主に、旅の炭水化物

各地、食風景の点描

餅の楽しみ ~西安

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食堂の炊飯器ならば、このくらいはあるだろうか。――フタが、である。大人が頭上で両腕をあげ、「オッケー」と大きなマルをつくるよりも、まだ大きいと思う。

そのフタをめくれば、鉄板。電気仕掛けのやつが、その円周をちょうどすっぽりと囲む台に埋め込まれており、フタはその台の端と金具で留められているから、めくってもその置場にきょろきょろとする必要はない。救急箱じゃあるまいし、そういうパックリ口の調理機器って珍しい――ってそのお馴染中のお馴染・炊飯器がそのようだった。ついでに思い出したけれども、ウチに使わなくなってから一五年は経つ「電気フライヤー」もまた、パックリ開け閉め型った。揚げている最中にカチッとフタが出来るから、油が飛び散らない。フツウなら、油が跳ねて、そこらじゅう掃除する羽目になる揚げ油というものを、「すき焼き」をするかのように食卓の真ん中に置き、油から引き抜いた「揚げたて」を口にするなんてことが出来ることに飛びついたんだけど、ウチのそれってばフタを取り外すことが出来ず、洗うのがめっぽうメンドくさいのである。新式はどうなっているのか知らないけれども、「フタは外せたほうがいい」という社内意見がいっこも出なかったのは、ちょっといかんのじゃないかメーカー、と思わなくもない。

 が、「ソレ」、巨大で重そうだし。何度も開け閉めするから、その置き場をイチイチ探してはおれんのだろう。

フタをカチッと開ければ、ジクジクと油を跳ね散らかす音が鮮明になる。円型の鉄板には、そのきわから一、二センチほど内側に引っ込んだ円盤が、表面にまだら模様を焼きつけて収まっている。

 

西安

早朝から稼働している市場はあるだろうかと歩き回っていたが、殆どが、自分の溜息さえ響く静かな通りでしかなかった。早すぎたのだろうか――と、あまりの動きのなさに諦め始めた頃、大通りから中に入ってそれからどう歩いたっけか、青白い空気の中でただ一か所、ポワンとしたオレンジ色の光がはみ出している空間が遠くに見えた。影絵のような数人の後ろ姿が、ジッとそこに佇んでいる。待っている。私もまさに待たれていたように、近づいた。

「煎餅屋」である。といっても、テレビを見ながらバリバリするお茶の間の菓子でもなければ、「餅」という字が付くからって、日本の正月の必需品・「モチ」を意味するわけでもない。「餅」は「ピン」と発音し、中国において小麦粉製品(小麦粉を水で練ったもの)全般を差し、さらに「煎餅」(=ジェンピン)とは、平べったく伸ばすなどした生地を、(鉄板等で)コンガリと両面を焼き上げたものである。小麦粉の――そういえば、「太鼓煎餅」とか日本にもあるよね、というアレも「ホットケーキ」もまぁその分類に入れないこともないのだろうが、中国で「煎餅」と掲げられるとき、生地は、ホットケーキ用ほどにトロトロとゆるくもなく、餃子用のように捏ねることのできる、弾力がある生地を焼き上げたものが殆どであり、かついかにも「菓子」である甘い味は少数派である。たとえに出すならば、野沢菜などを入れ込んで焼く、長野で知られた「おやき」がしっくりとくるだろう。

店頭・三メートル程度の間口に並べてあるフタつき丸鉄板・二台のうちの一台を、白衣を着た店の青年――のような少年のような――が前にしていた。ほのかな狐色に染まった巨大円盤おやき・その底に、ものさしよりも長い棒を、中心を通るように差し入れ、そのまま上へと浮かせてヨイショっとする。と、ほう…。バフンっと、座布団を放ったような風が起こり、うまいことひっくり返った。厚み二、三センチあり、持ち上げた時のしなり具合からしても結構な重みとカサだろうが、さすが慣れている感じだ。若そうな兄ちゃんだが、その無表情には「なんてことないし」という余裕が見える。中国で「美形」とされる分類がどういうのかは詳しくないが、鼻筋がガチっと通って顎はカクカクっと引き締まり、目はスッと鋭く唇はキッと揺るがない――いかにもとっつきにくい、「壁」を感じさせるクールな雰囲気に、逆に引き込まれる。綺麗な男の子、だと思う。

