主に、旅の炭水化物

各地、食風景の点描

サンギャク拝見~イラン・アルダービール

 

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  まるで塗装職人。

  ズボンもシャツも粉で真っ白で、作業の忙しさが思いやられるってものだろう。まぁ、そのための「作業着」なのだろうけど。

 それにしても、それはホントに、そう目指されて設えられたもんなのか。壁に開いている「穴」とは、まるで解体工事のさなかに偶然開いたかのような、或いは、誰か短気を起こして、巨大ハンマーをぶんまわしてかち割った跡のような、ひび割れて出来た歪んだ三角形であり、その割れ目からボロ…っとカケラでも落ちてきそうだ。

 だが、中へと覗き込んでみれば、奥では石レンガが整然とはまり込み、ドーム状に天井を描く空間が見える。美しい。見た目なんとなく歴史的であり、「九百年前から使われている」云々いわれても、違和感なく「ホゥ」と声を漏らすことだろう。

 まごうかたなき「窯」なのである。ただ、その出し入れの為の入口が、水の滴る音を響かせる洞窟のように野趣があるのだ。縁には割れ石を晒し、亀裂も入っている。家の中をぶち壊してみたら遺跡を発掘しましたとでもいうような、人が在る屋内にしては突拍子ない感じで穴が開いており、「なにごとか」と少々ギョッとしてしまうのだ。

 九百年の歴史はともかく、外観をキレイにしよう、という現代的な意気込みで、壁には一面に大理石模様のタイルがはめられてはいる。…のに、穴も幾何学的に整えようとは思わなかったのだろうか。

 まぁ、その方が、天の岩戸じゃないけれど「いかにも凄いもんが出てきます」と、言わんばかりであって凄みがあるのかもしれないが。

 

 確かにスゴイ――イランの薄焼きパン・「サンギャク」である。

 もじゃもじゃの髪、髭ともに白髪が少々混じってはいるが、背中が曲がっているのは、生地をつかみ取るべく屈んでいるからで、「おじいさん」と呼ぶには少し早いか。

 その傍らにはパン生地の塊が、タイル製の台に窪んだ穴の中に収まっていた。「穴」といってもこちらは割れ跡などではなく、洗面台の流しのように、直径三十センチ程度の穴が二つ、縁を「ちゃんと」くり抜かれている。それぞれの中でうずくまっている生地とは、まるで「餅」のよう――なんてことよりも正直、「これを洗うのってタイヘンなんじゃないか」とか思うほうが先だ。腰丈のタイル台は床に固定されたコンクリートの塊なのであり、それが直接の容器では、中を洗った後どうやって水を切るのか。その餅の奥底には、ちゃんと水を抜く栓はついているのかと気になる。

 おじさんはその巣穴から生地を掴み、一つ分をくびりとる。手のひらよりも大きい、野球ボール三つ分はある塊だ。

 それをパタパタと右手左手で受け渡しながら表面を張らせるも、「ちょっと多いかな」と思ったのだろう、ピッと端の部分からピンポン玉程度をつかみ取り、バチィッと餅に投げ戻した。秤は使わない。

 生地自体はかなりドロドロとしているのが見ているだけで分かる。手にくっつかないよう、洗面器に入った水で腕をしっかりと濡らしているが、それだけではなく肝心なのはやはり手際のよさだろう。生地は手水を吸収してさらにベチョベチョ増長し、ちょっとの隙をついてエイリアンのように貼りついてくるのだから。

 ――なんて心配はしゃらくさい、さすが、ヒョイヒョイっと手馴れた動きだ。上手くまとめたら、窯の入口・真ん前に設えたシャベルの上に伸ばす。…いや「シャベル」じゃなくて、窯に出し入れする為の「ヘラ」であるが、先端の四角い「匙」部分の緩やかな曲がりといい、「柄」の取り付けられたその形といい、土木作業で使うアレのよう。ただその柄は物干し竿ほどに長いからして、「違うよ」なんて言われなくとも分かるんだけど、でも改造したのかな、ぐらいはよぎったりもする。

 シャベル(じゃないけど)は床と水平に、匙部分がおじさんの腰丈よりチョイ上にくる高さまで浮いている。浮くのは支柱が二本、長い柄の両端部を物干し竿のように支えているからで、また、匙部分もクルッとひっくり回ってしまわないよう、窯入口付近に偶然のように突出した壁に添えている。

 なんとなく、「あるものを工夫してやっている」的な設備にも映るのだが、もちろん支柱は物干し用のソレを利用しているわけでも、不要なシャベルを貰って再利用しているのでもなく、みんな公認の製パン道具だ。壁の突出部分も偶然じゃなくて「必要箇所です」と設計されたのに則って作ったんだもん、と施工者はムッとして言うだろう。が、そのようなしゃれっ気などない、いかにも工事現場然とした中では、生地のその「真っ白」は可愛らしいほどに引き立っているのだ。

「匙」は凸が上である。つかみ取った生地の塊をそのカーブに置いたら、横へ、縦へというように、指で押し広げてゆく。と、はねっ返りなく簡単に伸びてゆくようで、指跡を貰いながら潰されるがまま、生地はぺトぺトと匙に密着してゆく。手水を結構使っていることもあって、表面は艶っぽい。

心持ち、縦に(おじさんから見て)長く伸ばしたら、最後に手前先端をチョンと引っ張って主張させるのが仕上げらしい。頂点がダランと手前に垂れた、なんとなく逆・二等辺三角形となる。

 もうひとり、同士がいる。

おじさんとシャベル(…としてしまおうではないか、もはや。)を挟んで立つ男性が、向こうの世界へと通じるその窓と正面から向き合い、槍を持つようにその「柄」を握り、浮かせる。垂れ下る「チョン」の部分を入口の縁にくっつけることもなく、奥へとスッと挿入する。

生地を伸ばし広げるおじさんに対し、こちらは焼きに徹する「窯係」だ。こちらのおじさんは――「おじさん」だろうか。いや、…ではない、だろう。

先入観だ。「髭率」低い日本で育った私としては、チョボ髭生やしている容貌を見ると、なんとなく年配のヒトに見做してしまうのだが、その髭を差し引いて、改めてちゃんと見ると、白髪もないし皺もない。生地使いのオジサンが少々痩せ気味なのに対し、こちらはもう少し余剰があるというか、筋肉質で肩幅が張り、動きにもエネルギー漲った「若者」の範疇に相応しい。おそらくは、二十代後半か三十はじめか。

 二人とも半袖シャツである。冷たい風吹く屋外から入りこんだ瞬間は、その姿にカワイソウなんて思ったが、窯の熱によるやんわりした温もりがこの体にも巡ってきた頃、そりゃそうなろうよ、と納得されてくる。二人とも、校庭を駆けるサッカー部員達のように、シャツには汗が、その首筋、肩、背中部分に染みていた。

丸っこい目つき、鼻立ちが、二人ともよく似ている――そりゃもう、「親子」だろうて。

 

 入口から向こう側は、橙に灯る別世界。熱が充満したなかで、底には川に転がっていそうな小石が敷き詰められており、サンギャクはその上に直接寝かせて焼き上げられる。――ほぅ、指跡だけにしては「ボコボコ」が過ぎると思ったが、このせいか。

閉める扉のない、開けっぱなし窯だ。つまりはそんなの必要ないぐらい熱してあるし、ということか。入口は宝口売り場の窓口二つ半程度でしかないから、近くに寄ってみてもその奥はよくは見えないものの、「ゴーっ」と吠える声からしておそらくその火元はガスに因る。隣国トルコのパン屋は薪が主流だが、さすが石油の国ということか・イランで見るパン窯は殆どがガスのようで、入口近辺にある調節ツマミで、炎を轟轟と吹かせたりひっこませたり、水道を捻るように内部の熱を調節しながら焼いていた。

 小石は緩い丘を作るほどに積まれており、その上に既に何枚かが体を広げている中へ、また一枚、仲間入りさせる。ともども、その姿は飛ばされて植え込みに引っ掛かった洗濯物のようで、間抜けだ。…とか、暫く突っ立ってボーっと見てしまいその自覚が飛ぶのだが、「邪魔」なのである。なにが、というと、「ワタシが」だ。

長い「柄」だから、出し入れの際に突き飛ばしてしまわないとも限らず、「すいません」とホントすまなそうに言う若旦那だ。イエイエ、そのセリフはまさにこちらが発するべきであり、「す、…スイマセン」。

 一瞬躊躇しながらも、こちらも「日本語」で返したが、やっぱり空間が浮いたような、ヘンな感じがする。言葉が、場違いであることに気づいて恥ずかしがっているのだ。

「少しだけ話せます。」

 ――昔、日本で数年間働いていたのだという。日本語がとても懐かしい、と。

 

 カラカラ…と乾いた音を鳴らす小石。

 焼き上がったのか、「柄」を握り直して中へと差し入れ、寝ているのを引き寄せているようだ。

 匙に載って出てくるかと思えば、入口近くまでソレを寄せただけで、シャベルだけをもとの干し場に戻した。アラ、まだ焼き足りなかったのか。―と、若旦那はその腕を、肩の根元までグッと、穴の中に突っ込んだのである。

「アツっ」と代わりにこちらが声を漏らしてしまうや否や、その手と共に現れ出でた「サンギャク」に、しばし目が点になった。

 …こんなに、デカかったっけ。

 ――って初めて見る姿じゃないけれども、その変化に改めて気付かされたのである。窯入れ前は角型シャベルから少々はみ出る程度だったのが、倍以上になってやしないか。三角形の二辺が、えらくビヨーンと伸びたようだ。

 石レンガを張った床には布が敷かれた「置き場」があり、そこへ焼き上がったのを放り投げると、小石もまた数個つられて飛び出し、コロコロと辺りへ転がった。

黄色がかったクリーム色の地に、ヒョウ柄――キツネ色、そして所々で強い黒点が散っている。

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 …『一反もめん』。

いや「一反」はモチロン無いけれど、それでも一メートルはある。ヌッと現れるも厚みのない体、縁のゆらゆらした線が、布の「はためき」を思わせて、昔アニメで見た『鬼太郎』のなかのキャラクターが浮かんだ。

落下するのに「バサっ」と風を起こすのといい、連想するのは「パン」じゃあないのだ。

                             (最終訪問時2006年)

 

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お菓子の家へ ~キルギス・オシュ

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 これから、朝食。…のはずなんだが。

目がチカチカするというか、「ナゼ?」――クエスチョンが宙に飛ぶ。

朝食として、「パン」というのは、分かる。

お皿のような、いやお盆のようなパンが三枚重なり、薄いピンクに花模様を描いたテーブルクロスの上に載せられている。そしてその傍らにある、ラッパ型の湯飲み茶椀に入ったドロッとしたものとは、ソレに塗りつけるジャムの類だろう。奥底から艶々とした深紅と、ピーナッツバターかゴマペーストかのような、クリーム色のもの。

そこまではすんなりと。――だがなぜ、「お菓子」が?

