主に、旅の炭水化物

各地、食風景の点描

魔女のパン ~シェキ

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 アゼルバイジャン北西部の町・シェキ。ロシアと国境を接する、コーカサス山脈のふもとにある町だ。

夜十一時に首都バクーを発った夜行バスが、そのバスターミナルに到着したのは朝六時頃。ベトナムの市場ならば、既に脂ののった活動時間である。が、この世界はまだ薄暗いままに、シンとしていた。

町の中心部へと移動するマルシュルートカ(乗り合いワゴン)が動きだす時間まで座っていようと、ターミナルのベンチでじっとしていた。…と、妙に空気がヒンヤリする。どころか「寒い」。もう五月だというのに。

カフカス山脈のふもとの町、というのは分かっていたものの、まさか「もう使うまい」とリュックの底に丸め込んでいたマフラーを取り出すとは思わなかった。バクーではあたふたと地下鉄に乗り、銀行の場所に迷い、他国のビザを得ようと大使館に通いつめていた日々だったから、「自然」に対する想像力にイマイチ欠けている自分に気付き、改めて地図を広げてみる。

 掃除係のオジサンが、ベンチで震えているこちらに気付いて奥の待合室を教えてくれた。風が凌げるところで一時間弱うたた寝した後――はちょっと省略するけど紆余曲折あって、やっとの思いで民宿を探し当てたんだけれども、…ソコは、まさに「楽園」。

 窓にかかるレースのカーテンがヒラヒラと風に揺れ、日の光を受けて緑に染まる庭を淡くぼかしているのが、なんとも優雅だ。外を覗いてみれば、明かりのようにポツポツと咲いているのは、ピンクと黄色のグラデーションのバラ。真っ白いシーツに包まれたベッドのフカフカ度はこれまでになく、サイドテーブルには、これまた白いレースのクロスがかかり、ガラスの花瓶に挿してある赤いバラが、物言わず佇んでいる。

 ――私ってお姫様だったのか。ほっぺた摘まれるというか、映画のセットのようなシチュエーションに、いったい何をしたご褒美か、と、涙が出そうになった。

 

 美しい田舎町だ。特に夜の帳が開け、緑が光と出合う中を纏って歩くのは、何か上演されたものを見るようでもある。

 遠くで居座り世界を見守る山々の、子供たち――道の両脇に立つ、大なり小なりの木々がそれぞれに伸ばし、広げている掌は、自身一杯の緑を透き通るほどに鮮明に放ち、受け止めきれない陽の光をキラキラとその隙間から零してゆく。あっちの高いのはポプラだろうか、などと、植物の種類なんてトンと無知なんだけど、なんとなくイメージされる木の名前を呟きなどしながら緑の垂れ幕に沿って進めば、石の段を踏みながら流れ落ちてゆく小川が現れる。そういえば耳に届いていたのは、そのせせらぎ。煌めく飛沫に目は奪われ、ウットリ吸い込まれて一緒に流されてしまいそうだ。

 冷えた空気に少々狭めていたこちらの肩も、光を浴びるうちに開いてきたようだ。鳥たちが哂う中、澄んだ青い空を両手いっぱい掴むように、深い深いところから息を吸う。ここでハンモックにでも揺られたなら、横で天使が羽ばたいていてもおかしくない。

心身共に浄化されまくり頬を緩ませながら、気まぐれに角を曲がり、さらに歩き続けた。もうすぐ七時。まだ起きる時間じゃないというのか、人通りは殆どない。

 ――と。

 遠くに、おそらく「おばあさん」と思われる、頭巾を被った女性がひとり、ポツンと立っているのが目に入った。ダンボールを路肩に置いた、その傍でジッと立っている

 もしかして、とピンと来た。

待ち合わせの車が通りかかるのを待っているか。それとも、あの中にはもしや――

距離が縮まり、そちら側へと寄り気味に歩くと、やはり頭巾の下は白髪で、その顔立ちもはっきりしてくる。

彫り深く、厚い二重の瞼と、その目元から細かく散るようにある皺。ちょっとだけつりあがった眉に、イカリ型の高い鼻。

「魔女」を連想した。ギラリと睨まれそうで、話かけるのはちょっと緊張するんだけれども、「それは?」と、ダンボールに入った頭陀袋に興味を示してみると、肩から羽織っている柔らかそうなカーデガンのように、ふわぁ、と、表情の紐が緩んだ。

――やっぱり。

見せてくれたその明るい茶色肌は、「パン」。それが頭陀袋に入って、ダンボールに収まっていた。

 と、「買う」とも言ってもないうちからこの魔女ばあちゃんは、これがいいよ、コッチの方がいいかな、と、袋をさらに大きく開き、手を突っ込んでゴソゴソと幾つか引き出して勝手に品定めしてくれるのだ。

 こうなると「見てるだけデス」なんて言えない、…というわけではなく(いやそれもあるが)、厚めの頭陀袋であるのがナルホドと納得できるように、袋を開けた瞬間、その縛り口から温かい空気と匂いがモワモワと揺らめいた。焼けて間もない――となれば、困惑は魅惑へと一気に反転する。朝飯用としてうってつけの、ジャストミートではないか。

 良い景色に誘われるがままにさ迷い歩く、はその通りなんだけれども、人は霞を食っては生きられない。腹を空かしたままでは一日が始まらない。早朝の散歩が日課であるのは、「焼き立てのパンをゲットする」のが我が旅の鉄則である――「パン食い地域」では。もちろん、「ご飯地域」ではご飯であり、トウモロコシだったならばトウモロコシだろう。

円盤型だ。表面のところどころには焦げ色の強い斑点があるものの、全体的に狐色が不足なく回っていて、表面に切り込まれた深い三本線だけが、その奥から白く模様を付けている。

 ともあれ、ソレと分かれば意識のシーソーが「大自然」から現実へと急速に傾くが、一見して躊躇もまた走った。

「デカい」。それがちょうどダンボールに収まるのは、全部で十個にも満たない数であるように、直径約三十センチはあるだろうし、厚みは世界史二冊分はある。持ち上げてみればズッシリして、「ホントに?」とひとり身の自分に問い質さずにはいられない。

食事何回分だろうか。出来れば毎日、焼き立てを買いたいんだけど、これだったら今日一日ではとても消費しきれないだろう。

 

 だが一旦「欲しい」と思ったら。――すごく惹かれるパンにかかわらず葛藤の末ソレを逃したならば、結局あとでウジウジ後悔を引きずるのが目に見えている。
「……まぁ、いっか」
「躊躇」は折って折って小さく丸め、どこか細胞と細胞の隙間にでも挟んでおくことにして、ウン、と頷く。

 ひとつを、蛍光灯を買うような大きなビニールに入れてくれる魔女ばあちゃん。その可愛い笑顔を見ると、なんだかとてもいい買い物をした気分になった。

 それにしても、いくら早朝とはいえ「モノを売る」にはもう少し人通りが期待できる、そう、マルシュルートカが走るルート上の方がよさそうなのに。「道を間違えたんじゃないか」と迷い込んでしまったような、こんな小さな路上にどうして敢えて立っているのか不思議だが、いかにも「ウチで作った」という数だから、気まぐれに通りかかる程度で十分なのか。

或いは、エイ、と魔法で人を呼び寄せるのか。

 さて、こうなれば「大自然、緑のキラキラ」などとかまけている場合ではない。帰るべし、とスッカリ夢から覚めて足早になる。温かいうちに食べたい、早く食べたい。…って今食べてみよう。ちょっとだけ、ひと口だけ。歩きながら、大きなビニールの中身を少しだけ覘かせて、指で千切ってみる。しっかりとした、張りある表面だ。

香りで連想するのは「フランスパン」。あの断面のように、内層にボコボコと大きな気泡があるわけじゃないが、よく焼き込まれた表面に対して、ちぎり取った中の白い部分は非常に柔らかく、控えめながら優しい甘味もまた、似ている。んんん…と、川のせせらぎは全くもって遠くなり、いま浸るのは、自分の口の中の宇宙。

戻って、これをバクーで買っていたチーズと、紅茶をキッチンで淹れて、食べる。――と、『この円盤を終わらせるのは、二日、いや三日目に突入する』と予想したのはいったいどこのダレか。

 半円が、一度の食事でいつの間にか胃に収まっていた。

…ヤバイなぁ、また胃がでかくなる。

 

