主に、旅の炭水化物

各地、食風景の点描

カラバフのケーキ屋さん⑤ ~「アルメニア・コーヒー」と「バクラヴァ」

 

 カラバフのケーキ屋さん① ~定番「フワフワ四角ケーキ」

カラバフのケーキ屋さん② ~「ナゴルノ・カラバフ共和国」

カラバフのケーキ屋さん③  ~菓子累々

カラバフのケーキ屋さん④  ~味見天国

 

 

 

 ところでお菓子を食う時、その付き添いは「コーヒー」にするかそれとも「チャイ」(紅茶)か。

…なんてことは個人の好みでありどっちもアリではあるのだが、どちらが多数派かは土地によって傾向がある。ロシアや中央アジアの国々、イランは「チャイ」。インドも「チャイ」。そしてアゼルバイジャンも、「チャイ」。トルコも「チャイ」――独特の、「くびれたグラス」がよく知られる。

 他方、グルジアでは、飲み物をどうぞ、と招かれた際に出されたものいえば、「コーヒー」であったことが多い。停泊していた宿の女将。「チャイももちろん飲むわ。でもチャイは、ほとんど『水』よ。」なんて言っていたが、かの地では「コーヒー」がよく飲まれるようだ。

 この辺の「コーヒー」といえば通常、小さな鍋で煮出して淹れるタイプであることが多い。ミルクパンよりもかなり小さい、「キュッ、ボーン」とした腰のくびれを連想する、色気あるフォルムの片手鍋が、コーヒー専用として存在する。サイズは様々だが、一般家庭で多いのはコーヒー三、四杯分のもので、鍋底の面積は茹で卵が三つ入るかどうか、だろうか。その中に一見「ココアか」と思えるほど「超」極細に挽いたコーヒー豆と、水、そして砂糖は要るかどうかを訊かれるものだが、これは甘くして飲むのがおおよその傾向であり、それらを一緒に入れて火にかけて、ぶくぶくアワアワと沸騰させる。そうして煮出したものを、ママゴト用のような超ミニミニカップに注ぐ。

 出来上がりの量とは一見、「たったそれだけぇ?」とつい言いそうになるが、それでもう十分と頷けるほどに濃く、そして砂糖入りの場合はしっかり甘い。

とはいえ人の体は七十パーセントが水で出来ているし――なんてことを思いながら飲んでいるわけではないだろうが、その「役」を担えるのは、『ほとんど水』であるチャイの方だろう。空間にハッキリ独特の香りを漂わせる、コーヒーの個性的な強い癖の前には、チャイの風味とはあまりに優しく大人しいが(ってこれまた種類はイロイロあるんだけれども)、まだ「量」を飲める。

 要するに、「コーヒーが多数派」というのは、朝などの強い覚醒作用を欲する時や、来客があったりオヤツだったりと、意識して気分転換を図ったり娯楽要素が混じる時間等に飲むものがほぼソレ、ということ。水分摂取としてはチャイ或いは単なる水であり、全くチャイを飲まない、ということではない。

 

 アルメニアはというと、やっぱり「どっちも」飲む。

が、普段に飲むものとしてはやはり、「チャイ」がより主流といっていいだろうか。根っからのチャイ派である周辺地域と同様、朝から晩までチャイであることの方が多く、よって、お菓子にも当然「お供」にされる。

 で、この工房におけるチャイとは――海外においては紅茶にしろコーヒーにしろ、「えぇぇぇぇ!?」とのけぞるほどに砂糖がザッポリ入るものに直面することが多いなか、珍しくノンシュガーで、となっている。みんな砂糖の山を前にして働いているから、自然と自制心が生まれるのか。ソレは確かに適しており、チャイの渋みは菓子の甘さを邪魔することなく、洗うように流れ去り、快く「次のひと口」を呼び込んでくれる。

だが、それは「ちょっとつまみ食い」のときの話。午前午後の「オヤツの時間」と改まって設ける時、特に午後の三時や四時という時間帯においてはたいてい、チャイではなくて「コーヒー」を淹れる。つまり、ちゃんと腰を落ち着けて、改まって寛ぐ「とっておき」で選ばれるのはコーヒー、ということだ。

アルメニア・コーヒー」である。

 それはやっぱり、極細挽き豆の「煮込み」。アルメニアに特化した点があるというわけではないのだが、わざわざそう呼ばれるように、コーヒーを愛好するアルメニア人は少なくないのだ。

 大きなマグカップでなみなみと淹れるチャイに対して、コーヒーはここでもやはり例に漏れず、エスプレッソ用のような「ミニミニ」カップであり、誰がということもなくそれを用意するのが目に入れば、特別なひととき・休憩時間がやってきたことの合図。なーんにも仕事をしていないこちらでさえ肩の力が抜けてきて、オヤツの時間だ、とホッとする。…常に食っているクセに。

 エニさんは、それまでめん棒をゴロゴロとしていた成形台を片付ける。濡れたふきんで拭い、のっぺりとした木目模様を出したらば、作業中にはテーブルの下に重ねられているプラスチックのイスを人数分引き抜いて、並べた。

瓶をどこからか取り出してきて、その中からスプーン山盛り一杯のコーヒーを、すくう――だけでもう、鼻の穴奥に深い深い香りが入り込んできて、ウットリだ。

 だがこの工房では、あの「色気鍋」は使わない。

 優しいベージュ色に木の葉模様の描かれた、お猪口よりも一回り大きい程度のカップが人数分ある。既に水が入っているその中へ、一カップに付き一杯、焦げ茶色のパウダーを入れる――と、入れたまんまの「山盛り」で浮かんでいるその麓に、サラサラ…と、同じく匙一杯の砂糖も、また。

かき混ぜたりすることもなく、そのまま、それら人数分を全部卓上ヒーターの上に載せるのだ。つまり鍋ではなくて、直接各自が使うカップで煮てしまおう、ということである。

 ヒーターは、理科の実験でフラスコを載せるような小型のもので、作業では、ケーキの上面を覆う為に液体ココアを煮詰める、等で使っており、コンパクトで「ひとり鍋」を保温するのにもよさそうだ。

 暫く放っておくと、熱が回り水が温かくなるに連れて、カップの「山」と「粉雪」はナメクジに塩をかけたように沈んでゆき、液体に馴染んでゆく。ぶくぶくっと細かな泡が立ってきたら、それで出来上がりだ。鍋で煮る場合にしても、「泡立ち」がこのコーヒーの「キモ」であり、カップに注ぐ際「(泡を)消さないように!」と能書きされるポイントでもある。

――と、淹れたての、カップまるごとアツアツが出来上がった。

アルメニア・コーヒー」。

 そう人びとは呼び、私もここにいるからそう呼んでいるが、要はこの「煮込む&濾さない」スタイルのコーヒーというのは、前述したようにグルジアでも飲まれるし、ウクライナでもしかり、そういえばルーマニアでも、宿のレセプションが、大学受験勉強の合間に(レセプションをしている場合だろうかと思うが)小鍋を取り出して、淹れてくれた。

 それぞれの地で「グルジアコーヒー」「ルーマニアコーヒー」とは呼んでいなかった。このスタイルのコーヒーについて説明する際、引き合いに出されるのはもっぱら「トルコ」であり、アルメニア人以外はたいてい、それを「トルココーヒー」と呼んで紹介する。

 ご存じのように、そもそもコーヒーはアフリカ原産。エチオピアからイエメンへ伝播し、アラビア、エジプトへとやってきて、トルコへと伝えられたのは16世紀に入ってからのことである。トルコの前身・オスマン帝国が勢力を広げるに乗じてのことで、支配するに至った土地の習慣が献上され、伝えられた為と考えられている。

現在、トルコは観光地としての認知度は高く、遠いエリアに生きる外国人にとって、ここら一帯を旅しようとするときの入港地点となることも珍しくないだろう。ならば、このスタイル・「煮込みコーヒー」の味に出会う、初めての地となる可能性も高い。説明されるままに彼らはそれを「トルココーヒー」と記憶にインプットし、その先の周辺国で同じスタイルのものに出会えば「あ、トルココーヒー」とその名を口走ることには何の不思議もない。――のだが、カラバフ、ひいてはアルメニアにおいては躊躇があるというか、もはや「禁句」の類だろうか。

 

 トルコの前身・オスマン帝国では、イスラム教以外の宗教を信望することに関して比較的寛容であり(制約付きで)、また様々な民族もこの地に居住していたと言われている。その中に、アルメニア人もいた。…というより、彼らはもともとトルコ東部を含む土地で暮らしていた民族であり、最高峰アララト山は、彼らの故郷としてのシンボルでもある。

しかし第一次大戦中、トルコと敵対関係となったロシアが、アルメニアをその支配地域に置いていたことから、帝国は、「敵と内通している」という疑いを帝国内に居住するアルメニア人に向けた。彼らの排斥・虐殺を仕向け、強制移住を強いることで、数十万とも百万規模とも言われるアルメニア人を死に至らしめた。

 19世紀の「アルメニア人虐殺事件」と呼ばれる、この一連の歴史に対する認識において、現在でもトルコとアルメニア政府間では相違がある。アルメニアは、当時の虐殺の規模と残虐性を訴えるが、トルコもまた「多くのトルコ人アルメニア人によって殺害された」と主張し、アルメニア人の死は、歴史の流れにおいてはやむを得ない事態だった、と言い切る。この為、いまだに両国では国交回復が為されていない。

 アルメニア入国の際に押されたパスポートのハンコをみてみると、立派に「アララト」であると分かるのだが、現在はそれはトルコ領に在る。国際的に利用されるものに、敵方にあるものを堂々と象っている。あてつけ、といっちゃあ言葉が悪い、アルメニアにとっては背筋を張って「当然だ」と鼻息を吹くだろうが、これまた相手にとっちゃあムっと青筋でもあろう。

 またトルコとは、「ナゴルノ・カラバフ」を巡るアゼルバイジャンとの争いにおいて、オスマン帝国が敵方(アゼルバイジャン)に肩入れしていた、という歴史がある。ロシア革命(1917年)が起こり、アルメニアアゼルバイジャンそれぞれ、短命ながらも「独立国」となったが(のち1922年、ソ連邦が成立し、双方その内に組み入れられる)、その時から既にこの地を巡るアゼルバイジャンとの争いは始まっており、オスマン帝国アゼルバイジャン軍を支援していた。

なぜオスマン帝国か――。オスマン帝国・のちのトルコとアゼルバイジャンとは、その多くが信仰する宗教がイスラム教であり、かつ言語も似通っていて意思疎通が容易であるということから、「兄弟」とさえ言われる程に関係が良好である。(が、同じイスラム教でも、トルコはスンニ派が多数を占め、アゼルは隣国イランのように、シーア派が多い。)この時、帝国領土内においてはアルメニア人大虐殺のただなかであり、カラバフのアゼルバイジャンへの帰属を肩入れするのもその延長とみることもできる。

 

 ――グルジアジョージア)の宿で居合わせた、よく喋る陽気な若者二人連れは、アルメニア人だと自己紹介した。

キッチンで私が茶を淹れようとしていると、「これ、いかが?」と、そのうちの一人が自分が飲んでいたのと同じ、白い色した飲み物を渡してくれる。もしかして、…と思って口にすると、案の定、やはりよく知っているものだった。

ヨーグルトと水、そして少量の塩を混ぜてシャカシャカとシェイクさせたら出来上がりの「ヨーグルトドリンク」であり、グルジアでもアルメニアでも、この近辺でお馴染の飲み物だ。特に脂身の多い肉の串焼き、或いはピザなどを食べる時に最適で、そのサッパリ感が、コッテリした肉っ気をスッキリ流し去ってくれる。

「『タン』というんだ。体調が悪いときは、これを飲んだら元気になるんだよ」

と、喉を押さえてゲホゲホし、腹を押さえて腹痛を表すジェスチャーを混じえてそう言った。ヨーグルトだから、そういうもんだろうネ、と頷き、アルメニア語では「タン」と呼ぶのか――あとで単語帳にメモしておこう、と思った矢先である。

隣のソファに座り、先程もこのアルメニアコンビと談笑していたドイツ人旅行者が、膝の上にあるパソコンから顔を上げて、言った。

「それって、『アイラン』とは違うの?」

 ――と、瞬間、彼ら二人の表情が、固くなったのが見て取れた。

「アイラン」とは、トルコにおけるソレの呼び名である。かの地でも、全く同じものを口にすることが出来る。

「これは、『タン』と呼ぶんだよ。」

と、彼らは返した。

「「アイラン」とは、違うものなの?」

「『アイラン』なんて、僕は生涯一度たりとも飲んだことは無い。一度だってね。」

 

 東にアゼルバイジャン。そして、西にはトルコ。アルメニアにとって両サイドから「敵」に挟まれているという状態にあるというのが、長らく続いていたということ。その意識は一般の人々の中にも浸透しており、現在・旅の最中である2013年時点においてもまだ、お互い反感は「現役」であり、強い。

 それは単なる旅人にも、道中で感じることだった。トルコを連想させる言葉は意地でも受け入れない――きっぱりと言い切った時の目とは、その場の雰囲気をがらりと変えたと思う。――本人には全く他意のない問いかけが、相手にとって許しがたい事を内包している場合もある。知りたい、見て見たい、と旅をしている以上、私も、現地の人々の中では本当は触れるべきでない・犯すべきでない一線を、気付かないうちにはみ出しているかもしれない。

私が遭遇し、「感じる」ことであって、全土に置いて反発の感情がのべつくまなく存在するなどと決めつけてはならなし、敏感度とでもいうか、かの地に対して反応するその度合いも、個人によって異なるだろう。とはいえ、その意識に遭遇する頻度は高いのではないか、とは想像できるのである。

 

 

 「トルココーヒー」とは呼ばない。…が、「バクラヴァ」は、大丈夫なのだろうか。障らないのだろうか。 

 ――「胡桃ケーキ」の呼び名である。

 これもまたオスマン帝国支配を所縁とする、トルコ、カフカス地域、イランやアラブ、中央アジア、ロシアなど、広い範囲で見られる菓子であり、特にトルコにおいては「トルココーヒー」的に名物とされる。

トルコの「バクラヴァ」とは、「パイ菓子」である。クレープよりも春巻きの皮よりもまだ薄い、ペラペラした専用生地を、数枚、胡桃等のナッツを挟み込みながら重ねてゆき、盆のような浅い型に入れて焼き上げたもの。皮が非常に薄いだけあって、そのパリパリ層はあたかも鈴虫の羽のよう。その「せっかくの」繊細なパリパリの上から、甘い甘いシロップをたっぷりと、浸るほどにかけるのが特徴だ。

 焼く前に、表面には格子模様が切り込まれており、シロップはその切れ目から中へ中へと、なみなみとあるにかかわらず余ることなくしっかりと染み込んでゆく。格子模様の目・麻雀のコマ一つ分の大きさが「一個分」となり、「……べちょべちょ?」と心配になりながらも食べてみると、柔らかいのはまぁもちろんだが、「層」の存在感はナゼか健在であり、その一枚一枚から、吸収した「甘水」がジュワァと染み出してくるのを受け止める感覚というのが、――「快」。

 発祥は諸説あり、そのうちの一つによれば紀元前八世紀に遡り、ダマスカス(シリア)のアッシリア人によって作られ始めたものという。(「トルコの観光・伝統文化の総合サイト」http://www.jp-tr.com/index.html)。広範囲にみられるのは、これもコーヒーが辿ったように、オスマン帝国の影響下であったが故。…まぁ、オスマントルコがどうのこうのでなくとも、近辺ならば「じゃウチでも作ろうか」と、似たものが食べられるようになるモンなんじゃないかと、モトはインドのカレーも国民食にしてしまう無節操な日本人としては思ってしまうが、砂糖をふんだんに使った甘味とは多くの場合「贅沢品」であり、まずは支配層にくっついて広まるからして、どうしても「帝国」とセットになるということかもしれない。

 というわけで、この辺りでは近代の諍い以前から「バクラヴァ」は存在し、いまも目に付いたってそう不思議ではない、ということだろう。実際、アルメニアの首都・イェレバンにおいても、「パリパリの層、かつシロップ浸し」の、「あ、バクラヴァだ」とひと目見て分かるものが菓子屋には並んでおり、名称のフダも堂々掛けられていた。「…いいの?」なんて、余計な心配というもんだ。

 …というならばじゃあ「アイラン」はナゼ、というと、想像するに「バクラヴァ」の場合は、それがトルコに限らずそれ以外の国でも一般的な名称であるが、「アイラン」はトルコ国内における呼び名であるからか。ちなみにお隣・イランやアゼルバイジャンでは、ヨーグルトドリンクは「ドゥーグ」と呼ばれている。モノは同じでも、トルコ一国に染まった呼び名はダメ――、…ってか。

 名称はじゃあ問題ないとしても、だ。

 今、この目の前にあるソレに対して、やはり「ん?」と思わずにはいられない。

…これ、「バクラヴァ」?

