主に、旅の炭水化物

各地、食風景の点描

遠野の餅① ~胡桃ダレをつけて

 

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しゃぶしゃぶのゴマダレ。或いは田舎味噌――とも、ちょっと違う。コルクをもう少し深く、暗くした色だ。

「ソレ」に、水をスプーンで一杯ずつ、恐る恐ると加えてゆく。もう少し、もう少し…?「売り」に出していたのは、こういう色じゃなかったはずだ。まだ、もうちょっと…。

首を傾げたり、鼻の下辺りにソレの入った小皿をを持ってきてしげしげ繁々と眺めたりしながら、水を垂らしては掻き混ぜることを繰り返す。既定の分量を守ればそれなりに旨いハズなのに、「たっぷり飲みたい」欲が騒いで多めに湯を注いでは「まずい」と後悔する、粉末コーンスープや調整コーヒー、ココアのようなハメに陥ってはならない。いくら学習しない自分とはいえ、こればかりは絶対に、だ。百円やそこらで買い足せるわけでもなく、失敗は許されない。許さない。

 だからといって、「濃いめに」止めておく、というのもまたダメである。「美味しい」というよりも先に、クドさが際立つだけになってしまう。

『ちゃんとね。味を見ながら、水を足していくのよ。』

念を押す、おかあさんの目を思い出した。ホントなら自分でやりたい、と思っていたに違いない、不安気な眼差しだった。言われたときは、カンタンカンタン、「単に水を足すだけ」だし、とそれほど気に留めてもいなかったが、実際やるとなると、このときとはまさに、その印象が天か、はたまた地かと決まる分岐点なのである。自業自得的コーンスープの過ちなんかが頭をよぎり、「単に」なんて軽く流せる行為ではなかったと緊張する。

量を求めてはならない。ただひたすらに「あるべし状態」を思い描き、そこに近づけるよう精神を統一させよ。

 プラスチックの容器から、カレースプーン約三杯分を小皿に取り分けた「モト」は、カスタードクリームよりも固い。膜を張ったような光沢ある表面に、水を加えて混ぜると糊のような粘りが糸を解くように緩まり、色が明るさを増していった。まるで、何かを足しているかのような変化だ。…って確かに水を足しているんだけれども、水=「薄めている」という言い方はそぐわない。モトをマイナスにしてゆく感がなく、その朗らかな色は、何か新たに生み出されたかのように思える。

と、油断したか。スプーン何杯目かに、ワッと水滴が勢いよく垂れ落ち、絵の具を垂らしたような「白」が、表面のそのスポットにシミを現した。

――ヤバイ。

入れ過ぎた、と思っているのに、手はリズムのままにスプーンに載る一杯すべてを滴らせ、掬い取ればいいのについグルグルと、それをかき消すべく混ぜてしまった。「入った」んだから無かったことには決してならず、全体的にえらく優しい、えらくミルキーなベージュへと変化して、隠滅どころかその証拠をつきつける。

これこそ「薄まった」のかもしれない――とは思ったのは束の間、すっかり混ざり、その状態の色として安定してみると、瞬間、頭が岩手に戻ったような気がした。

バシッとはまったのだ。

これだ。「この色」。

舐めてみる。と、フワッと、アルコールのように鼻に抜ける香りに、思わず天を見た。掴みようのないほど僅かだが、何か妖艶なものの印象を確かに残し、消えてゆく。

そう、この味だ。

容器にある原液を味見した時は、強情な甘さがまず先に立っていたが、随分と丸くなっている。そのまろやかさ・優しさは、ミルクを思わせるかのよう。――…って、十分に擦った胡桃とシロップのみ。加えたものは水だけのハズ。なのに、不思議だ。やはり水もまた、こうなる「味付け」のうち、ということだろうか。

「胡桃ダレ」の方は、これでよし。

あとは餅が焼けるのを待つだけだ。A4サイズはある、瓦のような巨大な「のし餅」を、こちらが電話で指示していておいた通り、厚め・1.5cmは下らないよう父は切り分けてくれていた。石鹸とまではいかない、切り餅一個分としての丁度いい大きさになっており、帰ってきた娘の機嫌を損ねないようにと注意を払う、その姿がモロに伝わる。

二つ、食べよう。トースターに入れて暫く待つこと、四分か五分か…、と、思ったよりも早くその頬は膨らみ、風船となった。箸で慌ててつまみ取り、タレの沈んだ深皿へ、プシュッ、くしゃっ、と押し潰すと、固い表面の割れ目から覗く、生まれたてのような柔らかい部分をとっかかりに、優しいベージュ色は表面全体に絡みついてゆく。餅二つ分には少なかったろうかと思ったが、おいてけぼりに底に溜まっているのはカレースプーン一杯分程度。見た感じとしては、丁度良さそう。

さて。

下に垂れゆくのを絡め直すよう、皿になすりつけながら――と、箸で餅を挟んでいるこの時点から既に、その柔らさ、いや、「滑らかさ」に気を取られる。そして既に、それはいつもの餅――ウチで、「餅つき機」を使い搗く餅とは違うと気付いていた。

その光沢だ。例えるならば、湯船からお姉さんがスッと出した腕の、ツルツルしたそのお肌。

見惚れるのもそこそこに、口へと持ってゆくと、米を蒸し上げた時の、あの香り、あの甘さ。――湯けむりのような記憶が鼻から耳を通り抜けて、ぬふふ、とこの口元を引っ張った。

溶ける――ことはなく、溶けそうでいて、そうはいかない。滑らかではあるが、儚いというわけではない。繊細なままには終われない、という、餅たるものとしてのしぶとさがちゃんと芯にある。

そしてもちろん、この胡桃ダレ――米の甘さに追随する、ミルキーな甘味がなんともいい。

上出来の水加減だったといえるだろう、この濃さ。餅を打ち消してしまうほど強くもなく、また弱過ぎて、餅が行き先を求めて彷徨ってしまうような曖昧もない。猫がその上で寝息を立てて熟睡する、肌触りのよいクッションのような存在として。餅を生かし、それを包み込むようにある。

餅は、麻雀台の牌ほどにある。それを顎でグイッと引きのばし、大げさに「ビヨーン」とさせながら口にする快感に浸りながら、当分のシアワセに「ぐふ、」と、鼻の穴から空気が噴き出した。

 

「餅を持って帰りなさい。」

岩手県の遠野にいた。滞在先は、そこを訪れれば必ず顔を合わせるお餅屋さん夫婦宅。だがここを離れてから、旅はまだ続く予定だったから、そう言われても…と、肩に食い込むリュックを思い浮かべてひるんだものの、「送りなさい」と、あっさり言われてしまった。

そう、送るしかない。発泡スチロールに載った餅は、ジッと見ているとこちらの顔面まで伸びてくるような、のっぺりしたプレート状が、一升分――以上。これを持ち歩いての旅など、とても不可能。プラス、日本酒小カップ程度のプラ容器に、それひとつでも「お徳用ジャム」ひと瓶にも劣らない、ズッシリとした胡桃ダレの原液を詰めたものが、二つ。おかあさんが水を加えるのを堪えたのも、日持ちを考えてのことである。

さらにオマケの「寒干し大根」。おとうさんが持ち出した、カランカランと軽そうなそれは、最初へちま(乾燥)かと思ったが、「オレの友達が干したモンだよ。煮て食べな。」。切り干し大根なら包装されたものをスーパーでよく見るしよく食べるが、切らずにまるまる干した「一本」なんて、初めて見た。

「水で戻してね。一回の煮物に、一本使うんだよ。」

「戻したら、ちゃんと水をギューッと絞ってからだよ」

それらを、空き箱へ。dvdレコーダーより一回り小さい、ちょうど餅とタレ(プラ容器)で、縦横の幅がピッタリとくるダンボールは、筆文字スタイルで「かの子豆」という商品名がオモテに印字されていた。これは売り場に出す「おこわ」に使う豆の空き箱で、餅を送るといえばの「定番」であるらしく、問屋に取り置きしてもらっているらしい。

餅の曲線、プラ容器の曲線の隙間に寒干し大根を詰めると、ちょっとアノ、それは…と蓋を閉じられないこと案の定、なんだけれども、おとうさんは問答無用と力づくで黙り込ませた。おそらくこんなふうにして、東京に住まう子供家族のもとにも、「我が家」の証を送っているのだろう。

送り代まで出してもらう気はない。…けれども、こんなにズッシリ、結構送料ってかかるんじゃないかと内心ドキドキしていたのだが、それとなく話を持っていって訊いてみると、送り代は重さではなく「サイズ」であるという。――なんだ。

ホッとしてから改めて、というわけじゃあイエイエ全然、露ほどもありませんが、パンパンに詰まったのを前に、心置きなく「孫」気分でウルっとしたのである。

広島の我が家へと届いた、遠野からの贈り物。まさにそれらは、かの地における日記帳のようなものである。

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「フランジャラ」に駆ける青春 ~トルコ・ドウバヤズット① 

 

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ザーッ、ザーッ、ザッ、ザッ…。

「窯」の中から次々と現れるパン。引き出されるその勢いで青色の台の上を滑りゆき、ぶつかり合ってはその動きを止める。

イイ音だ…。

連想するのは、雪の道。少々凍って押し固まって上を歩く時の、あの濁音。――ずっとまみれていたくなる、快感の音だ。頭の詰まりをアイスピックで突き崩すような、どこか芯の部分を刺激する。

パンは棒型。縦に一本のクープ(切り込み)がシャッと入り、そこから裂け、潔く皮のめくれ上がった外見に、ひと目で「フランスパン」と呟くだろう。とはいえ「フランスパン」は厳密にいうと、重量と長さ、クープの数によって、「バケット」「バタール」「ドゥリブル」等々と呼び名が定められている(どれも生地は同じ)。対してトルコで見るその殆どが、クープは一本きりであり、これは分類のうち「クッペ」(「切り込んだ」の意)と呼ばれるものに相当するのかもしれないが、「フランスパン」として紹介されるそれはもっとラグビーボール的にずんぐりむっくりであり、対してこちらは少々スマートだ。両端こそ木の葉のようにすぼんではいるけれども、太さはバット(野球の)の先ぐらいで、長さは三十センチ程度。とはいえその鋭く立派に避けた姿には「フランスパン」を結び付けずにはいられず、実際彼らもそのつもりじゃなくしてなんだというのか・「フランジャラ」と呼んでいる。

