主に、旅の炭水化物

各地、食風景の点描

平型パン世界 ~ディヤルバクル①

 

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トルコ南東部に位置する町・ディヤルバクル。

郊外のバスターミナルに到着したのは、まだ真っ暗の夜明け前。明るくなってから町まで移動しようと、ターミナル内でジッと待っていたから、宿を見つけて荷を下ろすまでに結構時間は経っていた。というわけで、私はとにかく朝っぱらからハラを空かせて、外へと歩いたのである。

新しい町にやって来たら、まずやるべきお約束は――「フルン探し」にウロつきまわること。だがそれよりも今は、どこでもいいからとにかくロカンタ(=「食堂」)に入りたい。チーズやサラダ。スープでもいい。パンを片手に少々のオカズを添えた、それなりの朝食が摂りたかったから、宿から出た通り・スグに目に入ったドアを、トイレにでも切羽詰ったかのように開いた。複数の店の雰囲気を推し量っては、「あっちか、それともこっちか…」と迷いまくる、いつもの優柔不断からは考えられない「即決」である。

早朝と言っていい時間帯だからか、まだ閑散とした店内のテーブルのうちの一つに陣取り、「はちみつも欲しい」などと告げてから、たいして待つこともなくまずやってきたものを見て、あ、と思った。

パンが、――「平べったい」。

初めてのトルコだった。日本からイスタンブールに入ってから東へ・トルコの大半を占めるアナトリア大陸の中央部や、北部の黒海沿岸の町を経由した後、さて今度は「南東部」へ――と、いろんな方面をつまみ食いするように旅を進めていた。というわけで、ガイドブックではその括りにおける「最大の町」とある、ディヤルバクルにやってきたのである。

それまでの町でフルンに並んでいたパンとは、フランスパンのように棒型で、フックラと膨らんでいるものが殆どだった。とはいえ、平べったいパンもないことはなく、例えばラマザン(断食月)で食べるパンといえば、「ラマザン・ピデ」と呼ばれる円盤状の平型が伝統的であるし、また普段でも、肉やらチーズやらの「具」を、平たく伸ばした生地の上に載せて焼くという、イタリアのピッツァのようなパン(こちらも「ピデ」と呼ばれる)や薄い薄い生地が特徴の「ラフマジュン」と呼ばれるものを提供する食堂が見られる。だが、それらは「具もパンも一気に食べられて便利」という、どちらかというとファーストフード的な存在だし、ラマザン・ピデなど特別なシチュエーションのものである。「白いご飯」に匹敵する、どんなオカズにも添えられるシンプルな味の「いつものパン」とは、もっぱらフランスパン型=「ソムン」だった。

 南東部は、平べったいのが「普通」、なのだろうか。

異なる世界に移動した、という実感。その外観は新鮮で、一目見ただけで旨そうだと思えてくる。

ステンレスのトレイには、もとはある程度デカかったのだろう、手帳よりやや大きめにカットされたパンが数枚載っていた。

ロカンタは、たいてい近所のフルンからパンを仕入れる。

フルンは、近所の人も日々買いにやって来る「町のパン屋」である。中には、全粒粉を加えるなどで、数種類のパンを揃えるフルンもあるが、どこにおいても一番作られているのは、クラム(内層)の白い、味のシンプルなパンである。ロカンタに卸されているものも、万人ウケするその最もポピュラーなやつであるから、そのパンは地元の味といっていい。

それまでの経由地では、ロカンタというと「ソムン」(フランスパン)の、二センチ程度に輪切りされたものが積まれて出されるばかりだったのだが、――ここでは、こうなる。

一切れを手に取ると、焼き上がりから時間が経っていないのか、表面はパリッとしている。「平べったい」とはいえ、それなりにフックラと膨らんでおり、インド料理屋で食べる「ナン」よりも厚いだろう。表面には縫い込んだような格子模様があり、もこもことしたダウンジャケット生地、或いは子供用の座布団を思わなくもない。

スープに、たかがチーズ数切れとはちみつタラリ、トマトとキュウリがちょこっと付いて、…調子に乗って「オリーブも欲しい」などと言ったからよけいに、なのだろうが、「そんなにとられんの?」(お金を)。皿が運ばれて訊いた額は、いつも自分で市場から調達していた朝食と比べると、同じものでもかなり高い。…から、「食べ放題」であるパンをその分、腹に一割り増しぐらいは詰め込みたい。(ロカンタで出されるパンは、ほぼどこでも食べ放題である。)

 

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