主に、旅の炭水化物

各地、食風景の点描

妖精の生地仕込み ~ディヤルバクル②

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トルコ南東部、ティグリス川上流に位置するディヤルバクル。その中心部は、「新市街」と「旧市街」とからなっている。

「新市街」はその名から察せられる通り、整備された大通り沿いに銀行や高級ホテル、大型ショッピングセンターや、超有名ハンバーガーチェーン店やカフェ、アイスクリーム店、ブティック等など、ツルッとした近代的なビルが建ち並ぶ、いわゆる「オシャレ」なエリア。ビジネスマンがこの町に出張でやって来るとしたら、おそらくここいら一帯をカツカツと歩くはずである。

が、私が滞在するのは、古代ローマ時代から建設されたという、世界第二位の長さを誇る城壁(「万里の長城」の、次)に囲まれた「旧」の方だ。

メイン通りには小規模な個人商店が軒を連ね、装飾品やら生活必需品やら諸々が並ぶ前を、人々がせわしく行き交う。

食料市場はやはり活気があり、こっちが、いやこっちのホウレンソウが、と物色している場面等、人々の買い物をする様子をじっと見るだけでも面白くて、ヒマは簡単に潰れてゆく。

石畳の道は迷路のように入り組み、その脇にはひなびた風情を染み込ませた小さな民家がひしめく中で、ジャミイ(モスク)とミナレット(塔が)が背筋を伸ばし、青空へ向かって光を得る。

 歩き続けていたくなる雑踏だ。

 

そんな旧市街にある、偶然に、というか「パン」に引き寄せられて入った「フルン」だ。

その具体的な工程を、改めて追ってゆくことにする。

「六時に始まる」と少年・S君は言ったが、実際「フルン」ではもっと早くから生地の仕込みが始まっている。

「六時」というのは、「その頃には、店のドアは開いてるんじゃない?」という想像であり、実際、一度も彼がその時間にやって来たことはなかったんだけど。

…マ、お金を管理するレジ係は、確かに「パンが焼き上がってから」じゃないとやることがない。

 

「パン作り」の工程を至極簡単に並べると、

仕込み→分割→成形→焼成

で、この間に生地の「醗酵」が入り込む。

まずは、「仕込み」。つまり材料を合わせ、捏ねる作業である。

「焼きたて」をゲットできる利点ごもっとも・店に入っていきなり「窯」がそびえ立ち、その前で作業姿を見せる窯係とは異なって、仕込み現場はたいてい「奥の部屋」にひっそりとある。まぁ、辺り・床一面を真っ白にする大きなミキサーを、客がごったがえす店頭に設える理由も無いだろうが、つまりはこちらから自主的に「どうも」と入り込んでゆく必要があるということだ。

しょっぱなからズカズカと入って行くわきゃない、こちらは「一見さん」である。よって、パン作りはここから始まるとはいえど、こちらにとっては単に店のドアを開くだけで出来る「窯作業の見学」がステップⅠとするなら、ソコはその次の段階・つまり、仲良くなって「お通り」を許されてからの、ステップⅡとなる。

小さな窓から漏れてくる外からの光をもとに、たった一人、黙々と作業をするNさん。その背中を見ていると、…ええと、なんというか―「妖精」。って見たことないけど、おそらくこんな感じなんじゃないだろうか。

華奢、に見える体つき。固くて冷たい、氷のような目をしたその表情――透明感ある美しい容姿は、人を簡単に寄せ付けない、神秘性なるものを漂わせている。外部との接触を絶ったような感じが「奥の部屋」とあまりにもピッタリきて、出会って早々私が抱いた印象は、Nさんとはきっと「人間嫌い」で、こちらからはすごく話しかけ難い人―

がどっこい、奥へと私を案内してくれたのは、Nさんの方からである。まぁ、窯のもとへと運ばれてきた、焼成前の生地を物珍しそうに凝視していれば、「興味ギンギンです」ことを言葉なしに訴えるに等しいんだけど、そんな私に頷きながら、「おいで」。一瞬、森に迷った子供に手を差し伸べる、それはまるで天使を見るようで、ドキッとした。――ふわぁ、と綿のように柔らかい、穏やかも和やかもいいヒト、であるのだ。

 

