主に、旅の炭水化物

各地、食風景の点描

タシュケント・タイプ1~華麗なる額縁

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早朝から、焼き立てが並ぶ。あっちにも、そっちにも、ここにも。

様々な作り手のパンが、市場には寄り集まってくる。この地のパンの特徴とは、平べったい、直径三十センチほどの「円盤型」であることだが、ざっとみてタイプは二つ。

まずは、「額ぶちパン」

えらく「ふち」の部分が分厚く盛り上がったパンである。中に汁物でも注げるんじゃないかというほどに、器のような頑丈さがある。…と、そういえばパンとは古くから各人の皿としての役割を担っており、現在においてもパン食圏(パンをよく食べる地域)を歩いていれば、皿のようにそしてスプーンのように、それは食物であると同時に、オカズと自身とを繋ぐ媒体となっている光景などよく見かけることだ。

だがこれは、取り皿というより「盛り皿」としてもお役目果たせそうな、ガッシリ感があるのだ。「額」のイメージが浮かんでくるのは、手すりのような立体的部のヒダ模様が、彫刻刀で掘りこまれたかのような見事な装飾の故でもある。壁にだって掛けられるかけられるんじゃないか、コレ。

表面のうつわ部分(凹んだ中心部分)の、ホクロのようにパラパラと黒ゴマが散らされているその肌には、箸の先っぽで突っついたような、無数の「穴」が模様のように点々とあるのが分かる。

焼成直前、円盤型に伸ばした生地の表面に、先生が押してくれる「よく出来ました」スタンプのような道具を、ポンポンと押し付けたことによるのだが、そのスタンプ面には針が幾つも「剣山」のようについている。これで突き刺すことで、生地内にある気泡を外に発散させ、過度に膨らまないよう焼き上げるのだが、そのついでにというか、針は意図的に美しい点々模様がつくよう配置されており、まさに「よく出来ました」のように、「二重丸」だったり、「花形」だったり。作り手によって独特なのを持っていたりするから、それを見比べてみるのも楽しい。

表面も裏も、カッチリと焼き込まれているのを、「額」のヒダ部分をとっかかりに割ってみる。

と、それほどクズを散らすこともなく、ホックリ・ふんわり、名残惜しげながらも素直に千切り取れる。

甘い香りだ。匂いそのままに、食べたらやはり、柔らかい甘味を感じた。表面の明るい褐色と、割った断面に覘くほんのりしたクリーム色から想像するに、小麦粉、塩、水、酵母というパンの基本的材料に、油脂や卵、砂糖等の副材料が加えられているのだろう。――が、あくまで微かなものである。

あるおばあさんは、「ウチのは、他とは違うのよん」とばかりに何やらを説明しながら、その端を千切って渡してくる。…エ。買わないよ?ソレ(もう他で買っちゃったし)、と思いつつも口にすると、やはり甘い。連想したのは「ヨーグルト」だった。

もちろん作り手が違う以上、「このタイプ」と一括りにできない個性が、毛細血管のように存在するのだ。

 

薪パン ~カイセリ

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トルコの中部・カイセリ――冬。

早朝、バスで到着すると、既に雪が、道路を、狭い路地を、塀を、建物を、街路樹を――町を占拠していた。

ボコボコとした白い大地を乗り越え、踏みしめながら前へと進むも、舞い落ちてくる雪と霧で数メートル先が見えない。町中心部だというのに遭難状態に陥りながら彷徨っていると、温かな明かりが目に入り、そこにすがりつくよう戸を開けた。早朝から開いているといえば、やはり「フルン」――パン屋である。

容赦ない冷気に晒されていた頬に、湿り気のある温かい手が押し当てられたようだ。自然にはない、温かさ。その優しさに、ネジが一気に抜かれ、フニャッと泣けてきてしまう。

それから滞在中、毎日そこを訪ね、パンで暖を取っていた。

 

