ところでお菓子を食う時、その付き添いは「コーヒー」にするかそれとも「チャイ」(紅茶)か。
…なんてことは個人の好みでありどっちもアリではあるのだが、どちらが多数派かは土地によって傾向がある。ロシアや中央アジアの国々、イランは「チャイ」。インドも「チャイ」。そしてアゼルバイジャンも、「チャイ」。トルコも「チャイ」――独特の、「くびれたグラス」がよく知られる。
他方、グルジアでは、飲み物をどうぞ、と招かれた際に出されたものいえば、「コーヒー」であったことが多い。停泊していた宿の女将。「チャイももちろん飲むわ。でもチャイは、ほとんど『水』よ。」なんて言っていたが、かの地では「コーヒー」がよく飲まれるようだ。
この辺の「コーヒー」といえば通常、小さな鍋で煮出して淹れるタイプであることが多い。ミルクパンよりもかなり小さい、「キュッ、ボーン」とした腰のくびれを連想する、色気あるフォルムの片手鍋が、コーヒー専用として存在する。サイズは様々だが、一般家庭で多いのはコーヒー三、四杯分のもので、鍋底の面積は茹で卵が三つ入るかどうか、だろうか。その中に一見「ココアか」と思えるほど「超」極細に挽いたコーヒー豆と、水、そして砂糖は要るかどうかを訊かれるものだが、これは甘くして飲むのがおおよその傾向であり、それらを一緒に入れて火にかけて、ぶくぶくアワアワと沸騰させる。そうして煮出したものを、ママゴト用のような超ミニミニカップに注ぐ。
出来上がりの量とは一見、「たったそれだけぇ?」とつい言いそうになるが、それでもう十分と頷けるほどに濃く、そして砂糖入りの場合はしっかり甘い。
とはいえ人の体は七十パーセントが水で出来ているし――なんてことを思いながら飲んでいるわけではないだろうが、その「役」を担えるのは、『ほとんど水』であるチャイの方だろう。空間にハッキリ独特の香りを漂わせる、コーヒーの個性的な強い癖の前には、チャイの風味とはあまりに優しく大人しいが(ってこれまた種類はイロイロあるんだけれども)、まだ「量」を飲める。
要するに、「コーヒーが多数派」というのは、朝などの強い覚醒作用を欲する時や、来客があったりオヤツだったりと、意識して気分転換を図ったり娯楽要素が混じる時間等に飲むものがほぼソレ、ということ。水分摂取としてはチャイ或いは単なる水であり、全くチャイを飲まない、ということではない。
アルメニアはというと、やっぱり「どっちも」飲む。
が、普段に飲むものとしてはやはり、「チャイ」がより主流といっていいだろうか。根っからのチャイ派である周辺地域と同様、朝から晩までチャイであることの方が多く、よって、お菓子にも当然「お供」にされる。
で、この工房におけるチャイとは――海外においては紅茶にしろコーヒーにしろ、「えぇぇぇぇ!?」とのけぞるほどに砂糖がザッポリ入るものに直面することが多いなか、珍しくノンシュガーで、となっている。みんな砂糖の山を前にして働いているから、自然と自制心が生まれるのか。ソレは確かに適しており、チャイの渋みは菓子の甘さを邪魔することなく、洗うように流れ去り、快く「次のひと口」を呼び込んでくれる。
だが、それは「ちょっとつまみ食い」のときの話。午前午後の「オヤツの時間」と改まって設ける時、特に午後の三時や四時という時間帯においてはたいてい、チャイではなくて「コーヒー」を淹れる。つまり、ちゃんと腰を落ち着けて、改まって寛ぐ「とっておき」で選ばれるのはコーヒー、ということだ。
「アルメニア・コーヒー」である。
それはやっぱり、極細挽き豆の「煮込み」。アルメニアに特化した点があるというわけではないのだが、わざわざそう呼ばれるように、コーヒーを愛好するアルメニア人は少なくないのだ。
大きなマグカップでなみなみと淹れるチャイに対して、コーヒーはここでもやはり例に漏れず、エスプレッソ用のような「ミニミニ」カップであり、誰がということもなくそれを用意するのが目に入れば、特別なひととき・休憩時間がやってきたことの合図。なーんにも仕事をしていないこちらでさえ肩の力が抜けてきて、オヤツの時間だ、とホッとする。…常に食っているクセに。