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窯入れ ~サワンナケートのカオチー③

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昔ながらの木造住宅を思わせる、深い茶色の木箱。着物用桐タンスのようなその大きさの中には、真っ白な生地たちが、じっとおとなしく待っていた。

思い浮かぶのは、スヤスヤと眠る猫の、グーにした手。…ってべつに毛が生えているわけじゃないんだけど、何となく気持ちヨサソウな、そ…っと触れてみたくなるフックリ感がある。

体長約二十センチの棒状だが、真ん中部分がやや太く、それから端に向けてやや狭まっているナマコ型であり、その胴回りは小ぶりの夏大根、といったところか。その腹と同じだけの間隔をとりながら二列に並び、ひと箱に二十四個程度収まっているのが、何箱も積み上げられていた。

醗酵した生地を、これから焼くのだ。

まさに眠っている猫を抱えるように、一番上の箱にある生地を、両側面から左右の手で持ち上げ、手術台が如く傍らに待機している、タタミ一枚分の天板の上に移動させる。「天板」といっても、「工事現場から要らない鋼をもらってきました」というような、これまた使い込まれて歪み、真っ黒になった年季モノだ。

やわらかぁい、などと、ふやけた顔してモタつくことなど当然なく、ワンさんの動作は機敏だ。一定した間隔をもたせて、一つ一つをサッサと置く。

初めて会った時、彼は十六だった。サラサラ髪の坊ちゃんヘアに、帽子をつばを後ろにして被り、細くて華奢な腕を出した「少年脱してやっと青年」。そしてフラッとやってきた余所者など眼中にないかのようなそのしかめっ面は、カメラを構えても緩まなかった。初対面なのに愛想を振る理由が見つけられないし、という、至極当然・げにごもっともなことが納得されてくる、まぁ分かりやすい素直な反応であったのだが、それでもめげずに生地を触る姿を撮ろうとすると、カッタイ表情のままながらもほんの数秒ピタリと動作を止め、カメラに視線を向けてくれる。チラホラと出しては引っ込める配慮に、「イイ子、だなぁ…」と、微笑ましさがポワンと底から浮かんでくるのだった。

かつては、小麦粉等の粉を計量してミキサーで回す「生地の仕込み」係にあった。それ以外は兄・ホアさんの補助として動いていたのだが、今はその役を弟のヴァンさんにバトンタッチし、かつてホアさんが在った立ち位置・仕込みを除いた作業全般をこなす職人になっていた。

結構な筋肉も付いたように見える。さて笑顔の一つでも向けてくれるだろうか…などと気を揉む必要など全く無く、会うとすぐに「あ、覚えているよ」と柔らかい表情を見せるようになった。カタイ顔を向けられるというのは、「胡散臭いヤツ」である事実を直視するようなもんだから、私としては「一線越えられたか」と素直にホッとはするのだが、人見知りの衣を纏った、あの時思春期だった君は大人になりにけりと、時の流れをもまたしみじみと噛みしむるなり。

 

…と、「ここがちょっと(間隔が)近いだろ」とでも言っているのだろうか、兄・ホアさんは後から、天板に置いた生地一つ二つの位置を少々ずらす。生地と生地との間隔にバラつきがあると、パンの焼け具合にもまた差が生じてしまうのだが、「大量に作っていれば、そういうのもありなん」と流してしわないということに、「カオチー作り」に対する誠実さを見たような気がして、ほう、と唇がすぼまる。

初対面の時、彼は十代を抜けようという頃だったろうが、プックリ頬の童顔だからもっと幼く見えていた。少々長い前髪が作業をする時に邪魔なのだろう、おそらく姉のであろう「カチューシャ」を頭にして、くいっとデコを出しているのが妙に似合っていたホアさんだが、その顎に髭が少々生え、頬だけでなく全体的にポチャッと丸身を帯びたようだ。Tシャツじゃなくてポロシャツ姿なのも、「ゴルフが趣味です」とでも言いそうな中年オヤジ(偏見だが)の雰囲気を出していなくもない。…ってまだ、三十なんだけど。

いや、三十になったらそろそろ「引き際」なのだろうか。工房の中に常に在るというわけではなく、時々、気が付いたら姿を消している。そして十数分したらまた戻ってきて、手を出すというよりは、腕を組み、ワンさんの手つきをじっと見る…など、一線からは身を引いてはいるが目を光らせる、「現場監督」に昇進したという感じではある。…と思えば、急にフンフン鼻歌を歌い始めて実はボーっとしていたようでもあったり、バナナを手に、大声で歌いながら戻ってきたり。その奇行ぶりに弟達はクスクスと笑い、彼は監督兼ムードメーカー、というところか。ワンさん揃って人見知りだったならば、私としても少々居づらかったろうが、その緊張感がほぐれていたのは彼の陽気さのおかげだろう。

 

並べ終えたならば、生地の表面を、水の入った霧吹きを使って湿らせる。この「霧吹き」は、百円店に売っているようなカシャカシャとその都度押すヤツではなく、一回押したら「シャァァ」と出続ける高性能モノだ。

そうして、「クープ」を入れる。「フランスパン」を言えば思い浮かぶ、表面にパカっとした口を開かせる為の切り込みである。

縦長に寝ている生地、向こう側の先端に左手の人差し指を軽く当てる。切る最中に、生地が刃につられて引っ張られてしまわないための、「押さえ」として。

そして右手に持った「刃」を生地の表面に当て、一本、手前にシャッと引く。潔く。

――浅い。こんなもんで、あの立派なクープがお目見えするのか。切り込んだ線の深さは五ミリもいかないだろう。

クープを入れることで火通りと膨らみがよくなり、そこから耳を立てるように起き上がって焼けた外観は、「良い、悪い」を細かくやらしくネチネチと判定する一つの目安でもある。が、それについての詳細は省こう。私としては、裂け、めくれまくって鋭利に立ち上がる「クーブ」であれば、それでもうウットリご満悦なのだ。

「刃」とは、小さなカミソリ。先端をちょっとだけ裂いた細い竹串の間に、彫刻刀の平刀よりもさらに小さい刃を差し込み、紐でグルグルと固定したもの。竹串とはいえそれはあまりにヒョロっとした棒ッ切れで、スーパーで売られている団子の串の方がもっとしっかりとしているだろうが、その刃は全くのダテじゃないことが十分、その切りっぷりから伺える。だが見た目の心もとなさそのままに、こんなものをワンさんってば鉛筆よろしく耳に引っ掛けるなど、軽々しいにも程がないか。…不安定じゃないのか、ソレ。汗で簡単に滑り落ち、耳元をシャッとかすって血まみれ…とか、想像が先走りして、こちらの耳こそキーンとしてくる。…汗を拭きなさい、汗を。

 

 

肌を撫でるように軽く、素早くその天板にある生地すべてに「一本線」を切り込んだなら、いよいよ窯と 相対する時だ。

「腹黒さ」を色に出すとしたらきっとこんな感じだろう、いかにも重そうな鉄扉である。四つのうちの一つを、ホアさんはしかしいとも簡単に、扉にタオルかけのようについた取っ手を手前に倒し、キィ、とあさってにすっ飛んだ音を響かせた。庫内は入り口よりは少々大きい、天板一枚を受け入れてちょうど、という広さである。

窯のすぐ脇に置かれていた、既に「窯色」にくたびれたバケツ。「あとで掃除する為だろうか」とチラと思った以上に気になど留めていなかったが、ホアさんは今それに身をかがめ、コップで中身をすくうと、開かれた入口から窯内部に向かって勢いよく浴びせる。相撲取りが塩を振り撒くように――と、その瞬間、シャァァァっ!と蒸気が上がり、あぁそっか、この為なのだと目が覚めた。水だ。

窯に蒸気を入れると、生地が伸び(膨らみ)易くもなる等のメリットがある。バケツはボーっと突っ立つ私のように「ただそこに在る」んじゃないのだ。

それを合図に、天板を既に抱え持った体制にいたワンさんが、すばやくソレを中へと突入させる。すぐに扉を閉め、足を振り上げてケリつけ、しっかり「フタ」。さぁ、旅立ちだ。

 

「特大サイズでよろしく」と籠職人に注文して、編み上げてもらったのだろうか。ホテルの清掃係がシーツを入れて抱えてそうな竹籠を、重なっている中から一つ取ってきて、足元に置いておく。

放置されていた厚手のボロタオルを手に、「扉」を開いた。既にムンムンと、この空間全体をひっくるめてダシにしたような、「カオチー」の香りが充満してきていたが、キイっとさせた瞬間,それが一段と強まった気がする。

