主に、旅の炭水化物

各地、食風景の点描

毎晩ティータイム ~英国・ボーンマス

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チョコレート・ファッジ・ケーキ

   (ケーキ生地用)

  • 卵…二個
  • ミルク…一カップ
  • ブランウンシュガー…300グラム
  • ココア…スプーン4杯
  • 小麦粉…360グラム
  • ベーキングソーダ…スプーン一杯

〈アイシング用〉

  • バター…90グラム
  • ココア…スプーン4杯
  • ミルク…スプーン6杯
  • 粉砂糖…300グラム

作り方

〈ケーキ〉

 マフィン型にはバター(分量外)を塗っておく。オーブンは180℃に余熱しておく。

①ボールに小麦粉の半分を残し、材料全部をミキサーで混ぜる。

②残りの小麦粉をサックリと混ぜる。

③型に入れ、オーブンで十五分ぐらい焼く

〈アイシング〉

①バターをレンジで溶かす。

②その中にココアを混ぜて、再び三十秒ほどレンジ。

③さらにミルクを加えて混ぜ、そのあと粉砂糖も加えてよく混ぜる。

④焼き上がってほどほどに冷めたケーキの上部に塗りつける。

 

 大学時代、二週間ばかり英国の家庭で世話になったことがある。いわゆるホームステイだ。

英語を学びに。…ってのは口実であり、旅行者というよりはちと腰を据え「生活者」になり、その地を見てみたかったのだが、ともあれ。

ホストファミリーは三十代後半と思われる若い夫婦に、ちびっ子からお年頃までの三人娘という五人家族。…って、えぇ、いづらくないかと、ほぼ一人っこに育った私としては、ポンとその中に突然現れどう振舞えばいいのか、到着前は少々緊張かつ後悔していたが、まぁ、事前の心配というのはたいてい杞憂なもんである。

二週間という短期間だった。食事は、学校に行く月曜日から金曜日までは朝と晩、土日は三食がおうちにて提供される運びとなっていた。

朝食は牧師で教会勤めの父さんが用意する、というのが一家で決まっていた。母さんは専業主婦だが体が弱く、なんでも十二時間は眠らないと影響が出てくるとかで、こちらが学校に行くために身支度する時間・朝七時とか八時とかには姿を見せることは無かった。

もちろん娘たちの朝食分もすべてだ。といってもコーンフレークにトースト、そして紅茶という簡単なもので、なるほど調理は出来ないけど用意はできる人のメニューだが、それにしても感心したもんだった。炊事は勿論のこと、箸の用意から一切まかせっきりの、ウチをはじめ日本の多くのパパに、爪のアカでも…と。まぁ今は日本も意識が変わり、知事が「イケメンパパ」を実践して促進することを広報するなどしているけど。栄養バランスが気になるが、コーンフレークの箱につらつら書いてあるのを目にし、頭で納得することにした。

とはいえやはり実際、日々の主たる炊事は母さんが担当であり、しっかり充電したわよ、とばかりに夕食には日々様々なオカズが並べられていた。

たいてい、メインがあり、野菜等の副菜が添えられる。

メインは日替わりだ。チキンの煮込みだったり、羊肉とトマトを使ってマッシュポテトを被せて焼いた、シェパーズパイ。ロースト・ラムのミントソース添えや、パイ生地に卵混合液と具を流し込んだ、キッシュ。

時に「あ、疲れているのかも」という、ハムとパイナップル炒めという短時間に出来るものや、出来合いのコーニッシュパスティ(ポテト、肉、玉ねぎが入ったパイ)やポークパイ、魚のフライが出てくることもあるけれども、たいてい手作りされていた。うちの母がまたぼやかない日がないのだが、毎度毎度、メニューを考えるのも大変だろう。

副菜はたいてい、トマトレタス等の生野菜ときにキャベツ等茹で野菜、時に豆の煮込みで、たまにパン(夕食では食パンではなくフランスパン)が添えられる。

そして必ず、茹でたり焼いたりのジャガイモがあった。食べる前に、ゴロゴロした出来たてが必ず。さすがイモ大食の地、日本の米に相当する立ち位置だ。

そのライスはというと、おぉ、サラダの具として扱われるモンなんだなとか、イモにパンを添えるなんてダブル炭水化物だなとか、全体的に野菜が少なくて便秘になりそうな気がするだとか、つらつら思いながらも「郷に入っては」精神であれやこれや、余さずツルツル平らげていた。もともと、ハンバーグに混入されていた玉ねぎがナマっぽい、というの以外、食べ物に好き嫌いは無い人間である。

というわけで夕食時、煮炊き芳しい幸せに便乗する日々にあったわけだが、そんななか、カルチャーショックというほどでもないが、悩ましい戸惑いゴトが、ひとつ。

必ず食後には、デザートがつく。

このデザートが、いかにも「デザート」らしくツルッと喉ごしよい、例えばプリンとかアイスではない。…いや、アイスもあったが、それは「ソース」として添えらるべきものという感があったか。つまりはアフタヌーンティーに並んでもおかしくない、改めて胃を空けてから挑むようなしっかりモグモグと食むべしの、ケーキ類なのだ。

具体的に挙げると、あぁアレうまかったなぁ・真っ先に思い出されるのは、アップルパイのカスタードクリーム添え。マドレーヌ生地にバタークリームをちょんと載せた、たバタフライケーキ。チョコレートケーキ。パイナップルケーキ。トライフル。…とは、細かくほぐしたスポンジケーキをフルーツとゼリー液で固め、上にカスタードクリームをかけて食べるパフェのようなものもの。英国伝統のスコーンはいわずもがな。(…っていうかこれは、本場の家庭モノが食べたいとこちらからリクエスト)。