可愛らしい小物たちで、テーブルの上はまるでイラストの世界だ。

ピンクや黄色、白、緑、金色銀色…の色華やかな包み紙で両端をギュッと捩じった、キャンディー或いはチョコレート。シワシワにへちゃげた、ボタン大の赤や白ぼけた粒は何かのドライフルーツだろう。チョンと、その絞り出された跡を描く、クッキー。琥珀色の、水晶のようなものは――砂糖の塊だろうか。

それらが数枚の皿に種類ごとに盛られ、パンを取り囲んでいるのだ。

これから子供たちのクリスマス会でも始まるような図である。その華やかさに目は輝くが、ソファに降ろす腰は、ソロソロとして戸惑っている。予期しなかった景色に、私ここに座っていいんでしょうか、と不安になるものの、「座れ座れ」とおばさんの手は上下に揺れて合図を送るから、そのままストンと落ち着いてみた。

 「ナゼ」。――って、これはお客・つまり私がいる為の「特別」だろうか。

と、さらに、平べったい、大きなお皿を抱えた少女が向こうからソロソロと近づいてくる。モワっと立ち上がる湯気が朝日に眩しい。皿はきっと熱いのだろう、詰まったテーブルに、更に並べようとゆっくりゆっくり屈んでゆくのに呼応して、おばさんはど真ん中にあったパンを端へと寄せる。娘さんだろう。歳は中学生ぐらい、一三か四といったところか。

シチュー、かな。

優しいクリーム色だ。なんとなく分かるような匂い。温かさが伝わってきて空腹感が増し、ノドも鳴る。

さあさあ、と、パンをちぎるように勧めるおじさん。いつの間にかもう飲み干していた紅茶を、おばさんは注ぎ足してくれた。

 

 キルギスタン南西部の街・オシュ。

中国・カシュガルから出発した国際バスは、雪の中、しかも崖山の道をえっちらおっちらと逞しく突き進み、トータル39時間で走破した。車内でジッとしているしかないとはいえ、不規則に揺れる車体に、谷底に転落するんじゃないかと窓の外をまともに見ることが出来ず、ヒヤヒヤしっぱなしで気分はヨレヨレ。だから到着直後は、深夜1時という時間帯とはいえ、トンネルを抜けて光を一身に浴びるような「救われた」感に覆われた。

とはいえ一応は「真夜中着」という事態。どうすっか、…と不安はしかし、車中にあった時から、旅をしているという私に「あら、ウチに泊まってきなさいよ」と声をかけてくれていたおばさんに甘えることで、即解決ということになった。休憩時間にはいつも手持ちのカバンからパンを取り出して「食べなさいよ」と周囲に配る、いかにも面倒見の良さそうなおばさんだった。やがてやってきた若者・息子さんの迎えの車へと共に乗り込み、三十分少々でお宅へと到着。中へと靴を脱ぎ、絨毯が敷かれた上を靴下で歩くという快感にほぅっとなりながら、ダイビングしたくなるフワフワのソファに寝床を用意してもらい、あっけないほど簡単に快適な場所へと辿り着いてしまったそのシアワセな展開に、狐にほっぺを預けたまま目を閉じた。

 

そして翌朝、「さあ、食事を。」――となったわけである。

おばさんは今起きたばかりですというような顔をしているが、果たして家族に、私に関する説明をちゃんと済ませてあるのだろうか。…とはいえいきなり知らない人がウチにいる、と、戸惑う様子もなく、二人のおじさん方は、唐草模様の絨毯を被せた椅子に早速腰かけるよう促すから、電話か、或いは息子さん経由で既に了解済みではあるのだろう。

その息子さんも、今しがたまで寝てました、というウットリした目で頭をかいて登場し、どうもと軽く笑いながらコの字型の角に座った。駆り出された夜中は帽子深く被り、かつ運転席だったからよく顔も分からなかったが、鼻筋と目がおばさんにそっくりだ。が、よりタレ目なのがお得にも優しそうな印象を与え、眠いからだろう、尚更である。

 家族としては、オジサンが二人。…のうち、どちらがおばさんの伴侶かなのかは、息子さんとも顔を見比べておそらく、と検討つく。もうひとりはおじいさん…というほどには二人の歳の開きは無さそうで、でも同居となると兄弟とかまぁとにかく親類なのだろう。どちらも率先してこちらに座れ座れと導き、面倒見の良さそうな笑顔をつくってくれる。

そして二十歳いくかいかないかの足になってくれた長身の兄と、それより三つぐらいは年下らしい弟君は、いかにも若者らしい、人見知りの感じだ。

初対面の人間が、突然家族の団らんに入り込んでいることの、違和感。――なんてことは眼中にないのか、「サ、ご飯」とスルスルとコトが進んでゆくという違和感に、あっけにとられてくる。

 そして、そんな「あっけ」などどこへやらへ飛んでゆく、テーブルの上のおかしな状況に目が点となる中、もう一人、家族の一員である細身の少女が、玄関のドアから光を背負って湯気を躍らせる巨大な皿と共に登場した。

その纏う神々しさが、「コレがメイン」と言っている。

 ――おぉ…。

テーブルの上を、まさにと占めた大皿ひとつ。その豪勢な感に、ため息を漏らした。

シチュー、か。少々黄色がかった白地の中に入る、赤い小片と薄い茶色のポツポツはおそらく人参と肉だろうが、お粥のような、ツブツブした何か謎のものが全体に渡っている。

これこそが「食事どき」の匂いだ。むぉん、と漂うのはいかにもオカズの、パンのお供として似つかわしい類。眠っていたとある神経を刺激し、とたんに腹が減って来た。

 分かれた髪の、肩までかかる髪のその先っぽが、クリンと上にカールしているのは天然か。皿を置いた少女はすぐさまスプーンをどこからか取って来て、五本、先の部分をその皿の縁に立てかけるよう放射状に置いた。

少女もまた椅子の端に腰かけて、目が合うと、唇をキュッとしめ、恥ずかしさ交えつつも笑みで応えてくれる。目鼻の整った顔立ちに、体形に沿ったシュッと細い黒ズボンに黒いカーデガン、返った襟の部分がヒョウ柄というシックな出で立ちが、まだ幼いながらにぴったりとくる。こりゃ美女でしょうなぁ将来、と楽しみだろうが、よく見ればやはり親子・今はぽっちゃり…を少々過ぎた「ボッチャリ」・おまけに皺を刻んだおばさんと同じ型なのであり、おばさんも若かりし頃は、評判を博するかなりの美人だったのではと見直されてくる。が、逆にいえば、油断が続けばこの路線・歩いているだけでその存在にハクをつける、十分な貫録を身に着けることになる。……まぁ、「それでよし」の基準など、人の数ほどあるもんだから、それもよかろう。

みんな揃って「さぁ、コレを」「食べて食べて」と勧めるのだが、どうやら「取り皿」は無い、ということを把握するまで二十秒ぐらいかかった。なかなかスプーンを手にしようとしないこちらの様子に、日本人はスプーンの使い方も知らんのか、なんて、内心呆れられたのかもしれない。

というのも、人数分足りんのじゃあ?と思ったからでもある。まぁともあれ、せかされるままにカレー用大のそれととりあえず一本手にして、落とさない無難な量をすくい取って口にした。

――見た目通り、想像通りの味だ。肉は鶏肉。そのダシとミルクの丸い優しさが、体内、スカスカと干からびていた部分に染み込み、頭も徐々に、クリーム色へと同化されてゆく。どこかに寝そべりたくなるような安堵感に覆われるようだ。

お粥のようなツブツブは、「ような」ではなくホントにそのままソレ・米を煮たなれの果てである。つまり「シチュー雑炊」とでもいえるもので、まさに、一日のスタートを言い渡すにはもってこいの、胃に優しいメニューだろう。その粘性の為に、スプーンから汁も垂れにくく、大皿から口まで運ぶ時の緊張もそれほどじゃない。

まだ寝足りなさそうだったおばさん・兄ちゃん両人も、起きぬけだからそれほど欲しくないんだよね、なんて顔はなく、神妙に咀嚼して活力を注入している。…って、そう。バスで中国から帰宅したおばさんは、さっきまで寝ていたのだから、これを用意したのは当然他の誰かのはずだろう。母親が今晩クラス会があるからとカレーを作り置いて出かけるように、まさか中国に出かける前に作っておいたわけではあるまい。さて、料理しそうな人はというと…?

と、「ホイ」と、多分お父さん、が千切り分けてくれたパンを、受け取る。この人だろうか。いやもしかすると――?

そのかけらだけ見ると、まるで丸パンの一部であったかのようだが、モトは平べったい円盤型。その、額縁のように特に厚くなった円周部分を頂いたようだ。

この地もまた、古くからのパン食地帯に属し、パンの外観とは、国境を越えてきた中国のウイグル自治区との繋がりを思わせるものだが、やはり「トコロ変われば」ではあろう。あちら(ウイグル)が円盤投げの円盤に近い、平べったい印象があるのに対し、こちらはもう少しフカフカと、猫用クッションのような柔らかさを想像する感じ。

新しいエリアに移動した実感をパンから教えてもらいながら、手にあるそれを更に一口分に千切り、齧ってみると、まずやってくる仄かな風味にフランスパンを連想した。噛んでゆくと、やはりそんなシンプルな甘さがある。

スプーンからして、自分の食器という限定がない。…のだけれどもしいて言うならば、各自、千切って手元に置く「パン」のかけらが、それに相当するといえるだろうか。まさに皿的に、スプーンから零しそうになるのを、或いは故意に落として受け、染み込ませて食んだりもする。パン食地帯でよくある光景であり、当然、パン屑がポロポロとクロスの上に散っているが、気にしなくていい。

ともあれ。

パンにシチュー。いやパンとご飯(雑炊)という、いってみればダブル炭水化物なんだけど、重いとか合わないとかの違和感はない。米は我らが見なすような主食としての位置には無く、すっかりこの汁物の具として取り込まれており、またトロミの演出を担っている。パンの相手として理想的なオカズに収まっているのだ。――なんて、まぁ調子こいて味云々言っているが、ホントならば荷物を背負い、宿なしの不安に苛まれながら新しい町を歩くはずだった時間だろう。狐にほっぺ、まことに幸運だと思うしかないのだが、だからってあとで何か困難が待ち構えていても、「今を思い出せば耐えられる」なんてプラス思考に迎え撃つ精神力はないから、そこのところ天国のおじいちゃんおばあちゃん、ヨロシク。

改めて、パンにシチュー――それは、いい。

そして湯呑に入ったジャム類も、「分かる」。

瓶に入っていないから、お手製なのかもしれない。木苺だろうか、しっかりした安心の甘味だ。そして並んでもう一種類の、ピーナッツクリームのようなもの――と思ったらそれは色だけで味は全然違い、甘味は確かにあるけど甘ったるくはなく、酸味もあるしどう言っていいのか分からない。てっきり「ピーナッツ」と思い込んでいただけに、原材料が全く頭に思い浮かばないものの、悪くはなく、木苺(かどうか知らんが)とは別方向の味で、飽きさせないのだ。「へぇ、」と珍しがりながらも、それが存在すること自体に疑問を挟むことはない。(後に市場でもよく売られていることに気付き、伝統的な類だろうと思われるのだが、正体を突き止めたいほどの情熱は無かったため結局正体不明)

――が、これらの周りをコビトのように取り囲んでいる「菓子」は、どのようにこのメニューの中に割り込ませればいいのだろう。

 

チョコを食べたそのあと口で、シチューを食べる、なんてことになってしまうではないか。いや、食後のデザートか。ならばオカズと共に、一斉に並べなくてもいいと思うが。

もしかすると食べるのではなく、単なる飾りなのではないか。シンドくっても目を覚ましたなら、「世界はイイモノで満ちている」と喜びを喚起させるべくの…。

というと、どうということもなく、それはもう「フツーに」である。

何もひねくることなく、パンを食べ、シチューを食べて、その合間にクッキーを口に放り込むのだ。

まるで漬物のように。或いは「口直し」に。パンを食べたその次に、チョコの包み紙を開いては、ポンッと口にいれるオジサン。そしてお茶をすすったなら、またシチューにスプーン突っ込んで…。

正直、「エ、」とは思った。「食後」と切り離すのではなく、オカズとお菓子を同じ場面でなんて、魑魅魍魎…とまではまぁ言わないけれども、二つの異次元を行ったり来たりではないか。不気味な事態を恐れて我が口は躊躇するものの、…まあ、考えてみればジャムだって「甘い」ものだ。けど違和感がないのは、それ(=パン)とセットとすることに慣れているからであり、そう、菓子パンだって同様。クリームだのアンコだの、そしてチョコレートだのと、古くからパン食文化圏にあるところの人たちさえ知らない、多種多様な「菓子パン」大国ともいえる日本からやってきて、何を言うか、というもんだろう。

だが、チョコパンやアンパンを、シチューに添えたりはしない。

チョコトリュフを、クッキーを食べる時とは、フツウはそれを目的にしている。お茶でも用意しての「オヤツ」の時間のことであり、それはれっきとした食事時間からは隔離されているもの――という固定概念があった。「ご飯が入らなくなるから、食べ過ぎちゃイケマセンっ」と諭されるような、それらとは、れっきとした食事とは対立する「敵同士」ともいえる関係にある、と。

だが両者が混在するという、母から怒られそうな光景がここにある。少女はクッキーを一枚や二枚、モグモグとしてからやっとパンを千切りはじめ、おばさんは、シチューをひとしきり堪能し終えたのか、ふぅ…と天井を仰いで「昨日は疲れたネェ…」などと多分呟いたのち、チョコの包みになにげに手を伸ばす。――べつに「今日の朝」が特別、という雰囲気は感じられない。

