主に、旅の炭水化物

各地、食風景の点描

シベリア鉄道 ~ロシアの中の故郷 

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「シベリア鉄道」初めの第一歩は、ロシア極東の町・ウラジオストクからイルクーツクへの三泊四日。三等寝台車での旅である。

車内は通路を挟んで両側に二段ベッドが配置され、片側は進行方向と直角(頭か足を窓に向ける)に並び、もう片側は、窓に体を沿わせた、進行方向と並行に寝るかたちとなっている。三等だから当然一等、二等があり、一等は床にベッドが二つ並んだ、二名用の個室であり、二等は二段ベッドが二つ並んだ、四名が利用できる個室。三等はというと、「解放寝台」と訳される、ドアやカーテンといった仕切りのない、一車両がまるごとが「ひと部屋」・つまり相部屋であり、料金も安い。節約というのがモチロンの理由だが、車内がツーツーだと、どんな人がいて、どういう風に車内で過ごしているのか、乗客たちののんびりとした様子を眺めることもできるし、より、いろんな人と話をするチャンスも生まれる。グループならば個室もまぁいいんだろうが、異国を旅するならば、解放がよっぽどオモシロイ、と思う。

 さて。イルクーツクまでの旅路で、「窓に直角」の下段をとった私の、上のベッドの人。そして、テーブルを挟んだ向かいもその上も、逆隣もその上も、そしてそのまた隣も。そして、通路を挟んだ隣もその上も。

――みんな、ウズベキスタンの人々だった。どこかしら日本人を彷彿させる顔立ちだ。

ロシア・ウラジオストクへは、出稼ぎにやって来たのだという。そしていま、ブリザードとなる冬の間・数か月間の休暇を得て、故郷に帰るところなのだと、人見知りのないクリクリ笑顔で彼らは話してくれた。イルクーツクのその先の、さらに二晩近くかかるノヴォシノヴィルスクという町まで行き、それから列車を乗り換えて、カザフスタンを通ってウズベキスタン――に入ったら入ったで、それぞれの故郷の町までバスを乗り繋いでゆくという、いつ終わんのソレ、と気が遠くなりそうな私の行程「プラス」三泊か四泊、という道のりが待っている。三泊四日の長旅だ、なんてリキんでいたが、全く「アマイ」と思い知らされる。

 テーブル向かいのムーさんは、二六歳。上段の弟君は二十だ。兄弟揃っての出稼ぎである。

太い眉毛で、少々ギザギザとした髪。背はそれほど高くないけど、むっちりとした筋肉がポロシャツから延びている姿は、なんとなくラグビー選手の「主将」である。…んだけど、このムーさん。古い家風の家に嫁いでも立派に通用する、几帳面な性であるのが、ちょっと見ているだけですぐに分かった。

ベッドにシーツを敷くにも、垂れたまんまになどしておかずにキチッと端を折りこみ、朝起きたらキチッとたたむ。私のように、シーツも掛け布団も枕も、尻で踏みつけて皺まみれ、ということはない。買い込んでいたお得用ティーバッグの箱やコーヒーミックス(社内では湯がタダで貰える)、砂糖等の飲料素材は、テーブルの上の窓際に沿ってキッチリと歪みなく並べ、食事の前には必ずティッシュを、それもきれいに折り畳んでから、テーブルの上を拭く。顔や手を拭くタオルは綺麗に折ってベッド脇の手すりにかける。消臭スプレーをワキだけでなく、足の裏までも吹き付ける。

一方弟君は、チャイ(紅茶)が飲みたいといっては飲み物セットの列を歪め、飴の包み紙も放りっぱなし。寝っぱなしでシーツの整理整頓は無し。全く仕方がないワねぇ、と、ちょっと零してしまった砂糖などを、アラアラと拭き取るのは兄ちゃんなのであり、出稼ぎ中のこの兄弟の生活ぶりがうかがえるようである。

 さて、列車移動といって、真っ先に考えるべきことといったら「食事」だろう。

長丁場となるならば、食料の持ち込みは必須だ。食堂車も連結されているが、それを利用している人はこの車両においては皆無だったと記憶する。そもそも節約が念頭にあるからの三等車であり、ハナからそれを利用しようという気ってないのではないか。もちろん私もその例に漏れず、もっぱら食料持ちこみ組である。

途中駅での停車時間が長い時、ホームに出てみれば、周辺住民の小遣い稼ぎだろう・手作りのサラダや、茹で卵、茹でジャガイモ、ペリメニ(茹で餃子)などを籠に入れ、「いらんかね~」と売り歩く人が目に留まるから、そこからワクワク手に入れることもできるし、売店小屋ともいうべきキオスクもたいていあるから、パンやサラミ、カップ麺など、持ち込んだものが底をついても補充することも出来る。

いったいみんなどうやって車内を過ごす気でいるのか――ロシアに生きる先輩諸氏のその品揃えや食事模様をのぞき見するのは、楽しい。パンと、カップ麺、缶詰。サラミやチーズ、そして、タッパーに入れた、手作りらしい「鶏の煮込み」。色の変わったキュウリがトマトと一緒に液に浸かるのは、市場で買ったピクルスか、それとも自家製だろうか――など、「食堂車がある」ということを、正直忘れてしまっているのである。