右手には、「杖」…というには少々短い、子供の傘ぐらいの「鉄の棒」を握っている。先端が、まさに傘の柄のようにクイッとハテナに曲がっているのだが、握り手はその逆だ。

黙って収まっていた天板を、まずは手前に少しだけ引き出したら、…おぉ、おぉ、「カオチー」たち。新品の木材色した肌に、その表皮を突き上げるようクープをパックリ弾けさせた、面々。

縦長に収まっていた天板の縁の、体に近い側を左手で持ち、その反対側の縁は、右手に持った「鉄の棒」のハテナ部分で引っ掛けて支える。そしてそのまま後ろに下がり、ザザザっと底を擦らせながら天板全体を更に引き出してゆく。

ごそっと全体を出しきったら、それを抱えたまま、用意していた竹籠の上で「立てる」ほどに傾けさせる。焼き上がった「カオチー」は、その中へとボタボタ落ちてゆくのだが、こちらとしては「アブな…」と呟かずにはいられなくなる。引っ掛け箇所として穴が開いているわけでもない天板を、棒の先のハテナが支えているなどと、まぐれみたいなモンにしか映らない。

…とはいえ、ズルッと滑らせてガチャ―ンと地に落とした場面なんて一度も見たことがないのだから、やはり掴みどころを得ているのだ。一体何度こなして慣れたのだろう。

「ねっ!」

――焼けたでしょうっ! という、ワンさんヴァンさんの誇らしげな笑顔がなんともカワイイ。ベトナム人は概して日本人よりも若く見えるから、彼らもまた中高生の兄弟と言っても通用するだろう。それほど間を置かず、外気に触れたカオチー・一つ一つからはパチパチと音が弾け、それは二人の心と呼応しているかのようだ。ホヤホヤたちを吸い付くように見つめていると、あら?とどこかに離れてしばし見なかったホアさんが、戻って来た。

「食え食えっ!」

…って。ボスがまた、どこに行ってたんスか。

以前までは、この人が主役でやっていた作業だ。このままゆけば、オヘソをまず先頭にして通りを闊歩する、オヤジ達とそう変わらない体系となるだろう。この、大トリともいえる作業に没頭していたあの姿は、もっとカッコよかったぞ――などというのはまぁさておいて、それはもう、飛びついて「いただきます」なのである。

 

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熱工房 ~ サワンナケートのカオチー② 

 

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カッとんだ太陽の光を受けた、濃い木陰。

そんな、シンとした暗さに「工房」はあった。

埃のような、木材のような、いや、味噌のような――?倉庫の中のように、そこに在るさまざまなものがじっと息を潜めた匂いが、七、八坪ほどの空間を纏っていた。だが、言うならばそれは「動」のイメージに満ちている。置物のように肌をボロボロした老木でも、その体内では大地と太陽のエネルギーを吸収しながら「生」を繋ぐ壮大な営みが展開され続けているように、シンと静まり返ってはいても、こちらの目には見えないだけで「何か」はきっとこの空間を活発に動き回っていると想像ができる、「生きている」匂いだ。

蛍光灯は天井のスミにくっついているけれども、昼間だから点けないのだ…というか、このクソ暑苦しいのに点けたらもっと鬱陶しくなるだろう。ガラスなど貼らない通気口のような窓、そして天井――上にちょっと載せただけのような、スコールにぶち抜かれんじゃないか思わずにはいられない、軽そうなトタン屋根。そして、その壁との隙間から差し込んでくる太陽の光が、部屋の中を「今は昼です」と告げている。その明かりで十分、か。

 「窯」もまた、黙りこくってその隅にじっと佇んでいる。

コンクリートの肌は黒ずみ、その色とはもはや、その正面にはまっている鉄扉と変わらない。微妙にグラデーションを作る、自らの体臭のように奥深いところにまで染み込んだ暗黒色には、火だって何だってびくともしないような貫録があった。

隣接する、生活用の家屋と仕切っている壁は青いペンキで塗り直されてはいるが、ここを囲むコンクリート壁もまた、木肌かと見まごう程に焦げ色に染まっているから、この空間はいっそう暗く沈み込んでいるように感じる。だからこそ陽の光の煌めき、そして、赤い炎のゆらめきが、――生きる。心に訴える。

 

四角い――ような、窯。

高さは身長155センチの私の肩程で、幅は約三メートル。奥行きはテントの支柱ぐらいはあるだろうか。「四角い」というカッキリとした角ある線は真正面からの姿であり、ちょっと斜め横から見れば、コーナーは少々崩れ、その厚さ5センチ程のコンクリート層のすぐ奥に、石を積み重ねた壁が現れているのに気付く。なるほど、コンクリートは単なる覆いであって、「窯」と言えるのはその石壁の内側なのだ。そしてその天井には、人が粘土をペタペタと手で固めたような輪郭でウネっており、所々、含んでいる大きな石の姿を素直にボコッと浮き上がらせていた。

山を貫くツルッとした輪郭のトンネルよりも、大昔から手つかずの、いかにも石が落っこちてきそうな洞窟の方に「おぉ」と声を上げてしまうように、崩れているにも拘らず、いや崩れているからこそ、ワイルドな見た目がいかにも「重厚」だ。…というか、それは崩れているというよりも、「覆いなんて、そこまでカッキリしなくてもいいんじゃないの?」とテキトーなところで(塗り固めるのを)止めたんじゃないだろかと想像できなくもないんだけど、それがかえって「使い込まれてもう何百年」とでもいう、遺跡に似た空気を醸し出しており、この空間の「主」である威厳を放っているのだ。

炎が二つ、その股下のような「個室」にいる。

鉄扉はタンスの引き出しのように横長・長方形なのが四つ――上下二段・二列ではめ込まれており、そのタテ列の真下にそれぞれ開かれたトンネルの中で、揺らめいている。時々、蛍のような明るいオレンジ色の火の粉をプッと遠くまで飛ばしながら。

そう、電気でもなく、またガスを使うのでもない。窯を温めているのはそれ・木で熾した炎である。

窯を見やれば否応なく目に入る、傍らに寄せられている木材は、カットされて、そのまま柱として組めそうなものから、棚にするような厚みの板だったり、或いは生えていたのをただブった切っただけのような、荒れた素肌を晒したものなどが、これから小屋でも建てるのだろうかという程に積まれていた。長さはまちまちだが、殆どが窯の奥行きよりも長いから、そこからエッコラショと何本か抱え出し、トンネルへコラショっとくべられたなら、木は当然投入口からびゅっとはみ出てしまう。黄金にも見える赤い炎を抱えた窯は、まるで口にポッキーでもくわえているかのようにそれをムシャムシャと齧り、火はパチパチと空間を奏でながら、与えられた糧を赤く同化し、舞い続ける。

激しくはないが、安定したリズムで居座るその姿に、――静かなること山の如し。…って山じゃないけど、いまここを見据え、支配している最たるものの「魂」を思った。神聖――だけど、ちょっと怖くもある。その調べとは、窯というものに塞がれて一応は正気を保ってはいるが、いつ暴れ出してもいいんだけど、という脅迫さえ内包している。いったい実態とは、色なのか、熱なのか。揺れ動く美しさに見惚れながら、キミに急所はあるのか、今の心境はどんなもの?――などと考えているうち、魂の骨を抜かれたようにボーっとなった自分にふと、気づく。

床の上で直接燃えている。道路のようなコンクリート床だからまぁ大丈夫なのだろうが、炎周辺は熱いし灰と一体化しているから、屋内とはいえ「外」も同然、裸足にはなれない。散らばった木屑でスイバリも立つだろう(スイバリが立つ=広島において「トゲが刺さる」の意)。――けれども、一見「裸足?」と思うほどに、「彼ら」の足にあるゴムサンダルは心もとない。履きつぶされて薄っぺらなそんなのは、水たまりの中をジャボジャボと歩くようなもんであり、ゴミなんて足の裏に簡単に転がり込んでくる。まぁ、どんなに薄くとも、一枚足に当てているのは裸足よりはそりゃマシだろうが、少々尖った木くずだったならば、簡単に突き破られてしまいそうだ。

開け放してある出入り口は三つあり、そのうち二つは、白光りする屋外へと続いている。光がここに入ってくるように、熱も一応、篭らないようにはなっているのだろう。息苦しさは、それほどではない。――んだけれども、だからって涼しげな顔をしていられる程の余裕は当ったり前ながら全然なく、暑いったら熱いのだ。バッグの中で蒸れている、カメラの悲鳴が聞こえてくるようである。