 お菓子を並べての食事、というのが、キルギス流なのか。それともこの家だけなのか。どっちでもいいが、到着早々のカルチャーショックであり、全くもってワクワクしてくる。

そして、注いでくれるお茶は、「紅茶」。

キルギス入国後、食事休憩で入った食堂でも、出されたのは「紅茶」だった。紅茶圏に入ったのだ。

 一つクッキーをつまみ、放り込んでみる。…お茶が、よく合う。…ウレシイ。オイシイ。

食事中なんだから、お茶を飲む。

お茶があるんだから、お菓子も置く。

――と、お茶との関係を連ねて、それらはあるのだろうか。

お菓子はやっぱ私にとっては「おやつ」であり、食事ドキにこんなもの食べちゃって、と違和感を捨てきれないものの、それでも「あの模様の包みのチョコがおいしい」。もう一個食べたいな、なんて思い始めて糸が切れたか、結局手が止まらなくなってしまった。だからってシチューから足が離れたかというとそうともならず、目の前にあれば「もう少し食べてみようかな」と、スプーンを伸ばし、すくってしまう。その、あっちつまみ、こっちつまみ、が楽しい。お菓子を食べたっていい。朝食は楽しくていいのだ。「甘い」と「オカズ」が口の中で不協和音を奏でると懸念する必要もなかった。後味など茶で流れてしまい、どういうことはないのだ。そう、要は、何事も慣れなのだ。

それにしても、もしかして――と訊いてみた。

皿を持って登場しただけでなく、お茶に追加するお湯を沸かす為に立ち上がったり、さらに別のチョコレートを持ってきたり…。みんながドシっと腰を据えたままの中で、アレもってきてコレもってきて、と、立ったり座ったり、家族に供する役割をひとり担っているのは、――この女の子。

 …この料理を作ったのは、あなたでしょうか。

うん。クッキーをパックリまた一つくわえながら、素っ気ない目と共に頷き、それが何か、とでも言わんばかりである。

                             (最終訪問時2008年)

 

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「餅」の楽しみ・回教系① ~西安

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イスラム教は中国で回教・或いは伊斯蘭教と表される。(ここでは回教と呼ぶことにする。)中国でイスラム教徒といえば、まず中国西部・ウイグル自治区に住まう「ウイグル人」が思い浮かぶだろうか。ほぼイスラム教徒であり、中央アジアのトゥルク系民族に起源をもつ彼らは、ひと目見て漢民族とは異なる顔つきであることに気づく。文字も漢字ではなく、独自の言語体を持つ。

とはいえ、彼ら・ウイグル人に限るというわけではなく、中国におけるイスラム教は、唐の時代(618~)より中央アジアやペルシア・アラブ等西方からやってきたイスラム教徒たちと、漢民族、或いはその他の少数民族が混血してゆくにつれて改宗者が増え、この地に定着していった歴史がある。

その過程でイスラム教を信仰するようになった民族は、「回族」或いは「回民」と称されるが、当時、青島から列車で移動した私は、西安に到着してその姿がえらく多く目立つような気がした。その目印とはやはり、男性ならば、お茶碗を裏返したような白い帽子であり、女性ならば頭に巻き付けたスカーフ。

イスラム教の故に、食もまた反映される。

辺りには羊肉の匂いが漂い、「清真料理」の看板がよく目につく。「真清」はイスラムの料理を指し、その特徴としては、禁忌とされる豚は一切使わず、羊肉をはじめ鶏肉、牛肉等の食肉は、祈りを捧げた後に屠畜されたものが使われること。なかでも羊は西方の遊牧民にとって貴重な家畜であり、イスラムにおける祝祭日・犠牲祭においては神への生贄として捧げられるものだ。

都市、いや州、いやいや「中国」と区切る境界線が消え、頭の地図が広がる。シルクロードの要所でもあるこの地から、西方に続くイスラム圏がうっすらと見えてくるようでもある。

そんな西安において、イスラムを漂わせる中国の「餅」文化・そのうち、僅かばかりを挙げてみることにする。

 

 1・「まるで餃子」

 

 中で火を焚いたドラム缶の上に載るのは、直径一メートル近い平らな鉄板。その上から、大きなやかんの湯か水かが注がれれば、予想通り「ジャアっ」と音が弾けると同時に、玉手箱でも開いたかのように一瞬で蒸気が上がった。

見とれるもつかの間、その魔法を押しこめるよう、これまた大きな木蓋を即座に被せる白い腕――は、エプロンを巻き付ける、髪を逆立てた青年。つまみが円の直径に出っ張った、うちに昔からある落とし蓋と同じ型だが、なんせ巨大だから五右衛門風呂用のようで迫力がある。

…いやそのことよりも、である。それは「焼き餃子」じゃないのか。

丸椅子に腰を下ろし、テーブルを埋め尽くすお客たちがその箸に挟んでいるのは、鉄板に敷き詰められたなれの果て。いやワシはワンタンメンがいいので、などという人はない。脇にスープのような小丼をお供にするかどうかはまちまちのようだが、そう大きくはない皿に丸いのが五個、無造作に散らばっているソレが、ここが目的地となる理由らしい。一口サイズ、…ではちょっと大口だろう。

 暫しの後、華奢な腕が再び伸びて蓋が完全に裏返されると、「やっと」と、待ちわびたように蒸気は宙へと吐き出された。「オカズ」の匂いが強く漂い、勢いを落ち着かせたあとにはっきりと姿を現したのは、――「餃子」。

とはいえお客の前のそれらのように、三日月ではなく、ヒダも寄っていない丸い形だ。小籠包よりもやや大きめというところか。中身が見えているわけでもないのに、具の存在が確信できるホッコリ感。菓子屋の大きなせいろに並ぶ蒸し饅頭のように、モコモコとした小山が天板を埋めている。

ぱちぱちぱちぱちと、油の撥ね散る音が鳴り止まない。側面が妙に蛍光がかっているのは、油に浸かっていましたことを示しているのか。やかんから注ぎ足していたのは水ではなく、実は油だったのかも、なんて思うと躊躇が走るが、きっと鉄板に接した部分は、燦然と輝く黄金色であることが、裏返さずとも信じられる。…ってお客たちの皿の上を見やれば、コロンと転がったその底面に、パリッと脳内も弾けそう。と、食い千切っているその中から、茶色い具が見える。

 三十個、いや四十個、いやもっとあるだろうか。ミニスコップで土を運ぶよう、それ用のヘラを、焼き上がっているそれと鉄板との接触面に滑り込ませ、隣同士少々くっついたままに数個を掬い取ったなら、隣にある大皿へとドサッと放る。それを何度か繰り返して鉄板の上全部をさらい終えたなら、その跡地に「次」をホイホイと並べ、一面を再び埋めてゆく。

 朝である。入口など区切られていない、まるごと開けっ広げられた店内は学校の教室の半分もなく、人が収まり切れずに通りにまでテーブルが広げられていた。

見たところ、家族・三世代で切り盛りする店だ。一番深い皺を湛えた「おじいさん」。そして、青年の「お父さん」と、同程度の皺具合にある、その兄弟「叔父さん」。年配の男性陣は「イスラム教徒なのでしょうな」の目印・白帽子を被っているが、一家の長老とおそらく釣り合う年齢の「おばあさん」が被っているのは「コック帽」。イスラム教徒ならば女性は布を頭に巻き付けているイメージがあるが、じゃあこの人は、お手伝いの近所のヒトだろうか。それともコック帽でもヨシ、ということだろうか。

そしてもうひとり、どっちの息子だか知らないけれども、皿帽子を被っていないのが鉄板前に立つ青年。ツンと立て、少々茶色に染まった髪は何らかの主張・反抗期の表れだろうかと思えど、頭を垂れ、もくもく慣れた手つきで作業をこなす仕事っぷりは、流れを滞らせるつもりは毛頭ございませんとばかりで、ひたすらに「真面目」だ。「染めてみたけど、どうかな…」と、芽吹いたおしゃれ心で顔を赤らめながら鏡を見る、その姿が妄想されてきて、可愛く思えてきた。

 とそれはともかく、やっぱり「餃子」に見えるわソレ。

――というのは、だ。訝ることもなく「餃子でしょう」と一発脳は判断するんだけれども、ここは中国。当時「初中国」であった私は、頭の隅に入れてきた参考書の豆知識が、スルッとそう断定するのを阻んでいる。

私、そして私の周辺の人々(つまり日本人)が「餃子」と何気に口に出す時、それは特に但し書きせずとも「焼き餃子」を意味している。だが皮のパリパリを愛でるそれ・「焼き」餃子を「フツウ」と見做すのは、日本ならではであり、中国で「餃子」と言えば、もっぱら茹でる「水」餃子のこと。「焼き」を食べないことはないが、水餃子の残りでやるもんらしいのであり、…なんか仕方なしに処理された「焼き」の姿というか、不憫な立場にあるらしいのだ。ちなみに、「蒸」餃子はというと、これは私らが中華の店で「エビ餃子食べたい」「小籠包ある?」とワクワクしながら注文するようなもので、つまりちょっと頻度が薄まる、「タマには」的な位置といえるか。

ともあれ、中国で一般に「餃子でも食うか」とシレッと言う時の「餃子」といえば、以心伝心・暗黙の了解的に「水」餃子。家庭で作るという時も、当然ソレを指すのが普通。

 …でもソレ、「焼き」餃子に映るのだが。

ヒダヒダした「あの形」じゃないだけだ。遠目に見ても、「残り物」…ということはまぁ、店だからまかり間違わない限り無いとは思うが、次かその次かと鉄板行きを待機している、脇のトレイに並んだ丸坊主たちは、「すでに茹でた後」には見えない。手に、或いは生地同士で引っ付いてしまわないようにとの配慮から、その肌には少々粉を振っているのが分かる。はじめっから「焼く」のを目的とした、それは「ナマ」の状態だろう。

空く時間など見えてこないテーブルに、果てしない数の成形が必要であろうことは想像に難くない。「お母さん」の姿が見えないが、裏方でそれに徹しているのだろうか。息子君は、トレイの上にあるナマのそれを、惜しげもなく一度につまんでは、サッサカと鉄板に並べてゆく。

その様子をじっと見ていると、「アレ」――いまになってようやく気が付いた。私の言う「餃子」・つまり「焼き餃子」もまた、「焼餅(シャオピン)」の一種ではないのか、と。

「焼餅」とは、繰り返すが要は小麦粉製の「おやき」。捏ねて形作った生地の塊を、その種類によって大なり小なり丸く成形し、鉄板で(タップリの油を使って)焼き上げたものだ。生地に油脂を巻き込んでパイのように「層」を作った「千層餅」や、葱を紛れ込ませたた「葱餅」等もこれに含まれる。そして、実際、肉や野菜を混ぜた、まさしく餃子にもよい「具」を包んだ「焼餅」も見かける――たいていの場合、アンパンのような大きさだから発想しなかったものの、あれも「餃子」と似たようなものではないか。円盤型の巨大餃子とでも言えないか。そもそも小麦の生産する、小麦粉モノを食べることには非常に長けたところの人たち。「具を包んで焼く」ということぐらいワケないことだろう。

そうよねぇ。「餃子」、食べないハズはなかろうて。

――とはニヤけたものの、さぁそれはどうだろうか、と天の声が響いた訳じゃないけれども。

なんでも中国において餃子とは「縁起もの」。昔の「貨幣」を模しており、「春節」・つまり旧暦の正月にソレを食べることで、一年の幸を願うという。或いは結婚式だとかなんだとか、祝い事があれば登場する、「ハレといえば」の定番である。(日本で)正月に小さな団子を三角錐に重ねても「鏡餅」(米のモチ)とはいわないように、「似たようなもん」では済まされないのであり、「ふざけたこと言ってんじゃありません」と一蹴されるに違いない。餃子も小麦粉製品だから、モチロン「餅」の範疇ではあろうが、そのうちの「餃子」の定義を満たすからこその名称。