どれもほぼ、手作りだ。時にお姑さんが「コレは私の十八番よ」と、桃のパイや、ルバーブのクランブル(ルバーブの甘煮の上に、バターと小麦粉・砂糖で作った、砕いたクッキーのようなソボロが載せてある)を持ってくる時もある。

ケーキ型は大きく、一度焼いたら二日続いたりするのだが、昨日はカスタードクリーム添えだったが今日はアイス(これは市販)を添えて、と変化をつける。アップルパイも、中に入れるりんごの甘煮が余ればそれだけを、アイスかカスタードクリームかの二択をたっぷり添えれば、「皮」が無くともそれはそれで、立派にボリュームのあるデザートになった。もっと「デザートらしい」・つまり口どけバージョンをあげるとするなら、ファミリーサイズで買いこんであるアイスをドンとテーブルの上に持ってきて、取り分ける。今日は作る時間が無かったんだな、と思っていると、クッキーをグラスに分けたアイスに突き刺してくれて、「歯応え」がついた。…あぁ、これを、焼いたんですね…。

どぎまぎした。

テレビを見ながら、みかんをコタツでホグホグむくというのとは異なる。ってべつにミカンを見下しているわけじゃないんだけど、それらは紅茶かコーヒーを添え、じっと見つめて口に入れたいケーキ類だ。それを食後に毎日というのは、連日レストランにいるようなものであり、贅沢三昧をしているような罪悪感…というよりも、要はダイエット問題に取り組む真っ盛りのお年頃。晩飯のあとに果物を食う、という習慣ならば、高校時代まで我が家にもあったものの、それより後は「果糖は太る」という情報に惑わされ拒絶していた。

体重がチラつかないわけはなく、いいのだろうか、いいのだろうか…と、罪の意識を募らせる。だが出されておいて、「太るから明日の朝に食べる」など、とても言う神経はなかった。当時そういう言葉がはやされてはいなかったが、まさに「空気を読み」従い、恐る恐る歩み出るのみ。…したれば、舌から来る官能に、ココロはバラ色大歓迎で喜んでいる。…でも、と困惑もぬぐえず、心中は複雑模様でがじがじだ。

紅茶と共に口にするとこれまた、グルタミン酸イノシン酸の相乗効果的に勝るとも劣らない旨さがあった。まさに紅茶を飲むところであり、その為に存在しているような累々たる菓子。それらとの日々の接触は、私の中にピンと張ってあった線を弾き、弾き…、やがてプチンと切ってしまったのである。

夜にケーキを食うという「ダイエットの禁」を犯すことは背中に重く、頭から拭い去れない。だがこれをあえて無視することの意義とは?人生一度しかない。ここに存在しているのは今、この瞬間しかないのだ――なんて思ったらもう、牙城は簡単に崩落である。

晩のティータイムが楽しみで楽しみで、おかわりまでかかさなくなってしまった。滞在日が最後に近づく頃にはケーキ三つ目に手を出すようになっていた。また私自身が「菓子作りが好きです」などと言うモンだから、母さんは作る時に声をかけてくれて、コツなど交えながら見せてくれる。こうなれば輪をかけて喜び、大食いせねばならないと、たった二週間で私は「丸くなったね」と言われて帰国したのである。当然の帰結だ。

 

チョコレートケーキは、その日々うちの一つだ。バターケーキ系の配合であり、マフィン型で小さく、ひとつずつに焼き上げられている。

 作り方は至極簡単。説明書きそのままに、これでいいのか、というほどにぶっきらぼうというか大雑把。半量とはいえ小麦粉も一緒に電気ミキサーで回すぅ?――でも出来上がりはちゃんとケーキになっているから、『小麦粉を生地と合わせる際は、卵の気泡を消さず、かつ粉のグルテン(粘る性質)を出さないように、サックリと慎重に混ぜなければならない』…云々の、ケーキ作りといって眉の下がる、あのクソ細かい神経遣いとは果たして何だろうかと呆気にとられてくるが。

 砂糖の量におののく。また粉のわりには卵が少なく、膨らみはベーキングソーダの力に因るのだろう。

で、なんといってもこれに仕上げとして、「アイシング」をミニケーキのトップに富士を覆う雪よろしく塗るのだが、これがまた、ひぃ、と網膜剥がれる思いのするバターと砂糖の量である。ホットケーキの上に、四角いバター塊を載せることをじっとこらえる乙女たちは直視できまい。生地に含まれるだけでも相当なのに、たかが飾り、されど…。

そりゃ全部ひとりで食べるわけじゃなく、全量まるごと体に吸収されるわけじゃないんだけれども(全部で二十個弱)、グラムw見るだけでやけっぱちな気分になるようだ。そしてこれがまた、TEAに憎らしいぐらいにぴったりなのである。

体調への影響は果たしてどうだったのか、お母さん。たまには買ってきたものも出したかったんじゃないかと思うが、「作るの好き」と言ったばかりに、体を押して作って見せてくれたのではないかと、メモを振り返ってみてつくづくと。

せっかく頂いたレシピだ。ならばその誠意を汲み、砂糖控えめなどせずにそのままを再現すべだろう。…けど清水から飛び降りる覚悟が、そう何度も出来ないというか、まだ一度しか試せていない。