主に、旅の炭水化物

各地、食風景の点描

成形演奏会 ~ ディヤルバクル③

f:id:yomogikun:20190116054703j:plain

「窯」に隣接された、タタミ一枚程の成形用台の上には、手粉がたっぷりと振りまかれている。一見、おが屑を連想するその薄茶色は、「ふすま」のみなのだろう。つまり、小麦を小麦粉へと製粉する際に、白い粉となる胚乳から分離される「外皮」部分である。この粉末を数割混ぜ込んだ「全粒粉パン」などは日本でもお馴染であるが、それが、まるで砂丘の砂のように非常に細かく粉砕され、特に台の角っこ部分、好きなだけ使えとばかり盛られている。

Mさんは、奥の間から妖精Nさんによって放られた生地の一つを、片方の手のひらで上からペタっと押さえる、と同時に貼り付けて、そのまま持ち上げて自分の正面に連れてきた。おぉ、吸盤。

今度は両方の手のひら・それも小指側を少々立てるようにして生地を押さえると、そのまま中心から左右に「グイッ」と引っぱるよう、大きく広げる。感じとしては、ストッキングを履く前に、中に手を入れて広げる「グイッ」である。それを九十度回して、また同じように左右に「グイッ」。またまたもう一回ぐらい「グィッ」と、さらに伸ばす。

生地がべっちょりしているから、つまり水分多めに柔らかく仕込まれているからこそ、「伸ばし」もやり易いのだろう。…というか、「この為に」柔らかい生地である必要があるのでは、と気が付くのだが。

グイグイさせたら、結果、縦長の台形というか、「なんとなくダルマ」の形になっている。そうしたら、表面に模様付けをする。

まず傍らの洗面器の中に入った水にサッと手のひらを浸し、生地の表面全体を撫でて濡らす。これは手粉ならぬ「手水」である。

生地の縁部分は、伸ばし広げた際、手のひらのとっかかりというか、引っかかり部分となっていたから必然的に太い。その太い部分のふもとを、手のひらの側面(小指側)で、スッと線引くように跡をつけて、「縁」を明確にする。何を連想するかと言えば、「坊さん」。「合掌」の片手というか、お坊さんが念仏を唱える時の、空を切る手の動きっぽい。

それを、縁一周。これで、はしっこが太くなったのは成り行きで、という言い訳的な曖昧さは消え、「『敢えて』そう成形した」と明確に意思表示される格好となった。

この「額縁」をつくる場面は、「平型」を専門に焼くたいていのフルンで、わりあい丁寧にされているところをみると、芸能人は歯が命というような、押さえるべきポイントではないかと思われた。ラクガキのようだが、立派な「額」に入れてみたらマンザラでもない絵画など、シロウト的額縁一般論を思ったりもする。

「額縁」ができたら、次はその内側。

ダルマのど真ん中に、縦に一本の線をスッと描いたら、またそのど真ん中に、今度は親指以外の指先を、横一列に「トン」と押し付ける。と、つまり縦線と直角の「点線」ができる。

今度はそこを基準に、先ほど付けた額縁線との真ん中部分(全体では四分の一の部分)に、「トントン」と、生地に穴が開くぐらい、しっかりと跡をつける。ピアノを弾くように。

 

f:id:yomogikun:20190116054815j:plain

 

額縁の中には、点線で仕切られた四角が出来た。二つ×四つの、全部で八つ。

これが一人分。…かどうかは知らないが、おそらく「一人でなんとか食い切るだろうサイズ」であり、このフルンでの「小」サイズ・生地三百グラムのものである。倍の六百グラムの生地には、四角が「五×三」の十五個となる。

 跡を付けておいた「額」のふもとにも、念押しのように、改めてもう一度「点線」を押しつける。これで、よし。

なんだか、タイルみたいだ。…タイルだろうか。イスラム教の礼拝堂・モスクには、芸術的なタイル装飾で知られているところが多々ある。それとの関係は?

ところでこの作業は模様付けというほかに、生地に跡を付けて空気を抜くことで、焼成による膨らみを防ぎ、平たい形を維持する為でもある。トントンしていない部分だけが(膨らんで)浮き上がり、結果ダウンジャケットの「モコモコ」のように焼きあがる。

ちなみにこの店には、あともう一種類、青空に靡く「幟」のような、長い長い平型パン、というのがある。この成形は、両手のひらをまさに吸盤にして生地に吸着させ、左右に目いっぱい引き伸ばせるだけ、ストレス発散とばかりに引き伸ばすもので、この場合「トントン」はしない。窯の中で、生地は熱によって膨張するものの、「ダルマ」とグラム数は同じだから当然生地は非常に薄く、膨張の形状を固定できずしぼんでしまう。そのしぼんだ跡が、かえって焼き上がりにたわみ、しなりを生み、まさに布のような感触をもたせるのが面白い。

とはいえそれは、仕込み全量の一割程にすぎない。圧倒的多数は「ダルマ・モコモコ」タイプであり、また、ディヤルバクルにおいてどこのフルンの平型も、同じスタイルで主流であることは、共通していた。

「一点入魂」とでもいうべき、指先トントン――これが、成形作業の「基本」。

生地の数は膨大で果てしないものの、成形係・Mさんのその視線は、どんな波の前にも揺れることなく、常にそこですっくに佇む灯台。冷静な面持ちで、トンと押すその「点」一つ一つと向きあっている。

「トントン」ぐらいできそうだ。ただ押してりゃいいのでは――なんて考えは、愚かだ。表面いっぱい、星空のように押しつけるとしても(またの機会に触れるが、そういうバージョンもある)よく見れば実は整然とした列が存在するようで、そこには「世界」が存在している。トントンしながら、今日はハンバーグが食べたい、などと考えて時間をやり過ごす余地などきっと無い、集中力の現れだ。

――三十半ば、といった感じか。長身に、白く長い前掛けがよく似合う。細身だから華奢なようにも映るが、この生地の波は、相当な持久力を保持していなければやりこなせるものではない。それは他のメンバーと同じだ。

そこそこオデコが寂しくなりかかっているこの人は、なんというか、非常にスマートな雰囲気がある。仕事中は、狼狽えたり焦ったりすることなどまるで知らないようなクールな表情に常にあり、その作業は手早くも丁寧、几帳面なところが、生地にちゃんと映し出されているのだ。ふと、戸棚の中も机の引き出しの中も、キチッと整理整頓する――そういう人が「成形」担当には向いているのかもな、と思った。(他のメンバーがそうじゃないわけではないだろうが。)食べ終わったお皿もそのまま放ったらかしにはせず、台所までちゃんと持っていくような気がする――ってさぁ知らないけれども、そんな姿が浮かんでくるのは、正直近づきにくい雰囲気があるんだけれども、思い切って話してみると、アラ意外と、であるからだ。いつもぶら下げられているよう感じていたカーテンはサッと消え、実は面倒見良さそうな爽やかな笑顔とともに、必ず反応してくれるのである。たぶんこういう感じは、モテてたろう…。

それはともかく。

考え無しのド素人(つまり私)が、「トントン」音だけ出してやってみたものとは、歴然とした差があるのはやってみる前から明らかであり、言わなくても分かり切っていることだが、だからこそ口に出してしまう、「…プロだわ。」の、ひとこと。

                              (最終訪問時2013年)

 

詳細はこちら↓

ディヤルバクルのフルン.docx - Google ドキュメント

 

にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村