 ともあれ。 

看板はなく、品書きもない。「そんなの書かずとも分かるでしょう」それだけしかないんだから、という、モロに地元の人間だけが通う食堂である。確かに気まぐれに入った小さな路地に、偶然見つけた場所であり、目立つ佇まいでも全然ない。…けれどもこれだけ人が寄ってたかっているのを前に、私にはもはや見過ごすことはできない。素通りするなんて勿体ない。町のど真ん中にある立派な鐘楼よりも、大きな大きなインパクトがある。

ヨソ者の自分にとって、喉から手がビヨヨンと伸びるほど欲しいモノ・旅に出たかいをひしひしと感ずる喜びとは、「地元の味」にタッチすることだ。

何だろうか。どう呼べばいいのだろうか。

「餃子っぽい」ものを注文しようにも、店の一家は忙しさで下ばっかり向いている。とはいえ、「あのぅ」という、その呼びかけ方も、まだイマイチつかめていなかった。突拍子もない発音となり、「あ!?」と訊き返されて目立ったところで店内の客の目が一斉にこちらへ、なんて風になったらヤだなぁ――とか、ストーリーが脳内で進行し億劫になる。客のほぼ八割方がオッサンで占めている、というのもドスがきいていた。

なかなか内側に入る勇気が湧きおこらないが、ここで引いてはのちのち宿のベッドの上で、意気地なし、臆病者と目を潤ませ、眠れない夜を過ごすことになろう。まぁヒマな旅行者は一日や二日で慌ただしく町を去ったりなんかしないから、また明日来ればいいんだけれど、でもここで引いたら負け犬だ――って、私が「意地になる」とはこういうところなのだなと、ふと思う。

何を第一声に発すべきか迷いのままに、とりあえず、配膳をしている店の「おじいさん」にフラフラと近づいてみる。皿をひとつ配り終え、ひょろっと痩せた背中を向けていたものの、気配を感じたようで突然パッと振り向いた。ぎょろりとした目にドッキリ、とっさにその額に食いこむ皺の奥へと視線をそらしつつ、人差し指をつきたてて意思表示のつもり。

「一皿」。或いは、「一人分」ください。まぁ、そんな感じで。

すると、「ここに異星人が!」なんて声を荒げることなど全くなく、おじいさんはウンと頷いてくれたことに一瞬で安堵した私は、次に「ココ」と指を逆さに向け、ひとつの席を差した。わかった、などというサインはもはやなく、一直線にドラム缶の元まで戻り、次々と大皿に焼き上がっている中でもソレ・いま鉄板から剥がしたてのまさにソレ欲しい、というやつを、一皿に五個載せてこちらに持ってきてくれた。なんと、あっという間に、望み通り。コトが難なく進んでゆき、あっけなくも素直に嬉しい。今日の運はこれで使い切ったとしても悔いはない。

値段は、一元。(一元=当時約十五円)

焼き立てを逃さず、さあ食うべし。

殻のようにピッと張った焼き目をしげしげと見つめながら、箸で持ち上げ、齧ってみた。皮のパリッパリは、おお、快いまでに「尖がった」感。しかし鉄板と接触していなかったであろう部分は、水餃子のようにモチモチと弾力がある。破れた部分からその中身をじっと見て、再び齧る。

肉、春雨、葱を、シンプルに塩味で炒めるなどした後、包んであるようだ。シンプルとはいえ、「オ、」と通り過ぎてゆくのを振り返らずにいられないのは、やはり羊肉の風味。さすがイスラム圏、やっぱり「肉」と言えばコレなのだ。まぁ、入っているのはソボロ状のがポツリポツリで、ボリュームとしては春雨の方が勝っているのだが。だがこの春雨が、肉や調味料を一手に吸い上げて全体に広げるといういい仕事をするもんであり、カサ増し目的としては実に正解な存在なのだと感心した。

鉄板担当のボクが顔を上げ、よそ者への怖れを孕んだ目でこちらを見ている――んじゃなくて、そりゃ熱いだろうに、水を飲む。そうして黙々と、ひたすら鉄板と対峙するのだ。木蓋が開かれること何度目か、焼けた端から、皿にホイホイ積まれてゆく「まるで焼き餃子」たち。その度に、下になったヤツはパリパリ部分が熱でふやけちゃうんじゃないか潰れちゃうんじゃないか、と少々気になるが、それから間を置かず次から次へと運ばれてゆくから、まぁダイジョブねとの次第となる。朝のピークは回転が飛び切りによく、焼き立てにありつけることも難くない。

壮観である。別にひとりじゃなくて、「何人がかり」でもってその数を減らしていっているのだが、「よく食うなァ」…人間とは食わねば、ということを実感する街の一角・朝の元気付けにいい光景だ。

「おばあさん」は見かけないよそ者に訝しげな目を向ける――んじゃなくて、遠慮もなく大あくびののち、腕をパワフルに回す。忙しさにお疲れだ。

私は自意識過剰を鎮めるように、食を進める。

それ自体は無味な春雨のはずなのに、紛れ込ませると何故かこいつの存在が一番嬉しいかもしれない。

                               (訪問時2002年)

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遠野の餅② ~胡桃を擦る

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「和風版」である。

すり鉢と、回る「ハネ」をつけかえれば、見覚えある姿になる。洋菓子屋の、シャカシャカと回転して生クリームを泡立てるぼんぼりの骨組み・ホイッパーのついた、あの機械。ミキサーだ。

「ハネ」…というか要は回転してモノをかき混ぜるウデの部分であるが、会議用テーブルの脚の太さのステンレス棒が二本、U字型磁石のようにくっついており、ソレだけ見れば「すりこ木」なんて発想しない。が、その先端には、床の滑り防止用ゴムの如く、カバーが付けられており、それは「木」だ――それが、主張なのだろう。山椒かどうかはわからず、申し訳程度に取って付けたようではあれど、肝心な部分が木であることで、鬼のこん棒型したアレと変わりありませんよ、と。

「すりこ木」がいかにも業務用「機械」であるのに対し、下にはめられている「すり鉢」は、姿かたちは普通・すり鉢そのものであり、その特大サイズはウチにもある。おそらくこの家に「もともとあった」のを、使っているに違いない。――とも思ったけれども、よく見ればその傾斜した側面・左右に、両手鍋のような取っ手が金具でガッチリと取り付けられており、ちゃんと「これ用」に決まったヤツじゃないとはまらないようだ。…ミニから特大まで、どのサイズでも揃えてないことはなさそうな家だから、「買わずとも済むのに…」と、おかあさんはきっと歯噛みする思いだったろう。

ウィンウィンウィン…と、それを稼働させる機械音の方が、すりこ木と、胡桃との摩擦音に勝っている。

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「三時間、擦るの。」

「三…」

今が、ようやく「二時間」という。

胡桃は「1.5キロある」と言った。見た感じ、胡桃は既に味噌のようなペースト状になっている。ピーナッツバターといってもいい。

だがおかあさんは視線を落とし、「これじゃ、まだね」と当然のようにいってのけた。

「舐めてごらん」と言われるがままに、ハネの当たらない部分を指の先っぽにひっつけて舌に載せると、――ほう、甘味無しで舐める「胡桃そのもの」とは、嗅ぎ取ろうと集中しないと結構「無味」なもんなのだな、などとは思う。だが何が「まだ」なのかわからない。

「ちょっと、ざらついているでしょう」

――これで? と、…そう言われれば、ちょっとあるような、ないような。だが、それは重箱をつつくというか、キリがないと言うか。物質である以上、かたちの面影はやっぱり残るんじゃないのだろうか。

とは思ったけど、「うん。」と、一応は返しておいた。

「擦っているのは、胡桃だけなんだけどね。これだけでも、ちょっと甘いでしょう?」

「ウン」。――「無味」と思ったなんて言えず、これも一応頷いておく。

おかあさんはゴムべらを握り、スイッチを押して機械を止めると、糠床をかきまぜるようにぐるっと内側側面にこびりついているのを落とす。そうして、再びスイッチ・オン。

これが、あと一時間経つと…。

 

岩手県遠野市岩手県を縦断する北上山地の盆地にあり、岩手県全体では、南寄りの中心部に位置している。

三月、焦げ色の土をのぞかせた一面の田には、竹箒のような稲の刈り跡が果てしなく列を作り、道端には草が猫の毛のようにそよいでいる。枯れ色の大地の向こうには、霞を帯びた山が黙りこくって聳え、語りかけるのを許さない。その代わりに、渋く煮出したほうじ茶のように濃い色をした大きな大きな「木」が、あらゆるものを代弁するエネルギーを、その幹、その枝、葉の葉脈にまで滾らせていて、正直不気味にも映った。

遠野物語』を書く気にも、そりゃなるわなぁ、…なんて、オマエに書けんのか、ということは星の彼方へおいておくとして、あの中の不思議な民話が、ポッポッと、灯となって枯草の上を飛んでいるようだ。

数年前、とあるきっかけからお餅屋さん夫婦と出会い、以来、遠野にやって来たならばその顔を見ないことはなく、またその餅を食べないことは決してない。さらに広島に戻るという時は、私ってここが自分の里だったっけかというほどに山盛りのお土産をズッシリ、目頭熱くさせるほどにぶら下げて帰るのが常となっていた。

そしてこの度は、ただ「味わう」だけじゃなくて――と、それまでふつふつと静かに湧いていた興味を二人に告げ、「餅づくり」を、見せていただける展開となったのだ。

 

 工房は、通りに面した自宅のその奥に立つ、別棟にある。蔵だったのを改造した感じだが、とはいえそこは家の敷地からいったん出て、両側にご近所さんちがある小道を十メートルぐらい進んだ先という、飛び地のようなところに在った。確かに、自宅とは離した方がいいかもね、人の出入りもあるだろうし――などとなんとなく思うけれども、「店」という感じはまるでない。確かに通り沿いには「餅」と小さな看板が交通標語のように立ってはいるけれども、暖簾もなく、一帯は普通の民家が建ち並ぶのみだから、一見客も「客」に果たしてなり得るだろうか・大方「どこ?」と呟いて通り過ぎてしまうのではないか。

そう、工房は店頭販売を掲げているわけではなく、まさに作業のみの場である。日々「産直コーナー」へ出す分と、予約分をここで作っている。もちろん、ご近所さんは回覧板を持ってくるようなノリで「お餅まだある?」とやってきて、予約に被らなければ売ることが出来るが、たとえ一個二個とはいえども予約した方がよさそうだ。

扉を開き、靴を脱いで一段上がったところは、デスクと椅子が二つ、棚などが置かれた、六畳程の事務所部屋となっており、材料費を計算などするのだろう。ストーブと腰かけ椅子が真ん中に置かれ、一休みするべくスティックシュガーが筒に数本立てられており、片隅のミニ流しには、コーヒーカップが伏せられている。

ここを抜けた奥が、本舞台である。

 十畳、いやもう少しあるだろうか。昼を過ぎた午後三時、眠くなるような柔らかい光が窓に差し込んでいる。

じっとしているだけで息が荒く、自然と口が半開きになる広島からやってきたいつぞやの夏、ハッと我に返るような涼しさだった遠野だが、とはいえ西日に照り付けられてはシンドイだろうか。すりガラスで光は幾分丸みを帯びてはいるけれども、西日に正面向かう流しはもちろんのこと、真ん中にドンと置かれた、畳三枚分はある調理台のステンレスは反射して、電気を点ける必要もない。

 いかにも「業務用」である大きな調理台、餅つき機、胡桃を擦るミキサーなどといった機械を除き、商売用の場というには親近感が湧いてくるようだ。流しの下に取り付けられた白い開き扉とか、引き出しの取っ手の具合がいかにも素っ気ない感じが、「昭和の台所」的と言おうか・昔住んだアパートや祖母の家の台所を想い起こさせて懐かしい。壁に沿って置かれた木目の食器棚はいかにも「お宅」であり、冷蔵庫も大きめではあるが、一応は家庭用スタイルである。「関係者以外立ち入り禁止」と貼り紙した食品加工場などの雰囲気などからはもちろん程遠い、工房というよりは「お宅拝見」の気にさえなる。

とはいえ、ボールや鍋、ヘラなどの器具があっちこっちと置きっぱなしなどという「生活感」はさすがにない。お玉やしゃもじ、ゴムベラやフライ返し、菜箸などは、「気を付け」を言い渡されたように流しの上に整列してぶら下がり、ボールやザル等もサイズ順に網棚に伏せられている。その下に敷かれたタオルの、漂白したてのような白さが目にとまる。いますぐ保健所職員が抜き打ちチェックに来たって、全く狼狽えるべくもない清潔さだ。