そうしてその表面に、ペンキ用のような刷毛で塗りつけている黄色い液体は、「油」だろう。蓋を閉めて、また開いては塗って…を繰り返し、フタを大口に開けてさらにバフンっとひっくり返す。

じっくり焼いて、待ちわびて――そうして狐色が声高に、黄金を放つようになったならば、焼き上がりらしい。

アラ、今度は弟…かどうかは知らないけれどもやや幼い少年が、やっぱり白衣、そして家訓なのか・やっぱり冷たそうな表情で、同様に一本の棒を円盤の底から差し入れると、反対の手に持った、巨大な掴み棒でもそれ(円盤)を支えるよう挟み、鉄板の隣の台へと放った。瞬間ザザッとした濁音に、歯切れよい食感が想像できる。

 それからの展開は早い。

「それきた」とばかりに一気に人の声が湧き、弟君は、頷きはしないけれども確実に「その声」を一つ一つ聞き入れているらしく、肉屋にあるような長い包丁で、ザクッ、ザクッと、その円盤に躊躇なく刃を振り落としてゆく。ざっと切り離した数切れをはかりの上に載せ、「よし」となったら、それを更に握りこぶし大へと切ってから、ビニールへと収めてお引渡し・お勘定――となる。それにしても、ザクッ、ザクザクっ、ザクッ…――それ、脳に心地いい。

量り売りだから、かき分けるかのように飛び交うお客の叫びは、「重さ」を言っているのだろうが…。それにしては、それらしい細かい数字には聞こえない。じゃあ「○人分頂戴」だろうか。或いは、「その半円になったのを三分の一ぐらい」とか言っているのか。…ワカラン。

おそらく家族分をまとめて買いにきたのだろう、半円分ぐらいドカッと持っていく人も少なくない。私がこと細かに中国語を喋るとすれば、「半円のそのまた半分の、その三分の一ぐらいでいい」となるのだが、そんなにチビッとの注文などしている人なんていない。ドカドカ、ザクッと、大量の破片が気持ちよく袋に消えてゆくばかりである。

弟君といい兄ちゃんといい、若くともその「無表情」にはハクがあるのだ。ちょこっと過ぎて、「はぁ?」ってな感じで顔を歪められたらヤだなぁ。…って、それ以前にどういう言い方をすればいいか。とりあえずグラムで言ってみるか。…って、何グラムでどれだけの大きさなのか、ちょっとよく分からんのだが。量る動作が素早過ぎて、針の振れもよく見えないし。

ザクッとする時に生じる細かい屑が、ほぼ「まな板」同然と化している台の上に、演出のように散り積もってゆく。それを眺めるがままに時は過ぎ、ぐずぐずとしていているうちに「円盤一枚」など終わってしまい、隣で焼き上がったのもすぐである。私と同様、未だ手にせずの人が、「あ…」とネジの抜けた顔をしている。

――が、買いそびれたものの、それがよかったのだ。兄ちゃんは既に鉄板から後ろに下がり、オレンジ色の電球三つ四つが吊り下がるそのもとで、大きな台に載った白い塊を前にしていた。これから焼く為の生地、か。その仕込みが見られるのではないか。

 

一心に捏ねくっているその塊は、強情そうだ。

田舎で使う漬物石・四個分ぐらいはある塊を、やや太い棒状にして、グニグニと両腕で捩じるようにもみ広げては、広がった端を下に折り畳んで小さくして、またもみ広げる。脂が詰まったブルンブルンの腹を揉む、なんだかエステのぜい肉マッサージを思い浮かべてしまうが、それを何度も何度も「ヨシいっか」となるまで繰り返すのだろう。見た感じ、ツンと指でさわったらポワンポワンと震えるような、既に弾力の良さが想像できる生地であり、その半袖シャツから延びる白い腕の、ガッチリとした締まりのよさが仕事っぷりを物語る。…にしても兄ちゃん、真っ白な生地にも負けず、肌「白い」わ。それはまるで、ひな人形を思わせる。

 塊を、ある程度に――ドッチボールぐらいに分割して、長い・五、六十センチはあるめん棒を転がして、広げてゆく。手粉を何度も振りながら、丸く丸く、厚さは一センチ程度か。張りのある動き、その素早さを、めん棒が台に当たる度にたつ「ダン、ダン」の響きが代弁しているかのようだ。