「層」――にしては、フックラと柔らかで、パイとは発想しない。「ケーキ」ではないのか、コレ。

バクラヴァ」のイメージに当てはまる部分を言うならば、生地に挟まれたソボロの何パーセントかに「ナッツ」(胡桃とヘーゼルナッツ)が入り込んでおり、仕上げに蜂蜜という「甘味」が塗られている。そして、一切れは四角(菱形)に切り分けられる、ということだろうか。

正直、「バクラヴァ風」と呼ぶにも無理やりな気がする。アルメニアにおいて「バクラヴァ」は独自に進化したのだ――というよりも、これはこの店のオリジナルであるように思われる。(イェレバンで見た「バクラヴァ」は、「いかにも」の型通りだった。)

…もしかすると、それが作戦だろうか。「これがバクラヴァ?」と訝しく思わせて、どんなモンなのかと興味を引く。一個ぐらい食べてみようかと誘う……。

 ――実際、これを「バクラヴァ」と呼ぶのなら、これから先は私もそれに従いますと、宗旨替え(?)してもいいぐらいの実力はある。

 本家とは似て非なるとはいえ、決して引けを取らない味だ。切り売りもあるが、菓子箱一個丸ごと売れることも少なくなく、私がここの住民だとしてもそうするだろう。



 ――そうして、啜る。

 カップの縁に少々の泡を吹いた、煮立ったばかりのコーヒーは、いくら「淹れたて至上主義」のヒトとはいえ、出来てスグに唇をタッチさせればその皮をベロンと吸い取ってしまうこと必至(だってカップごと熱してあるんだから)。ちなみにこの煮込みコーヒーは、豆を漉さずに提供するもんであり、インスタントじゃないんだから当然、粉末は溶けずにカップの中に残っている。だからコーヒー豆を沈殿させるためにも、少し待った方がいい。そうして液体の上澄みを、落ち着いて、ゆったりのんびり「お茶の時間」らしく啜るべし。お菓子に気を取られながら、という加減でちょうどいいのだ。

 だがいくら上澄みを、と思っても、やはり少々は(コーヒー豆が)口の中に入ってくる。その「入ってしまった」ジャリジャリした感触が、イヤではない。…どころか結構好きであり、無いと物足りないと思っている。今、ワタシって「変わった(いつもと違う)コーヒー」を飲んでいるなぁ――という実感がある。即ち「旅の中に在る」ことをジャリジャリ噛みしめて酔う為の、それはアイテムでもあるのだろう。

 それにしても「甘く濃いコーヒー」と「甘い菓子」とでは、アマアマしてクドイのではないか。お互いの味が打ち消されはしないか――というと、「それとこれとは別」。コーヒーはこの菓子のスパイスであるかのように、違う方向からその味を補強して膨らみを持たせる。喉の奥へと消え去るときの余韻もまた、快い。

 ウマいねぇ…。

と、あちこちから湧いていたギモンはやがて、ただその一言に丸め込まれてしまうのが不思議だ。これが、いま、ここであるべしの「バクラヴァ」であり、「コーヒー」。その存在には、誰にも何も言わせない力がある。

 …んだけれども。

 気付け薬的なカップに「チビッと」のコーヒーと、モゴモゴ・ボロボロと、「喉に籠る」菓子の取り合わせ。これ二つをセットにしたものを「ひとつの菓子」とみなしていいと思うのであり、コレを潤す為の飲み物が、改めて欲しい。水分を求める為にコーヒーの量を増やしてもらう――のは、この場合相応しくないことは、そのコックリ度から理解できる。

 コーヒーは大好きだが、それなりの量を飲めるチャイの方が、私としては「助かる」。本音を言えば、ここでコーヒーを淹れるなら、チャイも同時に淹れて欲しいのであるが、そんな手間がかかることは口が裂けても、というモンだろう。じゃあ自分のペットボトルの水を出して飲むかというと、それもなんとなくアテツケだろうか、という気がして出来ない。要するに、水分を欲するほどに食べ過ぎなければいいのではないか。

…ってそれは、私の力では、如何ともしがたく。

 

(訪問時2008年、2013年)

 

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カラバフのケーキ屋さん④ ~味見天国

 カラバフのケーキ屋さん① ~定番「フワフワ四角ケーキ」

カラバフのケーキ屋さん② ~「ナゴルノ・カラバフ共和国」

カラバフのケーキ屋さん③  ~菓子累々

 

目次

お菓子の家

 

 小さな男の子が、ミニ・ご飯さんに何かを伝える。後ろに手を組み、呟くような小さな声で、…なんだろう。キレイなお姉さんに、思い切っての愛の告白、だろうか。

練乳缶の蓋に、ナイフをグッサリと突き刺す、という動作にあった美しい人は、その手を止めて「いいよ」と頷いてから、商品台へと歩く。

 缶を開けるのに、ナイフを使う――は、普通なのか。グルジア国境近い町の宿で、鰯のトマト缶を食べようとして「缶切りある?」と宿主にジェスチャーで求めるも、速攻で首を振られた。…缶切りぐらいフツウ、家にあるでしょ?冷たい対応に、ケチンボ…と呟きながら、仕方なく手持ちのナイフでグサグサしながらこじ開けていたのだが、ナッツ砕き機器(ロシア製)を揃えているココでさえ、缶切りは無く「ナイフ」で、である。…もしかすると、「缶切りある?」などと訊くこと自体が愚問だったのか。

 ミニ・ご飯さんは、放射状に並べてあった「コーンクッキー」――というのは、ソフトクリームを受けるコーンみたいな、円錐状に巻いてある薄いクッキーのことだが、それをひとつだけ取ってくると、フワフワ四角ケーキを組み立てているアンさんと作業台を挟んで向かい立った。

クリームを拝借するのだ。スプーンで、ピンポン玉よりは小さい塊をすくいあげたら、まずは(コーンの)ラッパ部分になすり置いて、スプーンの膨らんだ部分でチョイチョイっと奥へと押し込む。続いて棚の下から胡桃(砕いてある)の入った容器を取り出すと、ラッパを上に向け、詰めたクリームの上からそれをパラパラと振り掛けた。

ソフトクリームを食べる際、ときに(頻繁に)落胆に覆われるように、クリームはコーンのなかに半分程度しか詰まっていない。……と思ったらまだ続きがあり、更にクリームをモッコリすくいとって、ラッパの口・すりきりまで詰め込み、その面を平らにした。

 ソフトクリームというよりも、パン屋で見かける「コロネパン」。アレも口のところまでクリームがあるように見せかけて中はスカスカ、というのが多いが、コレはぎりきりまでクリームを、空気も入らないようビッチリぴちぴちに詰めてある。ウン、実に頼もしい。そうあるべきだ。

トドめに、逆に持ち(クリームの「入口」を下に向ける)、朱肉に印鑑を押しつけるが如く、胡桃フレークの中に突っ込ませる。逆さになっても、ヤワなクリームじゃないから落ちてしまうことはない。持ち上げて見れば案の定、濡れ手に粟、じゃなくて「胡桃」がクリーム面にびっちりと貼りついている。「ビッチリ」――「クリーム詰め」業界では、ぜひとも心しておいて欲しいキーワードである。

それを「ボク」のところまで持ってゆく。と、しばしあっちこっちさせていたボクの視線の糸はすぐさま引っ張られた。

「お待ちかね」と差し出すと同時に、反対の手ではボクからの小銭を受け取る。ソフトクリームじゃないから溶けやしないのだが、受け取って数秒もしないうちから、ボクはパクっと口に含む。そうやってマイクを握り締めるようにしながら、小さな背中は去って行った。

「リクエスト」があってから、クリームを詰めるのだ。最初から詰めて並べておくと、コーンがクリームでシナってしまう、という配慮か。

「二つ頂戴」――と、買い物帰りにソレを片手にして、それぞれ齧りつきながら帰ってゆく親子連れ。やっぱりソフトクリームを食うシルエットだ。小さな女の子たちが数人、小銭を握り締めてやってきた。――学校脇にあった駄菓子屋に、ワクワク通った時のことを思い出す。

 このクリーム・コーンは結構人気のようで、お土産に買って帰るというよりも、みんな小腹を満たすちょっとしたスナック的に手にしているみたいだ。とはいえ主役であるクリームとは、アイスでもなし、またカスタードクリームでも生クリームでもない、「マーガリンクリーム」。…と言うと、「ネオソフ○」に指突っ込んで舐めた記憶がやってきて、口の中がネトネトあぶらぎってくるようではあるんだけど。せめてそれを洗い流す、チャイ(紅茶)がお供にないと喉が「クドイ」とネを上げそうな気がする――のだが、「お腹すいた」と現れたお客が指差してくるのはコレであることが多く、たいていみんな、店内から去る前にはもう唇で突いている。

 

 生地を成形する為の手粉が風に舞うからか、エニさんが、開かれた窓の戸をほんの少しだけ閉じようとする――という時には不思議と、たいてい外に誰かがいて、「いらっしゃい」とまた全開することになる。

窓辺から顔を出したのは、どっしり体系にスーツ姿の、気位高そうな年配の女性。ピッと伸びた背筋にはハクがあり、その目は最初から商品テーブルの上をなぞってはおらず、ただひと言をアリーナさんに向かってかける。と、彼女は五分ほど前にデコレーションが終わった丸いケーキを、敷いてあるダンボール紙を支えながら持ってきた。

店の品揃えとは、フワフワ四角ケーキのほか、全体的に日持ちのするクッキー類が多い。そのうち、デコレーションが顕著な丸い(ハートも)ケーキは一割というところ。一、二台は中の商品台にも置かれ、場所をとるからかあとは市場からの出入口に設置してあるガラスケースの中に待機している。が、これは見て選ばれてゆくというよりも、「〇〇の記念日」として、要望をあらかじめ受けて作ることの方が多いだろうか。

 これは「フワフワ四角」よりもフワッとした厚みのあるスポンジで、なによりその装飾が凄い。クリームが凄い。

 ドレスがヒラヒラ翻るような縁の内側には、色づきのクリームで描かれた蔓が踊り、葉が舞い、幾重にも花びら纏うバラが咲き誇る。上から更にキラキラと「ラメ」が散りばめられるなど、「ご覧あれ!」とばかりに豪華絢爛たるものが殆どであり、切り分けるときにはきっと、「あーあ」と声が漏れることだろう。

で、「出来てるよ」と今持ってきた特注品とは、特に大きい、直径三十センチはあろうケーキ。

 てっぺんには、大ぶりの四角いビスケット二枚をハの地に立てた「家の屋根」があり、その周囲に白いクリームで降り積もる「雪」が描かれ、ドア付近に狐ともタヌキともしれない小さな人形(既製品)が立っている。クッキリしたピンクと緑に染まったクリームでフリフリと円周が縁取られ、赤い線でウネウネと、アルメニア語の文字が流れるように書きつけられている。たいていロココ調っぽい感じの装飾が多いのだが、ペンキを塗った積み木みたいというか、原色べったり、見てチカチカとするような色の取り合わせ方は珍しい。きっと小さな子供への何らかのお祝い用だろう、というのが言われずとも想像できる。

 この人の予約だったのだ。

と、ソレを目にした瞬間から、手にするまでの間に――女性の厳ついイメージが、緩み、ほどけ、崩れゆく。「うわぁ…」と何やら語って受け取ると、「じゃあね」と満面の笑顔で背を向けて去ってゆく。この人もまた、馴染みのお客なのだろう。

 …って、それでいいのだろうか。

 ダンボール紙一枚で支えるのみの、ケーキは「裸」だ。…箱にでも入れたいのではないか。

 店にケーキを入れる為の箱は、あるにはあるが、「フツーの」である。日本のケーキ屋さんで入れてくれるような、側面を開閉してスッとケーキを出し入れ出来るようなものではなく、単純に、上からボトンと入れるのみ。「フワフワ四角」であれば、側面がソボロでガードされているから損傷が殆どなく、一台まるごとボトン式でも問題ないようだが(とはいえ入れ難そうだ)、このクリームデコレーションの場合、表面だけでなく側面にも「唐草文様」や「レース」がフリフリと描かれているから、ソレを潰さず…となるとそりゃ確かに難しい。せっかくの「豪華絢爛」がくっついたり崩れたりで、無残なグニョグニョになってしまうことだろう。

 だからそういうのを購入するお客は、三・四人前の寿司桶を抱える出前兄ちゃんのような姿勢で、「素肌のケーキ」を持って帰ってゆくことになるのだけれども、なぁに家はすぐソコだし――だとしても、石に躓いて転んじゃったらどうするのか。それは電話帳じゃないんだから、なんとも無かったような顔して拾えんだろうよ。…あぁ、コワ…。

 そのためかどうか、このゴージャスケーキは旦那・サメルさんが車で出前することも少なくない。ブレーキ踏んだり、カーブの時とかに、ケーキが右左に揺れ動かないかと気になりそうだが、そっちに気がいってどうか事故をしないようにして欲しい…。



 売り台をじっと見ている。――と、繰り返すけどやっぱり「フワフワ四角」がよく売れる、というのが分かる。

 だいたいお客さんは、「ひと切れ」にカットしてあるヤツを選ぶんじゃないか。「一台丸ごと」には躊躇があるのではないか――と思っていたのだが、結構「一台丸ごと」なのである。もちろん小学生が駄菓子の入ったビニールを持ち歩くように、或いはダイエット中の息抜き程度にとばかりに、カットされたものを数個のみ、という人もいるにはいるが、「イェレバンスキとシガラそれぞれ八個ずつと、四角ケーキ一台丸ごと」など、一度に大量に持ち帰る人も少なくない。ドカ買いするのを何度か目にしていると、ここではみんながみんな、毎日毎日やたらめったら「お茶」しているような光景が思い浮かばれてくるようだ。スバラシイ。

 アンさんがソレばっかり塗っているのも道理ですなと納得。売れるから要るんであり、「仕事に慣れる為」とかいうのは後から取って付ける理屈だ。棚の「古雑誌状態」に見えたスポンジ――「いつ陽の目を見るのか」の心配なんてのも、全くもって杞憂、というモンである。

 ところでフワフワ四角ケーキ「まるごと」を箱に入れるテクニックとは。――というと、ケーキの載った台紙(四角ダンボール)を、箱の一辺に沿わせて斜めに差し入れたところで、シャッと(ダンボールを)引き抜けば、ストンとケーキがちょうど収まる。

「ちょうど収まる」のは当たり前で、手作りなのだ。もとは切れ目だけが入った白い厚紙を、アリーナさんが時々パチンパチンとホッチキスで留めて「箱」に組み立てている。もちろん手近な箱が転がっていたならばそれも使い回してとっておき、「ケーキ三切れを箱に詰めてほしい」という人の為にも、大小様々を揃えておいた方がいい。サメルさんが、配達や材料調達で移動中に入手してくるらしく、想像するにスーパーでスミに投げられているダンボールを「もらうね」と拝借する、あんな感じだろうが、ここには「あんな感じ」のスーパーがない。店が並ぶ通りは確かにあるが、ダンボールが山と出るほどに回転がいい店というのは覚えがなく、不用品とはいえ収集も結構大変なのかもしれない。

 お客さんの前で、その箱にケーキを詰め終わったら、補強の為にカドをセロテープで止めよう――と、「ちょっと、この端っこ、探して」。

「セロテープの端っこ」がどこか分からなくなったらしく、アリーナさんにその匙を投げられたのは、「お客さん」。ジッと他人事のように見守っていたおばさんは、抱え持っていたミニバッグを脇にはさみ、目を凝らしてそのつるつるした表面に爪を立てる。取れるじゃない、と、その先端を引っ張り出したら、「じゃあここ抑えてるから」貼って、とばかりに、アリーナさんはカドっこをおばさんに向ける。

…そういうのってフツー、日本じゃお客にはやらせないよな、と可笑しくなってくるのだが、おばさんは特にどういうこともなく、箱で良いようにガードされ終わったケーキを抱えて「じゃあね」ゴメンなすって、と、クリームのついたスプーンや、天板を持ったままのみんなの合間を縫って行く。

 ――「同等」。作り手と買い手は、同じ位置だと感じる。

「お客様はカミサマ」――買い手と売り手の立場を明確に区切り、お客を「上位」に扱うことが美徳であるトコロにおいて、カミサマの側・サービスを受ける立場にある時、それを心地よいと感じたことは正直、ある。だがここから見れば、それはあまりに「劇場」。滑稽な世界だ。

店とお客はもう少し肩を抜いて、自然な人間関係にあっていい。だから誰もが何気に出入りできるのだろう、と、その気張りのない空気に羨ましさを思う。勿論、信頼関係があればこそで、一歩間違えば横柄な雰囲気に転じて無礼となり、不快感を伴ってしまうだろうが。

  

味見天国

 ミニ・イェレバンスキに手を伸ばして、巻かれたソボロが描く「渦」をじっと見る。そうして、口の中へ。

やはり、これを「クッキー」と呼ぶには足りない。とはいえ「ケーキ」或いは「パン」とももちろん一線を画しているから、便宜上「厚いクッキー」と分類してしまうが、やめられない止まらない、とパクパクと何気に口に放り込めるような尻軽さは無い。分厚い、焼きイモのようなホックリ感。それが咀嚼するにつれてモロモロ、ホロホロホロっとほぐれてゆき、崩壊する――という展開を口の中で受け止める。一個で、「食っている」ことの充実感がある。…って一個で済まんのだが。

 ソボロがよくその役割を果たしていると思う。

 生地自体には、油脂と卵、そしてヨーグルト等々が入るけれども、砂糖は無い。よって、材料自体が持つ素朴な、おとなしい甘さが奥ゆかしくあるのだが、そこに「ソボロ」という明確な甘味が張り付くことで、メリハリが生まれ、全体的にまぁるく優しい「菓子」の範疇へとまとまる。本体とは異なる、ソボロの「ボロ」っとした噛み心地もまた快い。――あぁなんと、温かい「チャイ」によく合うことだろう。

 同じイェレバンスキでも「ビッグ」の場合は、やはり折り畳んで畳んで「層」を作っただけあって、触れるとパリパリと、膜が砕けてゆく。ミルフィーユほどの繊細さはないが、ホクホクほぐれる「クッキー」っ気を残しつつも、油脂の風味がより明確なパイの素質も併せ持つという、まさにミニの進化型バージョン。…いや、ほぼ「ミニ」とは別物といっていいかもしれない。

イェレバンスキ・シスターズと同じソボロ使っている「シガラ」は、――こちらは(ソボロに)ヘーゼルナッツが入る分、その風味が立っているかというと、それよりも独特な「食感」に意識がゆく。これは成形の時、ソボロを一面広げてしまうことなくアンコのように塊で置いた為か、含まれる砂糖分がまとまって溶けており、トロッと…とはいえクリームとは異なるし固形ともいえない、曖昧な感触が生まれている。カリッとした外皮を齧ると、ソレが出てくるのがオモシロ旨い。

「バナナ」は、これまた「カリっ、ボロっ」としたクッキーにギュッと詰まっているソボロの、味が異なる。

前述したようにトボローク(カッテージチーズ)が混ざっており、「チーズ味、かつ甘い」――となれば思い浮かべるのはチーズケーキ。見た目で「バナナ」とは発想しない、素朴な、……曲がった枝が放置されているだけのような地味な形だが、かなり旨い。

「ブーメラン」でもいいんじゃないか、バナナの味はしないんだし。何故「バナナ」なのか――と、安易に想像することとしては、かつての日本がそうであったように、それが高級品の代名詞であり「憧れ」である…とか。産地から遠く遠く離れたこの地で、その果物はかなり高価であり、桃やらブドウやらが一キロあたり百二十円程度であるのに、バナナはその倍はする。希少品で高価なソレを模すことが、嗜好品としてのステータスを向上させているのだろうかと、父がスーパーで見かけては「懐かしいナァ」とたいてい呟く、「バナナカステラ」を思ったりもする。

 …と、アラ。

「ボク」が再び現る。クリーム入りコーンを買っていった男の子――忘れ物でもしたのだろうか。

小さな声で呟き、やはりミニ・ご飯さんの前でモジモジとしているから、「お姉ちゃんのことスキなの?」とでも意地悪を言いたくなってくるが、天使は「わかったわかった」と笑いながら、数回頷きながら席を立つ。