その、鎮まれる工房でたったひとり、という風に稼働しているのがミキサー君であり、ご主人様のオーケーサインを夢見てひたすら胡桃を擦り続けている。

『あと一時間ね』

既に経過した「二時間」で、ひとつの作業としては十分に思えるが、トータル「三時間」は必要――豚の角煮を圧力鍋なしでまともに作るような時間であり、CM込みで映画一本見られる。あと一時間か――お茶を飲みに行って帰って来る余裕さえあるのではないか。…ってイエ催促したわけでは全然なくって、ホントに「せっかく遠野にきたんだから」と、三十になったばかりの心優しき孫君に、おかあさん共々近郊にドライブに連れていって貰い、ホクホクして帰って来てもまだ健気に働いていた。お土産のひとつも…という憎まれ口をたたくこともなく。

この特大「すり鉢」に適する太さ・長さの、ホントのすりこ木を想像すれば、足を下ろしているこの二本の棒・一本の太さはその半分ほどもなく、骸骨みたいで見た目には貧弱ではあるのだが、微妙に「斜め」に傾いて回ることで、すり鉢内のどの斜面にもうまくあたっている。しかも二本あるから、見た目に反してホンモノに決して劣らない効率にあるようだ。

ともあれ一時間。正確には少々過ぎて、もうじゅうぶんだろう。

「よかった…、」

実を言うと、冷や冷やしていたらしい。擦り過ぎると油がにじみ出てきて、そうなると「やり過ぎ」なんだと。

…ソレ言ってくれればスグ帰ったのに。――いや、言わないだろうなぁ、おかあさんならば。おそらく「せっかくのドライブだから」などと気を遣うのが先で。だが、三時間もかけてやったものが結局イマイチではイカンのだが。

ドライブだからというわけではなく、機械に元々備わっているであろう「高速スイッチ」に切り替えることがないのは、ウッカリ「機を逃し」油がでてきてしまう事態を防ぐ為でもあるのだろうか。機械化といえば「時間短縮」とセットのように思えるが、三時間というまさに「手仕事」的な時間を、機械にもそのまま当てはめているのである。

擦らないとだめ。やり過ぎでもダメ。――だが、漏れた溜息は安心の表れ。特に油が出ていることもなさそうだ。

色が変わったわけでも無く、一時間前と今とでは、私には見た目に変化が無いように思えた。スイッチを切って動作音が止み、促されて小指で少々を掬いとった瞬間、私って手を洗ったっけか、とよぎったが遅い。口に含んでみると、――「ほら、ね」と、おかあさんの静かな目線にプレッシャーを感じ、一応は頷く。

…まぁ、うん。舌に感じるものが確かに「なくなった」ような気が、するような、しないような…。

そもそも「二時間」の時点で、既に結構なペーストだと思っていたから、「うん、全然違う」なんてきっぱり答えるにはワザとらしいのでは、というぐらいの差だ。更に一時間擦ることで、それはもうトンデモナイ状態が待ち受けているんじゃないかという、目を見開くほどの驚きを期待していたのだが、ちょっと肩透かしをくらったかな、というのがホントのところなのである。

だがそれは私の凡な舌だからであり、日々ソレと向き合っている人には明らかなのだろう。「高速スイッチ」にしても、それをしてしまえば胡桃が必要以上に熱を持ち(摩擦熱によって)、変質してしまう…なんていう微妙な指摘も、おかあさんの口からは出てくるのかもしれない。

――昔はタイヘンだったろう。

なんせ胡桃・1.5キロもある。このゴツゴツを滑らかになるまで擦るなんてのは、相当根気がいる仕事だ。

「そう。そら、タイヘンだったんだぁ。昔はツブツブがどうしたって残ったけど、今はキレーイに出来るもんな。」

すり鉢をミキサーから外し、よっこらせと持ち上げるのを、あぁ、そのくらい手伝うよ…と役に立たない手を添えた。これ、重いのだ。だがひとりでやるのは「いつもの仕事」なのであり、内心「年寄り扱いしないでほしいなぁ、」と言いたいのかもしれないと、即こっぱずかしくなった。ちなみにおとうさんはというと、いまはテレビの前で炬燵の番をしているはず。ここで出番はまだない、か。

ともあれ、――そう、やはり機械なのだ。いくら根性座らせたとしても、人の手ではやっぱり、このように完全ツルツルペーストとするのは難しいだろう。その労力をスイッチひとつで肩代わりしてくれる、機械は御の字もいいところであり、やはり「革命」。「はぁ」と腕のだるさに息ついたり、トイレに行く必要も、腕の筋肉痛などに心配することもなく、一定の偏りない力加減でまんべんなく効率よく擦り続けてくれる。機械だからこそ、どれだけ大量になろうとも「じゃあやるか」とあっさり腰を上げよう気にもなれるのだ。

それにしてもふと思うんだけれども、「昔」ことを考えるならば、さっきの「二時間」の状態でも上の上出来だったろうに。

とすれば、そのこだわり・ミクロをいうような滑らかさとは、機械が入った「いま」だからこそのものであり、それがおかあさんにとって「現代」を生きるということだろうか。言うならば、昔ながらでありつつも、モダンな要素を取り入れた郷土の味――なんて、広告みたいだが。

 

すり鉢を調理台へ、よっこらせと載せたなら、中の擦り上がった胡桃をゴムベラでを数回、よし、よし、と、確認するように回し混ぜ、見つめる。視線を落としているその伏せた瞼は、おかあさん、と呼ぶよりも「職人」だ。

調理台の下から、どこの家庭にでもありそうな大きさの、アルミ製ボールを取り出したら、その中に胡桃ペーストをゴムベラで移す。

「これが、シロップ。」

と、鍋を調理台の隅から持ってきて、見せてくれた。まるで鼈甲飴だ。綺麗だねぇと言いながら、私もお玉の柄を手にしてみると、そのトロッとした重みが伝わってくる。シロップ――いかにも甘いよ、と言っているような色だが、醤油を思わせなくもない濃さはナゼ?というと、ザラメ糖によるという。

「この中に、シロップを混ぜてゆくの。一杯ずつね」

と、表面をゆらり揺らしながら液体をすくいあげ、表面張力でお玉いっぱいにへばりついているのを零さないよう緊張するも、シロップは飛び散ることもなくトロン…と、ボールの中へと滑り込んた。おかあさんはゴムヘラで、最初は慎重に、ペーストを畳み込むようにしてシロップと混ぜ、そして馴染ませてゆく。もう一杯、またもう一杯…と、更に混ぜてゆく。

「これは、温かい?」と、鍋肌を触ってみれば全くもってその逆。完全に冷めきったシロップである。

「冷ましておかないと、ダメなの。じゃないと、胡桃に火が通っちゃうからね」

――ほぅ。

やっぱり、「摩擦熱」も気にしないわけなかろう。すり鉢を使い、手作業のような速度でこなすのは、「手作り感」を損なわないように、とかいう宣伝の為でもモチロンなく、ちゃんとそうすべき「意味」がある。

 

「うん」と言ってお玉を鍋の中に置いた。

「これでいいよ。食べてごらん」

その具合とは、ヘラで持ち上げるとカスタードクリーム…よりももう少し固いか。ジェラートと言った方が、まだ似ているかもしれない。

――新発見、というべきだろう。…って、おかあさんの作る胡桃餅を食べたのは初めてではないのだが、改めて、胡桃というものの味について知らされた気がする。この優しさ――不思議だったのだ。

胡桃は大好きだ。が、「好き」で知っていたのは、パンやケーキの中にポツポツ、豆ごはん的に混ざった胡桃である。耳たぶのような曲線が、カリッとサクッと砕けるのが心地よい、香ばしさが身上であってこその胡桃――だと思っていた。

が、それは胡桃のほんの一面だったと気付かされる。そもそも、シロップの熱で「火が通る」と懸念するぐらいなのである。(絶対、摩擦熱も。)おかあさんの求める味に、「香ばしさ」などは眼中にない…どころか「余計」とさえ思えるもの。まぁ出荷の段階で、カビ防止の為に既に「乾燥」はされているから、「生まれたての自然な状態」というとちょっと違うのだが、過度なアピールはこの今は耳煩く、胡桃自身の持ち味をかき消してしまうとさえ言っていい。(「ナマ」も売ってはいるが、早々に食いきるべし)

いま浸りたいのは、このミルキーな滋味。アルコール微かに香る、真綿のような柔らかさであり、神経の中へと染み渡るような細やかさなのだ。

…オイちょっと待て、それだけ舐めて「無味」って言わなかったか、というと確かエエそうでしたね、シロップという「甘さ」を加えてこそ漏れ出た、味わいの言葉である。素っ裸の「胡桃」そのものに対して湧いたこととは言い難い。…んだけれども、脳天を突く甘いシロップを抱擁するのが「胡桃」だからこそ、「柔らかい」とか「優しい」とかいう言葉が出てくるのだ――なんて言い訳にいまは徹するしかない。経験を積めば、素「胡桃」で舐めても、「うん」と勢いよくコックリ頷く日がきっとくる…だろうか。

それにしてもシロップにより、さらに滑らかさは増したようで、その艶めかしさにウットリとしてしまう。

やっぱり、こうなるのを目指して頑張ったのかもいれない、という気がした。――機械のない、「手擦り」時代であっても。

ツブツブした食感をワザと残す、という手もある。

スープを作る、或いはジュース、ジャム、スイートポテトをするにしても、題目となる素材(スイートポテトならサツマイモ)を完璧なピューレ状にしてしまうよりは多少ツブツブに残した方が、存在感があっていい、という意見もあるもんだ。

が、ツブツブは確かに「メンドクサイ」の裏返しといえなくもない。例えばコーンスープの場合、ちゃんとすり潰して、さらにザルで越すなどしたものと、それを省略したものとでは、食べた印象にモロに差が出る。「めんどくさかっのだな」というのが丸バレとなり、「顎を動かさないとダメ。食物繊維も実感しながら」などというのは単なる言い訳にしか響かない。…というのは言い過ぎだとしても、「漬物が(或いは味噌が)上手く漬けられるようになって、ヨメとして一人前」等という言い方がされた時代があったように、胡桃もまた、そのバロメーターの位置にあったのではないか。そのこれが滑らかになるまで擦ることができてこそ「良いヨメ」的な――ヤだな、と自分が当事者だとすればゲンナリしなくもない。というのはまぁおいておいて、つまりツブツブを察知されることは、「サボりました」と告白するようなもんである、と。

つまり滑らかさとは、作り手が「誇る」まさにポイント。おかあさんは「こうじゃないといけない」と、擦り上がった胡桃を見て頷き、繰り返す。「存在感が出て良い」というツブツブ志向名目の言い訳は、「胡桃ダレ」に関してはシャットアウト・全くつけ入る余地などないのである。(いえ、ホントに好きならいいんだけれども)。

 

「うん。」と、答えた。甘いし、素直にオイシイ。といっても指ちょこっとでこの味は、強い。正直、食べ続けるに甘過ぎるだろうが、これは原液であり、水で溶きのばして食べるもんだという。確かに売っている「胡桃餅」に絡んだタレは、これよりももっとシャバシャバとゆるく、流れるようだった。

「食べる前に、水で良い具合に薄めるんだよ。今やると、腐ってダメになっちゃうからね」

今してやれないことを申し訳ないという風に、コップ型のフタ付きプラ容器に、空気が入らないよう埋め込んでいった。

 そういう、タレである。

 

                               (訪問時2015年)

 

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遠野の餅① ~胡桃ダレをつけて

 

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しゃぶしゃぶのゴマダレ。或いは田舎味噌――とも、ちょっと違う。コルクをもう少し深く、暗くした色だ。