 

というわけで、「主将」の食事だ。

まずチャイは欠かせない。窓枠の下からせり出しているテーブルにマイ・マグカップを置いたら、ティーバッグの紐をひとつ垂らす。カバンからカップ麺か、或いは缶詰をひとつ取り出したら、マグカップと、カップ麺の時はそれを持ち、車両スミにある給湯器へと湯を注ぎに行く。

 チャイと並んで必須であるのは「パン」だ。それが入ったビニールの中で少々千切ったら、カップ麺をめくった蓋の上か、或いは(缶詰の時は)テーブルの上へ直接置く。「少々」とはいえ、カサとしては四枚切り厚さの食パン一枚分かそれ以上ぐらいはあるだろう。足りないかな、といって、さらにガサガサと千切る時もある。

この人のことだから、ビニールの中で、というのは、クズが飛び散らない為の配慮だろう。だからその「全体像」は見えないんだけれども、千切られたものから推測するに、昔のレコードぐらいはあるんじゃないか。そう、円盤型だ。ウズベキスタンのパンの典型といえば、円周部分が「額縁」のようにフックラと膨らんだ「平焼きパン」である。額縁部分がかなりぶっといようで、平焼きとはいえ、厚み五、六センチはある。

 が、それはウラジオのどこで買ったのだろう?

パンだけを並べるパン専門店や、スーパーのパンコーナーに並んでいたのは、パウンドケーキ型の直方体、或いは巨大なコッペパンや丸型であり、いかにも「ロシア的」な、色の濃いパンだった。「濃い」のはライ麦や、ふすま入り小麦を使う為であるが、その配合具合によって、「うわ」と声をつい出てしまうほど黒に近いパンや、茶色、グレー等、微妙に色合い・濃淡が異なり、断面の目の詰まり方や重さも違う。味わい・風味ももちろん様々で、そのバラエティとはキリがないもんであり、ロシアのパンをすべからく制覇しようなんてことは、たかが滞在一か月程度じゃ無理だわ、と日を経るにつれ思い知らされるのだ。が、それにしてもこういう「平型円盤型」は、どこにあったのだろう。

平型円盤型は、一般的に精製した小麦粉を使う。つまり中身(断面)が「白い」。白いパンも、黒パンに比べれば少ないとはいえ無いことはないが、ほぼ、食パンなどの立体的なパンだった。ウズベキのパンに目を凝らした日々がかつてあった私としては、見たら「あ」と気づくはずだ。

が、私が歩いたウラジオストクの町とは、ほんの僅かなエリアに過ぎないのだろう。もしかすると、ウズベキコミュニティーともいえるエリアで、平型専門に作っているパン屋が存在するのかもしれない。出身者による、出身者のためのパン屋が。「パン食文化圏」に生きる人が、自分が食べるパンの姿・かたちを堅持しようとすることは珍しくない。

とはいえ、移動中だ。やはり手に入れ易い「多数派」に甘んじる、ということか・周囲のベッドのウズベキ人だって、立体パンを食んでいる人も少なくない。もちろん円盤を手にする人も「主将」だけということはなく、中には活け造り四人前でも載るような「大皿」を、ドンとテーブルに載せるグループもあった。一つを、四方から千切って食べるのである。

主将は、カップ麺の汁を持参したスプーンで啜っては、パンをさらに一口大に千切ってから、口に入れる。いや、スープにその切り口を浸してから食む、という方が多いだろう。そして時々、思い出したように、スープの素と一緒に付属しているプラスチックフォークで麺をすくい上げる。

麺とパンの「ダブル炭水化物」に、自分としては拝見するだけで結構です、であるのだが、かの地では麺料理(カップ麺じゃなくて、ウズベキ伝統的な麺料理)はもちろん、米料理(ピラフ)であっても、「パンを添える」ことは当たり前である。パンは何にも替えがたい、「これがなければ食事にあらず」なものである。それ以外の累々はすべて、パンの前に侍る「お供」といっていいだろう。

…旨そうに、汁を啜るもんである。

パンを片手にするその姿は、「スープとパン」の食事だ。中でウヨウヨしている麺とは、ニンジンなんかと共にある、スープの「具」の一種に過ぎないような気がしてくる。

缶詰の時は、その身(魚缶が多い)をパンの上にちょこっと載せるか、缶汁をパンの断面にチョイチョイさせてから、口にする。エキスがじゅわっと染みて、旨いだろう。ビニールの中に残っているパンは、次の食事用に回されるが、汁に浸して食べるのだから、少々硬くてもたいしたことはないのだ。

そうして、砂糖がドップリ入った甘い甘いチャイを、喉潤しに啜る。

だいたい六対四で、缶詰よりもカップ麺であることが多い。それは周囲の人々も同様で、この偉大なるインスタントの匂いは、いつも車内のどこかで漂っている。温かいスープとパン――雪景色を車窓に、なんとも贅沢な食事に映る。

 