「小麦粉」、「塩」、「イースト(酵母)」、「水」――パンを作る上で、基本的かつ必要不可欠な材料。(とはいえ、塩に関しては、イタリアのトスカーナ州では、中世より「無塩」のパンが存在しており、現代では日本でも健康を理由に売られている)それらに、ここでは「ソーダ」・つまり「重曹」も加わる。ケーキやクッキーを作る時に入れるのと同様、期待されるのは「よりフックラ」という膨脹材の役目だろう。

「塩」は五百gで、「イースト」(生)はレンガ大の塊が三包み。「重曹」が二十g。

そして肝心の「小麦粉」は一回の仕込みで約五十キロ。粉袋一つ分であり、そのオモテには「ディヤルバクル」の文字。

地元産の小麦粉――「さすが、文明を育んだティグリス」。この地が古くから肥沃な穀倉地帯であるという、その「歴史詰まってるなぁ」感慨をこの粉から受け取ろうではないか。…ってトルコにおける小麦の生産地はここらに限るわけではなく、「地元」の粉を使う町などいくらでもあるのだが、やはりこのティグリスといえば「メソポタミア文明」であり、小麦の発祥の地とも言われているのだ。ここはその上流部にあるのだから、やはり古代に思いを馳せて唸りたくもなる。ちなみにこの店では、同じく南東部の町・「ガズィアンテップ」の粉も、よく使うらしい。

「コッチ」と案内されて、さらに奥へと進んでゆくとさらにヒミツの部屋があり、音楽室のような広さの中に、何列も、かつ天井まで届くほどに粉袋が積み上げられていた。生地を捏ねる巨大なミキサーの脇に何袋か置いてあり、それだけ見ても十分な量だと思っていたが、どっこいもどっこい。「フルン」なんだから、粉が大量に存在するのは当たり前なのだが、日本のパン屋とはスケールが違う。ひとつ五十キロの粉袋――てっぺんまで積み上げるだけでも、かなりの労働だ。これを見上げるだけで、ここが「小麦の世界」であることが実感されてくるようだ。

「すごいでしょ。」とS君もいつの間にか現れて、ハイハイ、とお客の対応に呼ばれてレジに戻るというのを繰り返す。おお、いい身分ですな。十時出勤か。…って、いい身分だったのだ。こまっしゃくれているのもそのハズ、彼はパトロン(=オーナー)の息子で、お坊ちゃまだったのである。イチイチと感心している様子をオモシロがっているようであり、私も期待に応え、幾分多めに驚いておくことにする。

 

 

粉をはじめ、材料を合わせてゆく。

円周は、大人一人じゃあ両腕をいっぱいに広げても足らんなぁというぐらいの、大きな業務用ミキサーである。そのうつわ部分の中へ、よっこいしょ、と、各種を投入したら、横から中へと突き出している水道の蛇口を捻り、「スイッチ・オン」。

――…ん?

何か忘れ物をしたような、ヘンな感じがした。

ユーホーキャッチャーの「腕」を大きくしたような、巨大なはねが回転を始めると、煙幕のように粉がモクモクと舞い、中身は徐々に混ざり合わさってゆく。――蛇口の水は、「出っぱなし」。

それで、どうやって「量」が把握できるのだろうか。

目安がハッキリとしない。ガソリンスタンドみたいに、ホースからいま出ている量というものが表示されるわけでもない。

パン作りにおいて、「水分量を微調整する」ことは特に珍しいことではない。…というか「当たり前のこと」であるのだが、ミキサー容器の中は捏ねくり回され、水を取り込みながら馴染んでゆくその上からもまだ、とめどなく流れる水…。

いったい、いつまで? 「垂れ流し」で果たして見当つくもんなのか。

更に驚くのは、完全に混ざりきっていない、粉を吹いている状態で水を止めてしまうことである。

だいたい、生地の構造がガッチリと出来る前・つまり捏ね始めてわりと早い段階で、水分調整をするもんだと思うが、それ以前の状態ではないか。しかもその後は一切蛇口を捻ることがない、ということが少なくなかったのである。

つまり、ある程度の「予想」が、捏ねくられているその動きを見ていれば、つく、ということか。

いま、生地がどのように混ざっているのか――その状態を、ミキサーの脇からつきっきりで凝視する。そして、「蛇口を締める」瞬間を見極める。とにかく必要なものとは、「感覚」「想像力」であり、どれだけ水って入れたっけ、の「メモリ」ではないのだ。…時間を早送りして先を読むパワーなどないこちらとしては、ナゼ、どーして「いま」がいいの…?―どこの部分で「コレでよし」と思うのか、何回見ても全くサッパリわからないが。

