。そして、テーブルを挟んだ向かいもその上も、逆隣もその上も、そしてそのまた隣も。そして、通路を挟んだ隣もその上も。

――みんな、ウズベキスタンの人々だった。どこかしら日本人を彷彿させる顔立ちだ。

ロシア・ウラジオストクへは、出稼ぎにやって来たのだという。そしていま、ブリザードとなる冬の間・数か月間の休暇を得て、故郷に帰るところなのだと、人見知りのないクリクリ笑顔で彼らは話してくれた。イルクーツクのその先の、さらに二晩近くかかるノヴォシノヴィルスクという町まで行き、それから列車を乗り換えて、カザフスタンを通ってウズベキスタン――に入ったら入ったで、それぞれの故郷の町までバスを乗り繋いでゆくという、いつ終わんのソレ、と気が遠くなりそうな私の行程「プラス」三泊か四泊、という道のりが待っている。三泊四日の長旅だ、なんてリキんでいたが、全く「アマイ」と思い知らされる。

 テーブル向かいのムーさんは、二六歳。上段の弟君は二十だ。兄弟揃っての出稼ぎである。

太い眉毛で、少々ギザギザとした髪。背はそれほど高くないけど、むっちりとした筋肉がポロシャツから延びている姿は、なんとなくラグビー選手の「主将」である。…んだけど、このムーさん。古い家風の家に嫁いでも立派に通用する、几帳面な性であるのが、ちょっと見ているだけですぐに分かった。

ベッドにシーツを敷くにも、垂れたまんまになどしておかずにキチッと端を折りこみ、朝起きたらキチッとたたむ。私のように、シーツも掛け布団も枕も、尻で踏みつけて皺まみれ、ということはない。買い込んでいたお得用ティーバッグの箱やコーヒーミックス(社内では湯がタダで貰える)、砂糖等の飲料素材は、テーブルの上の窓際に沿ってキッチリと歪みなく並べ、食事の前には必ずティッシュを、それもきれいに折り畳んでから、テーブルの上を拭く。顔や手を拭くタオルは綺麗に折ってベッド脇の手すりにかける。消臭スプレーをワキだけでなく、足の裏までも吹き付ける。

一方弟君は、チャイ(紅茶)が飲みたいといっては飲み物セットの列を歪め、飴の包み紙も放りっぱなし。寝っぱなしでシーツの整理整頓は無し。全く仕方がないワねぇ、と、ちょっと零してしまった砂糖などを、アラアラと拭き取るのは兄ちゃんなのであり、出稼ぎ中のこの兄弟の生活ぶりがうかがえるようである。

 さて、列車移動といって、真っ先に考えるべきことといったら「食事」だろう。

長丁場となるならば、食料の持ち込みは必須だ。食堂車も連結されているが、それを利用している人はこの車両においては皆無だったと記憶する。そもそも節約が念頭にあるからの三等車であり、ハナからそれを利用しようという気ってないのではないか。もちろん私もその例に漏れず、もっぱら食料持ちこみ組である。

途中駅での停車時間が長い時、ホームに出てみれば、周辺住民の小遣い稼ぎだろう・手作りのサラダや、茹で卵、茹でジャガイモ、ペリメニ(茹で餃子)などを籠に入れ、「いらんかね~」と売り歩く人が目に留まるから、そこからワクワク手に入れることもできるし、売店小屋ともいうべきキオスクもたいていあるから、パンやサラミ、カップ麺など、持ち込んだものが底をついても補充することも出来る。

いったいみんなどうやって車内を過ごす気でいるのか――ロシアに生きる先輩諸氏のその品揃えや食事模様をのぞき見するのは、楽しい。パンと、カップ麺、缶詰。サラミやチーズ、そして、タッパーに入れた、手作りらしい「鶏の煮込み」。色の変わったキュウリがトマトと一緒に液に浸かるのは、市場で買ったピクルスか、それとも自家製だろうか――など、「食堂車がある」ということを、正直忘れてしまっているのである。

 

というわけで、「主将」の食事だ。

まずチャイは欠かせない。窓枠の下からせり出しているテーブルにマイ・マグカップを置いたら、ティーバッグの紐をひとつ垂らす。カバンからカップ麺か、或いは缶詰をひとつ取り出したら、マグカップと、カップ麺の時はそれを持ち、車両スミにある給湯器へと湯を注ぎに行く。