 

トルコ東部の最果て・イランとの国境の町「ドウバヤズット」に入ったのは、二月のはじめ・雪景色の只中だった。

通りに面した店の入口側は全面ガラス張りで、屋外からそのクープが見えるように、パンがずらずらと立て掛けられている。「看板」を見るまでもない。フルン(=パン屋)だ。

きっと焼き立てだ。湯気で曇ったガラスに期待を込め、「ごめんください」と中へと踏み入れば、ツンツンと頬に刺さっていた冷気が一気に溶け落ちる。と、同時に目に入るのは「ローマの休日」の真実の口ならぬ、パン焼き窯の扉。

フルンの一般的なたたずまいである。窯扉の前には職人が巨大なヘラ・つまりパン生地を窯の中へ出し入れする道具だが、それを操る姿があり、客は窯からパンが放り出される、まさにその場面に立ち会うことになる。だから焼き上がってから一分も経っていない、スグもスグを手に取ること可能だ。

窓際の「看板パン」も、もちろん商品。だがどうしたって、今生まれたホヤホヤを前にすればそれは色褪せ、「看板」の域を出ないモノに映ってしまう。「コレください」と指を差すのは、まさにいま摩擦ザクザクと響かせている、活きのいい方だろう。

青い店、だ。

窯の開閉扉やその周りは、鉄の焦げた重ったるい色だが、壁は入口のガラス面を除き、藍に近い青色のタイル張り。ちょっとだけ、白がモヤモヤと大理石模様のように入り込んでいるのが、昔くさい風呂場とは違う。そしてパンが窯から出て放られる、畳三枚分はある大きな台の上も、パンを収納する商品棚も、レジ台も、…これはペンキで塗ったね?という、壁に比べればちょっと安っぽいけれどもやっぱり、「青」。写真に一枚撮って眺めたならば、首筋がスースーしてくるというか、素足にピタピタと冷たさが伝わるような寒色が、室内のホカホカと相いれないようではあるが、その異種感はなんとなくSFっぽくて悪くはない。これで店のオーナーに「好きな色は?」と訊いて答えが「ベージュ」だったならば、ズっこける。

 

列車の窓式に、上に開かれた扉のその奥から、巨大なヘラに載って導き出されたパン、ひとつ。…じゃなくて、その後ろからまた次が「ハーイ」と滑り現れ、既に外界にある先輩を、ビリヤードの玉のようにザクッと小突く。間髪入れずにその次が「邪魔なのよ」とザクッ、「通れないじゃないのよ」と立て続けにザクザクやってきて、深呼吸さえ許さない。そして今度は、さすがヘラがでかいだけある・ダメ押しとばかりに四つ五つがまとめて一気に引っ張り出され、ザクザクザックザク。窯の前の台上はパチンコのアタリ玉のようなサマとなり、パンは押し合いへし合い、「ちょっと場所開けてよ!」と、バーゲンセールの群衆さながらに喚き散らす。

窯に対峙するおじさんはその内部にすっかり集中していて、台上の揉め事なぞ知ったことではなさそうだが、それを「ハイハイハイハイハイ…」となだめすかすよう、両手でキャッチしてゆくのが高校球児君だ。…ってモチロンここはトルコであるんだけれども(トルコで野球ってするの?)、「少年」というにははにかむ程度に成長し、「青年」というにはまだ華奢で青葉のような清涼感。そして校庭を駆けるひたむきな姿がばっちりとハマるならば、独断ながらそれは高校球児である。これまた青いTシャツは粉とパン屑にまみれ、まるでホームに飛び込んだ後の汚れ具合。クルッと天然パーマな髪も、その初々しさにピッタリだ。

彼は焼き上がったパンを二つ、両方の底を合わせて抱えると、酒屋の瓶入れのようなプラスチック籠の中へザクッと差し込む。横に寝かせるのではなく立てて入れるのは、冷蔵庫でも「生えていた」姿勢にしておくのが長持ちする秘訣、などという野菜の収納方法に倣っているわけではもちろんなく、不公平にも最初に入れたヤツが圧力で潰れてしまわないように。

「素手」である。

掴むのはまるで転がっているボールであり、「アツっ!」の一言などない。腕、顔と同じくいい色に焼けた肌の、がっしり大きな手ではあるけれども、だからって「熱に強い」かは別問題だろう。あまりに当たり前のように触るから、ウッカリこちらも手を出せそうな気がしてくるのだが、もう、アッツイノナンノ!と妙な小躍りをしてしまった。

――いい動きだ。

千本ノックに立ち向かう青春。そして目もまた、マウンドに立つピッチャー或いはバッターのそれ。パンを合わせ持つその度に、入れて、入れて、また入れて…と、それを籠と接触させる度に、鳴らせるパンの「ザっザっ」は、まさにプロであることの証明か。「アチーよ!」とおそらくは言いたいのだろうが、それがひっくるまって眼力へと回り、そこは集約されたエネルギーは体の細部へと発信されるモーターとなっている。きっと。

「ザッザッ」はしかし枕のソバ殻代わりにしたくもなる快音なんだけれども、鳴れば鳴るほどに、パンのその外皮を擦り、傷付けている、ということでもある。そもそも窯から放り出された時点で青台との摩擦に晒されており、近親憎悪のようにお互い小突き傷つけあっているのだ。…ヒビ割れちゃう、ハゲちゃう、砕けちゃう――この世に誕生したばかりだというのに、その体の一部だった屑が振り撒いたかのように散っている。「ザクザク」は鳴らさない方が、ホントはパンにはいい。自分が客だとしたら、クープが鋭利に空間を突きあげるやつであり、もちろん欠けてないヤツが望ましい。

が、「んな細かいこと言ってられるかい」というこの状況だ。籠が詰まったなら、また次を、部屋のスミからとってきて足元に置く。アツイと言ってみても、顔をスプーンの裏に映すように歪めてみても、どうやってもパンは窯から流れ出し続けるのであり、過保護にソロソロと触ってもいられないのだ。「愚痴っているヒマはない」ことは、きっとここで働き始めた初日・数時間もせずに悟ったこと。コレをどうにかできるのは自分しかない――顔にひとつ皺を刻むのも余計な労力というもんである。…なんて言っている私は、ただ見ているだけのくせしてシワ寄せまくってしまうんだけれども、いやはやこの高校球児君の懸命な動き、その真っ直ぐな目には、こちらのココロもにわかクリスタルに澄み渡ってくる。密かに思いを寄せるマネージャーが傍らにいて、一枚のタオルだけに氷を一粒挟み込み、「ハイ」と差し出す場面があれば、尚良し。

日々励んでいれば、「クソ熱い」この現実にもたじろがない、皮膚四、五枚纏ったような据わりが手に生まれる――かどうか知らないけれども、そんなこんなでみなさん、「パン職人」として一人前になってゆくのだろう。

あれよあれよとマウンドは整備され、おかげで後の衆はラクに登場できるようになった。プールのすべり台から万歳しながら滑り落ちる子供たちのように、のびのびとしている。

 

台の上が広々してくると、ヘラもまた動かし易いでしょ。…とも思うんだけど気にしているのか、どうか。

ポロシャツ姿の窯おじさんは、ひなびた町のタバコ屋のオヤジ風だが、鼻は高く、眉は太くて頬骨はゴツっと張り、目は鋭くギンギラと光らせる、若き日はおそらくモテたろう、という彫りの深い顔立ち。…イメージされるのは、なんとなく「ねずみ男」(鬼太郎の)。なんでよ、というと、ときおり「撮ってる?」と向ける思いきりの笑顔・その口のニカッとした大三角形(=口がデカい)が、頭巾を被って尖がった頭の三角顔になぜか結びついてしまうのだ。

全長三メートル、いや四メートルはあるヘラがすっぽり入ってまだ余りあるという、かなり広い窯であると分かるのに対し、壁に開いたその「窓」・即ち内部への入れ口とは、横幅が24型テレビ程度だ。あまりにこじんまりしているのが、「どこでもドア」や「タイムマシンへの引き出し」のように、魔法がかって感じられる。そこを境に、世界が変わるのだ。その入口から向こうは、人が立ち入ることのできない、パンのみが居座る世界。

ねずみおじさんは世界の境界に立つ、「番人」。その采配道具である巨大な木製ヘラは、まるで「気合いれい!」と号令をかける、空手部顧問が握る竹刀にも映る。

窯扉と青台の間に、ヘラを橋のように渡らせ、その上に生地を載せて、あちらとこちらの世界を行き来させる。窯内部へと押しこみ、焼き上がれば載せて引っ張り出し、というのをひたすら、ひたすらに繰り返すのだ。ヘラが台の上を滑るわ弾むわで、ドタンバタンと建築現場的な音が鳴り響く。

中を少々覗かせてもらった。挿入したパンがみんな整然と配置され、大人しく寝ころんでいる。ハタからは、ただヘラを突っ込んで出して、という動作しか見えず、置く場所に気を遣っているサマなど分からないのだが、テキトーなどではなく、ちゃんと秩序立ててパンを置いているのである。

ちょっと覗いただけでも、熱気で頬が一気に火照った。が、いつが「始まり」だったのかそして「終わり」はいつのことか、中腰になってパンの出方を窺うという、ずうぅっとここに立ちっぱなしのおじさんは常にジクジクと燻されて、きっと乾燥肌もいいところ。お肌模様はブツブツと生えた髭に隠れてよくわからないけど、乳液は塗った方がいいんじゃないかと思う。まぁ、汗で流れ落ちてしまうか。

