主に、旅の炭水化物

各地、食風景の点描

「餅」の楽しみ・回教系① ~西安

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イスラム教は中国で回教・或いは伊斯蘭教と表される。(ここでは回教と呼ぶことにする。)中国でイスラム教徒といえば、まず中国西部・ウイグル自治区に住まう「ウイグル人」が思い浮かぶだろうか。ほぼイスラム教徒であり、中央アジアのトゥルク系民族に起源をもつ彼らは、ひと目見て漢民族とは異なる顔つきであることに気づく。文字も漢字ではなく、独自の言語体を持つ。

とはいえ、彼ら・ウイグル人に限るというわけではなく、中国におけるイスラム教は、唐の時代(618~)より中央アジアやペルシア・アラブ等西方からやってきたイスラム教徒たちと、漢民族、或いはその他の少数民族が混血してゆくにつれて改宗者が増え、この地に定着していった歴史がある。

その過程でイスラム教を信仰するようになった民族は、「回族」或いは「回民」と称されるが、当時、青島から列車で移動した私は、西安に到着してその姿がえらく多く目立つような気がした。その目印とはやはり、男性ならば、お茶碗を裏返したような白い帽子であり、女性ならば頭に巻き付けたスカーフ。

イスラム教の故に、食もまた反映される。

辺りには羊肉の匂いが漂い、「清真料理」の看板がよく目につく。「真清」はイスラムの料理を指し、その特徴としては、禁忌とされる豚は一切使わず、羊肉をはじめ鶏肉、牛肉等の食肉は、祈りを捧げた後に屠畜されたものが使われること。なかでも羊は西方の遊牧民にとって貴重な家畜であり、イスラムにおける祝祭日・犠牲祭においては神への生贄として捧げられるものだ。

都市、いや州、いやいや「中国」と区切る境界線が消え、頭の地図が広がる。シルクロードの要所でもあるこの地から、西方に続くイスラム圏がうっすらと見えてくるようでもある。

そんな西安において、イスラムを漂わせる中国の「餅」文化・そのうち、僅かばかりを挙げてみることにする。

 

 1・「まるで餃子」

 

 中で火を焚いたドラム缶の上に載るのは、直径一メートル近い平らな鉄板。その上から、大きなやかんの湯か水かが注がれれば、予想通り「ジャアっ」と音が弾けると同時に、玉手箱でも開いたかのように一瞬で蒸気が上がった。

見とれるもつかの間、その魔法を押しこめるよう、これまた大きな木蓋を即座に被せる白い腕――は、エプロンを巻き付ける、髪を逆立てた青年。つまみが円の直径に出っ張った、うちに昔からある落とし蓋と同じ型だが、なんせ巨大だから五右衛門風呂用のようで迫力がある。

…いやそのことよりも、である。それは「焼き餃子」じゃないのか。

丸椅子に腰を下ろし、テーブルを埋め尽くすお客たちがその箸に挟んでいるのは、鉄板に敷き詰められたなれの果て。いやワシはワンタンメンがいいので、などという人はない。脇にスープのような小丼をお供にするかどうかはまちまちのようだが、そう大きくはない皿に丸いのが五個、無造作に散らばっているソレが、ここが目的地となる理由らしい。一口サイズ、…ではちょっと大口だろう。

 暫しの後、華奢な腕が再び伸びて蓋が完全に裏返されると、「やっと」と、待ちわびたように蒸気は宙へと吐き出された。「オカズ」の匂いが強く漂い、勢いを落ち着かせたあとにはっきりと姿を現したのは、――「餃子」。

とはいえお客の前のそれらのように、三日月ではなく、ヒダも寄っていない丸い形だ。小籠包よりもやや大きめというところか。中身が見えているわけでもないのに、具の存在が確信できるホッコリ感。菓子屋の大きなせいろに並ぶ蒸し饅頭のように、モコモコとした小山が天板を埋めている。

ぱちぱちぱちぱちと、油の撥ね散る音が鳴り止まない。側面が妙に蛍光がかっているのは、油に浸かっていましたことを示しているのか。やかんから注ぎ足していたのは水ではなく、実は油だったのかも、なんて思うと躊躇が走るが、きっと鉄板に接した部分は、燦然と輝く黄金色であることが、裏返さずとも信じられる。…ってお客たちの皿の上を見やれば、コロンと転がったその底面に、パリッと脳内も弾けそう。と、食い千切っているその中から、茶色い具が見える。

 三十個、いや四十個、いやもっとあるだろうか。ミニスコップで土を運ぶよう、それ用のヘラを、焼き上がっているそれと鉄板との接触面に滑り込ませ、隣同士少々くっついたままに数個を掬い取ったなら、隣にある大皿へとドサッと放る。それを何度か繰り返して鉄板の上全部をさらい終えたなら、その跡地に「次」をホイホイと並べ、一面を再び埋めてゆく。