 チャイと並んで必須であるのは「パン」だ。それが入ったビニールの中で少々千切ったら、カップ麺をめくった蓋の上か、或いは(缶詰の時は)テーブルの上へ直接置く。「少々」とはいえ、カサとしては四枚切り厚さの食パン一枚分かそれ以上ぐらいはあるだろう。足りないかな、といって、さらにガサガサと千切る時もある。

この人のことだから、ビニールの中で、というのは、クズが飛び散らない為の配慮だろう。だからその「全体像」は見えないんだけれども、千切られたものから推測するに、昔のレコードぐらいはあるんじゃないか。そう、円盤型だ。ウズベキスタンのパンの典型といえば、円周部分が「額縁」のようにフックラと膨らんだ「平焼きパン」である。額縁部分がかなりぶっといようで、平焼きとはいえ、厚み五、六センチはある。

 が、それはウラジオのどこで買ったのだろう?

パンだけを並べるパン専門店や、スーパーのパンコーナーに並んでいたのは、パウンドケーキ型の直方体、或いは巨大なコッペパンや丸型であり、いかにも「ロシア的」な、色の濃いパンだった。「濃い」のはライ麦や、ふすま入り小麦を使う為であるが、その配合具合によって、「うわ」と声をつい出てしまうほど黒に近いパンや、茶色、グレー等、微妙に色合い・濃淡が異なり、断面の目の詰まり方や重さも違う。味わい・風味ももちろん様々で、そのバラエティとはキリがないもんであり、ロシアのパンをすべからく制覇しようなんてことは、たかが滞在一か月程度じゃ無理だわ、と日を経るにつれ思い知らされるのだ。が、それにしてもこういう「平型円盤型」は、どこにあったのだろう。

平型円盤型は、一般的に精製した小麦粉を使う。つまり中身(断面)が「白い」。白いパンも、黒パンに比べれば少ないとはいえ無いことはないが、ほぼ、食パンなどの立体的なパンだった。ウズベキのパンに目を凝らした日々がかつてあった私としては、見たら「あ」と気づくはずだ。

が、私が歩いたウラジオストクの町とは、ほんの僅かなエリアに過ぎないのだろう。もしかすると、ウズベキコミュニティーともいえるエリアで、平型専門に作っているパン屋が存在するのかもしれない。出身者による、出身者のためのパン屋が。「パン食文化圏」に生きる人が、自分が食べるパンの姿・かたちを堅持しようとすることは珍しくない。

とはいえ、移動中だ。やはり手に入れ易い「多数派」に甘んじる、ということか・周囲のベッドのウズベキ人だって、立体パンを食んでいる人も少なくない。もちろん円盤を手にする人も「主将」だけということはなく、中には活け造り四人前でも載るような「大皿」を、ドンとテーブルに載せるグループもあった。一つを、四方から千切って食べるのである。

主将は、カップ麺の汁を持参したスプーンで啜っては、パンをさらに一口大に千切ってから、口に入れる。いや、スープにその切り口を浸してから食む、という方が多いだろう。そして時々、思い出したように、スープの素と一緒に付属しているプラスチックフォークで麺をすくい上げる。

麺とパンの「ダブル炭水化物」に、自分としては拝見するだけで結構です、であるのだが、かの地では麺料理(カップ麺じゃなくて、ウズベキ伝統的な麺料理)はもちろん、米料理(ピラフ)であっても、「パンを添える」ことは当たり前である。パンは何にも替えがたい、「これがなければ食事にあらず」なものである。それ以外の累々はすべて、パンの前に侍る「お供」といっていいだろう。

…旨そうに、汁を啜るもんである。

パンを片手にするその姿は、「スープとパン」の食事だ。中でウヨウヨしている麺とは、ニンジンなんかと共にある、スープの「具」の一種に過ぎないような気がしてくる。

缶詰の時は、その身(魚缶が多い)をパンの上にちょこっと載せるか、缶汁をパンの断面にチョイチョイさせてから、口にする。エキスがじゅわっと染みて、旨いだろう。ビニールの中に残っているパンは、次の食事用に回されるが、汁に浸して食べるのだから、少々硬くてもたいしたことはないのだ。