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果てしなき、終わりなき――の、パン。

ねずみおじさんにも、それを片付ける高校球児君にも、外の凍てつく寒さといえども取り付くシマはないのだろう。大量の生地を一分も空けることなく窯に入れ続けたその因果応報・当然ながら同じ数を引き出すことになる。一気に入れたら、焼き上がりも一気。ぐずぐずしていては焦げてしまう。要求される持久力は、きっとスポーツ選手にも引けを取らない。高校球児君は懸命に駆け寄るのだが、一気に出てくるとなれば追いつかず、青台の上は「タマじゃらじゃら」の大当たり状態がしばらくは続く。ひと息つこうというヒマは、飴の包み紙を開くのがやっとだ。

このような時こそきっと、人間性が出るのだ。…もし私がこういう作業のさなかに話しかけられたならば、「あ?」とガン返しかねないだろう…。

高校球児君は「チャイ(紅茶)飲むよね」と出前を取り(出前可能なチャイ専門店がトルコの町なかにはあっちこっち存在する)、「立っていると疲れるでしょ」と椅子を奥からえっちら運んでくる。…疲れるのは君だってば、というこちらの心配をよそに、ホイサッサとパンを詰めるその合間、爽やかでまっすぐな目と笑顔で「ジュースは?のど乾いていない?」とことあるごとに気を遣う。…なんて、イイ子…。子猫を前にするように、いい歳こいてヘラヘラ口元が緩んでくる。

ねずみおじさんはねずみおじさんで、ドタンバタンのその合間にやたらとポーズを取り、こちらが望む以上にカメラサービスを弾んでくれる。非常にありがたいんだけれども、余計な気ィ回してあとでブッ倒れんだろうかと、こっちがハラハラしてくる。集中していただいて、結構ですので…。

そんなこんなでヤマは越え、窯出しもそろそろ終盤、という時。

――ほぅ、高校球児君がねずみおじさんとタッチ交替した。そうか、練習もしないとね。焦る必要のない頃になって、やっと見習いの彼が手を出せるのだ。

それは、いつからか抱いていた「憧れ」だったのだろうか。

ねずみおじさんはトイレ(多分)へと奥に去り、替わって窯口前に来てヘラを掴む。が、その握り方には、なんとなく力ない。手が華奢とかいうわけではなく、初めて箸を握る外国人のように、力を入れる部分の按配が頼りなげなのだ。

とはいえ、ヘラを突っ込んでパンを取り出す、その伏せた目の横顔は美しく、凛々しい。まさしく青春の顔である。

カメラを構えると、緊張しつつも笑おうとこちらを見る、というのが、かぁわいいぃ――ってまるでジャニーズファン。

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ちなみにこの間のパン拾いは、オーナーの息子・中学生ぐらいのチビ君が担当する。鬼監督、というほどでもなかったけれども、大黒柱がいなくなると、ひとネジ緩んだリラックスムードも漂いはじめた。まるで仲良し兄弟のお手伝い…ってイヤイヤ、兄ちゃんは真剣だ。

いまはまだ濁音はない。だがねずみおじさんもきっと辿ってきたように、これがいつの日か背骨の入った音へと変わる。ヘラを躊躇なく握りしめ、日に千本でも二千本でも打ち上げるエースへと成長することだろう。その時に向かい、進めよ、青春。 

                              (最終訪問時2008)

詳細モトはこちら↓

https://docs.google.com/document/d/1lF8QjAeIqV7Vcie8-wQHWA0B8eIXmdzeDo7NQumvzQA/edit?usp=sharing

泡世界への扉 ~チェンナイ

 

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「軽いから土産にいい」

とは、よく言われる紅茶だが、インドやマレーシア、トルコ、イラン、ビルマ…あとどこで買い込んだろうか、一度たりとも「軽い」などと思ったことはない。「閉じる」ことなんて忘れたような、バックパックのチャックは、エイエイと強引にやっつけねばとてもその呻きを鎮めることはできない。まぁ、他にスパイスだなんだと買いこんでいるからなんだけど、嵩張る大半がソッチであり、どんなに軽くったって量ありゃ重いのだという単純な事実が肩に食いこむ。仕方がない。

インドから帰って、さんざん飲んだ。飲まなきゃ賞味期限が過ぎてしまう。重い思いをして担いで帰った紅茶であるから、オイシイうちに飲まねばならない。チャイ屋に通い、その作り手の傍らに立って覚えたやり方を真似、これが「インドのチャイだ」と家族や友人に披露した。

だが、なにか違っていた。

茶葉の量、そしてミルクと水とのバランスもあるだろう。そして何より「甘さ」が足りなかった。見ていたまんま――とやるにはやはり、体重問題が私の中には頑としてある。さらなるデブの道へと滑りゆくのを恐れ、明らかに砂糖をケチっていたのだ。

啜ると、深く記憶の底に沈んでいたものが、息を吹き返したように浮上してくる。――インドを離れて以来、途切れていたものが、いま、ようやく蘇った気がした。

南インド・チェンナイにいる。

南インドとは、インド亜大陸においてデカン高原、西ガーツ山脈、東ガーツ山脈を含む南方地域であり、タミル・ナードゥ州、アーンドラ・プラデシュ州、テランガーナ州、ゴア州、カルナータカ州、ケララ州、ラクシャドヴィーパ連合区、パーンディッチェーリ連合区、アンダマン・ニコバル諸島連合区を含む。(wikipediaより)。チェンナイは、その逆三角形の先端部分東側にある、タミル・ナードゥ州の州都だ。

前回のインドの旅は、首都ニューデリーからベンガル湾に近いコルカタを結ぶ一帯と、ネパール国境近いダージリンという北部であり、何年振りかのインドではあるが、南は初めてである。その初っ端の町。

 チャイ屋は、宿から歩いて五分。

飛行機を乗り継ぎこの大地に降り立って、道端に溜まるゴミと汚れた壁、漂う下水のような臭いにひるみながら宿を目指す途中、道を尋ねたのがここだった。

 

 

「あぁ、その通りはここだよココ。この地図にあるのは『旧名』だね。」

すぐ近いようだ。方向は合っていたのだと安心すると同時に、目に映った、鍋になみなみある白い液体に魅入ってしまった。蛍光灯に照らされた「白」は闇の中で輝きを放ち、森の中でこんこんと水を湛える泉のようで、神秘的だ。

通りからは階段を五、六段渡してある、少々小高くなった屋内は、壁、そして窓やドアで外(の通り)と遮断されておらず、垂れ下る蛍光灯に湯気がまとわりつきながら踊り上がっているのが、暗い中、遠くからでもよく目立っていた。

そう、既に日は暮れていた。暑苦しさというより冷や汗なのか、荷物を背負い、地図を片手にどことも知れない道をウロつくなかで、何かを温めているという白いモワモワには何かホッとするものがある。

鍋の前にはチョボひげをした小柄なおじさんが立ち、その表面をじっと見つめていた。訊いてみようか、とガチガチに張っていた警戒網を少々緩ませ、明るい店内へ進む段へと体を向けると、予想通りオジサンの視線を拾う。そして、「サア座れ」――あたかもここに来るのを知っていたかのように、すんなりと丸いイスを指し示すのだ。

中の方にいた二人のうちの一人・チョボ髭オジサン同様、五十か六十かのオジサンの手には、――コーヒーカップだ。デミタスカップよりはやや大きいが、小ぶりで取っ手がついている。中にはベージュ色の液体が揺れていて、やはりここは「チャイ屋」である。

飲みたいな…。

導かれるがまま腰を下ろしそうになるのだが、まずは宿に行かねばならん。

あたかもここの主人であるかのような勢いで、率先してシャリシャリ滞りない英語を使うのは、カップを片手にした人であり、客だろう。鍋の前に立つ、店の担い手と思われるチョボ髭おじさんと、あともう一人中にいた男性は、何か言いたげに目をウロウロさせているものの、口は出さない。

どうもお邪魔しました。礼を言うと、三人はそれぞれバイバイと手を小さく振り、見送ってくれた。

 

疲れに丸め込まれて眠り込んだものの、六時にもならないうちに目が覚めた、翌朝。

チャイ屋を訪れてみると、昨日のチョボ髭オジサンが、やはり鍋の前にいた。片手に持った容器で、中の白い液体を額の高さまですくい上げては、ジャァァっと注ぎ落としている。こちらに気が付くと、当然アメリカン的な大げさな歓迎ぶりはなく、頷きで「来たんだね」と反応し、中に進むよう促した。顔の感じがなんとなくチャップリン――と、あら。昨日の、静かなもう一人のオジサンもいる。

幅四メートル程度の入り口・向かって左には鍋の載ったガス台があり、右の壁にくっつけてある台にはクッキーを入れた瓶が幾つか載っている。その間をすり抜けた八畳ほどのスペースには、将棋ぐらいできそうな小さな机が二つと、センセイを前に患者さんが座るような丸イスが五、六個まばらに置かれていた。昨日の英語おじさんのように、そのうちの一つを選んで腰を下ろす。朝っぱらのまだ薄暗い中だから、前を通る車も殆どなく、背景にもみじが散るような静けさだ。

対して大柄のもう一人も、クッキーの瓶をきれに並べ直すなどしているからどうやら店の人間のようで、同じくニョッと、髭を左右対称に生やしている。なんとなく袴が似合いそうで、ええとあれは誰だったっけ、と連想するのは、昔の五千円札・夏目漱石――。

 

牛乳パックが幾つ分だろうか。そしてこれがチャイ何杯分になるのだろうか。豪勢な、見ただけで太っ腹だなぁ感を覚えずにはいられない。

ゆらゆら湯気を昇らせるミルクは、四人家族のカレー用(お代わり込み)程度の寸胴鍋に、縁・二センチ下までに湛えていた。この鍋には取っ手がなく、電気炊飯器の釜を直接火にかけているような感じなのだが、インドではこれが定型。外国のインドコミュニティにある料理屋でも目にする、「あぁインド」と実感するアイテムの一つだ。ちなみに蓋にも取っ手がなく、開けにくかろうなぁとは思うんだけど。

