主に、旅の炭水化物

各地、食風景の点描

ヘラを制す ~ディヤルバクル ④

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「トントン」おめかしされ、ドキドキとその時を待つ生地に、向かいからニョッと伸びてくる大きな腕――Fさんである。

眠っている子供を抱きかかえるように、両手を生地の下に差し入れて、台からさらってゆく。宙で生地が、だらんと素直にしだれるので、素早く「巨大ヘラ」の上へ。

「巨大ヘラ」と言うのはまさに見たまんま、鉄板焼き用のようなかたちであるからで、まぁ「しゃもじ」でもいいんだけれど、悟空が持つような柄の長い棒の先が、平たい板状になっている道具で、板の部分に生地を載せ、窯の中へと出し入れするものである。木製。

その上で、形を整えつつ生地を広げたら、柄を握り、赤み差す「窯の内部」へとススッと突っ込ませる。さあ、輝け。

横になった人ひとり入れるかどうか(CTみたいに)、という大きさの入口だ。…何かスースーする、と思うと、そうだ、「フタ」がない。もともと無い。入口の穴が開きっぱなしの窯である。

約二メートルの位置から見える窯内部は、石が敷き詰められた壁に、天井はドーム状。熱いから、首を突っ込んで凝視できないが、おそらく六畳…いや八畳。いやもっとあるだろうか。「秘密基地」を連想する、冒険心くすぐられるような空間にも見え、「いつか入ってみたい…」などと、オトナが見ていない隙を虎視眈々狙う子供がひとりやふたり、どこかにいそうだ。(アブナイから絶対にやめましょう。)S君あたり、バレて大目玉を食らったことがあるんじゃないか。

話を戻そう。「奥」へと突っ込んだら、サッとすぐに勢いをつけてヘラを引き、生地を窯の中に置き去りにする。つまり生地は、窯の床に「直に」触れて焼かれる(「直焼き」)。生地を載せる為の「天板」を使うことは無い。

熱源は、「薪」。

窯に向かうFさんのすぐ背後にある、窯口と同じ高さに設置された、焼けたパンが放り出される広い広い台の下は、薪の置き場所になっている。ついでにそこは子猫の隠れ家にもなっているのだが、「火が弱くなったな」と思ったらその都度、そこから一本か二本か抜き取って、入口から、窯内部のスミっこめがけてボンッと突っ込む。つまり、パチパチ火が燃えているその横で、生地が並べられ焼かれている、ということである。

一応は、炎が上がっている部分とパンを焼く部分は、一斗缶のようなもので仕切られているのだが、結構邪魔なのだろう、薪を放り込んだ際、ガンッと「仕切り」が倒れた音がして、もぅ…と、Fさんはそれ専用の長い棒をとりだし(パン用ヘラを使うと、ヘラが汚れてしまう)、エイエイ、とつついて直すことしばしば。

ちなみに、多くの、というか私としては「殆ど」といいたいぐらい、どのフルンでも薪は普通に使われているようで、電気のところはイスタンブールで見かけたぐらいだろうか。かつ話を聞くと、「薪でこそウマイ」という意識も存在するようであり、焼き鳥や焼き肉が、ヒーターやガスよりも炭火焼の方がなんとなくウマイ、というのと同じだろうか。

思うに、赤外線等のナントカ効果云々以前に、薪の、パチパチと踊る自然の炎の姿には、「生命」を感じる。窯の中で、それは意思を持って生地に魂を吹きこんでいるかのような臨場感があり、ガンバッて電気製品を開発している技術者には悪いけど、同じ「焼く」でも、そうやって出来上がったパンの方が、より、何か奥深いもの、奥深い味、奥深い香りを抱えている気がする…。

 

手ぶらで戻ってきたヘラの上に、再び、成形された生地を載せて――を、一つずつ繰り返す。

 成形しては、焼いてゆく。「成形台」が横付けされている所以である。つまりMさんとFさんは、ヘラと成形台を挟んで、向かい合って作業しているということだ。

成形できなきゃ焼けないから、窯係は常に「まだぁ?」と待ち状態にある…というわけでもなさそうで、Fさんが「生地を一枚抱き上げて、ヘラにのせて突っ込み終わる」までに、成形係・Mさんの手は、一・五~二個のペースで仕上げてゆく。止まることない流れはまさに、あ、うんの呼吸。待ちぼうける時とは、ちょっとくしゃみとか、ア、(薪置き場から)猫が出てきた、と顔を緩めたりして、Mさんがペースを十秒ぐらい止めたときぐらいだ。或いはこちらのカメラに気づいてポーズ取ってくれるとき。…あぁまた邪魔しているが、そのくらい、邪魔していいのかもしれない、とも思う。機械じゃないんだから…。

