んんんんん、と、揺さぶられる。
焼き立て――となると、特に腹が減ってもなくとも、惑わされる。
「お焼き」か。ジュワァァァ、パチパチパチ…と、油の音が耳を引っ張った。駅の改札口前でやっている「大判焼き」よりは一回りぐらい大きいのが、水溜りのような油に浸かり、飛沫を上げている。
早朝、オジサン一人と青年二人が、道の脇でパフォーマンスを繰り広げていた。
それはビルマでもポピュラーな、「インド的スナック」の一つとして紹介されるように、作り手である彼らの肌も、かの地を想起させるいい色だ。顔の彫りも深い。鉄棒で空中大回転しても、工事現場で柱一本担いでいてもおかしくない、タンクトップから出ている肩・腕のたくましいこと。カッコイイじゃないか。
鉄板係、兼、接客係を引き受けているお兄さんが、二本のヘラを駆使して「おやき」をひっくり返しながら、「いる?」という顔を向ける。ウンと即答したいのはヤマヤマだが、「どうしようかな」と、悩んでいる表情をしておいた。いまスグ包んでもらっても困る。「見たい」。そのあとで、アツアツを食べたいのだ。
四、五人用ホットプレートぐらいの、丸い鉄板――だが、底は真っ平ではなく、横から見たら器のようにもなっているのだが、鍋といえるほどに深くもない。それは中心に向かって、車いす用スロープのように緩やかに凹んでおり、鍋のフタをひっくり返したように、浅い。って、フタなんじゃないかソレ、と思うんだけれども、フタにしては鉄である必要がないから、やっぱりちゃんとそういう方向で使う、そういうもんなんだろう。
(鉄板の)製造過程で、何か間違えたのだろうか思わずにはいられないのだが、見ていれば、その曖昧さもわからないことはない。
深くなっている鉄板の中心部分に油がもやもやっと溜まる中へ、傍らのおじさんからから「ホイ」と、ミニホットケーキ大の成形された生地が投入される。生地は一センチ程度の厚さが四割五割浸かる程度の、「揚げ焼き」となる。
暫くしたらひっくり返して、もう出来上がりという時になったら、それを鉄板の「ふち側」に・つまり傾斜の高くなっている、油の溜まっていない部分へとヘラで寄せ、その斜面を利用して余分な油を下がらせるのだ。
揚げて、かつ油切りもできるし。もちろん炒めることもできる。
便利ではないか、ソレ。
ちなみに火元は、薪である。ドラム缶のような中でメラメラと炊き、その上を塞ぐように、スポッと鉄板を置いているのだ。
アルミかステンレスか、タタミ一畳分ほどの台・テカッテカに滑りがよさそうなその表面には、既に丸められている、た大人の握りこぶし大の生地が幾つも並んでいる。成形係の二人はテーブルを挟んで互い違いに立っており、作業をキッチリと分担していた。
鍋から遠い位置に立つ、若者が先発である。
ボール状の生地を、まずは大きく広げてゆく。一つ取って、手の平で台に押し潰したらその端を持ち、ペチン、ペチンと台に叩きつける。持つ位置を変えながら、やがて宙にあおりもしながら、衝撃とぶんまわされる遠心力を利用して、それを薄く薄く広く大きく伸ばしてゆくのだ。その動きは、シャボン玉が空中で揺らめくようなスローモーションにも映るのだが、シロウトでは、裏を剥がしたばかりの「湿布」に時折起こるように、生地と生地がピトッとくっついてダンゴになったり、しわが寄ったままになったり…と、舌打ちを免れないだろう。
勢いに乗った生地は、しまいには「膜」のように向こうが透け、寿司の宅配皿六人前ほどの大きさにもなった。クッキーの生地を伸ばす時のように、めん棒をゴロゴロと転がすだけではこうは出来ないだろう。「技」があってこそ、である。
だが、勿体ないことに、それを「湿布」にしてしまう。
傍らにある、仏具の「チーン」のような容器の中にチョッと指を突っ込んだら、手をそのまま台に貼りついた生地の上に翳してツぅ…っと「液体」を滴らせ、ピッとキレよく振る。大匙一杯分ぐらいだろうか。それを、掌で生地の表面全体に塗り広げた。
台のテカりは、このせいだ。「油」である。
生地表面に爪をたて、一部をサッと撫でると、「成敗」とばかりに切れ目が入った。その部分をとっかかりに、扉をパタンと閉じるよう生地を折り畳むと、まっすぐではないけれども帯状となる。それを端からくるくると、というかクシャクシャに巻き、小さくまとめてしまった。
せっかく、あんなに広げたのに…。
とはいえ、前の「ボール状態」とは全く違う。油が、薄い膜となった生地の表面に塗られて、それが複雑に折り畳まれている――つまりこれは「パイ」である。生地と油との「層」が、出来上がっているということだ。
油まみれで肌の潤い抜群のそれを、向かいに立つ相方――鉄鍋近くに立つ、キャップ帽のおじさんが、手に取る。
両指の腹で押すように、広げる。複雑に畳みこまれた生地はそれほど伸びず、ただ扁平に潰している、という感じだろうか。船の上で、網をよいこらせっと持ち上げるような、漁師姿が似合ういいガタイのおじさんだが、生地を触る指は、正座をついて「ようこそお越しくださいました」の女将のように揃い、なんか優雅だ。
そうして平らになったら、そのまま油に――鉄板中央あたりに入れ、そこからはヘラを持ったお兄ちゃんの出番となる。
過不足のない、完璧な連係プレー。
何個もペチペチを見ているうちに、「成敗」の切込みは(中心から)ズレた方がいい「帯」になるのだな、とか分かってくるし、テカる油に「大匙一杯何キロカロリー」などとイチイチ思うことなく、単なる水と大差ないもののように見えてくる。だってどうせ、たっぷりの油で、揚げ焼きするのだ。
気が済んだ。
じゃあ、ひとつ買おう。
ザラメが振ってある。が、砂糖のとは別に、油をしっかり使って焼き上げたことの甘さがある。層がしっかりと出来て、パラパラとしてはいるのだが、膜一つがビヨンとしなる。
インドにおいては、これはカレーに添えられる。が、ご飯が主食のビルマだ。砂糖を振りかけて食べるという点、やはりこれは「スナック」の位置にある、ということか。
かの地を思わせる人たち。とはいえ、彼らはビルマで生き、暮らしているのだ。