ともあれ蓋のないその中身は、早朝だからかそれほど減った様子はなく、私は一番乗りに近い方なのかもしれない。

チャップリンおじさんは、計量カップのようなアルミ容器を片手に、ミルクをジャアッ・ドボボ…とすくっては落とし、手持ち無沙汰ですと言うかのように何度も何度も繰り返す。日本にいる限りでは、ミルクにこんな音をさせることはあるまい。表面に小さなあぶくが溜まり、それを見るだけでなぜだろう、「ワぁっ」と心が弾んでしまう。

 二口あるコンロのもう一方にはやかんが載り、そのフタはどこかに失くしたのか、「ジャージャー」とは別のアルミカップがスッポリと丁度はまっている。中には茶漉しが引っ掛かけられていた。

 チャイを淹れる。

旅館で見かけるビールグラスよりは、ほんの少し大きい中に、スプーン山盛り二杯の砂糖が、それが入ったプラ容器からピッと宙を飛ぶよううまく投げ込まれた。「砂糖を入れる」・ただそれだけのことであるが、的を外さないその動きは「チャイを淹れる」ことが長年の専門職であることを物語るようだ。「甘さ控えめにして」と口を出すスキもなく、ここは潔く、お手前頂戴したい。

やかんを浮かせ、注ぎ口に茶漉しを添えながらグラスに傾ける。ナルホド、茶漉しの行き場(フタ代わりのカップの中)がやかんと一体化している方が、「どこ置いたっけッ?」とならなくていい。

注いだのはチョロッとだ。中で茶葉ごと煮えていた茶は、透明な赤というよりは、濁りのある煉瓦色。

さらに、寸胴鍋のミルクをアルミカップですくい、グラスを満たすまでに注ぐ。その比率に「どっち」が主役?と悩むのもつかの間、ほんのりと淡いオレンジ色に染まったグラスを額の高さまで持ち上げたら、もう一方の手にアルミカップを、こちらは腰当たりの位置に持ち、そこへ向かってジョジョジョ…っと注ぎ落とす。――出た。

そして右手から左手、左手から右手へと、「注ぎ落し」を交互に三回程繰り返す。インドの紀行文などを読んでいればたいてい登場する、「スゴーイ」と声を出したくなる場面である。

流れ落ちるというよりも、液体が細い一本の紐のようになり、それが空中に放られているかのよう。ハリのあるその動きに、ヨーヨーを操る糸を連想する。

 そうして、最終的に供する「コップ」へと中身を移し、「どうぞ」――ということで、モコモコと表面の泡立ったチャイが、出来上がった。

カップではない。「コップ」――なんだ、紙コップか、と、泡立ちに感動する分、容器の情緒のなさにガッカリもするが、これは訪問二回目になれば、他の客が手にしているのと同様に陶器の「コーヒーカップ」となり、三回目に訪れたときは、受け皿付きへと出世した。ちなみに受け皿付きで供されている客は殆どなく、これは「よそモン」への特別サービスか。

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「旨いわ」――いや、「甘い」が先か。いったいどちらが先に心を突いたのだろう。

柔らかい綿毛の塊が、瞬間、ホワンと生まれた。と、それから一歩僅かに遅れて、清清しい微風のようなものが、口の中、心の中に、スゥッと吹き込んでは消えてゆく。

…スパイスだろうか。なんらかの個性が、うまい具合に紅茶に絡み付いているのだ。

時間の針の動きは、どの世界においても平等。ここと日本も例外ない。だがそれを口にしたとき、以前インドを去ってからまるで時が止まっていたかのような、自分の中で「断絶していた」ものがあったと確かに思った。脳天に染み渡り、腰砕けになるようなこの優しさ――なんて、日本で「チャイ」と称して飲むものに、感じたためしなど一度もない。「似て非なる」、いや、「似て」などというのもおこがましい。…ってまぁ、「チャイ」を試したのも称したのもワタシであり、つまりワルイのは自分である。再現したいならば、勝手に控えたりなんてダメであり、二の腕を気にするなんてもってのほか。が、だからといって、材料を寸分違わず真似たならば、変わらず「旨い」と感じるかというと、それもまた違うであろうと予想できなくもないけれど。他の各国料理についてもいえることだが、気候などの環境が異なれば、それは現地で口にするものとはやはり「何か違う」となるのだ。

 話を戻そう。――なんてったって「泡」がいい。

これによって、液体が、ただ液体であることに止まらない、なにか「特別」なものであるように思えてくる。ただ泡立っているだけなのに、それが嬉しい。

チャイを淹れる動作から明らかなように、泡が立つのは、ミルクと紅茶の混ざった液を頭の上からジョボジョボさせるから。グラスと、腰位置のアルミカップとの距離は、最長一メートル強はあり、コップという小さな口の中へとうまく落とすのは、かなりの「ワザ」――練習しないと出来ない芸のように思われるけれども、いきなり高い位置からピンポイントに注ぎ落としているのではなく、最初は近い位置で垂らしているのを、徐々に腕を広げてその距離を伸ばしているのだ。となるとそれほど難しくもなさそうだ、なんて思っても、しかし「ジョッ」という音のキレというか、液体が空中に描く線の動きが、やはりああはいかない。まるで竜が、あなぐらの中に移動するかのような躍動感があるのだ。一瞬現れるその先端・つまり注ぎ始めと注ぎ終わりを目に留めようとジッと凝らすのが、なんとなく楽しい。

ポイントは「泡」か――チャップおじさんは、「前段階」から念を入れていた。チャイに合わせるミルクを鍋からすくうという時、なるべくその表面に立った泡が入るようにしていたのである。そうしてさらにジャボジャボして「アワアワ」とさせてゆくのだ。鍋のミルクをすくって落として…の繰り返しは、単なる手持ち無沙汰かと思っていたが、どうやら「やるべきこと」だったようだ。

もしかするとここでは、泡とは「ご馳走」なのだろうか。ミルクを加熱したときに表面に張る「膜」を、タイの目玉(の周りのゼラチン質!)的に取り分けてくれた、ビルマでの旅を思い出しもするが、そのように。

それが、「南インド」ということ?

…なんて、南に入った初っ端がココだから、目新しいものすべて「南だから?」と先走ってしまうのだが、つまりはこのチャイの「泡立て」動作、北インドの旅で見た覚えがないのである。

実際、コレを皮切りに、泡立ちチャイ世界が始まったのだが、それはまた追々ということで。

ともあれ。

後ろでズズッと啜りながら、れっきとしたチャイに再び出会えたことの、感動。旨いです、と伝えたいけれど、オジサン二人はこちらにケツを向けて・つまり道路に向かうように仕事をしているから、声をかけねば振り向いてもらえない。

どうせ「美味しい」と言うならば、会話本を見ながら現地語・タミル語で言いたいもんだが、まだやって来たばっかりで発音はどんなもんかと自信がないし、それを言う為に振り向いてもらうなどあまりに大げさ。いかにも「現地との交流」を欲しているかのようで、わざとらしくも恥ずかしい。

オレンジがかった空に立ち昇る、煙のような白い湯気。それをバックに動く背中を見ていると、一日を始める儀式のような、神聖な行為にあると思えてくるものの、これはオジサン達にとって当たり前の日常であるだろう。

仕方がないからその背中を「オイシイです」と眼力の限りに凝視して訴える。――と、突然振り向かれて目が合い、とっさに頷いたり、何事もなかったかのようにあさってを向いたりして、言葉が出せないことを誤魔化す。

…先輩を物陰から見つめる乙女的な挙動だと、自分でも思う。

 

詳細・モトはこちら↓

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妖精の生地仕込み ~ディヤルバクル②

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トルコ南東部、ティグリス川上流に位置するディヤルバクル。その中心部は、「新市街」と「旧市街」とからなっている。

「新市街」はその名から察せられる通り、整備された大通り沿いに銀行や高級ホテル、大型ショッピングセンターや、超有名ハンバーガーチェーン店やカフェ、アイスクリーム店、ブティック等など、ツルッとした近代的なビルが建ち並ぶ、いわゆる「オシャレ」なエリア。ビジネスマンがこの町に出張でやって来るとしたら、おそらくここいら一帯をカツカツと歩くはずである。

が、私が滞在するのは、古代ローマ時代から建設されたという、世界第二位の長さを誇る城壁(「万里の長城」の、次)に囲まれた「旧」の方だ。

メイン通りには小規模な個人商店が軒を連ね、装飾品やら生活必需品やら諸々が並ぶ前を、人々がせわしく行き交う。

食料市場はやはり活気があり、こっちが、いやこっちのホウレンソウが、と物色している場面等、人々の買い物をする様子をじっと見るだけでも面白くて、ヒマは簡単に潰れてゆく。

石畳の道は迷路のように入り組み、その脇にはひなびた風情を染み込ませた小さな民家がひしめく中で、ジャミイ(モスク)とミナレット(塔が)が背筋を伸ばし、青空へ向かって光を得る。

 歩き続けていたくなる雑踏だ。

 

そんな旧市街にある、偶然に、というか「パン」に引き寄せられて入った「フルン」だ。

その具体的な工程を、改めて追ってゆくことにする。

「六時に始まる」と少年・S君は言ったが、実際「フルン」ではもっと早くから生地の仕込みが始まっている。

「六時」というのは、「その頃には、店のドアは開いてるんじゃない?」という想像であり、実際、一度も彼がその時間にやって来たことはなかったんだけど。

…マ、お金を管理するレジ係は、確かに「パンが焼き上がってから」じゃないとやることがない。

 

「パン作り」の工程を至極簡単に並べると、

仕込み→分割→成形→焼成

で、この間に生地の「醗酵」が入り込む。

まずは、「仕込み」。つまり材料を合わせ、捏ねる作業である。

「焼きたて」をゲットできる利点ごもっとも・店に入っていきなり「窯」がそびえ立ち、その前で作業姿を見せる窯係とは異なって、仕込み現場はたいてい「奥の部屋」にひっそりとある。まぁ、辺り・床一面を真っ白にする大きなミキサーを、客がごったがえす店頭に設える理由も無いだろうが、つまりはこちらから自主的に「どうも」と入り込んでゆく必要があるということだ。