 朝である。入口など区切られていない、まるごと開けっ広げられた店内は学校の教室の半分もなく、人が収まり切れずに通りにまでテーブルが広げられていた。

見たところ、家族・三世代で切り盛りする店だ。一番深い皺を湛えた「おじいさん」。そして、青年の「お父さん」と、同程度の皺具合にある、その兄弟「叔父さん」。年配の男性陣は「イスラム教徒なのでしょうな」の目印・白帽子を被っているが、一家の長老とおそらく釣り合う年齢の「おばあさん」が被っているのは「コック帽」。イスラム教徒ならば女性は布を頭に巻き付けているイメージがあるが、じゃあこの人は、お手伝いの近所のヒトだろうか。それともコック帽でもヨシ、ということだろうか。

そしてもうひとり、どっちの息子だか知らないけれども、皿帽子を被っていないのが鉄板前に立つ青年。ツンと立て、少々茶色に染まった髪は何らかの主張・反抗期の表れだろうかと思えど、頭を垂れ、もくもく慣れた手つきで作業をこなす仕事っぷりは、流れを滞らせるつもりは毛頭ございませんとばかりで、ひたすらに「真面目」だ。「染めてみたけど、どうかな…」と、芽吹いたおしゃれ心で顔を赤らめながら鏡を見る、その姿が妄想されてきて、可愛く思えてきた。

 とそれはともかく、やっぱり「餃子」に見えるわソレ。

――というのは、だ。訝ることもなく「餃子でしょう」と一発脳は判断するんだけれども、ここは中国。当時「初中国」であった私は、頭の隅に入れてきた参考書の豆知識が、スルッとそう断定するのを阻んでいる。

私、そして私の周辺の人々(つまり日本人)が「餃子」と何気に口に出す時、それは特に但し書きせずとも「焼き餃子」を意味している。だが皮のパリパリを愛でるそれ・「焼き」餃子を「フツウ」と見做すのは、日本ならではであり、中国で「餃子」と言えば、もっぱら茹でる「水」餃子のこと。「焼き」を食べないことはないが、水餃子の残りでやるもんらしいのであり、…なんか仕方なしに処理された「焼き」の姿というか、不憫な立場にあるらしいのだ。ちなみに、「蒸」餃子はというと、これは私らが中華の店で「エビ餃子食べたい」「小籠包ある?」とワクワクしながら注文するようなもので、つまりちょっと頻度が薄まる、「タマには」的な位置といえるか。

ともあれ、中国で一般に「餃子でも食うか」とシレッと言う時の「餃子」といえば、以心伝心・暗黙の了解的に「水」餃子。家庭で作るという時も、当然ソレを指すのが普通。

 …でもソレ、「焼き」餃子に映るのだが。

ヒダヒダした「あの形」じゃないだけだ。遠目に見ても、「残り物」…ということはまぁ、店だからまかり間違わない限り無いとは思うが、次かその次かと鉄板行きを待機している、脇のトレイに並んだ丸坊主たちは、「すでに茹でた後」には見えない。手に、或いは生地同士で引っ付いてしまわないようにとの配慮から、その肌には少々粉を振っているのが分かる。はじめっから「焼く」のを目的とした、それは「ナマ」の状態だろう。

空く時間など見えてこないテーブルに、果てしない数の成形が必要であろうことは想像に難くない。「お母さん」の姿が見えないが、裏方でそれに徹しているのだろうか。息子君は、トレイの上にあるナマのそれを、惜しげもなく一度につまんでは、サッサカと鉄板に並べてゆく。

その様子をじっと見ていると、「アレ」――いまになってようやく気が付いた。私の言う「餃子」・つまり「焼き餃子」もまた、「焼餅(シャオピン)」の一種ではないのか、と。

「焼餅」とは、繰り返すが要は小麦粉製の「おやき」。捏ねて形作った生地の塊を、その種類によって大なり小なり丸く成形し、鉄板で(タップリの油を使って)焼き上げたものだ。生地に油脂を巻き込んでパイのように「層」を作った「千層餅」や、葱を紛れ込ませたた「葱餅」等もこれに含まれる。そして、実際、肉や野菜を混ぜた、まさしく餃子にもよい「具」を包んだ「焼餅」も見かける――たいていの場合、アンパンのような大きさだから発想しなかったものの、あれも「餃子」と似たようなものではないか。円盤型の巨大餃子とでも言えないか。そもそも小麦の生産する、小麦粉モノを食べることには非常に長けたところの人たち。「具を包んで焼く」ということぐらいワケないことだろう。

そうよねぇ。「餃子」、食べないハズはなかろうて。

――とはニヤけたものの、さぁそれはどうだろうか、と天の声が響いた訳じゃないけれども。

なんでも中国において餃子とは「縁起もの」。昔の「貨幣」を模しており、「春節」・つまり旧暦の正月にソレを食べることで、一年の幸を願うという。或いは結婚式だとかなんだとか、祝い事があれば登場する、「ハレといえば」の定番である。(日本で)正月に小さな団子を三角錐に重ねても「鏡餅」(米のモチ)とはいわないように、「似たようなもん」では済まされないのであり、「ふざけたこと言ってんじゃありません」と一蹴されるに違いない。餃子も小麦粉製品だから、モチロン「餅」の範疇ではあろうが、そのうちの「餃子」の定義を満たすからこその名称。