「おかわり」である。

 ――え。

アレをもう一個…。クドくないのか、なんて正直思うが、まぁ、「『もう一個食べたい』ところでやめておいたほうがいい」などと抑制しよう気が無いのが子供というモンであり、子供でなくとも私は真夏、一日にアイスを少なくとも三個は食べている。…が、そうだろうか。もしかすると…。

天使のような、綺麗なお姉さんに会いたくて、の「もう一つ」――ミニ・ご飯さんは、このボクに芽生えた淡い恋心の「キミ」。「あら、また?」でもなんとでも、反応して貰えること自体が嬉しくて。

「ありがとう、また来てね」と、満面の笑みでその鼻頭を指でツンとでも触れたらば、きっとボクは真っ赤な茹でダコ? 出口のところまで行って、恥ずかしげに出てゆくその背中を眺め、この後の道中はきっとホップステップジャンプしている――などと妄想しながらも、「コレ食べてみなよ」と取り分けられた「鈴カステラ」を摘んでみる。

「鈴カステラ」とはもちろん、見た目からこちらが勝手につけた名称だ。丸い、それも「球」形の薄皮クッキーであり、中にはクリームが入っている。

――なんて、「ボク」のことなど、とても言えるもんではない。

「もう一つ」が積もって一体、幾つになっているというのか。三大商品(フワフワ四角ケーキ、シガラ、イェレバンスキ大・小)はもちろんのこと、クッキー族――「頂戴」となってからクリームを詰めるコーン型を除き、「バナナ」、「鈴カステラ」等々――一応私、ほぼ全品食べている。

 別に自分に向かって並べられた品々ではないはずなのだが、各種勢揃いした商品台その前に立つだけで、「どうぞ!」と訴えらえているようで、心がピンクとオレンジに渦巻いてソワソワする。子供の頃に夢想した、「お菓子の家」の前に立って戸惑いたい、というのを疑似体験するようであり、あの状況への憧れは、幾つになっても心に健在なのだろう(捨てられて殺されかけるのはごめんだが)。

天板に現れた焼き立てシガラを一本、「食べなよ」とサッと差し出してくれる、なんてことが合間にチョイチョイあるだけでなく、彼らのルーティーンの中に、ちゃんと腰を落ち着ける「オヤツの時間」というのが、午前中と午後に必ず一度は設けられている。みんなの動きがなんとなく穏やかになって来たタイミングに、商品テーブルから数種類を「どれがいい?」と返事も待たずにポイポイ適当に選んで小皿に盛り合わせ、四角ケーキならば一切れを更に三つにカットするなどして、いろんな味をちょこちょこと摘まめるように。クッキー的な歯応えのある菓子ばかりを口にしていると、スポンジの柔らかさもまた恋しくなり、…などと、キリなく楽しむことが出来る。

「一個食べたらもう一個欲しい」というのが基本の私でも、息継ぎのように「常に食べ続けている」感があり、一日トータルでいったい幾つ?夕方近くには、体はスッカリとお菓子で埋めつくされたような気がしており、「どう?」と差し出されるもう一個に対し、「イエイエもう十分です」と手を振るのは遠慮じゃなくてマジで心から、となっている。彼らと時間を共にしながら、「立ちっぱなし」による足のダルさを久しぶりに味わうとはいえど、私の場合それ以上になく、エネルギー消費量なんて取るに足らないものだろう。ほぼ毎日毎日、ただ見て、ただ食べて帰るだけの自分に罪悪感がないわけではなく、彼女らと同じ調子で「お茶とお菓子」をやっていてはイカンのだってば。――が結局、ウマイウマイと頬張ることこそ「恩返し」だ、なんてヤケクソ的に開き直ってしまうのだ。

 特に今回、五年前は見なかった「胡桃ケーキ」に、特に心酔してしまっていた。

 胡桃がひとつ、トップの中心を飾っている、ひし形にカットされたミニケーキだ。まさに胡桃の殻のように、コックリ濃いブラウン色で、かつ飴がけしたように表面がつやつやしている。見ただけで、「フワフワ四角」とはモト(の生地)が異なることが分かる。

 その色はナニを使った生地?黒蜜でも?――というと、「ペクメズ」というシロップを混ぜる。砂糖は一切加えず、ブドウ自体を煮詰めたものだという。

このケーキの作り方を紹介しよう。…といっても残念ながら、生地自体を仕込む場面は逃してしまったので、その成形から。

 

クッキー用というには柔らかく、餅よりは少し締まった感触の生地を、めん棒で長方形に、天板に丁度入る大きさへと伸ばすのを、三枚。

一枚を天板に敷き、その表面にメレンゲ(卵白と砂糖をピンと泡立てたもの)を塗って「ソボロ」を振り撒いたら、もう一枚、生地を重ねる。その上に、同じく塗って振り撒いて、とやったら最後の一枚重ね、蓋をする。これで一台分。

その直方体のトップに、ナイフで飾りを描く。菱形が並ぶ幾何学模様――このケーキは切り売りするから、装飾であると同時に、カットする為の「一切れ分」の跡線でもある。

艶出しの為に、溶いた卵黄を刷毛で塗り、それぞれの区画の中央に、胡桃の大きな破片を載せる――というのも、生地と生地の間に挟み込んだソボロとは、「スペシャル版」。「シガラ」に使うヘーゼルナッツ入りのソボロに、細かく砕いた胡桃を追加してあるのだ。トップの胡桃は単なる付け足しのお飾りにあらず、このお菓子の醍醐味たる「主役はワタシ」という念押しである。

そして焼成。焼く前に卵黄を塗ってある為、見事な褐色に焼き上がる。それに更に塗り付けられるのは、蜂蜜。これがツヤツヤ「飴肌」の所以だ。

 

というわけで、材料がアレコレ入った、かなりリッチなケーキだ。

フワフワ四角が普段着ケーキだとすれば、こちらは蝶よ花よと育てられた「お嬢様」なイメージであり、……甘ったるそう、と、作り方を見ているだけで一歩引き気味になってしまうのだが、そういうものほど、どうしてどうして魅せられてしまうのだろう。

口に入れてみると「クドさ」など浮かばず、ペクメズのせいか蜂蜜も一役買っているのか、コクある甘味とナッツの香ばしさの相性がことのほか良く、またボロボロとフワフワが一体化したような食感に魅了され、いつのまにかカロリーへの心配なぞ丸め込まれてどこかへポイ。ただただ、「おいしいわぁ」と呟くのみの単細胞と化している。

ちなみにこの胡桃ケーキは、「バクラヴァ」と呼ばれている。――と、

……ん?

バクラヴァ」とは確か、「かの地」でよく耳にする菓子であるが――

 

(訪問時2008年、2013年)

 

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カラバフのケーキ屋さん③ ~菓子累々

カラバフのケーキ屋さん① ~定番「フワフワ四角ケーキ」

カラバフのケーキ屋さん② ~「ナゴルノ・カラバフ共和国」 - 主に、旅の炭水化物

 

目次

 菓子累々

 

 心配せずとも、ちゃんと「市場」だ。

朝になれば、敷地に入る前の路上から賑わいが始まっており、遠くからでも「あそこだ」とすぐにわかる。しゃがんでいる野菜売りのおばちゃんたちと、下を向いてじっと品々を物色しているお客たちがいるから、市場のありかを見落とすことはない。

昨日空き地だったところには、テントや、ビニール布をつぎはぎした手作り屋根を張った下に、細やかに葉を伸ばしたハーブ、ぷりぷりと弾けそうなサクランボ。チーズ、ピクルス、調味料。食肉としては生きたままの鶏――という光景が広がる。

二三品目だけ(畑から?)持ってくる、という売り手が少なくないようで、長テーブルを共有して並び、お客が通るのを横一列に立って待っていたり、八百屋のようにあれこれ種類を揃えている売り手は、段ボールを重ねて檀上に展示したりと、毎日出店のたびにセッティングが大変そうだ。トタン屋根がついたところもあるからそこはまだいいとしても、雨の場合はこの屋根じゃぁちょっと心もとないだろうに。多少濡れても果物、野菜が潤っていい?…いやぁ、大変だろう。

 というように、場外の、おそらく出店料金?が必要ない「路上市場」を合わせると、まぁ結構な規模の賑わいエリアであるのは以前と変わらず、そのゴチャゴチャ感がじっくり見る前からもう楽しい。つぎはぎ張りの屋根も、まるで運動会の旗のようだ。

あぁ、これこれ。こういう感じよ。前のとおりだ。

 ――というわけで、そんな中で再び、「見せてください」の日々が始まったのである。

 

 フワフワ四角ケーキとは、「アルメニア的な」と付していい典型である、と前に述べた。

そして、ここは「お店」であるから、その「典型」に加えて表情を違えたものが数パターン、お客の選択欲をくすぐる。ケーキ側面をソボロで覆うのは変わらないが、要はトップ――「上面」だ。

 スポンジが透けて見えないよう、より丁寧にクリームを塗り、そのトップにココアと砂糖、油、水で煮詰めた「チョコレート液」をチョイチョイっと垂らすことで絣模様をつけたもの。或いは、一面をチョコレート液で覆い、それを堰き止めるように、縁を白いクリームでヒラヒラと盛り描く。……鏡のような、チョコの光沢が美しい。

チョコレートではなく「キャラメルクリーム」を使うパターンもある。このクリームは缶詰のコンデンスミルクから作るもので、未開封のひと缶丸ごとを、グツグツ煮える湯の中に放り込み、長時間(思い出すまで?)そのままにしておくだけで出来る。フタを開いてみるとあら不思議、白いはずの練乳は見事なキャラメル色へと煮上がっており、それをそのままスポンジの上からスプーンで垂らし、塗りつけたもの。

「どれにする?」――って、基本は同じクリームを挟んだ同じスポンジの四段重ねであり、味が違うのはトップのみ・チョコやキャラメルがあるかどうかの差であるのだが、見た目に惑わされてお客の心は千々に乱れる。ソレに手を差し伸べるべくの「全部盛り」パターンもある。

一台の表面に、イタリアやフランス国旗みたいに縦線を二つ入れて三つのエリアに区切り、それぞれの区画に違うパターンを描く。ある時は左端はソボロ、真ん中はチョコレート、右はキャラメルなどと、一台で三度美味しいよくばりバージョン――目移りしてばかりの優柔不断にはもってこいだ。

 また四角ケーキは一台丸ごとだけではなく、一切れにカットされたものも並ぶから買い易いし、その他、同じようなものに――…ってこれも全く同じものであるのだが、「丸い」ミニケーキがある。クリームを塗って四枚重ねをしたスポンジの上から、ガラスコップをひっくり返してグッと下まで押し付けることで丸形に型抜きし、クリームとソボロで同じ装飾を施したもの。型抜きした「あと」が出てしまって勿体ないじゃん、というと、残りは作り手のおやつか、「ソボロ」となるから心配無用、…か。

そしてまた、焼き上がったばかりで乾燥前の、まだ柔らかいスポンジ一枚を巻いた「ロールケーキ」もある。

 ――こう外観が変わってしまえば、フワフワ四角ケーキを買い、同時にこっちもうっかりと手を出しても不思議じゃないだろう。同根・「モノは同じ」でも、パッと見てその姿かたち・色が異なるというだけで、ひとつひとつが全く違ったものであるかのような期待を抱かせてしまうというのが、不思議といえば不思議であり、言っちゃなんだが人って簡単だなぁ、とも思う。

 というわけで展示台に累々とひしめく菓子はほぼ、定番・フワフワ四角ケーキとその変形版が占めていて売れ行きも良く、だからこそ切らすことなく常に作り続けているということでもあるのだが、モチロンこの一族だけではない。

 並んで人気なのが、クッキー一族。小ぶりだから、ケーキのついでに、と気軽にポイポイと選ばれてゆくもんで、特に、見た目「春巻き」みたいなやつと、ひし形の、縁のギザギザとした分厚いクッキーが定番ものだ。

よって作業台では、生地を伸ばしてはクルクル巻いて、焼いて…という流れが、これまた「まだ作るの?」と思うほどに繰り返されているのである。

 これは魔法使い・エニさんの担当だ。

なぜ「魔法使い」?というと、その配役が似合いそうなスッと通った鼻立ち、そして、引き込まれボーっと魅入ってしまうような、透明感ある青色の瞳――。

 とはいえ近寄りがたい雰囲気というわけではなく、それどころか「スイマセン写真撮ってもらえます?」と頼むとしたらおそらくターゲットにされそうな、穏やかな雰囲気を持っている。お菓子の家で兄弟を待ち受けるようなイジワル人食い魔女ではなく、シンデレラにドレスと馬車を用意してくれる、テクマクマヤコン的なお助け魔女、とでもいうべきか。現在ここで働くメンバー・六人のうちの最年長であり、何かと相談を持っていき易い、お母さんのような存在ともいえる。そしてメンバーの大半が、「オヤツに不自由しないところ」で働くことの意味を教えられるような体型である中、年齢的にはエニさんが一番代謝が落ちてそうだけれどもさにあらず、「年を取ればお相撲さん」の典型外に在り、全くもってスリム体質であるのが非常に羨ましい。

 ここを訪れる時は九割方、エニさんは「春巻き」か、「ギザギザクッキ」ーのどちらかを成形している最中だ。作業台でその生地を麺棒でゴロゴロと伸ばしているか、「具」をその上に載せ、包み込んでいるか。

 とはいえ「クッキー」の類ではあろうが、そう呼ぶにはちょっと物足りない気がしないでもない。確かに小ぶりではあるのだが、ケーキのようなクッキー、いやクッキーのようなケーキというべきか――という、ボリュームがあるものであり、ホントの呼び名はもちろんだが「春巻き」では当然なく、「シガラ」。ギザギザの方は「イェレバンスキ」といい、大と小がある。

 以下、個別に紹介してみよう。

 

  シガラ

 

「シガラ」と聞けば、あぁなるほどねと、その「巻き巻き」する成形にピンとくる。つまり英語でいうならば「シガレット」――「葉巻」であり、…まぁそりゃあ、ここで「春巻き」と発想されることはなかろうな。

 生地の塊は白く、握りこぶし一つ半ほどの大きさだ。それを、上から麺棒を押し当ててゴロゴロ、大き大きく延ばしてゆく。台と綿棒にくっつかないよう、手粉(小麦粉)を何度も生地にパッパッと振りまき、裏、表とひっくり返したりしながら薄く薄く……。台の茶色がほんのりと透けるぐらいまで。

 自転車の車輪ぐらいにまで広がったなら、その円陣に十字の線を大きくナイフで切りつけ、出来た四区画の一つをさらに三等分するよう、中心点から二本の線を縁に向かって入れる。これを全ての区画に施せば、つまり円が放射状に十二等分されたことになる。

 仕切られたひとつ・1/12の円周側、つまり二等辺三角形になっている底辺(曲線)寄りの部分に、スプーン一杯の「具」をサララ…と載せる。底辺(曲線)からソレを巻き込むように生地を被せ、そのまま頂点に向かってクルクルと巻いてゆく――と、棒状の「シガラ」一本。長さ十センチ程度のものとなる。

このサラサラした「具」とはなにか、というと、「フワフワ四角ケーキ」の仕上げとして上から振りまいたアレ・「バッテン模様」に使った「ソボロ」だ。日本では「クランブル」と呼ばれているのを見聞きする、特に英国菓子を作る時にしばしば紹介されるやつだ。(「クランブル」は英語で「ちぎる・粉々にする」を意味する。)一般的な作り方は、よく冷えたバター(小さく刻んでおいた方がいい)と小麦粉、砂糖の三つの材料を合わせたものを、指で擦り合わせてほぐし、粒が米粒~小豆ぐらいの大きさへなればヨシ。ほぐす際、バターが外気や指から伝わる体温で溶けてしまわないように注意が必要。

 このホロホロした状態のものを、タルトやクッキー、或いは煮たリンゴの上からばら撒いてオーブンで焼くと、その部分がカリカリっとなり、菓子にちょっとしたアクセントをつけることが出来る。砂糖とバターが入るんだから、この部分だけ食べてもオイシイ。

 が、カラバフのココでは、バターではなく、「…エ」。

前に述べたように「液状植物油」――ひまわりの絵のついたボトルを垂らしていた。ソボロとはバター(妥協してマーガリン)で作るもの、と思い込んでいたから、液体状油で作るとは意外だ。エニさんの大きな両手に挟まれ、擦り合わされ、捩られて「ソボロ状」と成りゆくのを見ると、バターで作ったものより「粟」のように粒が細かく、よりサラサラとしているようだ。日本ではしょっちゅう値上げされているバターであり、(冷蔵庫から)出すのもメンドくさいし足りない、というときにはやってみようかな…などと気を逸らそうとするも、スンマセン植物油を格下に見ているわけじゃなく、ウチだって何かと使っているんだけれども、でもやっぱり風味の点からして、店の菓子には「バター」でやって欲しいナァ…、というのが正直なところである。

「フワフワ四角ケーキ」のバッテン模様はこれをそのまま使う(トップに振りかける)が、「シガラ」の具としてはこれに更にヘーゼルナッツを、全体がブラウンに染まる程度に混ぜてから使う。ヘーゼルナッツは予め、肉をミンチに轢く機器(手動)をグルグル回して砕いておいたものだ。

 というわけで、放射に切った生地、全てに具を巻き込んで成型を終えたらば、それらを天板に並べて焼く。

 焼き上がりは一見、(オーブンから)出すにはまだ早いでは?と思えるくらい、色がえらく薄い。「こんがり」とは全然言えないような、ほんのりと「染まった」程度であり、日傘を欠かさない女性の色白お肌みたいだ。そう膨らむものではないからか、天板には間隔をあけることなく結構詰めて並べられており、そのせいで一つ一つの熱周りがよくない、というのもあろうが、それはソフトな焼き上がりを狙っての「敢えて」だったのだろうか。粗熱が取れるまでしばらく放置した後、粉砂糖を上からトントンと茶こしで振ると、白っぽい肌に、より真っ白な粉雪が綿毛のように纏って淡い輪郭となり、愛らしい、メルヘンちっくな「シガラ」となった。

 そうして、展示テーブルの上へと積み重なってゆく。

 ミニ・イェレバンスキ

上から見ると菱形、そのひと組の対辺が、「ギザギザクッキー」と呼んでしまうだけあってギザギザしている。表面に、溶いた卵黄を塗りつけて焼き上げるから、べっとりと濃く明るい、艶やかな栗色だ。「イェレバンスキ」とはもちろん、アルメニアの首都・イェレバンに引っ掛けての名称。ロシア語的な呼び方で、「イェレバンの」という形容詞、或いは名詞として「イェレバンっ子」といったところか。