窯の中では、赤々と薪の火が燃えている。

それに横付けするように置かれた成形台の上には、ラグビーボール大のパン生地がいくつも待機していた。エプロンをつけた髭おじさんが一つを取り、両手の指で、上からトントンと押し付けるようにして伸ばしてゆく。やがて、五、六才の子供の身長ほどにも広がったそれを、両手で抱きかかえるように巨大な木ベラの上に寝かせたら、その柄を持ち、窯の中へとスッと差し入れて、うまく生地を置き去りにする。

 一人で一枚食い切るのに、何食分となるのだろう――

…なんて、もの欲しそうな顔が分かり易かったのか、「食べてみてよ」と、その焼き立てを割ってくれた。

ガッチリとした皮。ほわわわ…とその白い断面から漂う、湯気と湿り気。柔らかい。が、引きもちゃんとあるようだ。

口に入れると、その香ばしさに浮かんだのは「きな粉」である。

アッツアツが、凍えきった体の芯に火を灯す。頬が緩み、ほてり、オレンジ色に染め上がってゆくのがわかる。

 

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まるで、「薪」。ソレを握ってスポーツチャンバラでもできそうな、長細い形とは珍しい。

これは配達用のパンだという。ついて行ってみると、そこはカイセリ名物・サラミの専門店「パストゥルマ」だった。

店頭に大小各種吊り下げられ、並べられている「サラミの塊」だけではなく、それを薄くスライスしたものを、この薪パンの側面に切込みを入れて数枚挟みこみ、軽食として売るのだという。パン一本分でなくとも、お客の注文に応じて、「薪」は短く切ってもらえる。

名物には興味があれども、どっしりズッシリとしたサラミの塊一本買うのは、一人モンにとって決断がいるが、それならば手を出しやすい。買いやすい。

とはいえ、フルンのよしみによるタップリの味見で既に満たされ、買う気はもはや落ち着いてしまったけれど。

ベトナム中部・フエ

市場で朝食。

フエには、米粉やデンプン製生地に、エビを具としてあしらった「エビ点心」が各種ある。

改まった食堂でも食べられるが、市場でも発見できる、庶民にとっての日常の味だ。ちまきのように、一つ一つをバナナの葉で包まれているのを籠に盛り、「いらんかね~」と売り歩いているのをつかまえたり、皿や箸と一緒にいつもの定位置に構え、風呂用だか足置き台だかの低い椅子を用意して客待ちしているおばさんの処で腰を下ろすのが、値段としてもお手軽である。

売り手の周囲をぐるっと取り囲み、くっちゃくっちゃと「音」を食んでいる輪の中に座る。「頂戴」と言うと、食べる分だけ、包みの葉っぱをハラハラとはだき、ボトッと皿の上に落としてくれる。

形状の異なる三種をそれぞれ。

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  左(バイン・ボロック)…透明な、葛饅頭のような弾力の皮の中には、エビと、豚   の脂身。エビは「干しエビ」の感じ。皮の弾力の強さは、タピオカのようだ。

 上(バインナム)…薄い米皮に、エビソボロ。

 下…柔らかぁい米皮の上にある黄色い部分は、エビというよりイモのような卵のような感触。

三者三様。特に、「バイン・ボロック」の、モチとコンニャクを合わせたようなブリンブリンの弾力に、周囲の客の頬の動きを納得する。

が、葉っぱで包み、蒸して出来上がる角のなさが、胃に優しそうなイメージをもたらす(イメージだけ)。小さいから幾つもを、ペロッと食べてしまうのだが、やはり米・デンプン製品であるからして、結構腹にくるのだ。

どれもヌクチャムと呼ばれる、ベトナム魚醬・ヌクマムを使った甘酸っぱ辛いタレを付けて食べる。

お客は、スッと座り、座ったら立ち…と、ソフトクリームを舐めに来たかのように、あっさり回転がいい。

お手軽――庶民の味だからこそ、妥協がない。