 途中、ホームに下車して売店をのぞいてみれば、ちゃんと「多民族」ってこと分かってますねん、と、平型パンも見かけるのだが――どうも、違う。主将が持っている「円盤」は、ところどころ歪み、厚さが一定していない、どことなくシロウト臭さが漂う…。

「食べなよ」とたいてい声を掛けてくれるのだが、「食っちゃ寝」で太い腹が気になり、イエイエと何度かは遠慮していた。が、すっかり一員のようにこの場に打ち解け、自分のパンも食べきったし、じゃあ…。

私も例に漏れず、定番カップ麺を出した。通路を挟んだオジサンはタッパーを取り出して、手作りらしき煮込みのうち、鶏骨付きの結構デカいのを三つ、静止を聞かず、まだ乾燥状態の麺の上にゴロゴロとのせながら「これ共々、湯で蒸らしなさい」と指示した。…ナルホド。単なるカップ麺が…と、感無量である。

そして蓋を開いた頃、主将は、やはりビニールの中で千切ったパンを、テーブルに裏返した蓋の上に置いてくれる。

ダブル炭水化物…と、一瞬躊躇したものの、私も彼らのように味わってみたい・その興味の方が大きい。

 

パンをいただく。

甘い。砂糖で、というのではなく、白い小麦粉(精製粉)のみであるからこその、柔らかい匂いと捻くれのない味。が、中の気泡はガシっと詰まり、繋がりの強さを感じるその食べ応えに、さすが「パンの国」のパンだと思う。――って、日が経っているだけにパサついており、コシも余計に強く感じられるのかもしれないが、儚そうで、きっちりと存在感は植え付ける、食った気のする「濃いパン」だと思う。

これがまた、恐ろしいほどにカップ麺のスープと合うのだ。「麺」などホント、眼中にちょろっと漂うお飾りとなっており、炭水化物を二重に取っていることなど、ツユほども気にならないのである。それにしても、頂いた豪勢なお肉が、なんてホロホロ…。

それにしてもこのパン、焼き立てはさぞ旨かろう。

「作ったんだよ」

……。

生地は自分で練った――じゃあそれをどうやって焼くのだろうか。ウズベキの円型パンは、石造りの窯内部の壁に生地を貼り付けて焼くのが主流であるが、ロシアでの住まいは寮か何かだろう。祖国であるようなパン窯を、庭に作るわけでもなかろうし…。

答えは簡単。パン屋に生地を持ち込み、焼いてもらうのだという。窯は、残念ながら「タンディル」じゃないけどね――主将は、ロシアの窯を「扉」と言った。ウズベキスタンのパン窯といっても、壺のように入口がてっぺんにあり、そこから生地を中へ入れるタイプもあれば、ドーム状となっている窯内部の一部側面に開閉口があり、そこから生地を入れるタイプもある。どっちにしても、窯の壁にバチンよ貼り付けて焼くのであるのだが、主将が意味しているのは後者というわけではない。つまり日本のパン屋で普通に見られるような、横からパン生地を挿入して窯内部の床面に並べて焼く、立体パン用の窯のことである。

…へぇ。

もちろん使用料は払う。その方が経済的だから、というのもあろうが、やっぱりそれが、譲れないアイデンティティー――パンとは、自分の中にある確固としたものの一つがだからではないかと思う。

「故郷」のものであってこそ、日々のパン。「食った」という実感が得られるものであり、無しではいられないもの。無いならば作らずにはいられなかった、ロシアの日々――か。

とはいえそんなことはしったこっちゃないし、とばかりに、弟君は駅の売店で、二斤はあるブラウン色の食パン型を買い、一人食っていたが。

ちなみに兄弟の食事時間はバラバラで、それぞれが食べたい時に、のようである。喧嘩しているというわけではなく、寝て起きて、喋って食ってまた寝て…っとやっていると、いつが食事時なのか、感覚がそれぞれ狂ってくるのだ。加えて広いロシアである。地域によって時差があり、それを横断しているシベリア鉄道は、一応モスクワ時間の時刻表で動いているが、暗さ明るさからすると一体どの地域を参考に時間を考えるべきか、これまた迷路に迷い込んだかのように、分からなくなってくるのである。

 

その後、訪れた幾つかの町では、たいてい円盤型の平焼きパンを市場で見た。売り手は、中央アジア出身者が伺える顔である。ウラジオストクでも気付かなかっただけで、もしかするとあったのだろうが、それを買うことなく自分で作る――スゴイじゃない。

「ええと、何日かかるからぁ…」と、列車旅の日程を考えながら、量を考えて捏ねたのだろう。なんとも気が利くヨメさん…ではなくて、ヨメさんに気が利くいい旦那となるでしょう、と、主将の婚礼には私も一言祝辞を述べたいぐらいである。

ロシアの市場で売られる「円盤平焼き」は、黒パン各種に比べれば、ダンボールひと箱分とか、小さなテーブルに重ねられるだけ、という規模でしかない。が、やはり譲れない、彼らの必需品だからこそ、そこにある。

そのたび、主将たちを思い出していた。今ごろ故郷では、懐かしのパンを堪能していることだろう、と。