まもなく、窯の背後から一筋の灰色の煙が、揺らめきながら昇ってゆく。それは音なき「産声」か。熾した炎によって、窯が瞼を開いてゆく、その合図のようにも映った。

――三人兄弟の、熱工房。

ホアさん、ワンさん、ヴァンさん。この時、長兄・ホアさんがそろそろ三十になろうかという頃で、ワンさんは二十三、そしてヴァンさんは二十になったばかりという、エネルギーの塊のような三兄弟だった。

 

 

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平型パン世界 ~ディヤルバクル①

 

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トルコ南東部に位置する町・ディヤルバクル。

郊外のバスターミナルに到着したのは、まだ真っ暗の夜明け前。明るくなってから町まで移動しようと、ターミナル内でジッと待っていたから、宿を見つけて荷を下ろすまでに結構時間は経っていた。というわけで、私はとにかく朝っぱらからハラを空かせて、外へと歩いたのである。

新しい町にやって来たら、まずやるべきお約束は――「フルン探し」にウロつきまわること。だがそれよりも今は、どこでもいいからとにかくロカンタ(=「食堂」)に入りたい。チーズやサラダ。スープでもいい。パンを片手に少々のオカズを添えた、それなりの朝食が摂りたかったから、宿から出た通り・スグに目に入ったドアを、トイレにでも切羽詰ったかのように開いた。複数の店の雰囲気を推し量っては、「あっちか、それともこっちか…」と迷いまくる、いつもの優柔不断からは考えられない「即決」である。

早朝と言っていい時間帯だからか、まだ閑散とした店内のテーブルのうちの一つに陣取り、「はちみつも欲しい」などと告げてから、たいして待つこともなくまずやってきたものを見て、あ、と思った。

パンが、――「平べったい」。

初めてのトルコだった。日本からイスタンブールに入ってから東へ・トルコの大半を占めるアナトリア大陸の中央部や、北部の黒海沿岸の町を経由した後、さて今度は「南東部」へ――と、いろんな方面をつまみ食いするように旅を進めていた。というわけで、ガイドブックではその括りにおける「最大の町」とある、ディヤルバクルにやってきたのである。

それまでの町でフルンに並んでいたパンとは、フランスパンのように棒型で、フックラと膨らんでいるものが殆どだった。とはいえ、平べったいパンもないことはなく、例えばラマザン(断食月)で食べるパンといえば、「ラマザン・ピデ」と呼ばれる円盤状の平型が伝統的であるし、また普段でも、肉やらチーズやらの「具」を、平たく伸ばした生地の上に載せて焼くという、イタリアのピッツァのようなパン(こちらも「ピデ」と呼ばれる)や薄い薄い生地が特徴の「ラフマジュン」と呼ばれるものを提供する食堂が見られる。だが、それらは「具もパンも一気に食べられて便利」という、どちらかというとファーストフード的な存在だし、ラマザン・ピデなど特別なシチュエーションのものである。「白いご飯」に匹敵する、どんなオカズにも添えられるシンプルな味の「いつものパン」とは、もっぱらフランスパン型=「ソムン」だった。

 南東部は、平べったいのが「普通」、なのだろうか。

異なる世界に移動した、という実感。その外観は新鮮で、一目見ただけで旨そうだと思えてくる。

ステンレスのトレイには、もとはある程度デカかったのだろう、手帳よりやや大きめにカットされたパンが数枚載っていた。

ロカンタは、たいてい近所のフルンからパンを仕入れる。

フルンは、近所の人も日々買いにやって来る「町のパン屋」である。中には、全粒粉を加えるなどで、数種類のパンを揃えるフルンもあるが、どこにおいても一番作られているのは、クラム(内層)の白い、味のシンプルなパンである。ロカンタに卸されているものも、万人ウケするその最もポピュラーなやつであるから、そのパンは地元の味といっていい。

それまでの経由地では、ロカンタというと「ソムン」(フランスパン)の、二センチ程度に輪切りされたものが積まれて出されるばかりだったのだが、――ここでは、こうなる。

一切れを手に取ると、焼き上がりから時間が経っていないのか、表面はパリッとしている。「平べったい」とはいえ、それなりにフックラと膨らんでおり、インド料理屋で食べる「ナン」よりも厚いだろう。表面には縫い込んだような格子模様があり、もこもことしたダウンジャケット生地、或いは子供用の座布団を思わなくもない。

スープに、たかがチーズ数切れとはちみつタラリ、トマトとキュウリがちょこっと付いて、…調子に乗って「オリーブも欲しい」などと言ったからよけいに、なのだろうが、「そんなにとられんの?」(お金を)。皿が運ばれて訊いた額は、いつも自分で市場から調達していた朝食と比べると、同じものでもかなり高い。…から、「食べ放題」であるパンをその分、腹に一割り増しぐらいは詰め込みたい。(ロカンタで出されるパンは、ほぼどこでも食べ放題である。)

 

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「餅」の楽しみ ~葱餅

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中国の、「餅」。

その中でも「定番」とされるものの一つが「葱餅」である。…って日本で「『ねぎもち』いかが?」と聴き慣れているからして(試食で)、私はついそう言ってしまうんだが、これは中国では「葱花餅(ツォホアピン)」或いは「葱油餅(ツォユウピン)」と呼ばれ、店の看板にもそのようにある。

作り方を、簡単に紹介しよう。

 

1、生地を作る。――小麦粉と水、塩で捏ねて、暫くねかせる。

2、ねかせた生地を分割して、薄く薄く、麺棒で円形にのばす。

3、成形する。――伸ばした生地の表面に油をハケで塗り、葱と塩をパラパラと一面にふりかけたら、端からくるくる巻いてゆく。

4、長い筒状となった生地を、蚊取り線香のように渦に巻き、その上から麺棒で、厚みを潰すように押さえてゴロゴロ転がし、薄く、円く伸ばす。(五ミリ~一センチ程度)

5、焼く。――油を敷いた鉄板等でこんがりと(ひっくりかえしながら両面)。

 

葱をクルクル巻き込み、潰して(のばして)ある円盤状のそれを上から見たならば、なるほど、葱が印象付ける渦の輪郭は、「花」と模しても、まぁそうですねと言えなくもない。だから、「葱花餅」か。

当然ながら、示した手順はだいたいの流れであって、作り手によって異なる部分もある。客で賑わっている店や、作っている場面が外から筒抜けに見える店があれば、スパイかと怪しまれないようテキトーに工夫しながら観察していると、分割する大きさ(「2」)とは、要は鉄板に載せる時の一個分なのだが、それがイコール菓子パン一個に相当する「こぶし大」だったり、「こぶし」どころか漬物石二個分ぐらいの塊だったりして、鉄板に載るギリギリの巨大円盤を焼き上げるという場合もある。(で、出来上がったものを、必要な量だけ切り売りする)。

或いは、「3」で葱類を巻き込んだら、「4」の「蚊取り線香」とするのをすっ飛ばし、即、端から一個分の大きさに、金太郎飴のように切ってゆく、という方法もある。

どういうやり方であれ、要は、生地は「層」を為している状態であることがダイジだ。つまり、生地と油(+葱)が、隣接すれど混じらない状態が、重なっているということ。

「3」で巻く時、伸ばされている生地が薄ければ薄いほど、筒状となったものをサイドから見た「渦」は、細かい。つまり層の数が多く、焼き上げれば薄い破片がハラハラとめくれるという、(洋菓子の)「パイ」の状態となる。小麦粉をただ水分で練り、なんの層をつくることもなくただ伸ばして焼いたものを口にしてみれば、食べ物というよりは「カタマリ」・まるで粘土を口にしている気分になるのだが、生地内に「油層」があることで、焼いたときにサクっとした食感が生み出されるのだ。熱で鼓舞されて活性化した油層が、隣接する生地層を揚げている状態にすると同時に、熱で生地から流れ出て、その部分に空洞を作るのである。

たいていの店では、「大きく焼き上げて切り売り」か、「金太郎飴方式(「4」は抜き)」であるようだ。

金太郎飴方式の場合、「大きく」生地を分割することがポイントである。それを大きく大きく薄く伸ばせば、それだけクルクルして出来る筒も太くなる。つまり渦もそれだけ多くなるから、「4」を端折ったって層数は十分カバーできるもん、ということなのだろう。量産するには、確かにその方が早いのかもしれない。