 と、胸かき乱されながらミキサーのスイッチを切ったのは、約十分後。

かなり水分の多めの生地であり、まるで搗き立ての「餅」。このまま砂糖をまぶして食べてもオススメなんだよ、とのことである。(ウソ) 

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捏ね上がった生地は、ドラム缶をまっぷたつに割って横に寝かせたような、巨大な「生地入れ」に移される。下にコロがついているそれをミキサーまで近づけたなら、バケツに汲んである「手水」(生地がくっつかないよう手に擦り付ける水。「餅搗き」の時の水を差すが、以降、ここでもこう呼ぶことにする)を、両の手の平だけでなく、腕・肩にもたっぷりとつける。

そうして濡れた両腕を、ミキサーの中にズブズブと深く潜り込ませ、底からえぐり出するようにして生地を持ち上げるのだ。腕に付着している水分は、ガッチリと組織が出来上がっている生地の中へ簡単には溶け込まずにすべるから、「えぐられた部分」は、わりと未練なく生地の塊から離される。ナルホド。

体勢をやや半回転させ、それをドラム缶内に落とし込むと、「ドスン」と、地響きじゃないけれども。…重かろう。それを、五回、いや六回、ミキサー内がカラになるまで繰り返すのだが、見ているだけで腰がビリビリと…って、そうです、ハイ。スイマセン私は見ているだけなんです。

 さて、そうしたら「休憩」ですか。というのも、「パン作り一般」では、捏ね上げた生地を「醗酵」させる為に、暫く放置しておくモンであり、その後、それをパン一個の量に「分割」(切り分ける)する作業が始まるモン――なのであるが、ここでは「捏ねたらスグ」らしい。「放置」のために時間を設けるつもりはないらしい。

「手粉」(生地自体や手、台などに、生地がくっつかないようまぶす小麦粉)を少々、生地一面に振りまいたら、その大きな塊に片手を突っ込んで、ひと掴み引っ張る。そして、その元を右手に持ったスケッパー(名刺二枚分程度の、生地を切るカード状の器具)で、「カンッ」と、刃をドラム缶内のカーブした側面に当てることで、生地を切る。

カンカンとやって切り離したら、それを秤にのせる。生地は「大」と「小」があり、大は一つ六百グラム。小は、その半分の三百グラム。合格ならば、すぐ傍にある、粉にまみれた台へと放る。

「生地入れ」に向かっての作業は、体をくの字に傾けた状態だ。生地が切り取られて中身が減ってゆくに連れ、さらに体は内部にのめり込む体勢となる。つまりラストに近づくほどしんどくなるということだが、生地を切るばかりではなく、放ったのが七、八個ぐらい溜まったら、台の前に立ってそれを丸めてゆかねばならない。

両手のひらを動かし、台にこすりつけるように。一個六百グラムはバレーボール…とは言い過ぎだけれどもかなり大きく、それを片手に一個ずつの、二個を同時に丸めてしまう。Nさんの手が、実際はけっこうガッチリしているにもかかわらず(容姿にしては、手だけはデカい)、巨大な生地のせいで小さく見えてしまう。――が、やはり「手」は生地に対しての「支配者」。バフッバフッと息を吐きながら(実際は手粉が舞っている)、大人しく丸まってゆく生地は、まるで手なずけられてゆく生物のようにも映る。お見事。

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丸まったなら、足元に積み重ねてある、長さ約三メートル・幅三十センチ程度の、トロ箱のような木製の箱の中へと収めてゆく。

箱の中には、その底面に合わせたサイズの白い布を敷いている。生地が引っ付かない程度に、軽く布一面に粉をまぶし、「大」生地だとひと箱につき五個を、間隔に余裕をもって入れる。生地が醗酵して膨らんだ時、生地同士が引っ付いてしまわないように。

デカい箱にたった五個――「なるべく詰めたほうが、箱が少なくてすむ=持ち運びがラク」。どうせまた成形(形づくり)するんだし、いまひっついたって大した問題じゃあ…などとスグ思う、私のような横着さは、ない。

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丸めてはトロ箱に、…いやトロ箱じゃないけれどもとにかく生地を入れて箱を重ねて、が繰り返され、どんどんと背を高くしてゆく。箱ひとつの高さは、丸めた生地よりも少々あるから、重ねたら上の箱に引っ付いてしまう、なんてことはないからご心配なく。