広がったその表面に刷毛で塗りつけるのは、生地の白に対して艶やかな、透明な黄色い「油」。…お仕事中だからまぁ当然なんだろうけど、兄ちゃんの目は、見下ろす姿勢だからよけいに鋭く見える。…逞しい、クールな色白美男子。となると、アンタ結構モテるんじゃないのか。

 で、一面を輝かせたら、その上からパラパラと何かを振り撒き、円の端っこからくるくると巻いてゆく。

ロールケーキのようになった、その「渦」がのぞく両端を、生地の下に潜らせて潜らせて…とやって再び「塊」にまとめ、その上からめん棒を押し付けて、また広く丸く伸ばす。丸く、丸く。…綺麗に丸くなるもんである。

そうして、今度はより端整な円盤が出来たら、空いている鉄板の上に載せる。大き過ぎず小さ過ぎず、鉄板サイズ内に収まるのは、さすがだ。あ、先に鉄板に油は敷いたっけ…というと、この生地の前に、散々と塗りながら焼いていたから、その「残り油」で充分だろう。そうしてゴマをパラパラと振り、大口開けていた「フタ」を下ろす。

やはり途中、上からタップリタップリ惜しみなく、刷毛に油を滴らせながらじっくりと焼き上げてゆく。

 

何枚、売れてゆくのをやり過ごしただろうか。

というよりも、「もう一回」――ついつい、生地を触るその手つきと、それが焼き上がってゆくまでの変化に見惚れ、匂いに酔い、包丁のザクザク音に聞き入ってしまう。だがもうそろそろ、…いい加減、買おう。買いもしないのにずっと立っていると、不審者が…という視線をされかねない。

「二元分、頂戴」

なんとなく、そういう言い方が分かってきて、告げてみると、弟君の表情は、前に注文したおばさんの時とそれほど変わることなく、あっそ、という感じで腕はザクッと途切れずに続いた。――ヨシ。

二元分は結構ずっしりとして、食パン一斤よりもまだ重いんじゃないのかコレ。一回で全部は食べられないだろう。「一元」と言ってもよかったようだ。

塗りたくった油でほぼ「揚げ焼き」状態だったはずだが、油っ気をそれほど感じさせない、表面の肌は軽やかだ。サックサクしている。が、指は確かにヌメっているから「感じさせない」だけであり、カロリー満点なのは免れないだろう。

ザクッと切られた断面は、想像通り「パイ」状である。生地に油をぬり、巻いて丸めて重ねてまた広げて巻いて…とやることで、生地と油が「層」を為してゆく。それに火を通せば、挟み込まれている油の層が、それに接する生地を直接熱する。だから生地の層・一枚一枚が明確になる。

 捏ねたからのばす。伸ばしたから丸める。丸めたからまた伸ばす。伸ばしたから焼く、焼けたから売る――という一連の流れを冷静に回転させる兄弟のように、「買ったから帰る」という、当然の成り行きに沿い、何事もなかったかのような顔をして立ち去る。――んだけれども、「お宝」を手に入れたワクワクで、足元が踊っている。早足になる。早く、食べよう。 

 

 表面サクッとはしているが、中の層はパリパリしているというよりも、グインと伸びがいいようだ。

香ばしい。生地は、小麦粉、塩、水のシンプルな配合だろう。だから、油で焼くからこその、香ばしさが生きる。油で焼くからこその、甘みが分かる。膨張剤が入っているのかどうかはわからないが、このフックラ感は、熱されて層が浮いたことによる膨らみのように思う

生地をロールにする際、パラパラ振り撒いていたのはおそらく塩だろう。が、ほんのわずかに当たる程度でしかなく、もうちょっと強くてもいいのに、と思う。――「これだけ」を食べるならば。

ということは、「これだけ」じゃないのか。地元の人は、これを片手に、オカズを食べるのだろうか。

――なんてことを思いながら二へっとしているのは、あら、年甲斐もない。きっと、こういう顔で買いに来ている女子高生が、数人いるハズである。

携帯している方位磁石を取り出した。この場所を覚えねばならない。明日もきっと、辿りつくのだ。

ちなみに餅は、「千層餅」という。