そうして、砂糖がドップリ入った甘い甘いチャイを、喉潤しに啜る。

だいたい六対四で、缶詰よりもカップ麺であることが多い。それは周囲の人々も同様で、この偉大なるインスタントの匂いは、いつも車内のどこかで漂っている。温かいスープとパン――雪景色を車窓に、なんとも贅沢な食事に映る。

 

 途中、ホームに下車して売店をのぞいてみれば、ちゃんと「多民族」ってこと分かってますねん、と、平型パンも見かけるのだが――どうも、違う。主将が持っている「円盤」は、ところどころ歪み、厚さが一定していない、どことなくシロウト臭さが漂う…。

「食べなよ」とたいてい声を掛けてくれるのだが、「食っちゃ寝」で太い腹が気になり、イエイエと何度かは遠慮していた。が、すっかり一員のようにこの場に打ち解け、自分のパンも食べきったし、じゃあ…。

私も例に漏れず、定番カップ麺を出した。通路を挟んだオジサンはタッパーを取り出して、手作りらしき煮込みのうち、鶏骨付きの結構デカいのを三つ、静止を聞かず、まだ乾燥状態の麺の上にゴロゴロとのせながら「これ共々、湯で蒸らしなさい」と指示した。…ナルホド。単なるカップ麺が…と、感無量である。

そして蓋を開いた頃、主将は、やはりビニールの中で千切ったパンを、テーブルに裏返した蓋の上に置いてくれる。

ダブル炭水化物…と、一瞬躊躇したものの、私も彼らのように味わってみたい・その興味の方が大きい。

 

パンをいただく。

甘い。砂糖で、というのではなく、白い小麦粉(精製粉)のみであるからこその、柔らかい匂いと捻くれのない味。が、中の気泡はガシっと詰まり、繋がりの強さを感じるその食べ応えに、さすが「パンの国」のパンだと思う。――って、日が経っているだけにパサついており、コシも余計に強く感じられるのかもしれないが、儚そうで、きっちりと存在感は植え付ける、食った気のする「濃いパン」だと思う。

これがまた、恐ろしいほどにカップ麺のスープと合うのだ。「麺」などホント、眼中にちょろっと漂うお飾りとなっており、炭水化物を二重に取っていることなど、ツユほども気にならないのである。それにしても、頂いた豪勢なお肉が、なんてホロホロ…。

それにしてもこのパン、焼き立てはさぞ旨かろう。

「作ったんだよ」

……。

生地は自分で練った――じゃあそれをどうやって焼くのだろうか。ウズベキの円型パンは、石造りの窯内部の壁に生地を貼り付けて焼くのが主流であるが、ロシアでの住まいは寮か何かだろう。祖国であるようなパン窯を、庭に作るわけでもなかろうし…。

答えは簡単。パン屋に生地を持ち込み、焼いてもらうのだという。窯は、残念ながら「タンディル」じゃないけどね――主将は、ロシアの窯を「扉」と言った。ウズベキスタンのパン窯といっても、壺のように入口がてっぺんにあり、そこから生地を中へ入れるタイプもあれば、ドーム状となっている窯内部の一部側面に開閉口があり、そこから生地を入れるタイプもある。どっちにしても、窯の壁にバチンよ貼り付けて焼くのであるのだが、主将が意味しているのは後者というわけではない。つまり日本のパン屋で普通に見られるような、横からパン生地を挿入して窯内部の床面に並べて焼く、立体パン用の窯のことである。

…へぇ。

もちろん使用料は払う。その方が経済的だから、というのもあろうが、やっぱりそれが、譲れないアイデンティティー――パンとは、自分の中にある確固としたものの一つがだからではないかと思う。

「故郷」のものであってこそ、日々のパン。「食った」という実感が得られるものであり、無しではいられないもの。無いならば作らずにはいられなかった、ロシアの日々――か。

とはいえそんなことはしったこっちゃないし、とばかりに、弟君は駅の売店で、二斤はあるブラウン色の食パン型を買い、一人食っていたが。

ちなみに兄弟の食事時間はバラバラで、それぞれが食べたい時に、のようである。喧嘩しているというわけではなく、寝て起きて、喋って食ってまた寝て…っとやっていると、いつが食事時なのか、感覚がそれぞれ狂ってくるのだ。加えて広いロシアである。地域によって時差があり、それを横断しているシベリア鉄道は、一応モスクワ時間の時刻表で動いているが、暗さ明るさからすると一体どの地域を参考に時間を考えるべきか、これまた迷路に迷い込んだかのように、分からなくなってくるのである。