「ソレ」に、水をスプーンで一杯ずつ、恐る恐ると加えてゆく。もう少し、もう少し…?「売り」に出していたのは、こういう色じゃなかったはずだ。まだ、もうちょっと…。

首を傾げたり、鼻の下辺りにソレの入った小皿をを持ってきてしげしげ繁々と眺めたりしながら、水を垂らしては掻き混ぜることを繰り返す。既定の分量を守ればそれなりに旨いハズなのに、「たっぷり飲みたい」欲が騒いで多めに湯を注いでは「まずい」と後悔する、粉末コーンスープや調整コーヒー、ココアのようなハメに陥ってはならない。いくら学習しない自分とはいえ、こればかりは絶対に、だ。百円やそこらで買い足せるわけでもなく、失敗は許されない。許さない。

 だからといって、「濃いめに」止めておく、というのもまたダメである。「美味しい」というよりも先に、クドさが際立つだけになってしまう。

『ちゃんとね。味を見ながら、水を足していくのよ。』

念を押す、おかあさんの目を思い出した。ホントなら自分でやりたい、と思っていたに違いない、不安気な眼差しだった。言われたときは、カンタンカンタン、「単に水を足すだけ」だし、とそれほど気に留めてもいなかったが、実際やるとなると、このときとはまさに、その印象が天か、はたまた地かと決まる分岐点なのである。自業自得的コーンスープの過ちなんかが頭をよぎり、「単に」なんて軽く流せる行為ではなかったと緊張する。

量を求めてはならない。ただひたすらに「あるべし状態」を思い描き、そこに近づけるよう精神を統一させよ。

 プラスチックの容器から、カレースプーン約三杯分を小皿に取り分けた「モト」は、カスタードクリームよりも固い。膜を張ったような光沢ある表面に、水を加えて混ぜると糊のような粘りが糸を解くように緩まり、色が明るさを増していった。まるで、何かを足しているかのような変化だ。…って確かに水を足しているんだけれども、水=「薄めている」という言い方はそぐわない。モトをマイナスにしてゆく感がなく、その朗らかな色は、何か新たに生み出されたかのように思える。

と、油断したか。スプーン何杯目かに、ワッと水滴が勢いよく垂れ落ち、絵の具を垂らしたような「白」が、表面のそのスポットにシミを現した。

――ヤバイ。

入れ過ぎた、と思っているのに、手はリズムのままにスプーンに載る一杯すべてを滴らせ、掬い取ればいいのについグルグルと、それをかき消すべく混ぜてしまった。「入った」んだから無かったことには決してならず、全体的にえらく優しい、えらくミルキーなベージュへと変化して、隠滅どころかその証拠をつきつける。

これこそ「薄まった」のかもしれない――とは思ったのは束の間、すっかり混ざり、その状態の色として安定してみると、瞬間、頭が岩手に戻ったような気がした。

バシッとはまったのだ。

これだ。「この色」。

舐めてみる。と、フワッと、アルコールのように鼻に抜ける香りに、思わず天を見た。掴みようのないほど僅かだが、何か妖艶なものの印象を確かに残し、消えてゆく。

そう、この味だ。

容器にある原液を味見した時は、強情な甘さがまず先に立っていたが、随分と丸くなっている。そのまろやかさ・優しさは、ミルクを思わせるかのよう。――…って、十分に擦った胡桃とシロップのみ。加えたものは水だけのハズ。なのに、不思議だ。やはり水もまた、こうなる「味付け」のうち、ということだろうか。

「胡桃ダレ」の方は、これでよし。

あとは餅が焼けるのを待つだけだ。A4サイズはある、瓦のような巨大な「のし餅」を、こちらが電話で指示していておいた通り、厚め・1.5cmは下らないよう父は切り分けてくれていた。石鹸とまではいかない、切り餅一個分としての丁度いい大きさになっており、帰ってきた娘の機嫌を損ねないようにと注意を払う、その姿がモロに伝わる。

二つ、食べよう。トースターに入れて暫く待つこと、四分か五分か…、と、思ったよりも早くその頬は膨らみ、風船となった。箸で慌ててつまみ取り、タレの沈んだ深皿へ、プシュッ、くしゃっ、と押し潰すと、固い表面の割れ目から覗く、生まれたてのような柔らかい部分をとっかかりに、優しいベージュ色は表面全体に絡みついてゆく。餅二つ分には少なかったろうかと思ったが、おいてけぼりに底に溜まっているのはカレースプーン一杯分程度。見た感じとしては、丁度良さそう。

さて。

下に垂れゆくのを絡め直すよう、皿になすりつけながら――と、箸で餅を挟んでいるこの時点から既に、その柔らさ、いや、「滑らかさ」に気を取られる。そして既に、それはいつもの餅――ウチで、「餅つき機」を使い搗く餅とは違うと気付いていた。

その光沢だ。例えるならば、湯船からお姉さんがスッと出した腕の、ツルツルしたそのお肌。

見惚れるのもそこそこに、口へと持ってゆくと、米を蒸し上げた時の、あの香り、あの甘さ。――湯けむりのような記憶が鼻から耳を通り抜けて、ぬふふ、とこの口元を引っ張った。

溶ける――ことはなく、溶けそうでいて、そうはいかない。滑らかではあるが、儚いというわけではない。繊細なままには終われない、という、餅たるものとしてのしぶとさがちゃんと芯にある。

そしてもちろん、この胡桃ダレ――米の甘さに追随する、ミルキーな甘味がなんともいい。

上出来の水加減だったといえるだろう、この濃さ。餅を打ち消してしまうほど強くもなく、また弱過ぎて、餅が行き先を求めて彷徨ってしまうような曖昧もない。猫がその上で寝息を立てて熟睡する、肌触りのよいクッションのような存在として。餅を生かし、それを包み込むようにある。

餅は、麻雀台の牌ほどにある。それを顎でグイッと引きのばし、大げさに「ビヨーン」とさせながら口にする快感に浸りながら、当分のシアワセに「ぐふ、」と、鼻の穴から空気が噴き出した。

 

「餅を持って帰りなさい。」

岩手県の遠野にいた。滞在先は、そこを訪れれば必ず顔を合わせるお餅屋さん夫婦宅。だがここを離れてから、旅はまだ続く予定だったから、そう言われても…と、肩に食い込むリュックを思い浮かべてひるんだものの、「送りなさい」と、あっさり言われてしまった。

そう、送るしかない。発泡スチロールに載った餅は、ジッと見ているとこちらの顔面まで伸びてくるような、のっぺりしたプレート状が、一升分――以上。これを持ち歩いての旅など、とても不可能。プラス、日本酒小カップ程度のプラ容器に、それひとつでも「お徳用ジャム」ひと瓶にも劣らない、ズッシリとした胡桃ダレの原液を詰めたものが、二つ。おかあさんが水を加えるのを堪えたのも、日持ちを考えてのことである。

さらにオマケの「寒干し大根」。おとうさんが持ち出した、カランカランと軽そうなそれは、最初へちま(乾燥)かと思ったが、「オレの友達が干したモンだよ。煮て食べな。」。切り干し大根なら包装されたものをスーパーでよく見るしよく食べるが、切らずにまるまる干した「一本」なんて、初めて見た。

「水で戻してね。一回の煮物に、一本使うんだよ。」

「戻したら、ちゃんと水をギューッと絞ってからだよ」

それらを、空き箱へ。dvdレコーダーより一回り小さい、ちょうど餅とタレ(プラ容器)で、縦横の幅がピッタリとくるダンボールは、筆文字スタイルで「かの子豆」という商品名がオモテに印字されていた。これは売り場に出す「おこわ」に使う豆の空き箱で、餅を送るといえばの「定番」であるらしく、問屋に取り置きしてもらっているらしい。

餅の曲線、プラ容器の曲線の隙間に寒干し大根を詰めると、ちょっとアノ、それは…と蓋を閉じられないこと案の定、なんだけれども、おとうさんは問答無用と力づくで黙り込ませた。おそらくこんなふうにして、東京に住まう子供家族のもとにも、「我が家」の証を送っているのだろう。

送り代まで出してもらう気はない。…けれども、こんなにズッシリ、結構送料ってかかるんじゃないかと内心ドキドキしていたのだが、それとなく話を持っていって訊いてみると、送り代は重さではなく「サイズ」であるという。――なんだ。

ホッとしてから改めて、というわけじゃあイエイエ全然、露ほどもありませんが、パンパンに詰まったのを前に、心置きなく「孫」気分でウルっとしたのである。

広島の我が家へと届いた、遠野からの贈り物。まさにそれらは、かの地における日記帳のようなものである。

詳しくはこちら ↓

docs.google.com

 

 

 

 

「フランジャラ」に駆ける青春 ~トルコ・ドウバヤズット① 

 

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ザーッ、ザーッ、ザッ、ザッ…。

「窯」の中から次々と現れるパン。引き出されるその勢いで青色の台の上を滑りゆき、ぶつかり合ってはその動きを止める。

イイ音だ…。

連想するのは、雪の道。少々凍って押し固まって上を歩く時の、あの濁音。――ずっとまみれていたくなる、快感の音だ。頭の詰まりをアイスピックで突き崩すような、どこか芯の部分を刺激する。

パンは棒型。縦に一本のクープ(切り込み)がシャッと入り、そこから裂け、潔く皮のめくれ上がった外見に、ひと目で「フランスパン」と呟くだろう。とはいえ「フランスパン」は厳密にいうと、重量と長さ、クープの数によって、「バケット」「バタール」「ドゥリブル」等々と呼び名が定められている(どれも生地は同じ)。対してトルコで見るその殆どが、クープは一本きりであり、これは分類のうち「クッペ」(「切り込んだ」の意)と呼ばれるものに相当するのかもしれないが、「フランスパン」として紹介されるそれはもっとラグビーボール的にずんぐりむっくりであり、対してこちらは少々スマートだ。両端こそ木の葉のようにすぼんではいるけれども、太さはバット(野球の)の先ぐらいで、長さは三十センチ程度。とはいえその鋭く立派に避けた姿には「フランスパン」を結び付けずにはいられず、実際彼らもそのつもりじゃなくしてなんだというのか・「フランジャラ」と呼んでいる。

 

トルコ東部の最果て・イランとの国境の町「ドウバヤズット」に入ったのは、二月のはじめ・雪景色の只中だった。

通りに面した店の入口側は全面ガラス張りで、屋外からそのクープが見えるように、パンがずらずらと立て掛けられている。「看板」を見るまでもない。フルン(=パン屋)だ。

きっと焼き立てだ。湯気で曇ったガラスに期待を込め、「ごめんください」と中へと踏み入れば、ツンツンと頬に刺さっていた冷気が一気に溶け落ちる。と、同時に目に入るのは「ローマの休日」の真実の口ならぬ、パン焼き窯の扉。

フルンの一般的なたたずまいである。窯扉の前には職人が巨大なヘラ・つまりパン生地を窯の中へ出し入れする道具だが、それを操る姿があり、客は窯からパンが放り出される、まさにその場面に立ち会うことになる。だから焼き上がってから一分も経っていない、スグもスグを手に取ること可能だ。

窓際の「看板パン」も、もちろん商品。だがどうしたって、今生まれたホヤホヤを前にすればそれは色褪せ、「看板」の域を出ないモノに映ってしまう。「コレください」と指を差すのは、まさにいま摩擦ザクザクと響かせている、活きのいい方だろう。

青い店、だ。

窯の開閉扉やその周りは、鉄の焦げた重ったるい色だが、壁は入口のガラス面を除き、藍に近い青色のタイル張り。ちょっとだけ、白がモヤモヤと大理石模様のように入り込んでいるのが、昔くさい風呂場とは違う。そしてパンが窯から出て放られる、畳三枚分はある大きな台の上も、パンを収納する商品棚も、レジ台も、…これはペンキで塗ったね?という、壁に比べればちょっと安っぽいけれどもやっぱり、「青」。写真に一枚撮って眺めたならば、首筋がスースーしてくるというか、素足にピタピタと冷たさが伝わるような寒色が、室内のホカホカと相いれないようではあるが、その異種感はなんとなくSFっぽくて悪くはない。これで店のオーナーに「好きな色は?」と訊いて答えが「ベージュ」だったならば、ズっこける。

 