 ともあれ。 

看板はなく、品書きもない。「そんなの書かずとも分かるでしょう」それだけしかないんだから、という、モロに地元の人間だけが通う食堂である。確かに気まぐれに入った小さな路地に、偶然見つけた場所であり、目立つ佇まいでも全然ない。…けれどもこれだけ人が寄ってたかっているのを前に、私にはもはや見過ごすことはできない。素通りするなんて勿体ない。町のど真ん中にある立派な鐘楼よりも、大きな大きなインパクトがある。

ヨソ者の自分にとって、喉から手がビヨヨンと伸びるほど欲しいモノ・旅に出たかいをひしひしと感ずる喜びとは、「地元の味」にタッチすることだ。

何だろうか。どう呼べばいいのだろうか。

「餃子っぽい」ものを注文しようにも、店の一家は忙しさで下ばっかり向いている。とはいえ、「あのぅ」という、その呼びかけ方も、まだイマイチつかめていなかった。突拍子もない発音となり、「あ!?」と訊き返されて目立ったところで店内の客の目が一斉にこちらへ、なんて風になったらヤだなぁ――とか、ストーリーが脳内で進行し億劫になる。客のほぼ八割方がオッサンで占めている、というのもドスがきいていた。

なかなか内側に入る勇気が湧きおこらないが、ここで引いてはのちのち宿のベッドの上で、意気地なし、臆病者と目を潤ませ、眠れない夜を過ごすことになろう。まぁヒマな旅行者は一日や二日で慌ただしく町を去ったりなんかしないから、また明日来ればいいんだけれど、でもここで引いたら負け犬だ――って、私が「意地になる」とはこういうところなのだなと、ふと思う。

何を第一声に発すべきか迷いのままに、とりあえず、配膳をしている店の「おじいさん」にフラフラと近づいてみる。皿をひとつ配り終え、ひょろっと痩せた背中を向けていたものの、気配を感じたようで突然パッと振り向いた。ぎょろりとした目にドッキリ、とっさにその額に食いこむ皺の奥へと視線をそらしつつ、人差し指をつきたてて意思表示のつもり。

「一皿」。或いは、「一人分」ください。まぁ、そんな感じで。

すると、「ここに異星人が!」なんて声を荒げることなど全くなく、おじいさんはウンと頷いてくれたことに一瞬で安堵した私は、次に「ココ」と指を逆さに向け、ひとつの席を差した。わかった、などというサインはもはやなく、一直線にドラム缶の元まで戻り、次々と大皿に焼き上がっている中でもソレ・いま鉄板から剥がしたてのまさにソレ欲しい、というやつを、一皿に五個載せてこちらに持ってきてくれた。なんと、あっという間に、望み通り。コトが難なく進んでゆき、あっけなくも素直に嬉しい。今日の運はこれで使い切ったとしても悔いはない。

値段は、一元。(一元=当時約十五円)

焼き立てを逃さず、さあ食うべし。

殻のようにピッと張った焼き目をしげしげと見つめながら、箸で持ち上げ、齧ってみた。皮のパリッパリは、おお、快いまでに「尖がった」感。しかし鉄板と接触していなかったであろう部分は、水餃子のようにモチモチと弾力がある。破れた部分からその中身をじっと見て、再び齧る。

肉、春雨、葱を、シンプルに塩味で炒めるなどした後、包んであるようだ。シンプルとはいえ、「オ、」と通り過ぎてゆくのを振り返らずにいられないのは、やはり羊肉の風味。さすがイスラム圏、やっぱり「肉」と言えばコレなのだ。まぁ、入っているのはソボロ状のがポツリポツリで、ボリュームとしては春雨の方が勝っているのだが。だがこの春雨が、肉や調味料を一手に吸い上げて全体に広げるといういい仕事をするもんであり、カサ増し目的としては実に正解な存在なのだと感心した。

鉄板担当のボクが顔を上げ、よそ者への怖れを孕んだ目でこちらを見ている――んじゃなくて、そりゃ熱いだろうに、水を飲む。そうして黙々と、ひたすら鉄板と対峙するのだ。木蓋が開かれること何度目か、焼けた端から、皿にホイホイ積まれてゆく「まるで焼き餃子」たち。その度に、下になったヤツはパリパリ部分が熱でふやけちゃうんじゃないか潰れちゃうんじゃないか、と少々気になるが、それから間を置かず次から次へと運ばれてゆくから、まぁダイジョブねとの次第となる。朝のピークは回転が飛び切りによく、焼き立てにありつけることも難くない。

壮観である。別にひとりじゃなくて、「何人がかり」でもってその数を減らしていっているのだが、「よく食うなァ」…人間とは食わねば、ということを実感する街の一角・朝の元気付けにいい光景だ。

「おばあさん」は見かけないよそ者に訝しげな目を向ける――んじゃなくて、遠慮もなく大あくびののち、腕をパワフルに回す。忙しさにお疲れだ。

私は自意識過剰を鎮めるように、食を進める。

それ自体は無味な春雨のはずなのに、紛れ込ませると何故かこいつの存在が一番嬉しいかもしれない。

                               (訪問時2002年)

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