 英国菓子・スコーンのようにフックラと厚みがあり、「小」と付けるには結構ごっついのだが、まぁ「大」に比べればそりゃあ小さいわな、ということでミニ・イェレバンスキとでも呼ぼう。そこそこ焼き色がついている表面に対し、非常に色白な側面(やっぱり天板に詰めて焼くから熱周りがソフトなのだろう)には、生地を巻いて成形したことが伺える渦の跡がある。かつ何か一緒に巻き込まれているらしい「黄色がかったもの」が、その渦の中にチラホラと見える。

 

 冷蔵庫から出しておいた、「砲丸投げの玉」大の生地の塊。それをシガラ同様、手粉をしっかりと振りながら、薄く、薄く、これは長方形に伸す。…ホントまぁ薄いこと。生地を触る度、動かす度に、いちいち手粉を惜しみなくタップリ使う、というのがまたポイントで、台も手も汚したくないし粉が勿体ないなどと、ラップ越しに生地を伸ばそうなんてのはもってのほかなのだ。…なんてエラそうなことを言える立場でもないんだけれど、生地を扱うその滑らかな手つきの前に、ラップのしわと格闘するのが先で生地に集中できていない自分を思い起こし、自然と納得されてくるのである。生地の具合を見極め、思う通りに扱う為には、邪魔者(ラップ)を間に挟まず直に手に触れるのが肝心である、と。ケチり根性とどうにか折り合いをつけ、「粉とは底なしに存在する」ぐらいの気持ちで開き直ったほうがいい――ガンバロウ、私。

 ウラ・表にひっくりかえしながら辿りついた最終的な長方形、その長辺は五十センチはあるだろうか。短い辺はその約半分。

 台の下から容器を出して、伸ばした生地の上から一面、お好み焼きの鰹節みたいにボロボロと行きわたらせるのは――「ソボロ」。このソボロは「バッテン用」と同じもの、つまり「シガラ」のようにナッツを混ぜていないソボロであり、これを「プレーンソボロ」とでも呼んでおこうか。京都の枯山水の石のように、指でなぞったらその跡がつくぐらい、そこそこの量を敷き詰めている。

 「ここで働いて七年目」と、エニさんは目をギュッとつぶった。

「オッケー」「そうよ」とかの相槌を打つとき、ここいらの女性とはどうやらこの「ギュッ」でその意を示すらしく、こちらとしては目一杯ウィンク(両目だけど)されたようでドキッとするのだが、この人はコレが特に顕著。魔法使いとしてはすごくサマになっているというか、目から星型が飛んでいるのが見えるようだ。

 もはやベテランである。だが慣れているからといって、コトをスピードに任せて進める風では全く無い。掌で「ヨシヨシ」と子供の頭を撫でるよう、ゆっくり、丁寧に生地を扱う。この人が作るアンパンやカレーパンならば、「今日は具が少ないんじゃないの?」などと、タマに(しょっちゅう)ハズレに当たっていたたまれなくなる、なんてことはないだろう。

寡黙なヒト、というわけではない。「どこから来たの」「どのくらいいるの」「宿はどこなの」「日本で何しているの」――初めて私がここに来た時、それらお約束な質問を一番積極的に投げかけて、こちらの緊張をほどいてくれたのがエニさんだ。こちらとしても、話しかける回数が多いのがこの人であるのだが、生地を延ばしたりするその真っ最中に限っては、別人のように「だんまり」である。

 周りの手が、世間話に興じながら動くこともままある中、面白おかしい話題に相槌を打ちはしても、言葉をその中に挟み込むことは殆どない。ひとつの作業がひと段落ついたときにやっと、「コーヒー占いって知っている?」なんて展開してくれるけれども、作業中は視線を固定させて集中しないと、きっとムラになってしまうのだ。生地との対話が先決であり、その最中に話しかけられてもただ頷くだけのようで、先が続かない。

 がしかし、他のメンバーが、テーブル角に置かれた「飾りチョコ」の入った箱を肘で突こうとしたならば、落ちてひっくり返るその前に真っ先に「危ない」と声をかけるなど、不思議とあちらこちらに気が行きわたっている。さすが年長者の落ち着きであり、その視界の広さ大きさ、気配りには「貫禄」を感じる。もちろん、周囲も「口」以上に次から次へとやるべきことをこなしているには違いないが、この店における品揃えとペースを保っているのは、この人がいるからこそ、といえるだろう。

 

 話を戻そう。石庭ソボロの生地を、長辺の端っこからクルクルと巻いてゆく。と、綿棒よりももうちょっと太いぐらいの長い棒状になる。

 その巻き終わりを底にして(この時も手粉を振りつつ、を忘れない)、上面に、溶いた卵の「卵黄」部分のみを刷毛で塗りつける。卵黄の方が、濃い焼き色をつけることが出来るからだ。

 それから「一個」の大きさに切り分ける。端から、ひとつを五、六㎝程度の間隔に、サクッ、サクッと、真上から押し切るように。「ギザギザとした模様」は、このとき、刃の波打った包丁を使うからだ。

 棒状生地一本からだいたい八個+α。一個に満たない半端な「α」は、じゃあみんなのオヤツとして焼く、なんて「規格外」にすることはなく(オヤツは商品一個の大きさを、ちゃんと?腹に収める)、巻いてあるのをハラハラと開き、ソボロをポロポロと剥ぎ取ったなら、生地は次回伸ばす塊の中に埋め込み、台に落ちたソボロはかき集めて「ソボロ入れ」容器に戻す。

 せっかく巻いたのに、崩すのはもったいないな(メンドいな)。小さく焼いて「切り落としイェレバンスキ・お徳用」などとして袋に入れて売ってはどうか、と思うが、それよりも次回に回してキチっと作った方が無駄が無いのだろうか。手粉の使いっぷりを見ていると、小さいことにはこだわらないような感を受けるが、ソボロ一粒さえも無駄にすまいと、それはそれは大切に使い回している。「もう一個食べよっかな」などと商品台から好きなヤツを何気につまみ、「商品」であることにこだわっていないような彼らの様子を見ていると少々矛盾を感じないでもないが、…まぁソレとこれとは別なのだろう。ケーキ屋でのオヤツは、福利厚生的な特権か。

 一個一個に切り離したら、生地を天板の上に移して焼く。…んだけれども、それは引き出しにモノを仕舞うが如しであり、ホントにまぁ一つ一つの間に「隙間」が無い。シガラでもそのようだったが、アッチはまだ棒状だけあって火通りは何とかなるのかな、と一応思えなくもないのだが、こちらはごっつい体であり、それがレンガ状に天板をびっちり埋めているのだ。…いいのだろうか。

 パンじゃない(イーストや膨張剤を使ってない)からそんなに膨らまないんだし――とはいえ、側面の火通りが悪いだけでなく、オーブン庫内の温度も上がらないんじゃないのか。だがその分、エニさんは途中でオーブン扉を開き、天板を前後入れ替えたり、ひとつひとつの表と裏をコロンとさせたり、焼けたものだけを取り出す、などとかなり気を配ってはいるようだ。というわけでやっぱり「タイマー」は使わず、「焼けたかな?」の感覚でもってオーブン扉を開け閉めしている。

 ツメツメに焼いても、ちゃんと焼ければ結局はそれでオッケーになってしまうのだろう。だが上面しか色がつかないのも道理だなぁ…と、なんとなく、「家庭の揚げ物」を想起しないでもない。「油タップリ入った鍋に具材は少量ずつを投入する」というのが「カラッ」の秘訣だと分かっていても、「一気にやっちゃいたいのよネー」と、どうしても鍋に入るだけ突っ込んでしまうのだ。家庭の担い手はアレもやり、これもやりとタイヘンなのであり、一つのことに手数をかけていらんないのよ――とかいう、家の台所の匂いを嗅ぐようで、まぁそういうモンだよね、と思いやってしまう。……って、私は家庭の担い手では全然なく、単純に横着なだけなんだけど。

 

 ビッグ・イェレバンスキ

 

「シガラ」「イェレバンスキ(大・小)」の生地は同じであり、前日から準備しておいたものを使うのだが、イェレバンスキの大、即ち「ビッグ・イェレバンスキ」はそれにひと工程加わる。

 まずは共通の「基本の生地」から見ていこう。

 

 タライのような容器に入るのは、レンガのようなマーガリンのブロック・二百グラム程度が二つ。…なんて見るとビビるけれども、これ全部ひとりで食うわけじゃないもんね。

 まず、冷蔵庫にあった冷たい状態のそれを細かく手で千切ったら、その倍量ぐらいの小麦粉(目分量)をドサッとふりかけて、千切った面の湿り気に纏わせるようにしながら更に小さくほぐしてゆく。

 大豆から小豆程度のポロポロ状態となったその中へ、卵とヨーグルト、重曹を少々加える。ヘラを使ってグッグッと力強く押し付け、折りたたむようにしながら混ぜ込んでゆき(ネチネチとは捏ねない)、やがて手で、底の方に溜まって混ざり込んでいない粉を強制的に理め込むなどしながら、一つの塊へとまとめ上げてゆく。

 まとまったら乾燥しないように、マーガリンの包み紙などを被せて冷蔵庫へ入れ、寝かせておく。――ここまでが前日までのお仕事だ。寝かせることで生地が馴染み、伸ばしやすくもなる。

 ちなみにこの基本生地は、シガラ、イェレバンスキ(大・小)のほか、「バナナ」と呼ばれるものにも使っている。

「バナナ」とはその名の通り、…って「あ、そのつもりだったの?」正直言われないと気付かなかったのだが、バナナ的に真ん中部分で少々カーブさせてある、12センチ程度の棒状厚焼きクッキー。

ピンポンよりもやや大きめに切り分けた生地を、長細い扁平に伸ばして「具」を包んでやや曲げ、シガラと同様に焼き色はうっすらであるべきモンらしい。大きさも十センチ強と大体同じであるからして、ソレと一緒に天板に並べて焼いたりもする。

具とはやはりソボロであるが、この場合には「トボローク」と呼ばれるカッテージチーズを、「プレーン」ソボロに混ぜ込んだものを使っていた。…ってバナナなんてちっとも入っていないネ。単に「形」だけか――って、まぁ、メロンは入っていないけど「メロンパン」と同じこと。

 

 一晩お休みいただいた生地を冷蔵庫から引っ張り出して、握りこぶしひとつ半の塊を、麺棒で押し伸ばしてゆく。よく眠ったためか、のっぺりベローンと、されるがままに伸びてくれるようだ。

 ミニ・イェレバンスキ、そしてシガラもバナナも、これを使って具(ソボロ)を巻いたり包んだり……やるのだが、このビッグ・イェレバンスキは、先に述べたように「生地」自体にもう少し手を加える。

 生地を、厚さ五ミリ程度の約二十センチ四方に広げたら、その表面に、キャラメル大に切り分けておいたマーガリンを指の腹にくっつけ、ネチャネチャと塗り付ける。

それを三つ折りにして方向を90度変え、中心に向かって扉を閉じるよう両端から折り、更に本を閉じるよう(中心線を)パタンと折ったら、ビニールに入れて冷蔵庫へと休ませる。

 一時間程経ったら、冷蔵庫から取り出して再び四角形に伸ばし、またマーガリンを塗って折って冷蔵庫に入れて…と、同じ作業をする。 

 これを三回繰り返し、成形本番まで冷蔵庫で待機させておく。

 

 ――というように、菓子作りが趣味である人はお分かりだろうが、つまりは油脂と生地を交互に重ねて層を為す、「パイ」作りの工程である。

 手間と時間のかかる作業だ。注意深く丁寧に扱わないと、油脂(マーガリン)を包んである生地が破れ、それが染み出してしまい上手な層状に焼きあがらない。特に三回目の三つ折りともなると、生地にコシが出てキュッと固くしまっており伸ばしにくく、エニさんは時折手首をぶらぶらとさせては、「ふぅ」と気合を入れていた。

 焼成前の成形は、「ミニ」と同じ。つまりこのパイ生地を伸ばしてソボロを振り撒き、クルクル巻いて波型(の刃)包丁で切り分けたものを、天板に並べてオーブンへ。

焼き上がったものは、手間ひまかけただけあって、その違いは明らかだ。「ミニ」よりも随分と厚く、もんわり、羽を立たせたように「層」が浮き出ている。コレは明らかにクッキーというよりも、「パイ」。ミニの方も生地の中にソボロ状のマーガリンを含んでおり、成形時それをくるくると巻き上げることで「層」を作っているといえなくもないのだが、新たにマーガリンを折り込むことで確実に層として構築されたた「ビッグ」に比べれば、それはぺっちゃり控えめであり「クッキー」の範疇ね、とすんなり思える。

「パイ」といえばそれは即ち「カロリー高」。だからって、じゃあヘルシーにミニを選ぼう、なんて考えても、もともと基本生地にだって油脂・マーガリンはドップリ入っているのであり、決して少ないわけじゃない。ただ「ビッグ」が過剰であるに過ぎない。

ここでお菓子を食べるという以上、「太るかも」という心配自体がお門違いも甚だしく、「出直してこい」というモンだろう。

 

担い手達

 

 五年を経た「再会」は、三人。店主アリーナさんと、魔法使いエニさん、そして、逆紅一点というべきか、菓子作りには直接手を出さないものの、材料の仕入れや品の配達など、縁の下の力持ち的に店をひっきりなしに出入りする、パンダみたいな体格で可愛らしい(と言っちゃあ失礼だが)アリーナさんの旦那・サメルさん。

 以前はあと二人女性がいたが辞めており、現在はそれから四人の女性が増えて、より多い人数で工房を動かしている。アリーナさんは気まぐれのようにポッと作業に入ったりするものの、スポンジケーキのクリームデコレーションを除いて以前ほど作業にタッチすることは少なくなった。今日はその気まぐれの時か、それとも注文がかなり入ったのだろうか、薄焼きスポンジ作りに加勢しているが、たいていは事務係であり、現場監督。

 作業工程とか材料の発注、注文とか売上とか経理等々、なんやかんやとイスに座ってうーんと唸っている姿の方が目につき、その合間、気分転換のように作業台や商品台にやって来ては、完成品を綺麗に並べたり、眺めてそれらの出来栄えをチェック・アドバイスしている。品の減り方を見て「コレを大目に作ってね」と指示を出し、ボスとして店の流れを統率している。

 工房内の人数が増えたことで、よりボスらしくというか、「経営者」らしい存在になった、ということだろうか。

 …そうだよなぁ、五年である。

 五年も経てば、ウン十代始めだった私も中盤を過ぎ、その間個人的にも社会的にも様々なことが起こった。時計の針は同様にここでも動いており、記憶そのままの状況が続いているとは限らない。私も彼らも、現在進行形――だからこそ、「再会」もまた当然出来るとは限らず、それが果たせたならば、まっこと有り難いことなのだ。前回と同様、誰もが突然現れた訪問者を、温かい目で受け入れ、気さくに接してくれたことには感謝しかない。記憶に残る人たち全員に会えたわけではないものの、その代わりにまた新たな出会いがあり、新たな繋がりを生んでゆく…。

 

 「イイ生地だよ」

 エニさんが仕込んでおいたビッグ・イェレバンスキの生地をのばしながら、プクッと膨れている気泡の部分を指さして、ゴハンさんは言った。

シガラ等の焼菓子の生地仕込みから焼成までが主な立ち位置であるのが魔法使い・エニさんではあるが、いつもいつも一人きりで全てを網羅するわけではない。成形・焼成の合間に翌日の基本生地を仕込み、あ、「ソボロ」がそろそろ切れそうだワと気づいたらサッサッとそれを作る。あ、マーガリンってまだあったっけ?――等々、あえて休憩しようと自分で区切る以外、その手は、朝から夕方までやること為すことで詰め詰めだ。あんまり回らないときは「今、手ぇ空いたけどワタシやろっか?」と、他のメンバーが代わってくれる場面もそう珍しくない。

 ゴハンさんとは、今回が初対面だった。主には丸型やハート型に焼いたスポンジケーキの、クリームデコレーションを担当している。以前、それは店主・アリーナさんがただひとりの担い手であったのだが、そういう募集をかけたのだろうか、五年後に訪ねたいまは、ゴハンさんに任せっきりであることが殆どだ。

 四十代後半か、五十過ぎか。化粧はバッチリ。天然なのかパーマなのか、アップにした髪の先端はクルクルで、耳には大きめのイヤリングがキラリ。姪(資産家の娘)になった気持ちで「オバサマ!」と声を掛けたくもなってくる、ややふくよかでゴージャスな女性だ。見た目からは、お菓子を作る側というよりも、デパ地下で高級洋菓子を物色する姿がぴったりくるのだが、――これはちょっとやそっとの「経験者」じゃなさそうな、アリーナさんにも引けを取らない豪華なデコレーションをスポンジの上に絞り出す。他の店から引き抜かれてきたのだろうか。

 ホントは「ゴハン」さんではなく「ゴハル」さんであるのだけれども、「ご飯」と覚えやすいため、また、そう言ってしまっても発音にたいして違いがないと(勝手に)思われるため、私は本人に正面きって「ご飯さん」「ご飯さん」と言い続けているのである。

こちらで「ゴハル」とは、「花子」「ケイコ」的によくある名前(昭和的には)なのか知らないが、メンバーにはもう一人同じ名前の女性がいる。こちらは逆に、…といったら何なんだけれども、細身で小柄な、いかにも華奢な女の子。歳にして二十三というピッチピチの若者だ。

 深い彫りの美貌。長いまつ毛のもとに色濃いアイシャドー、アイラインのお化粧をバッチリと施して、髪の毛は芸術的にクルクルしまくったのを微妙に垂らしながらアップでまとめている。いかにもオシャレなお嬢さんだ。

 そういうわけでイェレバンスキよろしく、熟女のご飯さんを「ビッグ・ご飯さん」。若者のご飯さんを「ミニ・ご飯さん」と心の中で呼んでいるのだが、そのミニ・ご飯さんはここに勤めてから一年経つとのこと。担当は、以前は見なかった「シンガリョー・ハッツ」という、カラバフ名物の平型パンを焼いているが、クッキー生地やスポンジ、クリーム作りなど、下準備全般なんでもやっているし、合間に床掃除を自ら進んでテキパキと始めるのは、ベテランに負けず劣らずの気の利きようであり、私ならば大負けである。オシャレなイマドキの若者=頼りない、は、全くもって偏見であると気付かされる。

彼女が新人だろうと思っていたが、三十一歳のアンティークドール・「アンさん」の方が、入ってまだ三か月だという。

 アンさんは現在、フワフワ四角ケーキのデコレーション専属。まずは店の主力であり基本ともいえるコレ「ばっかり」にタッチし続けることで、ここの仕事の流れに慣れてゆく、という感じだろうか。とはいえ、新入りだからとオドオドした風でもなく、述べたように若者顔負けにピチピチの肌を晒した金髪サララのこの女性は、タンクトップ姿で胸元バッチリな出で立ちで、明朗快活・堂々なオーラを放っている。ここは女の園だからまぁいいけれども、デコレーションに背を屈めるたびにその胸元が目について、男性には毒だろう。(サメルさんは眼中外の問題外?)

