主に、旅の炭水化物

各地、食風景の点描

豆乳おばさんとドーナッツ②~バンコク

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豆乳おばさんとドーナッツ①~バンコク

 

触らずとも手の指をぬめらせてくる、ベットベトそうな見た目。大きさは、「メンコ」…で分かりづらければ、「ポタポ○焼き」などの煎餅ぐらい。色は「鶏の唐揚げ」のような茶褐色で、荒れ肌を晒している。丸いといっても辛うじてのマルであって、楕円とも違う、歪んだ――言うならばジャガイモのような輪郭だ。

膨らんではいる。厚み二、三センチはあるが、これまた均一でなくボコボコしており、重ねて積んであるから「へちゃげている」という印象を抱いてしまう。とはいえ、その頂点に置かれたものにしても同様で、なんというか、廃棄場に持っていかれたポンコツUFO、という感じ。そして、おまじないのように、表面にゴマが少々。振ったというよりも、器から零れたのが間違って付着した、というように、パラパラとくっついている。

どちらかというと、「おいしそう」という気が起こらないソレ、「揚げパン」。――だがヒョイヒョイと、なぜか売れてゆくのだ。プレーンな豆乳(具無し)ひと袋につき、三つ、四つ、というペースで。トレイの上にもう無いじゃん、となったら、後ろから「追加」がドサッとやってくる。

息子である。高校生を抜けたか抜けていないか、という歳のほどの青年がエプロンをつけている様はまるで家庭科の調理実習なのだが、豆乳おばさんからは振り向けばすぐの、三、四メートル後方の路地において、ひとりで「揚げパン専門店台」を構えている。揚げ油の入った中華鍋も、生地を伸ばす台も上手いことはまりこんだ、車輪のついた手押し式移動屋台であり、彼が、家で仕込んできたのであろう生地を成形し、揚げている。そこに行って揚げたてを買うことももちろんできる。

だが、豆乳と一緒に並べている方が、どうも売れ行きが良いらしい。納品したら一言もなくサッサと翻り、揚げている最中の中華鍋の中身をまたつつき始める。若いのに、戸惑いもなく、手慣れた動作を遠くから眺めていると、「調理実習」と呼ぶのは全く失礼な気がしてきた。

ともあれ、揚げパン単独で商売をするというよりも、母親の商売に必要な揚げパンを、息子が後方で支援している、という図らしい。

 

豆乳に具を入れただけじゃ満たされない腹具合にある中で、気まぐれの隕石が振ってきた。

指をさして「一つ頂戴」。

言うと、全てを察する観音様顔で、やはり豆乳を袋の中に淹れながら、「ん」と軽く、聞き流しているかのように愛想なく。忙しいのである。

トレイに残り少ない一つをビニール袋越しにつかみ、そのまま渡してくれた。ビニールを持つんだから安心して持てるが、ブヨブヨを想像していたものの、意外としっかりした感触で、父のお気に入りの固い枕のようにそう簡単に指跡はつかない。メンコ大(せんべい大)のわりには、結構ズシっと重みがある。吸い込んだ油の重さなのでは、という不安もよぎるものの、とにかく口に入れてみた。

手の感触そのままに、弾力がある。…などと思いながら咀嚼していると、「甘い」というのがまず分かった。

――すごく…、…美味しい。

いや、すごくってこともなかったのかもしれないと、今振り返ってみれば思うけれども、予想がマイナスだっただけに、プラスへと変貌したその飛びっぷりに、自分でびっくりしたのだ。

 

この甘さがステキだ。

タイの「甘いもの」というと、砂糖の糖度がおかしいんじゃないかというぐらいに「極」甘が珍しくないが、ただ砂糖の多い・少ないに由来するのとは違う気がする。ほんのり、儚げな…。でも「控えめ」とは言わず、「過不足のない」感じが見事だ。

そして見た目に反し、ヘニャッと簡単に萎れて丸め込まれない噛み応えが良い。唐揚げ色からすると、発酵したパン生地を使って揚げるフワッとしたタイプよりは、外側がサクッとしたケーキタイプのドーナツ(ベーキングパウダーで膨らませる)を想像するのだが、あの歯切れ良さよりももう少しスクラムを組んだ、カッチリした力がある。

食んだ断面を見てみると、膨張剤に因る縦に伸びた気泡あるが、均等できめ細かいとはいえない乱雑な穴ぼこで、火事場のクソ力の如く、固い生地をガンバッて持ち上げた努力をビシバシと伺えるようだ。膨らんだというより、躍動感。メリメリと大地を突き破る植物の芽のように。――「裂けた」と言った方が、合う。

まず想定された、「油っぽい」という負のイメージはついぞやってこなかった。それどころか、プラスでしかない。

モグモグと噛みしめる。だからこそ気付く、…気付きたくないが否応なしに気付いてしまう、生地と油が反応して生み出した、その成果。揚げることに因る、香ばしさと甘さって「旨いもんだなぁ」。

…ヤバイ気がした。求め続けるようになってしまえば、また――。

さらに、「お飾り」にも見えないゴマが、どっこい侮れなかった。摩訶不思議なことに、これっぽっちの、そのちょこっとの風味が、全体の橋脚を補強する立派な調味料の役を担っている。固めの噛み心地や、揚げたことによる油の染みわたり方等の条件の上から、最後にゴマがトドメを刺し貫いてバランスをとっている。これがあるからこそ、全くもって溝にはまった甘味であると確信できるのだ。

一個で済まず、三つ平らげてしまった。

体重増加の影が、チラついた。

 

いつしか豆乳から、円盤目当てに通うようになった。

「食べる?」とおばさんかの方から訊いてきたことは、一度もない。「もう一個」と言っているにもかかわらず、「あ、そうなの」とそっけない。ちょっとぐらいお勧めしてくれたっていいのに、とブツブツいいたくなるぐらいに旨いのだが。

 

                             (最終訪問時2007)

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