主に、旅の炭水化物

各地、食風景の点描

トルファンのナン ~新彊ウイグル自治区

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「ナンに興味があります。」…ということを言いたげに、ジッと立っていた。

ハンチング帽をかぶって長身、その目鼻顔立ち…。誰にといえばもうこの人しか思い浮かばない、「いか○や長介」そっくりのおじさんは、タンドールの窯仕事に没頭していると思いきや、ちょっと近付こうと思った時点でもう、目をギロリとさせてこちらを睨んだ。

「仕事は見世物じゃねぇぞ」とかいうよりは、猫が獲物に気づいた、探るような目。ナン作りに見惚れています、などと説明したいのが、能天気に思えてくる。

 まるでテリトリーに侵入してきた「不審者」である。その雰囲気に少々戸惑いながらも、中から出てきた年配の、おそらく奥さんに一枚買いたい旨を言うと、フン、と視線はすぐに手元に戻った。

…コワイ。けどべつに怒られる筋合いはない。ただソレを買おうとしているという、私はお客でしかないのである。

 少々ムッとはするのだが、通りに面した屋根のたもと、熱立ち昇るタンドルを前に黙々と仕事をこなす姿はカッチョイイ。タンドルとは、ドラム缶のような壺型の窯。生地を内部側面に貼りつけてナンを焼くのである。コンクリート製だろう、差し入れ口の穴がてっぺんにあり、そこに二本の、鉄筋のような長い棒を差し入れてクリクリ操り、銛のように円盤を貫いて、引き上げてゆく。またひとつ、またひとつ…と。

 よく見てみよう。昔流行り、欲しくて欲しくて何度ねだったか知れない円盤投げ(の円盤)を想起させる、平板な丸型。縁はぐるっとフックラ厚みがあり、中心部分は薄い。表面に引っ付いているのはどうやら玉ねぎのみじん切りだ。

 それが、「ここ」のパン。 

 このタイプ、中国の西域・新彊ウィグル自治区であちこちと見かける。パンはここでは「ナン」と呼ばれており、この他、鬼かというほどに硬い、ドーナツ型のパンもまた名物とばかりに目につくのだが、私にとって初ウイグルの地・このエリアの中でも北東部に位置する「トルファン」では圧倒的に円盤型が多く目についた。作り手はもちろん、その地の居住民族であるウイグル人である。

 平均的な大きさは直径三十センチはあろうか、食べ切るにはデカ過ぎるなぁと一瞬戸惑うのだけれども、バサァッと放られる「焼き立て」のスグもスグ、というのを見過ごすわけにはいかない。

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 だが、ソレを一旦口に入れてしまうと――そんな心配などまるで無かったかのように、あれよあれよと千切り取ってしまうことの不思議。

端っこは厚みがあって、フンワリ、かつモッチリと弾力がある。一方、内側は、パリッとした歯ごたえと香ばしさが快感だ。そのコントラストが、もとは同じ生地にかかわらず別物に思わせ、食べていて面白い。

玉ねぎの、しかもみじん切りを散らしただけという、シンプルな具というのもいいもんだ。出しゃばらず、でも確実に、ナンにアクセントを添えている。具というよりも、調味料の役割に徹しているのだ。

「焼きたて」という現実に、さらにお幸せに頬が緩む。割った中から立ち上る湯気と香りが、食欲の歯止めというものを崩してゆく。

「一枚なんて食えるわけが…」とおののいたのは一体どこへいったのか。結局全部食いつくしてしまった。

ウイグルに踏み込んでゆくにつれ、この地で「焼きたて」のパンに巡りあうのはさして難しいことではないことに気付いた。――となればもうタガが外れたも同然である。

 何を大きい、何を小さいと見做すかなんて「慣れ」であり、いつしか臆するということも忘れてゆく。そうやって胃は肥大化し、肉付きよくして帰国に至るという毎度のパターンに帰結するのであり、いま振り返れば、この旅もここが「帰国後の五キロ増」のスタート地点だったか、とも思う。

                           (訪問時2008年)

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