 そしてもうひとり、お客が訪ねてきたらまず「ハイハイハイ…」と駆けてゆき、それ以外は「フワフワ四角」用スポンジの焼き係に立っていることが多いナリネさんも、今回初対面である。この人もまた魔法使いエニさんのように、落ち着いた「お母さん顔」だ。

 誰がどの作業を担当するかはおおまかには決まっているものの、新人アンさんを除いてたいていのメンバーがひと通り、そこそこに出来る。「今日、娘に赤ちゃんが生まれるみたいなの」としばらく休暇が必要になったナリネさんのように、欠員が出たとしても兼務できるし、新入り・アンさんもアドバイスを貰いながら手を出すこともある。ただ、丸型やハート型スポンジケーキのゴージャスなクリームデコレーションだけはやはり特別な腕が必要ということか、オーナーのアリーナさんとビッグ・ご飯さん以外は手を出さないようだ。

 

 それにしても女性が六人も集えば、おしゃべりの題材を見つけるにも不自由はないのだろう――何かを力説し、受け答え、笑い合う声の飛び交う時が少なくない。…ってまぁ、言葉のワカラン私だから、井戸端会議だと思い込んでいて実はずっと仕事の話だった、という誤解も在り得るんだけれど。

 なんとなくのタイミングで設けるお茶の時間に、「ん?カップが余るけど…」とメンバーに一人いないことに気がつくと、「コレ見て!」と戻って来ては、袋の中身をごそごそと披露する。近くの店で買ってきたという、私なら三歩目でネをあげるであろう、おそろしく細く高いヒールの、「これぞ乙女」といわんばかりの靴だ。さすが、やはり気になるのは身に纏う物。「仕事場に…」なんて苦い顔をするヒトはなく、みんな目を輝かせて買い物話に聞き入っている。――女の園だな、と思う。ほぅ、と一緒になって感心している「逆紅一点」サメルさんも、分類は「ほぼ女子」といってしまってもよかろう。

 

 ちなみにここで私の語学力についていうと、「アルメニア語トラベル会話集」ページ三枚分という、基本も基本(挨拶、値段交渉、数字、5W1H…)程度でありしかもこの紙が手元にないと全くの無力。込み入った話はジェスチャーでしか術がない。あとはよく耳に入ってくる言葉を、状況に合わせて推測し、何となしに覚えてゆく、というカンジ。

そのなかで、気合い入れて覚える必要もないほど頻繁に聞こえてくる単語とは、「インチ」と「チェー」。「インチ」とは「何?」という意味であり、一時間に数回、みんなしょっちゅう疑問符を誰かに投げかけるもんである。ヒトってそんなに「ナニナニ」言うもんだろうか――と自分を振り返ってみると、モノが落ちて「何?」、虫刺されを足に見つけて「ナニ?(に刺された?)」、意外とおいしい煎餅の原材料を見て「なに(から出来てる)?」――たとえ部屋に引きこもっていようとも、結構ナニナニ言っているモンだった。

 そしてそれ相当によく聞く「チェー」とは、Yesと Noの、「No」の方。否定が多く聞こえてくることに、なにか不穏な話題?ネガティブな事件か?と何か雲行きの悪さを想像するのだが、私も改めて自分を気にしてみると、会話の中に「いやだ」「ううん」「違う」の方が、肯定する返事よりもスルッと出ているモンであり、「えー」「面倒くさい」もほぼ「NO」の分類だとすれば、これもかなり言うかもしんない。ついでに「Yes」はというと、これはロシア語を使うことが多いようで、「ダー」と言う。

そう、ここでは、そしてひいてはアルメニアでも言えることだが、ロシア語がとりわけよく聞こえる。何気に「混じっている」。

 ……だってそりゃあ、かつて、それがここの公用語である「ソ連」の一員だったんだから――とはいえ、旧ソ連国ではたいてい、よそ者にはロシア語を使うが、知人など仲間うちでは母語で話す、というように、「ウチ」と「外」との使い分けがあるもんだが、アルメニア、そしてカラバフではというと、私の印象では、その「使い分け」がそれほど無いような気がする。特に外国人向けの言葉というわけでもなく、アルメニア語を母語とする人同志の日常会話のうちに、ロシア語は何気に入り込んでいる印象を受ける。それは、ロシアとの関係の強さを物語ってもいるのだろうか。アルメニアソ連崩壊後に成立した独立国ではあるが、隣国トルコとアゼルバイジャンとは断絶関係にあり、資源も乏しく、政治・経済ともにロシアの支援に大きく頼っているのが現状だ。

…って私のロシア語能力はといえば、「トラベル基本会話集」の三ページ(基本)は例文無しでもイケるかなという、「アルメニア語よりもちょっとはマシ」程度。とはいえ旅をして経験値を積んでゆくうち、内容は別にしてその言葉がロシア語かアルメニア語かは、発音や息遣いの「丸み」からなんとなく判別できる(気がする)。彼らが会話の中でどっちの言葉を使うかは、気分次第のような感があり、「(材料)何グラムね」という数字は、たいていはロシア語で言い合っていた。

 時に世間話に没頭しながらも、とはいえ、だ。みんなの手は常にしゃかしゃかと動き続け、ブラブラと遊んでいるヒマは殆どない。

 ひととおり生地を焼き上げたらしいアリーナさんは、ナリネさんとともに天板にこびりついたスポンジをガリガリ剥がすのに余念無く、アン嬢は、重ねて切り落としたスポンジの耳をスポンジの間に挟み込んでは、水平かどうかを顔を近づけ真横からチェックする。

 イスに座って美しい足を組み、スポンジ用の生地をシャカシャカかき回していたミニ・ご飯さんは、「シンガリョー・ハッツ(パン)の注文が二つ入ったよ」と耳に入るとホイッパーを一旦手放し、冷蔵庫を開いてそれ専用の生地を取り出す。

 クリームの「バラ」をひとつ仕上げたビッグ・ご飯さんは、次は「葉っぱ」を絞ろうと、緑色のクリームをその絞り袋へと詰めている。エニさんは、常に同じ調子でゴロゴロとめん棒を転がしている――。

 やることは落ち葉のように散らばっており、一つ終わったら、また別のことを拾ってやり始める。生地をこねる、伸ばす。泡立てる。飾り付ける。飾り付けをつくる。器具を洗う。――途中に休憩を挟み込むとはいえ、朝九時頃から夕方六時過ぎまで、ほぼ立ちっぱなしである。

 ここは「家庭の延長」であり「台所」――とは述べたけれども、道具や設備に加えて、仕上げ用のキラキラ光る砂糖や、細かい粒チョコレート、クリームをピンクに染める着色料といった特殊な製菓専門の材料がどの家にも、いつも揃っているとは限らない。フワフワ四角ケーキは確かに家庭においてもポピュラーかもしれないが、特にエレバンスキの「パイ」などは大量の油脂が必要になり、またその手間を思えばそうそう頻繁に作ろう気になるものでもないだろう。

 やはり、「店」であり、専門の職人だ。家庭とは一線を画している場所なのだ。

 そしていつも変わらぬ味を提供すべしと、気合いの入った労働量が要る。「毎日同じ仕事を繰り返す」とは単純なことのようだが、毎日毎回、全てのものを同じ出来栄えにすること・保つことの難しさは、一言でサラッと流せるほど簡単ではない。出来栄えというのは、「ヒト」如何で変わってしまうのだから――それが、モノづくりの怖さでもあり、面白さでもあるが。

 

(訪問時2008年、2013年)

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カラバフのケーキ屋さん② ~「ナゴルノ・カラバフ共和国」

 

カラバフのケーキ屋さん① ~定番「フワフワ四角ケーキ」

 

 現在に至るまで

 

 アルメニア共和国・通称アルメニアは、ロシアのモスクワからは南へ約200キロ、東西に走るコーカサス山脈を越えた、カスピ海黒海に挟まれた土地――一般に「南コーカサス」と呼ばれる地域に在る。東にはアゼルバイジャン、北はグルジアと隣接しており、この二国同様かつてはソビエト連邦共和国を構成する地であった。南はイラン、そして西はトルコと国境を接している。

 そのアルメニアの東部に位置しているのが、自称国家・「ナゴルノ・カラバフ共和国」。

  まずことわっておくのは、これより記す彼の地における私の旅話は、前述のように2008年、そして2013年の記録である。2024年(コレを書いているの現在)における状況については後述するとして、まずは「当時」のこの地について述べてゆく。

「ナゴルノ」はロシア語由来で「高地」、そして「カラバフ」(トルコ語由来)もまた「暗い、黒い」と、樹木に覆われている様子を意味するという。確かにこの地の南部と中部には最高2725メートルの山脈――カラバフ山脈が連なり、その北部には最高3724メートルのムロブダグ山脈が聳える山岳地だ。カラバフの人口約十五万人のうち、約五万五千人が住まうとされる「首都」ステパナケルトもまた、標高約千メートルのところにある。(2015年時点。Wikipediaより)。

  だが「自称」と付したように、ここは国際法のもとに「正式な手続き」を経なかったとして、国際社会からは「国家」と承認されていない。このエリアに入るにはこの時アルメニアからの陸路ルートしかなく、外国人はビザを取得する必要があったが、そのビザ発給もアルメニアの首都イェレバンにのみ存在する大使館で取得していた。(のち、旅行者からの情報によると、入国後に取得できたりなどと手段は緩和されたらしい)

実際、流通している通貨はアルメニアドラムであり、アルメニア人人口が90%を占める以上、耳に入る言葉、そして町の標識や看板はアルメニア語と、ソ連時代の公用語・ロシア語。ビザを取得するという行為から、区切られたエリアあることは多少は思うものの、正直アルメニアの一部という印象を抱かざるを得ないのだが、この地を「国」として認めているのはその親元のようなアルメニア・一国のみなのだ――と私は思い込んでいたが、拍子抜けすることに実はアルメニアさえも「承認」していなかったことをのちに知った。

 明らかにアルメニアに帰属するように見える――とはいえ、現地の人々にとっては当然のことながら、ここはれっきと首都を備える「自治共和国」。彼らは通常この地をまず「カラバフ」(「ナゴルノ」は省略)と紹介し、訊いてはじめて「アルメニアの、」と付け加えていた。逆であった覚えはない。

 そしてこの地のことについて何よりも知られることとといえば、アルメニアアゼルバイジャン共和国――東に隣接し、同じく旧ソ連を構成していた国との間で、その帰属をめぐって争われた地である、ということである。

 1920年つまりソ連時代より、ここはアルメニアではなく、アゼルバイジャンの「自治州」としてその領内に置かれていた。アルメニアアゼルバイジャンそれぞれが異民族を内包していたように、この自治州内にはアルメニア人(アルメニアに住まう主要民族であり、インド=ヨーロッパ語族)とアゼルバイジャン人(=アゼリー人。コーカサス周辺にまたがって居住するトゥルク系民族)、そしてロシア人などが混在、共存する多民族の土地であり、その割合はアルメニア人が八割から九割と多く、アゼルバイジャン人が一割から二割、そしてその他と続いた。

 だが、1980年代より、アゼルバイジャンアルメニアにおいて民族意識が高揚し、相手民族への暴力と殺害事件が繰り返されるようになる。両民族の対立が泥沼化するなか、カラバフにおいては住民の多数派であるアルメニア人によって、この地をアルメニア領内への帰属を求める声が高まってゆく。アルメニア最高会議とカラバフにある地方会議は、アゼルバイジャンからの離脱を強引に決定し、1991年にソ連が崩壊すると、カラバフは「共和国」として一方的に独立を宣言することとなる。カラバフを巡って両国・アルメニアアゼルバイジャンの戦争の口火が切られ、カラバフでは多くの村や町が破壊され、また多大な死傷者が出た。

 戦況を有利に導いたのはアルメニアであり、カラバフにおける殆どのアゼルバイジャン系住民は難民としてアゼルバイジャンに逃れ、難民生活を余儀なくされることとなった。

そして1994年にロシアの仲介によって「停戦」となって以降、この状態が続いていた。「停戦」であり、「終戦」ではない。アゼルバイジャンアルメニアによるカラバフの「占拠」を認めておらず、両国の断交状態は続いている。また繰り返すが国際機関もまたこの地を「国」として承認することはなく、アルメニアアゼルバイジャン領を「占領」している、という見解が為された。

アゼルバイジャンとの境界周辺では時折、小競り合いが起こり死傷者が出るなど、この地が争いから解決を迎える展望も見えないなか、2017年にはそれまでの「ナゴルノ・カラバフ共和国」から、別名だった「アルツァフ共和国」が正式名称であると定めた(「アルツァフ」とは古代、この地を治めていたアルメニア人による国家の名称である)が、ボーダー付近は未だ戦闘がやまず、隣国とは憎悪の感情が残った「停戦状態」の不安定な状況は相変わらず、解決されないままであった。

 私が訪れた当時もずっと、廃墟となった「かつての村」の跡が放置されたままの景色が、そここに点在していた。

 いつまで、こうなのだろう。

 いつか大爆発しないとも限らない、危なっかしいものを抱えながらももはや後戻りはしないと開き直り、たとえ「未承認国家」であれ一つの国家としての道をこのままゆく――のかと思っていた。

 だが2020年、アゼルバイジャンとの間に再び紛争が勃発。これによってカラバフは三分の一の土地を失い(即ちアゼルバイジャンが領土を「奪還」し)、多くのアルメニア人が難民となってアルメニアへ逃れる事態が起きた。アルメニアとを結ぶ唯一のルート「ラチン回廊」を、両国の仲裁国・ロシアの平和維持軍が管理することになった。

 両国による平和交渉なる睨み合いが続けられながらも、2022年には現地・カラバフで死者が多数出るほどの大きな衝突が起こり、そして2023年9月、アゼルバイジャンによる、「自国」からのアルメニア軍の武装解除を名目に戦闘が始まった。一日で首都ステパナケルトは陥落。ロシアの平和維持軍の仲介により、戦闘の終結に合意した。

そして――カラバフ政府はその月(9月)の28日、2024年1月1日までに、共和国としての存続を停止すると発表。

 アゼルバイジャンは同地における主権の回復を宣言し、元政府の政治家を逮捕。アルメニア系住民には国籍の取得と居住を認めたが、ほとんどのアルメニア人が、迫害への恐れからアルメニアへと避難したとされる。

*1

 

 

 つまりアルツァフ共和国――カラバフは2024年に突入した現在、解体された。

靄の晴れない、不安定なものを抱えている――とは分かっていても、彼の地においてはそれを忘れてしまうときさえある、傍からは穏やかに見える彼らの日常が繰られていた。土地に腰を据えた、生活の場があった。だからこそ、袖に引っかかって取れない釣り針のように、その靄は余計に立ってもいたのだが、それが終焉を迎え忽然と「消えた」ことに、かの地を離れた「あの時」で時間が止まり、次回訪れるときはソコから始まるような感覚でいた能天気な私としては呆然としてしまう。アルツァフという「新名称」に舌が馴染む余裕などもなかった。

 アルメニアアゼルバイジャン。カラバフの地を巡って、どう解決されるべきだったのか。双方が納得できる位置づけとは。世界はどうかかわるべきだったのか。あまりに根が深い難題に、私などはただ立ちすくむだけで、安易に出てくるのは「分からない」という呟きでしかない。

 彼らと接してていても、この件に関してどこに地雷があるのか分からず、傷つけてしまうことを恐れて会話に出すことを避けていた。……いや違う。自分が傷付きたくなかったのだ。この件に触れることで、自分が彼らに拒絶されることを恐れたのである。

そして、彼らはずっとここにいて、訪れたならばきっとこちらを迎えてくれる。…そんな気でいたのだ。ずっと。

 だが2020年に事態は動き出し、そしていまの「解体」を迎える。

 結局は、――ソレが結末?