一方、家庭でこれを作るとなると、当然ながら、仕込む生地量とは、「店」と比べ物にならないほど少ない。そもそも、焼く為の鉄板だって、フライパンだったりするだろうから、分割量も「こぶし大」となるのは必然的だろう。だが、少量の生地であっても、「筒」に巻くだけでなく、その後に蚊取り線香(「4」)という「二重渦巻き」をすることで、「層」の複雑さを捻出している。…と思うのだが。

 

伸ばした生地は、それはもう「タップリ!の油」で焼くもんなのだという場面を、しばしば目にした。最初に鉄板に敷いてそれで終わり、ではなく、焼き色の様子を伺う時も、裏表ひっくり返す(巨大な円盤ならば、トングのような大きな棒で挟み持ちながら)時も、逐一、刷毛などでタポタポと惜しみなく、ペンキを塗るよう油を撫でつけていた。艶々の透明な液体をたっぷりと浴びた生地は、表面に濃い斑跡をつけ、テカテカと黄金色に輝いて焼き上がる。巻いて閉じた部分が剥がれかけなどしてヒダヒダに波打ち、「葱花」をよけいに思わせる様相だ。美しい…んだけれども、明らかにど凄い量の油であり、カロリー度外視だろう。が、そんな邪念はまさに邪魔で、んなこと言っていては旨いもんはできないのが世の習い。

焼き立て、というよりもほぼ「揚げ」たてのそれを頬張ってみると、――オヤ。油に浸しながら焼くようなものだから、ギトギト・べチャッと、いかにもな油っぽさを想像すれど、意外にもそんな感じは全くない。お見事なサクッと感。とはいえ、濁音響く洋菓子の「パイ」ほどに角はなく、生地を捏ねることで生まれたモチっとした粘りもまた、ある。「甘さ」を連想させる香ばしさに、「油」とは単に火を通す手段のみに留まらず、これもまた餅を構成する必要な要素であることをつくづくと思うのだ。

ちなみに、これも作り手によって様々な「(円盤の)生地の厚み」も、食感・味わいを作り出す要素である。

厚め(一センチそこそこ)の方が、私は好きだ。まぁ、薄いならばそれはそれで――押し潰されていても、ペラペラとみかんの薄皮のようにある「層」の健気さを讃え、分解しながら食べるのも面白いんだけど、厚い方が、よりそのありがたみを実感できる。厚いと中まで火を通すのに、嫌がらせかと思える程に時間がかかり、「まだぁ?」と呟かずにはいられなくなるが、客が催促しようが鉄板が熱かろうが「美味しく」作ってこそウチの味、と職人魂を持って焼いているところを見つけるべし。火の通りがいい加減だと、ヘンにネチネチと粘土感が残るだけで美味しくないんだから、それで正解なのだ。時間がかかる分、表面はしっかりと焼かれてパリッとなるし、無理に押し潰されていない「層」が膨張剤の役割を果たして全体をフックラとさせる。せっかくの「層」、その意味を如何なく発揮されたものを手にしたときの美味しさったらない。厚いとまた、層のせいだけではなく、生地そのものにも「気泡」があるのだな、ということにも気づく。ロールパンやスポンジケーキほど顕著ではないが、ほんのり息をついたような呟きは、生地に酵母などを加えて醗酵させているためなのか。それとも重曹を使うのだろうか――と、合間に想像しながら、もう一口。

小麦粉生地の内外で「油」が踊り、その輪郭を、しっかり甘味へと転化された「葱」と「塩」が縁取る。どれもシンプルな存在ながら、同じ舞台に立ち、お互いの立役者を演じている。「葱餅」――言葉面としては全く惹かれるものがなかったが、旨いヤツじゃないか。

とはいえ、時間が経てば、トンカツがそうなるように油が全身に回って、ベトベトとした印象が表に出てくるから、やっぱり出来たてを食らうのが理想、いや、原則。本当は座って何処かで食べたいが、椅子を探している間に終わってしまう。

 

詳細・モトはこちら↓

https://docs.google.com/document/d/1A8T9PopGy9GFXUzGue8c0IHJD3Gez7ensHzlhtyGusU/edit?usp=sharing

サワンナケートのカオチー  ~具入り点描

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 寿司職人にも劣らないだろう、次にやることが分かっているからこその、休みない手。

「何をどのように入れてくれるのか」の観察に目を凝らすこちらの前で、サラッとした表情を変えることもなく流れを止めないのは、想像としては七、八つぐらい年上だろうか、のお姉さんである。

腰丈の台の上に設えられた、透明ケースの棚にある幾つかの容器の中から、ヒョイヒョイと各種の「具」が、ジャンプするようにカオチーの「口」へと収まってゆく。

 

サワンナケートは、「ラオス中部」と分類される地域でも南端に位置する、メコン川沿いの町である。水の確保が容易で気候条件も良く、肥沃な土地で、ラオスの中でも農作物の生産が高い。タイとの国境地点でもあるから、ベトナムへと繫がる道の要所として栄える「交易の町」とも紹介されるが、私がそこを初めて訪れた時のきっかけとは、まさにタイからベトナムへ向かう通過点・つまり途中下車的に、だった。

到着し、町を把握しようと宿を出て、ブラブラ歩き始めてから十分もかからなかったろう。

路の脇に、屋台が出ているのに気付いた。棚と調理台がセットになった、商売道具一式の前には女性が立っており、その足元には、籠がある。――と、洗濯物入れのような大きなその中に、ポツポツと頭を覘かせている茶色いものに、近眼といえども反応した。そういえばモワモワと「香り」が鼻腔をついている。

「カオチー」、か。

ソレと確信する前から顔が緩み、のんびりとしていた足どりにも急にエネルギーが注入されたようだ。さすが「根付いている」というべきか。到着早々、簡単に見つかるなんて。

「あ、ものほしそうだな。買うのだろうな」というだけでなく、綿パンに、たすきがけショルダーバッグ、そして見慣れない顔―とくれば、「外国人」であることは一目瞭然・近付いてきた時点で、向こうも分かっただろう。

が、「いる?」と向けたその、ポニーテールを揺らしたお姉さんの笑顔は、外国人への少々不審交じりのハニカミでもなく、もちろん(日本の)デパートにあるような、ピシッと教育されたかたちでもない。「この野菜安いよ」と市場のおばさんが、通りがかりの買い物客に話しかける時のように、サラッと軽いものだった。とはいえ、とっさにラオス語をどう使うべしかとモゴモゴとしていたものだから、買おうかどうしようかと悩んでいるように見えたのだろうか・「優柔不断にねぇ」と呆れている感じでもある。

キレイな人だ。

成人女性はほぼ、くるぶしまでかかるロングの巻きスカート姿が見受けられるという中で、ジーンズパンツという出で立ちはハイカラにも映り、かつそのスッとしたスタイルの良さでバッチリときまっている。顔立ちがこれまたスタイル負けしておらず、キレがいい美しさ、とでも言おうか。

冷静沈着、…かどうかは知らないんだけれども、何ものにも動じない雰囲気を漂わせているのがまた、カッコイイ。

「一つ、ください。」

 

 

ラオスでは、フランスパンによく似た棒型パンが、あちこちで見られる。

19世紀、植民地獲得の潮流に乗るフランスは、東南アジアに進出し、ベトナムカンボジア保護国として獲得、一八九九年には「仏領インドシナ連邦」を成立させ、ラオスもこれに組み入れた。その影響で、かの地のパンを食する習慣もまた広まった。

それは、ラオスの言葉で「カオチー」と呼ばれる。

サワンナケート第一号のカオチーは、「具入り」――太さは野球バット、長さは二十センチ弱のパンの側面に、ザクザクとナイフで切こんでメリメリと開き、そこに数種の「具」をいっぱいに詰め込んだもの、だった。

スゴイ…。

そう呟くしかない、口をガッと開けて中身を抱えるそのボリューム。そして「味」。それはかつての宗主国・フランスだってかなわない、ぐらい言ったって許されるものだろう。…って、フランスに行った経験はないんだけれども、どこにヨメに行ったって恥ずかしくないその出来映えである。

いったいその中身とは何ぞや、というと――

「パテ」。もやしと大根、人参の「酢のもの」(要は「なます」であり、まさにその味)。「ハム」。刻んだ「香菜」。「ネギ」。「チリ(唐辛子)ペースト」。「ソース」。

これらを順に、切り開いたパンにギュッギュッと詰め込んでいけば出来上がりで、……こう書くと「なんだ、『軽食』じゃん」と思えてしまうぐらい迫力は無いから、じゃあ一つ一つに言及していこうか。