――余裕がない。焦って、という意味ではなく、無駄なものが何一つ入り込む余地がない。

「平焼きパン」は厚みがそれほどでもないから火通りが早く、小サイズだったら五分程度で焼きあがる。とはいえ途中、窯内部には熱の強いエリア弱いエリアがあるから、火通りを均一に、美しく焼き上げる為に、生地を一度取り出して方向を前後「逆」にしてまた戻したり、位置を移動させてやったり、という作業が必要になる。更に、台の下の、薪の収まっている中から「ミーミー」と子猫の鳴き声が聞こえると、エサ(パン)を放ってあげねばならないし、私がカメラを構えたらポーズして…と、イロイロお世話することがあって、モー大忙し極まれり。フタがないのもうなずけるというか、フタを開閉するヒマもない仕事量なのだ。フタが無くて、温度ってダイジョブなのだろうか、とも思ったもんだが、それが薪の炎の威力というモンなのだろう、きっと。電気とは違うのだ。

だがFさんの表情とは、穏やかだ。タレ目だから余計にそう見えてしまい、油断してつい気軽に話しかけてしまう。よくみりゃ鼻筋通った、…っていうかここの人たちって男女ともに彫りが深い鼻筋通りまくりの顔付きなのだが、俳優的なダンディーな雰囲気で、こっちはこっちでモテそうだ。突然「お父さんとお母さんはちゃんと元気で暮らしているのか」とか、「ひとりで困っていることは無いのか」とか、田舎のおじさんみたいなことをいきなり言うから尚更、疲れを心配するより先に、ただホロッときてしまう。

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 ――出るか。

「カラ」のヘラを、窯内部に深く、スッと素早く差し込んだら、スルスルと引き寄せる。と、その上に現れたるは、フックリと肥え、焦げ色まとった、それはパン。アッツアッツを、Fさんは素手で掴んだら、広い台の上にボンッと放り出す。と、電話帳とか漫画雑誌とかを投げつけたように、「バフンッ」と貫禄ある音がする。

芳香の正体はワタシ、という感動に酔っていられない。容赦なく次から次へ、ワタシワタシと放りだされ、台の上はごった返しておおわらわ。

  

ドタンバタンとヘラを取り替え、シュッシュッと出し入れする。

取り出してみても、「まだだな…」と、納得のゆく焼き色になかったら再び戻し入れ、私だったらありがちな「まぁいいか、」という妥協はない。パンを焼くのに、中途半端にはしない。

冬は、窯のそばに近づくとホンワカ温かく、気持ちまで落ち着いてくるようだが、夏は「ウッ…、」――ムワッと押し出されてくる熱気に、思わず息を止めてしまう。いくら湿気が無いとはいえ、夏は四十℃を越える「熱さ」のディヤルバクル。そんな中での「窯係」、しかもフタもないんだからこれはもう、比喩も何もなく炎の中に自分を晒しているのであり、いつ倒れたっておかしくないんじゃないか。私はモチロン見ているだけであって大きな声でいえないのだが、窯の近くにいると、めまいさえする。

それでも逃げない。当たり前だが、逃げたらパンが焦げてしまうのだから。最後まであい対し続ける。それが仕事だ。

軟弱者な私としてはスイマセン、心持ち離れてその姿を見守るのだが、しかしあまりに当たり前に窯と向き合っているFさんを見ていると、これを「スゴイわ」と珍しがる方が特殊、という気にさえなってくる。「窯の仕事」とはそういうもんだという覚悟など、朝飯前に済ませました、という余裕に呆気にとられる。

アツアツをものともせず、パンを放り投げる。投げる。また、投げる…。

窯入れとは、仕込みから始まった生地の総仕上げ。生地の背後には、妖精Nさんの、そして家庭人Mさんの、汗と涙染みた愛情がある。手塩にかけた子供たちを、見放すわけにはいかないのだ。

延々と続く作業の中、ムッッとくる熱にあっても見失わない、誠実、的確な仕事といい、ヘラの擦れる、キレのある音といい――「大きい」。がっしりと広い肩幅で長い棒を自在に操る姿は、まさにフルンの総元締めといっていい。

ミィ…っと撫で声を出す子猫とのコントラストもあってか、Fさんがとても大きく見える。

ヘラを振るい窯を制する、Fさんはまさにここの大黒柱。「かあっこいいぃぃぃ…」と、なす術なくヘナヘナと、こちらは心打たれてばっかりだ。

 

                          (最終訪問時2013年)

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ディヤルバクルのフルン.docx - Google ドキュメント

 

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