それがある程度・七、八段となったら、最新の箱と最初の箱を入れ替える。

つまり、いま丸めたばっかりの生地が入る「一番上に重ねた」箱を床に下ろし、その上に、二番目(その次に新しい生地の箱)を重ね…と上下を入れ替えてゆく。と、昔(最初)の箱の中身が久しぶりに顔を出す。

それと、「たった今」丸めたばかりの生地とを比較してみれば、明らかに「太ったね」。ひとまわり、緊張の糸でも解けたかのようなのっぺり顔で、「一箱五個にしといてよかった」と思える大きさになっている。

醗酵時間をおかない理由はここで理解できる。他の生地を丸めている間にもこれだけ膨らんでいるのだ。

粉・五十キロ分の生地と格闘するのはたった一人であり、分割やら丸めやらのアレコレの「間」を合わせれば、醗酵時間を兼ねてしまうこと充分なのだ。分割も終いの方になると、生地ははじめの頃に比べて、だいぶ緩んで柔らかくなっている。これで更に時間を敢えてとったならば、弛んだ贅肉にも匹敵する生地となり(過醗酵)、扱いが難しくなるだけでなく、焼き上がったパンにも影響が出るだろう。具体的には、弾力に乏しく、酸味が生まれ、醗酵の匂いが鼻につくようになる。

で、のっぺりしたならば、この場所は卒業だ。外の石畳までよく見渡せる、開かれた世界にデビュー、である。

箱ごと・その真ん中に取り付けられた取っ手を握って、窯のあるオモテへと連れてゆく。

ここの明るさに目が慣れていたからか、なんだか通路の向こうが妙に眩しい。「日の光を見る」―Nさんの背中に、そんなことを思いながら後をついて行き、「世界」に出ると、同時にムッとした熱が頬にやってきた。まさしく窯部屋だ。

箱の中から生地を取り出して、成形台に乗せてゆく。生地の下に白い布を敷いておくのは、この時、醗酵して更に柔らかくなった生地を、うまく移動させるためでもある。布を引っ張ることで生地を「ヨッ」とひっくり返しながら掌の上に載せ、それを台の上にポンと軽く放るのだ。手早く、かつ、潰さないように、優しく…。

そうして、カラになった箱をぶら下げて奥に戻り、また、分割の続きを始める。

仕込みから始まって、分割し、丸め、そして醗酵後の生地を受け渡す。ここまでの一連の作業が、「仕込み」係・Nさんの受け持ちである。

 

 ――オモテは、賑やかそうだ。「あの人だ」…と私も分かるほど、特徴のある常連の声であり、楽しい話で盛り上がっているのだろうと、仕込み部屋から想像する。

外からの光は入るから、それほどにここが薄暗いというわけでもないんだけれども、…それにしても一人というのは全部、「自分の動いた音」。窯の熱も届かない。

 寂しくないだろうか。

…なんて感じる余裕などない、か。忙しいったらありゃあしないのだ。重い粉袋を持ち上げ、生地の塊に相対する。分割し、丸めて、ひょいっと箱を持ち…と、常にあっちこっちするNさんだ。スムーズに見えるけど、それって息を切らせる時代を経て鍛えられ、体力を身につけたからこそ出来る動きだろう。きっと、空手選手に勝るとも劣らないはずであり、「華奢」などと、とんでもないのだ。

忙しさの中でイヤな顔など一つとして出さず、ことあるごとに「これは…」とその作業を丁寧に説明するこの人は、世話のかかる妹の面倒をみる兄のようでもあり、或いは、何度言っても「わからない」と首を振る児童に、足し算を一つずつ教え聞かせる、優しきセンセイ。…いやあの、会話の大半を本(トルコ語会話の本)無しで済ませられない私であり、「妹」どころか、ガキと言うほうがまだマシの、「赤ん坊」レベルである。あぁそれなのに。

涼やかな顔で「座ってなさい」なんて言われると―心が洗剤付けて洗われてゆくよう。ぶくぶくと泡立つ青白いシャボン玉は輪をつくり、その向こうでNさんが微笑んでいるのをただ、茫然と眺めている。

…なんて、いつのまにか不思議な世界へと片足突っ込んでいる、妖精Nさんのファンタジーワールド。

 

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