 生活の場が忽然と消えてしまう。難民となり、土地を追われる。それがまた繰り返されることに躊躇が無い。

 悲しみと憎悪しか生まない、武力でもって一方をねじ伏せて「問題が解決した」と宣言されることに、人間の世界というものの限界を感じてしまう。これでいいのか、これしかないのかヒトって――と幻滅してしまう。それはそっくりそのまま、「分からない」しか言えず、見て見ぬふりを通してきた自分そのものでもあり、平和主義を謳って非難してみても、無責任な、外野の勝手な言いたい放題でしかないのだ。

 かの地を去って十年以上が経った――とはいえど、その時の出会いや光景はいまも鮮明に覚えている。友人として接していた人たちの安否が気がかりであり、無事でいてほしいと切に願う。

 かつての場所は、二度と戻らない。「彼らがいる」場所、その行き場が消えたことの現実に、ただ率直に悲しい。再会もおそらく、不可能に近いのかもしれない。

 だが心からは消えない。

 つい最近まで存在した「カラバフ」での、あの場面、出来事。それを書き留めておきたいと思う。自分の目を通した主観でもって(つまり思い込みも含めて)、当時のままに。

 ここでカラバフの呼称についてであるが、2017年正式名称を「アルツァフ共和国」と定められたとはいえど、それは私が去った後のことであり、訪問当時は「ナゴルノ・カラバフ共和国」が一般である。かつ現地の人は、「カラバフ」と略して?呼称しており、よって私もそれが舌に馴染みきっているため、この場でも以下当時のまま、ソレで通すことにすることを断っておく。

 

懐かしの訪問

 

 話をかの地、かの時に戻そう。2013年の訪問である。前回より五年振り、二度目だった。

 カラバフの首都「ステパナケルト」へは、アルメニアの首都・イェレバンのバスターミナルからミニバンで約七時間揺られてたどり着く。

 山には木がモサモサと生えているモンだ、というのが世界で共通しているわけではないと気付いたのは、「自然紀行」的な番組も特には見ない私であるから、やはり旅のおかげである。

 イェレバンからワゴンに乗り、市街を出て暫くは、時折牛追いの横を通り過ぎながら「あ、あれアララトなんじゃないの?」――アルメニアのシンボルなれど、現在トルコ領に聳える山・「アララト」をバックに、ドォっと遥かに続く畑と、草原が入れ替わり立ち代わる、真っ平らな世界の広がりに見とれていた。が、一時間、二時間…と過ぎるにつれて、車窓の遠いところにあった山々は次第に近くなり、車はその起伏の波の只中を走るようになっていた。

 木はただ一本や二本、取り残されたように立ち尽くしているだけの、ほぼ土色に覆われた砂山(ハゲ山)、或いは何者をも拒んで寄せ付けない崖のような岩山の景色が続く。やがて、試練を乗り越えたかのように、いつしかその肌が草を纏うようになり、青空のもと、苔色の滑らかな波線が描かれてゆく。

 一面にうねる、濃淡豊かな緑色の絨毯――そこに白い雲が、牛のまだら模様みたいにぽっかりと影を落としている。何の成り行きか、時折背の高い木が、ポツン、とバツのわるそうに突っ立っていたりする。

 山にも、いろんな表情があるものだ。

 圧倒的な緑色の中では、ポッと息を吹いたような野花の、黄色や白がよく目立つ。群生するのがワッと現れたならば、その可憐さにドキィっと見惚れ、即座に「逃すまい」――慌てて手がバックの奥のカメラをまさぐる。プロ気取りで何度もシャッターを押し続けるものの、思う通りに撮れるかは当然別問題であり、画像を確認してゆけば「もういい加減にしよう」とその能力の無さに興ざめしてきてカメラを仕舞おう気にもなるのだが、そのとたんに、ネッシーでも眠ってそうな、静寂を湛える大きな湖がヌッと現れたりすると、瞬時に「撮りたい」欲が再燃して再びカメラをいじり始めることになる。その繰り返しだ。この景色とカメラとの苦闘も、――そうそう、と懐かしい。

 

 バスターミナルを出たらそこがもう「メインロード」であり、そこから路地に入って五分も歩けば辿り着く、以前と同じ宿に荷を下ろしてひと息ついたならば――もう夕暮れとはいえ、やはり行ってみようか。「市場」へ。「彼女ら」のもとへ――あのケーキ屋さんへ。

「メインロード」に戻り、まっすぐ歩く。ここを歩くのは旅行者であっても分かり易い。北東から南西へ一本通っている、この結構しっかりしたアスファストの両脇には、銀行があり役所があり外務省があり、両替屋、靴・服屋や薬屋、雑貨屋など等の商店が並ぶし、立派なロータリーのその傍には、品揃えのよさそうなスーパーマーケットも立っている。これを西へとなぞってゆき路地を左に折れて…と、バスターミナルからも宿からも徒歩十五分で辿り着ける場所に、野菜や果物、衣類等々の生活雑貨を揃えた大きな市場が、町に一か所ある。

 だがいまはもう夕方だ。店は閉まり、閑散としているかもしれない――との想像通りに、やっぱり。

 体育館程度の敷地に入れば、記憶に在る賑わいなどはかけらもない。えらくガランとしたなかで野菜屋らしき人がひとり、ダンボール箱にキュウリをしまいながら、それでも仕事帰りに訪れたような人に、これなんかどうよ、とお勧めしている。

 ……ホントにココ? ありがちな展開としては、町に新しい市場が出来ており、ソッチへ移転している――とか。ここは「旧」市場であって廃れていく運命の場所であり…――と想像は進むのだが、記憶では、生鮮食品類は段ボールに入ったものを積んだり並べたりの露店的な出店であったから、店じまいをすればそらまぁ空き地になるわなぁ。時間帯のせいだと信じたいが、あんまりな閑散具合に不安になってくる。

 空いた空間を囲むようにある、壁と屋根を設えた簡易的な小屋には、ワンピースやTシャツをヒラヒラと吊り下げ、ヒールの高い靴を段々に並べた衣料雑貨の類の店が入っており、そっちはまだかろうじて開いているようだが、ぽっかりした空き地の前には寂れて映る。

 工房を構えるからして、あのケーキ屋さんも当然、「小屋」のうちのひとつを占めていた。

私がここに辿りついたきっかけといえば、単純に「市場」という場所が好きだったからだ。が、そのうちのケーキ屋にじっくりと腰を据えよう気になったのは、気まぐれというか偶然、とでもいうか…。

 市場内をほっつき歩いていて、鼻腔をムンムンと突く甘い香りのはし切れ――が、前をかすってゆき、それに興味を奪われたのである。

 

 こんにちは…とばかりに、奥をひょいと覗き込んだらばすぐ、目に入ったのは匂いそのまんまに「作っている場面」。数台並んだオーブンの前に、ボール容器を抱えた女性達がいる。ボールの中には、モコモコ泡立った生地らしきものが。

幾つかの顔が、こちらを凝視していた。――とはいえ不審がるような様子など無く、「やあやあ、ようこそ」あらアナタ旅行者ね?と迎えてくれた彼女たちだった。

 

 さて、五年ぶりの工房は果たしてそのままだろうか。陽が傾こうという中、記憶を辿り奥へと歩いてゆくと――あぁ、多分あそこだ。ちゃんと、ある。

今頃はもう、片付け時間だったろうか。…僅かに、まだ匂いがあるような気がする…。

 …いる……?

 こちらを覚えているだろうか――果たして。

 

(訪問時2008年、2013年)

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*1:参考(「公益財団法人日本国際問題研究所 戦略コメント(2023-10)ナゴルノ・カラバフ問題〜戦略的見地から 廣瀬陽子(慶應義塾大学総合政策学部教授/日本国際問題研究所客員研究員  https://www.jiia.or.jp/strategic_comment/2023-10.html

カラバフのケーキ屋さん① ~定番・「フワフワ四角ケーキ」

 

スポンジ焼き

 

 壁にぴったり寄せた長机の上には、赤い色のオーブン・同じ型のものが四台、その幅の分だけ間隔を空けて並んでおり、背後からコンセントのコードが尻尾のように伸びて、後ろの壁にそれぞれブスッと突き刺さっている。

ここはケーキ店である。…んだけれどもソレは業務用というよりは家庭用――どころか、一人暮らし用「電子レンジ」みたいな、横幅がせいぜい四十センチ程度のかなりこじんまりしたものだ。だがこのメーカーのこの型は結構なシェアを誇っているらしく、アルメニア、そしてグルジアなど近辺において、一般家庭にお邪魔した際に台所でも目にするものはいつも赤色体裁のコレだった。ここのももしかして、従業員が家で使っていたのを持ち寄ってきたのだろうか、なんて思ってしまう。

 かつ、結構な「旧式」といえるものだろう。オーブン扉にはロシア語が模様のように描かれているからロシア製だろうが、日本でいえば「昭和にお目見えした家電」の雰囲気が漂っている。ボタンといえば一つ二つ・それもひと昔前の、武骨に飛び出た電気スイッチみたいなのと、これまた昭和のブラウン管テレビ(の「チャンネル切り替え」)を連想するダイヤルが付いているだけだ。…「タイマー」? いや、温度調節だろうか。一応、温度計のイラストがあって、ランプが点いたり消えたりするようであるからサーモスタットが効くようではある。

「家電」と述べたように、つまり家庭的であって「いかにも専門店」というカドがない。とはいえ四つのオーブンを揃える、というのはまぁフツウ家庭ではないからして、やっぱり「店」ならではの光景、ってことになるんだが。

「業務用に大型機器を取り入れよう」という流れにはならないのだろうか。……というか、「業務用的な専門機器は、ここではもしかして「無い」、或いは入手困難?――せめて出来るのが、ひとところのカベに、コンセントの穴を幾つも開けるってことだったのか。更にタコ足用のコードもどこからか伸びてきており、そのコンセント穴にもミキサー用などにこれまた満員御礼に刺さっているけれども、ヒューズが飛んだりは大丈夫? 火を吹いたりしない?

 旧式――とはいえ、そう。そんなことはモンダイじゃない。…ってまぁ安全面はちょっと置いておくとして、かえって旧式だからこそ、ソレと、ソレから生まれてくる商品台に並んでいる品々、その豊富なバラエティとのギャップに「ハク」さえ感じられるようであり、最新機器や業務用機器がなんぼのモンよ。ホーロー製らしき上層も剥げ、昔ながらの米炊き用お釜のような重厚感を醸し出しているその使い古されようは、「ちゃんと機能するのか」といった心配など余計なお世話、これが必要な設備としての役割を十二分に果たしていることを物語っている。(壊れた時はちゃんと、どこぞから修理の人が来てくれるのだろうか…。)

そ していま、その辺を通り過ぎようとする子供ならば、母親を掴んでいたその手をピクっと震わせて、宙をキョロキョロと辿らずにはいられなくなる――四台並ぶのオーブンのうち、二台がモワンモワンと四方八方に甘い色気を発散している真っ最中だ。

 そのうち一台の正面に立ち、扉を開いてその芳香と直に向き合っているのが、このケーキ屋の女主人・アリーナさん。

 

 ――あれから五年が経つ。

 アリーナさんはアルメニア人。歳は四〇代半ば(2013年時点)で私とは十近く離れてはいるが、もっと若く歳を言っても違和感はない。クルンと長いまつ毛、その奥にある目はぱっちりと輝き、肩までは届かない金髪は耳と首筋をフンワリと覆う。「リカちゃん人形」と呼んだっていい端整な顔立ちだ――が、とはいえ「やっぱり年相応かも」と納得してしまうのは、少々「片足突っ込んだ」と思われるその体型だった。

アルメニアには、「アルメニア美人」などと一つの単語となっているほど、スーパーモデル的スタイル抜群な女性が確かに目に付くけれども、逆に、大地にどっかりドシンと安定感ある人、それも「とことん」という人もまた多く、それは中年以降の女性に多数見られるようなのである。

 以前と比べてちょっとだけ「太」の方に針が振れている…気がする。

 けれどもまぁ彼女のように、腹の肉がちょっと盛り上がっているなぁ、と、「そういえば…」と気付く程度では「まだ」たいしたことはない。この件に関して「変わらないよ」と言っても嘘くさくない範疇であり、まぁ許されるだろう――と思ってホントに「変わらないねぇ」とサラっと言ってみたらば、サラッとでは終わらせず「ホント…?」と不満ではないが満足でもない、という顔をする。…疑っている?気にしているのだろうか。彼女にとって、太った・ヤセたは「みみっちい」類のことのようにも思えるのだが、私が時折、密かに踵を上げ下げする「ふくらはぎ引き締め体操(のつもり)」に気付くと、「へぇ…」とかなり真剣な目をして真似をする。「スタイルよく」は、器量に恵まれた人にとってもやはり永遠のテーマなのか。畏れ多くも、同士ですな、と親近感も湧く。

 体形はともかく、中身は全く変わっていない。……どころかよけいにハツラツと、肌からエネルギーが弾け出しているように見える。

それはやっぱり、好きな仕事に没頭していることの充実感に因るのだろうか…。コレと決めたことをやり続け、それをまた生活の糧にしてゆくという生き方は、そうしてこなかった自分にとっては遠く、そして輝かしく映る。もちろん、技術を身に付けるだけでなく、店を起こすまでの資金繰り、起こしてからの経営のやり繰りなど四苦八苦はあったろう。「ステキ」などと能天気に呟けるのは、苦労知らずの部外者だからであろうけれども、でもやはり羨ましい―――。ついでに勝手なことをもうひとついえば、私は彼女をカラバフにおける「姉」だと思っている。

 カラバフとは、「ナゴルノ・カラバフ自治共和国(アルツァフ共和国)」のことだ。かつては旧ソ連に属していた、南コーカサス地方の国家「アルメニア共和国」に、帰属するよう存在して――いた、未承認国家。未承認国家とは、国際法上「国家」として認められていないことを意味する。

 2024年1月1日にその自称「国家」が解体されると宣言された地であり、私は2008年、2013年にこの地を訪れていた。

 その時を過ぎた今現在、「かつて」と付け加えることに正直葛藤があるが、旅の時点ではかの地の首都とみなされていた「ステパナケルト」の、とあるお菓子屋さんに私は入り浸っていた。

「お菓子作り、見せてください」と。

 

 オーブンの中からは、A4ノートよりも一回り大きい長方形が天板いっぱいにペットり、貼りつくよう焼き上がっていた。ホットケーキ色のスポンジケーキだ。

外気に引き出したらばすぐに、天板と一体化しているソレをなんとかしてやらねばならない。長めのナイフを持ち、その刃を天板に沿うようにあてて、手前から向こう側へとスライドさせるようにスポンジを剥ぎ取る。――て、…ン?

てっきりオーブン専用の天板だと思っていたが、…違う。それに似た、大きな長方形の「ケーキ型」なのだ。しかも、ひっくり返っている――。

オーブン用の天板には載せず、ケーキ型をオーブン庫内に直に載せて焼いているようなのだが、通常、中身が零れないよう縁が付いたかたちで使うものを、天地ひっくり返している。つまり「ウラ」が上面にあり、スポンジはそこに貼りついているのだ。

ソレをいま、板にピッタリはりついた蒲鉾を離すように、こそぎ取っているのである。こびり付いた部分もちゃんと、ガリガリと。

こそぎ取ったならば、即「次」を焼き始める。――って、エ?熱くない?……構わないのか。

 そのモト・生地は、少々褐色がかっているのがプラスチックのボール容器に入っている。これは、卵と砂糖、液体状の植物油、重曹、小麦粉、そしてぶどうジュースだかワインだかの液体チョロッとを、湯煎をしながら気長に――イスに座って足を組み、井戸端会議的おしゃべりに興じながら、モコモコした状態になるまで泡立てたもので、一晩放置して寝かせてある。つまり前日に作り置いていたものだ。

 その熟した生地を塗り付ける――前にまず、生地の状態を均一にする為にだろう、木ベラを持ち、ボールの中にカッカッと空気を入れ込むよう混ぜる。そうして、型をひっくり返して檀上状態となっているウラ面に、それをまんべんなく塗りつけてゆく。

 こうすることの意味っていったいナンだろうか――と、しばし生地に着目していれば気付いてくる。粘っこいというか、ぼったり「硬い」のだ。大判焼(二重焼き或いは今川焼)を焼くのをガラス越しにジッと眺める時の、あの生地……の方ではなくその中に沈める「アンコ」のように、ボトンと落としたらその姿のまんまであって流動性が無い。それを広げて平らにするには、いじって均さないといけないのであり、「薄く均等に」するとなれば、縁の無い、まっ平らな面であるほうがやり易く、横から厚みもチェック出来る。慣れればこのように、食パンに柔らくしたバターを塗るようナイフをサッサッと動かすだけで、うまく塗り付けられるだろう。

――が、その薄さたるや、「そんなもんでいいのか」とつい口が出そうになる。焼き型の裏四隅まできっちりと行き渡らせている生地とは、その天板の「黒」が透けて見えるほどだ。食パン用のバターは高価だから確かにケチりはするけれども、これは、果てはケーキ用のスポンジとなるものなのであり、ちょっとあんまりではないのか。

 そういえば生地を塗り付ける前に油など塗らず、剥がしたスポンジのあとに、そのまんま、である。フツウ、焼き上がったスポンジをスムーズに取り出す為に、生地を接触させる面にはクッキングシートの類を敷くか、油を予め塗っておかねば、…と思うモンである。そうした方が、あとでガリガリとナイフで(天板のこびりつきを)擦る手間もなくなるんじゃないか。

…というと、これまた「やらないヒト」だから言う好き勝手であり、油を引くと、生地は天板の上を滑ってしまってうまく塗りつけられないのだ。それにガリガリと擦ることで大量に散らばるカフェオレ色の「屑」が、あとで大事な役割を果たすことになるのであり、「黙って見てろ」的余計なお世話なのである。

薄いだけあって焼き上がりは早く、おそらく十分もかかってない。とはいえ、「ピーっ」とかの音も無いから焼き時間は特にセットされておらず(つまみはやはりタイマーではないのか、それとも壊れているのか。或いは回すのが面倒なのか)、彼女らは「焼けたかな?」と、オーブン窓を開閉することでその具合をチェックしている。

「薄っ」の生地はしかしながらアラ不思議・オーブンを開いてみれば、それなりに「スポンジ」らしく焼き上がっているのだから世の中なんとかなるもんである。というか、ケーキを膨らませる「重曹」が効いているのだろう。

焼いては、剥がしてガリガリして。またその天板に生地を塗りつけて、オーブンに放り込んで。そのうちに、もう一方のオーブンが焼きあがって――と、てんてこ舞いほどではないけれども、アッチをやっちゃあコッチ、と、オーブン二台を効率よくホイホイと稼働させている。

 焼き上がったスポンジが四枚たまったなら、表面積のひとまわり大きい、何かの折に取り置いていたと思われる一枚のダンボール紙の上に重ねて「一組」とし、壁に取り付けられた棚へと収めてゆく。その上にまた、段ボールに載った四枚を重ね、また重ねて…。

 縦に、段ボールを挟んで四セットが収められ、パッと見たらば、書類の束が詰まった役所の棚のようだ。つまり四枚×四セット=十六枚のスポンジが重なっているということであり、一番下のスポンジは無事なのだろうか。押し潰されて、「紙」になってない?

しかも。この十畳ほどの工房、見回してみれば棚はオーブンの上だけなどではなく四方の壁に取り付けられており、そこにもスポンジが四枚ごとに収まっている。「お誕生日おめでとう」と書かれているっぽい(アルメニア語)プラ製のカードや、ウサギさんのマスコット人形といった、ケーキ用のアクセサリー置き場となっているその横で、あたかも雑誌のような顔をしてシレっと並んでいるのも――スポンジ。入る処にとりあえず突っ込んである、という感じである。

 ……大量だ。

これらはゆくゆく、クリームを塗ってデコレーションされることになるのだが、その作業は同時にアリーナさんの背後で始まっていた。

 

 デコレーション

 ――が、カツン、カツン、と、硬い音だ。およそ「スポンジにクリームを塗りつける」という工程とは思えないような。

手に握った刃の長いナイフを、クリームの入ったタライとスポンジ表面とで何度も往復させているのは、アンさん。

 ひとつに括った金髪の、首にかかるクルクルと巻いた先端が動くたびに揺れている。作業台を見下ろすその伏せられた瞼から、クルンと跳ね上がるまつ毛もまた、漫画的に芸術だ。

いま三十一になったという彼女のピッチリとしたタンクトップ姿には、ゆくゆくは腕のお肉をたぽんたぽん揺らして闊歩する、典型おばちゃまたち路線へと足先を向け始めた感がないこともないのだが、でもまだ今は、そんなことよりもその美貌の方が断然凄む。時間を巻き戻せば、もっとドえらかったのだろうか――すれ違う人の目を惹く「絶世の美少女」?