 

「おそらく」などと但し書きしているのは、(具の)調理過程を実際に見る機会がなかった為だが、そこは舐めるように味わってみて、想像できるところ、である。

「パテ」は、豚の脂身や内臓をペーストにしたもの。「おそらく」タマネギやニンニク等の香味野菜も少々加え、グニグニと交ぜて丸いアルミ容器に詰めて、火を通してある。上部にはしっかりと焦げ目がついているから、おそらくカオチーを焼く窯で焼いたのだろう。型(容器)から外して皿に取り出すと、大きさも形もまるで一台のケーキのように出来上がる。…んだけど、黒い。焦げ目部分に限らず、「食べ物」に見えなくもそりゃないけど、ホントに食べるの?と、少々躊躇を覚えてしまうほどだ。――が、ナルホド、こういう色となるのに納得の、「甘辛」味。砂糖、そしてここ一帯で一般的な調味料の「ナンバー」(魚醤)、或いは醤油(中国醤油)といった類で濃く味付けされている。そしてまた、練りこまれた脂身の甘みが効いていて、全体的にコッテリ、ご飯がいくらだって進んでもいいような感じである。

これを、大きさは切符ぐらい、厚さ五ミリ強にスライスして、切り開いたパンの端から端まで行き渡るよう並べてある。四切れ、いや、五切れはあったか。「何口目」かでようやく到達する、日本のサンドイッチやアンパン事情など、足元にも及ばない。

「なます」は、そこまで酸味は強くないものの、サッパリ、すっきりとした味付けのものが、日本の定食屋で付く「小鉢」など余裕で越える量、パテの上に広げられる。

ここまでで既に、結構な「かさ」がある。

その上にやはり「端から端まで」載せる、短冊にスライスした「ハム」は、厚さもパテ同様。「五ミリ」という字面は大したことないように思えるが、ちょっとモノサシを取り出してもらいたい。レストランの「サラダ」に添えられている、ピラピラハムの次元じゃない。

この「ハム」は、日本のスーパーでよく見かけるもののように、肉をロープで縛ってから塩水に漬けて…という処理を経たものではなく、肉をミンチにしてからこねくり回してまとめ、蒸し固められたものである。大きさは、だいたい「お歳暮」等の贈答用ハムの塊ぐらい。あまりに整った筒状に、肉としての面影はなく、また断面の模様も均一で、たとえるならば「巨大な魚肉ソーセージ」で、正直、見た目は安っぽい。だが、たいした期待をかけずに食べてみたところ――コレが旨いったらウマイ。旨すぎて、もうその味を思い出せないほどだ。ラオスだけでなく、ベトナムカンボジア、そしてタイでも、市場などではコレ、塊が一個単位で売られており、…一人旅の私にとってはデカ過ぎて、欲しいと思えど「躊躇」が先にたつ、もどかしくさせられるものの一つである。中でも大絶賛すべきは、カンボジアのソレであり…って、ここでその詳細はヤメにしよう。

で、旨いハムを載せたその次には、「香菜」の刻んだものをパラパラと。

「それだけでいいのか」という、まるで隠し味的な量であっても、その風味はおとなしく引っ込んでいることはなく、パテやハムの甘みとドッキングし、第三の味を作り上げてしまう威力を十分有しているのだが、決まり文句・「その独特な匂いを苦手とする日本人は多い」。

そして今度は「そんなことでいいのか」と、香菜とは逆に、ミジンにも何もされていない「葱」(「アサツキ」のような、細葱)を、そのピンとした、あるがままの姿で二本か三本、挟み込む。

ここでポイントとなるのが、根っこ(…というか、ラッキョウのような球根の部分)付きであること。これまた独断だが、「肝」がつかないカワハギを出されてもあんまり嬉しくないように、これがあると無いとでは、味に雲泥の差があるのだ。もし、私が野菜嫌いだった幼少期にこれを口にしてしまっていたなら、おそらく「生涯の敵」となっていたであろう・強い辛さをむき出しにした、野菜臭さの心臓部ともいうべき「球根」は、コッテリ「脂身的な」濃い味のパテと、「肉ッ!」というボリュームのハムと引っ付くことで、決してそのものを単調にしない力を持っている。香菜の強い風味もさることながら、この葱もまた、癖になるアクセントを作り出しているのだ。「香菜は切っても葱は切らない」―これが、カオチーのセオリー…かどうかは知らないけどそうなっていることが多いのは、「あまねく人に、『根っこ』もちゃんと分配されるように」という配慮ではないかと勝手に思っている。

 次。

唐辛子をチョップした「チリペースト」を、瓶から小さなスプーンにとり、挟み込んだハム等に撫でて付着させる。これはたいてい「要るか・要らないか」を訊かれ、私はもちろん頷く。料金込みでもらえるモンならなんでももらう、がモットー…っていうか、辛いのが好きなだけだが。具を挟み込む一番に、これを(パンの)断面に染ませる場合もあるが、パンよりもやはり「脂身的なもの」に引っ付けてもらった方が、しゃんと味が締まるようでイイと思う。

さらに、茶筒程度のプラ容器に入った「ソース」を、スプーン一すくいか二すくい、垂らす。使い回しのプラ容器であるから、数種の調味料を独自でブレンドしたもののようには見えるけれども、「既製品」をただその中に移し替えただけかもしれない。こちらで「ソース」というと、それは醤油ベースに甘味諸々を加えて濃くしたような調味料があるから、アレだろうか。

ともあれ、以上、最後に小さなプリント紙をクルッと巻き、輪ゴムをパツッと掛けたら出来上がり。

これが英訳されると、「サンドイッチ」。――ズシっと重みを増した完成品を手にすれば、…納得いかない。確かに具を挟み込む・その行為からして、呼ぶとすればそうなってしまうのだが、しかしその名前の響きとは、この重みからするとあまりに軽やかである。ハムとチーズをササッと挟んでスマートに終える、「軽食」とはちょっと「格」が違うのだ。

そのタップリの具のせいで、半開きに天を仰ぐ口。見ているだけで、こちらの顎が外れてくる。こりゃあ、食べ難いだろう――なんてことは、嬉しい悲鳴なんだけど。

齧るそのたびに感じ入る「味のハーモニー」なるものは、何日も煮込んで深みの増した「おでん」のように、滋味なる余韻をあとに残す。手に抱えていた重みは、そのままそっくり胃の中にズッシリと移動し、その存在感は「ファーストフード」などという曖昧な名詞にもはまらない。

これはれっきとした「お食事」以外のなにものではなく、歩きつつとか、片手で食みつつトランプに興じるなどとかいう「ながら食い」なんて勿体無い。カニを目の前に控えるよう、イスに座って黙って食え、といいたくなる。

 

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お土産をどうぞ ~タイ・コンケン 

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どこもかしこもがベトつく肌。滴る汗がまたいやらしく額を頬を這いずり、イライラを逆なでする。喉の奥底から、ヌメッた息が上がってきて、もうどうしようもなくなる。

そんな中で目の前にある、ケーキ――を包んでいるビニールの濁りを見ただけで、指がヌメってきそうだ。…ウエットティッシュが要る。七星テントウのようにレーズンが表面に見える、握りこぶし大のプリン型。バター、いやおそらくマーガリンだろうが、油脂が多めに入った「パウンドケーキ」の類である。

             

 世界の全てが降り注ぐようなカンカン天気の下にある、タイ。

舌を出して息を粗くする、犬と自分との違いなど一体どこにあるのか分からなくなってくる、「なす術ない」と言うしかない中で、欲されるのはジュースでありアイスコーヒーであり、そうそう、サトウキビジュースもいい。脳天を突き抜ける炭酸ももちろんいい。カランと氷を鳴らしながら、キンキンに冷えたもので喉を潤すあの清涼感を、もうろうとしながら焦がれるその前に、糖分の摂り過ぎが引き起こす生活習慣病云々の説教などなんの歯もたたない。

水一リットル一気飲み、或いは氷の塊をどーんと口の中に突っ込んだってもまぁ構わないんだけど、甘い飲み物って、妙に「癒える」から不思議である。単なる水では、飲んでも飲んでも、栓をし忘れた風呂のように満たされた気にならないのだが、練乳が悲鳴が出るぐらい入ったアイスコーヒーなんて、クドいどころか、飴を貰ってピタッと泣き止む子供のように、みるみる渇きが引いてスッキリとするのだ。