しょっぱなからズカズカと入って行くわきゃない、こちらは「一見さん」である。よって、パン作りはここから始まるとはいえど、こちらにとっては単に店のドアを開くだけで出来る「窯作業の見学」がステップⅠとするなら、ソコはその次の段階・つまり、仲良くなって「お通り」を許されてからの、ステップⅡとなる。

小さな窓から漏れてくる外からの光をもとに、たった一人、黙々と作業をするNさん。その背中を見ていると、…ええと、なんというか―「妖精」。って見たことないけど、おそらくこんな感じなんじゃないだろうか。

華奢、に見える体つき。固くて冷たい、氷のような目をしたその表情――透明感ある美しい容姿は、人を簡単に寄せ付けない、神秘性なるものを漂わせている。外部との接触を絶ったような感じが「奥の部屋」とあまりにもピッタリきて、出会って早々私が抱いた印象は、Nさんとはきっと「人間嫌い」で、こちらからはすごく話しかけ難い人―

がどっこい、奥へと私を案内してくれたのは、Nさんの方からである。まぁ、窯のもとへと運ばれてきた、焼成前の生地を物珍しそうに凝視していれば、「興味ギンギンです」ことを言葉なしに訴えるに等しいんだけど、そんな私に頷きながら、「おいで」。一瞬、森に迷った子供に手を差し伸べる、それはまるで天使を見るようで、ドキッとした。――ふわぁ、と綿のように柔らかい、穏やかも和やかもいいヒト、であるのだ。

 

「小麦粉」、「塩」、「イースト(酵母)」、「水」――パンを作る上で、基本的かつ必要不可欠な材料。(とはいえ、塩に関しては、イタリアのトスカーナ州では、中世より「無塩」のパンが存在しており、現代では日本でも健康を理由に売られている)それらに、ここでは「ソーダ」・つまり「重曹」も加わる。ケーキやクッキーを作る時に入れるのと同様、期待されるのは「よりフックラ」という膨脹材の役目だろう。

「塩」は五百gで、「イースト」(生)はレンガ大の塊が三包み。「重曹」が二十g。

そして肝心の「小麦粉」は一回の仕込みで約五十キロ。粉袋一つ分であり、そのオモテには「ディヤルバクル」の文字。

地元産の小麦粉――「さすが、文明を育んだティグリス」。この地が古くから肥沃な穀倉地帯であるという、その「歴史詰まってるなぁ」感慨をこの粉から受け取ろうではないか。…ってトルコにおける小麦の生産地はここらに限るわけではなく、「地元」の粉を使う町などいくらでもあるのだが、やはりこのティグリスといえば「メソポタミア文明」であり、小麦の発祥の地とも言われているのだ。ここはその上流部にあるのだから、やはり古代に思いを馳せて唸りたくもなる。ちなみにこの店では、同じく南東部の町・「ガズィアンテップ」の粉も、よく使うらしい。

「コッチ」と案内されて、さらに奥へと進んでゆくとさらにヒミツの部屋があり、音楽室のような広さの中に、何列も、かつ天井まで届くほどに粉袋が積み上げられていた。生地を捏ねる巨大なミキサーの脇に何袋か置いてあり、それだけ見ても十分な量だと思っていたが、どっこいもどっこい。「フルン」なんだから、粉が大量に存在するのは当たり前なのだが、日本のパン屋とはスケールが違う。ひとつ五十キロの粉袋――てっぺんまで積み上げるだけでも、かなりの労働だ。これを見上げるだけで、ここが「小麦の世界」であることが実感されてくるようだ。

「すごいでしょ。」とS君もいつの間にか現れて、ハイハイ、とお客の対応に呼ばれてレジに戻るというのを繰り返す。おお、いい身分ですな。十時出勤か。…って、いい身分だったのだ。こまっしゃくれているのもそのハズ、彼はパトロン(=オーナー)の息子で、お坊ちゃまだったのである。イチイチと感心している様子をオモシロがっているようであり、私も期待に応え、幾分多めに驚いておくことにする。

 

 

粉をはじめ、材料を合わせてゆく。

円周は、大人一人じゃあ両腕をいっぱいに広げても足らんなぁというぐらいの、大きな業務用ミキサーである。そのうつわ部分の中へ、よっこいしょ、と、各種を投入したら、横から中へと突き出している水道の蛇口を捻り、「スイッチ・オン」。

――…ん?

何か忘れ物をしたような、ヘンな感じがした。

ユーホーキャッチャーの「腕」を大きくしたような、巨大なはねが回転を始めると、煙幕のように粉がモクモクと舞い、中身は徐々に混ざり合わさってゆく。――蛇口の水は、「出っぱなし」。

それで、どうやって「量」が把握できるのだろうか。

目安がハッキリとしない。ガソリンスタンドみたいに、ホースからいま出ている量というものが表示されるわけでもない。

パン作りにおいて、「水分量を微調整する」ことは特に珍しいことではない。…というか「当たり前のこと」であるのだが、ミキサー容器の中は捏ねくり回され、水を取り込みながら馴染んでゆくその上からもまだ、とめどなく流れる水…。

いったい、いつまで? 「垂れ流し」で果たして見当つくもんなのか。

更に驚くのは、完全に混ざりきっていない、粉を吹いている状態で水を止めてしまうことである。

だいたい、生地の構造がガッチリと出来る前・つまり捏ね始めてわりと早い段階で、水分調整をするもんだと思うが、それ以前の状態ではないか。しかもその後は一切蛇口を捻ることがない、ということが少なくなかったのである。

つまり、ある程度の「予想」が、捏ねくられているその動きを見ていれば、つく、ということか。

いま、生地がどのように混ざっているのか――その状態を、ミキサーの脇からつきっきりで凝視する。そして、「蛇口を締める」瞬間を見極める。とにかく必要なものとは、「感覚」「想像力」であり、どれだけ水って入れたっけ、の「メモリ」ではないのだ。…時間を早送りして先を読むパワーなどないこちらとしては、ナゼ、どーして「いま」がいいの…?―どこの部分で「コレでよし」と思うのか、何回見ても全くサッパリわからないが。

 と、胸かき乱されながらミキサーのスイッチを切ったのは、約十分後。

かなり水分の多めの生地であり、まるで搗き立ての「餅」。このまま砂糖をまぶして食べてもオススメなんだよ、とのことである。(ウソ) 

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捏ね上がった生地は、ドラム缶をまっぷたつに割って横に寝かせたような、巨大な「生地入れ」に移される。下にコロがついているそれをミキサーまで近づけたなら、バケツに汲んである「手水」(生地がくっつかないよう手に擦り付ける水。「餅搗き」の時の水を差すが、以降、ここでもこう呼ぶことにする)を、両の手の平だけでなく、腕・肩にもたっぷりとつける。

そうして濡れた両腕を、ミキサーの中にズブズブと深く潜り込ませ、底からえぐり出するようにして生地を持ち上げるのだ。腕に付着している水分は、ガッチリと組織が出来上がっている生地の中へ簡単には溶け込まずにすべるから、「えぐられた部分」は、わりと未練なく生地の塊から離される。ナルホド。

体勢をやや半回転させ、それをドラム缶内に落とし込むと、「ドスン」と、地響きじゃないけれども。…重かろう。それを、五回、いや六回、ミキサー内がカラになるまで繰り返すのだが、見ているだけで腰がビリビリと…って、そうです、ハイ。スイマセン私は見ているだけなんです。

 さて、そうしたら「休憩」ですか。というのも、「パン作り一般」では、捏ね上げた生地を「醗酵」させる為に、暫く放置しておくモンであり、その後、それをパン一個の量に「分割」(切り分ける)する作業が始まるモン――なのであるが、ここでは「捏ねたらスグ」らしい。「放置」のために時間を設けるつもりはないらしい。

「手粉」(生地自体や手、台などに、生地がくっつかないようまぶす小麦粉)を少々、生地一面に振りまいたら、その大きな塊に片手を突っ込んで、ひと掴み引っ張る。そして、その元を右手に持ったスケッパー(名刺二枚分程度の、生地を切るカード状の器具)で、「カンッ」と、刃をドラム缶内のカーブした側面に当てることで、生地を切る。

カンカンとやって切り離したら、それを秤にのせる。生地は「大」と「小」があり、大は一つ六百グラム。小は、その半分の三百グラム。合格ならば、すぐ傍にある、粉にまみれた台へと放る。

「生地入れ」に向かっての作業は、体をくの字に傾けた状態だ。生地が切り取られて中身が減ってゆくに連れ、さらに体は内部にのめり込む体勢となる。つまりラストに近づくほどしんどくなるということだが、生地を切るばかりではなく、放ったのが七、八個ぐらい溜まったら、台の前に立ってそれを丸めてゆかねばならない。

両手のひらを動かし、台にこすりつけるように。一個六百グラムはバレーボール…とは言い過ぎだけれどもかなり大きく、それを片手に一個ずつの、二個を同時に丸めてしまう。Nさんの手が、実際はけっこうガッチリしているにもかかわらず(容姿にしては、手だけはデカい)、巨大な生地のせいで小さく見えてしまう。――が、やはり「手」は生地に対しての「支配者」。バフッバフッと息を吐きながら(実際は手粉が舞っている)、大人しく丸まってゆく生地は、まるで手なずけられてゆく生物のようにも映る。お見事。

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丸まったなら、足元に積み重ねてある、長さ約三メートル・幅三十センチ程度の、トロ箱のような木製の箱の中へと収めてゆく。

箱の中には、その底面に合わせたサイズの白い布を敷いている。生地が引っ付かない程度に、軽く布一面に粉をまぶし、「大」生地だとひと箱につき五個を、間隔に余裕をもって入れる。生地が醗酵して膨らんだ時、生地同士が引っ付いてしまわないように。

デカい箱にたった五個――「なるべく詰めたほうが、箱が少なくてすむ=持ち運びがラク」。どうせまた成形(形づくり)するんだし、いまひっついたって大した問題じゃあ…などとスグ思う、私のような横着さは、ない。