そういう人が近くに日常に在るならば、ちょっとやそっとの「美少女」には動じなくなるもんだろうか。…男子も? ――なんて、アンティークドールのようなその顔の、深い深い掘りの隙間に吸い込まれウットリと見惚れていると、その気があるのかと誤解されるとも限らんから、スポンジに目を戻した方がいい。

 さて。(天板から)剥がして時間が経ったスポンジ――とは、改めてみるとやっぱり貧弱である。焼き上がった時は結構膨らんでいるなとは思ったが、それは「檀上」が上げ底的にくっついていればこそであり、その後ろ盾がなくなれば相当に心もとない。触れるたびに響く「カツカツ」音にしても、正直「クッキー」と呼ぶ方が似つかわしいんじゃないかという、スポンジとも思えないスポンジである。

 一セット四枚をデコレーションするその前に、まずはまとめて「耳」を切り落とす。焼き上がったまんまでは、一枚一枚それぞれの端が、歯並び悪く飛び出したり引っ込んでいたりのデコボコだ。どれも同じ天板で焼いているとはいえ、前述したように型にはまってカドぴっちりと焼き上がっているわけじゃないし、剥がす際にも崩れたり千切れたりしてしまうからで、その暴れた端っこをみんなまとめてピシッと揃えてやる。四枚を重ね、サンドイッチを切るように端から何ミリかの部分にナイフをあててザクザクと前後させると、「耳」がころんころんと周りに散らばってゆく。

 作業テーブルの上に再び「檀上」――焼き型をひとつ、やはりひっくり返して「台」としたら、その上に、四枚のうちの一枚をまず載せる。そしてベージュがかったクリームをうっすらとその表面に、塗り付け用のナイフで広げてゆく。

 流しのタライにも使える大きなプラスチック容器に、それはタップリ、工事現場のセメントの如く用意されていた。このクリームは冷蔵庫に出し入れする気遣いが必要無いものらしく、タライは常に作業台に出しっぱなしだ。結構固めにホイップされているそのカンジ・そしてナイフでいじる時のヌメっとした艶とひきからすると、おそらくバタークリームの類だろうか。

 それを、チョイチョイっとナイフの先端にすくい上げては塗り広げてゆくのだが、ナイフがスポンジに触れるそのたびに、「カツカツ」と鳴る。

……そんなに硬いのか、それ(スポンジ)。

 スポンジの表面をざっと白く覆ったならば、その上に更に一枚のスポンジを、端が揃うよう気を付けて重ねる。その上面にまたまたクリームを塗りつけたら、またスポンジを重ね…と、四枚を同じ様に繰り返す。

 ――厚いスポンジを一枚焼いて、それを四枚にスライスしたらどうなの?と、ガリガリしているアリーナさんの背中を見た。赤いタンクトップが、汗でところどころ濡れている。

 小さいのをチョコチョコ焼くよりも、ずっと手間がかからないんじゃないかなぁ、なんて思ってもみたが、とはいえ大きい(厚い)と当然それだけ焼き時間が長くなり、中まで火が通ったかどうかにも気を遣う。焼き時間が長いと、タイマーを使わないとなれば忘れて焦がしちゃうじゃん、ということもあり得るわけで(タイマー、使えば?)、失敗すれば一台まるごとダメになるリスクもある。…ってまぁ、プロなんだから、失敗を前提に工程を考えたわけでもないのだろうが、しかし厚いのを焼いたとしても、スライスを均等にしなければならない。すりゃあいいじゃん、というと、そうやって毎回毎回均等に切るのと、一枚ずつ焼くのとどっちがタイヘンなのか。……「好み」の問題なのか。

 書斎の本棚にぎっしり詰まった辞典の如くにある、大量のスポンジ。それ全てをスライス(しかも均等な厚さで)するとすれば相当な手間であり、そりゃメンドくさいだろう。…いやプロなんだから、そんなことは「ワザ」でもって…。

職人気質など持ち合わせていない私であるからして、モノゴトを「メンドくさいかどうか」を基点に判断しがちになってしまうのがイカンのだが、気になるのはそれだけではない。

 時間の経過とともに、スポンジはしっとり感を失ってしまうものである。しかも「薄い」。――菓子作りの本には、焼き上がったケーキのスポンジに「乾燥防止の為にラップやビニールをかけておきましょう」などと注意書きがされているもんだが、その点なんともお構いナシに映る。「雑誌」や「辞典」などと例えたように、焼き上がってしまえばもうそれでよし、と、スポンジたちはまるで放ったらかし。そのままでは簡単に、数分と経たず水分が飛んで干からびるだろうし、…って実際「カツンカツン」の響きはそれ故であり、想起するのはコンガリカリカリに焼けたトーストに触れる、バターナイフのあのカンジ。

 だが一枚「厚い」のを焼けば、それだけ水分が長く保持されるだろうに。スポンジの「シットリ」って、必須条件だと思うのだが…。

 重ねているから、スポンジの真ん中辺りはまぁちょっとは保湿状態にあるかもしれないが、でもどれもほぼ「カツンカツン」している。ということは棚に重ね置かれている「一番下のスポンジ」についても、こちらが思いやるほどヤワじゃない、ということだろうけど。

……「敢えて」、なのだろうか。

 

 

 作業は続く。四枚目を重ねたら、先に切り落とした「スポンジの耳」を少々砕き、それにクリームをナイフでちょっとだけ付けて、重ねたスポンジの間に横からギュッと入れ込んでゆく。これも使わないとモッタイナイじゃん、というのもあろうが、端正な直方体へと全体の形を補正する為でもある。焼成前の、生地を焼き型に塗り付ける量や具合によるのだろうが、スポンジ一枚の厚みには薄い部分とフックラ部分があって一定しておらず、それらを重ねていけば当然、全体の高さは水平とはいかない。横(側面)から見ればたいていの場合、中心が盛り上がり、端の方が低くなっているから、それを均しく平らにしてやりたい。

 ということで側面から「耳」を間に埋め込むことで、低い部分をカサ上げする。アンさんは頭を低く、首を傾け髪をクリンと揺らし、何度も確認しては、またチョっと「耳」の先にクリームをつける。「糊」、ですな。

 きれいな立体として納得いったならば、再びタライから、今度はもっと気前よくクリームをすくい取って、そのてっぺん、そして側面とにカツンカツン塗りつける。

塗っても表面には少々、スポンジ肌がブツブツとしているのが透けて見えるが、ガッチリ厚化粧されずともまぁ大丈夫である。――「フリカケ」があるから。

 スポンジを天板から剥がすたび、触るたび、そして「耳」を切り落とす時にも生じた「屑」を、敢えて寄せ集めておいた「山」が傍らにある。ほぼ砂のように細かい粒子だが、切り落として立体補整用にも使われずに余ったヤツなどクルトン的に粗いものは、指で適当に砕いてからまとめていた。その茶色い山に、別のナイフを握って突っ込ませる。

水平にした刃の上に載るだけの「屑」をすくうと、そのまま落とさないようケーキの側面まで持ってきて、まずはそこ(側面)に上手く刃を傾けて、その茶色を貼り付ける。側面四つをツブツブと纏わせたならば次は上部の表面に、今度はザルを手に取って屑をその中に入れ、振るいながら一面に散らしてゆく。

 網目を通すと屑はさらに細かくパウダー状となり、コビトならば「そーれ!」とこの上にバンザイしながらダイビングしたくなるだろう。「カツンカツン」していたとは思えない、セーターを纏ったようなフンワリ感が生まれ、温かみある茶色からは、オランウータンの毛並みさえもイメージできる。

 この色からして「ココア風味だ」と想像してしまうが、これはスポンジそのものに他ならないのだ。身(=スポンジ)から出た錆、もとい「屑」である。なんだ「屑」か、…って屑があるからこそできるこの外観。削りチョコでやったら旨そうなのになぁ、と初めて見た時は正直思ったが、チョコを使うことなく「屑」でこのフワフワ感が出るならば利用しない手はない。「屑」の方も、「クズ」として一生を終えてたまるかとピンと背を張り、装飾アイテムとしての活躍に誇りを持っているかのようだ。旨いきんぴらに変身させる大根の皮的発想に、作り手に対する親近感を湧かせる一方で、あるものを利用することなく安易な手を発想する自分を叱咤したくなった。

 そうして底を除いた全面をフワフワさせたら、最後の仕上げだ。一面の茶色に、上から白いものをパラパラ振りかけて模様を付ける。

 粉砂糖?――ではなく、「ソボロ」を使う。

白くポロポロとした、砂のような「ソボロ」を摘み持ち、人差し指と親指を擦るように上からパラパラと落としながら、茶色の画面に白い、ゴムバンドのような太い線を描くのだ。まず、角からその対角へと二本、「立ち入り禁止」のような「バッテン」。……「仕上げ」としてそれでいいのか、というような絵だが、表面の四角形の四辺・それぞれの真ん中を角っこにした「大きな菱形」をさらに描き足す。「ひし形バッテン」――描いた順に言えばそういうことだが、パッと見では、そこそこ感じのいい幾何学的模様に落ち着いた。

「ソボロ」とは、私が勝手にそう呼んでいるだけであり、言葉通り、ご飯に乗っかる「卵ソボロ」や「牛ソボロ」のようにボロボロとしているから。だいたい米粒ぐらいの大きさで、グラニュー糖と小麦、液状植物油を、手のひらや指でこすり合わせて粒状にしたものだ。英国菓子などにおいて「クランブル」と呼ばれているのと同じ類であり、これをケーキ生地や果物の甘煮の上に振りかけてオーブンで焼くと、この部分がカリカリボロボロとして食感がよい。

 この店ではコレ、もともとはこのケーキの為というよりも、他のお菓子の「具」として使っている材料であり、ソッチから「仕上げ」の為にちょっと拝借しているのであるが、…ってことはソボロは「ナマ」で食うことになる。その材料は擦り合わせただけなのであり、砂糖や油はともかく、火が通ってない小麦粉をナマで――っていうのは、ダイジョブなんだっけ?ちょっとだけだから? 大福の周りにひっついている、「餅とり粉」のようなものだと思えばよいのだろうか。「ソボロは火を通すモン」というのは私の固定概念だったのだろうか――

 そういえば昔、クッキーを母に作ってもらう時、混ぜたり伸したりしている最中の生地(ナマ)をほんのチョロっとだけ指でかすめ取り、それを隠れて舐めるのが密かに好きだったりしたもんである。さらによくよく考えてみれば、人工添加物にまみれた加工品に比べればずっと「自然」といえるか。……なんて、一応は肯定的な理由を見つけようとしてはみるが、部外者がイチイチ埃を拾うようなことは置いておこう。

このような「仕上げ」に思いつくものとしては、「粉砂糖」があるが、時間を経ると溶けて消えてしまうからだろうか。……まぁ、単に「ソボロはいっぱいあるから」と使っているだけの気がしないことも無いが。

 

 仕上がったら、ケーキ面よりも一回り大きい四角いボール紙に白い紙を敷き、その上に載せて商品台へと移動させる。

 商品台は、この工房の一角、ベッド一台分はあるテーブルの上となっている。ケーキにデコレーションをし、ミキサーを回し、オーブンの扉を開閉し…とやっているそのすぐ傍だから、最初、そこは作業台の一部であり、出来た菓子を一時的に置いておくスペースのように見なしていたのだが、彼らのテリトリーとは十畳程度のこのひと部屋が全てであり、商品用の別空間などはない。入口付近に、屋外に向けてガラスケースが設置されてはいるのだが、その中には、日本でお目にかかるとしたら結婚式ぐらいかという直径三十センチ以上の巨大デコレーションケーキが入っており、それが三つか四つ収まればもう満杯。その他諸々が入る余地はない。

 というわけで工房内のれっきとした「商品台」その上には、菓子好きの目に釘を打ち込む諸々が、ギュッと詰め詰めに並んでいる。まずはいま仕上がった四角いケーキ。そしてそれと同じものだが、トップに異なるデコレーションが施されたものが三台、どうだとスペースを占めている。さらにロール型やカップ型のケーキが花形の皿の上に放射状に並び、菱形に三角、巻貝、そしてバナナ型をしたクッキー類が、透明ビニール袋に幾つか入って所狭しと積んである。テーブルには花柄唐草模様のクロスが敷いてあるんだな、なんていう、「商品台」としての体裁に気付くのは随分と後になってからだ。

 部屋の一角に「商品台」、しかも壁際の隅っこに――なんて、お客としたら分かりにくいんじゃないのか。中の奥に入り込まないといけないから、シャイな「一見さん」はちょっとなぁ…。「知る人ぞ知る」であってヨシとする菓子屋なのだろうか。

 ――というとイエイエ、実はこの位置がまさに、ディスプレイとして最適なのだ。

 商品台の真正面には窓があって開け放たれており、人々は路地から頭をひょっこり覗かせて、「アレ美味しそうじゃない?」と相談し合い、「アッチとソレとソッチ、三つずつちょうだい」と、屋内に入ることなしに注文できてしまうのである。ホぉ…。

 もちろん、中に入ってきたっていい。工房にズカズカと踏み込んでくるヒトに、「誰かの知り合い?関係者?」と思ってしまうが、テーブルの菓子を品定めに来た、立派な、というかフツウにお客であり、ならば飲みかけのチャイ(紅茶)が入ったコップなんて「商品台」に置いてあったらイカンだろうと、こちらとしては慌ててそれを持ち上げようとするんだけれど、店主であるアリーナさんは特にどうということもなく放ったらかしている。

 そもそも作業中の工房内に、「関係者以外の立ち入り」って気にならないのだろうか。まぁ、「作業場」然とした、いかにも工場のようなメタルな雰囲気はなく、公民館の実習室…よりももっと、クリーム色の壁だったり花柄のタイルが貼ってあったりするからして、広めな家庭の台所的というか「部屋っぽい店」ではあるのだが、とはいえ企業秘密は無いのだろうか。…とモロに「関係者以外」である自分のことはさておき余計な心配をしてしまうが、庶民の台所・「市場」という中に収まる菓子屋だからこその大らかさか。それとももとから、食べ物作りを秘密裏にする意識が無いのか。

 ケーキ一台を仕上げたアンさんは再び、「次」に手を伸ばしている。同じケーキだ。「四枚組」はまだまだ無数に待っているし、書庫ならぬスポンジ庫といっていいなかにありながらも、それでも足らない、とばかりにアリーナさんは生産活動に励み、背中に染みる汗の輪郭を拡大させてゆく。

 

 この四角いケーキは、この店のオリジナルというわけではない。

『殆どの女の子は、この作り方を知ってるよ』――ふとしたきっかけで知り合い、かくかくしかじかを経て「どうぞどうぞ」とアルメニア人のお宅にお呼ばれとなり、「ケーキでもいかが」と、幸運にも一から作ってくれる場面に遭遇したことが二度ばかりあるが(それぞれ違う場所で)、それが毎度「コレ」だった。コレ――つまり、薄いスポンジを数枚焼き上げてクリームを塗り重ね、その表面全体を、やはり(スポンジの)切り落としを砕いて貼り付ける、というもの。また、たとえばアルメニアの首都イェレバンの菓子屋でも、「あぁコレだ」と見かけることのできるお馴染みでもある。

 スポンジとクリームを重ねる、というのは、ごく一般的な「ケーキといえば」の流れであり、「オリジナル」というほど特別なことでは無いけれど、「あ、アソコのアレと同じだ」と記憶から出して、それらを同種のものとして括ってしまうのは、スポンジは一枚一枚を薄く焼き上げてあることと、その他に使用するのはほぼクリームのみ、というシンプルさ――シメとしてやれ苺だとかチョコレートだとかで色気を出すこともなく、零れ出たスポンジ自身の「屑」を貼り付けて自己完結してしまうというそのストイックさゆえだ。材料少なに、モフモフフカフカ、心も柔らげてゆくカワイイ見た目にしてしまえるという、作り手にとってはお得なケーキであるともいえる。

 とはいえカラバフのこの店では、「ソボロ」を使ってクロス模様を描くものの「ほぼほぼ全面スポンジ屑」といっていい「基本形」のほか、表面にチョコレートを流したりクリームを塗ったりの別バージョンもあるのだが、それは菓子屋を営むなかでの創意工夫というもの。アイス屋にバニラ(かミルク)が欠けることは無いように、焼肉屋にカルビが無いことがないように、この「基本型」を商品台に欠かすことはないようだ。

 というわけで私見、この四角いケーキは「アルメニアにおけるお手製と云えば」のスタンダードなものと言っていいだろう。

とはいえ私が作る現場に居合わせた時の「作り手」とはアルメニア人ばかりであったからそう言っているが、同じスタイルのケーキ・「屑貼り付け」ケーキはウズベキスタンでも各地の市場でよく見かけていた記憶がある。必要な材料とは、ケーキを作る為の最小限であり(スポンジ用に小麦粉、卵、砂糖、油。+クリーム用)、そう突飛なものを必要とするわけではない。どこでも揃えやすく、誰にでも作り易いものであるからこそ広く慣れ親しまれ、家庭においても登場するケーキとなろう。そのなかでももちろん、各作り手による違いを見つけることは出来る。たとえば重ねるスポンジの枚数。或いはスポンジ生地には自家製プラムコンポートの蜜を隠し味として忍ばせたり、農村ならば、クリームの材料に「ウチんとこで絞ったミルク」を煮詰めてマーガリンと合わせたものを使うなど、さらに原点に立ち戻った「自家製」であったりの、細かな「ウチならでは」の工夫。…ん?「マーガリン」?――という疑問は後回しだ。

アリーナさんのところのソレとは、スポンジが二枚でもなく三枚でもなく確実にいつも「四枚」である、ということ。また屑貼り付けのみに限らず、少々工夫を施した「フツウ以外」の目新しい装飾もあるし、他にも多種多様な菓子が並んでいることが見込める。

――って、「店」だったらそういうもんじゃん、という当ったり前のことを書いているんだけれども、誰もがこなせる「家庭的なケーキ」。それを店で買うことの意味とはつまり、店とは「作る手間を引き受けてくれる」存在、ただそのことに尽きるのかもしれない。いつもと同じ完璧な「あの姿」であるものを、いつでも欲しい時に手に入れられることができる、信頼がおける場所であるということ。