列車の窓式に、上に開かれた扉のその奥から、巨大なヘラに載って導き出されたパン、ひとつ。…じゃなくて、その後ろからまた次が「ハーイ」と滑り現れ、既に外界にある先輩を、ビリヤードの玉のようにザクッと小突く。間髪入れずにその次が「邪魔なのよ」とザクッ、「通れないじゃないのよ」と立て続けにザクザクやってきて、深呼吸さえ許さない。そして今度は、さすがヘラがでかいだけある・ダメ押しとばかりに四つ五つがまとめて一気に引っ張り出され、ザクザクザックザク。窯の前の台上はパチンコのアタリ玉のようなサマとなり、パンは押し合いへし合い、「ちょっと場所開けてよ!」と、バーゲンセールの群衆さながらに喚き散らす。

窯に対峙するおじさんはその内部にすっかり集中していて、台上の揉め事なぞ知ったことではなさそうだが、それを「ハイハイハイハイハイ…」となだめすかすよう、両手でキャッチしてゆくのが高校球児君だ。…ってモチロンここはトルコであるんだけれども(トルコで野球ってするの?)、「少年」というにははにかむ程度に成長し、「青年」というにはまだ華奢で青葉のような清涼感。そして校庭を駆けるひたむきな姿がばっちりとハマるならば、独断ながらそれは高校球児である。これまた青いTシャツは粉とパン屑にまみれ、まるでホームに飛び込んだ後の汚れ具合。クルッと天然パーマな髪も、その初々しさにピッタリだ。

彼は焼き上がったパンを二つ、両方の底を合わせて抱えると、酒屋の瓶入れのようなプラスチック籠の中へザクッと差し込む。横に寝かせるのではなく立てて入れるのは、冷蔵庫でも「生えていた」姿勢にしておくのが長持ちする秘訣、などという野菜の収納方法に倣っているわけではもちろんなく、不公平にも最初に入れたヤツが圧力で潰れてしまわないように。

「素手」である。

掴むのはまるで転がっているボールであり、「アツっ!」の一言などない。腕、顔と同じくいい色に焼けた肌の、がっしり大きな手ではあるけれども、だからって「熱に強い」かは別問題だろう。あまりに当たり前のように触るから、ウッカリこちらも手を出せそうな気がしてくるのだが、もう、アッツイノナンノ!と妙な小躍りをしてしまった。

――いい動きだ。

千本ノックに立ち向かう青春。そして目もまた、マウンドに立つピッチャー或いはバッターのそれ。パンを合わせ持つその度に、入れて、入れて、また入れて…と、それを籠と接触させる度に、鳴らせるパンの「ザっザっ」は、まさにプロであることの証明か。「アチーよ!」とおそらくは言いたいのだろうが、それがひっくるまって眼力へと回り、そこは集約されたエネルギーは体の細部へと発信されるモーターとなっている。きっと。

「ザッザッ」はしかし枕のソバ殻代わりにしたくもなる快音なんだけれども、鳴れば鳴るほどに、パンのその外皮を擦り、傷付けている、ということでもある。そもそも窯から放り出された時点で青台との摩擦に晒されており、近親憎悪のようにお互い小突き傷つけあっているのだ。…ヒビ割れちゃう、ハゲちゃう、砕けちゃう――この世に誕生したばかりだというのに、その体の一部だった屑が振り撒いたかのように散っている。「ザクザク」は鳴らさない方が、ホントはパンにはいい。自分が客だとしたら、クープが鋭利に空間を突きあげるやつであり、もちろん欠けてないヤツが望ましい。

が、「んな細かいこと言ってられるかい」というこの状況だ。籠が詰まったなら、また次を、部屋のスミからとってきて足元に置く。アツイと言ってみても、顔をスプーンの裏に映すように歪めてみても、どうやってもパンは窯から流れ出し続けるのであり、過保護にソロソロと触ってもいられないのだ。「愚痴っているヒマはない」ことは、きっとここで働き始めた初日・数時間もせずに悟ったこと。コレをどうにかできるのは自分しかない――顔にひとつ皺を刻むのも余計な労力というもんである。…なんて言っている私は、ただ見ているだけのくせしてシワ寄せまくってしまうんだけれども、いやはやこの高校球児君の懸命な動き、その真っ直ぐな目には、こちらのココロもにわかクリスタルに澄み渡ってくる。密かに思いを寄せるマネージャーが傍らにいて、一枚のタオルだけに氷を一粒挟み込み、「ハイ」と差し出す場面があれば、尚良し。

日々励んでいれば、「クソ熱い」この現実にもたじろがない、皮膚四、五枚纏ったような据わりが手に生まれる――かどうか知らないけれども、そんなこんなでみなさん、「パン職人」として一人前になってゆくのだろう。

あれよあれよとマウンドは整備され、おかげで後の衆はラクに登場できるようになった。プールのすべり台から万歳しながら滑り落ちる子供たちのように、のびのびとしている。

 

台の上が広々してくると、ヘラもまた動かし易いでしょ。…とも思うんだけど気にしているのか、どうか。

ポロシャツ姿の窯おじさんは、ひなびた町のタバコ屋のオヤジ風だが、鼻は高く、眉は太くて頬骨はゴツっと張り、目は鋭くギンギラと光らせる、若き日はおそらくモテたろう、という彫りの深い顔立ち。…イメージされるのは、なんとなく「ねずみ男」(鬼太郎の)。なんでよ、というと、ときおり「撮ってる?」と向ける思いきりの笑顔・その口のニカッとした大三角形(=口がデカい)が、頭巾を被って尖がった頭の三角顔になぜか結びついてしまうのだ。

全長三メートル、いや四メートルはあるヘラがすっぽり入ってまだ余りあるという、かなり広い窯であると分かるのに対し、壁に開いたその「窓」・即ち内部への入れ口とは、横幅が24型テレビ程度だ。あまりにこじんまりしているのが、「どこでもドア」や「タイムマシンへの引き出し」のように、魔法がかって感じられる。そこを境に、世界が変わるのだ。その入口から向こうは、人が立ち入ることのできない、パンのみが居座る世界。

ねずみおじさんは世界の境界に立つ、「番人」。その采配道具である巨大な木製ヘラは、まるで「気合いれい!」と号令をかける、空手部顧問が握る竹刀にも映る。

窯扉と青台の間に、ヘラを橋のように渡らせ、その上に生地を載せて、あちらとこちらの世界を行き来させる。窯内部へと押しこみ、焼き上がれば載せて引っ張り出し、というのをひたすら、ひたすらに繰り返すのだ。ヘラが台の上を滑るわ弾むわで、ドタンバタンと建築現場的な音が鳴り響く。

中を少々覗かせてもらった。挿入したパンがみんな整然と配置され、大人しく寝ころんでいる。ハタからは、ただヘラを突っ込んで出して、という動作しか見えず、置く場所に気を遣っているサマなど分からないのだが、テキトーなどではなく、ちゃんと秩序立ててパンを置いているのである。

ちょっと覗いただけでも、熱気で頬が一気に火照った。が、いつが「始まり」だったのかそして「終わり」はいつのことか、中腰になってパンの出方を窺うという、ずうぅっとここに立ちっぱなしのおじさんは常にジクジクと燻されて、きっと乾燥肌もいいところ。お肌模様はブツブツと生えた髭に隠れてよくわからないけど、乳液は塗った方がいいんじゃないかと思う。まぁ、汗で流れ落ちてしまうか。

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果てしなき、終わりなき――の、パン。

ねずみおじさんにも、それを片付ける高校球児君にも、外の凍てつく寒さといえども取り付くシマはないのだろう。大量の生地を一分も空けることなく窯に入れ続けたその因果応報・当然ながら同じ数を引き出すことになる。一気に入れたら、焼き上がりも一気。ぐずぐずしていては焦げてしまう。要求される持久力は、きっとスポーツ選手にも引けを取らない。高校球児君は懸命に駆け寄るのだが、一気に出てくるとなれば追いつかず、青台の上は「タマじゃらじゃら」の大当たり状態がしばらくは続く。ひと息つこうというヒマは、飴の包み紙を開くのがやっとだ。

このような時こそきっと、人間性が出るのだ。…もし私がこういう作業のさなかに話しかけられたならば、「あ?」とガン返しかねないだろう…。

高校球児君は「チャイ(紅茶)飲むよね」と出前を取り(出前可能なチャイ専門店がトルコの町なかにはあっちこっち存在する)、「立っていると疲れるでしょ」と椅子を奥からえっちら運んでくる。…疲れるのは君だってば、というこちらの心配をよそに、ホイサッサとパンを詰めるその合間、爽やかでまっすぐな目と笑顔で「ジュースは?のど乾いていない?」とことあるごとに気を遣う。…なんて、イイ子…。子猫を前にするように、いい歳こいてヘラヘラ口元が緩んでくる。

ねずみおじさんはねずみおじさんで、ドタンバタンのその合間にやたらとポーズを取り、こちらが望む以上にカメラサービスを弾んでくれる。非常にありがたいんだけれども、余計な気ィ回してあとでブッ倒れんだろうかと、こっちがハラハラしてくる。集中していただいて、結構ですので…。

そんなこんなでヤマは越え、窯出しもそろそろ終盤、という時。

――ほぅ、高校球児君がねずみおじさんとタッチ交替した。そうか、練習もしないとね。焦る必要のない頃になって、やっと見習いの彼が手を出せるのだ。

それは、いつからか抱いていた「憧れ」だったのだろうか。

ねずみおじさんはトイレ(多分)へと奥に去り、替わって窯口前に来てヘラを掴む。が、その握り方には、なんとなく力ない。手が華奢とかいうわけではなく、初めて箸を握る外国人のように、力を入れる部分の按配が頼りなげなのだ。

とはいえ、ヘラを突っ込んでパンを取り出す、その伏せた目の横顔は美しく、凛々しい。まさしく青春の顔である。

カメラを構えると、緊張しつつも笑おうとこちらを見る、というのが、かぁわいいぃ――ってまるでジャニーズファン。

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ちなみにこの間のパン拾いは、オーナーの息子・中学生ぐらいのチビ君が担当する。鬼監督、というほどでもなかったけれども、大黒柱がいなくなると、ひとネジ緩んだリラックスムードも漂いはじめた。まるで仲良し兄弟のお手伝い…ってイヤイヤ、兄ちゃんは真剣だ。

いまはまだ濁音はない。だがねずみおじさんもきっと辿ってきたように、これがいつの日か背骨の入った音へと変わる。ヘラを躊躇なく握りしめ、日に千本でも二千本でも打ち上げるエースへと成長することだろう。その時に向かい、進めよ、青春。 

                              (最終訪問時2008)

詳細モトはこちら↓

https://docs.google.com/document/d/1lF8QjAeIqV7Vcie8-wQHWA0B8eIXmdzeDo7NQumvzQA/edit?usp=sharing

泡世界への扉 ~チェンナイ

 

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「軽いから土産にいい」

とは、よく言われる紅茶だが、インドやマレーシア、トルコ、イラン、ビルマ…あとどこで買い込んだろうか、一度たりとも「軽い」などと思ったことはない。「閉じる」ことなんて忘れたような、バックパックのチャックは、エイエイと強引にやっつけねばとてもその呻きを鎮めることはできない。まぁ、他にスパイスだなんだと買いこんでいるからなんだけど、嵩張る大半がソッチであり、どんなに軽くったって量ありゃ重いのだという単純な事実が肩に食いこむ。仕方がない。

インドから帰って、さんざん飲んだ。飲まなきゃ賞味期限が過ぎてしまう。重い思いをして担いで帰った紅茶であるから、オイシイうちに飲まねばならない。チャイ屋に通い、その作り手の傍らに立って覚えたやり方を真似、これが「インドのチャイだ」と家族や友人に披露した。

だが、なにか違っていた。

茶葉の量、そしてミルクと水とのバランスもあるだろう。そして何より「甘さ」が足りなかった。見ていたまんま――とやるにはやはり、体重問題が私の中には頑としてある。さらなるデブの道へと滑りゆくのを恐れ、明らかに砂糖をケチっていたのだ。

啜ると、深く記憶の底に沈んでいたものが、息を吹き返したように浮上してくる。――インドを離れて以来、途切れていたものが、いま、ようやく蘇った気がした。

南インド・チェンナイにいる。

南インドとは、インド亜大陸においてデカン高原、西ガーツ山脈、東ガーツ山脈を含む南方地域であり、タミル・ナードゥ州、アーンドラ・プラデシュ州、テランガーナ州、ゴア州、カルナータカ州、ケララ州、ラクシャドヴィーパ連合区、パーンディッチェーリ連合区、アンダマン・ニコバル諸島連合区を含む。(wikipediaより)。チェンナイは、その逆三角形の先端部分東側にある、タミル・ナードゥ州の州都だ。