 

その後、訪れた幾つかの町では、たいてい円盤型の平焼きパンを市場で見た。売り手は、中央アジア出身者が伺える顔である。ウラジオストクでも気付かなかっただけで、もしかするとあったのだろうが、それを買うことなく自分で作る――スゴイじゃない。

「ええと、何日かかるからぁ…」と、列車旅の日程を考えながら、量を考えて捏ねたのだろう。なんとも気が利くヨメさん…ではなくて、ヨメさんに気が利くいい旦那となるでしょう、と、主将の婚礼には私も一言祝辞を述べたいぐらいである。

ロシアの市場で売られる「円盤平焼き」は、黒パン各種に比べれば、ダンボールひと箱分とか、小さなテーブルに重ねられるだけ、という規模でしかない。が、やはり譲れない、彼らの必需品だからこそ、そこにある。

そのたび、主将たちを思い出していた。今ごろ故郷では、懐かしのパンを堪能していることだろう、と。

ハム輝くカンボジア ~ストゥントゥレンン

 

 東南アジアにおいて、かつてフランスの植民地下に置かれた、ベトナムラオスカンボジア。独立して時は流れても、「かの時代」の証明ともいうべきものが、生活習慣の中にポッと混じっているということに、部外者であってもたやすく気付くことができるだろう。その一つが、「フランスパン」。

 とはいえ、奥まった地域の小さな農村・隅々まで行き渡っているというよりは、少々賑やかな「町」で並ぶものという感じではあるのだが、フランス的なるその棒型パンは、現地の人々の空きっ腹を埋める手軽な食べ物として実によく手にされており、定着している、といっていい。側面に切込みを入れ、キュウリやら肉やらの「具」を挟み込む屋台があちこちで見られる光景もまた、三国共通だ。

どこにおいても、「エェ?」と唸る。ボリュームにしろ、味にしろ、「絶対フランスなんか足元にも及ばない」とは、私は(フランスに)「行ったことがない」からホントは断言できんのだが、そううそぶいたって知ったこっちゃないぐらいに、ホントウに、ウマイ。どうウマイかはエリア別にクドクドと並べ立てたいんだけれども、私が思うに、その一押しは「カンボジア」だ。

 

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「ストゥントゥレン」はカンボジア北東部にあり、東南アジアを縦断する最大河川・メコンに寄り添った小さな町である。約四〇キロ北上すれば、ラオスとの国境にも近い。

 朝。大河を眺め、同時に遥か遠くから流れてくる、諸々の記憶を受けとり、浸りに浸って気が済んだらば、背を翻して歩いて五分――せわしなく人々が行き交う市場へとたどり着く。一応、墨汁の垂れたような染みがつく壁で区画され、トタン屋根が引っかかった屋内らしきエリアもあるが、その内外、敷地いっぱいに「売り場」はもれなく広がっている。パラソルを地面に立てて日除けとしている、風通しのいい屋外をぶらつくほうが、明るいし空気も爽やか・スッキリ気分で歩き回れる。

地面の上にシートを敷き、並べられるのは、陽の光に当てられてキラキラと映る、活きのよさそうな野菜、果物、川魚。解体してまもない肉。鍋やお玉、包丁等の調理用品や、バーゲンセールのように山盛りの服。料金交渉、挨拶、「どいたどいた!」と叫ぶリヤカーの声かけ等々なにやかやと、何らかの「やりとり」でごった返している中に身を置くと、メコンの水面のように静まっていた自分のエネルギーも、ナニすかしてたんだろ、と目を覚ましてよじ登ってくるようだ。

やはり、市場はいい。

並べている蓮のような花を前に、七つか八つの小さな店主――少年が、そのうちの一輪を手にとっていた。茎をくるくると回してジッとそれを見つめているそのくりくりとした眼差しは、喧噪の中でぽっかりと浮いた静寂。異空間の出現に私もまた釘付けになり、カメラを取り出さずにいられない。

――と、「撮ったの?」

気付いた少年が瞬間に咲かせた、まさに太陽のような輝きったらどうだろう。再び即座に指がボタンに反応するほど私はカメラマンでもなく、本当は、その眩しい笑顔を撮りたかったのに――と、心の中でただ悔しがるだけである。もう一度、と決して用意など出来ない、心そのままの照れ笑いだ。