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丸めてはトロ箱に、…いやトロ箱じゃないけれどもとにかく生地を入れて箱を重ねて、が繰り返され、どんどんと背を高くしてゆく。箱ひとつの高さは、丸めた生地よりも少々あるから、重ねたら上の箱に引っ付いてしまう、なんてことはないからご心配なく。

それがある程度・七、八段となったら、最新の箱と最初の箱を入れ替える。

つまり、いま丸めたばっかりの生地が入る「一番上に重ねた」箱を床に下ろし、その上に、二番目(その次に新しい生地の箱)を重ね…と上下を入れ替えてゆく。と、昔(最初)の箱の中身が久しぶりに顔を出す。

それと、「たった今」丸めたばかりの生地とを比較してみれば、明らかに「太ったね」。ひとまわり、緊張の糸でも解けたかのようなのっぺり顔で、「一箱五個にしといてよかった」と思える大きさになっている。

醗酵時間をおかない理由はここで理解できる。他の生地を丸めている間にもこれだけ膨らんでいるのだ。

粉・五十キロ分の生地と格闘するのはたった一人であり、分割やら丸めやらのアレコレの「間」を合わせれば、醗酵時間を兼ねてしまうこと充分なのだ。分割も終いの方になると、生地ははじめの頃に比べて、だいぶ緩んで柔らかくなっている。これで更に時間を敢えてとったならば、弛んだ贅肉にも匹敵する生地となり(過醗酵)、扱いが難しくなるだけでなく、焼き上がったパンにも影響が出るだろう。具体的には、弾力に乏しく、酸味が生まれ、醗酵の匂いが鼻につくようになる。

で、のっぺりしたならば、この場所は卒業だ。外の石畳までよく見渡せる、開かれた世界にデビュー、である。

箱ごと・その真ん中に取り付けられた取っ手を握って、窯のあるオモテへと連れてゆく。

ここの明るさに目が慣れていたからか、なんだか通路の向こうが妙に眩しい。「日の光を見る」―Nさんの背中に、そんなことを思いながら後をついて行き、「世界」に出ると、同時にムッとした熱が頬にやってきた。まさしく窯部屋だ。

箱の中から生地を取り出して、成形台に乗せてゆく。生地の下に白い布を敷いておくのは、この時、醗酵して更に柔らかくなった生地を、うまく移動させるためでもある。布を引っ張ることで生地を「ヨッ」とひっくり返しながら掌の上に載せ、それを台の上にポンと軽く放るのだ。手早く、かつ、潰さないように、優しく…。

そうして、カラになった箱をぶら下げて奥に戻り、また、分割の続きを始める。

仕込みから始まって、分割し、丸め、そして醗酵後の生地を受け渡す。ここまでの一連の作業が、「仕込み」係・Nさんの受け持ちである。

 

 ――オモテは、賑やかそうだ。「あの人だ」…と私も分かるほど、特徴のある常連の声であり、楽しい話で盛り上がっているのだろうと、仕込み部屋から想像する。

外からの光は入るから、それほどにここが薄暗いというわけでもないんだけれども、…それにしても一人というのは全部、「自分の動いた音」。窯の熱も届かない。

 寂しくないだろうか。

…なんて感じる余裕などない、か。忙しいったらありゃあしないのだ。重い粉袋を持ち上げ、生地の塊に相対する。分割し、丸めて、ひょいっと箱を持ち…と、常にあっちこっちするNさんだ。スムーズに見えるけど、それって息を切らせる時代を経て鍛えられ、体力を身につけたからこそ出来る動きだろう。きっと、空手選手に勝るとも劣らないはずであり、「華奢」などと、とんでもないのだ。

忙しさの中でイヤな顔など一つとして出さず、ことあるごとに「これは…」とその作業を丁寧に説明するこの人は、世話のかかる妹の面倒をみる兄のようでもあり、或いは、何度言っても「わからない」と首を振る児童に、足し算を一つずつ教え聞かせる、優しきセンセイ。…いやあの、会話の大半を本(トルコ語会話の本)無しで済ませられない私であり、「妹」どころか、ガキと言うほうがまだマシの、「赤ん坊」レベルである。あぁそれなのに。

涼やかな顔で「座ってなさい」なんて言われると―心が洗剤付けて洗われてゆくよう。ぶくぶくと泡立つ青白いシャボン玉は輪をつくり、その向こうでNさんが微笑んでいるのをただ、茫然と眺めている。

…なんて、いつのまにか不思議な世界へと片足突っ込んでいる、妖精Nさんのファンタジーワールド。

 

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魔女のパン ~シェキ

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 アゼルバイジャン北西部の町・シェキ。ロシアと国境を接する、コーカサス山脈のふもとにある町だ。

夜十一時に首都バクーを発った夜行バスが、そのバスターミナルに到着したのは朝六時頃。ベトナムの市場ならば、既に脂ののった活動時間である。が、この世界はまだ薄暗いままに、シンとしていた。

町の中心部へと移動するマルシュルートカ(乗り合いワゴン)が動きだす時間まで座っていようと、ターミナルのベンチでじっとしていた。…と、妙に空気がヒンヤリする。どころか「寒い」。もう五月だというのに。

カフカス山脈のふもとの町、というのは分かっていたものの、まさか「もう使うまい」とリュックの底に丸め込んでいたマフラーを取り出すとは思わなかった。バクーではあたふたと地下鉄に乗り、銀行の場所に迷い、他国のビザを得ようと大使館に通いつめていた日々だったから、「自然」に対する想像力にイマイチ欠けている自分に気付き、改めて地図を広げてみる。

 掃除係のオジサンが、ベンチで震えているこちらに気付いて奥の待合室を教えてくれた。風が凌げるところで一時間弱うたた寝した後――はちょっと省略するけど紆余曲折あって、やっとの思いで民宿を探し当てたんだけれども、…ソコは、まさに「楽園」。

 窓にかかるレースのカーテンがヒラヒラと風に揺れ、日の光を受けて緑に染まる庭を淡くぼかしているのが、なんとも優雅だ。外を覗いてみれば、明かりのようにポツポツと咲いているのは、ピンクと黄色のグラデーションのバラ。真っ白いシーツに包まれたベッドのフカフカ度はこれまでになく、サイドテーブルには、これまた白いレースのクロスがかかり、ガラスの花瓶に挿してある赤いバラが、物言わず佇んでいる。

 ――私ってお姫様だったのか。ほっぺた摘まれるというか、映画のセットのようなシチュエーションに、いったい何をしたご褒美か、と、涙が出そうになった。

 

 美しい田舎町だ。特に夜の帳が開け、緑が光と出合う中を纏って歩くのは、何か上演されたものを見るようでもある。

 遠くで居座り世界を見守る山々の、子供たち――道の両脇に立つ、大なり小なりの木々がそれぞれに伸ばし、広げている掌は、自身一杯の緑を透き通るほどに鮮明に放ち、受け止めきれない陽の光をキラキラとその隙間から零してゆく。あっちの高いのはポプラだろうか、などと、植物の種類なんてトンと無知なんだけど、なんとなくイメージされる木の名前を呟きなどしながら緑の垂れ幕に沿って進めば、石の段を踏みながら流れ落ちてゆく小川が現れる。そういえば耳に届いていたのは、そのせせらぎ。煌めく飛沫に目は奪われ、ウットリ吸い込まれて一緒に流されてしまいそうだ。

 冷えた空気に少々狭めていたこちらの肩も、光を浴びるうちに開いてきたようだ。鳥たちが哂う中、澄んだ青い空を両手いっぱい掴むように、深い深いところから息を吸う。ここでハンモックにでも揺られたなら、横で天使が羽ばたいていてもおかしくない。

心身共に浄化されまくり頬を緩ませながら、気まぐれに角を曲がり、さらに歩き続けた。もうすぐ七時。まだ起きる時間じゃないというのか、人通りは殆どない。

 ――と。

 遠くに、おそらく「おばあさん」と思われる、頭巾を被った女性がひとり、ポツンと立っているのが目に入った。ダンボールを路肩に置いた、その傍でジッと立っている

 もしかして、とピンと来た。

待ち合わせの車が通りかかるのを待っているか。それとも、あの中にはもしや――

距離が縮まり、そちら側へと寄り気味に歩くと、やはり頭巾の下は白髪で、その顔立ちもはっきりしてくる。

彫り深く、厚い二重の瞼と、その目元から細かく散るようにある皺。ちょっとだけつりあがった眉に、イカリ型の高い鼻。

「魔女」を連想した。ギラリと睨まれそうで、話かけるのはちょっと緊張するんだけれども、「それは?」と、ダンボールに入った頭陀袋に興味を示してみると、肩から羽織っている柔らかそうなカーデガンのように、ふわぁ、と、表情の紐が緩んだ。

――やっぱり。

見せてくれたその明るい茶色肌は、「パン」。それが頭陀袋に入って、ダンボールに収まっていた。

 と、「買う」とも言ってもないうちからこの魔女ばあちゃんは、これがいいよ、コッチの方がいいかな、と、袋をさらに大きく開き、手を突っ込んでゴソゴソと幾つか引き出して勝手に品定めしてくれるのだ。

 こうなると「見てるだけデス」なんて言えない、…というわけではなく(いやそれもあるが)、厚めの頭陀袋であるのがナルホドと納得できるように、袋を開けた瞬間、その縛り口から温かい空気と匂いがモワモワと揺らめいた。焼けて間もない――となれば、困惑は魅惑へと一気に反転する。朝飯用としてうってつけの、ジャストミートではないか。

 良い景色に誘われるがままにさ迷い歩く、はその通りなんだけれども、人は霞を食っては生きられない。腹を空かしたままでは一日が始まらない。早朝の散歩が日課であるのは、「焼き立てのパンをゲットする」のが我が旅の鉄則である――「パン食い地域」では。もちろん、「ご飯地域」ではご飯であり、トウモロコシだったならばトウモロコシだろう。

円盤型だ。表面のところどころには焦げ色の強い斑点があるものの、全体的に狐色が不足なく回っていて、表面に切り込まれた深い三本線だけが、その奥から白く模様を付けている。