前回のインドの旅は、首都ニューデリーからベンガル湾に近いコルカタを結ぶ一帯と、ネパール国境近いダージリンという北部であり、何年振りかのインドではあるが、南は初めてである。その初っ端の町。

 チャイ屋は、宿から歩いて五分。

飛行機を乗り継ぎこの大地に降り立って、道端に溜まるゴミと汚れた壁、漂う下水のような臭いにひるみながら宿を目指す途中、道を尋ねたのがここだった。

 

 

「あぁ、その通りはここだよココ。この地図にあるのは『旧名』だね。」

すぐ近いようだ。方向は合っていたのだと安心すると同時に、目に映った、鍋になみなみある白い液体に魅入ってしまった。蛍光灯に照らされた「白」は闇の中で輝きを放ち、森の中でこんこんと水を湛える泉のようで、神秘的だ。

通りからは階段を五、六段渡してある、少々小高くなった屋内は、壁、そして窓やドアで外(の通り)と遮断されておらず、垂れ下る蛍光灯に湯気がまとわりつきながら踊り上がっているのが、暗い中、遠くからでもよく目立っていた。

そう、既に日は暮れていた。暑苦しさというより冷や汗なのか、荷物を背負い、地図を片手にどことも知れない道をウロつくなかで、何かを温めているという白いモワモワには何かホッとするものがある。

鍋の前にはチョボひげをした小柄なおじさんが立ち、その表面をじっと見つめていた。訊いてみようか、とガチガチに張っていた警戒網を少々緩ませ、明るい店内へ進む段へと体を向けると、予想通りオジサンの視線を拾う。そして、「サア座れ」――あたかもここに来るのを知っていたかのように、すんなりと丸いイスを指し示すのだ。

中の方にいた二人のうちの一人・チョボ髭オジサン同様、五十か六十かのオジサンの手には、――コーヒーカップだ。デミタスカップよりはやや大きいが、小ぶりで取っ手がついている。中にはベージュ色の液体が揺れていて、やはりここは「チャイ屋」である。

飲みたいな…。

導かれるがまま腰を下ろしそうになるのだが、まずは宿に行かねばならん。

あたかもここの主人であるかのような勢いで、率先してシャリシャリ滞りない英語を使うのは、カップを片手にした人であり、客だろう。鍋の前に立つ、店の担い手と思われるチョボ髭おじさんと、あともう一人中にいた男性は、何か言いたげに目をウロウロさせているものの、口は出さない。

どうもお邪魔しました。礼を言うと、三人はそれぞれバイバイと手を小さく振り、見送ってくれた。

 

疲れに丸め込まれて眠り込んだものの、六時にもならないうちに目が覚めた、翌朝。

チャイ屋を訪れてみると、昨日のチョボ髭オジサンが、やはり鍋の前にいた。片手に持った容器で、中の白い液体を額の高さまですくい上げては、ジャァァっと注ぎ落としている。こちらに気が付くと、当然アメリカン的な大げさな歓迎ぶりはなく、頷きで「来たんだね」と反応し、中に進むよう促した。顔の感じがなんとなくチャップリン――と、あら。昨日の、静かなもう一人のオジサンもいる。

幅四メートル程度の入り口・向かって左には鍋の載ったガス台があり、右の壁にくっつけてある台にはクッキーを入れた瓶が幾つか載っている。その間をすり抜けた八畳ほどのスペースには、将棋ぐらいできそうな小さな机が二つと、センセイを前に患者さんが座るような丸イスが五、六個まばらに置かれていた。昨日の英語おじさんのように、そのうちの一つを選んで腰を下ろす。朝っぱらのまだ薄暗い中だから、前を通る車も殆どなく、背景にもみじが散るような静けさだ。

対して大柄のもう一人も、クッキーの瓶をきれに並べ直すなどしているからどうやら店の人間のようで、同じくニョッと、髭を左右対称に生やしている。なんとなく袴が似合いそうで、ええとあれは誰だったっけ、と連想するのは、昔の五千円札・夏目漱石――。

 

牛乳パックが幾つ分だろうか。そしてこれがチャイ何杯分になるのだろうか。豪勢な、見ただけで太っ腹だなぁ感を覚えずにはいられない。

ゆらゆら湯気を昇らせるミルクは、四人家族のカレー用(お代わり込み)程度の寸胴鍋に、縁・二センチ下までに湛えていた。この鍋には取っ手がなく、電気炊飯器の釜を直接火にかけているような感じなのだが、インドではこれが定型。外国のインドコミュニティにある料理屋でも目にする、「あぁインド」と実感するアイテムの一つだ。ちなみに蓋にも取っ手がなく、開けにくかろうなぁとは思うんだけど。

ともあれ蓋のないその中身は、早朝だからかそれほど減った様子はなく、私は一番乗りに近い方なのかもしれない。

チャップリンおじさんは、計量カップのようなアルミ容器を片手に、ミルクをジャアッ・ドボボ…とすくっては落とし、手持ち無沙汰ですと言うかのように何度も何度も繰り返す。日本にいる限りでは、ミルクにこんな音をさせることはあるまい。表面に小さなあぶくが溜まり、それを見るだけでなぜだろう、「ワぁっ」と心が弾んでしまう。

 二口あるコンロのもう一方にはやかんが載り、そのフタはどこかに失くしたのか、「ジャージャー」とは別のアルミカップがスッポリと丁度はまっている。中には茶漉しが引っ掛かけられていた。

 チャイを淹れる。

旅館で見かけるビールグラスよりは、ほんの少し大きい中に、スプーン山盛り二杯の砂糖が、それが入ったプラ容器からピッと宙を飛ぶよううまく投げ込まれた。「砂糖を入れる」・ただそれだけのことであるが、的を外さないその動きは「チャイを淹れる」ことが長年の専門職であることを物語るようだ。「甘さ控えめにして」と口を出すスキもなく、ここは潔く、お手前頂戴したい。

やかんを浮かせ、注ぎ口に茶漉しを添えながらグラスに傾ける。ナルホド、茶漉しの行き場(フタ代わりのカップの中)がやかんと一体化している方が、「どこ置いたっけッ?」とならなくていい。

注いだのはチョロッとだ。中で茶葉ごと煮えていた茶は、透明な赤というよりは、濁りのある煉瓦色。

さらに、寸胴鍋のミルクをアルミカップですくい、グラスを満たすまでに注ぐ。その比率に「どっち」が主役?と悩むのもつかの間、ほんのりと淡いオレンジ色に染まったグラスを額の高さまで持ち上げたら、もう一方の手にアルミカップを、こちらは腰当たりの位置に持ち、そこへ向かってジョジョジョ…っと注ぎ落とす。――出た。

そして右手から左手、左手から右手へと、「注ぎ落し」を交互に三回程繰り返す。インドの紀行文などを読んでいればたいてい登場する、「スゴーイ」と声を出したくなる場面である。

流れ落ちるというよりも、液体が細い一本の紐のようになり、それが空中に放られているかのよう。ハリのあるその動きに、ヨーヨーを操る糸を連想する。

 そうして、最終的に供する「コップ」へと中身を移し、「どうぞ」――ということで、モコモコと表面の泡立ったチャイが、出来上がった。

カップではない。「コップ」――なんだ、紙コップか、と、泡立ちに感動する分、容器の情緒のなさにガッカリもするが、これは訪問二回目になれば、他の客が手にしているのと同様に陶器の「コーヒーカップ」となり、三回目に訪れたときは、受け皿付きへと出世した。ちなみに受け皿付きで供されている客は殆どなく、これは「よそモン」への特別サービスか。

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「旨いわ」――いや、「甘い」が先か。いったいどちらが先に心を突いたのだろう。

柔らかい綿毛の塊が、瞬間、ホワンと生まれた。と、それから一歩僅かに遅れて、清清しい微風のようなものが、口の中、心の中に、スゥッと吹き込んでは消えてゆく。

…スパイスだろうか。なんらかの個性が、うまい具合に紅茶に絡み付いているのだ。

時間の針の動きは、どの世界においても平等。ここと日本も例外ない。だがそれを口にしたとき、以前インドを去ってからまるで時が止まっていたかのような、自分の中で「断絶していた」ものがあったと確かに思った。脳天に染み渡り、腰砕けになるようなこの優しさ――なんて、日本で「チャイ」と称して飲むものに、感じたためしなど一度もない。「似て非なる」、いや、「似て」などというのもおこがましい。…ってまぁ、「チャイ」を試したのも称したのもワタシであり、つまりワルイのは自分である。再現したいならば、勝手に控えたりなんてダメであり、二の腕を気にするなんてもってのほか。が、だからといって、材料を寸分違わず真似たならば、変わらず「旨い」と感じるかというと、それもまた違うであろうと予想できなくもないけれど。他の各国料理についてもいえることだが、気候などの環境が異なれば、それは現地で口にするものとはやはり「何か違う」となるのだ。

 話を戻そう。――なんてったって「泡」がいい。

これによって、液体が、ただ液体であることに止まらない、なにか「特別」なものであるように思えてくる。ただ泡立っているだけなのに、それが嬉しい。

チャイを淹れる動作から明らかなように、泡が立つのは、ミルクと紅茶の混ざった液を頭の上からジョボジョボさせるから。グラスと、腰位置のアルミカップとの距離は、最長一メートル強はあり、コップという小さな口の中へとうまく落とすのは、かなりの「ワザ」――練習しないと出来ない芸のように思われるけれども、いきなり高い位置からピンポイントに注ぎ落としているのではなく、最初は近い位置で垂らしているのを、徐々に腕を広げてその距離を伸ばしているのだ。となるとそれほど難しくもなさそうだ、なんて思っても、しかし「ジョッ」という音のキレというか、液体が空中に描く線の動きが、やはりああはいかない。まるで竜が、あなぐらの中に移動するかのような躍動感があるのだ。一瞬現れるその先端・つまり注ぎ始めと注ぎ終わりを目に留めようとジッと凝らすのが、なんとなく楽しい。

ポイントは「泡」か――チャップおじさんは、「前段階」から念を入れていた。チャイに合わせるミルクを鍋からすくうという時、なるべくその表面に立った泡が入るようにしていたのである。そうしてさらにジャボジャボして「アワアワ」とさせてゆくのだ。鍋のミルクをすくって落として…の繰り返しは、単なる手持ち無沙汰かと思っていたが、どうやら「やるべきこと」だったようだ。

もしかするとここでは、泡とは「ご馳走」なのだろうか。ミルクを加熱したときに表面に張る「膜」を、タイの目玉(の周りのゼラチン質!)的に取り分けてくれた、ビルマでの旅を思い出しもするが、そのように。

それが、「南インド」ということ?

…なんて、南に入った初っ端がココだから、目新しいものすべて「南だから?」と先走ってしまうのだが、つまりはこのチャイの「泡立て」動作、北インドの旅で見た覚えがないのである。

実際、コレを皮切りに、泡立ちチャイ世界が始まったのだが、それはまた追々ということで。

ともあれ。

後ろでズズッと啜りながら、れっきとしたチャイに再び出会えたことの、感動。旨いです、と伝えたいけれど、オジサン二人はこちらにケツを向けて・つまり道路に向かうように仕事をしているから、声をかけねば振り向いてもらえない。

どうせ「美味しい」と言うならば、会話本を見ながら現地語・タミル語で言いたいもんだが、まだやって来たばっかりで発音はどんなもんかと自信がないし、それを言う為に振り向いてもらうなどあまりに大げさ。いかにも「現地との交流」を欲しているかのようで、わざとらしくも恥ずかしい。

オレンジがかった空に立ち昇る、煙のような白い湯気。それをバックに動く背中を見ていると、一日を始める儀式のような、神聖な行為にあると思えてくるものの、これはオジサン達にとって当たり前の日常であるだろう。

仕方がないからその背中を「オイシイです」と眼力の限りに凝視して訴える。――と、突然振り向かれて目が合い、とっさに頷いたり、何事もなかったかのようにあさってを向いたりして、言葉が出せないことを誤魔化す。

…先輩を物陰から見つめる乙女的な挙動だと、自分でも思う。

 

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