…って、血糖値の急上昇で一時的に頭がハッキリするだけなのかもしれないが。

ジュースはオレンジを絞った生ジュースやらなんやら、瓶、缶入りの既製品にとどまらず豊富にある。アンミツのようなデザートもまた、ヨシ。シロップで甘くしたココナッツミルクの中に、寒天や、タピオカ等の「具」を入れ、仕上げに砕いた氷を盛って食べるものだ。

あぁ…と快感を得られる手っ取り早いのは、「冷たいもの」。時にその冷たさが胃腸を直撃し、腹を抑える事態となることもあるが(疲れた時に一気飲み、とかするのがイケナイ)、暑さにからきし弱い自分としては、そういう甘い飲み物の快楽にすがりもしないとやってられない。冷静で居られない。じゃあ暑い国なんて旅すんな、と言われても、それはまたヒトのヒトたるゆえであり、そう世の中を理性的に生きることは難しいもんである。

が、どっこい「温かい」甘いものも捨て難いのだ。

やはり日中ど真ん中、というよりも、早朝や夕方以降など、まだ気温が落ち着いている時間に食べたいし売っているモンであるのが、砂糖入りの甘い豆乳に、寒天や豆などの「具」を入ったお椀。同様これもお椀で食べる、トロントロンの豆腐に、生姜シロップを張ったもの。特にこの生姜豆腐は私の大好物で、レンゲですくって舌の上にトローンと載せてやると、――「力ぬいたら?」と肩をポンポンとされているような、未来について慮っている自分に気付かされるのである。

 要するに、ここでは喉の通りがいい「液体系」がいい。

が、「ケーキ」はいかがなものか。

卵の色…というよりは、マーガリンかバターの塊を連想する、黄色がかったその色。

ロシアなど寒い場所ならば、モサモサの感触が温かいお茶の味わいを一層増してくれるし、体を温める燃料だとも思うことにして喜んで手を出すけれども、トコロ変わればその嗜好もカメレオンのように変化する。それは口内の水分を吸い取り、暑さにうだっているのをさらに鬱陶しくさせるものに映る。喉にも膜が張り、体中がベトつくような重ったるさがある。

正直、食指が動かない。ここでならば、「オレ、甘いものって苦手なんだよね」と抜かす気取り屋と話が合うであろう。冷静に、敬遠もしよう。

――食べたことがない、というわけではない。

友人(タイ人)宅にお呼ばれの際、子供の誕生日だからと「ケーキ」を振舞われたことがある。白をベースに、緑や黄色のクリームで文字や花々を描きつけられた、派手な丸いデコレンショーケーキは、子供だけでなく、子供質が眠っている大人の気分をも沸き立たせるものではあろうが、食べてみれば、うーん…。スポンジは、パサパサと乾燥した食感がまず気になる。クリームを舐めれば、「クリーム」という状態ではあるが、それは見てくれの為の「道具」であり、「甘いような気がする」ヌメりのある物体。…まぁ、市場でガラスケースに並んでいる大半が「冷蔵」ではないから、生クリームでなかろう想像はついていたけれども、おそらくマーガリンかショートニングかの加工油脂で作られたクリームだろう。

「誕生日にはケーキを食べる」という、どこぞの習慣をもってきましたと言う以上に無く、まぁそれはそれ、と儀式のように平らげたならば、さあ待ってましたと本気にダイビングすべきは、彼らが振舞う料理の方である。正直、舌の肥えたタイ人としては、ホントにそのケーキで満足なのかと、正直疑問を抱いたものだ。

 そこそこに大きい町にならば、ケーキやクッキー、菓子パン等、欧米志向な菓子を揃える(日本でいえば「洋菓子」)店は、一つや二つはあるもんのようだし、市場においてもあれこれと並んでいるのを目にすることが出来る。が、なんというか、ワーイと嗜好品を味わう喜びに浸るというよりも、「ん?」とソレを二度見しながら食べる、ということが多くないか。

たとえば、「一口ケーキ」。マドレーヌよりもちょっと小さめのものを、いい香りを放ちながら売っている店を、市場の一角でよく見かけるものだ。

タコ焼き用鉄板のように、幾つかの窪みがついた(貝っぽかったり、花形だったり)天板に、生地を(その窪みに)流し込み、オーブンで焼き上げたもので、小さいから焼き上がりも早く、売り場には山に積んであったりする。縁日にあるベビーカステラの屋台を思わせる、その匂いにつられて近づけば、焼き立てホヤホヤをたいてい手に出来るだろう。五個、小さな袋に詰めて五バーツ(十五円)等と、安い。

心浮き立つままにゲットし、即口に入れてみれば、しかし――「…ん?」。焼き立てだからパサパサではない。ないんだけれども、噛み潰したら跳ね返ってくるゴワゴワとした弾力が、「ケーキ」というにはちょっと気になる。そこそこに甘い、素朴な味…で終わるには、咀嚼しているうちに、菓子とは違う、なにか「余分なもの」――匂いなのか、味なのか、が気になってくるのだ。

添加物、…膨張剤・「重曹」のせいなのかとも考えたが、想像するに、生地のくっつき防止の為、焼く前に必ず天板に塗りつける油の質と、天板の金っ気ではないか。おそらく生地にはバニラオイル等の香料が入っていないから、生地に移った天板臭さがストレートに分かるのではないか。香料とはもしかすると、こういう野暮な匂いを消すことが第一目的であったのかと、新たな発見に学んだが、ともあれお菓子とは、バニラやシナモンという、いかにもな「イイ匂い」で誘ってくるもんだと思っている私としては、それはあまりに純朴。素直すぎて、もういいや、となってしまう。

が、その逆に、鼻にウルサイほどに「いい匂い」過ぎる、「クッキー」。

ベットリとしがみついてくる、いかにも人工的な香りが――そう、こちらでちょくちょく見かける、ケバケバしく化粧を塗りたくった女性から放たれる香水のように、ビンビンに効いていたり。…暑さにだけでもゲンナリ酔いそうなのに、と、いくら大食漢・珍しモノ好きな私でも、一度に二枚で十分だったりするのである。

 とはいえ、食べもしないで敬遠するのはよくない。「意外と…!」と目を剥く反応を期待して、経験を積むべしと口にしてみた四角い「バター(とは思われないから、マーガリン)ケーキ」は、アラしっとり。…というよりも、上から溶かしバター(マーガリン)をジュッとかけたんじゃないかというほどに、モロに油っぽく、かつクソ甘かった。バチバチと焼いた秋のサンマのように、これも上からレモンをキュッとしてから食べたいなどと、ケーキに対して発想したのは初めてである。

素朴か、或いは、強すぎるか。

…極端なんだよなぁ。ちょうど良い、ということが滅多にない。まぁ、この印象も私の個人的なモンだと言われればそうなんだけど、ケーキやクッキーといった「あちらの菓子」(洋菓子)とは、タイに昔からある、この地域ならではの「甘いモン」とはとても比較にならない。それらは、女性が雑貨屋で物色する、窓辺に置くガラス細工のようなものに過ぎないのだ。いくら欧米志向が世の傾向とはいえ、タイで「ケーキ」なんてあまりに無理矢理、余計なお世話である。それらを口にするよりも、涼しげなココナッツあんみつ一杯平らげた方がなんぼもいい。気候風土を無視して、グローバルになぞならんでいい――という結論に自分としては安定着地していたところで、この「お土産ケーキ」が、カフェー姉さんによって手渡されたのである。

 

「コンケン」は、「イサーン」と呼ばれるタイ東北部の、真ん中あたりに位置している。イサーンでも人口百七十万を超える大きな県ではあるが、その中心部でも、真新しいビルが聳えていかにも都会、というツンツンした空気もなく、のほほんとしつつも賑わっているという、気楽な雰囲気がいい。タイを訪れてもう何度になるのか忘れたけれども、ここに立ち寄ることなく帰国することは、稀だ。

大きな市場が町の中心部を埋め、横断歩道、道路沿いにもまた、果物やジュース、ドーナツや餅菓子、煎餅等の間食、惣菜を並べた露店のパラソルが重なっている。匂いに釣られ、目新しさに引っ張られ、あっちにこっちによろめいていれば、特に名のある寺だとかを目指さなくとも、一日があっという間に過ぎてしまう。