エニさんは、それまでめん棒をゴロゴロとしていた成形台を片付ける。濡れたふきんで拭い、のっぺりとした木目模様を出したらば、作業中にはテーブルの下に重ねられているプラスチックのイスを人数分引き抜いて、並べた。
瓶をどこからか取り出してきて、その中からスプーン山盛り一杯のコーヒーを、すくう――だけでもう、鼻の穴奥に深い深い香りが入り込んできて、ウットリだ。
だがこの工房では、あの「色気鍋」は使わない。
優しいベージュ色に木の葉模様の描かれた、お猪口よりも一回り大きい程度のカップが人数分ある。既に水が入っているその中へ、一カップに付き一杯、焦げ茶色のパウダーを入れる――と、入れたまんまの「山盛り」で浮かんでいるその麓に、サラサラ…と、同じく匙一杯の砂糖も、また。
かき混ぜたりすることもなく、そのまま、それら人数分を全部卓上ヒーターの上に載せるのだ。つまり鍋ではなくて、直接各自が使うカップで煮てしまおう、ということである。
ヒーターは、理科の実験でフラスコを載せるような小型のもので、作業では、ケーキの上面を覆う為に液体ココアを煮詰める、等で使っており、コンパクトで「ひとり鍋」を保温するのにもよさそうだ。
暫く放っておくと、熱が回り水が温かくなるに連れて、カップの「山」と「粉雪」はナメクジに塩をかけたように沈んでゆき、液体に馴染んでゆく。ぶくぶくっと細かな泡が立ってきたら、それで出来上がりだ。鍋で煮る場合にしても、「泡立ち」がこのコーヒーの「キモ」であり、カップに注ぐ際「(泡を)消さないように!」と能書きされるポイントでもある。
――と、淹れたての、カップまるごとアツアツが出来上がった。
「アルメニア・コーヒー」。
そう人びとは呼び、私もここにいるからそう呼んでいるが、要はこの「煮込む&濾さない」スタイルのコーヒーというのは、前述したようにグルジアでも飲まれるし、ウクライナでもしかり、そういえばルーマニアでも、宿のレセプションが、大学受験勉強の合間に(レセプションをしている場合だろうかと思うが)小鍋を取り出して、淹れてくれた。
それぞれの地で「グルジアコーヒー」「ルーマニアコーヒー」とは呼んでいなかった。このスタイルのコーヒーについて説明する際、引き合いに出されるのはもっぱら「トルコ」であり、アルメニア人以外はたいてい、それを「トルココーヒー」と呼んで紹介する。
ご存じのように、そもそもコーヒーはアフリカ原産。エチオピアからイエメンへ伝播し、アラビア、エジプトへとやってきて、トルコへと伝えられたのは16世紀に入ってからのことである。トルコの前身・オスマン帝国が勢力を広げるに乗じてのことで、支配するに至った土地の習慣が献上され、伝えられた為と考えられている。
現在、トルコは観光地としての認知度は高く、遠いエリアに生きる外国人にとって、ここら一帯を旅しようとするときの入港地点となることも珍しくないだろう。ならば、このスタイル・「煮込みコーヒー」の味に出会う、初めての地となる可能性も高い。説明されるままに彼らはそれを「トルココーヒー」と記憶にインプットし、その先の周辺国で同じスタイルのものに出会えば「あ、トルココーヒー」とその名を口走ることには何の不思議もない。――のだが、カラバフ、ひいてはアルメニアにおいては躊躇があるというか、もはや「禁句」の類だろうか。
トルコの前身・オスマン帝国では、イスラム教以外の宗教を信望することに関して比較的寛容であり(制約付きで)、また様々な民族もこの地に居住していたと言われている。その中に、アルメニア人もいた。…というより、彼らはもともとトルコ東部を含む土地で暮らしていた民族であり、最高峰アララト山は、彼らの故郷としてのシンボルでもある。
しかし第一次大戦中、トルコと敵対関係となったロシアが、アルメニアをその支配地域に置いていたことから、帝国は、「敵と内通している」という疑いを帝国内に居住するアルメニア人に向けた。彼らの排斥・虐殺を仕向け、強制移住を強いることで、数十万とも百万規模とも言われるアルメニア人を死に至らしめた。