見惚れつつも歯噛みする、この、ほんの数秒の場面が以後、何年経っても印象深い。「最高の瞬間」とは、手に入りそうですり抜けてゆくもんであると、象徴しているように思えてならない。

 

カンボジアで、フランスパンは「ノンパン」と呼ばれる。それに「具」を挟んだものが、ストゥントゥレンにおける私の「朝食」だ。

雑踏に紛れ込むようにある、小さな戸棚を備え付けた屋台。そこで商う、ちょっとだけふくよかな女性店主は、おそらく四〇代半ばかもう少しか。行くとたいてい、キュウリや焼き豚等の「具」となる材料を、丸太をぶった切ったようなまな板の上でスライスしている最中で、「あ、食べる?」とこちらに気付く反応が、「起きたの?」と階段を降りてきた自分を振り返る母親のように、何気ない。

 少女もまた、いつものようにその傍らにいる。

 七つか、八つか。髪を、後ろの高いところで一つに括ったその尻尾と、括りきれない耳元や、オデコの短い髪の毛もまたクリンクリンにカールしているのが、いかにも「元気」だ。白いシャツに赤いリボンを襟元に結んだ、「制服」らしい格好をしているから、登校前のお手伝いなのだろう。

 いまは、妹と思しき、さらに幼い女の子を椅子に座らせて、朝食の世話をしている。店のノンパンをひとつ、一口大に千切りとり、ハムのカケラとともに口へ持っていくと、妹はウサギのようにムグムグと目をキョロつかせて食んでゆく。パン屋の子は、パンを食べて育つ…ってか。

 ビー玉のようにクリクリしたお眼目をして、「ハイ」とニッコリ、水の入ったコップを持ってきてくれるその姿だけで、こちらとしては十分「ありがとねぇ」と心温まるんだけれども、本っ当によく働くお姉ちゃんであるのだ。

 母親が「具」を挟み終えたノンパンを受け取ったら、「知恵の輪」にも見える、丸っこいカンボジア語がプリントされた紙を一重にグルッと巻き、輪ゴムをはめてお客に受け渡したり、お勘定をもらうのは既に手慣れている。「キュウリがなくなりそうだから」と、包丁を握っていた母親が具材を仕入れる為にその場を空けることになっても、まな板の前にスッと立ち、胸の高さにあるのをやりにくそうながらも、残された、切りかけのハムの続きを替わりに始める。またここではノンパンの傍ら「肉まん」もまた売っている(既に出来上がったものを蒸し直す)のだが、保温用の蒸し器の蓋をめくってみて、個数が少ないなと判断したなら、それを進んで補充する。この気の利きようは、既に母親の「片腕」だ。

 母親が仕上げた数本をビニールに入れ、注文先に「出前」に走るその後ろ姿――クリンクリンと尻尾を揺らしながら、「駆けっこ」のように懸命に手足を動かすさまは、やはり子供らしい。漫画と遊びにのみ没頭して、「お手伝い」の気など微塵もなかった過去の自分の後頭部を、思いっきりけっ飛ばしてやりたい気分だ――と、長じて既に久しい今でさえ、この子ほどのひたむきさが、はたから見ていて感じられることが、私にも一度たりとあったろうかとふと考えた。

 

 屋台の、スライスなどする調理台には、三段のガラスケースが前に付き、その中には薪のように積み重なったノンパン、肉まんは少々、そして、ノンパンに挟む「具」の各種が並んでいる。

 だがノンパンを取り出すのは、そのガラスケースからではなく、調理台のすぐ下にある引き出しを引き、そこから取り出す。屋台の本体には、足元の開閉扉を開くと炭火が熾っており、その熱で「引き出し」内のものをじんわりと温められるようになっているのだ。「具」の棚とオーブンが一体となった、まさにノンパン用の屋台戸棚なのである。ノンパンは既に何本か温められており、もちろん、この補充にも少女は、母親に負けず劣らず抜かりがなかった。

 さて、「具」の各種を挟み込んでゆく。

 パンの側面に切込みを入れたら、まず、真っ黄色の「マーガリン」を塗る。いったいどこで製造されたモンだろうかと思う間もなく、調理台スミにある小鍋でグツグツ煮えた「肉団子」を素早くほぐして挟みこみ、赤とベージュがマーブルになった煮汁も少々垂らし込んだ。