 ともあれ、ソレと分かれば意識のシーソーが「大自然」から現実へと急速に傾くが、一見して躊躇もまた走った。

「デカい」。それがちょうどダンボールに収まるのは、全部で十個にも満たない数であるように、直径約三十センチはあるだろうし、厚みは世界史二冊分はある。持ち上げてみればズッシリして、「ホントに?」とひとり身の自分に問い質さずにはいられない。

食事何回分だろうか。出来れば毎日、焼き立てを買いたいんだけど、これだったら今日一日ではとても消費しきれないだろう。

 

 だが一旦「欲しい」と思ったら。――すごく惹かれるパンにかかわらず葛藤の末ソレを逃したならば、結局あとでウジウジ後悔を引きずるのが目に見えている。
「……まぁ、いっか」
「躊躇」は折って折って小さく丸め、どこか細胞と細胞の隙間にでも挟んでおくことにして、ウン、と頷く。

 ひとつを、蛍光灯を買うような大きなビニールに入れてくれる魔女ばあちゃん。その可愛い笑顔を見ると、なんだかとてもいい買い物をした気分になった。

 それにしても、いくら早朝とはいえ「モノを売る」にはもう少し人通りが期待できる、そう、マルシュルートカが走るルート上の方がよさそうなのに。「道を間違えたんじゃないか」と迷い込んでしまったような、こんな小さな路上にどうして敢えて立っているのか不思議だが、いかにも「ウチで作った」という数だから、気まぐれに通りかかる程度で十分なのか。

或いは、エイ、と魔法で人を呼び寄せるのか。

 さて、こうなれば「大自然、緑のキラキラ」などとかまけている場合ではない。帰るべし、とスッカリ夢から覚めて足早になる。温かいうちに食べたい、早く食べたい。…って今食べてみよう。ちょっとだけ、ひと口だけ。歩きながら、大きなビニールの中身を少しだけ覘かせて、指で千切ってみる。しっかりとした、張りある表面だ。

香りで連想するのは「フランスパン」。あの断面のように、内層にボコボコと大きな気泡があるわけじゃないが、よく焼き込まれた表面に対して、ちぎり取った中の白い部分は非常に柔らかく、控えめながら優しい甘味もまた、似ている。んんん…と、川のせせらぎは全くもって遠くなり、いま浸るのは、自分の口の中の宇宙。

戻って、これをバクーで買っていたチーズと、紅茶をキッチンで淹れて、食べる。――と、『この円盤を終わらせるのは、二日、いや三日目に突入する』と予想したのはいったいどこのダレか。

 半円が、一度の食事でいつの間にか胃に収まっていた。

…ヤバイなぁ、また胃がでかくなる。

 

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窯入れ ~サワンナケートのカオチー③

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昔ながらの木造住宅を思わせる、深い茶色の木箱。着物用桐タンスのようなその大きさの中には、真っ白な生地たちが、じっとおとなしく待っていた。

思い浮かぶのは、スヤスヤと眠る猫の、グーにした手。…ってべつに毛が生えているわけじゃないんだけど、何となく気持ちヨサソウな、そ…っと触れてみたくなるフックリ感がある。

体長約二十センチの棒状だが、真ん中部分がやや太く、それから端に向けてやや狭まっているナマコ型であり、その胴回りは小ぶりの夏大根、といったところか。その腹と同じだけの間隔をとりながら二列に並び、ひと箱に二十四個程度収まっているのが、何箱も積み上げられていた。

醗酵した生地を、これから焼くのだ。

まさに眠っている猫を抱えるように、一番上の箱にある生地を、両側面から左右の手で持ち上げ、手術台が如く傍らに待機している、タタミ一枚分の天板の上に移動させる。「天板」といっても、「工事現場から要らない鋼をもらってきました」というような、これまた使い込まれて歪み、真っ黒になった年季モノだ。

やわらかぁい、などと、ふやけた顔してモタつくことなど当然なく、ワンさんの動作は機敏だ。一定した間隔をもたせて、一つ一つをサッサと置く。

初めて会った時、彼は十六だった。サラサラ髪の坊ちゃんヘアに、帽子をつばを後ろにして被り、細くて華奢な腕を出した「少年脱してやっと青年」。そしてフラッとやってきた余所者など眼中にないかのようなそのしかめっ面は、カメラを構えても緩まなかった。初対面なのに愛想を振る理由が見つけられないし、という、至極当然・げにごもっともなことが納得されてくる、まぁ分かりやすい素直な反応であったのだが、それでもめげずに生地を触る姿を撮ろうとすると、カッタイ表情のままながらもほんの数秒ピタリと動作を止め、カメラに視線を向けてくれる。チラホラと出しては引っ込める配慮に、「イイ子、だなぁ…」と、微笑ましさがポワンと底から浮かんでくるのだった。

かつては、小麦粉等の粉を計量してミキサーで回す「生地の仕込み」係にあった。それ以外は兄・ホアさんの補助として動いていたのだが、今はその役を弟のヴァンさんにバトンタッチし、かつてホアさんが在った立ち位置・仕込みを除いた作業全般をこなす職人になっていた。

結構な筋肉も付いたように見える。さて笑顔の一つでも向けてくれるだろうか…などと気を揉む必要など全く無く、会うとすぐに「あ、覚えているよ」と柔らかい表情を見せるようになった。カタイ顔を向けられるというのは、「胡散臭いヤツ」である事実を直視するようなもんだから、私としては「一線越えられたか」と素直にホッとはするのだが、人見知りの衣を纏った、あの時思春期だった君は大人になりにけりと、時の流れをもまたしみじみと噛みしむるなり。

 

…と、「ここがちょっと(間隔が)近いだろ」とでも言っているのだろうか、兄・ホアさんは後から、天板に置いた生地一つ二つの位置を少々ずらす。生地と生地との間隔にバラつきがあると、パンの焼け具合にもまた差が生じてしまうのだが、「大量に作っていれば、そういうのもありなん」と流してしわないということに、「カオチー作り」に対する誠実さを見たような気がして、ほう、と唇がすぼまる。

初対面の時、彼は十代を抜けようという頃だったろうが、プックリ頬の童顔だからもっと幼く見えていた。少々長い前髪が作業をする時に邪魔なのだろう、おそらく姉のであろう「カチューシャ」を頭にして、くいっとデコを出しているのが妙に似合っていたホアさんだが、その顎に髭が少々生え、頬だけでなく全体的にポチャッと丸身を帯びたようだ。Tシャツじゃなくてポロシャツ姿なのも、「ゴルフが趣味です」とでも言いそうな中年オヤジ(偏見だが)の雰囲気を出していなくもない。…ってまだ、三十なんだけど。

いや、三十になったらそろそろ「引き際」なのだろうか。工房の中に常に在るというわけではなく、時々、気が付いたら姿を消している。そして十数分したらまた戻ってきて、手を出すというよりは、腕を組み、ワンさんの手つきをじっと見る…など、一線からは身を引いてはいるが目を光らせる、「現場監督」に昇進したという感じではある。…と思えば、急にフンフン鼻歌を歌い始めて実はボーっとしていたようでもあったり、バナナを手に、大声で歌いながら戻ってきたり。その奇行ぶりに弟達はクスクスと笑い、彼は監督兼ムードメーカー、というところか。ワンさん揃って人見知りだったならば、私としても少々居づらかったろうが、その緊張感がほぐれていたのは彼の陽気さのおかげだろう。

 

並べ終えたならば、生地の表面を、水の入った霧吹きを使って湿らせる。この「霧吹き」は、百円店に売っているようなカシャカシャとその都度押すヤツではなく、一回押したら「シャァァ」と出続ける高性能モノだ。

そうして、「クープ」を入れる。「フランスパン」を言えば思い浮かぶ、表面にパカっとした口を開かせる為の切り込みである。

縦長に寝ている生地、向こう側の先端に左手の人差し指を軽く当てる。切る最中に、生地が刃につられて引っ張られてしまわないための、「押さえ」として。

そして右手に持った「刃」を生地の表面に当て、一本、手前にシャッと引く。潔く。

――浅い。こんなもんで、あの立派なクープがお目見えするのか。切り込んだ線の深さは五ミリもいかないだろう。

クープを入れることで火通りと膨らみがよくなり、そこから耳を立てるように起き上がって焼けた外観は、「良い、悪い」を細かくやらしくネチネチと判定する一つの目安でもある。が、それについての詳細は省こう。私としては、裂け、めくれまくって鋭利に立ち上がる「クーブ」であれば、それでもうウットリご満悦なのだ。

「刃」とは、小さなカミソリ。先端をちょっとだけ裂いた細い竹串の間に、彫刻刀の平刀よりもさらに小さい刃を差し込み、紐でグルグルと固定したもの。竹串とはいえそれはあまりにヒョロっとした棒ッ切れで、スーパーで売られている団子の串の方がもっとしっかりとしているだろうが、その刃は全くのダテじゃないことが十分、その切りっぷりから伺える。だが見た目の心もとなさそのままに、こんなものをワンさんってば鉛筆よろしく耳に引っ掛けるなど、軽々しいにも程がないか。…不安定じゃないのか、ソレ。汗で簡単に滑り落ち、耳元をシャッとかすって血まみれ…とか、想像が先走りして、こちらの耳こそキーンとしてくる。…汗を拭きなさい、汗を。

 

 

肌を撫でるように軽く、素早くその天板にある生地すべてに「一本線」を切り込んだなら、いよいよ窯と 相対する時だ。

「腹黒さ」を色に出すとしたらきっとこんな感じだろう、いかにも重そうな鉄扉である。四つのうちの一つを、ホアさんはしかしいとも簡単に、扉にタオルかけのようについた取っ手を手前に倒し、キィ、とあさってにすっ飛んだ音を響かせた。庫内は入り口よりは少々大きい、天板一枚を受け入れてちょうど、という広さである。

窯のすぐ脇に置かれていた、既に「窯色」にくたびれたバケツ。「あとで掃除する為だろうか」とチラと思った以上に気になど留めていなかったが、ホアさんは今それに身をかがめ、コップで中身をすくうと、開かれた入口から窯内部に向かって勢いよく浴びせる。相撲取りが塩を振り撒くように――と、その瞬間、シャァァァっ!と蒸気が上がり、あぁそっか、この為なのだと目が覚めた。水だ。