19世紀の「アルメニア人虐殺事件」と呼ばれる、この一連の歴史に対する認識において、現在でもトルコとアルメニア政府間では相違がある。アルメニアは、当時の虐殺の規模と残虐性を訴えるが、トルコもまた「多くのトルコ人がアルメニア人によって殺害された」と主張し、アルメニア人の死は、歴史の流れにおいてはやむを得ない事態だった、と言い切る。この為、いまだに両国では国交回復が為されていない。
アルメニア入国の際に押されたパスポートのハンコをみてみると、立派に「アララト」であると分かるのだが、現在はそれはトルコ領に在る。国際的に利用されるものに、敵方にあるものを堂々と象っている。あてつけ、といっちゃあ言葉が悪い、アルメニアにとっては背筋を張って「当然だ」と鼻息を吹くだろうが、これまた相手にとっちゃあムっと青筋でもあろう。
またトルコとは、「ナゴルノ・カラバフ」を巡るアゼルバイジャンとの争いにおいて、オスマン帝国が敵方(アゼルバイジャン)に肩入れしていた、という歴史がある。ロシア革命(1917年)が起こり、アルメニアとアゼルバイジャンそれぞれ、短命ながらも「独立国」となったが(のち1922年、ソ連邦が成立し、双方その内に組み入れられる)、その時から既にこの地を巡るアゼルバイジャンとの争いは始まっており、オスマン帝国はアゼルバイジャン軍を支援していた。
なぜオスマン帝国か――。オスマン帝国・のちのトルコとアゼルバイジャンとは、その多くが信仰する宗教がイスラム教であり、かつ言語も似通っていて意思疎通が容易であるということから、「兄弟」とさえ言われる程に関係が良好である。(が、同じイスラム教でも、トルコはスンニ派が多数を占め、アゼルは隣国イランのように、シーア派が多い。)この時、帝国領土内においてはアルメニア人大虐殺のただなかであり、カラバフのアゼルバイジャンへの帰属を肩入れするのもその延長とみることもできる。
――グルジア(ジョージア)の宿で居合わせた、よく喋る陽気な若者二人連れは、アルメニア人だと自己紹介した。
キッチンで私が茶を淹れようとしていると、「これ、いかが?」と、そのうちの一人が自分が飲んでいたのと同じ、白い色した飲み物を渡してくれる。もしかして、…と思って口にすると、案の定、やはりよく知っているものだった。
ヨーグルトと水、そして少量の塩を混ぜてシャカシャカとシェイクさせたら出来上がりの「ヨーグルトドリンク」であり、グルジアでもアルメニアでも、この近辺でお馴染の飲み物だ。特に脂身の多い肉の串焼き、或いはピザなどを食べる時に最適で、そのサッパリ感が、コッテリした肉っ気をスッキリ流し去ってくれる。
「『タン』というんだ。体調が悪いときは、これを飲んだら元気になるんだよ」
と、喉を押さえてゲホゲホし、腹を押さえて腹痛を表すジェスチャーを混じえてそう言った。ヨーグルトだから、そういうもんだろうネ、と頷き、アルメニア語では「タン」と呼ぶのか――あとで単語帳にメモしておこう、と思った矢先である。
隣のソファに座り、先程もこのアルメニアコンビと談笑していたドイツ人旅行者が、膝の上にあるパソコンから顔を上げて、言った。
「それって、『アイラン』とは違うの?」
――と、瞬間、彼ら二人の表情が、固くなったのが見て取れた。
「アイラン」とは、トルコにおけるソレの呼び名である。かの地でも、全く同じものを口にすることが出来る。
「これは、『タン』と呼ぶんだよ。」
と、彼らは返した。
「「アイラン」とは、違うものなの?」
「『アイラン』なんて、僕は生涯一度たりとも飲んだことは無い。一度だってね。」
東にアゼルバイジャン。そして、西にはトルコ。アルメニアにとって両サイドから「敵」に挟まれているという状態にあるというのが、長らく続いていたということ。その意識は一般の人々の中にも浸透しており、現在・旅の最中である2013年時点においてもまだ、お互い反感は「現役」であり、強い。