 そして、スティック状になった「キュウリ」を四本程度載せたら、100円ライターの大きさはある、「ハム」の短冊切り・厚みは約五ミリのを、五切れ――これを、パンの端から端まで敷き詰める。

その上に、これまたコンガリ・味濃ゆそうに色艶のいい「焼き豚」スライス・短冊切り(やはり厚さ五ミリ)を、同様「端から端まで」の重ね塗り。

更に、大根、ニンジン、未熟なマンゴーを、紐のように細切りにしたものの「甘酢和え」――日本でいう「なます」を、ギッチリとギッチリと押さえ込み、真っ赤な「チリペースト」を、チョンと、寿司のワサビのようにアクセントとしたら、終了。

結果、――これ、全部食べんの?と、重さも太さも倍以上に膨れ上がっているノンパンであり、「挟む」という表現は果たして適切だろうかと疑問でさえある。

 だが、食べてしまうんだわコレが。

 一番の立役者は、やはりなんといっても「ハム」。それが張本人だ。フランスパンといえば――正確にいえば、「具を挟んだパンといえば」であるが、カンボジアを一押しせずにいられなくさせるのは。

 それは、「厚さ五ミリのハム」が太っ腹な量に入っているというのもあるのだろうが、デパートなんかの「何とか物産展」で、「自家製」だの「熟成」だの、「職人歴」云々、いいことイッパイ並べ立てて試食させてくれる高級なハムでさえ、これほど強烈な印象を残すことはない。――旨い。旨いったら旨い。いったいどんなレシピが触れ回っているというのか、カンボジアのどこで食べてもコレ、「ハズレ」がないのである。…とはいえ、カンボジアを離れた今、それがどのように旨かったのか、舌の上に記憶を呼び起こすことが出来ないのだが、かつての日々、地味な見た目(というか、魚肉ソーセージ的に真っ平なピンク)に侮ったことを大反省しながら、その感動を毎度毎度、変わり映えなく日記にその字を躍らせている。だがこのハムを、現地の彼らが「ご飯」のオカズにしているという光景を見たことがないから、これはもしかするとノンパン専用の食材。この地の食文化の中で、「パン」とはいわば新参者であるが、それに添わせるハムとして、こんなウマイのを作ることができるとは。――パンの食文化としてはずっとずっと古いフランスでも、きっと無いでしょ、と、またまた知りもしないけど勝手に豪語したくなる。

 そして「なます」の味の塩梅がこれまた…と言い出すとキリがないのでこれ以上は割愛するが、具材のそれぞれが挟み込まれる理由というのがいちいち納得できるのである。

「ノンパン」自体を考えてみると、正直なところ、「具」の素晴らしさに、その存在感は奥に引き下がってしまっているのであるのだが、とはいえこれだけカサのある「具」をへたりもせずにしっかりと支えている。パン自体を味わおうと、「それだけ」を買い、千切ってみると、外皮は温め直さずともピンと張った厚みがあり、中の気泡は大小あってフンワリとしつつも、むしりとる強い弾力が頼もしい。食べてみると、優しい甘味が大人しげに鼻腔をつく。温めることでバリッとはなるものの、それに頼りきっているわけではない、芯のあるパンであり、「具」の前に消えてしまうのは勿体ない――いや、それも「具」を支える、立派な「味」となっているのか。贅沢にも。

 なんか、…「脱帽」である。

 カンボジアの人たちとは、旨いパンに、旨い具をわんさか載せて、食べている人たちなのである。

 少女は時々、小さなバケツに入った「なます」の甘酢が、全体に回るようにとその中身をかき混ぜている。調理台の上にあるから、つま先立ちをしてヨタッとするその必死な姿には、無条件に心打たれるものがある。

この親子は、商売しているんだけれども、…どうもそんな気がしない。って、いや、勿論彼らは必死なのであろうけれども、「お邪魔してます」と言いたくなる、まるで家の台所にあるような後ろ姿がそう感じさせるのだろう。

「イイ娘さんですねぇ、ホント、」と、包丁トントンしているお母さんに話しかけたくもあるけれど、ここはカンボジアである。子供がお手伝いをする光景は、あっちこっち、当然のごとく見られるもんであるからして、それは場違いな人間であることを宣言するようなものなのだろう。

                            (訪問時2006年)

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