窯に蒸気を入れると、生地が伸び(膨らみ)易くもなる等のメリットがある。バケツはボーっと突っ立つ私のように「ただそこに在る」んじゃないのだ。

それを合図に、天板を既に抱え持った体制にいたワンさんが、すばやくソレを中へと突入させる。すぐに扉を閉め、足を振り上げてケリつけ、しっかり「フタ」。さぁ、旅立ちだ。

 

「特大サイズでよろしく」と籠職人に注文して、編み上げてもらったのだろうか。ホテルの清掃係がシーツを入れて抱えてそうな竹籠を、重なっている中から一つ取ってきて、足元に置いておく。

放置されていた厚手のボロタオルを手に、「扉」を開いた。既にムンムンと、この空間全体をひっくるめてダシにしたような、「カオチー」の香りが充満してきていたが、キイっとさせた瞬間,それが一段と強まった気がする。

右手には、「杖」…というには少々短い、子供の傘ぐらいの「鉄の棒」を握っている。先端が、まさに傘の柄のようにクイッとハテナに曲がっているのだが、握り手はその逆だ。

黙って収まっていた天板を、まずは手前に少しだけ引き出したら、…おぉ、おぉ、「カオチー」たち。新品の木材色した肌に、その表皮を突き上げるようクープをパックリ弾けさせた、面々。

縦長に収まっていた天板の縁の、体に近い側を左手で持ち、その反対側の縁は、右手に持った「鉄の棒」のハテナ部分で引っ掛けて支える。そしてそのまま後ろに下がり、ザザザっと底を擦らせながら天板全体を更に引き出してゆく。

ごそっと全体を出しきったら、それを抱えたまま、用意していた竹籠の上で「立てる」ほどに傾けさせる。焼き上がった「カオチー」は、その中へとボタボタ落ちてゆくのだが、こちらとしては「アブな…」と呟かずにはいられなくなる。引っ掛け箇所として穴が開いているわけでもない天板を、棒の先のハテナが支えているなどと、まぐれみたいなモンにしか映らない。

…とはいえ、ズルッと滑らせてガチャ―ンと地に落とした場面なんて一度も見たことがないのだから、やはり掴みどころを得ているのだ。一体何度こなして慣れたのだろう。

「ねっ!」

――焼けたでしょうっ! という、ワンさんヴァンさんの誇らしげな笑顔がなんともカワイイ。ベトナム人は概して日本人よりも若く見えるから、彼らもまた中高生の兄弟と言っても通用するだろう。それほど間を置かず、外気に触れたカオチー・一つ一つからはパチパチと音が弾け、それは二人の心と呼応しているかのようだ。ホヤホヤたちを吸い付くように見つめていると、あら?とどこかに離れてしばし見なかったホアさんが、戻って来た。

「食え食えっ!」

…って。ボスがまた、どこに行ってたんスか。

以前までは、この人が主役でやっていた作業だ。このままゆけば、オヘソをまず先頭にして通りを闊歩する、オヤジ達とそう変わらない体系となるだろう。この、大トリともいえる作業に没頭していたあの姿は、もっとカッコよかったぞ――などというのはまぁさておいて、それはもう、飛びついて「いただきます」なのである。

 

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熱工房 ~ サワンナケートのカオチー② 

 

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カッとんだ太陽の光を受けた、濃い木陰。

そんな、シンとした暗さに「工房」はあった。

埃のような、木材のような、いや、味噌のような――?倉庫の中のように、そこに在るさまざまなものがじっと息を潜めた匂いが、七、八坪ほどの空間を纏っていた。だが、言うならばそれは「動」のイメージに満ちている。置物のように肌をボロボロした老木でも、その体内では大地と太陽のエネルギーを吸収しながら「生」を繋ぐ壮大な営みが展開され続けているように、シンと静まり返ってはいても、こちらの目には見えないだけで「何か」はきっとこの空間を活発に動き回っていると想像ができる、「生きている」匂いだ。

蛍光灯は天井のスミにくっついているけれども、昼間だから点けないのだ…というか、このクソ暑苦しいのに点けたらもっと鬱陶しくなるだろう。ガラスなど貼らない通気口のような窓、そして天井――上にちょっと載せただけのような、スコールにぶち抜かれんじゃないか思わずにはいられない、軽そうなトタン屋根。そして、その壁との隙間から差し込んでくる太陽の光が、部屋の中を「今は昼です」と告げている。その明かりで十分、か。

 「窯」もまた、黙りこくってその隅にじっと佇んでいる。

コンクリートの肌は黒ずみ、その色とはもはや、その正面にはまっている鉄扉と変わらない。微妙にグラデーションを作る、自らの体臭のように奥深いところにまで染み込んだ暗黒色には、火だって何だってびくともしないような貫録があった。

隣接する、生活用の家屋と仕切っている壁は青いペンキで塗り直されてはいるが、ここを囲むコンクリート壁もまた、木肌かと見まごう程に焦げ色に染まっているから、この空間はいっそう暗く沈み込んでいるように感じる。だからこそ陽の光の煌めき、そして、赤い炎のゆらめきが、――生きる。心に訴える。

 

四角い――ような、窯。

高さは身長155センチの私の肩程で、幅は約三メートル。奥行きはテントの支柱ぐらいはあるだろうか。「四角い」というカッキリとした角ある線は真正面からの姿であり、ちょっと斜め横から見れば、コーナーは少々崩れ、その厚さ5センチ程のコンクリート層のすぐ奥に、石を積み重ねた壁が現れているのに気付く。なるほど、コンクリートは単なる覆いであって、「窯」と言えるのはその石壁の内側なのだ。そしてその天井には、人が粘土をペタペタと手で固めたような輪郭でウネっており、所々、含んでいる大きな石の姿を素直にボコッと浮き上がらせていた。

山を貫くツルッとした輪郭のトンネルよりも、大昔から手つかずの、いかにも石が落っこちてきそうな洞窟の方に「おぉ」と声を上げてしまうように、崩れているにも拘らず、いや崩れているからこそ、ワイルドな見た目がいかにも「重厚」だ。…というか、それは崩れているというよりも、「覆いなんて、そこまでカッキリしなくてもいいんじゃないの?」とテキトーなところで(塗り固めるのを)止めたんじゃないだろかと想像できなくもないんだけど、それがかえって「使い込まれてもう何百年」とでもいう、遺跡に似た空気を醸し出しており、この空間の「主」である威厳を放っているのだ。

炎が二つ、その股下のような「個室」にいる。

鉄扉はタンスの引き出しのように横長・長方形なのが四つ――上下二段・二列ではめ込まれており、そのタテ列の真下にそれぞれ開かれたトンネルの中で、揺らめいている。時々、蛍のような明るいオレンジ色の火の粉をプッと遠くまで飛ばしながら。

そう、電気でもなく、またガスを使うのでもない。窯を温めているのはそれ・木で熾した炎である。

窯を見やれば否応なく目に入る、傍らに寄せられている木材は、カットされて、そのまま柱として組めそうなものから、棚にするような厚みの板だったり、或いは生えていたのをただブった切っただけのような、荒れた素肌を晒したものなどが、これから小屋でも建てるのだろうかという程に積まれていた。長さはまちまちだが、殆どが窯の奥行きよりも長いから、そこからエッコラショと何本か抱え出し、トンネルへコラショっとくべられたなら、木は当然投入口からびゅっとはみ出てしまう。黄金にも見える赤い炎を抱えた窯は、まるで口にポッキーでもくわえているかのようにそれをムシャムシャと齧り、火はパチパチと空間を奏でながら、与えられた糧を赤く同化し、舞い続ける。

激しくはないが、安定したリズムで居座るその姿に、――静かなること山の如し。…って山じゃないけど、いまここを見据え、支配している最たるものの「魂」を思った。神聖――だけど、ちょっと怖くもある。その調べとは、窯というものに塞がれて一応は正気を保ってはいるが、いつ暴れ出してもいいんだけど、という脅迫さえ内包している。いったい実態とは、色なのか、熱なのか。揺れ動く美しさに見惚れながら、キミに急所はあるのか、今の心境はどんなもの?――などと考えているうち、魂の骨を抜かれたようにボーっとなった自分にふと、気づく。

床の上で直接燃えている。道路のようなコンクリート床だからまぁ大丈夫なのだろうが、炎周辺は熱いし灰と一体化しているから、屋内とはいえ「外」も同然、裸足にはなれない。散らばった木屑でスイバリも立つだろう(スイバリが立つ=広島において「トゲが刺さる」の意)。――けれども、一見「裸足?」と思うほどに、「彼ら」の足にあるゴムサンダルは心もとない。履きつぶされて薄っぺらなそんなのは、水たまりの中をジャボジャボと歩くようなもんであり、ゴミなんて足の裏に簡単に転がり込んでくる。まぁ、どんなに薄くとも、一枚足に当てているのは裸足よりはそりゃマシだろうが、少々尖った木くずだったならば、簡単に突き破られてしまいそうだ。

開け放してある出入り口は三つあり、そのうち二つは、白光りする屋外へと続いている。光がここに入ってくるように、熱も一応、篭らないようにはなっているのだろう。息苦しさは、それほどではない。――んだけれども、だからって涼しげな顔をしていられる程の余裕は当ったり前ながら全然なく、暑いったら熱いのだ。バッグの中で蒸れている、カメラの悲鳴が聞こえてくるようである。

まもなく、窯の背後から一筋の灰色の煙が、揺らめきながら昇ってゆく。それは音なき「産声」か。熾した炎によって、窯が瞼を開いてゆく、その合図のようにも映った。

――三人兄弟の、熱工房。

ホアさん、ワンさん、ヴァンさん。この時、長兄・ホアさんがそろそろ三十になろうかという頃で、ワンさんは二十三、そしてヴァンさんは二十になったばかりという、エネルギーの塊のような三兄弟だった。

 

 

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