それは単なる旅人にも、道中で感じることだった。トルコを連想させる言葉は意地でも受け入れない――きっぱりと言い切った時の目とは、その場の雰囲気をがらりと変えたと思う。――本人には全く他意のない問いかけが、相手にとって許しがたい事を内包している場合もある。知りたい、見て見たい、と旅をしている以上、私も、現地の人々の中では本当は触れるべきでない・犯すべきでない一線を、気付かないうちにはみ出しているかもしれない。
私が遭遇し、「感じる」ことであって、全土に置いて反発の感情がのべつくまなく存在するなどと決めつけてはならなし、敏感度とでもいうか、かの地に対して反応するその度合いも、個人によって異なるだろう。とはいえ、その意識に遭遇する頻度は高いのではないか、とは想像できるのである。
「トルココーヒー」とは呼ばない。…が、「バクラヴァ」は、大丈夫なのだろうか。障らないのだろうか。
――「胡桃ケーキ」の呼び名である。
これもまたオスマン帝国支配を所縁とする、トルコ、カフカス地域、イランやアラブ、中央アジア、ロシアなど、広い範囲で見られる菓子であり、特にトルコにおいては「トルココーヒー」的に名物とされる。
トルコの「バクラヴァ」とは、「パイ菓子」である。クレープよりも春巻きの皮よりもまだ薄い、ペラペラした専用生地を、数枚、胡桃等のナッツを挟み込みながら重ねてゆき、盆のような浅い型に入れて焼き上げたもの。皮が非常に薄いだけあって、そのパリパリ層はあたかも鈴虫の羽のよう。その「せっかくの」繊細なパリパリの上から、甘い甘いシロップをたっぷりと、浸るほどにかけるのが特徴だ。
焼く前に、表面には格子模様が切り込まれており、シロップはその切れ目から中へ中へと、なみなみとあるにかかわらず余ることなくしっかりと染み込んでゆく。格子模様の目・麻雀のコマ一つ分の大きさが「一個分」となり、「……べちょべちょ?」と心配になりながらも食べてみると、柔らかいのはまぁもちろんだが、「層」の存在感はナゼか健在であり、その一枚一枚から、吸収した「甘水」がジュワァと染み出してくるのを受け止める感覚というのが、――「快」。
発祥は諸説あり、そのうちの一つによれば紀元前八世紀に遡り、ダマスカス(シリア)のアッシリア人によって作られ始めたものという。(「トルコの観光・伝統文化の総合サイト」http://www.jp-tr.com/index.html)。広範囲にみられるのは、これもコーヒーが辿ったように、オスマン帝国の影響下であったが故。…まぁ、オスマントルコがどうのこうのでなくとも、近辺ならば「じゃウチでも作ろうか」と、似たものが食べられるようになるモンなんじゃないかと、モトはインドのカレーも国民食にしてしまう無節操な日本人としては思ってしまうが、砂糖をふんだんに使った甘味とは多くの場合「贅沢品」であり、まずは支配層にくっついて広まるからして、どうしても「帝国」とセットになるということかもしれない。
というわけで、この辺りでは近代の諍い以前から「バクラヴァ」は存在し、いまも目に付いたってそう不思議ではない、ということだろう。実際、アルメニアの首都・イェレバンにおいても、「パリパリの層、かつシロップ浸し」の、「あ、バクラヴァだ」とひと目見て分かるものが菓子屋には並んでおり、名称のフダも堂々掛けられていた。「…いいの?」なんて、余計な心配というもんだ。
…というならばじゃあ「アイラン」はナゼ、というと、想像するに「バクラヴァ」の場合は、それがトルコに限らずそれ以外の国でも一般的な名称であるが、「アイラン」はトルコ国内における呼び名であるからか。ちなみにお隣・イランやアゼルバイジャンでは、ヨーグルトドリンクは「ドゥーグ」と呼ばれている。モノは同じでも、トルコ一国に染まった呼び名はダメ――、…ってか。
名称はじゃあ問題ないとしても、だ。
今、この目の前にあるソレに対して、やはり「ん?」と思わずにはいられない。
…これ、「バクラヴァ」?