加えて、この町は飯屋が旨い。それも運命の出会いとまでに思える、私の舌と相性ばっちりな店が数軒あるから、それを一通りこなさねば来た気がせず、スケジュールは行くべき場所でポンポンと埋まってしまうのだ。滞在三日や四日では、新たな店を発見しようなどと費やす暇がない。

市場の中に納まる、とあるコーヒー屋もまた、定位置の一つである。

一人歩きが憚られるような暗さにある早朝――でも、市場は別世界だ。あかあかと、電球を宝石のように灯らせた中で、人がわらわら、目を覚ましたのは遥か昔のような顔で動いている。そのうち、活きのいい湯気を、天に躍らせている場所だ。

コップやコンデンスミルク缶を積み重ねた調理台、湯を沸かす鍋や氷ケース、そして客用のテーブル・椅子。六畳そこそこあるだろうかというコンパクトなスペースだが、ここに、朝っぱらからコーヒーを求める人の、多いこと多いこと。

六時前には既に繁盛の波にのり切っており、貫録ある体格の女主人が、吹き上がる湯気の中で額に汗を滲ませ、コップを並べたり、ビニールをまさぐったり、コーヒーを濾す袋(=ネル)をポットから持ち上げなどしている。

近付き、「おはよう」と声を掛けたら、真っ白にくもった眼鏡をちょっとずり上げて、「おはよう」。朝起きてからまだ浅い、ボケた自分に比べれば、ニッとしたその笑みにあるのは「余裕」だ。とっくに「気」は、立ち上がっているのである。

コンケンの時間とは、日々、ここから始まる。ショートヘアだからまぁそうなのだろうが、くしをシャッシャッと軽く入れただけで眼鏡をかけ、なんとなく美術部員の中学生(偏見)のようなしゃれっ気のなさが私と同類だが、その動きはとにかくテキパキと素早い。頼もしい体格でもあるし、歳はほんの四つか五つ違うだけのハズなのに、とってもしっかりした年配者に見える。

コーヒーはこちらで「カフェー」と、「フ」にアクセントを強くおき、語尾を伸ばし気味に言う。ネスカフェ(インスタント)もあるけれど、豆を轢いたものの方がウマイ。…というのはアタリマエでしょ、とコーヒー好きなら口をそろえるだろうが、こちらの淹れ方での「濃厚」コーヒーが、というのをことわっておく。それは「タイカフェー」或いは「トゥンカフェー」と言い、「トゥン」とは、コーヒーを濾すネット・「ネル」を指す。

コップは、宴会の時のビールグラスの大きさの、ガラスだ。それに、あの甘い甘い練乳の缶を傾け、それをドロッと一センチの深さに垂らしたら、ネルを浸しっぱなしで濃く濃く抽出しておいたコーヒー液を八分目まで注ぎ、おまじない的に無糖練乳を少々タラッとさせて、仕上げる。

練乳一センチというのは「クソ甘い」のではと想像するが、これは同じスタイルのベトナムラオスでのコーヒーに比べれば序の口といえるだろう。ここで詳細は突っ込まないけれども、かの地に比べると、コーヒー牛乳のように優しく、軽いと思えるのだが、まぁ、日本で飲むよりも「濃く」かつ「アマアマ」であることには変わりない。その口の中をサッパリさせる、中国茶の入ったコップ(同型)が、コーヒーに添えられてワンセット。つまり一人につき二つのコップが供される、というのが、コーヒー屋における共通事項だ。

よく笑い、よく喋り、よく動く。肝っ玉太っ腹母さん…と言いたいところであるが、何度再会を果たしても、「まだ?」とお互いに言い合う、独り身だ。タイに初めて通ってからもうすぐ二十年になるうちの一度だけ、「フィアンセ」なる写真を見せてくれたことがあったのだが、その後「さあ、家族は増えたのだろうか」と楽しみに訪れてみれば、そんな話など無かったことのように「そのまま」であり、それに関してひとっことも出てこないから、こちらとしても訊きづらく、あの話は夢だった、と思うしかないのだろう。いつも汗を滴らせてきびきび動いているのに対し、私はいいご身分にのんびりとコーヒーをちびちびやりながらその後ろ姿を眺めているのだが、あんなに忙しそうなのに、いつ来ても痩せていない。

合間をみては隣に座り、私の会話帳をひったくって興味深げに眺めるから、私も遠慮なく会話を試みる。開いたページのタイ語と日本語部分をお互い指でなぞり、懸命に声にだし、時に上手くいかないやりとりに苦笑する中で、「ハイヨ」とお客がやって来たならば、カフェー姉さんはその度に大きな体をよっしゃと再起動させる。そうして次の合間には、ドリアンやらラムヤイ(龍眼)やらを出してくれながら、旅のルートについての質疑応答が始まる。市場の原動力ともいえるプロフェショナルな仕事人でありながら、私と同じ位置にきて、「言葉」というものに頭を悩ませる姿は愉快であり、…嬉しくもあり。

その友人からの「ケーキ」だ。

バスの中で食べてね。この町を去るという、別れの時。いつが最初だったろうか、彼女が土産に渡してくれたのは。

レーズンが数個ポツポツと見える、カップ型のケーキ。

また会おうね。また、カフェーを飲みにくるよ。 

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 車窓が変わりゆく中、ケーキ・三つのうちの一つを手に取り、個包装されているそのビニールをずらした。「いい匂い」がする。いや、「ケバイお姉さん」系とは、ちょっと違うような…。

食べてみる。――と、「アレ?」。不自然な・つまり人工的な香りが添加されているのは確かだが、絡みついてくるほどではない。ケバイさというよりも、なんだろう…緑の瑞々しさを仄かな、優しい香りだ。

…美味しい、じゃん。

スポンジはベーキングパウダーで膨らませたのだろう、大きな気泡が縦に開いてフワフワしている。ベタつくのは大量の油脂のせいだろうが、「油っぽい」よりも「しっとり」という言葉の方が先に出てくる。その口どけが、香りとピッタリと添っており、もう一口したくなる。レーズンが、いいアクセントだ。これがまたミソのような気がする。

 無理矢理平らげるどころか、もう一個欲しい――結局こぶし大三つ、一度に食べてしまった。

 酷暑のタイで、ケーキにハマる、なんて…。

さすがカフェー姉さん。やはり体に説得力が、…なんて、ハタから見れば私も人のことを言えたこっちゃないけれども、なるほど「また食べたい」と思わずにはいられない、いいモン知っているではないか。地元人が選ぶものにハズレなし、か。

 

手を振るあの姿のあと、いつもこの掌に残るのは、ケーキ。

別れのときになって、いつも思い出されることがある。そもそも「ケーキ」って、こういうもんじゃなかったか――。

甘く、そして華やかなケーキとは、ちょっと特別を意味する、贈り物となり得るもの。…いつからだろうか、「クリームの口どけ」とか「スポンジの柔らかさ」とか「甘味のバランス」とか、ウルサイことを云々言い始めたのは。 

「ケーキ」の見てくれに浮き立ち、クリームに胸焼けしながらもフォークを突刺すことをやめなかった、子供の頃を思い出す。「子供だからって味は誤魔化せない」のはホントだが、しかし「見てくれ」に、子供は自分を言い聞かすことが出来るのである。ヌメッとしたクリーム(おそらくバターかマーガリン製の)が塗りつけられたスポンジケーキを、私は明らかに、心から「美味しい」と思ってはいなかった。が、「ケーキ」という存在自体が嬉しい。それを貰った、という事実がウレシイ。それを目前にしている、という状況が嬉しい。嬉しいんだから、美味しい「ハズ」と食べ続けていたのである。

それ、――かけがえのない思いだったのではないか。

 そして、歳を経るにつれて余分なものをいっぱい引っ付けてしまっていたことにも、気づくのだ。

「旧い友人」と言いたい、気の置けなさを感じている人から貰うものであり、つまり「あなたから頂くものならなんでも嬉しい」というモンである。「貰った」その心遣いが非常に嬉しい。それだけで十分、胸いっぱい。よって、ケーキの味云々は問題ではない。たとえ口に合おうが合うまいが、つべこべ言おう気は全く失せていた――んだけれども、云々できるほどにウマかった。結局、意外にウマかったからこそ思い出せた、ケーキというものがその奥で背負っている価値。…うーん…。

なんでも、家の隣が菓子屋で、そこから買うのだという。…じゃあ、次はそのコネで入り込み、作り方を見学させてもらえばいいじゃん。

次、コンケンに滞在するお楽しみがまた一つ。

 

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