ケーキ屋とは、「こんな美味しそうなモンがこの世にはあります!」と、どこかで修業した技術をひけらかすのではなく、人々にとって「ウチの台所」とそうかわらない存在であり、つまりは家庭の延長ともいっていい。――からして、ミキサーを動かしているその傍らに商品台を置くなど、お客を工房の中へと招くのに躊躇などないのも、ケーキなんてものは作ろうと思えば誰だって出来るのだからイマサラ隠すようなことでも無いじゃん、ということだろうか。「店」と「家」との違いは何か、というと、ワザとか質とかいうよりも、もっと単純なことであるように思われてくるのだ。

 ともあれ、この「屑」貼り付けケーキ――…「クズ」という呼び方は少々不憫か。そういやちゃんと菓子用語(?)に、スポンジ屑のことを「ケーキクラム」と呼んだりするようであり、じゃあ「ケーキクラム・ケーキ」。……いや、確かにソレ・クラムは、このケーキのアイデンティティーの要たるものだが、主役のように銘打つのもナンか違う。濃い日焼け色に「チョコってわけじゃないんだけど…」とちょっとイジけこそすれ、襟のピッとしたシャツでオモテに堂々出しゃばる性格でもなさそう。

ボロボロしているから「ソボロ」と呼びたくもなるが、前述のようにこの店には別に、ソボロ状に作ったものがあるからして(ケーキの表面にバッテン模様を振りかけたヤツ)、混同を避けるために「ソボロケーキ」と呼ぶのもヤメ。ただ単に、ヒネリも何もなく見た目そのまんまに、この定番ケーキを「フワフワ四角ケーキ」と呼ぶことを、ここで「私としては」の決まりごとにしようと思う。

 

 さて。改めまして「フワフワ四角ケーキ」。

モヘア的な柔らか、優しげな仕上がりであるが、とはいえその下のスポンジといえば、「カツンカツン」である。もう、モロにパサパサなのではないか――などと予想しながら、一辺七、八センチの一切れにカットされたものをいただいた。

と、「…アラ?」

目からハラリと鱗が落ちゆく。

意外だ。焼き上がったものにシロップを染みこませる、などという工程などもなかったはずだが、「シットリしている」というありがちな言葉がスッと出る。想像していた「パサパサ」という表現は全く相応しくない。

一番外気に触れてカスカスに乾いているのは、装飾に貼りつけられた表面の微粒なスポンジ屑だろう、一度に口に入れたらむせるだろうか――と思いきや、口内では空気を掴んだようにフンワリとほどける。…脳内に、羽毛の海にダイビングした自分がいる。

 ……オイシイ。クリームのテカりに、舌にまとわりつく油っぽさとクドさを予想したものの、後味は意外とスッキリしている。外国のお菓子にはしばしば、手加減無しでぶつかってくる「甘さ」に怯むことがあるが、これはクリームの塗りが薄いせいもあるのか、「甘ったるい」と判断するよりも前に「美味しい」と素直に感じられるいい塩梅だ。

 長居していれば、クリームを仕込むタイミングにもいつかは遭遇するもので、想像した通りに「油脂」が主体のものだった。

 どっかりとボールに入れた、バター…ではなく「マーガリン」の塊をハンドミキサーでしっかりと泡立てたら、日本でも「かき氷」などで御馴染み・「練乳」を缶詰からドップリと入れ、さらにシロップ(水と砂糖を煮て溶かしたもの)を加える。合わせているところを見てしまうと、じわじわ贅肉がだぶついてくる気がしてきて、「スッキリ」後味、なんて感想はオソロシく能天気に思えてくる。

バターではなく「マーガリン」を使うのは、経費節減のためだろうか?――そういえば、農村で見た「自家製クリーム」にしても、油脂として使っていたのはソレだった。とはいえ、また別の家庭ではホントに「バター」を使っていたのだが、「これはバターなのよ」と、さも「奮発」していることを念押しのように言っていた――。

正直なところ意外である。ここいら一帯は古くから、家畜を育てミルクを絞り、それを利用してきた搾乳圏ではないのか。つまりミルクを様々に加工して、使い倒す食文化を育んできた地域に含まれるのではないのか――?とのギモンが霞める。…んだけれどもまぁ、それは追って考えてみるとして、いまは味云々である。

 このケーキの「シットリ」感はナゼ、というと――「クリーム」か。

 ぼったり固いクリームだから、スポンジに簡単に染み込まないようにも思えるが、とはいえそれは時間の問題、いつかはしんなり馴染んでゆくもんか。そしてまた、スポンジの「薄さ」というのもポイントだろう。もっと厚かったならばそれを「噛む」実感が立つ。「カツカツ」としていた乾燥度合が強く印象に残ってしまう。つまり、クリームと馴染んで「乾燥」の事実を無視できる、というか誤魔化せるには、この薄さが最適であるんだなと、食べてみて納得できる。

 放置しても、ダイジョウブなんだ…。

思うに、日持ちするモンである「クッキー」と同類か。パサパサしたスポンジケーキなんてイヤ、とその保湿を命題のように考えているこちらとしては、大量に焼き溜めたものを外気に放置していることに戸惑うのだが、それがクッキーだと思えばナルホド、クリームを塗らなければ尚更、「当分もつ」モンとみなせる。

 何日もつのか、というと、棚のスポンジのどれを見ても同じ姿かたちであるから確証は無いが、おそらく、少なくとも放置二日は当たり前で、三、四日もおそらくオッケーっぽい。

 スポンジ自体の保存を見据え、またクリームと馴染んだときの食感も悪くないし、と、敢えて水分の飛びやすい「薄焼き」としている、ということだろうか。――なんてことは勝手にこっちが思っているだけであり、特に作り手の意図を確認していない。単に、頓着していないのかもしれないが、…まぁ、埃にまみれ、部屋の匂いを吸収しても(といったって、菓子の焼ける匂いだが)、カビが生えるまでいかなければきっとダイジョウブ、ってか。たとえ「カツカツ」でもこのクリームを塗れば実際、「シットリ」だとか「ホンワリ」だとかの印象になっちゃうんだから結果オーライ。それに「記念日」「誕生日」等々なんらかのイベント的な会合は日々必ずどこかで存在するようで、一台まるごと売れてゆくのはママ見ることだ。ここに収まっている期間とは「埃を被るほど」ではないのかもしれない――ということにする。

 …でもねぇ。いつかくる花舞台の時を夢見ているすっぴんのスポンジたちは、まだまだ雑誌屋が開けるほどにある。作ったからにはあの子にもその子にも出番が来るハズなんだろうが、本当に夢は叶うのか、置き物として一生を終えるのではないかと、こちらが心配してしまうほどの量だ。…んなこたぁヨソに、更にまた焼き上がってきているけれども。

 なんだか自分とはえらく神経質なヒトだったのかもしれない、と感じながら、「ウマイね」とまたひと口頬張ると、「でしょ、」と笑うアリーナさんをはじめ、一同。

 

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たこ焼き姉妹 ~ロンスエン・ベトナム 

「これ、食べてみて」

 無垢、とでも言い表せる柔らかい乳白色。ちょっと触ればフルフルと揺れ、その表面から中身があふれ出てしまいそうだ。

 親指と人差し指で作った「オーケー」よりもひとまわり大きいか。オセロ玉二つ分程度の円形で、横から見るとピンポン玉を三分の一ぶった切っような、浅いお椀型のシルエット。下(底)が球状の部分で、平らな面が上。だから皿の上では少々傾いている。

幾何学的でシンプルな外観は、窓辺に飾る置き物であってもべつにいいぐらい「静的な物体」にも見えるが、「表面張力で少々こんもりした上の部分に少々まぶされた生々しいネギが、間違いなく「食べ物」であることを訴えている。

 けれども、ほかに分かり易いものはない。脂の焦げる香りが立ち昇るわけでも、肉汁滴るサマもない。初めてこれを目にするならば、「美味しそう」などと口走るよりも「なにコレ?」という疑問であり、味がさっぱり予想できずに戸惑うだろう。「ワカラン…」。だからこそ、食ってみたくなる、手を出したくなるというもんではあるが。

 ――などと想像してはみるが、日本で暮らしてきた人ならば、おそらく「アレ」をすぐに連想するハズだ。

 出来上がって皿に盛られたものよりも、それを作っている――「焼いている」場面を目にすればピンとくる。いやそれ以前の、道具を見るだけでも十分だろう。

 表面に、小さな丸い窪みが幾つか並んでいる鉄板。それを見つけたらば、焼き上がったものの説明に「円形で…」などという表現もまずしないのではないか。

 まさに「たこ焼き」である。

 ただ、日本のたこ焼き店で見るようなに大きな鉄板ではなく、フライパンのように円いかたちで、生地を流し込む「窪み」も、家庭用ホットプレートに付属しているやつよりもまだ少ない、ほんの八つしかない。また焼き上がりは「球」ではなく、窪みに生地を流したまんまの「お椀」型。

 ともあれこれは日本の影響なのか。繋がっているのだろうか――などと、関西方面の人ならば特に、頬を緩ませ想像することだろう。

が、「たこ焼き」。まさにそれを調理する姿にしか見えないにかかわらず、それに通じるような香りはなにも漂ってこず、焼きあがったものとは赤ちゃんのほっぺを思わせる、あどけないミルク色。なにをもって焼いたらそうなるのか。

 ――って知っている。

 日本以外でソレ・「たこ焼き」の調理姿を見るのは、これが初めてではない。

 ココナッツミルクである。

 ここ・ベトナムだけでなく、タイやラオスカンボジアミャンマー…ではどうだったかちょっと記憶にないけれども、ともかく東南アジアでは結構頻繁に見かけるもの、という印象であり、私はタイの屋台で初めて食べていた。

だから、味は想像できるのであるが……。

 

 

 ベトナム南部の中心都市・ホーチミンよりさらに南へ、バスターミナルからミニバンで約四、五時間。「ロンスエン」――と、ガイドブックにあるのをそのまんまカタカナ読みしても首を傾げられ、現地の人の発音からは「ロンシン」と聞こえる。メコン川下流域・デルタ地帯のさなかに位置する町だ。

 トットトットットッ……と、船のエンジン音が響く。むき出した小さなエンジンを端っこにチョンとつけた、渡し船的な小さな木造船から、もう少しゴテゴテと組立った漁船っぽいの、そしてフェリーのような大型船までが、「海」のように悠々たるメコンに紛れるよう、遠くに近くに漂っている。

 旅で一番オモシロイはずの場所・「市場」は、そのメコンに沿って広がっていた。

 幌屋根の下では、野菜や果物が山を作り、パラソルが連なる処には、タライに入ったメコンの幸が所狭しと並べられる。やはり賑やかなのはこの魚エリアであり、跳ね飛ばされる水しぶきが太陽の光にキラキラと輝く中、そこかしかこで客と売り手が滑舌に値段交渉をしている。

 そんな中を喜々と練り歩いていると、突然彼らの縄張りに紛れ込んできた旅人に対し、えらく人懐こく、いい笑顔を向けてくれる人たちに出会った。

 

 コーヒーを飲んでいると、「食べてみてよ」と勧めてくれたのは、そのなかにいたベーさん・ヴォンさん姉妹。

 彼らが商売にしているのは「たこ焼き」。円いの一つ、小皿にのせてくれた味見用をスプーンですくい、いただいてみる。

 口に近づけるに連れて仄かに漂ってくる甘い香りは、あぁ、そうそう、「ココナッツミルク」だ――としかし確認する間もなく、噛んだような飲んだような、よくわからないままあまりにあっけなく、それは喉を通り過ぎてしまった。

 極限、といえるほどにトロトロだ。

 それが漏れ出てきたと思ったら、溶けてどこぞへと消えてしまうような感覚。豆腐よりも柔らかく、…「卵豆腐」。いやまだ柔らかい――寒天の分量を最小限にして作った、「杏仁豆腐」。または、……そうだ、「白身」だ。温泉卵、或いは半熟も半熟で焼いた目玉焼きの白身。あの絶妙なトロロん具合にも似ている。

 半分だけ齧ってみるつもりだったが、トロンが垂れ落ちてしまう前にと、吸い込むよう慌てて口に入れる。

あっというまに――とはいえ、シャワーを浴びた人とすれ違った時のように、残り香のようなものが留まっている。……悪くない。いや「悪くない」どころではない、美味しかった。…どころでもなく、「ものすごく」オイシかった、という気持ちが残像のようにある。

 甘い? 甘味はある。けれども、そこまであからさまではない。

正直、もはや驚くには値しない味だと思っていた。だが初めてソレを口にしたかのように、目ぇ見開いてびっくりしていることが意外だ。

……改めて、ちゃんと「一人前」を食べてみたい。

 

                        (訪問時2006年~)

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  吟味と葛藤 ~サワンナケートのカオチー⑤

 ヒトが仕事しているって中、一人だけイスに座るっていうのは憚られるのだが、しかし座んないと、目を光らせて「座れっ!」――よけい気を遣わせてしまうらしい。

作業の合間に飲む水を、私にもすすめることを忘れない。あぁ、私はただ見てるだけなのに…と申し訳なさを感じつつも、せかされてコップに口をつける。そのとたん、キューっと一気に飲み干してしまいたい衝動がやってきて、自分の喉の渇きに気付くのである。

 ミキサーが回る以上、生地の波は間違いなくやってくる。「終わり」というものがまだ遠い先の先、であることに、何度見ても、「そういうモンだ」と悟れない。「何度」といったって、二、三年に一回、それも三日やそこら滞在する程度の私に言われてもカンに触るだろうが、見ているだけでめまいを感じるほどに、キツイ仕事だ。

――とはいえ勝手なモンで、ここの人たちが「カオチー作り」に従事し続けていること、ソレを確認するたびに、ホッといているのだ。

『見せてもらえませんでしょうか』

という、自分としては一応敬語を使いまくっているつもりの「態度」で、タイ語だかラオス語だかをメチャクチャにミックスさせ、ようやく入り込めた時のド緊張は忘れられない。この町に立ち寄る最初のきっかけとは、単に、旅を進めるルート上だったから、という気まぐれ的な途中下車に過ぎなかったのだが、ラオスのカオチーを探るその一歩が踏み出せた初めての見学場所であり、「原点」だと思っている。

 だから、ナンもせんのに勝手なことを言うな、と怒られそうだからせめて心の中でのみそう願わせてもらうが、「いつまでもガンバッテね」。

 美味い、最高、ラオス一。こんなに旨いカオチー、無くなったらみーんなが困る。転職しようなんて絶対思わないで頂戴よ頼むから――と、思いつく限りの誉め言葉を並べ立てたくなる。

 

 見て快感「クーブのめくれ」部分をつまみ、引き千切ってみれば、湯気とともに立ちのぼる香り――は、ソレがまだ「生地」だった頃にも嗅いだような、と、蘇ってきてハッとする。

「そうなんだ…」

窯から出現したそれは、まるで魔法でもかけられたかのように「別物」に変貌してしまったのではなく、焼かれる前から、というか成型時から――いや、ミキシングの時から既に未来は内包されていたのである。連続して在るものだ。「経て」、出来上がったのがコレなのだと、当たり前のことながらつくづくと思わされる。

 歯を立てる。と、さすが念入りに焼きこんでいただけあって、期待通りに張りがいい。とはいえやたらめったら「バリッ」としている風でもなく、ほどほどに、「そうあって欲しい程度」に、硬い。

白い部分・内層は、フランスパンの特徴である「大小まばらな穴」はそれほど顕著ではなく、どちらかというと均一な気泡で、ムッチリと力強い「ひき」がある。ムギュムギュと噛み締めねばならんこともないけれど、「芯がある」柔らかさ、とでもいおうか。

 日本で食べていた「フランスパン」は、まるで卵の殻のように、外皮と内層はハッキリくっきり・他人のように分かれているように思う。中の柔らかさに対し、外皮は他人のように硬い。だがここのコレは、硬い部分が徐々に中へ向かって柔らかくなる、というような、グラデーションある様相だ。

 この地の、今までの記憶が一気に蘇ってくる、「ここのだ」と確信できる風味である。

まるみのある味。何を狙っているわけでもない、シンプルだが、甘い――なんて、鼻から?舌から?どちらの感覚に因るのだろうかと、白い綿部分を唇で引っ張りながら、生地の並ぶ天板を窯の中へ差し入れ、迎える作業を繰り返す彼らを見守る。

 クソ熱い天板を、鍵棒一本、ボロタオル一枚で、お構いなしにヒョイヒョイと動かす彼らに対し、「アブナイ!」なんて口に出すのは、おままごとだろう。だからといって私でも出来そうだ、なんていうのは大間違いの大勘違いであり、熟れた桃の皮のように、ズルッとひと剥け(皮膚)は免れまい。

 そして。何か言いたげだが、しかしよく聞き取れない――そんなもどかしさを感じさせる、儚い味でもある。

 町なかでカオチー売りを見つけ、「具」をはさんでもらえるとなれば、そりゃあ何も無しの「素」(「素うどん」のような意味で)よりも、ソッチを選びたくなるだろう。「具入り」にすると値段はモチロン高くなるけれど、大抵、それに見合う満足度であることが分かっている。どうせなら…と、触手が動かでか。

「カオチー自体を味わいたい。」――で、「具入り」ではしかし、いかんのである。

意識が「具」に引っ張られてしまうのだ。「具」の旨さにかまけて、カオチー自体がどのようであるのか、その味を吟味することを忘れてしまうというか、どうでもよくなってしまうのである。

「具」と接していない部分で吟味すればいいではないか、というと、具の、香りとか脂ッ気って結構強く、たとえカオチーの端っこ部分(皮の部分)だけをちょっと捥いで口にしてみても、なんだかその匂いが既にこびりついている気がする。いったん具を挟んでしまえば最後、その風味はカオチーの細胞の中に巣くい、一体化して、分かちがたいものになってしまっているのである。

 だから、「カオチーをみる」その使命感を持つならば、「素」に徹するべきだと思う。…のだが、そうはいってもやはりなかなか、その誘惑を取り払うのが難しい……。

「朝は『素』カオチーで、昼は『具入り』にしよう。夜はあの通りに出る惣菜屋で、ご飯とオカズが食べたいなぁ…」などと考えていても、夜にカオチーの「焼きたて」が手に入り易かったりするもんで、アッチも食べたいしこっちも捨てられない、の私は、「一日の食いもんスケジュール」に悩んでいる時間が、旅の中で実は一番、多い。

 

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