「層」――にしては、フックラと柔らかで、パイとは発想しない。「ケーキ」ではないのか、コレ。
「バクラヴァ」のイメージに当てはまる部分を言うならば、生地に挟まれたソボロの何パーセントかに「ナッツ」(胡桃とヘーゼルナッツ)が入り込んでおり、仕上げに蜂蜜という「甘味」が塗られている。そして、一切れは四角(菱形)に切り分けられる、ということだろうか。
正直、「バクラヴァ風」と呼ぶにも無理やりな気がする。アルメニアにおいて「バクラヴァ」は独自に進化したのだ――というよりも、これはこの店のオリジナルであるように思われる。(イェレバンで見た「バクラヴァ」は、「いかにも」の型通りだった。)
…もしかすると、それが作戦だろうか。「これがバクラヴァ?」と訝しく思わせて、どんなモンなのかと興味を引く。一個ぐらい食べてみようかと誘う……。
――実際、これを「バクラヴァ」と呼ぶのなら、これから先は私もそれに従いますと、宗旨替え(?)してもいいぐらいの実力はある。
本家とは似て非なるとはいえ、決して引けを取らない味だ。切り売りもあるが、菓子箱一個丸ごと売れることも少なくなく、私がここの住民だとしてもそうするだろう。
――そうして、啜る。
カップの縁に少々の泡を吹いた、煮立ったばかりのコーヒーは、いくら「淹れたて至上主義」のヒトとはいえ、出来てスグに唇をタッチさせればその皮をベロンと吸い取ってしまうこと必至(だってカップごと熱してあるんだから)。ちなみにこの煮込みコーヒーは、豆を漉さずに提供するもんであり、インスタントじゃないんだから当然、粉末は溶けずにカップの中に残っている。だからコーヒー豆を沈殿させるためにも、少し待った方がいい。そうして液体の上澄みを、落ち着いて、ゆったりのんびり「お茶の時間」らしく啜るべし。お菓子に気を取られながら、という加減でちょうどいいのだ。
だがいくら上澄みを、と思っても、やはり少々は(コーヒー豆が)口の中に入ってくる。その「入ってしまった」ジャリジャリした感触が、イヤではない。…どころか結構好きであり、無いと物足りないと思っている。今、ワタシって「変わった(いつもと違う)コーヒー」を飲んでいるなぁ――という実感がある。即ち「旅の中に在る」ことをジャリジャリ噛みしめて酔う為の、それはアイテムでもあるのだろう。
それにしても「甘く濃いコーヒー」と「甘い菓子」とでは、アマアマしてクドイのではないか。お互いの味が打ち消されはしないか――というと、「それとこれとは別」。コーヒーはこの菓子のスパイスであるかのように、違う方向からその味を補強して膨らみを持たせる。喉の奥へと消え去るときの余韻もまた、快い。
ウマいねぇ…。
と、あちこちから湧いていたギモンはやがて、ただその一言に丸め込まれてしまうのが不思議だ。これが、いま、ここであるべしの「バクラヴァ」であり、「コーヒー」。その存在には、誰にも何も言わせない力がある。
…んだけれども。
気付け薬的なカップに「チビッと」のコーヒーと、モゴモゴ・ボロボロと、「喉に籠る」菓子の取り合わせ。これ二つをセットにしたものを「ひとつの菓子」とみなしていいと思うのであり、コレを潤す為の飲み物が、改めて欲しい。水分を求める為にコーヒーの量を増やしてもらう――のは、この場合相応しくないことは、そのコックリ度から理解できる。
コーヒーは大好きだが、それなりの量を飲めるチャイの方が、私としては「助かる」。本音を言えば、ここでコーヒーを淹れるなら、チャイも同時に淹れて欲しいのであるが、そんな手間がかかることは口が裂けても、というモンだろう。じゃあ自分のペットボトルの水を出して飲むかというと、それもなんとなくアテツケだろうか、という気がして出来ない。要するに、水分を欲するほどに食べ過ぎなければいいのではないか。
…ってそれは、私の力では、如何ともしがたく。
(訪問時2008年、2013年)
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